| > 民族を語るうえで「血」がよく持ち出されますが、
> 私の感覚だと民族って自然科学的概念ではなくてあくまで社会科学的な概念だと思ってます。
> さらにいうと相対的なものだとも思っています。
> 私の民族のイメェジは端的にいうと
> 「この人なら同類とみなしてもいいと思う人の意識の集合体=自分たちのコミュニティ(社会)の構成員」
> だと思っています。
> で、当然見た目や言葉が大きく異なり、血縁関係も遠かったりすると
> どうしても同類と思い難い面があるので別民族とお互いに扱ってしまうだけだと思います。
まあ大雑把に言うと、「民族」というのは「文化」で繋がる集団の事で、
「血統」で繋がってるのは「人種」ですからねえ。
とは言え、文化を共有する母集団というのは、血統の繋がりで構築されてる事が多いですので、
民族と血統は不可分では無いものの、密接にリンクしている事柄だとは思います。
そこはやはり、「民俗」ではなく「民族」ですので(笑)。
> 要はこういった要素は民族判断の材料であって
> たとえアメリカに住む黒人と白人でも社会的に自分たちが「同類」だと思っていれば、
> それはアメリカ人という民族でいいと思います。
> もちろんそれはあくまでアメリカ社会内部の話で外の人たちが
> はたしてそう思うかどうかというのはまた別問題だと思いますが。
そこまで行くと既に、「民族」という単語の概念の話になって来るように思います。
民族を「文化を共有する集団」と定義した場合、
ここでの文化の主な構成要素は、言語であったり、宗教であったり、歴史であったりする訳ですが、
まあ結局は、それぞれ社会的に定義された文化グループへの「帰属意識」の話なんだと思います。
なので、本人がそこに属していると考え、他人もそう見ていれば、それがその人の民族でしょうし、
言葉を言い換えるなら「同類」という事でもあるでしょうから、その見方は変わらないような気がします。
ただし、同じようなグループを形成していても、文化が主なのか、集団が主なのかで、事情は異なり、
個人的には、文化が主なのが「○○民族」で、集団が主なのが「○○人」という区分をしています。
それで「アメリカ人」の場合、オバマは大統領選の勝利演説で、
「黒人も、白人も、ラテン系も、アジア人もない。あるのはアメリカ国民だけだ」と言いましたが、
そう発言するという事は、現状ではそうでは無いという事であり、
「同類」つまりは「アメリカ民族」とまで呼べるか否かは、また別のように思います。
血統を越えての民族意識を構成している話なら、フランスの方が進んでいるかも知れませんね?
まあフランスは、血統主義より文化主義で、同化政策を行う国ですからねえ。
> 蛇足なんですけれど、依然黒人は白人社会(狭義のアメリカ社会)に同化しようとして
> 戦ってきた歴史がありまた現在もそうあるので
> ある程度アメリカ社会の構成員とみなされているようですが、
> アジア系移民は母国の文化を保持し続け、アメリカよりも母国に愛国心があるようにみえるため
> アメリカ社会の構成員として扱われにくいという話を耳にしましたが
> こういったことも私の民族感に合致する事例なのではと思います。
う〜ん、黒人とアジア系の同化具合の差というのは、そのまま歴史の差なんじゃ無いですかねえ?
移民も3世4世と深まるにつれ、一般的に同化の度合も深まると思うので。
それに「同類」となるには、自分がそう思うだけでなく、他者からもそう思われなければならない為、
自分が望むという事以上に、他者から認められる事の方が、ハードルが高いように感じます。
で、その高さを克服するスピードというのは、黒人よりアジア系の方が速いように思うんです。
まあ結局の所、認められるの必要なのは、物心両面の豊かさでしょうから・・・・
アルゼンチンとウルグアイを除く南米のようにゴチャ混ぜにならないと、人種の壁は越えにくい気がします。
ただ、黒人やアジア系の同類化(=白人側の許容)が進む事があるとすれば、
それはラテン系人口の急増が、現在の白人中心社会を脅かす時でしょうね。
言い方は悪いですが、敵が現れれば、味方を増やそうとするのが人の世の常なので。
カトリックとプロテスタントで宗派が違うだけでなく、スペイン語と英語で言語も違いますし、
少数だから独自の社会を築くアジア系とは異なり、ラテン系は社会ごと移ってくるのに近いですからねえ。
そのうち、スペイン語がアメリカの公用語になる日も近いかも?(笑)
でもまあ、人種の壁が薄まり、スペイン語まで取り込んだ「アメリカ」というのも、面白そうですが。
> 次に相対的ですが、これは民族の範囲が 立場によって変わってしまうという意味です。
> 明治以前の日本はぼんやりと日本人意識はあってそれを外国に対しては主張していたでしょう
> しかし、対内的には会津だとか薩摩だとかの自分の出身藩の構成意識というものが強かったと思います。
> それが戊辰戦争以降の国民国家形成の段階で徐々に解体されていったものと思っております。
> そうすると外国に対しては日本人、日本人同士では薩摩人といった使い分けが存在しているように見え、
> こういったことで相対的といえるものです。
> もっともこの薩摩人だとかは狭義には民族に当たらないとは思います。
> 民族意識に類似した(つまり自己と他者のコミュニティを区別するような)
> 意識傾向であることは否定できないと思います。
その辺は、民族より一回り小さい部族や氏族の範疇でしょうね。
(部族や氏族という単語には、現在だと「未開な」というイメージが付いてしまってますが)
とは言え、藩が国家であり、日本が世界であった時代であれば、
薩摩だ、長州だ、会津だというのを、その時点では民族的に捉えても良いかも?
・・・って、こういう普遍的な話をする場合、
島国という日本の特殊性は、ちょっと理解を難しくしますよね。
大陸では近代以降に政治的に引かれた線が、日本では海によって既に物理的に引かれていた訳で、
明確に意識するか否かは別として、内と外の感覚は古くから備わっていた一方、
だからこそ、人為的に線を引いて区分けする感覚を、どうも理解し難いと・・・・
> 近年では縄文系・弥生系といった区別も民族類似の意識であるといえます。
その2系統の混血により、大和民族の原型となる弥生人が生まれる訳ですが、
縄文系(先住弥生人)と弥生系(渡来弥生人)くらい異なると、
もう類似というか、そのまま「民族」って言っちゃても良くありませんか?
現代では、政治の都合で民族が分類される傾向があるとは言え、
政治的背景が働かなければ、民族を分類できないって訳でも無いですしね。
> 付け加えると民族って非常に政治的なものでもあるんですよね。
> モルドヴァ人はルーマニア人とほぼ同一でラテン系でしたが、
> ソ連が占領した際ラテン意識をとるためにキリル文字を導入して
> モルドヴァ人という民族意識を植え付けてルーマニアから切り離しました。
それでも、ルーマニア人とモルドバ人は別の民族ですかねえ?
確かに現状でルーマニアとモルドバは別の国ですし、それを強調する為の政治的背景から、
「ルーマニア人ではなくモルドバ人であり、ルーマニア語ではなくモルドバ語である」
というスタンスを打ち出してますが、この程度はその時々の損得勘定次第だと思います。
セルビアとモンテネグロの関係なんかと似ているかも知れませんね?
ですので個人的には、ルーマニア人とモルドバ人としては別々だが、同じルーマニア民族であり、
仮に別民族として見るにしても、それは状況次第で変わり得る帰属意識に依っているという見方ですね。
まあ言い換えれば、その小さな帰属意識の差を生んでいるのが政治的要因なので、
結局のところ、言わんとしている意味は同じなのかも知れませんが(笑)。
> ですから民族という概念は意外と適当なんじゃないかなと思っております。
> 19世紀の民族国家の時代(それ以前は民族という確固とした意識さえあったかどうか微妙ですが、
> 同族意識はあったと思います。)時代はこれはこれで自治を促す面で有用だったのだけど
> 現代においてそれほど民族が重要かという問題もあります。
まあ、最も端的な例が、中東や中央アジアといった遊牧文化の世界でしょうね。
さすがに、国境線がくっきりと引かれてしまった現代では、状況も変わってきてるでしょうが、
それ以前まではずっと、くっ付いたり、離れたりという感じでしたので・・・・
(国家や民族より宗教を重んじるムスリムの理念には、こうした遊牧文化が強く影響してるかも?)
国民や国民国家という概念が近代の産物であると同時に、民族という概念もまた、
国民や国民国家の誕生と共に、漠然とした区分けから、明確な区分けされるモノへと変化し、
その明確さの元となる線こそが、政治的背景から人為的に引かれたモノでしたらねえ。
そういう意味では、「人為的」を「適当」と言い換える事も、そこまで不自然では無いと思います。
要するに、陸上に国境線を引くのと同じような行為ですから。
> 私にしてみれば白鵬だってもう日本民族でいいと思いますし。
う〜ん、私も個人的に「日本語を話す人=日本人(ここで言うなら同類)」に見えちゃう為、
例えばラモスなどを見てても、「そう言えば、ブラジル出身だっけ!?」と改めて思ったりするのですが、
(見た目は全く意識せず、意思疎通が出来るかで分けて見てるので、「おかしい」とよく言われます・笑)
その見方で行くと、白鵬は完全に私の中で日本人扱いになっているのですが、
しかし、白鵬が日本民族かと言われると、インタビューの中でモンゴルへの思いが強く滲み出る事があり、
将来的には帰化して日本に永住するのでしょうけど、心の奥底の帰属意識はモンゴルにあると感じるので、
「白鵬は日本人」とまでは言えても、「白鵬は日本民族」とまでは言えませんね、個人的には。
> そのほかに小笠原諸島も米国の占領期を除いても一時的に植民地になってましたね。
広義の植民地ではありますが、小笠原は無人島でしたので、「入植地」の方が適当かも?
日本にも少数ながら欧米系の先住民族が居るのは、小笠原に入植した彼らの末裔が居る為ですね。
> 維新政府で話はそれますが、いわゆる薩長土肥だと長州っていまいち人気ないですよね。
> まあ判官びいきの日本人からしたら、西南戦争で勢いを失った薩摩、
> 明治六年政変で大隈が下野した肥前、志半ばで絶えた坂本竜馬が魅力的な土佐に比べ、
> 政治家的な印象が強く大正デモクラシィまで命脈を保った長州閥というのはあまり印象が良くないのではと思いますが。
う〜ん、長州って人気ないですかねえ?(笑)
まあ確かに、明治中期以降の藩閥としては、長州が最も強力でしたから、
その反動として、長州があまり好かれていない面はあると思いますし、
幕末時のテロ活動も、今では客観的に評価される事が増えたので、高いとは言えないのかな?
とは言え維新で見れば、薩摩が主流派筆頭、長州が主流派2番手、土佐が非主流派筆頭みたいな感じで、
この時点で、薩摩や土佐に比べれば、どうしても長州の存在感は薄くなってしまいますし、
西郷・大久保・木戸の「維新の三傑」の段階で、既に薩摩2人・長州1人な上、
倒幕の中心人物は西郷であり、維新の中心人物が大久保なので、木戸の影は薄いですよねえ・・・・
個人の人気としても、トップに坂本、続いて西郷が来て、少し離れて高杉でしょうし、
やはり結局の所、判官贔屓とかはあまり関係なく、存在感と人気が比例しているだけだと思いますよ?
人気面で言えば、それこそ薩長土肥の中では断トツで、肥前が人気薄なのでは?(笑)
鍋島閑叟・枝吉神陽・江藤新平・大隈重信・副島種臣・大木喬任・島義勇・佐野常民と、
癖のある人物だらけな上、そもそも幕末の動乱にほとんど絡んでませんからねえ。
先程の分け方で言えば、肥前は非主流派2番手で、維新後も薩長土に比べて存在感が薄いですし・・・・
> それに長州って表向きはそうですけれど(これは特に伊藤博文の功績が大きいのかなと思いますが)
> 実質的には彼らの作った制度なんかは今も残っているので、
> 長州の亡霊といいますか、いまだに長州的政治体制ということも可能かと思います。
> これを以て長州閥とは言えませんが、少なくともその残滓が生きているとはいえると思います。
まあ、いま現在の首相も長州ですからねえ(笑)。
戦後だけ見ても、鹿児島出身の首相はゼロでも、山口出身は岸・佐藤・安倍×2ですし。
もちろん、安倍は岸の孫ですし、佐藤も岸の弟なので、長州閥というよりは岸派閥なのでしょうが、
戦前の岸の出世には、長州閥が少なからず絡んでいる事を考えれば、
「残滓」くらいの表現であれば、そこまで大袈裟では無いのかも知れませんね?
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