[スレッド全体]

[14715] 新ゲーム提案「信玄の野望オンライン」返信 削除
2011/6/7 (火) 19:56:54 劉備

こんにちは
僕はWW2・赤い嵐をやっています劉備と申します
僕としてはjavasciptゲーム「信玄の野望」をCGI化できたらなぁ
と思っております
まあゲームの内容は赤い嵐のように資金(両単位)
など赤い嵐の戦国版のような感じでやれたらなぁと思います


[14716] Re:新ゲーム提案「信玄の野望オンライン」返信 削除
2011/6/8 (水) 12:51:10 プロイセン

▼ 劉備さん
> こんにちは
> 僕はWW2・赤い嵐をやっています劉備と申します
> 僕としてはjavasciptゲーム「信玄の野望」をCGI化できたらなぁ
> と思っております
> まあゲームの内容は赤い嵐のように資金(両単位)
> など赤い嵐の戦国版のような感じでやれたらなぁと思います


不如帰で事足りませんか?


[14717] Re2:新ゲーム提案「信玄の野望オンライン」返信 削除
2011/6/8 (水) 19:57:20 1285

▼ プロイセンさん
> ▼ 劉備さん
> > こんにちは
> > 僕はWW2・赤い嵐をやっています劉備と申します
> > 僕としてはjavasciptゲーム「信玄の野望」をCGI化できたらなぁ
> > と思っております
> > まあゲームの内容は赤い嵐のように資金(両単位)
> > など赤い嵐の戦国版のような感じでやれたらなぁと思います

>
> 不如帰で事足りませんか?


個人的には不如帰の大人数版が欲しいです。
最初から大名の能力が決まっており(25越え可能)、
1大名につき城は1から2つ配置されている、という感じです。


[14737] Re3:新ゲーム提案「信玄の野望オンライン」返信 削除
2011/6/11 (土) 22:15:55 徳翁導誉

> > > こんにちは
> > > 僕はWW2・赤い嵐をやっています劉備と申します
> > > 僕としてはjavasciptゲーム「信玄の野望」をCGI化できたらなぁ
> > > と思っております
> > > まあゲームの内容は赤い嵐のように資金(両単位)
> > > など赤い嵐の戦国版のような感じでやれたらなぁと思います

> > 不如帰で事足りませんか?

> 個人的には不如帰の大人数版が欲しいです。
> 最初から大名の能力が決まっており(25越え可能)、
> 1大名につき城は1から2つ配置されている、という感じです。

以前にも何度か書きましたが、実在武将が出る戦国ゲームも構想としてはあります。
いろいろと案はありますが、赤い嵐や不如帰のシステム焼き直しにはならないでしょうね。
仮にあったとしても、不如帰の大マップを流用するくらいでしょうか?
「国盗り」になるか、「関ヶ原」になるかは、多分その時の気分次第です(笑)。


[14770] まとめレス返信 削除
2011/6/17 (金) 22:45:54 徳翁導誉

> あと、ww2の都道府県版が欲しいですね。
> 各都道府県が独立し、覇権を争うという内容です。

仮に私が、「都道府県」単位で「架空戦記」のゲームを作るなら、
思いっ切り『社会科のお勉強』用のゲームになると思います。
(設定自体に意味が薄いので、せめて何らかの目的を作らないと)
日本史の重要人物を、出身地や活躍地域にそれぞれ配して、
人口などの基礎的データは勿論の事、国旗の代わりに県旗を用い、
地場産業で作った商品を他県へ輸出入する感じにして、
地域の歴史や文化は、それ用の特殊カードでボーナス効果にし、
各県ごとのHEXマップで開発や戦争を行いながら、地理を覚えると。


> 今「JIN」もやってますし、幕末設定もタイムリーなゲームだと思います。
> 坂本竜馬はあと数年は人気もありそうですし、そっちの設定も話していいのでは?

幕末モノも構想案自体は、以前より持ってはいるんですけどね。
でも、何かに乗っかろうと言うのなら、明らかに、
大河ドラマで「龍馬伝」をやっていた昨年だったのでは?(笑)
まあ再来年の大河でも、また幕末を扱うらしいですが↓
http://www.asahi.com/culture/update/0611/TKY201106110568.html
それにしても主人公が「新島襄の妻」って、どうなる事やら・・・・


> 戦国ディプロマシーというやつがありました
> これですね
> http://blog.goo.ne.jp/kagami-en/e/34e126f9c763e2dfaa4eabd0d839a8c2
> ここにアクセスして見つけました

そのサイトの方も、
「世の中同じことを考える人なんてゴマンといるかとは思いますが」
と、おっしゃていますが、
ネット上のモノ好きの間では、かなり前(7〜8年くらい前?)に、
海外の同好の士が作った為↓、ちょっと話題になった事があります。
http://www.variantbank.org/results/rules/s/sengoku.htm
ただ、旧分国の配置などが少しおかしいのは御愛嬌としても(笑)、
やはり「細長い日本はディプロに向かない」という結論になりました。
同様の事を、その紹介されたサイトの方もおっしゃってますよね?


[14793] 再来年の大河とか、地形の話とか返信 削除
2011/6/19 (日) 17:34:56 徳翁導誉

> > > まあ再来年の大河でも、また幕末を扱うらしいですが↓
> > > http://www.asahi.com/culture/update/0611/TKY201106110568.html
> > > それにしても主人公が「新島襄の妻」って、どうなる事やら・・・・

> 東北を元気づけるためだとか・・・。
> 戊申戦争から日清、日露戦争までのドラマ?

いや恐らくは、会津落城までがメインで、
その後の明治期は、ある程度オマケになると思いますよ。
過去の大河でも、主人公の人生を万遍なく追う訳では無かったですし、
「福島を元気づける」と言うなら、それは尚更かと。
この時代で福島の女性なら、大山巌に嫁ぐ山川捨松の方が遥かに有名なのに、
敢えてそちらを選ばないのは、やはり会津戦争での活躍を描きたいからでしょうし。
と言うか、会津落城後は故郷を離れて、苦難を共にはしていない人なので・・・・

> よく分からなかったんですが、原作等はないんでしょうかね。
原作になるような小説は、たぶん存在しないと思いますよ。
実兄の山本覚馬や、夫の新島襄とかならまだしも。

> この脚本やらの問題を解決すれば、日本が一番元気でいれた時代だと思いますから、面白くなると思います。
> 期待は出来ます。この観点からすれば大いに興味があります。

とは言え、幕末から維新へと至る会津の話は、
「一級品の悲劇」話でこそあれ、元気づける様なモノでは無いような・・・・
そもそも福島県自体は、長野県と一緒になって、
会津藩祖「保科正之(徳川家光の弟)」の大河ドラマ招致をやってましたし。
(今年の大河で「江」をやってるから、夫と愛人の子供はNGだったのかな?・笑)

> だたし、やっぱり新島襄って人を知らないですね。管理人さんもそうでしょうか?
一応、新島襄は知ってますよ。
それに私は、関西に住んでた事もありますし。

> 同志社大学ってすごいですし、大学宣伝してしまうだけなのではないかと。
大学側としては、別に大河招致運動とかしていた訳では無いので、
単純に嬉しいと言うよりも、どう描かれるか不安の方が強いように伝え聞きます。
昨年の龍馬伝にしても、せっかく色々と協力したのに、
岩崎弥太郎の描かれ方が酷く、三菱が不満を抱いたという話を聞きますしね。

> 高知県の殿様もよく知られるようになりましたし盛り上がったと思いますし、知名度は関係ないのかもしれませんが。
> (山内一豊の事を歴史小説好きや戦国オタク以外は知らなかったと思うので・・・)

高知の殿様って、山内一豊の方ですか!?(笑)
話の流れ的に言って、てっきり幕末の山内容堂の事かと思ってましたよ。
昨年の龍馬伝でも、近藤正臣が演じた容堂は人気がありましたし。
って、地元の人たちは「長宗我部元親」こそ、大河にして貰いたかったでしょうがね。
地元にとって山内一豊は、征服者として乗り込んできた側ですので。

> ここから先は関係ないですが、自由民権運動が成功してたらどうなってたんだろう・・。あの時代を継承した民主主義国家日本ってどんな感じだったんだろう・・・。
> 天皇に主権があって国会があって立法権があって天皇は行政権と司法権を形式上は持ってて・・・。
> あの日本特有の軍隊的なにおいが日本中にあって・・・。でもみんな粋な江戸っ子気質もあって・・・。
> 田舎の文化大好きで、自分はどこどこ出身だ!!って自信を持ってるそんな国だったらよかったなと思います。

「自由民権運動の成功」と言うのが、何の事を指してるのかが解りませんが、
彼らが求めていた「憲法の制定」や「国会の開設」は明治期に達せられ、
大正デモクラシーの頃には、普通選挙も実施されてますからねえ。
(25歳以上の男性限定でしたが、日本在住なら朝鮮人や台湾人にも投票権あり)
また、2大政党による政権交代にしても、戦前に何度か行われていますし、
軍人職に人気が無く、背広姿で通勤して職場で軍服に着替える軍人もいた時代でした。

ちなみに、皇紀2600年にあたる「西暦1940年(昭和15年)」には、
オリンピックの開催・万博の開催・テレビ放送の開始が予定されてました。
まあ実際は、戦争の影響で全てポシャってしまい、
戦後に20〜30年遅れで実施されましたが。
それと他に1940年には、新幹線(弾丸列車)の計画が決定されてましたね。
これも戦後に、東京五輪の開幕に合わせて「東京−大阪」間が開通しましたが、
戦前の計画では、朝鮮・満州を経て「東京−北京」間を結ぶ予定でした(笑)。
そう言えば先日、中央リニアの「東京−名古屋」間の設置駅がある程度決まりましたが、
一般的には、ほとんど話題になっていませんよねえ・・・・
http://company.jr-central.co.jp/company/others/_pdf/04.pdf
まあ、東京スカイツリーの時もそうでしたが、騒がれるのは建設が進んでからで、
書類の段階で盛り上がれるのは、それはもうオタクの部類なのかも知れませんけど(笑)。
品川駅のリニア用ホームの向きが南北か?東西か?なんて、現段階で関心ないでしょうし。


> 個人的には、女性が主人公は飽きてきたので、安藤輝三辺りをやって欲しいなと思ったり。無理ですけど。
そもそも1年どころか、半年すら話が持たないのでは?
2・26を主題にしても、単発ドラマが精々でしょうし。
そう言えば、この辺りの時代の小説としては昨今、
「満州国演義」というのが、一部で人気があるらしいですね。
まあ、私はまだ読んだ事が無いのですが・・・・


> > やはり「細長い日本はディプロに向かない」という結論になりました。
> > 同様の事を、その紹介されたサイトの方もおっしゃってますよね?

> 結局、戦国時代は日本が列島型でディプロとしては不適で、
> マキャベリ(AH)なども偶然の要素から純然たる交渉ゲームではない、
> となり、現ディプロマシーのゲームバランスが非常に優れているということになりました。
> 現在まで数多くのバリアントマップが発表され、先のマキャベリやコロニアルなどが出たのにもかかわらず
> 本家ディプロが今でもプレイされているのはそういうことなのでしょう。

私が自分でゲームを作っている時も、やはり感じますからねえ。
「ヨーロッパの地図は非常にゲーム・バランスが良い」と(笑)。
ヨーロッパ大陸などと言いつつ、実際の所はヨーロッパ半島なのに、
地中海・黒海・北海・バルト海と、海と陸とのバランス配分が絶妙なんですよ。
「文明の発展」と「地理的要因」には、深い関係性がある事を考えると、
西欧文明の栄華と言うのも、ある面では歴史の必然だったのでしょうかね?


[14812] Re:再来年の大河とか、地形の話とか返信 削除
2011/6/23 (木) 23:00:42 某人

▼ 徳翁導誉さん
> いや恐らくは、会津落城までがメインで、
> その後の明治期は、ある程度オマケになると思いますよ。
> 過去の大河でも、主人公の人生を万遍なく追う訳では無かったですし、
> 「福島を元気づける」と言うなら、それは尚更かと。
> この時代で福島の女性なら、大山巌に嫁ぐ山川捨松の方が遥かに有名なのに、
> 敢えてそちらを選ばないのは、やはり会津戦争での活躍を描きたいからでしょうし。
> と言うか、会津落城後は故郷を離れて、苦難を共にはしていない人なので・・・・
>

どうも、生涯のようです。
おそらく主人公が死ぬまでだと思いますので明治時代も入る模様。
僕にしてみれば明治が入るかどうかで期待度が変わりますから大問題ですw

> 「一級品の悲劇」話でこそあれ、元気づける様なモノでは無いような・・・・
上記で書きましたがおそらく明治時代も入るようです。
「福島出身の人」ということに意味があるのかもしれません?

> (今年の大河で「江」をやってるから、夫と愛人の子供はNGだったのかな?・笑)
NHKにあってはならない内容だと思います笑
 
> 大学側としては、別に大河招致運動とかしていた訳では無いので、
> 単純に嬉しいと言うよりも、どう描かれるか不安の方が強いように伝え聞きます。
> 昨年の龍馬伝にしても、せっかく色々と協力したのに、
> 岩崎弥太郎の描かれ方が酷く、三菱が不満を抱いたという話を聞きますしね。


でも大学だとどうなんでしょう?
しかも明治という時代柄ですから教育=良いこと(富国強兵やらで)になると思いますから、
あまり悪くはならないような?
 
>> 高知の殿様って、山内一豊の方ですか!?(笑)
そうです笑
> 話の流れ的に言って、てっきり幕末の山内容堂の事かと思ってましたよ。
> 昨年の龍馬伝でも、近藤正臣が演じた容堂は人気がありましたし。
> って、地元の人たちは「長宗我部元親」こそ、大河にして貰いたかったでしょうがね。
> 地元にとって山内一豊は、征服者として乗り込んできた側ですので。


そうなんですか。地域の感情までは知りませんでした。
長宗我部家だと結局取りぶしなのでオチが今の大衆向けではないのかもしれません。

> 「自由民権運動の成功」と言うのが、何の事を指してるのかが解りませんが、
> 彼らが求めていた「憲法の制定」や「国会の開設」は明治期に達せられ、
> 大正デモクラシーの頃には、普通選挙も実施されてますからねえ。
> (25歳以上の男性限定でしたが、日本在住なら朝鮮人や台湾人にも投票権あり)


しかし治安維持法もあるじゃないですか。
個人的な自由民権運動の成功とは完全普通選挙、言論の自由があったうえでの天皇主権です。

> また、2大政党による政権交代にしても、戦前に何度か行われていますし、
> 軍人職に人気が無く、背広姿で通勤して職場で軍服に着替える軍人もいた時代でした。

知りませんでした。

> ちなみに、皇紀2600年にあたる「西暦1940年(昭和15年)」には、
> オリンピックの開催・万博の開催・テレビ放送の開始が予定されてました。

これも知りませんでした。

> それと他に1940年には、新幹線(弾丸列車)の計画が決定されてましたね。
> これも戦後に、東京五輪の開幕に合わせて「東京−大阪」間が開通しましたが、
> 戦前の計画では、朝鮮・満州を経て「東京−北京」間を結ぶ予定でした(笑)。


ある意味おもしろいですね。そういうことを受け継いだ日本だったらどうなってたんでしょう?
朝鮮と台湾と樺太南部、千島列島、南洋諸島が日本領の日本ってどうなってたんでしょう?

> そう言えば先日、中央リニアの「東京−名古屋」間の設置駅がある程度決まりましたが、
> 一般的には、ほとんど話題になっていませんよねえ・・・・
> http://company.jr-central.co.jp/company/others/_pdf/04.pdf
> まあ、東京スカイツリーの時もそうでしたが、騒がれるのは建設が進んでからで、
> 書類の段階で盛り上がれるのは、それはもうオタクの部類なのかも知れませんけど(笑)。
> 品川駅のリニア用ホームの向きが南北か?東西か?なんて、現段階で関心ないでしょうし。


一応見ました。が何十年後でしたっけ?2030年ぐらいだったような・・・。
まぁ今気にしても日が暮れるってもんです笑


[14818] 大河とか、歴史ifとか、リニアとかの話返信 削除
2011/6/25 (土) 20:22:17 徳翁導誉

> > いや恐らくは、会津落城までがメインで、
> > その後の明治期は、ある程度オマケになると思いますよ。
> > 過去の大河でも、主人公の人生を万遍なく追う訳では無かったですし、
> > 「福島を元気づける」と言うなら、それは尚更かと。
> > この時代で福島の女性なら、大山巌に嫁ぐ山川捨松の方が遥かに有名なのに、
> > 敢えてそちらを選ばないのは、やはり会津戦争での活躍を描きたいからでしょうし。
> > と言うか、会津落城後は故郷を離れて、苦難を共にはしていない人なので・・・・

> どうも、生涯のようです。
> おそらく主人公が死ぬまでだと思いますので明治時代も入る模様。

いや、それはもちろん「生涯」は描きますよ。
大河ドラマとは、1年にも及ぶ長丁場な作品ですし。
だからと言って、その生涯を均等に分けて描く訳でありません。
例えば「篤姫」などは、人生の3分の1を明治の世で過ごしてますが、
大河ドラマで描かれた明治期の部分は、最終話の十数分ほどでした。

まあ流石に、肩書き的には「新島襄の妻」なので、
篤姫ほど極端な配分にはならないでしょうけど、
「天地人」に近い配分になるのでは?と予想しています。
直江兼続の場合、一番の見せ場となると「関ヶ原での直江状」ですが、
関ヶ原の後も兼続は20年近く(享年60なので人生の3分の1)生きており、
その間には「大阪の陣」というビッグ・イベントもありました。
しかしドラマの方では、全話数の8割以上を関ヶ原までに消化して、
その後の20年は、本当に駆け足な状態で進んで行きました。
ドラマの構成や視聴率の事を考えた場合、やはり一番の見せ場というのは、
出来るだけ後ろに持って行こうとするのも、ある意味で当然の事ですからねえ。

で、新島八重の一番の見せ場となると、
「幕末のジャンヌ・ダルク」と紹介されている以上、会津戦争だと思います。
「新島襄と結婚して同志社を設立」では、ドラマ的に盛り上がりに欠けますし(笑)、
仮にそちらに力を入れるのであれば、「利家とまつ」や「功名が辻」のように、
夫婦ダブル主役という形に持って行くと思いますので。
とは言え、急遽の題材変更ですし(状況的に、主演の綾瀬はるかは横滑り?)、
脚本(原作も?)を「ゲゲゲの女房」の人が務めるらしいので、
今後、夫婦モノへと移行していく可能性も充分あるとは思いますけどね。

でもまあ、会津戦争までに半分以上の話数を割く確率は、相当高いと思いますよ。
今回の場合、「福島を元気づける」とかも言ってますし。
そして明治23年(1890年)に、夫の新島が死んで最終回と。
これなら、その後の日清・日露での従軍話は避けて通れますので(笑)。
仮に避けなかったとしても、本当に数話でサラリと通り抜けると思います。
難しい題材と言うのは、「太平記」や「坂の上の雲」のように、
最初から制作陣が本気で対する覚悟が無い限り、避けて通るのが常道ですの。

と、こんなに語りましたが、原作すら未だこの世に存在しない以上、
予想はあくまで予想に過ぎず、現段階でどうなるかなど、
まだ誰にも解らないでしょうけれど(笑)。


> > 大学側としては、別に大河招致運動とかしていた訳では無いので、
> > 単純に嬉しいと言うよりも、どう描かれるか不安の方が強いように伝え聞きます。
> > 昨年の龍馬伝にしても、せっかく色々と協力したのに、
> > 岩崎弥太郎の描かれ方が酷く、三菱が不満を抱いたという話を聞きますしね。

> でも大学だとどうなんでしょう?
> しかも明治という時代柄ですから教育=良いこと(富国強兵やらで)になると思いますから、
> あまり悪くはならないような?

例えば、現在放送中の「江」にしても、
浅井三姉妹の事は、別に悪くは描かれてませんよねえ?
しかし、浅井三姉妹の大河招致運動をしていた人たちからすれば、
あの描かれ方はどうでしょう?(不満を抱く人が居てもおかしくありません)
でもまあ、こちらの場合は、自分たちから招致運動をしていた訳ですし、
結局の所は、観光客が増加して地元経済が潤えば、それが1番なんです。

一方で、今回の同志社側からすれば、
別に招致運動はしていませんし、観光産業をしている訳でもありません。
いまさら宣伝などしなくとも、既に関西有数の名門校ですし、
期待よりも不安の方が大きいと言うのも、あながち解らなくも無いかと。
ドラマ的に描かれる事で、望まぬイメージを植え付けられる事だってありますし。

いっその事、「東北と復興」をテーマに作るのであれば、
それこそ「後藤新平」が適材なんでしょうけどねえ・・・・
後藤は、今回被災した岩手県の出身ですし、
関東大震災の折には、帝都東京の復興を行った人物ですので。
台湾総督府の民政長官や、南満洲鉄道の初代総裁を歴任した人物でもあり、
お望みの「明治の描写」の方も、彼なら問題ないかと(笑)。

「板垣死すとも、自由は死せず」で有名な板垣退助の襲撃事件では、
24歳で名大病院の院長を務めていた後藤が、板垣を診察していたりしますし、
首相・朝鮮総督・海軍大臣などを歴任し、後に2・26事件で暗殺される斎藤実や、
同志社で学び新島襄から後継者と目されるも、24歳で病死した山崎為徳と共に、
水沢2万石という小藩の同級生の中で、後藤は「三秀才」と称されていたので、
脇を固める人物たちにも、事欠かないと思います。
他にも、あの当時の岩手出身者には「原敬」なんかも居ますしね。

ただ、まあ個人的には、各県の東北出身者を総揃えと言う事で、
石原莞爾(山形)、板垣征四郎(岩手)、甘粕正彦(宮城)、
里見甫(秋田)、工藤忠(青森)、児玉誉士夫(福島)という面々で、
満州国を題材にしたドラマを作って欲しいですけどねえ。
メンツ的にも大変濃いので、実現したらきっと面白い作品になるでしょうが、
逆にあまりにもメンツが濃過ぎるので、絶対に実現はしないと思いますが(笑)。

って、取り敢えずは、東北題材の過去の大河を、
夕方や深夜の時間帯にでも、再放送するば良いように思います。
奥州藤原氏を描いた「炎立つ」は、いま世界遺産登録で話題の平泉が舞台ですし、
伊達政宗が主人公の「独眼竜政宗」も、歴代大河で人気No.1作品ですので。


> > 話の流れ的に言って、てっきり幕末の山内容堂の事かと思ってましたよ。
> > 昨年の龍馬伝でも、近藤正臣が演じた容堂は人気がありましたし。
> > って、地元の人たちは「長宗我部元親」こそ、大河にして貰いたかったでしょうがね。
> > 地元にとって山内一豊は、征服者として乗り込んできた側ですので。

> そうなんですか。地域の感情までは知りませんでした。
> 長宗我部家だと結局取りぶしなのでオチが今の大衆向けではないのかもしれません。

いやいや、「滅びの美学」などと言うモノに、
世界で最も惹かれるのが、日本の文化だと思いますが?
例としては少し変かも知れませんけど、だからこそ外国人から見ると、
「ハラキリ」や「カミカゼ」などが、奇異で神秘的に見えると(笑)。

そう言えば、2014年or2015年の大河は「真田幸村」が最右翼と噂されてますね。
この年は大阪の陣から400年にあたり、盛んに招致運動が行われている上に、
今年、NHKが大河50作記念で出版した本の中で、
脚本家の三谷幸喜が「次は幸村を作りたい」とインタビューに応えてますので。


> > 「自由民権運動の成功」と言うのが、何の事を指してるのかが解りませんが、
> > 彼らが求めていた「憲法の制定」や「国会の開設」は明治期に達せられ、
> > 大正デモクラシーの頃には、普通選挙も実施されてますからねえ。
> > (25歳以上の男性限定でしたが、日本在住なら朝鮮人や台湾人にも投票権あり)

> しかし治安維持法もあるじゃないですか。
> 個人的な自由民権運動の成功とは完全普通選挙、言論の自由があったうえでの天皇主権です。

大正デモクラシーの時代は、それなりに「言論の自由」はありましたよ。
吉野作造の「民本主義」や、美濃部達吉の「天皇機関説」が、普通に罷り通ってましたし。
(簡単に言えば「システム的には天皇主権だけど、政策は国民の為に行うモノだよね」という論)
で、軍人とかも平気で叩ける時代だったからこそ、このように↓軍人も肩身が狭かったと(笑)。
> > 軍人職に人気が無く、背広姿で通勤して職場で軍服に着替える軍人もいた時代でした。
って、この為に軍人の質が低くなり、彼らが偉くなって戦争が起きると、
大変な事になってしまった・・・と捉える人たちも居ますね。

当時、タブーとされる言論は、主に「天皇批判」と「共産主義」くらいですかねえ?
簡単に言ってしまえば、「現在の統治体制を引っ繰り返すな」という事ですね。
天皇を中心とした統治体制を築いた為、その根本を批判するのはタブーであり、
批判どころか、体制そのものの一新させようという共産主義は排除の対象であると。
「治安維持法」にしても、元々は共産主義者を取り締まる為の法律でしたし。
結局、「天皇主権」に触れなければ、それなりに「言論の自由」はあったので、
逆に言うと、「言論の自由があったうえでの天皇主権」は両立が難しい気が・・・・
(大正期の言論の自由は、現在のタイ王国ほどのレベルだと言う人も居ますね)

「戦前」と言うと、どうしても「戦中」のイメージとゴッチャにする人も多いですが、
特に大正デモクラシーの時代などは、わずか10年ほどの短い期間だったとは言え、
「戦後」の日本に、かなり近いような社会が出来あがっていました。
例えば、戦前の東京↓を「カラー映像」で見るだけでも、結構認識が変わると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=dCWxEeL9eEo
・・・って、あまりに戦前の良い面ばかりを見過ぎると、
逆に今度は、戦中を戦前のイメージとゴッチャにしてしまい、
「戦中も良い時代だった」と言い出す人もいるので、これはこれで注意が必要ですが(笑)。


あと、続いて選挙権の話ですが、
ここで言う「完全普通選挙」とは、女性まで含めた選挙の事ですよねえ?
まあこちらは、時間の問題だったと思いますよ。
日本で初めて普通選挙(男性のみ)が行われたのは、1928年の事ですが、
条件付きながらも、女性参政権を認める法案が衆議院を通過したのは1931年の事です。
結局、この法案自体は、貴族院での反対により廃案となりますが、
法案成立が早いか遅いかの違いで、世界的な流れは止められなかったと思います。

それと、単純に「女性が投票した」事案だけで言えば、
実は日本でも、明治11年には既にそれがあったりします(世界的にも有数の早さ)。
当初の制限選挙は「高額納税&男性戸主」は、という基本条件だったのですが、
高額納税者の女性戸主が、「同じ戸主なのに女はダメとは何事だ」と税金を滞納(笑)。
その結果、高額納税の女性戸主にも選挙権が認められたと。
ただ、数年後には法改正が行われ、女性戸主の選挙権は剥奪されてしまうのですが、
更に数十年後、大正デモクラシーの時代となり、女性参政権の推進運動が起こると、
以前、抗議して選挙権を得た女性が「民権ばあさん」と呼ばれるようになると(笑)。

って、「完全普通選挙」は女性だけでなく、朝鮮人や台湾人も含んだりします?
コチラの方は、女性参政権以上に実現へのハードルが高かったかも知れません・・・・
一応、「同じ帝国臣民だ」という建前から、彼らにも選挙権がある事にはなってましたが、
朝鮮や台湾には「選挙区」が設定されてなかったんですよ。
簡単に言えば、「選挙権は持っているけど、投票先はありません」って感じですね。
朝鮮人や台湾人でも、日本に移住し、一定の条件を満たせば、
居住するその地域の選挙区で投票が出来たものの、そんなのは全体のごく一部でしたし。
朝鮮人と台湾人を合わせると、日本人の4割ほど人口が居ましたからねえ。
そして戦争も最末期になった頃、朝鮮や台湾にも選挙区を設けましたが、
納税額による制限付きで、衆議院497人のうち朝鮮23人・台湾5人という少なさでした。
まあこれ自体も、直後の敗戦で選挙が実施されずに終わりましたが・・・・


> > ちなみに、皇紀2600年にあたる「西暦1940年(昭和15年)」には、
> > オリンピックの開催・万博の開催・テレビ放送の開始が予定されてました。
> > それと他に1940年には、新幹線(弾丸列車)の計画が決定されてましたね。
> > これも戦後に、東京五輪の開幕に合わせて「東京−大阪」間が開通しましたが、
> > 戦前の計画では、朝鮮・満州を経て「東京−北京」間を結ぶ予定でした(笑)。

> ある意味おもしろいですね。そういうことを受け継いだ日本だったらどうなってたんでしょう?
> 朝鮮と台湾と樺太南部、千島列島、南洋諸島が日本領の日本ってどうなってたんでしょう?

満州が書かれていないと言う事は、
「満州建国が無く、大日本帝国が存続していたら」という仮定でしょうか?
(「東洋のアメリカ」を目指した移民国家・満州の妄想も面白いんですけどね・笑)
まあ満州建国がなければ、国連離脱もなく常任理事国のままですし、
中国との泥沼な戦争も回避できた可能性がありますし、
そこが回避できれば東南アジア侵攻や、アメリカとの対立も回避できたかも知れないので、
大日本帝国が存続するシナリオと言うのも、充分に考え得るモノになりますよね。
・・・って、別にその辺の事は、あまり気にしていないのかな?(笑)

経緯とか何とか、そう言ったモノを省いて、
単純に「日本の現行制度で、大日本帝国の領土があれば」という仮定で空想すれば、
まず人口の方は、恐らく2億人を越えているでしょうねえ。
全人口のうち日本人は6割くらいになりますか(日本人:朝鮮人:台湾人=6:3:1)。
今の日本からすると違和感がありますが、世界的には多民族国家が普通ですからねえ。
(人口の99%以上が同じ民族の国は、それこそ日本と韓国・北朝鮮くらいでしょうか?)
って、明治維新後に琉球王国が併合された沖縄の事を見ると、
台湾も朝鮮も併合から100年が経過してますし、想像以上に同化が進んでいる可能性も?
でもまあ、民族間の関係と言うのは、どうしても歴史の経緯に左右されますので、
今回のように「どう言う経緯で現在に至るか」という過程がないifの場合、
ちょっと簡単には語れない所がありますよねえ。
上手く行けば、民族同士がうまく関係を築けて、統一国家を為す展開だってありますし、
下手をしたら、ユーゴスラビア崩壊のような血みどろの内戦に陥る展開だってありますし。

まあその辺は結構ナイーブな話題なので、インフラ整備などに話を移しますと、
青函トンネルやら、関門海峡トンネルやら、瀬戸大橋やら考えると、
朝鮮と九州を結ぶ「対馬海峡トンネル」とか、
樺太と北海道を結ぶ「宗谷海峡トンネル」とかも作られているかも?
それらのトンネルに鉄道が通っていたら、シベリア鉄道と接続して、
鉄道1本で、ロンドンやパリまで行けるようになっているでしょうね。
実際に戦前には「東京発パリ行き」の切符とかありましたし(対馬海峡はフェリー)。
ただ帝国陸海軍が存続していると、軍事費の削減も進まないでしょうから、
大規模なインフラ整備は、今よりも行われていない可能性もありますね。
ついでなので、軍事力の話も少しすれば、
核兵器に関しては、まず間違えなく保有しているでしょうね。
核実験を行うとすれば、朝鮮北部?南洋諸島?

・・・って、普通に南洋諸島とか言ってますけど、
あそこって国連から統治を委託されている「国連委任統治領」であって、
別に日本の領土と言う訳では無いんですけどね。
史実だと、国連脱退後から急速に日本化を進めて行き、
大戦前には、人口の半分以上が日本人と言う状態になっていましたが、
満州国が無いなら国連脱退も無いので、ゆっくりと日本化を・・・って、
結局、最終的には日本に併合してそうなんですが(笑)。
ちなみに戦前は、「南洋諸島」でなく「南洋群島」と呼んでました。
そうそう「群島」と言えば、中国・ベトナム・フィリピンが現在、
領有権を争い、キナ臭い状況になっている「南沙諸島」も、
戦前は「新南群島」と呼んで、台湾の一部として日本が領有していました。
「排他的経済水域」とかは、こんな感じ↓になるでしょうか?
http://www.geocities.jp/dai_toua_teikoku/image_file/nihon_chizu.gif

あっ、なんか軍事の話から逸れてしまいましたね(笑)。
ただ軍事の方は、「いま以上に経済的負担が大きいだろうなあ」と言うのが、
直接的な軍事面よりも、気になってしまう所なんですよねえ・・・・
まあ冷戦も終わってますし、英仏などを参照すれば、
軍事費も現在の2倍程度に収まるくらいでしょうか?
とは言え、敗戦が無い訳ですから、戦後のアメリカによる支援も無い訳で、
それなりに近代化は進んでいたでしょうが、今ほど進むのは無理でしょうし、
そう考えると、軍事大国としての側面はアップする代わりに、
現状の経済大国としての側面はダウンするんですかねえ?
でも、1人あたりのGDP値は落ちても、人口が2億なら合計値ではアップ?
そうなると、一極集中な日本の現行システムにあっては、
朝鮮や台湾の富さえ吸い寄せる帝都・東京は、
ニューヨーク・ロンドンに肩を並べる「アジアの首都」として、今以上の巨大都市となり、
その代わりに京城(ソウル)や台北が、現実よりも相当小さくなる感じでしょうか?
一国の首都と地方都市では、発展の仕方も明らかに異なるでしょうから。

と、私の妄想話だけだと面白く無いでしょうから、
こんなの↓も、ついでに貼っておきます(笑)。
「もし日本による台湾統治が続いてたら・・台湾人の意見は?」
http://ansan01.blog121.fc2.com/blog-date-200911.html


> > そう言えば先日、中央リニアの「東京−名古屋」間の設置駅がある程度決まりましたが、
> > 一般的には、ほとんど話題になっていませんよねえ・・・・
> > http://company.jr-central.co.jp/company/others/_pdf/04.pdf
> > まあ、東京スカイツリーの時もそうでしたが、騒がれるのは建設が進んでからで、
> > 書類の段階で盛り上がれるのは、それはもうオタクの部類なのかも知れませんけど(笑)。
> > 品川駅のリニア用ホームの向きが南北か?東西か?なんて、現段階で関心ないでしょうし。

> 一応見ました。が何十年後でしたっけ?2030年ぐらいだったような・・・。

「東京−名古屋」間は、当初の発表だと2025年開通の予定でしたが、
その後、金融危機の影響を受けて、2027年開通に計画を延長しました。
ただしこれは、JR東海が資金を自己調達するのが前提の計画なので、
国が資金を貸し付けて作れば、もうちょっと早くなるんでしょうけど・・・・

だからこそ、「2022年のワールドカップ招致」には成功して欲しかったんです。
大会のメイン・スタジアムは、大阪駅の近くに新設する計画もあり、
そう言う大義名分があれば、2022年に「東京−大阪」間の開通という夢も(笑)。
その場合、「東京−名古屋」間は2019年のラグビーW杯開催に間に合わせると。
(金銭面の問題が山積みですが、ラグビーW杯の日本開催は既に決まっています)
まあ結局はカタールに決まってしまい、夢は夢で終わりましたがね。
と言うか、それくらいの事が無いと「名古屋−大阪」間なんて、
JR東海は、2045年の開通予定とか言ってますので・・・・
この辺は現段階から既に、公的に資金を融資して開通を急がせる意見も出ており、
だったら「東京−名古屋」間の最初から、その方法でやってくれよと。

ちなみに、リニアの部分開通という事であれば、
「甲府(山梨)−橋本(神奈川)」間の先行開通は、結構早い時期に行われるかと。
山梨には「実験線」というのが敷かれており、これをそのまま使うので、
「甲府−橋本」に関しては既に、ルートの半分が完成している状況です。
この先行部分に関しては、2020年前後の開通が予定されてますので、
こちらは数十年ではなく、もう10年以内の話ですね。
そして、こうやって実際にリニアが走る所をマスコミに報じられれば、
全体のリニア建設も、盛り上がって、加速されていく可能性もありますし。

ついでなので、新幹線の延伸計画の話も書いておくと、
昨年12月には東北新幹線が新青森にまで到達し、
今年3月には九州新幹線が「博多−鹿児島」間で繋がり、話題となりましたが、
2014年には、長野五輪の時に作られた長野新幹線が「北陸新幹線」となり、
長野から「上越(新潟)−富山(富山)−金沢(石川)」と、一気に開通する予定です。
また、新青森まで達した東北新幹線は、青函トンネルを越えて「北海道新幹線」となり、
2015年には新函館、そして開通年は未定ながら札幌まで延伸される事になっています。
あと、最後に一応言っておきますが、別に私は鉄道オタクではありません(笑)。

> まぁ今気にしても日が暮れるってもんです笑
「東京−大阪」間のリニア開通というのは、
日本国内の人の流れを大きく変化させる途轍もない存在です。
だって、東京から大阪までが、たった1時間ですからねえ!!
このリニア開通によって、各地域のインフラ戦略も大きな影響を受けます。
ですので、それを見越し、関係するインフラ整備をどう進めるか否かで、
その地域が発展するか?廃れるか?を左右して行く可能性があります。
たかが1票ですが、そうした政策などを踏まえた上で、投じたいんですよねえ。
それこそが、有権者1人1人が責任を背負う民主主義の真髄なのですから。
な〜んて御託を並べましたが、単に情報収集と妄想が好きなだけです(笑)。
とは言え、ただ悪戯に何かを叩くよりも、妄想でも未来に思いを馳せる方が、
日本にとって、ずっと建設的である事は確かだろうと思ってますけども。


[14846] 開戦直前の大日本帝国の人口データ返信 削除
2011/7/1 (金) 21:24:55 徳翁導誉

======================================
     太平洋戦争直前(1940年)の人口データ  ※ 1941年/開戦 ※
======================================

日本【帝国政府:1庁3府43県】 ※ 1868年/明治維新 ※
・ 合  計  7311.4万人  [現在1億2805.6万人 (1.75倍)]
・ 東  京  677.9万人  [現在   894.7万人 (1.32倍)]
・ 大  阪  325.2万人  [現在   266.5万人 (0.82倍)]
・ 名古屋  132.8万人  [現在   226.4万人 (1.70倍)]
・ 札  幌    20.6万人  [現在   189.7万人 (9.21倍)]
・ 仙  台    22.4万人  [現在   104.7万人 (4.67倍)]
・ 横  浜    96.8万人  [現在   368.9万人 (3.81倍)]
・ 京  都  109.0万人  [現在   147.4万人 (1.35倍)]
・ 神  戸    96.7万人  [現在   154.4万人 (1.60倍)]
・ 広  島    34.4万人  [現在   117.5万人 (3.42倍)]
・ 福  岡    30.7万人  [現在   146.7万人 (4.78倍)]
※ ちなみに1940年時の在日朝鮮人は119万人、1945年の終戦時には200万人超。
※ 在日台湾人の方は解りませんでしたが、恐らく5万〜10万人くらいかな?

朝鮮【朝鮮総督府:13道】 ※ 1910年/韓国併合 ※
・ 合  計  2370.9万人  日本人69.0万人( 2.9%)  [現在 7223.9万人 (3.05倍)]
・ 京  城    98.9万人  日本人15.9万人(16.1%)  [現在 979.4万人 (9.90倍)]●
・ 平  壌    34.2万人  日本人 3.2万人( 9.4%)   [現在 325.5万人 (9.52倍)]●
・ 釜  山    32.9万人  日本人 6.1万人(18.5%)  [現在 341.5万人(10.38倍)]●

台湾【台湾総督府:5州3庁】 ※ 1895年/日清戦争で獲得 ※
・ 合  計  607.7万人  日本人34.9万人( 5.7%)  [現在 2305.5万人 (3.79倍)]
・ 台  北    28.8万人  日本人 8.2万人(28.5%)  [現在 261.6万人 (9.08倍)]◎
・ 高  雄    8.7万人  日本人 2.0万人(23.0%)  [現在 153.1万人(17.60倍)]◎

南樺太【樺太庁:8支庁】 ※ 1905年/日露戦争で奪還 ※
・ 合  計    33.9万人  日本人33.7万人(99.4%)  [現在 46.3万人 (1.37倍)]★
・ 豊  原    3.7万人                   [現在 17.3万人 (4.68倍)]☆

千島列島【属:北海道庁根室支庁】 ※ 1875年/千島樺太交換条約 ※
・ 合  計    1.7万人                  [現在 1.9万人 (1.12倍)]

南洋群島【南洋庁:6支庁】 ※ 1922年/第一次大戦で国連委任 ※
・ 合  計    12.9万人  日本人 7.7万人(59.8%)  [現在 27.7万人 (2.15倍)]★

関東州【関東局:関東州庁】 ※ 1905年/日露戦争で租借 ※
・ 合  計  122.6万人  日本人18.5万人(15.1%)  [現在 583.4万人 (4.76倍)]★
・ 大  連    57.2万人  日本人17.0万人(29.7%)  [現在 211.0万人 (3.69倍)]★

満州【満州国政府:18省1特別市】 ※ 1932年/満州国を建国 ※
・ 合  計  4320.3万人  日本人82.0万人( 1.9%)  [現在1億1426.6万人 (2.64倍)]
・ 新  京    37.1万人  日本人 7.7万人(20.8%)  [現在   358.0万人 (9.65倍)]★
・ 奉  天    78.5万人  日本人 9.6万人(12.3%)  [現在   398.0万人 (5.07倍)]★
・ 哈爾浜    46.6万人  日本人 3.3万人( 7.0%)   [現在   267.0万人 (5.73倍)]★

======================================
ちなみに、各地域の「合計」に書かれた「日本人」についてですが、
元のデータ↓が、「内地人・現地人・外国人」の3項目になっている為、
http://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index02.html
朝鮮では台湾人が、台湾では朝鮮人が、それ以外では朝鮮・台湾人が、
データ上では、日本人(内地人)として扱われています。
ただし満州国のデータ↓だけは、朝鮮・台湾人を日本人に含みません。
http://www.jaas.or.jp/pdf/56-3/1_11.pdf
また、各印は「●:1944年」「◎:1935年」「★:1938年」「☆:1941年」のデータです。
======================================

以上、戦前の大日本帝国とは、大体こんな感じだったのですが、
外地における日本人の割合とか、どんな印象を持たれるでしょうか?
思ったよりも多い? それとも少ない?
まあ仮に、大日本帝国が現在まで存続したと考えれば、
ここから更に70年以上が経過しますので、民族の混在化も進んでいるでしょうね。
「満州国が無ければ」という仮定なら、移民先が満州から外地になるので尚更に。

あと、「言葉」の方面に関しては、
当時から既に外地でも都市部(公の場)では、ほとんどが日本語使用で、
学校でも日本語で教育が施されていた事を考えれば、
出身民族に関わらず、ほぼ全ての国民が不自由なく日本語を扱えたでしょうね。
戦争が無ければ、急進的な皇民化政策も無いでしょうけど、それでも70年も経てば。
(ちなみに当時の就学率は、日本で95%以上、台湾で55%ほど、朝鮮で45%ほどでした)
まあそれに、大日本帝国のままでは、朝鮮語や台湾語が日本語と共に、
公用語として認めるほど寛容性のある社会になるとは、ちょっと思えませんし。
ただし、現地語を話せないと、現実的に就職では少し不利になったかも?
いくら公用語使用だと言っても、使えない人が来れば現地語対応になりますので。
って、台湾では未だに、そんな感じなんですよねえ・・・・
人口の70%が台湾語(本省人)ですけど、公用語は13%の北京語(外省人)ですから。
同じ中国語とは言え、英語とドイツ語くらい違うとか言いますし。

続いて、「都市」の方面に関しては、
当時の時点で既に、朝鮮の「京城(現ソウル)」は大都市ですねえ。
さすがに、韓国の首都である現在と比べれば見劣りするでしょうけども、
それでも、東京・大阪・名古屋の3大都市圏に次ぐ規模になっていたでしょうね。
「満州国が無ければ」という仮定なら、朝鮮が大陸展開への拠点になるので尚更に。
日本と世界とを結ぶ拠点として、清津や新義州も発展していたんだろうなあ・・・・
あと、まあ韓国・台湾は別として、北朝鮮の一般庶民的に考えれば、
あのような現状なら、まだ日本統治下の方がマシだったかも知れませんけどね。
自由も権利も名誉も、多くの人にとっては、まずメシが食えてからの話ですし、
崔承喜にしても、金永吉にしても、帰朝した文化人は悲惨な目に遭ったらしいので。

まあ朝鮮も順調に発展が続けば、「平壌帝国大学」とか出来ていたかも?
既に外地では、朝鮮の京城帝国大学と、台湾の台北帝国大学がありましたので。
内地にも「東京・京都・東北・九州・北海道・大阪・名古屋」と帝大がありましたが、
京城帝大や台北帝大の方が、大阪帝大や名古屋帝大よりも早く出来てるんですよねえ。
それと、戦前の半島開発では、北部は工業重視・南部は農業重視だったので、
今頃、南よりも北の方が豊かだった可能性が、かなり高いかと思われます。
実際に1960年代までは、それも一因にあって、北朝鮮の方が韓国より豊かでしたし。
まあ、今ではちょっと想像が付かないですけどね・・・・

あとついでに、当時の朝鮮の繁栄ぶりが見て取れる、
「大正広重」と呼ばれた吉田初三郎の鳥瞰図↓を貼っておきます。
・京城 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50010.jpg
・平壌 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50013.jpg
・釜山 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50015.jpg
・仁川 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50012.jpg
でもまあ、私個人の趣味的には、
「プロ野球やJリーグのチーム配置がどうなっていたかな?」という方向を、
まず1番に想像してしまうんですけどね(笑)。
特に台湾の場合は規模が小さいので、なかなかプロ・スポーツが健全に育たず、
その辺りは1人のスポーツ好きとして、ちょっと悲しい面があるので・・・・
ただプロ・スポーツなら、アメリカとカナダなどは国を越えて、
野球・サッカー・バスケ・アイスホッケーの統一リーグを運営しており、
日韓台でも、不可能では無いんでしょうけどね(資金面などの話は別として)。
例えば2002年には台湾で、福岡ダイエーがプロ野球の公式戦を行っていますし。

って、話を戻し、外地ばかりでなく、大日本帝国が存続する大前提として、
「太平洋戦争が無ければ」という仮定が有ると考えれば、
(もっと言うと、大正デモクラシー的な社会のまま帝国の発展が続けば?)
内地では「大阪」の運命が、かなり変わったていたんでしょうけどねえ・・・・
戦中は軍事目的により、戦後は経済目的により、東京への一極集中が進められ、
その影響を最も受けたのが、経済力では東京に比肩していた大阪でしたので。
関東大震災の影響もあり、昭和初期の頃なんて、
東京市よりも大阪市の方が、人口的に多かったくらいなのに、
前述の都市人口を見ると、大阪だけ「0.82倍」とダウンしてるんですよ・・・・
外地に比べると、内地の行政単位(府県)が、細かく分かれ過ぎていた事もあり、
戦前には、現在の「道州制」にも通ずる「州庁設置案」がありましたので、
戦争が無く、これが実行されれば、州庁所在地である大阪は更に発展していたかと。

※ 1927年/内閣へ提出された州庁設置案 ※
・仙台州(宮城・青森・岩手・秋田・山形・福島)
・東京州(東京・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川・山梨・長野・新潟)
・名古屋州(愛知・静岡・岐阜・三重・富山・石川・福井)
・大阪州(大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山・徳島・香川・高知)
・広島州(広島・岡山・鳥取・島根・山口・愛媛)
・福岡州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島・沖縄)
ちなみに史実では、その後、戦時体制へと移行した事で、
経済目的での「州庁」分割から、軍事目的の「地方総監府」分割となり、
「北海・東北・関東信越・東海北陸・近畿・中国・四国・九州」に分けられました。
(当時は、北海道と南樺太を合わせて「北海地方」と呼ばれてました)
でもまあ、すぐに終戦を迎えたので、この分割が効果を発揮する事はありませんでしたが。
と言うか、今の日本にこそ「道州制」の議論が必要だと思うんですけどね。

それにしても、「行政単位」という観点から見てみると、
内地が「1庁3府43県」で、朝鮮が「13道」、台湾が「5州3庁」で、
その他に「樺太庁(後に内地編入)」と「南洋庁」と「関東庁」かあ。
(ちなみに戦前は、東京都ではなく東京府、北海道ではなく北海道庁でした)
う〜ん、本当に各地ごとでバラバラですね・・・・
これらを内地として同一に扱うとなれば、一体どういう仕組みにしたんでしょ?
(まあ、別にそのままで行けるのでしょうが、妄想する以上は弄りたい・笑)
朝鮮の「道」や、台湾の「州」は、それぞれ内地の「府県」に相当するとは言え、
そのまま府県に置き換えるには、道も州もちょっと大き過ぎますしねえ。
とは言え、1940年当時の北海道が人口327万人なので、無理ではないでしょうけども。
いっそ、北海道と朝鮮13道の「道」は同じモノとし、台湾には南北2道を新設とか?
(ちなみに「市・町・村」は、朝鮮では「府・邑・面」、台湾では「市・街・庄」でした)

でもまあ戦前は、中央から官選の知事が派遣されるほど中央集権的だったので、
地方統治の観点から言えば、却って大きい方が中央的には便利なのかな(笑)。
取り敢えずは北海道や樺太のように、府県よりも中央統制の強い「庁」を置き、
朝鮮の13道や、台湾の5州3庁を、それぞれそのまま支庁に移行して、
「朝鮮庁13支庁」「台湾庁8支庁」って所が、想像的に無難でしょうかねえ?
(やはり朝鮮単独では大き過ぎとなれば、南北で2庁に分ける手もありますし)
実際に樺太では、原敬が軍の「総督府」設置要求を退けて「庁」を置いてますので、
朝鮮総督府から朝鮮庁へ、台湾総督府から台湾庁へ移行させると。
ただ、70年も時間が経ち、朝鮮・台湾の内地化が進んでいるような世界なら、
地方自治の方も少しは前進して、知事の公選化や、庁から道への移行がされているかな?
それこそ「道州制」が導入されていれば、旧内地が州で、旧外地が道ですかねえ?

あと、もし「南洋群島」も内地化したなら、あそこはそのまま庁だと人口が少ないので、
大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁のように、東京府管轄の「南洋支庁」かな?
いや、でも樺太も北海道には組み込まず、そのままの形で内地に編入されているので、
こちらの方も、そのまま南洋庁として編入と考えた方が妥当かも?
人口に関しても、済し崩し的に日本へ併合される頃には、
更なる日本人移住者の増加で、人口も割合も増しているでしょうし。
まあ南洋群島は、国連の委任統治領という形ではありましたが、
史実でも、南洋群島の一部である北マリアナ諸島(サイパン島など)は、
戦後に日本からアメリカへ統治権が移ると、その後に自治領として編入されており、
更に日本の場合は、現地在住の日本人が既に過半数に達してましたからねえ。
当時の国連も、南洋群島を「Cランク(独立はまず不可能)」と見ていたので、
頃合いを見計らっての併合であれば、そこまで国際的な支障も無かったかと。
仮に住民投票を行われた所で、日本人の多さから、結果は自ずと明らかでしたし。

続いて「関東州」の方は、相手国も期限設定もある「租借地」なので、
史実のように、香港・マカオが中国に返還されているような世界設定なら、
こちらの関東州も、租借期限が切れる1997年には返還でしょうね。
史実では満州国からの租借に切り替えるので、満州国ありの設定なら解りませんけども、
ままそもそも、日本の大陸侵攻が無いとなると、中国の歴史も大変化を強いられるので、
中国自体がどうなっているのかも、再設定が必要になりそうですが・・・・
仮に「現状通り」で押し通しても、台湾が日本領なので中華民国は消滅扱い?
やはり深く考えて行くと、どうしても歴史経緯の設定は必要になりますよねえ。
中国共産党が天下を取らなければ、「魔都・上海」も存続していたのでしょうか?
あの頃の中国は、まさに「動乱期」と呼べる時代だったので、
日本以上に、様々な展開の可能性があったでしょうから。
「満州国」なんてトンデモない代物の登場も、その一部ですよねえ・・・・

って、こう書いていると、ネタとしては結構面白そうなのですが、
そうした設定の作品って日本では見掛けませんよねえ?(裏設定の作品はありますが)
まあ日本は支配した側ですし、「面倒事は御免」と避ける面もあるのでしょうけど、
「もし日本統治が未だに続いていたら」という映画の「ロスト・メモリーズ」や、
日本統治時代(1930年代)を舞台にしたラブコメ・ドラマの「京城スキャンダル」など、
韓国の方では、決してタブーなネタでは無いみたいですからねえ。
前回、活き活きとした戦前の日本として、大正末期から昭和初期の日本を書きましたが、
確かにその頃は朝鮮の京城などでも、欧米風のモダン文化が花開き、
当時を経験した朝鮮の人たちの文章を読んでも、その華やかさが伝わるんですよねえ。
まあ私は両作とも未見なのですが、題材的に抗日的描写は避けられないものの、
日本文化好きな制作陣が、「日本化された韓国」の描写に凝ってしまうなど、
再現部分の感想を見聞きすると、ちょっと興味が湧い来たりもします。
それにしても、ガンダム好きだという京城スキャンダルの監督は遊び過ぎ↓(笑)
http://www.kjclub.com/UploadFile/exc_board_61/2010/08/03/200911101756.jpg

ああ〜、もしも京城としての繁栄が続いていたら、
近江商人の呉服屋から、朝鮮を中心に満州・中国へと店舗展開して、
戦前の一時期には、三越以上の売り上げを出した「三中井百貨店」とかも、
今頃どうなっていたのでしょうかねえ?
吉田初三郎による「三中井を中心にした京城」の鳥瞰図↓
http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/2004kikaku/minakai.htm
ちなみに三中井百貨店は、終戦と共に店舗を全て失い消滅。
今では故郷の彦根市に、ケーキ屋↓が残るだけだとか・・・・
http://yumekyobashi.jp/shop/minakai/
って、終戦時の三中井2代目の事を調べてみると、
ヤオハンの2代目とかなり被る印象なので、どのみち消滅していたかも?
以上、興味ある人はきっと少ないとは思いますが、
先週の書き込みで広がった妄想を、ダラダラと書いてみました(笑)。


[14882] 追記:大日本帝国の都市人口返信 削除
2011/7/9 (土) 15:29:53 徳翁導誉

> ※ ちなみに1940年時の在日朝鮮人は119万人、1945年の終戦時には200万人超。
> ※ 在日台湾人の方は解りませんでしたが、恐らく5万〜10万人くらいかな?

ようやく資料を見つけましたが、思いっ切り外してますね(笑)。
1940年当時、内地在住の台湾人は「2万2499人」でした↓
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000003730485&releaseCount=1

◆ 1940年(昭和15年)の日本内地の人口内訳 ◆
 ・ 総人口:7311万4308人
 ・ 内地人:7181万0022人
 ・ 朝鮮人: 124万1315人
 ・ 台湾人:   2万2499人
 ・ 樺太人:      986人
 ・ 南洋人:      246人
 ・ 外国人:   3万9237人

※ ちなみに外国人の内訳は、人数が多い順に以下の通りです(1000人以上)。
※ 「中国:1万9453人」「米国:4755人」「満州:3787人」「ドイツ:2713人」「英国:1693人」
※ あと「樺太人」とは、アイヌが1932年に内地人扱いとなったので、ウィルタやニヴフの事です。
※ 樺太の内地編入(1943年)より前なので、恐らく大部分は北海道在住者だと思います。

で、今回の件を探して見つけた、過去の国勢調査の結果↓
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/users-g/kako.htm
戦前のデータなども見られて、なかなかに興味深いです!!


それとついでに、外地の『市(朝鮮は府)』を全て列記しておきます。
樺太は前回書いた豊原市(3.7万人)だけなので省略(後に内地へ編入されますしね)。

朝鮮(1944年/朝鮮国勢調査)
・ 京  城: 98.9万人
・ 平  壌: 34.2万人
・ 釜  山: 32.9万人
・ 仁  川: 21.4万人
・ 大  邱: 20.7万人
・ 清  津: 18.4万人
・ 新義州: 11.8万人
・ 元  山: 11.3万人
・ 咸  興: 11.2万人
・ 鎮南浦:  8.2万人
・ 光  州:  8.2万人
・ 海  州:  8.2万人
・ 大  田:  7.7万人
・ 開  城:  7.6万人
・ 木  浦:  6.9万人
・ 城  津:  6.8万人
・ 全  州:  6.7万人
・ 群  山:  5.8万人
・ 馬  山:  5.4万人
・ 晋  州:  5.3万人
・ 羅  津:  3.4万人
※ 後に府昇格:興南[18万人超] ※

台湾(1942年/日本内地外地市町村別人口表)
・ 台  北: 35.4万人
・ 高  雄: 16.1万人
・ 台  南: 15.0万人
・ 基  隆: 10.5万人
・ 嘉  義:  9.7万人
・ 台  中:  8.7万人
・ 新  竹:  6.2万人
・ 彰  化:  6.0万人
・ 屏  東:  5.9万人
・ 宜  蘭:  3.8万人
・ 花蓮港:  3.5万人

関東州(1939年/満州人口調査)
・ 大  連: 57.2万人
・ 旅  順:  3.3万人

満州(1938年/満州人口調査)
・ 奉  天: 78.5万人
・ 哈爾浜: 46.6万人
・ 新  京: 37.1万人
・ 撫  順: 21.7万人
・ 安  東: 21.0万人
・ 営  口: 15.8万人
・ 吉  林: 13.2万人
・ 鞍  山: 12.4万人
・ 牡丹江: 10.2万人
・ 斉斉哈爾:9.7万人
・ 遼  陽:  9.2万人
・ 佳木斯:  7.1万人
・ 四平街:  5.8万人  ※ 後に四平市と改称 ※
・ 鉄  嶺:  4.9万人
※ 後に市昇格:錦州・本渓湖・阜新・東安・通化・間島・公主嶺 ※


あと「内地」の方に関しては、市の数が多いので(終戦時には205市)、
『人口トップ30の市』を列記してみます。
大正から昭和・平成へと至る都市人口の変遷は、コチラ↓を参照してください。
http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/population/city%20population%20trantion.htm
明治の都市人口も知りたい方は、コチラ↓を参照してください。
http://arc.uub.jp/arc/arc.cgi?N=59

日本(1940年/国勢調査)
・ 東  京: 677.9万人
・ 大  阪: 325.2万人
・ 名古屋: 132.8万人
・ 京  都: 109.0万人
・ 横  浜:  96.8万人
・ 神  戸:  96.7万人
・ 広  島:  34.4万人
・ 福  岡:  30.7万人
・ 川  崎:  30.1万人
・ 八  幡:  26.1万人  ※ 後に合併して北九州市 ※
・ 長  崎:  25.3万人
・   呉  :  23.8万人
・ 仙  台:  22.4万人
・ 静  岡:  21.2万人
・ 札  幌:  20.6万人
・ 佐世保:  20.6万人
・ 函  館:  20.4万人
・ 下  関:  19.6万人
・ 和歌山:  19.5万人
・ 熊  本:  19.4万人
・ 横須賀:  19.3万人
・ 鹿児島:  19.0万人
・ 金  沢:  18.6万人
・   堺  :  18.2万人
・ 尼  崎:  18.1万人
・ 小  倉:  17.4万人  ※ 後に合併して北九州市 ※
・ 岐  阜:  17.2万人
・ 浜  松:  16.6万人
・ 小  樽:  16.4万人
・ 岡  山:  16.4万人


最後に、全部ゴチャ混ぜ(満州込み)で並べてみました(笑)。
並べてみたら良い感じゴチャゴチャなので、いつか動画化するかも?

◆ 大日本帝国の大都市ランキング ◆
 1 位. 東  京 【日本】: 677.9万人
 2 位. 大  阪 【日本】: 325.2万人
 3 位. 名古屋 【日本】: 132.8万人
 4 位. 京  都 【日本】: 109.0万人
 5 位. 京  城 (朝鮮):  98.9万人
 6 位. 横  浜 【日本】:  96.8万人
 7 位. 神  戸 【日本】:  96.7万人
 8 位. 昭  南 (南方):  82.2万人  ※ シンガポールを改称 ※
 9 位. 奉  天 (満州):  78.5万人
 10位. 大  連 (関東):  57.2万人
 11位. 哈爾浜 (満州):  46.6万人
 12位. 新  京 (満州):  37.1万人
 13位. 台  北 (台湾):  35.4万人
 14位. 広  島 【日本】:  34.4万人
 15位. 平  壌 (朝鮮):  34.2万人
 16位. 釜  山 (朝鮮):  32.9万人
 17位. 福  岡 【日本】:  30.7万人
 18位. 川  崎 【日本】:  30.1万人
 19位. 八  幡 【日本】:  26.1万人
 20位. 長  崎 【日本】:  25.3万人
 21位.   呉   【日本】:  23.8万人
 22位. 仙  台 【日本】:  22.4万人
 23位. 撫  順 (満州):  21.7万人
 24位. 仁  川 (朝鮮):  21.4万人
 25位. 静  岡 【日本】:  21.2万人
 26位. 安  東 (満州):  21.0万人
 27位. 大  邱 (朝鮮):  20.7万人
 28位. 札  幌 【日本】:  20.6万人
 29位. 佐世保 【日本】:  20.6万人
 30位. 函  館 【日本】:  20.4万人

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72