▽ 2014/4/11 (金) 20:24:22 ▽ 徳翁導誉 |
| > やっぱり年度末です。
> 消費税の駆け込み需要による物流の混乱を受けここ数週間が多忙でした。
予定通りだと、また来年にも消費税を10%にアップする事になってますけど、
この短期間で、本当に再び上げるんですかねえ?
3%から5%が8年、5%から8%が17年と比べると、間隔が短すぎる気がしますが、
短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・
> > 冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
> > 今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?
> 街の雰囲気は25年経過してもぱっと目につくところ以外は社会主義時代の無機質な建物が多いですよ。
> 集合住宅ややたらに広い道路、場所によってはスターリン様式の建物が見えると(笑)
> 反対に空港や外資が入っているホテルなどは東京よりモダンで綺麗ですね。
> 噂だとアルバニアのティラナの空港は超近代的だとか(笑)
まあさすがに、25年程度じゃ表部分くらしか変わらないでしょうからねえ。
そんな中でも、街並みの雰囲気が最も変化した旧東側の国ってどこなんでしょ?
カザフスタンなんて新首都として、計画都市アスタナを黒川紀章の設計で作ってるらしいですから、
http://trekking1179.seesaa.net/article/313283906.html
http://d.hatena.ne.jp/stertwist/20110920/1316480876
http://adaisuke.blog100.fc2.com/blog-entry-33.html
一見すると旧ソ連的な雰囲気は皆無ですが、よく見ると新たな高層建築なのにスターリン様式だったり(笑)。
ちなみに、ミカエルさんが中央アジアへ出向かれたのは、前述の旧ソ連時代が最後なのでしょうか?
あと逆に、昨年の10月にサッカー日本代表がベラルーシで強化試合を行った際、
「今まで旧ソ連の国はいろいろ行ったが、最もソ連の雰囲気が残っている」という観戦記事を読んだのですが、
ルカシェンコ時代が続いている事もあり、やはりベラルーシって、そんな感じなのでしょうか?
> > > > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > > > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > > > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > > > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > > > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > > > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > > > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > > > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > > > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > > > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・
> > > この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。
> その後の2週間で一気にロシアへの編入が進んでしまいましたね。
> このまま既成事実化してしまうのでしょうか。
> 米国といえどクリミア半島まで派兵する気はなさそうですし。
そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
(本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?
クリミアがコソボ方式の独立ではなく、ロシアへの併合という予想以上の展開を見せ、
更にはアメリカやEUの制裁内容が手緩かった為、東部での展開も一応想定の範囲内ではありましたけど、
本当にここまで事態が悪化している現状が怖いですね・・・・
併合という形になったとは言え、とりあえず「クリミア限定」で手打ちに持っていくのかと思いましたが、
(併合までやってるのに、2018年サッカーW杯の開催権剥奪という案件すら上ってませんので)
この調子だと、クリミアだけでは収まらない可能性も出てきてしまった印象です。
う〜ん、併合だけで終わらないとなると、クリミアは「第二のズデーテン」になってしまうのでしょうか?
> 欧州もキエフの政権をどこまで守れるのでしょうか。
ここまで来ると逆に、どこまで展開が悪化すれば、NATOは平和維持部隊を送るのかが気になります。
アメリカにしても、EUにしても、本音を言えば関わりたくないでしょうけど、
武力衝突を避ける為にも、どのラインを越えれば軍隊を駐屯せざるを得ないのでしょうか?
例えば、上記の東部3州にロシア軍が派遣される展開になった場合は、どうするんですかねえ?
そこでも動かないと、「クリミアと地続きになるまで」「とりあえずドニエプル川まで」って具合に、
決断できないまま、ズルズルと事態を悪化させかねない危険性すら孕んでますし・・・・
シリアでの一件を見ても、オバマがどこで決断できるのかは、不安要素ではあるんでよねえ。
> > そして何より、編入まで踏み込んでしまうと、欧米との対立の出口戦略が描き難くなる上に、
> > 南オセチアやアブハジアに関しても、同様の処置を要する展開になりかないですからねえ・・・・
> 本当にそうですねえ。
> 南オセチア・アブハジア・沿ドニエストルなどもそうですし
沿ドニエストルは、南オセチアやアブハジアとは違って、ロシアと隣接してませんからねえ。
飛び地の併合と言うのは、軍事面や輸送面から言っても困難を極めますし、
クリミアや南オセチア・アブハジアとは、また違う次元なんだろうとは思います。
実際に数年前、沿ドニエストル側が住民投票によってロシアへの編入を求めた際にも、
ロシア側はそれに応じず、独立さえ承認しないで、モルドバでの連邦制を望む態度でしたし。
逆に言えば、ロシア側が沿ドニエストル問題を過熱化させるような場合には、
その立地から言って、ウクライナとの全面衝突を強いられる可能性が高く、
そうなると、もう1つ高い段階に事態が進行しているような気がします・・・・
ただモルドバの場合、極右的な民族派は沿ドニエストルの併合を望む一方、
親EU派は面倒な沿ドニエストルを切り離し、ルーマニアとの再統合を望んでるそうなので、
http://jp.rbth.com/politics/2014/04/03/47775.html
民族派と親EU派が手を組めたウクライナとは、また事情が異なって来るんでしょうね・・・・
その一方で、モルドバはウクライナとルーマニアに挟まれた内陸国なので、
ウクライナとロシアが対立している状況だと、ロシアとの関税同盟を望む親ロシア派も大変そう。
> バルト三国・カザフスタンなどは厳しい状況に置かれるでしょうね。
プーチン政権になって以降、中国・カザフスタン・ノルウェーとは係争地を面積等分し、
ラトビアなどとも国境線の現状維持でまとめ、残るエストニアとも今年2月に国境を画定させて、
あとは日本との北方領土だけという所まで、ロシアは持って来ており、
日本側も安倍内閣が長期政権化しそうな為、問題解決が期待されてたんですけど
さすがに今回のクリミア併合は、既に国境問題を解決させた周辺国さえ刺激する悪手かと・・・・
欧州連合に対抗する「ユーラシア連合」の結成に前向きだったカザフスタンやベラルーシにしても、
両国とも非常の多くのロシア系住民を抱える実情を踏まえると、こちらすら停滞しかねませんし。
> > > ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
> > > ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。
> > ・・・って、もしかして「第二のオセチア」ではなく「第二のチェチェン」の間違いですか?
> > それであれば、その可能性は私もあると思います。
> すいません。アブハジアのことでした。
んん、「第二のアブハジア」ですか!?
すみません、それだと正直イメージが湧きません・・・・
「第二のチェチェン」ならば、クリミア・タタール人はイスラム教徒が多いですし、
強制移住を強いられた過去や、生活が不安定な現状に対する不満などから、
チェチェン同様に、この後の展開次第でイスラム系のテロ・紛争が起きる恐れがあるので解ります。
一方で「第二のオセチア」だと、オセット人は親ロシアの傾向が強いので、
ロシア国内の北オセチアを通じて、グルジア国内の南オセチアの懐柔工作が行われている現状から、
同様に、ロシア国内のタタール人が、クリミアのタタール人を懐柔させる方法もあるでしょうけど、
クリミアのロシア併合に対して、反対の急先鋒がウクライナ人ではなくタタール人な状況から、
そうした展開も有り得なくは無いものの、可能性の話で言えば凄い低いように思うんです。
ただ、「第二のアブハジア」となると、グルジアに対する敵対意識がとにかく強く、
オセチアのように親ロシアと言うよりも、「敵の敵は味方」とロシアを頼っている認識があるので、
これをクリミアとタタール人に当てはめるのは、個人的に難しいように思うんです・・・・
> > > トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> > んん?
> > これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
> > それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?
> ソ連崩壊後のトゥバですね。
返信後に少し調べてみた所、トゥバってソ連崩壊の直前に「主権回復宣言」をしてたんですね。
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/996/1/KJ00000044314.pdf#page=23
ソ連が崩壊し、連邦を構成していた共和国が独立した後に、
ソ連にあった自治共和国の方も、旧構成国内の共和国に格上げされた事は知ってましたが、
スムーズに事が進んだというよりも、このような経緯があっての格上げだったんですね。
それを事前に知っていれば、「モンゴル、独立への道」の構成も少し変えてたかも?(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=0d3xWBbFPsc
あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。
> > 今回のデモが起きる前に、この記事の地図↓を見た際に、
> > http://blogs.yahoo.co.jp/yoshij007/32491322.html
> > 「何でリヴィウ州だけ色が違うんだろう?」と思った記憶が、強く残ってまして・・・・
> > って、キリル文字とか読めないので、これが何なのか未だに謎なままなんですけどね(笑)。
> > (「2012」の数字が見えるので、恐らく議会選挙の各州の第一党かな?とは想像しますが)
> 選挙結果の地図ですね。
> リヴィウ州は極右政党(ウクライナの国営放送のトップを襲撃したあの政党)
> が第一党だと書かれています。
「リヴィウ」という都市名だけだと、それこそ「世界遺産の古都」というイメージが強いですが、
大戦後に入植したウクライナ系の新住民が多いという事情を考えると、
ウクライナ国内の他のどの地域よりも、民族主義的なのかも知れませんね?
地理的にもロシアから離れてますので、過激に振る舞っても大丈夫でしょうし。
> ちなみにもう一つの地図は前回の大統領選挙の結果です。
> ユーシェンコとヤヌコビッチの勢力図ですね。
はい、こちらは見慣れた分布図なので解りました。
逆に言うと、そこから導いての「左側は議会選挙かな?」という推測でした。
ところで、来月に行われる予定の大統領選挙の方ですが、
有力候補の1人だったボクシング世界王者のクリチコ兄が、
もう1人の有力候補である、世界的な菓子メーカー会長の「チョコレート王」と手を組み、
大統領選への出馬を取りやめて、自身はキエフ市長選に転進するらしいですが、
これはもう大統領選挙に関しては、ほぼ大勢が決した感じなんですかねえ?
釈放されたティモシェンコにしても、首相時代の評価から賛否両論でしょうし、
地域党もヤヌコビッチの後任を立てるそうですが、今回は流石に厳しいでしょうから、
下手をすると、インターネット党の「ベイダー卿」に話題を奪われるかも?(笑)
http://www.asahi.com/articles/ASG452QLSG45UHBI008.html
でもまあ、親ロシア傾向が強い東部の情勢がこれ以上ゴタゴタするようだと、
大統領選挙どころでは無くなりそうな気もしますが・・・・
> > いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
> > 「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
> > 「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
> > とイメージした次第です(笑)。
> 今は半弾丸ツアーしかできないのでサンマリノって遠いんですよ(号泣)
> 10年ほど前、無職の時に行きましたがあの時は時間がありあまっていたので
> ベニス(3泊)フェラーラ(2泊)ラヴェンナ(2泊)フィレンツェ(3泊)
> とのんびり堪能してきました。
> しかしボローニャって駅は10回以上通っているのに乗り換え以外に1回だけ
> 駅前で食事した以外何もしていないんですよね。
> まああの駅はローマ=ベニス=ミラノ=バーリの4方面からくる鉄道が直角に交差する場所であるために
> たいてい遅れがでているのですよねー。
> それで焦って次の列車に早々に乗ってしまう(笑)
まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・
> > ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
> > 東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
> > 東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
> > 例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
> > 正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
> > 西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
> > 王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?
> ビザンツ世界における称号ですが前半(マケドニア王朝以前)と後半では
> だいぶ違っていて皇帝と帝国からの重要度によって分けられていました。
> 基本はディオクレティアヌスのテトラルキア制に準じているのですが
> 所謂「正帝位」(ギリシャ語でバシレイウス)はローマ皇帝とペルシャ皇帝だけで
> あとは「副帝位」(ギリシャ語でカイサル)となります。
> それ以外ですと「王」(ギリシャ語でレークス、アジア系だとカン)
> や「公」(ギリシャ語でデュクス)などが帝国からの重要度に応じて付与されました。
う〜ん、もともとローマ帝国だったバルカンやアナトリアなどだと、
そうした枠組みがあった事は、何となく想像が付くのですが、
その外にあったであろうルーシ世界で「キエフ大公」や「モスクワ大公」という感じに、
なぜ「王」ではなく「大公」なのかが、最大の疑問点なんですよねえ・・・・
単純に訳語的な問題なのでしょうか?
独立正教会の存在とかは関係ないですよねえ?
(言い換えると、東方正教は1国1教会であって、1教会1国じゃないですよねえ?)
> 後半になるとビザンツ世界では主に「君侯」(デスポト)を自称していたのですが
> ビザンツ帝国の弱体化によりローマ教皇から称号を受けたのです。
> セルビア王国もビザンツ側からの史料を見ると「デスポト」なんですよねぇ。
> ちなみに「デスポト」の和訳が「専制公」となるのかは私にはよくわかりません。
対象が同じでも、「専制公(公国)」だったり「専制侯(侯国)」だったりと、
書籍によって表記が違ったりしますからねえ・・・・
まあ、古代中国の周時代に用いられた「五等爵(公・侯・伯・子・男)」を、
制度の異なる西洋の和訳に用いようというのが、そもそも無理があるのかも知れませんね。
そこへ更に、大日本帝国期には華族制度の序列付けにも用いられた事で、
気を付けないと、イメージがぐちゃぐちゃになってしまいますし・・・・
> > 前々から疑問だったのですが、ソ連時代の信仰事情って、実際はどうだったんでしょ?
> > 共産主義では宗教に対して否定的な一方、ロシア人自体は敬虔な正教徒のイメージが強いので、
> > 目に見える教会の方は廃れていっても、心の中にある信仰心の方は強く残っていたであろう事は、
> > ソ連崩壊後の急速な復活ぶりを見るだけでも、何となく想像はつきますけども。
> ソ連時代もロシア人は正教を信仰していたと思いますよ。
> ブレジネフの葬儀は完全に「正教」式だったと言われています。
無神論を掲げるソ連とは言え、完全に宗教を禁止していた訳では無いのは知ってますが、
逆に言うと、どこまで許されてて、どこからダメだったのかが、よく解らないんですよねえ・・・・
現在進行形で宗教の規制政策を採る中国などは、何となくながらイメージできますけど、
やはり東アジアと東欧とでは、そもそも土台となる宗教事情が異なりますし。
> > そんな訳で、1993年の最後の広島リーグ優勝も、私は見てますが、弟は見ていないと。
> > ちなみにミカエルさんの年代ですと、私も見てない「赤ヘル旋風」時代まで知ってるのかな?
> はい、よーく知っています。
> 私のころは
> 「高橋慶・山崎・小早川・山本・衣笠・長嶋・木下・達川、代走は今井」の打線
> 投手は
> 「北別府・川口・大野・山根・抑えは小林」
> でした。
そのメンツからすると、最後に広島が日本一となった1984年(昭和59年)のメンバーですね。
ただそれは、1979年〜1986年の「赤ヘル黄金時代」ではあるのですが、
全国的なフィーバーを巻き起こした「赤ヘル旋風」とは、また少し違いまして、
広島がリーグ初優勝を果たした1975年のフィーバーが、第一次赤ヘル旋風と呼ばれ、
江夏の21球で初の日本一に輝いた1979年のフィーバーが、第二次赤ヘル旋風と呼ばれています。
感覚的には、阪神大震災の後に「がんばろう神戸」を掲げたオリックスとイチローが全国的に応援され、
昨年のように、東日本大震災からの復興を掲げる楽天と田中将大が全国的に応援された感じと、
恐らくは似ていたのでは無いでしょうか?(前述のように、私は赤ヘル旋風を見ていませんけども)
ちなみに、私が見始めた頃ですと、広島の抑えは「炎のストッパー」こと津田恒美でしたね。
小林誠二の方は肘の故障により引退目前で、抑え投手としての活躍した事よりも、
「パームボールは凄い有効だけど、投手寿命を削る怖い変化球だ」と印象付けられた選手でした。
まあ中日ファンの私からすると、現役時代の小林よりも、
落合が監督に就任した翌年、ほぼ面識の無かった小林を二軍投手コーチに抜擢し、
落合が退任するまでの7年間、選手寮に住み込みながら中日投手陣を影から支えた印象の方が強いですね。
って、落合は黄金期の広島&西武でコーチ陣を固めたから、中日OBから引きずり下ろされる訳ですが(笑)。
他の投手陣ですと、北別府・川口・大野の3人は私が見始めた頃もバリバリに戦力でしたね。
その1991年のリーグ優勝の際も、最も活躍してたのはセ・リーグMVPを獲得した佐々岡でしたが、
佐々岡に続く投手となると、北別府・川口・大野のベテラン3人組でしたからねえ。
まあベテランとは言え、北別府が最高勝率賞、川口が奪三振王、大野がセーブ王でしたし、
そこに最多勝&最優秀防御率の佐々岡を加え、投手力で掴んだ優勝というイメージでした。
(野手では前田や江藤が台頭した年なのですが、やはり若手で戦力的には、まだこれからって感じでした)
シーズン初めは津田が抑えでしたけど、例の病気で離脱し、途中から大野が抑えに回ったのはよく覚えています。
今から振り返ると、あれが生前の津田の投球を見た最後だったんですよねえ・・・・
ちなみに山根に関しては、私が見始めた頃に西武へ移籍したので、残念ながら広島のイメージは無いですね。
最後に打撃陣の方は、私が見始めたのと入れ替わりで山本が引退したので、現役時代を知りませんし、
衣笠は一応現役でしたが、連続出場記録の為に無理して起用されてるのが子供にも丸解りな状態で、
山本&衣笠を主軸にした黄金期の「強力打線」というイメージは、正直皆無な時期でした。
正田・山崎・高橋という俊足巧打のスイッチヒッターが並ぶ1・2・3番は脅威でしたが、
それを還すクリーンナップが貧弱で、打線全体としての怖さは、そこまでな感じでした・・・・
山本の引退で、4番には小早川が座ってましたが、小早川自体は悪い選手ではないものの、
全盛期の落合を始め、日本人では原・清原・掛布、外国人ではブーマ・バース・ホーナーなど、
各球団とも強力な4番打者が居た時代なので、「12球団最弱の4番打者」ってイメージでしたね。
江川が小早川にサヨナラ本塁打を打たれて引退した事実も、当時のイメージを強化してたかも?
例えばこれが落合やバースに打たれたのなら、そこまでの結論には至らないだろうと(笑)。
|
|
|