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[13610] Re:まとめレス返信 削除
2010/12/13 (月) 23:48:34

▼ 徳翁導誉さん
>
> ぶっちゃけ、それぞれのゲームは、
> それぞれの舞台に合わせてシステムを作っているので、
> それを使い回しても、高い確率で、劣化したモノしか出来ませんよ・・・・


これに関してはなんとも僕は素人なのでもうしあげることができません。
ただ、新しくシステムを作れるならそちらの方がいいですけど・・・。

> > 三つの兵種がありますがそれぞれ足軽、騎馬、長槍あたりに変えてみては?
> そう言った三兵戦術は、同時期の欧州でようやく萌芽したような頃で、
> それが完成されるのも、ようやくナポレオンの時代になってからですし、
> 日本での話となると、それがあったのは明治に限定される短い時間です。
> その上、ゲームのコマンドで扱われるのは戦争単位ですが、
> こうした兵科は戦闘単位の代物で、当てはめるのは無理があると思います。


戦国時代だと信長の(文字通り)長槍部隊とか聞きます。
一部では兵種が分かれてたみたいですよ?
あと、時代と兵種のかかわりについては、稚拙でした。
考えないといけません。

> > 次に、従属大名はわざと宗主大名の威信を1地区につき2威信を獲得することにして、
> > 属国化と統一の促進を図ります。

> 「歴史」と言う現実的な題材を扱う以上、
> そう言う、ゲームの為だけのルールと言うのは、
> 正直な所、私はあまり好きではありませんね・・・・


これも僕からは何ももうしあげることはできません。
ただ面白いんじゃないかなと思いました。
昔の日本は見えないところで、一つの大名だけでは統一できないような
理由があったと思うんです。
 
> > 領地与奪権限(関ヶ原後の鞍替えの再現になるかも)は宗主大名にアリのということにします。
> 赤い嵐WW2版に置き換えれば、
> 「同盟国=外様大名」「従属国=譜代大名」と言った感じでしょうか?
> 外様の領知替えは、双方の合意が必要な領地割譲で、
> 譜代の領知替えは、宗主国の意向のみで行える領地割譲と。


そういう僕の提案だと感じです。
 
> > ターン更新時に十分の一ぐらいの確率で姫が来るようにして、
> > たとえば従属大名と宗主大名で婚姻させます。

> その辺は、ランダムに姫が登場する「信長の野望」よりも、
> オルドで子供が生まれてくる「蒼き狼」の方が良くありません?
> 結婚して、子供が生まれて、娘を他家へ嫁がせたり、貰ったり、
> 息子同士が家督を争ったり、跡取りが居ないので養子を貰ったり・・・・
> ゲームで扱うスパンをどの程度にするかで話は変わってきますが、
> 幕府ゲームで行くなら、大名家を永続させるのが目的でも良いですし。


確かに。そうかもしれません。
やはり統一の過程は無しですかね・・?
感想としては家督争いなんかも起きたら、面白そうです。

> 「統一から維持へ」とゲーム・システムが移るのではなく、
> 「ラストがグダグダする統一系ゲーム」になるだけな気がします・・・・
> 維持を目的にするなら、それ専用のシステムを作る方が良いと思いますよ。


すると統一の過程は無しという意味でしょうか?
ちょっとさびしいような思いがあります。
 



[13621] Re2:まとめレス返信 削除
2010/12/19 (日) 19:30:37 徳翁導誉

> > ぶっちゃけ、それぞれのゲームは、
> > それぞれの舞台に合わせてシステムを作っているので、
> > それを使い回しても、高い確率で、劣化したモノしか出来ませんよ・・・・

> これに関してはなんとも僕は素人なのでもうしあげることができません。
> ただ、新しくシステムを作れるならそちらの方がいいですけど・・・。

いや、プログラムの話とかならまだしも、
構想案には、素人も玄人も無いと思いますよ。
だからこそ私なんかでも、好き勝手言える訳ですし(笑)。


> > > 三つの兵種がありますがそれぞれ足軽、騎馬、長槍あたりに変えてみては?
> > そう言った三兵戦術は、同時期の欧州でようやく萌芽したような頃で、
> > それが完成されるのも、ようやくナポレオンの時代になってからですし、
> > 日本での話となると、それがあったのは明治に限定される短い時間です。

> 戦国時代だと信長の(文字通り)長槍部隊とか聞きます。
> 一部では兵種が分かれてたみたいですよ?

う〜ん、それは「部隊」を「どのくらいの規模」として想定するか次第ですよね。
近代の軍隊でイメージすると、1つのピラミッド構造なのですが、
戦国期の軍隊と言うのは、幾つものピラミッドが重なったような感じなので、
例えるなら、信長軍の中の長槍部隊を秀吉が率いたりするのではなく、
信長は信長の、秀吉は秀吉の軍を持ち、その中に長槍足軽が居るという具合です。

例えば数百石取りの武将ですと、数十人の足軽を抱え、一定量の騎馬や鉄砲を揃え、
それだけで1つの戦闘集団となり、その武将は足軽たちの殿様となります。
で、その殿様には上司の殿様が居て、その上司も自らの足軽たち(軍隊)を抱え、
上司の上司も独自の軍隊を抱え・・・って感じになります。
まあ簡単に言えば、小さな戦闘集団の寄せ集めで、
その集団の殿様である武将が、上司の命令に従って集団を指揮し、共同戦闘すると。
ですので、騎馬や鉄砲だけが数千人も集まって、という感じの部隊ではありません。
まあ、その小さな戦闘集団には、槍隊とか鉄砲隊とかあるものの十数人単位ですし、
戦国後期になると、各武将に兵を供出させて集中運用するケースも増えては来ますけど、
それでも100〜200人くらいの規模なので、あのゲームのスケールには合いませんね。
あれは戦略単位のゲームなので、扱う兵数は数千数万が適当でしょうし、
そこまで細部も扱うなら、戦闘フェイズを別途用意する必要がありますから。
って、そこまでやると今度は、あまり多人数ゲームには向かなくなります・・・・
まあ1人用ゲームであれば、この辺の構想案も持ってはいますけども。

ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
結構しっかりと描かれたりしています(笑)。


> > > 次に、従属大名はわざと宗主大名の威信を1地区につき2威信を獲得することにして、
> > > 属国化と統一の促進を図ります。

> > 「歴史」と言う現実的な題材を扱う以上、
> > そう言う、ゲームの為だけのルールと言うのは、
> > 正直な所、私はあまり好きではありませんね・・・・

> 昔の日本は見えないところで、一つの大名だけでは統一できないような
> 理由があったと思うんです。

その「見えない何か」を解き明かし、それをシステム化する事にこそ、
歴史ゲームの意味が有るのではないでしょうか?
って、この件に関しては、そんな難しい理由は無いかと・・・・
従属する側からすれば、単に「寄らば大樹の陰」ですし、
従属させる側から言えば、単に「費用対効果の問題」ですので。


> > > 領地与奪権限(関ヶ原後の鞍替えの再現になるかも)は宗主大名にアリのということにします。
> > 赤い嵐WW2版に置き換えれば、
> > 「同盟国=外様大名」「従属国=譜代大名」と言った感じでしょうか?
> > 外様の領知替えは、双方の合意が必要な領地割譲で、
> > 譜代の領知替えは、宗主国の意向のみで行える領地割譲と。

> そういう僕の提案だと感じです。

ちなみに以前、「関ヶ原」を題材にしたCGIゲーム案も考えた事はあります。
まずプレイヤーは、ゲーム自体への登録を行い、
新セッションが始まると、ポイントを支払って担当したい大名を選択。
(ポイント額は大名の石高に比例&ゲーム終了後までプレイヤー名の公表は禁止)
で、徳川家康のプレイヤーと、石田三成のプレイヤーは、
赤い嵐キューバ危機版のアメリカとソ連みたいな存在であり、
自勢力を拡大する為に、その他の大名プレイヤーを陣営に引き入れていきます。
その時に交渉カードとなるのが、戦後の領地分配ですね。
各領地には石高が設定されており、戦後の石高アップ率に応じてポイントを加算。
大きな大名は影響力は強いものの、元手が大きいので大幅アップは難しく、
小さな大名は影響力は弱いものの、元手が小さいので大幅アップも狙えます。
そして最後に、生き残った大名は論功行賞(石高の割振り結果)を参考に、
勝者(家康or三成)の評価点を決め、幕府の存続年数を算出。
その存続年数が長いほど、勝者にはボーナス・ポイントが加算されると。
局地的には、各セッションでの勝利を目指しますが、
大局的には、各プレイヤーの獲得ポイントを争うゲームですね。


> > 「統一から維持へ」とゲーム・システムが移るのではなく、
> > 「ラストがグダグダする統一系ゲーム」になるだけな気がします・・・・
> > 維持を目的にするなら、それ専用のシステムを作る方が良いと思いますよ。

> すると統一の過程は無しという意味でしょうか?
> ちょっとさびしいような思いがあります。

ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
対象とする時間のスパンが違いすぎます。
これを共存させようとした場合、余程しっかり作り込んだシステムにするか、
統一と維持で2つのゲームを作り、データの共有させる事で、
その2つのゲーム間を、スムーズに移行させるくらいしか手はありません。
前者の方は言うに及ばず、後者の方もなかなかに難しいですよ。


[13633] Re3:まとめレス返信 削除
2010/12/21 (火) 22:41:25

▼ 徳翁導誉さん
 いや、プログラムの話とかならまだしも、
> 構想案には、素人も玄人も無いと思いますよ。
> だからこそ私なんかでも、好き勝手言える訳ですし(笑)。


でもやはり作る人間ではないので、すこし自重します笑

> う〜ん、それは「部隊」を「どのくらいの規模」として想定するか次第ですよね。
> 近代の軍隊でイメージすると、1つのピラミッド構造なのですが、
> 戦国期の軍隊と言うのは、幾つものピラミッドが重なったような感じなので、
> 例えるなら、信長軍の中の長槍部隊を秀吉が率いたりするのではなく、
> 信長は信長の、秀吉は秀吉の軍を持ち、その中に長槍足軽が居るという具合です。


そうすると兵種というか、僕が言ったものは大名間の装備の違いぐらいですかね?
個人的には、ゲーム的に、例えば
足軽10長槍1等と表示して表わされている画面がみてみたい気がしますけど。

> > そこまで細部も扱うなら、戦闘フェイズを別途用意する必要がありますから。

やはり、ここまでやると集団ゲームにはなりませんよね。
僕はどちらかというと、戦闘フェイズは省略してほしい気がします笑

> ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
> 劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
> 結構しっかりと描かれたりしています(笑)。


みたことあります笑
あれって年代としてはいつぐらいの設定なんでしょうね?
 
>
> その「見えない何か」を解き明かし、それをシステム化する事にこそ、
> 歴史ゲームの意味が有るのではないでしょうか?
> って、この件に関しては、そんな難しい理由は無いかと・・・・
> 従属する側からすれば、単に「寄らば大樹の陰」ですし、
> 従属させる側から言えば、単に「費用対効果の問題」ですので。


でも費用対効果のみを考慮すると例えば江戸時代の場合はすべての大名を譜代大名と御三家系列にしてしまえばいいわけでして、
実際おそらく関ヶ原の戦いのあとの何十年のスパンで交代させていくで考えれれば出来たと思うんです。
それをやらなかったということはもう少し何かあったんじゃないかなあと。
あとは、自分としては現代人の意思と当時の人の考え方の違いを埋めるために
システムを作ってもいいかなと思います。
とくにゲーム内だと滅ぼすというのが旨になりそうですから、
大名を生き残らせることを半ば義務にすると。

 
> ちなみに以前、「関ヶ原」を題材にしたCGIゲーム案も考えた事はあります。
> まずプレイヤーは、ゲーム自体への登録を行い、
> 新セッションが始まると、ポイントを支払って担当したい大名を選択。
> (ポイント額は大名の石高に比例&ゲーム終了後までプレイヤー名の公表は禁止)
> で、徳川家康のプレイヤーと、石田三成のプレイヤーは、
> 赤い嵐キューバ危機版のアメリカとソ連みたいな存在であり、
> 自勢力を拡大する為に、その他の大名プレイヤーを陣営に引き入れていきます。
> その時に交渉カードとなるのが、戦後の領地分配ですね。
> 各領地には石高が設定されており、戦後の石高アップ率に応じてポイントを加算。
> 大きな大名は影響力は強いものの、元手が大きいので大幅アップは難しく、
> 小さな大名は影響力は弱いものの、元手が小さいので大幅アップも狙えます。
> そして最後に、生き残った大名は論功行賞(石高の割振り結果)を参考に、
> 勝者(家康or三成)の評価点を決め、幕府の存続年数を算出。
> その存続年数が長いほど、勝者にはボーナス・ポイントが加算されると。
> 局地的には、各セッションでの勝利を目指しますが、
> 大局的には、各プレイヤーの獲得ポイントを争うゲームですね。


これいいですね笑
妄想を書かせていただきたいのですが、
これを統一維持の方向にむけてほしいなあと笑
どうしても、統一維持とそれへの挑戦に興味があるんです。
自分でも不思議です。
>
 
> ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
> 対象とする時間のスパンが違いすぎます。
> これを共存させようとした場合、余程しっかり作り込んだシステムにするか、
> 統一と維持で2つのゲームを作り、データの共有させる事で、
> その2つのゲーム間を、スムーズに移行させるくらいしか手はありません。
> 前者の方は言うに及ばず、後者の方もなかなかに難しいですよ。


たとえば、桶狭間の戦いのあとから明治維新終了程度まで
1560〜1860年ぐらいまでをスパンと考えては?
1ターン五年分としても60ターンかかるわけですが。
そうすると大体3ターン程で天下統一し、あとをすべて統一維持ゲームに
するわけですね・・・。
ここまだきたら、単純に統一維持のゲームにした方が面白そうです。
その場合は幕末希望です笑


[13672] 足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/26 (日) 16:24:14 徳翁導誉

> そうすると兵種というか、僕が言ったものは大名間の装備の違いぐらいですかね?
> 個人的には、ゲーム的に、例えば
> 足軽10長槍1等と表示して表わされている画面がみてみたい気がしますけど。

う〜ん、何と説明すれば良いんですかねえ・・・・
まず最初に、足軽とは基本的に、馬に乗れず徒歩で戦う兵士で、
自分の土地は持たず、雇い主から給料を貰っている下級武士です。
そんな足軽の中でも、それなりの給料を雇い主から貰い、
自ら足軽を雇っているのが、中級武士である足軽大将です。
そして、自らの領地を持ち、その収入で足軽を雇い、
馬にも乗れて、大名に会えるのが上級武士の侍大将だと。
まあ必ずしもこの定義が当てはまる訳では無いですが、大体こんな感じです。

で、足軽自体は安い給料で雇われ、武士と農民の中間みたいな存在ですから、
当たり前ながら、自らの武器や防具を揃える事は困難です。
ですので、例えば300石取りの侍大将であれば、所属する大名から、
「お前は足軽を10人、長槍を5本、鉄砲を3丁揃えろ」って具合に、
領地の大きさに比例して、揃える兵数や武器のノルマを課される訳です。
まあ、金銭的に余裕のある大名や武将であれば、
一括でドカンと、武器や防具を揃えたりする事も出来ますが、
大体は結構その辺もバラバラで、それが更に寄せ集まるって感じですね。
で、長槍を持てば長槍足軽、弓を持てば弓足軽、鉄砲を持てば鉄砲足軽であり、
中には専門職も居たでしょうが、基本的には単なる同じ足軽です。


> > > そこまで細部も扱うなら、戦闘フェイズを別途用意する必要がありますから。
> やはり、ここまでやると集団ゲームにはなりませんよね。
> 僕はどちらかというと、戦闘フェイズは省略してほしい気がします笑

とは言え戦国の華は、やはり「合戦」にありますからねえ。
「信長の野望」と「天下統一」の人気を分けたのも、その部分にあると思います。
あとは、武将の顔グラフィックの有無でしょうか?
システム的に良く出来ていても、気持ちを盛り上げる要素も大きいですし。


> > ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
> > 劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
> > 結構しっかりと描かれたりしています(笑)。

> あれって年代としてはいつぐらいの設定なんでしょうね?

劇中で、しんのすけの手紙に「天正2年」という言葉が出て来るので、
西暦に直すと「1574年」という事になります。
1574年となると、信玄が死に、足利義昭が京を追われた次の年ですね。


> > 従属する側からすれば、単に「寄らば大樹の陰」ですし、
> > 従属させる側から言えば、単に「費用対効果の問題」ですので。

> でも費用対効果のみを考慮すると例えば江戸時代の場合はすべての大名を譜代大名と御三家系列にしてしまえばいいわけでして、
> 実際おそらく関ヶ原の戦いのあとの何十年のスパンで交代させていくで考えれれば出来たと思うんです。

では何故、それをやらなかったのでしょう?
結論から言うと、「出来なかった」から。
もしくは、「無理してやっても割が合わなかった」から。

簡単に「大名を交代させる」と言いますが、
潰される側の大名が「はい、そうですか」と大人しく従うでしょうか?
従わずに蜂起すれば、それを武力で鎮圧する為に莫大な費用が掛かる訳で、
増援に駆け付ける他大名にも、恩賞を与えなければなりません。
しかし、恩賞が少なければ恨みを買い(鎌倉幕府滅亡の遠因)、
逆に多ければ、新たな敵を育てるだけです(室町幕府滅亡の遠因)。
しかも大名を取り潰せば、失業した大量の浪人が出て治安が悪化しますし、
次々に潰せば、残った大名の不信感が募って、政情不安定になります。
また、ここまでやって、仮に親藩や譜代の大名を増やしたとして、
今度は彼らが力を付ける事で、内部での紛争や権力争いが激しくなるだけです。
最高実力者にとって、最も恐ろしい存在とは、
自分の座を狙う血縁者と、権力を握る側近たちなのですから。
結局、行く所まで行けば、中国の歴代王朝のような中央集権体制ですが、
日本の武士と言うのは、そうした朝廷の中央集権支配に対し、
土地を支配し、兵を持つ事で、そうした構造を引っ繰り返した訳です。
ですから、武家政権が中央集権を行うなど、そもそも無理な話であり、
だからこそ明治維新による中央集権の始まりは、武士の時代の終わりを意味した訳です。

でもまあ、江戸幕府は結構、大名家をかなり取り潰してはいるんですよ。
この辺は、鎌倉・室町両幕府の失敗を、よく学んだ家康の功績でしょうね。
関ヶ原の時に、98家を潰した家康は別格にしても、
秀忠・家光の2代でも、同じく98家もの大名を取り潰しています。
で、それをうまく行う為に使った手が「無嗣断絶&末期養子の禁」です。
簡単に言えば、後継ぎが居なければ取り潰し、
大名が危篤になって急に養子を迎えたりもダメ・・・って事ですね。
武力で強引に潰すのと違い、ルールを作って平和裏に潰す事ができ、
また時代が時代なので、結構バタバタと死ぬ為、バタバタ潰してったと。
それと豊臣系の大名は、微罪で領土を縮小した後、次の微罪で取り潰し、
ってケースが多かったですね(いきなり潰すと、蜂起しかねないので)。
あとは、将軍の息子を、大名の跡取り養子に押し込んだりですか。
まあ、こうした大量の取り潰しが、徳川260年の礎を築いたのは確かですが、
やり過ぎた面もあり、浪人による反乱や幕府転覆計画・老中暗殺計画が起きると、
家光以降の大名廃絶は、将軍12代の間で計60家と少なくなっています。
ちなみに、明治政府も1家だけ取り潰してますね↓
http://www.geocities.jp/kingo_chuunagon/flash/hayashi.html


> あとは、自分としては現代人の意思と当時の人の考え方の違いを埋めるために
別に人間は、時代によって変わったりしませんよ。
「利で動く」 ただそれだけです。
人間どころか、自然界の摂理がそうなんです。
まあ、時や場所や人の違いで、その「利の中身」が多少変化しても、
根本的な部分は、ほとんど変わる事はありません。


> どうしても、統一維持とそれへの挑戦に興味があるんです。
結局、前にも貼りましたが、やるのに一番適してるのは室町幕府ですよ。
と言う事で、1年前のやり取りをコピペ↓
> > > 特に室町時代ですと、三管四職の争奪戦あり、守護職の変更あり、戦争ありですので、
> > > 結構面白いと思いますよ。
> > > 各プレイヤーは、細川家や山名家などの一族としてまず登録して、
> > > 家の中で棟梁を目指すも良し、棟梁として幕府の役職を増やすも良し、棟梁を支えるも良し。
> > > もちろん、他家や一族から姫を貰って子供を増やし、自らの家系を繋げていくと。

> > でも仮に室町版が出来て「家の中」に何人かプレイヤーがいるとすると、
> > いくつか有力大名が居てその中でやるみたいになるんですかね?

> まあ、そう言う事ですよね。
> 室町時代に各国の守護職を務めた家って、数が限られてますので。
> 前回書いた「三管四職」というのは、
> 管領職に就ける斯波・細川・畠山の3家と、
> 侍所頭人に就ける赤松・京極・一色・山名の4家の事です。
> この他にも、今川家や武田家、大内家などがありますね。
> 戦国時代好きには、結構お馴染みの家が多いですよ。
> まあ戦国も後期になると、没落している家が多いですが(笑)。



> > ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
> > 対象とする時間のスパンが違いすぎます。

> 1ターン五年分としても60ターンかかるわけですが。
> そうすると大体3ターン程で天下統一し、あとをすべて統一維持ゲームに
> するわけですね・・・。

3ターンで天下統一できるゲームって、こんなの↓ですか?(笑)
http://www.geocities.jp/tokuou_douyo/sangokushi2002.html
正直言って、そんなのは「あっても邪魔」なレベルですよ。
ただ1人用であれば、1年1ターンで全時代を扱うゲームを考えた事はあります。
全世界が舞台であれば、全土を統一する事は先ず不可能ですし、
歴史人物を登場させることで、世界史の勉強にもなりますからねえ。

> ここまだきたら、単純に統一維持のゲームにした方が面白そうです。
> その場合は幕末希望です笑

幕末こそ、まさに壊す時代ですよ。
倒幕派はもちろん事と、幕府側だって大君制とか考えてましたし。
世界的にも、変わらなければ滅ぶ時代です。
と言いますか、そもそも日本史が舞台だと、政権維持のゲームは難しいですよ。
四方を海に囲まれてるので、外敵の存在が皆無に等しく、
一度安定すると、なかなか不安定になりませんので(良い事なんですけどね)。
「外敵脅威→軍備増強→出費増大→農民重税→飢饉発生→農民反乱→王朝滅亡」
という流れが必ずあるからこそ、中国の王朝をゲーム例に上げた訳です。
他にも、安定した体制が長年続く事で起きる、人間や制度の腐敗も要因ですが、
その辺をゲームでシステム化すると、プレイヤーからは理不尽に見えるでしょうしね。


[13683] Re:足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/29 (水) 22:00:49

▼ 徳翁導誉さん
> まあ、金銭的に余裕のある大名や武将であれば、
> 一括でドカンと、武器や防具を揃えたりする事も出来ますが、
> 大体は結構その辺もバラバラで、それが更に寄せ集まるって感じですね。
> で、長槍を持てば長槍足軽、弓を持てば弓足軽、鉄砲を持てば鉄砲足軽であり、
> 中には専門職も居たでしょうが、基本的には単なる同じ足軽です。


それをすべてゲームにするのは難しいと思うので、
色々省いて、足軽と騎馬と長槍ぐらいでいいかなと。
信長の野望をそんな感じですよね。
それから足軽大将という階級差を示すとしたら現代等にも
大将や少将という階級もあります。戦国時代が兵士を自前で集めると言っても、
結局は集まって戦う訳じゃないですか?だから省いてもいいのかなと。
信長時代になると随分と集団戦法してると思います。

> とは言え戦国の華は、やはり「合戦」にありますからねえ。
> 「信長の野望」と「天下統一」の人気を分けたのも、その部分にあると思います。
> あとは、武将の顔グラフィックの有無でしょうか?
> システム的に良く出来ていても、気持ちを盛り上げる要素も大きいですし。
>

システム的に出来ますか?
>
> > > ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
> > > 劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
> > > 結構しっかりと描かれたりしています(笑)。

> > あれって年代としてはいつぐらいの設定なんでしょうね?

> 劇中で、しんのすけの手紙に「天正2年」という言葉が出て来るので、
> 西暦に直すと「1574年」という事になります。
> 1574年となると、信玄が死に、足利義昭が京を追われた次の年ですね。


ただあれって小大名同士の戦いじゃないですか?

>
>
> 簡単に「大名を交代させる」と言いますが、
> 潰される側の大名が「はい、そうですか」と大人しく従うでしょうか?
>


もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは十万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。
幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?
時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。
中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
清と比べても可能性はあるでしょう。

>
> > あとは、自分としては現代人の意思と当時の人の考え方の違いを埋めるために
> 別に人間は、時代によって変わったりしませんよ。


その『利』を覆すのが理性だったり考え方だったりする訳で。
もう少し言うと「利」ってのがよくわかりません(笑)


>
> > どうしても、統一維持とそれへの挑戦に興味があるんです。
> 結局、前にも貼りましたが、やるのに一番適してるのは室町幕府ですよ。


しかし何か違うような・・・。
 
> > > ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
> > > 対象とする時間のスパンが違いすぎます。

> > 1ターン五年分としても60ターンかかるわけですが。
> > そうすると大体3ターン程で天下統一し、あとをすべて統一維持ゲームに
> > するわけですね・・・。

> 3ターンで天下統一できるゲームって、こんなの↓ですか?(笑)
> http://www.geocities.jp/tokuou_douyo/sangokushi2002.html
> 正直言って、そんなのは「あっても邪魔」なレベルですよ。


そう言われるともう何もいえませんよね。
統一の話から崩壊の話までに興味を持って、
提案してみてる訳ですから。
失礼3ターンは少なすぎました。
8ターンぐらいでしょうか?

> > ここまだきたら、単純に統一維持のゲームにした方が面白そうです。
> > その場合は幕末希望です笑

> 幕末こそ、まさに壊す時代ですよ。

それは壊す側からの視点でして、守る側の視点もあります。

> 倒幕派はもちろん事と、幕府側だって大君制とか考えてましたし。
> 世界的にも、変わらなければ滅ぶ時代です。
> と言いますか、そもそも日本史が舞台だと、政権維持のゲームは難しいですよ。
> 四方を海に囲まれてるので、外敵の存在が皆無に等しく、
> 一度安定すると、なかなか不安定になりませんので(良い事なんですけどね)。
> 「外敵脅威→軍備増強→出費増大→農民重税→飢饉発生→農民反乱→王朝滅亡」
> という流れが必ずあるからこそ、中国の王朝をゲーム例に上げた訳です。
> 他にも、安定した体制が長年続く事で起きる、人間や制度の腐敗も要因ですが、
> その辺をゲームでシステム化すると、プレイヤーからは理不尽に見えるでしょうしね。


色々考えてみましたが、やはり外国勢力が来る前後あたりが一番いいかもしれません。
幕末といっても、1800年ぐらいから始まるとベストです。
そのぐらいだと幕末の勢力がまだ卵ですし、尊王攘夷から尊王倒幕の変化なんかもありますね。

それかやはり管理人さんも言われたように中国だと、清から中華人民共和国の時代でしょうか?
激動ですよね。


[13685] Re2:足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/29 (水) 23:19:17 ミカエル

ちょっと気になったので横から失礼します。

> もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
> ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは十万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。


反対ですよ。江戸初期については幕府の統制力は完全に全国(特に西日本)に行きわたっていないですよ。
それを管理人さんがおっしゃるように家光期までかかって少しずつ幕府の威光を確立していったのです。
この時期の大名取りつぶしも無嗣断絶がかなりの割合を占めております。
また、織豊政権時には江戸期の様な朱子学が確立しておりませんので
必ずしも長子相続とはならないがために御家騒動が勃発して取りつぶしになる家もありました。

織田豊臣系の大名に関しても管理人さんのおっしゃる通り
大藩に関してもいきなり取りつぶさず1〜3万石程度の小大名として存続させたり
参勤交代や普請作業等で普段から大名家の力をそいでいたために「蜂起したくともできない」
状態に各大名をおいていたからでしょう。

それでも完全には幕府の威光が日本全国に普くいきわたったかといえば微妙で
伊能忠敬が島津家領の測量を実施する際には多少問題にもなりましたよね。

> 幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
> 大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?


ちょっと時期はちがいますし、戦時と平時の違いもありますが
1万石あたり250人程度の動員力ですので江戸期の大名と戦国大名では動員兵力は全く違います。
(戦国期は農業従事者まで動員していたのもあるので比較としては不適ですね)

> 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。


それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> 中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
> 戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
> 清と比べても可能性はあるでしょう。


これは絶対ありえません。明=清朝期の中国はおっしゃる通り皇帝を中心とする中央集権国家ですが
江戸時代の徳川の幕藩体制は事実上封建制ですよ。
そう簡単に大名家を移封改易はできません。
実例として江戸期後半になってしまいますが鶴岡14万石の酒井家の転封を
幕府が画策した際に酒井家は転封阻止行動に出て、結局幕府は転封を断念したこともあります。
それ以来幕府は大藩の転封は事実上できなくなってしまいます。



[13704] Re3:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/3 (月) 12:09:47 徳翁導誉

> > > まあ、金銭的に余裕のある大名や武将であれば、
> > > 一括でドカンと、武器や防具を揃えたりする事も出来ますが、
> > > 大体は結構その辺もバラバラで、それが更に寄せ集まるって感じですね。
> > > で、長槍を持てば長槍足軽、弓を持てば弓足軽、鉄砲を持てば鉄砲足軽であり、
> > > 中には専門職も居たでしょうが、基本的には単なる同じ足軽です。

> > それをすべてゲームにするのは難しいと思うので、
> > 色々省いて、足軽と騎馬と長槍ぐらいでいいかなと。
> > 信長の野望をそんな感じですよね。

いや、あの、え〜と、そもそも信長の野望のように、
歩兵・騎兵・砲兵の三兵や、陸軍・海軍・空軍の三軍という具合に、
戦国時代の軍隊は、兵科が分かれていないと言う話を、そもそもしてきた訳で・・・・
逆に言えば、ゲームで表すのであれば、円グラフかなんかを用いて、
円の大きさで兵数を表し、あとは長槍・騎馬・鉄砲などを比率で表せば良いかと。

> > > とは言え戦国の華は、やはり「合戦」にありますからねえ。
> > システム的に出来ますか?

1人用ゲームであれば、幾らでも構想案はありますよ。
多人数ゲームだと、システム的には作れても、機能はしないと思います。
合戦はやはり、リアルタイムでの面白さが要求されると思いますが、
三次元チェス・征服王オンライン・ZOCオンラインなど、
リアルタイムでも遊べるそれらは、完全に過疎状態ですし、
2人でもそれなのに、多人数ではとてもじゃないですが、成立しないかと。

> > > > > ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
> > > > > 劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
> > > > > 結構しっかりと描かれたりしています(笑)。

> > ただあれって小大名同士の戦いじゃないですか?

兵数が違うだけで、やる事は基本的に同じですよ。
と言いますか、作品の設定的には小さな領主なのでしょうが、
兵数や居城の描写的には、それなりの大名の戦いですよね。
10万石の大名でも、動員できる兵数は2500人くらいですし。
でもまあ、そうでもしないと、見栄えが良くないのでしょうけども。

> > > > あとは、自分としては現代人の意思と当時の人の考え方の違いを埋めるために
> > > 別に人間は、時代によって変わったりしませんよ。
> > > 「利で動く」 ただそれだけです。
> > > 人間どころか、自然界の摂理がそうなんです。

> > その『利』を覆すのが理性だったり考え方だったりする訳で。
> > もう少し言うと「利」ってのがよくわかりません(笑)

う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?
特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

> > > > どうしても、統一維持とそれへの挑戦に興味があるんです。
> > > 結局、前にも貼りましたが、やるのに一番適してるのは室町幕府ですよ。

> > しかし何か違うような・・・。

「何か」じゃ、それこそ「何も」解りません(笑)。
失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?

> > > > > ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
> > > > > 対象とする時間のスパンが違いすぎます。

> > > > 1ターン五年分としても60ターンかかるわけですが。
> > > > そうすると大体3ターン程で天下統一し、あとをすべて統一維持ゲームに
> > > > するわけですね・・・。

> > > 3ターンで天下統一できるゲームって、こんなの↓ですか?(笑)
> > > http://www.geocities.jp/tokuou_douyo/sangokushi2002.html
> > > 正直言って、そんなのは「あっても邪魔」なレベルですよ。

> > そう言われるともう何もいえませんよね。
> > 統一の話から崩壊の話までに興味を持って、
> > 提案してみてる訳ですから。
> > 失礼3ターンは少なすぎました。
> > 8ターンぐらいでしょうか?

ですから、3ターンならダメで、8ターンならOKとか、
そう言う話をしている訳ではなく、
もう1度書きますけど、統一と維持とでは対象とする時間のスパンが違いすぎ、
それを1つのシステムで収めようとすれば、天才的なアイデアが必要な訳です。
例えば江戸時代なら、最盛期を迎えて文化が花開いた元禄の15年間と、
関ヶ原から豊臣滅亡までや、ペリー来航から明治維新までの15年間とでは、
同じ「15年間」と言っても、それを同じ様なシステムで表すのは物凄く困難です。
それぞれ別システムのゲームを作り、それを組み合わせるのならまだしも、
1つのシステムでそれを表そうなど、私のような凡人には全く想像も付きません。

> > > > ここまだきたら、単純に統一維持のゲームにした方が面白そうです。
> > > > その場合は幕末希望です笑

> > > 幕末こそ、まさに壊す時代ですよ。

> > それは壊す側からの視点でして、守る側の視点もあります。

ですから、いわゆる守る側も、壊す側だったんですよ↓
> > > 倒幕派はもちろん事と、幕府側だって大君制とか考えてましたし。
あの当時は、そのまま残るというのが無理な時代であり、
変わる(壊す)事でしか、現勢力も生き残れなかったのですから。
それでも変わらずにと言うのなら、「どれだけ延命できるか」ってゲームですね。
実例としては、清王朝があります(主人公は西太后あたり?)。
どうしても幕末という事であれば、これは以前に考えた事がありますが、
徳川斉昭を主人公に、「いつまで鎖国を続けられるか」ってゲームでしょうか。


> ちょっと気になったので横から失礼します。
横レスは大歓迎ですよ(ここだけでなく、特に雑談スレッドとかでも)。
そもそも、それを推奨する為に、この形式の掲示板を採用してますので。

> > もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
> > ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは一万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。

> 反対ですよ。江戸初期については幕府の統制力は完全に全国(特に西日本)に行きわたっていないですよ。
> それを管理人さんがおっしゃるように家光期までかかって少しずつ幕府の威光を確立していったのです。

で、強引に潰してきたツケが現れたのが、1つに島原の乱で、
反乱の鎮圧に、幕府の年間現金収入と同規模の軍事費を費やすと。
農民と浪人が起こした反乱で、これですからねえ。

> > 幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
> > 大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?

> ちょっと時期はちがいますし、戦時と平時の違いもありますが
> 1万石あたり250人程度の動員力ですので江戸期の大名と戦国大名では動員兵力は全く違います。
> (戦国期は農業従事者まで動員していたのもあるので比較としては不適ですね)

「幕末の長州藩でも数万」と言うのが、まず何を指すのかが解りませんが、
(第2次長州征伐でも、長州側の兵数は5000前後だったはず)
まあ、それは置いておくとしても、
大名が大した動員を出来ない時代なら、幕府だってほぼ同じでしょ?
それに、攻め込む側と、攻め込まれる側とでは、当然ながら条件が異なりますし。

> > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。
ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
(家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)

> > 中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
> > 戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
> > 清と比べても可能性はあるでしょう。

> これは絶対ありえません。明=清朝期の中国はおっしゃる通り皇帝を中心とする中央集権国家ですが
> 江戸時代の徳川の幕藩体制は事実上封建制ですよ。
> そう簡単に大名家を移封改易はできません。

逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、
幕府運営ゲームを作る事で、体感してみると言うのも良いかも?(笑)
って、年号や用語を無闇やたらと覚えるだけでなく、
本来ならこうした事こそ、歴史の授業で学ぶべきなんでしょうけどね。

> 実例として江戸期後半になってしまいますが鶴岡14万石の酒井家の転封を
> 幕府が画策した際に酒井家は転封阻止行動に出て、結局幕府は転封を断念したこともあります。
> それ以来幕府は大藩の転封は事実上できなくなってしまいます。

天保11年の三方領知替えですね。
センター試験にも出題された聞いてますけど、本当なのでしょうか?


[13708] Re4:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/3 (月) 21:05:02

▼ 徳翁導誉さん

> 戦国時代の軍隊は、兵科が分かれていないと言う話を、そもそもしてきた訳で・・・・

武器に種類などで分けて、大体わかれると思いますが・・・。

> 逆に言えば、ゲームで表すのであれば、円グラフかなんかを用いて、
> 円の大きさで兵数を表し、あとは長槍・騎馬・鉄砲などを比率で表せば良いかと。


なるほど・・・。これはいいかもしれません。

> 1人用ゲームであれば、幾らでも構想案はありますよ。
> 多人数ゲームだと、システム的には作れても、機能はしないと思います。
> 合戦はやはり、リアルタイムでの面白さが要求されると思いますが、
> 三次元チェス・征服王オンライン・ZOCオンラインなど、
> リアルタイムでも遊べるそれらは、完全に過疎状態ですし、
> 2人でもそれなのに、多人数ではとてもじゃないですが、成立しないかと。


みなさん、集団で遊ぶことも求めているのかもしれません。
こういう僕もこのサイトは集団で遊べることにひかれてます笑

> > > ただあれって小大名同士の戦いじゃないですか?
> 兵数が違うだけで、やる事は基本的に同じですよ。
> と言いますか、作品の設定的には小さな領主なのでしょうが、
> 兵数や居城の描写的には、それなりの大名の戦いですよね。
> 10万石の大名でも、動員できる兵数は2500人くらいですし。
> でもまあ、そうでもしないと、見栄えが良くないのでしょうけども。


10万石の大名で、2500人ぐらいなんですか?
そちらの方が驚きました。
 
> う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?

馬鹿にしてます?わかりますよ。

> 特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
> 人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
> そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
> 長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
> ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

 
あと考え方ですが、思想という意味も含んでます。

> 失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?
 
じゃ仕方ないのではっきり言いますが、
室町時代は全く興味ないですね。
それと作る側は管理人さんですから、
遠慮して大まかな構想を伝えているだけですよ?
もうひとつ、ただの「妄想」ということで話し始めたことは
おぼえてらっしゃいますか?

> ですから、3ターンならダメで、8ターンならOKとか、
> そう言う話をしている訳ではなく、
> もう1度書きますけど、統一と維持とでは対象とする時間のスパンが違いすぎ、
> それを1つのシステムで収めようとすれば、天才的なアイデアが必要な訳です。
> 例えば江戸時代なら、最盛期を迎えて文化が花開いた元禄の15年間と、
> 関ヶ原から豊臣滅亡までや、ペリー来航から明治維新までの15年間とでは、
> 同じ「15年間」と言っても、それを同じ様なシステムで表すのは物凄く困難です。
> それぞれ別システムのゲームを作り、それを組み合わせるのならまだしも、
> 1つのシステムでそれを表そうなど、私のような凡人には全く想像も付きません。
>
> それでも変わらずにと言うのなら、「どれだけ延命できるか」ってゲームですね。
> 実例としては、清王朝があります(主人公は西太后あたり?)。
> どうしても幕末という事であれば、これは以前に考えた事がありますが、
> 徳川斉昭を主人公に、「いつまで鎖国を続けられるか」ってゲームでしょうか。
>


>
幕府の威光を確立していったのです。
> で、強引に潰してきたツケが現れたのが、1つに島原の乱で、
> 反乱の鎮圧に、幕府の年間現金収入と同規模の軍事費を費やすと。
> 農民と浪人が起こした反乱で、これですからねえ。


へぇそうなんですか。


> > > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> > それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> > 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> > 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
> 同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
> 鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。
> ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
> (家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)


これすべてを再現するのは無理でしょう。
細かいことは一つ一つ上げるのもいいですが、
そこまで出来ないですよね?


[13733] Re5:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/9 (日) 05:28:28 徳翁導誉

> > う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?
> 馬鹿にしてます?わかりますよ。

いえいえ、そんな気は全くありませんよ。
「よく解らない」とだけ、あったので、
「専門用語とかではなく、文字通りの意味」という事で書きました。
不快にさせたのであれば、申し訳ないです・・・・

> > 特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
> > 人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
> > そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
> > 長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
> > ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

> あと考え方ですが、思想という意味も含んでます。

「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。


> > > しかし何か違うような・・・。
> > 「何か」じゃ、それこそ「何も」解りません(笑)。
> > 失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?

> じゃ仕方ないのではっきり言いますが、
> 室町時代は全く興味ないですね。

それでは、私の方からもハッキリ言わせて貰いますと、
こちらとしては、それなりに真剣に説明をしている訳で、
それを「何か違う」と言って返すのは、思いっきり失礼ですよ。
他人の意見に対して、「何か違うんだよなあ〜」と何気なく使う人も多いですが、
しかしこれ、発言の内容ではなく、発言者そのものを否定する言葉ですからねえ。
気を使っての事だとは思いますが、「全く興味ない」と正直に言って貰えた方が、
遥かに有り難いですね・・・特に私の場合には。

> それと作る側は管理人さんですから、
> 遠慮して大まかな構想を伝えているだけですよ?

他人の意見を聞きたいからこそ、こうして掲示板に書いている訳で、
その場で、遠慮して伝えないとなると、却ってこちらも困りますよ。
自分で考え、自分で作るだけなら、別にここへ書く必要も無いですし。

> もうひとつ、ただの「妄想」ということで話し始めたことは
> おぼえてらっしゃいますか?

もちろん覚えてますよ。
ただ私個人としては、話し合って、その妄想に肉付けしていく事で、
何らかの形あるゲーム案が出来れば面白いなと思っていた所、
「何か違う」とやられたモノですから、キツイ返信となってしまったと(笑)
抑えるように努めてはいるのですが、そもそも私は物凄く短気な方でして・・・・


> > > > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > > > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> > > それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> > > 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> > > 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> > 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> > 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> > 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> > 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。

> これすべてを再現するのは無理でしょう。
> 細かいことは一つ一つ上げるのもいいですが、
> そこまで出来ないですよね?

あぁ〜、どうも話が噛み合わない理由が、ようやく解ったような気がします・・・・
「再現」という単語を使っていると言う事は、「ゲームの話」ですよねえ?
ミカエルさんもそうですが、幕府や足軽に関して私は「史実の話」をしています。
例えば、幕府の仕組みなどを現実的に考えた場合、中央集権など不可能に近いですが、
そうした現実的な要素を考慮しない「幕府と言う名の架空組織」をゲーム上に作り、
その組織が中央集権を行うのであれば、何の問題もありません。

ちなみに、「再現するのは無理」との事ですが、そんな事は全くありませんよ。
外様大名だろうが、譜代大名だろうが、親藩大名だろうが、
転封させるのも、増減封するのも、除封するのも、システム的には同じです。
また、自分と同じ姓を名乗らせるなんて言うのも、システム的には凄く簡単です。


[13758] Re6:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/14 (金) 09:06:51

▼ 徳翁導誉さん
> いえいえ、そんな気は全くありませんよ。
> 「よく解らない」とだけ、あったので、
> 「専門用語とかではなく、文字通りの意味」という事で書きました。
> 不快にさせたのであれば、申し訳ないです・・・・


馬鹿にされていては話し合いもできなくなるだろうと思って、
発言しました。こちらこそ申しわけありません。
 
> 「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。

日本の思想と西洋的な理性を一緒にできるでしょうか?

> それでは、私の方からもハッキリ言わせて貰いますと、

管理人さんはそうなのかもしれませんが、
現実的には興味がないと言われて気分を悪くする方もいます。
というか、興味がないと言われた方が話もそれで終わりますし、
気分はわるくされる方が多いと思います。
なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
つながるでしょう。答える過程でまた何か気付くかもしれません。

 
> 他人の意見を聞きたいからこそ、こうして掲示板に書いている訳で、
> その場で、遠慮して伝えないとなると、却ってこちらも困りますよ。
> 自分で考え、自分で作るだけなら、別にここへ書く必要も無いですし。


雑談として、しゃべってみようと思っただけです。
昔のがたくさん出てくるように、ゲームにはならない
ものが多いじゃないですか? ゲームに採用されないとなると以外と
理由などを考えるんですよ。だから雑談という形で終わりになるかなと。
反応を見ていても、あまりゲーム採用にはならないようですし。

> もちろん覚えてますよ。
> ただ私個人としては、話し合って、その妄想に肉付けしていく事で、
> 何らかの形あるゲーム案が出来れば面白いなと思っていた所、
> 「何か違う」とやられたモノですから、キツイ返信となってしまったと(笑)
> 抑えるように努めてはいるのですが、そもそも私は物凄く短気な方でして・・・・

 
僕も割合短気なんで気をつけます。
自分のことですが短気は損気なんて笑。
確かに短気でよく損をします。
 
> あぁ〜、どうも話が噛み合わない理由が、ようやく解ったような気がします・・・・
> 「再現」という単語を使っていると言う事は、「ゲームの話」ですよねえ?
> ミカエルさんもそうですが、幕府や足軽に関して私は「史実の話」をしています。
> 例えば、幕府の仕組みなどを現実的に考えた場合、中央集権など不可能に近いですが、
> そうした現実的な要素を考慮しない「幕府と言う名の架空組織」をゲーム上に作り、
> その組織が中央集権を行うのであれば、何の問題もありません。


失礼しました。
史実はそこまで詳しくないので、ちょっと傍観者になりたいと思います笑
みなさんの歴史考察は面白いですから。

> ちなみに、「再現するのは無理」との事ですが、そんな事は全くありませんよ。
> 外様大名だろうが、譜代大名だろうが、親藩大名だろうが、
> 転封させるのも、増減封するのも、除封するのも、システム的には同じです。
> また、自分と同じ姓を名乗らせるなんて言うのも、システム的には凄く簡単です。


そうなんですか笑
では色々と提案してみたい訳ですが、ちょっとまとめてからにします。


現実的には、幕府の維持のゲームでもいいかもしれません。
というか、戦国時代のゲームというおおもとから発展して妄想につながったわけですが、
戦国時代という要素がとりさらわれて、維持から崩壊までの方が面白いと思ったわけですね。
自分でも発展しすぎたと思います。


[13926] Re7:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/23 (日) 19:06:38 徳翁導誉

> > 「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。
> 日本の思想と西洋的な理性を一緒にできるでしょうか?

別に「理性」は、西洋の専売特許でもありませんし、
東西の理性の違いと言うのも、結局はその環境の違いだけです。
人間は人間、根本的な部分は変わりませんよ。


> なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
> つながるでしょう。

いや、でも実際には繋がって無いですよねえ・・・・


[13944] Re8:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/23 (日) 20:41:06

▼ 徳翁導誉さん
> 別に「理性」は、西洋の専売特許でもありませんし、
> 東西の理性の違いと言うのも、結局はその環境の違いだけです。
> 人間は人間、根本的な部分は変わりませんよ。


人間の根本を言うなら理性というか意識の方がよくないですか?
理性と言うと感情は一切考慮しないという意味になると思います。
が、日本の思想は感情面も入ってると思いませんか?
細かいことになりますが・・・。

>
> > なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
> > つながるでしょう。

> いや、でも実際には繋がって無いですよねえ・・・・


話はつながってますよ。話題は違いますけど。
思考は続いてますからこっちの方が思いつきやすいです。
個人的にですが。


[13724] 幕府などの話に分派返信 削除
2011/1/8 (土) 18:58:44 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん

> 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
> 同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
> 鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。


親藩の場合は徳川譜代出身者の家臣がその藩政の枢要を占めていたでしょうから
改易も比較的やりやすいと思いますよ。
武田信吉の水戸15万石の際も家臣達は後の水戸藩に移籍していますし。

> ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
> (家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)


江戸末期になると殆どの大名家が松平姓を名乗るようになってましたね。
ああなると違いがわからなくなります。
 
> 逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
> 日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、


中国の場合は王朝交代時には「革命」で完全に体制が入れ替わりますが
また土地が広すぎるため周王朝時に先に封建制が成立してしまったので
その弊害を修正するため秦朝時の郡県制を経て封建制と郡県制の折衷式の郡国制になったのでしょう。
しかしながらそのトップである皇帝の権力は絶対的になっていきます。

日本の場合は古代律令制の時代の制度が形骸化しても江戸初期まで曲がりなりにも存続していたこともあるからでしょう。
天皇制もそうですが律令時そのままの太政官・そして関白などの令外官
は武家政権の鎌倉〜室町期も続いていきます。
その構成員である権門についてもその「姓」についても綿々と続いていますよね。
有名な話としては戦国時代の源平交代思想がありますよね。
羽柴秀吉は源平どちらの姓を名乗る事ができなかったため
(源氏を名乗るために足利義昭の養子になろうとしましたが断られています)
征夷大将軍(源氏であることが条件)になることができず「豊臣」の姓を創設したのは教科書にもあるとおりです。
土地所有についても荘園制度もかなり後期まで存続しております。

このように日本は古代の権威制度が後々まで影響力があったことが
中国とはまた違ったことになったと思います。

> 幕府運営ゲームを作る事で、体感してみると言うのも良いかも?(笑)
> って、年号や用語を無闇やたらと覚えるだけでなく、
> 本来ならこうした事こそ、歴史の授業で学ぶべきなんでしょうけどね。


はい、年号は私はほとんど覚えていませんw

> 天保11年の三方領知替えですね。
> センター試験にも出題された聞いてますけど、本当なのでしょうか?


そうなんですか?センター試験でどのような切り口で出題したのでしょうかねえ。
私は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」の方で知っていました。
平成初期の本間家の破綻はちょっとびっくりしたものです。


[13734] Re:幕府などの話に分派返信 削除
2011/1/9 (日) 05:31:06 徳翁導誉

> > 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> > 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> > 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> > 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。

> 親藩の場合は徳川譜代出身者の家臣がその藩政の枢要を占めていたでしょうから
> 改易も比較的やりやすいと思いますよ。
> 武田信吉の水戸15万石の際も家臣達は後の水戸藩に移籍していますし。

ですが、そうした事が出来たのも、家康が生きているからこそで、
家康の死後からは、ドンドン難しくなって行ったと思いますよ。
家康存命の頃は、家康の子供たちが大名として配置される際、
その大名の家臣と言うより、幕府からの御目付け役として、
譜代の家臣たちを「付家老」として送り込んでいたので、
神輿が替われば引き継がせたり、配置換えさせたりも出来ましたけど、
世代交代が進み、更に家康まで亡くなれば、事情は変わりますからねえ。
同じ廃絶でも無嗣と不行跡では違うとは言え、実際に徳川忠長の改易では、
付家老を始め、多くの家臣が連座して改易・蟄居の処分を受けてますし。


> > ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> > 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> > 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。

> 江戸末期になると殆どの大名家が松平姓を名乗るようになってましたね。
> ああなると違いがわからなくなります。

江戸の古地図とか見ても、大名屋敷が「松平」だらけですしね(笑)。


> > 逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
> > 日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、

> 中国の場合は王朝交代時には「革命」で完全に体制が入れ替わりますが
> また土地が広すぎるため周王朝時に先に封建制が成立してしまったので
> その弊害を修正するため秦朝時の郡県制を経て封建制と郡県制の折衷式の郡国制になったのでしょう。
> しかしながらそのトップである皇帝の権力は絶対的になっていきます。

う〜ん、でも「郡国制」って、妥協の産物と言いますか、
過渡期に出てきた、一過性の仕組みみたいなモノじゃないですかねえ?
秦が段階を踏まずに、一足飛びで中央集権の「郡県制」に移行した為、
また制度的にも未成熟であり、そのシワ寄せを解消する移行期間みたいなモノかと。
郡国制にしても、呉楚七国の乱により建国から50年ほど形骸化しちゃいますし。
その後は、貴族と皇帝、置き換えれば貴族と科挙官僚の綱引きが起き、
時々、遊牧民による征服王朝が出来て、その綱引きに影響を及ぼすと。
でもまあ、最終的には、皇帝へと権限が集約される事になり、
皇帝の公的な手足が科挙官僚なら、私的な手足は宦官となる事で、
今度は科挙官僚と宦官が権力を巡って綱引きをし、皇帝の手元に残るは権威のみ(笑)。
って、宦官は、貴族が居た頃から既に、綱引きのプレイヤーではありましたけどね。

何かダラダラと書いて来ましたが、日本は隋や唐から律令制度の仕組みは導入しても、
結局は「科挙」と「宦官」は導入せずに終わるんですよねえ・・・・
この辺を紐解いていくと、日本と中国の歴史的な政治制度の違いが明らかになるんですかね?


[13687] Re2:足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/30 (木) 00:04:49

▼ 李さん
> ▼ 徳翁導誉さん
>
>
> ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは十万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。


この文章ですが、十万ではなく一万です。
修正します。

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