| ▼ 徳翁導誉さん
話を強引に変えます。
関心って、
ある物事に特に心を引かれ、注意を向けることでしょう。
私は注意を向けていますよ。
関心ではなく理解がないはずです。
理解の意味は、確か、
物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。
とか他人の気持ちや立場を察すること。でしょう。
私は筋道がおかしいはずなので、
関心ではなく理解の方の問題ではないでしょうか?
> > > 「政治だ、歴史だ」とよく言う割に、自分が気持ち良くなる道具としか見てない為、
> > > 政治や歴史そのものには本当に関心が無いですよね。
> > 人間が主体となって政治・歴史は動いていくわけですよ。
> > だから、道具でしょう。
> > 人間が主体なのですから・・・
> > それとも、歴史や政治に人間は従属すべきですかね?
> > それとも、多数の人間たちの行動の結果と言い換えますかね?
> > > 意識的にやってるのか、無意識なのか、その辺は解りませんが、
> > > とりあえず自覚してもらわないと、ぜっとこのまま噛み合わないままだと思います。
> > 意識的にやっているということかな?
> > 己の主張のための道具として。
> う〜ん、なんて言えば伝わるのかなあ・・・・
> 先日の東アジア杯で横断幕を出した韓国人にしても、いわゆるネトウヨにしても、
> 「歴史を学べ」とか、「政治を知れ」と口癖のように言う人間に限って、
> 歴史や政治は、自分を気持ち良くする為だけの道具でしかなく、
> 歴史や政治そのものには関心が無いというパターンが多くないですか?
歴史とか政治って道具ではないの?
> 要するに、その「学べ」とか「知れ」という言葉の実態は、
> その発言者にとっての「都合が良い解釈」を受け入れろという事と同意な訳で、
> 現実的に、その解釈に間違があろうが何があろうが、その事自体には興味が無く、
> だからこそ、その根拠はコピペやらイメージやらだけで十分ですし、
> 根拠部分の間違いを指摘した所で、聞く耳を持たないから同じ事を繰り返し続けると。
・・・・・・・
新しい解釈を求めているだけでは?
無論、それが世間に受け入れられるかは別の話ですが。
>
> そりゃ、その人にとってみれば、自慰用の道具として使えれば十分な訳で、
> その中身が合ってるとか間違ってるとかは、正直どうだって良い事なのでしょう。
> しかし一方で、道具にされる側からすれば、そうした身勝手さは堪ったモノではなく、
> その人が気持良くなる為の行為が、他の誰かを傷付ける行為となります。
社会って他人が他人を傷つけあうものではないですかね?
そもそも、我々は他人同士であり、
完全に理解しあうことは不可能です。
他人とこうやって意見をぶつけ合わなければ、
人間として成長出来ないはずです。
> でもまあ、これが「他人を傷付けても、自分が気持良くなれれば良い」と、
> 自覚した上で確信的に行っているのであれば、まだマシな方なのですが、
> 多くの場合、加害者である責任から逃れようと、意識的にせよ無意識にせよ、
> 何やかやと理屈を付けようとしたり、気付かぬ振りをしたりと、更に間違えを重ねます。
> 当人はそれで誤魔化せたつもりになれても、相手側はそれで更に傷付くんです・・・・
認識の差です。
人間の自然状態って闘争状態ではありませんかね?
個人の能力はほかの個人を完全に従属させるほどにはないために、
万人の万人に対する闘争とかいうことになるかなと。
つまり、人は永遠に他人を傷つけあうのです。
無論、他人からも永遠に攻撃され傷つけられるのです。
文明社会になっても、個人間の争いが絶えないのがその証明ではないでしょうか?
無論、人と人同士で傷つけあわないのがいいですが、
それは、ユートピアみたいな空想世界、「自作の空想世界」が築かれない限り、
不可能でしょう。
> いつだったか聖職者さんは、「自分はネトウヨなんかとは違う!」とおっしゃいましたが、
> 確かに主張は「嫌韓反中」では無いので、そういう意味ではネトウヨとは違いますけども、
> 一方で、その思考パターンと言うのが、上記のようなネトウヨそのものなんです・・・・
人間が自己の幸福を追い求めるために有りと有らゆるの手段を追い求めるのは、
生物としての本能ではないかと私は思います。
無論、それが正しいのかはわかりませんがね。
> 「嫌韓反中」と唱えなければ、在日も、韓国も、中国も、ひいては日本の国際的評価も、
> 傷付けなくても済んでるかも知れませんが、道具として使った別の所でそれが生じてるんです。
> 逆に言えば、その層の大部分には、「嫌韓反中」ですらも道具に過ぎず、
> 心の奥底では、在日にも、韓国にも、中国にも、日本の事さえも興味が無く、
> ただただ自分が気持ち良くなれて、団結する楽しさを味わえれば良いというのが多数派かと?
道具は結局は道具でしょう。
それ以上、それ以下のものではないです。
手段が目的にとって代わられては本末転倒です。
> そういう意味では、失われた20年におけるネトウヨと呼ばれる層の本質部分は、
> 戦前の軍国少年や、戦後の学生運動、バブル期の新興宗教に被るような気がします。
> そして聖職者さんは、そうした時代上の解り易い旗印に飛び込むのは嫌みたいですが、
> しかし、その代わりの旗が「自作の空想世界」では、同調や団結を得るのは現実的に無理ですよ。
いや、私はそれらを理解できないわけでして、
それに、「自作の空想世界」なんか旗にしていません。
結局は道具ですよ。
私がほしいのは旗ではなく、物事をできれば正しく理解するためのツールなのです。
あまりに世の中において、同じもの、ことについてもいろんな解釈があって、
どれが正しいのかわからないのです。
本当に。
> だからこそ、安易に同調を得たいのであれば、「嫌韓反中」の旗に下るのが最も手っ取り早いですし、
> そんなのは嫌だとなれば、ネトウヨと同じ思考パターンを捨てる所からやらないと始まりませんし、
> それも嫌だとなれば、同調を得ようとするのを諦めるしかありませんし、
> 全て嫌だとなれば、空回り続けるしか無くなると思いますよ・・・・
> この事に関して、夢のような解決手段など、恐らく存在しないでしょうから。
夢のような解決手段を追い求めるだけです。
でなければ精神が崩壊してしまいます。
というか、どこで自説を曲げればいいのやら。
妥協点が見えないです。
最初から間違えているとしても、
その最初の点が見えないのです。
> > > 正直な所、イスラム圏には民主化が遅れている地域が多い事は事実です。
> > 民主化がイスラム圏の進む先ですか?
> > 民主主義が最終的な勝利の証でしょうか?
> その「進む先」というのが、歴史的な意味なのか、政治的な意味なのかは解りませんが、
両方の意味です。
> 歴史的な流れの方向性で言えば、上手く行くか否かは別として、
> やはり民主化の方向へは流れて行くと思いますよ。
行くのか。
それでイスラム圏が今よりも平和になるといいですが。
イスラム圏の話から外れますが、民主主義の次は、
これから人口の割合を増していくであろう、高齢者層による民主主義的な支配、
資源不足からの効率的な資源配分のためのコンピュータによる統制社会、
資源不足からの効率的な資源配分のための改良された社会・共産主義
迷走の挙句の軍とか警察による支配、
などによって人類は支配されていくと私は考えています。
徳翁導誉様は人類は民主主義で政治体制の選択を終えると考えておられますか?
> そしてそこには、勝利だの敗北だのと言うモノは存在せず、あるのは結果のみです。
> 歴史の結果に勝敗を付けるというのは、個々人の主観に基づいた評価にしか過ぎません。
歴史は結果論ということですか?
>
> > > 例えば管理人である私の存在に関して、本当に実在すると100%断言できますか?
> > できますよ。
> > 実際にこうして書き込みをされている管理人様がいますからね。
> > この場合は真偽は別にしてね。
> ひょっとしたら、この文章を打っているのも、
> 「Bot(ネット上で書き込みを行う自動プログラム)」かも知れませんよ?(笑)
> 書き込みがある事と、書き込んだ人が居る事とは、イコールではありません。
私は極論者で申し訳ないです。
それでもかまわないと一瞬思いました、
申し訳ありません。
> > > ネット上において、「徳翁導誉」を名乗る私個人を100%で特定する事は実質できません。
> > 特定する必要はありません。
> > この掲示板に「徳翁導誉」を名乗る書き込みがあれば名乗る人物はいると断言できますから。
> > 名乗る人物がいれば私としては解釈上の問題はありません。
> と言う事は、私の名前を騙る荒らしが出てきても、それは私だという事ですね。
真偽を確認するすべがないですから。
それこそ、「自作の空想世界」という道具、ツールで処理するしかないです。
> > > そうなると、聖職者さんの理論では、この世は私が存在しない世界になっちゃいますね。
> > なので問題はありません。
> > 暴論で申し訳ない。
> まあ結局、私が何を言いたいかと言うと、
> 聖職者さんは「全ては有るか無いかに分けられる」と言われますが、
> その「有るか無いか」の判断基準そのものが、聖職者さんの中にあるモノなので、
> 他の人からすると、「聖職者さんの中ではそうなっている」としか映らないという事です。
> 「それでも構わない」と割り切った上でやっているのなら良いのですが、
> 「同意を得たい」と思っているのであれば、まずはそこから改めないと始まらないと思いますよ?
そのように見えるのですか?
自覚していませんでした。
有る無いってそこまで難しいですか?
まあ、認識できるものが有る、できないものは無いという解釈をしているから、
結局はお前の中でそうなっているだけとかいうことになるか。 |
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