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[13685] Re2:足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/29 (水) 23:19:17 ミカエル

ちょっと気になったので横から失礼します。

> もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
> ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは十万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。


反対ですよ。江戸初期については幕府の統制力は完全に全国(特に西日本)に行きわたっていないですよ。
それを管理人さんがおっしゃるように家光期までかかって少しずつ幕府の威光を確立していったのです。
この時期の大名取りつぶしも無嗣断絶がかなりの割合を占めております。
また、織豊政権時には江戸期の様な朱子学が確立しておりませんので
必ずしも長子相続とはならないがために御家騒動が勃発して取りつぶしになる家もありました。

織田豊臣系の大名に関しても管理人さんのおっしゃる通り
大藩に関してもいきなり取りつぶさず1〜3万石程度の小大名として存続させたり
参勤交代や普請作業等で普段から大名家の力をそいでいたために「蜂起したくともできない」
状態に各大名をおいていたからでしょう。

それでも完全には幕府の威光が日本全国に普くいきわたったかといえば微妙で
伊能忠敬が島津家領の測量を実施する際には多少問題にもなりましたよね。

> 幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
> 大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?


ちょっと時期はちがいますし、戦時と平時の違いもありますが
1万石あたり250人程度の動員力ですので江戸期の大名と戦国大名では動員兵力は全く違います。
(戦国期は農業従事者まで動員していたのもあるので比較としては不適ですね)

> 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。


それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> 中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
> 戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
> 清と比べても可能性はあるでしょう。


これは絶対ありえません。明=清朝期の中国はおっしゃる通り皇帝を中心とする中央集権国家ですが
江戸時代の徳川の幕藩体制は事実上封建制ですよ。
そう簡単に大名家を移封改易はできません。
実例として江戸期後半になってしまいますが鶴岡14万石の酒井家の転封を
幕府が画策した際に酒井家は転封阻止行動に出て、結局幕府は転封を断念したこともあります。
それ以来幕府は大藩の転封は事実上できなくなってしまいます。



[13704] Re3:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/3 (月) 12:09:47 徳翁導誉

> > > まあ、金銭的に余裕のある大名や武将であれば、
> > > 一括でドカンと、武器や防具を揃えたりする事も出来ますが、
> > > 大体は結構その辺もバラバラで、それが更に寄せ集まるって感じですね。
> > > で、長槍を持てば長槍足軽、弓を持てば弓足軽、鉄砲を持てば鉄砲足軽であり、
> > > 中には専門職も居たでしょうが、基本的には単なる同じ足軽です。

> > それをすべてゲームにするのは難しいと思うので、
> > 色々省いて、足軽と騎馬と長槍ぐらいでいいかなと。
> > 信長の野望をそんな感じですよね。

いや、あの、え〜と、そもそも信長の野望のように、
歩兵・騎兵・砲兵の三兵や、陸軍・海軍・空軍の三軍という具合に、
戦国時代の軍隊は、兵科が分かれていないと言う話を、そもそもしてきた訳で・・・・
逆に言えば、ゲームで表すのであれば、円グラフかなんかを用いて、
円の大きさで兵数を表し、あとは長槍・騎馬・鉄砲などを比率で表せば良いかと。

> > > とは言え戦国の華は、やはり「合戦」にありますからねえ。
> > システム的に出来ますか?

1人用ゲームであれば、幾らでも構想案はありますよ。
多人数ゲームだと、システム的には作れても、機能はしないと思います。
合戦はやはり、リアルタイムでの面白さが要求されると思いますが、
三次元チェス・征服王オンライン・ZOCオンラインなど、
リアルタイムでも遊べるそれらは、完全に過疎状態ですし、
2人でもそれなのに、多人数ではとてもじゃないですが、成立しないかと。

> > > > > ちなみに、この辺の「戦国時代の戦闘描写」は、
> > > > > 劇場版クレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」で、
> > > > > 結構しっかりと描かれたりしています(笑)。

> > ただあれって小大名同士の戦いじゃないですか?

兵数が違うだけで、やる事は基本的に同じですよ。
と言いますか、作品の設定的には小さな領主なのでしょうが、
兵数や居城の描写的には、それなりの大名の戦いですよね。
10万石の大名でも、動員できる兵数は2500人くらいですし。
でもまあ、そうでもしないと、見栄えが良くないのでしょうけども。

> > > > あとは、自分としては現代人の意思と当時の人の考え方の違いを埋めるために
> > > 別に人間は、時代によって変わったりしませんよ。
> > > 「利で動く」 ただそれだけです。
> > > 人間どころか、自然界の摂理がそうなんです。

> > その『利』を覆すのが理性だったり考え方だったりする訳で。
> > もう少し言うと「利」ってのがよくわかりません(笑)

う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?
特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

> > > > どうしても、統一維持とそれへの挑戦に興味があるんです。
> > > 結局、前にも貼りましたが、やるのに一番適してるのは室町幕府ですよ。

> > しかし何か違うような・・・。

「何か」じゃ、それこそ「何も」解りません(笑)。
失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?

> > > > > ハッキリ言って、「統一」と「維持」とでは、
> > > > > 対象とする時間のスパンが違いすぎます。

> > > > 1ターン五年分としても60ターンかかるわけですが。
> > > > そうすると大体3ターン程で天下統一し、あとをすべて統一維持ゲームに
> > > > するわけですね・・・。

> > > 3ターンで天下統一できるゲームって、こんなの↓ですか?(笑)
> > > http://www.geocities.jp/tokuou_douyo/sangokushi2002.html
> > > 正直言って、そんなのは「あっても邪魔」なレベルですよ。

> > そう言われるともう何もいえませんよね。
> > 統一の話から崩壊の話までに興味を持って、
> > 提案してみてる訳ですから。
> > 失礼3ターンは少なすぎました。
> > 8ターンぐらいでしょうか?

ですから、3ターンならダメで、8ターンならOKとか、
そう言う話をしている訳ではなく、
もう1度書きますけど、統一と維持とでは対象とする時間のスパンが違いすぎ、
それを1つのシステムで収めようとすれば、天才的なアイデアが必要な訳です。
例えば江戸時代なら、最盛期を迎えて文化が花開いた元禄の15年間と、
関ヶ原から豊臣滅亡までや、ペリー来航から明治維新までの15年間とでは、
同じ「15年間」と言っても、それを同じ様なシステムで表すのは物凄く困難です。
それぞれ別システムのゲームを作り、それを組み合わせるのならまだしも、
1つのシステムでそれを表そうなど、私のような凡人には全く想像も付きません。

> > > > ここまだきたら、単純に統一維持のゲームにした方が面白そうです。
> > > > その場合は幕末希望です笑

> > > 幕末こそ、まさに壊す時代ですよ。

> > それは壊す側からの視点でして、守る側の視点もあります。

ですから、いわゆる守る側も、壊す側だったんですよ↓
> > > 倒幕派はもちろん事と、幕府側だって大君制とか考えてましたし。
あの当時は、そのまま残るというのが無理な時代であり、
変わる(壊す)事でしか、現勢力も生き残れなかったのですから。
それでも変わらずにと言うのなら、「どれだけ延命できるか」ってゲームですね。
実例としては、清王朝があります(主人公は西太后あたり?)。
どうしても幕末という事であれば、これは以前に考えた事がありますが、
徳川斉昭を主人公に、「いつまで鎖国を続けられるか」ってゲームでしょうか。


> ちょっと気になったので横から失礼します。
横レスは大歓迎ですよ(ここだけでなく、特に雑談スレッドとかでも)。
そもそも、それを推奨する為に、この形式の掲示板を採用してますので。

> > もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
> > ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは一万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。

> 反対ですよ。江戸初期については幕府の統制力は完全に全国(特に西日本)に行きわたっていないですよ。
> それを管理人さんがおっしゃるように家光期までかかって少しずつ幕府の威光を確立していったのです。

で、強引に潰してきたツケが現れたのが、1つに島原の乱で、
反乱の鎮圧に、幕府の年間現金収入と同規模の軍事費を費やすと。
農民と浪人が起こした反乱で、これですからねえ。

> > 幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
> > 大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?

> ちょっと時期はちがいますし、戦時と平時の違いもありますが
> 1万石あたり250人程度の動員力ですので江戸期の大名と戦国大名では動員兵力は全く違います。
> (戦国期は農業従事者まで動員していたのもあるので比較としては不適ですね)

「幕末の長州藩でも数万」と言うのが、まず何を指すのかが解りませんが、
(第2次長州征伐でも、長州側の兵数は5000前後だったはず)
まあ、それは置いておくとしても、
大名が大した動員を出来ない時代なら、幕府だってほぼ同じでしょ?
それに、攻め込む側と、攻め込まれる側とでは、当然ながら条件が異なりますし。

> > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。
ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
(家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)

> > 中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
> > 戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
> > 清と比べても可能性はあるでしょう。

> これは絶対ありえません。明=清朝期の中国はおっしゃる通り皇帝を中心とする中央集権国家ですが
> 江戸時代の徳川の幕藩体制は事実上封建制ですよ。
> そう簡単に大名家を移封改易はできません。

逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、
幕府運営ゲームを作る事で、体感してみると言うのも良いかも?(笑)
って、年号や用語を無闇やたらと覚えるだけでなく、
本来ならこうした事こそ、歴史の授業で学ぶべきなんでしょうけどね。

> 実例として江戸期後半になってしまいますが鶴岡14万石の酒井家の転封を
> 幕府が画策した際に酒井家は転封阻止行動に出て、結局幕府は転封を断念したこともあります。
> それ以来幕府は大藩の転封は事実上できなくなってしまいます。

天保11年の三方領知替えですね。
センター試験にも出題された聞いてますけど、本当なのでしょうか?


[13708] Re4:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/3 (月) 21:05:02

▼ 徳翁導誉さん

> 戦国時代の軍隊は、兵科が分かれていないと言う話を、そもそもしてきた訳で・・・・

武器に種類などで分けて、大体わかれると思いますが・・・。

> 逆に言えば、ゲームで表すのであれば、円グラフかなんかを用いて、
> 円の大きさで兵数を表し、あとは長槍・騎馬・鉄砲などを比率で表せば良いかと。


なるほど・・・。これはいいかもしれません。

> 1人用ゲームであれば、幾らでも構想案はありますよ。
> 多人数ゲームだと、システム的には作れても、機能はしないと思います。
> 合戦はやはり、リアルタイムでの面白さが要求されると思いますが、
> 三次元チェス・征服王オンライン・ZOCオンラインなど、
> リアルタイムでも遊べるそれらは、完全に過疎状態ですし、
> 2人でもそれなのに、多人数ではとてもじゃないですが、成立しないかと。


みなさん、集団で遊ぶことも求めているのかもしれません。
こういう僕もこのサイトは集団で遊べることにひかれてます笑

> > > ただあれって小大名同士の戦いじゃないですか?
> 兵数が違うだけで、やる事は基本的に同じですよ。
> と言いますか、作品の設定的には小さな領主なのでしょうが、
> 兵数や居城の描写的には、それなりの大名の戦いですよね。
> 10万石の大名でも、動員できる兵数は2500人くらいですし。
> でもまあ、そうでもしないと、見栄えが良くないのでしょうけども。


10万石の大名で、2500人ぐらいなんですか?
そちらの方が驚きました。
 
> う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?

馬鹿にしてます?わかりますよ。

> 特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
> 人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
> そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
> 長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
> ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

 
あと考え方ですが、思想という意味も含んでます。

> 失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?
 
じゃ仕方ないのではっきり言いますが、
室町時代は全く興味ないですね。
それと作る側は管理人さんですから、
遠慮して大まかな構想を伝えているだけですよ?
もうひとつ、ただの「妄想」ということで話し始めたことは
おぼえてらっしゃいますか?

> ですから、3ターンならダメで、8ターンならOKとか、
> そう言う話をしている訳ではなく、
> もう1度書きますけど、統一と維持とでは対象とする時間のスパンが違いすぎ、
> それを1つのシステムで収めようとすれば、天才的なアイデアが必要な訳です。
> 例えば江戸時代なら、最盛期を迎えて文化が花開いた元禄の15年間と、
> 関ヶ原から豊臣滅亡までや、ペリー来航から明治維新までの15年間とでは、
> 同じ「15年間」と言っても、それを同じ様なシステムで表すのは物凄く困難です。
> それぞれ別システムのゲームを作り、それを組み合わせるのならまだしも、
> 1つのシステムでそれを表そうなど、私のような凡人には全く想像も付きません。
>
> それでも変わらずにと言うのなら、「どれだけ延命できるか」ってゲームですね。
> 実例としては、清王朝があります(主人公は西太后あたり?)。
> どうしても幕末という事であれば、これは以前に考えた事がありますが、
> 徳川斉昭を主人公に、「いつまで鎖国を続けられるか」ってゲームでしょうか。
>


>
幕府の威光を確立していったのです。
> で、強引に潰してきたツケが現れたのが、1つに島原の乱で、
> 反乱の鎮圧に、幕府の年間現金収入と同規模の軍事費を費やすと。
> 農民と浪人が起こした反乱で、これですからねえ。


へぇそうなんですか。


> > > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> > それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> > 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> > 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
> 同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
> 鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。
> ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
> (家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)


これすべてを再現するのは無理でしょう。
細かいことは一つ一つ上げるのもいいですが、
そこまで出来ないですよね?


[13733] Re5:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/9 (日) 05:28:28 徳翁導誉

> > う〜ん、「お得」とか「利益」って単語なら分かります?
> 馬鹿にしてます?わかりますよ。

いえいえ、そんな気は全くありませんよ。
「よく解らない」とだけ、あったので、
「専門用語とかではなく、文字通りの意味」という事で書きました。
不快にさせたのであれば、申し訳ないです・・・・

> > 特に難しい意味では無く、そのままの意味ですよ、ここでの「利」とは。
> > 人間であろうと、動物であろうと、場面に応じて「得だな」と思う方に動くと。
> > そして「理性」と言うのは、目先の利益に捉われずに、
> > 長期的視点で、より大きな利益を得る為に取る手段の事です。
> > ですので、理性は別に、利を覆すようなモノでは無いですよ。

> あと考え方ですが、思想という意味も含んでます。

「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。


> > > しかし何か違うような・・・。
> > 「何か」じゃ、それこそ「何も」解りません(笑)。
> > 失礼かも知れませんが、イメージがあまりにも漠然とし過ぎているのでは?

> じゃ仕方ないのではっきり言いますが、
> 室町時代は全く興味ないですね。

それでは、私の方からもハッキリ言わせて貰いますと、
こちらとしては、それなりに真剣に説明をしている訳で、
それを「何か違う」と言って返すのは、思いっきり失礼ですよ。
他人の意見に対して、「何か違うんだよなあ〜」と何気なく使う人も多いですが、
しかしこれ、発言の内容ではなく、発言者そのものを否定する言葉ですからねえ。
気を使っての事だとは思いますが、「全く興味ない」と正直に言って貰えた方が、
遥かに有り難いですね・・・特に私の場合には。

> それと作る側は管理人さんですから、
> 遠慮して大まかな構想を伝えているだけですよ?

他人の意見を聞きたいからこそ、こうして掲示板に書いている訳で、
その場で、遠慮して伝えないとなると、却ってこちらも困りますよ。
自分で考え、自分で作るだけなら、別にここへ書く必要も無いですし。

> もうひとつ、ただの「妄想」ということで話し始めたことは
> おぼえてらっしゃいますか?

もちろん覚えてますよ。
ただ私個人としては、話し合って、その妄想に肉付けしていく事で、
何らかの形あるゲーム案が出来れば面白いなと思っていた所、
「何か違う」とやられたモノですから、キツイ返信となってしまったと(笑)
抑えるように努めてはいるのですが、そもそも私は物凄く短気な方でして・・・・


> > > > 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> > > > 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。

> > > それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
> > > 蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
> > > 大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> > 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> > 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> > 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> > 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。

> これすべてを再現するのは無理でしょう。
> 細かいことは一つ一つ上げるのもいいですが、
> そこまで出来ないですよね?

あぁ〜、どうも話が噛み合わない理由が、ようやく解ったような気がします・・・・
「再現」という単語を使っていると言う事は、「ゲームの話」ですよねえ?
ミカエルさんもそうですが、幕府や足軽に関して私は「史実の話」をしています。
例えば、幕府の仕組みなどを現実的に考えた場合、中央集権など不可能に近いですが、
そうした現実的な要素を考慮しない「幕府と言う名の架空組織」をゲーム上に作り、
その組織が中央集権を行うのであれば、何の問題もありません。

ちなみに、「再現するのは無理」との事ですが、そんな事は全くありませんよ。
外様大名だろうが、譜代大名だろうが、親藩大名だろうが、
転封させるのも、増減封するのも、除封するのも、システム的には同じです。
また、自分と同じ姓を名乗らせるなんて言うのも、システム的には凄く簡単です。


[13758] Re6:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/14 (金) 09:06:51

▼ 徳翁導誉さん
> いえいえ、そんな気は全くありませんよ。
> 「よく解らない」とだけ、あったので、
> 「専門用語とかではなく、文字通りの意味」という事で書きました。
> 不快にさせたのであれば、申し訳ないです・・・・


馬鹿にされていては話し合いもできなくなるだろうと思って、
発言しました。こちらこそ申しわけありません。
 
> 「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。

日本の思想と西洋的な理性を一緒にできるでしょうか?

> それでは、私の方からもハッキリ言わせて貰いますと、

管理人さんはそうなのかもしれませんが、
現実的には興味がないと言われて気分を悪くする方もいます。
というか、興味がないと言われた方が話もそれで終わりますし、
気分はわるくされる方が多いと思います。
なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
つながるでしょう。答える過程でまた何か気付くかもしれません。

 
> 他人の意見を聞きたいからこそ、こうして掲示板に書いている訳で、
> その場で、遠慮して伝えないとなると、却ってこちらも困りますよ。
> 自分で考え、自分で作るだけなら、別にここへ書く必要も無いですし。


雑談として、しゃべってみようと思っただけです。
昔のがたくさん出てくるように、ゲームにはならない
ものが多いじゃないですか? ゲームに採用されないとなると以外と
理由などを考えるんですよ。だから雑談という形で終わりになるかなと。
反応を見ていても、あまりゲーム採用にはならないようですし。

> もちろん覚えてますよ。
> ただ私個人としては、話し合って、その妄想に肉付けしていく事で、
> 何らかの形あるゲーム案が出来れば面白いなと思っていた所、
> 「何か違う」とやられたモノですから、キツイ返信となってしまったと(笑)
> 抑えるように努めてはいるのですが、そもそも私は物凄く短気な方でして・・・・

 
僕も割合短気なんで気をつけます。
自分のことですが短気は損気なんて笑。
確かに短気でよく損をします。
 
> あぁ〜、どうも話が噛み合わない理由が、ようやく解ったような気がします・・・・
> 「再現」という単語を使っていると言う事は、「ゲームの話」ですよねえ?
> ミカエルさんもそうですが、幕府や足軽に関して私は「史実の話」をしています。
> 例えば、幕府の仕組みなどを現実的に考えた場合、中央集権など不可能に近いですが、
> そうした現実的な要素を考慮しない「幕府と言う名の架空組織」をゲーム上に作り、
> その組織が中央集権を行うのであれば、何の問題もありません。


失礼しました。
史実はそこまで詳しくないので、ちょっと傍観者になりたいと思います笑
みなさんの歴史考察は面白いですから。

> ちなみに、「再現するのは無理」との事ですが、そんな事は全くありませんよ。
> 外様大名だろうが、譜代大名だろうが、親藩大名だろうが、
> 転封させるのも、増減封するのも、除封するのも、システム的には同じです。
> また、自分と同じ姓を名乗らせるなんて言うのも、システム的には凄く簡単です。


そうなんですか笑
では色々と提案してみたい訳ですが、ちょっとまとめてからにします。


現実的には、幕府の維持のゲームでもいいかもしれません。
というか、戦国時代のゲームというおおもとから発展して妄想につながったわけですが、
戦国時代という要素がとりさらわれて、維持から崩壊までの方が面白いと思ったわけですね。
自分でも発展しすぎたと思います。


[13926] Re7:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/23 (日) 19:06:38 徳翁導誉

> > 「思想」とは、「理性」を言葉に起こしたモノですよ。
> 日本の思想と西洋的な理性を一緒にできるでしょうか?

別に「理性」は、西洋の専売特許でもありませんし、
東西の理性の違いと言うのも、結局はその環境の違いだけです。
人間は人間、根本的な部分は変わりませんよ。


> なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
> つながるでしょう。

いや、でも実際には繋がって無いですよねえ・・・・


[13944] Re8:足軽や幕府の話返信 削除
2011/1/23 (日) 20:41:06

▼ 徳翁導誉さん
> 別に「理性」は、西洋の専売特許でもありませんし、
> 東西の理性の違いと言うのも、結局はその環境の違いだけです。
> 人間は人間、根本的な部分は変わりませんよ。


人間の根本を言うなら理性というか意識の方がよくないですか?
理性と言うと感情は一切考慮しないという意味になると思います。
が、日本の思想は感情面も入ってると思いませんか?
細かいことになりますが・・・。

>
> > なんか違うんですと言った方がむしろ、どの辺が?と聞かれれば、
> > つながるでしょう。

> いや、でも実際には繋がって無いですよねえ・・・・


話はつながってますよ。話題は違いますけど。
思考は続いてますからこっちの方が思いつきやすいです。
個人的にですが。


[13724] 幕府などの話に分派返信 削除
2011/1/8 (土) 18:58:44 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん

> 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。
> 同じ事を繰り返し言うのは嫌いなのですが、全国を一門や家臣で固めた所で、
> 鎌倉幕府のように、一門や主従の間での争いに移行するだけです。


親藩の場合は徳川譜代出身者の家臣がその藩政の枢要を占めていたでしょうから
改易も比較的やりやすいと思いますよ。
武田信吉の水戸15万石の際も家臣達は後の水戸藩に移籍していますし。

> ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。
> (家康の娘婿だった池田輝政の池田家は、それこそ準一門として扱われました)


江戸末期になると殆どの大名家が松平姓を名乗るようになってましたね。
ああなると違いがわからなくなります。
 
> 逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
> 日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、


中国の場合は王朝交代時には「革命」で完全に体制が入れ替わりますが
また土地が広すぎるため周王朝時に先に封建制が成立してしまったので
その弊害を修正するため秦朝時の郡県制を経て封建制と郡県制の折衷式の郡国制になったのでしょう。
しかしながらそのトップである皇帝の権力は絶対的になっていきます。

日本の場合は古代律令制の時代の制度が形骸化しても江戸初期まで曲がりなりにも存続していたこともあるからでしょう。
天皇制もそうですが律令時そのままの太政官・そして関白などの令外官
は武家政権の鎌倉〜室町期も続いていきます。
その構成員である権門についてもその「姓」についても綿々と続いていますよね。
有名な話としては戦国時代の源平交代思想がありますよね。
羽柴秀吉は源平どちらの姓を名乗る事ができなかったため
(源氏を名乗るために足利義昭の養子になろうとしましたが断られています)
征夷大将軍(源氏であることが条件)になることができず「豊臣」の姓を創設したのは教科書にもあるとおりです。
土地所有についても荘園制度もかなり後期まで存続しております。

このように日本は古代の権威制度が後々まで影響力があったことが
中国とはまた違ったことになったと思います。

> 幕府運営ゲームを作る事で、体感してみると言うのも良いかも?(笑)
> って、年号や用語を無闇やたらと覚えるだけでなく、
> 本来ならこうした事こそ、歴史の授業で学ぶべきなんでしょうけどね。


はい、年号は私はほとんど覚えていませんw

> 天保11年の三方領知替えですね。
> センター試験にも出題された聞いてますけど、本当なのでしょうか?


そうなんですか?センター試験でどのような切り口で出題したのでしょうかねえ。
私は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」の方で知っていました。
平成初期の本間家の破綻はちょっとびっくりしたものです。


[13734] Re:幕府などの話に分派返信 削除
2011/1/9 (日) 05:31:06 徳翁導誉

> > 2代将軍の秀忠と3代将軍の家光が、それぞれ、
> > 潰した大名の中で、最大のモノは何だったと思います?
> > 秀忠は、兄・秀康の子である松平忠直[越前67万石]や、実弟の松平忠輝[越後60万石]、
> > 家光は、実弟の徳川忠長[駿河55万石]ですよ(もちろん、無嗣断絶ではありません)。

> 親藩の場合は徳川譜代出身者の家臣がその藩政の枢要を占めていたでしょうから
> 改易も比較的やりやすいと思いますよ。
> 武田信吉の水戸15万石の際も家臣達は後の水戸藩に移籍していますし。

ですが、そうした事が出来たのも、家康が生きているからこそで、
家康の死後からは、ドンドン難しくなって行ったと思いますよ。
家康存命の頃は、家康の子供たちが大名として配置される際、
その大名の家臣と言うより、幕府からの御目付け役として、
譜代の家臣たちを「付家老」として送り込んでいたので、
神輿が替われば引き継がせたり、配置換えさせたりも出来ましたけど、
世代交代が進み、更に家康まで亡くなれば、事情は変わりますからねえ。
同じ廃絶でも無嗣と不行跡では違うとは言え、実際に徳川忠長の改易では、
付家老を始め、多くの家臣が連座して改易・蟄居の処分を受けてますし。


> > ついでに、もう1つ言うと、例え外様であっても、
> > 前田・伊達・毛利・池田・山内・黒田・鍋島・島津などの有力大名には、
> > 「松平」姓を与える事により、名誉的に一門として扱われてましたね。

> 江戸末期になると殆どの大名家が松平姓を名乗るようになってましたね。
> ああなると違いがわからなくなります。

江戸の古地図とか見ても、大名屋敷が「松平」だらけですしね(笑)。


> > 逆に考えれば、なぜ中国は朝廷による中央集権体制が続いたのに、
> > 日本ではそれが崩壊し、武士による封建体制に移行したのかを、

> 中国の場合は王朝交代時には「革命」で完全に体制が入れ替わりますが
> また土地が広すぎるため周王朝時に先に封建制が成立してしまったので
> その弊害を修正するため秦朝時の郡県制を経て封建制と郡県制の折衷式の郡国制になったのでしょう。
> しかしながらそのトップである皇帝の権力は絶対的になっていきます。

う〜ん、でも「郡国制」って、妥協の産物と言いますか、
過渡期に出てきた、一過性の仕組みみたいなモノじゃないですかねえ?
秦が段階を踏まずに、一足飛びで中央集権の「郡県制」に移行した為、
また制度的にも未成熟であり、そのシワ寄せを解消する移行期間みたいなモノかと。
郡国制にしても、呉楚七国の乱により建国から50年ほど形骸化しちゃいますし。
その後は、貴族と皇帝、置き換えれば貴族と科挙官僚の綱引きが起き、
時々、遊牧民による征服王朝が出来て、その綱引きに影響を及ぼすと。
でもまあ、最終的には、皇帝へと権限が集約される事になり、
皇帝の公的な手足が科挙官僚なら、私的な手足は宦官となる事で、
今度は科挙官僚と宦官が権力を巡って綱引きをし、皇帝の手元に残るは権威のみ(笑)。
って、宦官は、貴族が居た頃から既に、綱引きのプレイヤーではありましたけどね。

何かダラダラと書いて来ましたが、日本は隋や唐から律令制度の仕組みは導入しても、
結局は「科挙」と「宦官」は導入せずに終わるんですよねえ・・・・
この辺を紐解いていくと、日本と中国の歴史的な政治制度の違いが明らかになるんですかね?

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