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[18314] Re2:箱庭ゲームについて返信 削除
2013/9/6 (金) 20:39:26 徳翁導誉

> > > 多人数で行う箱庭開発ゲームというのも、何だか面白そうですね(笑)。
> > > 地権者プレイヤーが土地を売ってくれず、あと少しなのに鉄道が開通できないとか、
> > > その土地に立つ商業施設にチンピラを送り込み、嫌がらせをして強引に土地を取得するなど、
> > > 1つのマップを多人数で共有すれば、開発する楽しさだけでなく、競争する楽しさも出てきますしね。

> > 面白いですねえ・・・
> > とゲームのほうになってしまいましたが。
> > 箱庭諸島もそこまで行ってないですから面白いと思います。

> 資本家(開発する人)以外にも行政を出してほしいですね。
> チンピラ送り込みを取り締まったり、
> 開発許可を下さないとかで資本家をいじめつつ、政治をほしいままにする人々。
> で資本家は賄賂で議会をたぶらかして、行政に嫌がらせするみたいなシステムが好きです。

扱う舞台が都市なのですから、政治と言っても地方政治になりますし、
その単位になると、土建屋の社長と地方議会の議員が同一人物なんて構図はザラです(笑)。
ですから、仮にそうした政治面の要素を入れるにしても、
不可分と言いますか、そこをわざわざ分ける必要は無いと思いますよ。
それに、仮に開発プレイヤーと政治プレイヤーを分けたとしたら、
政治プレイヤーだけでどうゲームを成立させた上で、
開発プレイヤーとどう絡ませるかという、明確な形が必要となります。

でもまあ、「架空都市」の世界というのは、
なかなかマニアックな分野ながら、実は結構奥深いモノでして、
歴史上のifを元に展開した「新樺太市」にしても、
http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/top.html
全てを空想で作り上げた「中村(なごむる)市」にしても、
http://imgcity.chirijin.com/?page_id=142
「よくぞ、ここまで作り込んだなぁ」と感心させられます。
鉄道オタクが行う「架空鉄道」なんて、この分野で言えばメジャーな存在ですが、
世間一般からすれば、全くの理解不能な趣味なんですよねえ(笑)。

逆に考えると、舞台としてはどの辺が無難なんでしょ?
全てが完全に架空か?(ランダムに地形を造成して始めるシヴィライゼーション風)
実在する土地に空想の街を作るか?(北方領土などに新都市を建設するノリ)
本当の都市を舞台にするのか?(京都や札幌など、実在する何処か特定の都市を再開発)


P.S.
ここで話が止まってしまうと、何だか誤解を呼びそうなので、
日本の都市について、最低限の追記をしておきますと、
ショッピング・センターにもデメリット面はあり、商店街にもメリット面はあるので、
現状の無計画な拡大傾向が「最適解」とは述べていないという事だけ、一応書いておきます(笑)。

あと、今度の土曜夜10時から、NHK-BS1で「北京大渋滞」という番組があるらしいです。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130907-11-29613



[18317] Re3:箱庭ゲームについて返信 削除
2013/9/6 (金) 22:09:16 伊豆大島のキョン

すべて架空の方が無難なのでは?
というかその方が私は面白いと思います。

追記
というより私は日本が舞台じゃないほうが魅力ですね。
あの麻薬王パブロ・エスコバルやラッキー・ルチアーノ
のような犯罪シンジケートプレイもしてみたいですから


[18318] 商店街とショッピングセンター返信 削除
2013/9/7 (土) 13:19:58 チルノ

確かに商店街にも郊外型ショッピングセンターにも、利点と欠点はあると思います。
しかし、私が住んでいる市にも両方ありますが、商店街は閑古鳥。郊外型ショッピングセンターは、休日になると駐車場と客でいっぱいです。

市は商店街を盛り上げようと何度も企画をし多額の予算と何十年もの時間をかけましたが、全く効果が上がりませんでした。
ただ多額の負債と維持費のかかる施設が大量に残っただけ。
時代の流れに逆らって商店街を延命しようとした事に何の意味があったのかと思っています。

商店街とショッピングセンターは、商売は弱肉強食ではなく適者生存である。の分かりやすい例だと思います。
どちらが適しているかはすぐ分かると思いますが、強い方は商店街でしょう。
なにせ、市を動かして多額の金まで出させ自分たちに有利なように法律まで作らせるのですから。こんなこと、ショッピングセンターには無理ってものです。
そこまでしても勝てない。勝てなくてもかまわないんですが、自身の衰退が止まらない。それは、時代と都市の変化に対応できなかった者の残骸のように感じます。


強者である商店街がなぜ時代に適して行けなかったか
・地権者が土地を譲らず再開発が困難。
・車での移動が基本の地方都市において、歩行者を客としている。昔は地方都市でも徒歩・都市交通機関での移動が基本だった。


ここまで書いておいてなんですが、商店街の利点って何だろう・・・・・


[18330] Re3:箱庭ゲームについて返信 削除
2013/9/9 (月) 08:22:13 ヌルドリ


> 逆に考えると、舞台としてはどの辺が無難なんでしょ?
> 全てが完全に架空か?(ランダムに地形を造成して始めるシヴィライゼーション風)
> 実在する土地に空想の街を作るか?(北方領土などに新都市を建設するノリ)
> 本当の都市を舞台にするのか?(京都や札幌など、実在する何処か特定の都市を再開発)
>

マップの作り方やゲームのシステムによって、
上記3つのうち何が良いかは変わると思います。
ただ、マップによって傾向を分けるとかでない限りは、
海や山や川や平地が丁度よく自然に配備される方法が開発のし甲斐がありそうに見えます。
ランダム造成の場合、
civやsimcityでランダム造成した土地を
そのまま真似て持ってくる手もあるかもしれません><
両者とも、ある程度は自然に即した地形になってるらしいです。


[18356] 箱庭ゲームの話と、商店街やショッピングセンターの考察返信 削除
2013/9/13 (金) 21:07:41 徳翁導誉

> > > 逆に考えると、舞台としてはどの辺が無難なんでしょ?
> > > 全てが完全に架空か?(ランダムに地形を造成して始めるシヴィライゼーション風)
> > > 実在する土地に空想の街を作るか?(北方領土などに新都市を建設するノリ)
> > > 本当の都市を舞台にするのか?(京都や札幌など、実在する何処か特定の都市を再開発)

> > すべて架空の方が無難なのでは?
> > というかその方が私は面白いと思います。
> > というより私は日本が舞台じゃないほうが魅力ですね。
> > あの麻薬王パブロ・エスコバルやラッキー・ルチアーノ
> > のような犯罪シンジケートプレイもしてみたいですから

> マップの作り方やゲームのシステムによって、
> 上記3つのうち何が良いかは変わると思います。
> ただ、マップによって傾向を分けるとかでない限りは、
> 海や山や川や平地が丁度よく自然に配備される方法が開発のし甲斐がありそうに見えます。

架空舞台となれば、それこそ以前構想された
「オイル共和国」みたいなノリですかねえ?(笑)
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r14100
元ネタであるフンタも、「バナナ共和国」という架空国が舞台でしたし、
http://pohwa.adam.ne.jp/31/game/JUNTA.htm
http://www.d4.dion.ne.jp/~shujyuya/Game/junta.html
あのゲームは、私腹を肥やす事が目的の政争ゲームでしたが、
そこに箱庭マップを用いる事で、予算や権限を私的流用しつつ開発を行えると(笑)。

> ランダム造成の場合、
> civやsimcityでランダム造成した土地を
> そのまま真似て持ってくる手もあるかもしれません><
> 両者とも、ある程度は自然に即した地形になってるらしいです。

地形のランダム生成は、そこまで難しいモノでは無いですよ。
実際ここのゲームでも、「征服王オンライン」↓で実用してますからね。
http://www.geocities.jp/kako_log17/conqueror/ichiran.html
まあ征服王は「13×11マス」なので、地形表現として乏しくは見えますが、
マス数をもっと増やし、4角形マスから6角形マスにすれば、より自然に見えるかと。
って、開発をメインに据えるなら、6角形マスより4角形マスの方が見易いのかな?


> > ショッピング・センターにもデメリット面はあり、商店街にもメリット面はあるので、
> > 現状の無計画な拡大傾向が「最適解」とは述べていないという事だけ、一応書いておきます(笑)。

> 確かに商店街にも郊外型ショッピングセンターにも、利点と欠点はあると思います。
> しかし、私が住んでいる市にも両方ありますが、商店街は閑古鳥。郊外型ショッピングセンターは、休日になると駐車場と客でいっぱいです。
> 商店街とショッピングセンターは、商売は弱肉強食ではなく適者生存である。の分かりやすい例だと思います。
> どちらが適しているかはすぐ分かると思いますが、強い方は商店街でしょう。
> なにせ、市を動かして多額の金まで出させ自分たちに有利なように法律まで作らせるのですから。こんなこと、ショッピングセンターには無理ってものです。
> そこまでしても勝てない。勝てなくてもかまわないんですが、自身の衰退が止まらない。それは、時代と都市の変化に対応できなかった者の残骸のように感じます。
> ここまで書いておいてなんですが、商店街の利点って何だろう・・・・・

商店街の利点となると、まず第一に「身近さ」でしょうね。
逆に言えば、小売店に適者生存が課せられる現状にあるのであれば、
それは一方で、消費者に対しても適者生存が課せられる事となります。
要するに、「買い物難民」の発生ですね。
ある意味で、買い物難民とは、交通弱者と同じような層と言えるかも知れませんが、
既に日本の人口は、およそ3人に1人が60歳以上であり、
その比率は今後さらに増していきますから、今のままで必然的に交通弱者は増えて行くでしょうし、
近郊の店が潰れ、自動車でしか行けない郊外店が増えれば、買い物難民も増える可能性が高いです。
これがまだ、過疎化が進む限界集落とかの話であればまだしも、都市部でも起きてる話ですからねえ。
それを解消するのに、交通面を改善したり、通販を活用させたり、
もしくは買い物難民の事は切り捨てたりなど、政策面で語るなら様々ありますが、
ここでは小売店の話に限定するなら、「いかに近郊の店を維持させるか」ですよね。
そう考えた場合、チェーン展開のスーパーよりも、商店街の方がその地に密着していると。
そこから生じる人の「繋がり」とかも有りますが、一方でそれは「しがらみ」という側面も持つので、
その事に関しては、特にここで私は対象としません。

そもそも商店街の歴史を辿れば、実は一般的に思われている程、このシステムの歴史は長くありません。
戦前の日本では、食べて行けなくなった零細農家が、地方から都市部へと大量に流入するのですが、
その多くが少ない元手で始められる零細小売業者になる事で、流通は混乱して、消費者への供給も滞ります。
そこで、安定した価格で、安定した量を消費者に供給できるよう、公設の市場が作られるようになり、
許認可を得た小売業者がそこで商売を行ったのが、現在の商店街の源流だったりします。
そしてこれが、戦争による効率的な物資配給のシステムが求められるようになると、
適当な間隔で市場が設置され、販売業種も均等に配分されるよう、小売業者の移動や転業も行われます。
ここで商店街の基本的な原型が誕生し、街の生活インフラとして機能し始める訳ですが、
戦後になると、地方から流入する集団就職組も一気に増加する一方で、
工場などでの求人には限界がある為、戦後でも半分くらいは小売業を始めとした第三次産業に流れていき、
生活や収入の安定をもたらす面からも、商店街というモノが各地に隈なく作られて行く訳です。
高度成長の時代、収入に対する課税対象は、源泉徴収されるサラリーマンが9割、
小売業などの自営業者が6割、農家が4割と言われ、サラリーマンが弱者と見られる面もありましたが、
収入の少なさや不安定さを考慮すると、そうした差を付ける事でバランスが取られ、
「一億総中流」と呼ばれる社会を実現できていた面も、一方で確かにあるんですよね・・・・

ただその後、労働人口に占めるサラリーマンの比率が5割を越えた辺りから、
様々な働き方に配慮してバランスを取るのではなく、サラリーマン世帯を考え方の基準とする方向に移ると、
もともと「持ちつ持たれつ」で埋められていた差が顕在化するようになり、
更には基準的な世帯から外れた為に、サラリーマン優遇政策の恩恵が与えられず、
ドンドン苦しくなるからこそ、身を守る為の規制の維持や強化に固執し、
そうした行動が却って、多くのサラリーマン世帯を含む消費者側のから反発を受けるようになります。
19070年代の頃から登場し出した、ダイエーを始めとしたチェーン展開のスーパーに対して、
出来るだけ出店できないように「抵抗勢力」と化した事が、商店街の印象を悪くした決定打だったんでしょうね。
小売業者からすれば自分たちの生活を守る為ですが、消費者からすれば悪者以外の何物でもないですから。
だからと言って、社会全体から見れば、「強い方は商店街」とも一概に言えないと思うんですよね、私は。
例えば、サラリーマン優遇政策として行われた配偶者控除により、パートの出る主婦は高い時給を求めず、
その事によって小売業の人件費を一気に低下させ、それで生活を営む自営業者を多いに苦しめますが、
サラリーマン層には、消費者としての被害者意識はあっても、そういった側面での加害者意識は皆無だったかと。
行政から商店街に出される金は目に入り易くても、自分の働く会社に出される金は目に入り難かったりもしますしね。

で、その後、アメリカからの外圧を受けて、大型店の進出条件が緩和されたり、
公共工事によって、バイパス道路や幹線道路なども多く作られる訳ですが、
バブル崩壊で工場や住宅の建設が鈍化し、郊外の土地が余るようになると、
そこに大型のショッピング・センターが次々と作られるようになります。
そのキッカケは1980年代ですが、形として見えてくるのが2000年代ですね。
まあ私個人は、そうした大型のショッピング・センターにはほとんど関心が無かったのですが、
一昨年、映画を見る為にショッピング・センターへ行った時に、あまりの巨大さに本当に驚きました!!
その驚きのまま、すぐに情報を調べて作ってみたのが、この動画ですね。
「巨大ショッピングセンター 都道府県ランキング」
http://www.youtube.com/watch?v=amnIFcnjuEQ
百貨店もそうであり、商店街もそうでしたが、ああいう場所は単に商品を得るだけではなく、
その空間自体が、1つのテーマパークとしての「娯楽性」という側面を含んでおり、
ショッピング・センターというのは、そういった意味では、現状でその極致にあると感じましたね。
という事で、個人的な事を言えば、ショッピング・センターというのは結構好きです(笑)。
ただその半面で、商店として最も大事な「商品の供給」という面では、言い表せない怖さも同時に感じたのも事実です。

商店街にせよ、スーパーにせよ、ショッピング・センターせよ、
商品を販売するという行為が、ビジネスであるのは紛れもない事実です。
しかしその一方で、生活必需品の供給するという、大事な生活インフラでもあります。
ですが、販売組織としての規模が大きくなればなるほど、ビジネスとしての側面が強くなり、
消費者に対する生活インフラを担う責任というのは、反比例して低くなる面はあると思うんです。
3・11の際なども、地域と密着し、小回りも利き易い商店街というのは、
避難生活における物資供給の役割を担ったり、地域復興の先駆けになるなどしましたが、
システム的な流通に頼り、従業員に決定権や義務感が薄く、
地域住民からの支援も受けにくい大型店舗は、そうした役割を担えませんでした。
もちろん、これは非常時だからこそ大きく目立った訳ですが、
それが静かにジワジワと進行したモノこそが、「買い物難民」の発生だと思うんです。
何かもう、ここまで利便性と効率性が追求されると、うまく回っている内は見えてこない、
奥に潜んだ「生活インフラとしての店舗の脆弱さ」が見え隠れしているように感じ、
商店街だとか、スーパーだとか、その形式には拘りませんが、原点回帰が必要な気がするんです。

確かに、既存の商店街というのは衰退と共に、既得権を守ろうとする抵抗勢力に化した面はあると思いますし、
店舗と住宅が一体化し、核家族化が当然となった現代では、店主の世襲化も困難です。
それに現実として、店を閉じてシャッター通りと化した商店街は数知れませんし、
酒屋や米屋などがコンビニに転業する事で、その1店舗で「ミニ商店街」を作り出してしまい、
24時間営業と豊富な商品量により、内側から商店街を壊していった側面もあります。
正直言って、今のような形での商店街の存続というのは、
数え切れない程の消費者を抱える、よほどの大都市以外では困難だと私は思います。
とは言え、駅前の大型店舗が撤退し、その裾野に広がる商店街も潰れ、
駅前が閑散として空洞化している様は、物哀しさがあるというだけでなく、
街の作りとして非常に非効率であり、それこそ買い物難民を量産し易い下地を作ってしまいます。
そうした状況が良いかと言えば、決してそのようには思えませんね・・・・

とりあえず、こんな話↓も出て来ているので、どうなるか注目はしたい所です。
『東日本大震災:イオン「実験」陸前高田、釜石中心部に出店』
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20130824k0000m020154000c.html
イオンのダイエー子会社化により、従来の郊外店だけでなく、
駅前店の経営も始めれば、また違ったモノが見えて来るかも知れませんし。

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