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[18650] 私が入れて欲しい地域返信 削除
2014/1/27 (月) 19:08:35 大井町のキョン

西から
・ケベック(カナダ領、ケベック人)※WW2まではカナダ人扱い
・グアテマラシティ(グアテマラ領、グアテマラ人)
・プエルトリコ(プエルトリコ領(自治・アメリカ)、プエルトリコ人)
・ジュバ(南スーダン領、南スーダン人)
・バンギ(中央アフリカ領、中央アフリカ人)
・ベルン(スイス領、フランス人?)
・ブラチスラヴァ(スロバキア領、スロバキア人)※新冷戦までチェコスロバキア領
・ヴェネツィア(イタリア領、イタリア人)
・アメド(トルコ領、クルド人)
・博多(日本領、日本人)

ふぅ…
追記をお願いします。


[18731] まとめレス&2022年の冬季五輪返信 削除
2014/2/14 (金) 21:15:49 徳翁導誉

> 言語という制度があったら面白いような気がします。
> それぞれ母国語と公用語があり、母国語=公用語だと地域の支持率が高くなる。
> 公用語は変更でき、自国の言語にすることができる。
> 例えばアメリカやイギリスが英語、フランスがフランス語、日本が日本語など。

言語に関しては「1エリア・複数民族」制を導入した際に、付属させる構想はあります。
言語や宗教と言うのは、民族分類に関係する文化要素ですからねえ。
そうなれば自動的に、国家データにも国教や公用語の項目が加わるかと?
ただ、この辺の区分はただでも難しい上に、シナリオごとで扱う年代が違うとなると、
普遍的な設定は、更に困難な作業とはなりますが・・・・
例えば、似たような言語でも、その時々の社会背景によって、
同一言語の方言として扱われたり、別の言語として扱われたりしますからねえ。

ちなみに、母国語とは祖国の共通語の事であり、その人の第一言語は母語と言います。
つまりは「母国語≒公用語」であり、「母国語≠母語」という事ですね。


> スイスって再現できませんかね?地形的に欧州のど真ん中で難しいかもしれませんが・・・。
スイスやスロバキアは、アルプス山脈やカルパチア山脈を表現するのに便利だから、
あのような形になっているだけで、設置する事自体は難しく無いですよ。
まあ逆に言えば、それらの国を設置すると、山脈越えも楽チンになってしまいますがね。


> > > 少し話題が脱線してしまいますが、既に締め切られた2022年の冬季五輪の立候補地の中に、
> > > 現在はウクライナ領である「リヴィウ」の名前もありましたね。
> > > 他は、オスロ(ノルウェー)、クラクフ(ポーランド)、アルマトイ(カザフスタン)、北京(中国)です。
> > > まあ、この顔触れなら、オスロが断トツの最有力候補だと思いますが、

> > 私も現時点ではオスロになるのではないかと思います。
> > 2018年が韓国でアジア、2014年がロシアのソチですので
> > アジア地域やスラブ圏が選ばれる可能性は低いのではないでしょうか。

順番的に、立てば有利だったアメリカからの立候補都市はなく、
有力候補と目されていたミュンヘンも、住民投票の結果により辞退した上、
オスロとの一騎打ちと見られてたストックホルムまでも、立候補後に撤退しましたからねえ。
今回のソチに、次回の平昌と、冒険的な選考をして苦労しているだけに、
普通に考えれば、この立候補都市の顔触れなら、オスロの一択ではないかと?

> > > 他に可能性があるとすれば、クラクフやリヴィウくらいじゃないですかねえ?
> > クラコウもザコパネなどの山岳地域がちょっと距離があります。
> > このあたりがどのように判断されるかですね。

いやいや、クラクフの五輪招致案でそれ以上に問題なのは、
アルペン・スキーの会場が、ザコパネより更に遠い隣国スロバキアのヤスナなんですよ。
単純に距離だけ言えば、バンクーバー五輪のスキー会場は120km離れたウィスラーでしたし、
今回立候補した北京のスキー会場なんて、何の冗談なのか、200km離れた張家口ですので、
距離の問題よりも、実質的に2ヶ国共催になる事の方がマイナス要素が強いかも?
正直な所、冬季五輪もここまで肥大化してしまうと、スケートや開閉会式は都市が望ましいので、
1000m前後の標高差が必要なアルペン会場との距離は、どうしても遠くなってしまいますよね。
それを考えると、ニセコが近い札幌なんて世界でも有数の好立地でしょうし、
北京&張家口で可能なら、それこそ東京&苗場とかでも可能かと(新幹線で移動も楽ですし)。
ソチの気温が17〜18度なんて情報を聞くと、今の天気なら東京の方がずっと五輪会場っぽい(笑)。

> > しかしポーランド自体もユーロ2012を開催できていますので
> > 経済的にはなんとか五輪を開催できそうですが。

それならばウクライナも、ポーランドとEURO2012を共催してますので、
候補地としての利点は、リヴィウも同条件になりそうですがね。
でもまあ、ポーランドとウクライナによるEURO共催は、
インフラやホスピタリティの面で、かなり評判が悪かったらしいですが・・・・

> > > あと、驚くよりも呆れた北京の計画も、本当にやったらどうなるか少し見てみたい(笑)。
> しかし、北京はつい最近夏季オリンピックをやったばかりなのに欲張りですね。
> この欲張りさこそが今の中国の発展を支えているとも言えますが。

とは言え、今の各大陸のパワー・バランスで考えると、
冬季五輪も3〜4回に1回くらいは、アジアに来る感じですので、
1998年が長野(日本)、2018年が平昌(韓国)ですから、
次にアジアの順番が回って来た時には、やはり中国が最有力なんですよねえ。
だからこそ、その機会を日本やカザフスタンに奪われないよう、早めに顔見せで立候補したのかと?
ただ、北京五輪・上海万博・広州アジア大会に続く形で、手を挙げた長春やハルピンを断念させ、
開催地として旧満州より不向きな北京を選んだのは、何か中国国内での事情があるのでしょうけど。
(もしも満洲国が存続していたら、新京五輪とかあったんですかねえ?・笑)

> > > 中央アジアで初の五輪というのも、遊牧民好きな私には、何だか深い感慨を抱かせます。
> > > 2011年にはアジア冬季大会(アジア版の五輪)を、既にアルマトイは行っていますし、
> > > 2017年にも冬季ユニバーシアード(大学版の五輪)を行うなど、着実にステップを踏んでます。

> ちなみに、カザフスタンはヨーロッパでなく、アジアに入るんですね。
> 政治的に、中央アジアはCIS諸国としてヨーロッパに区分される場合が多いイメージでしたが。

う〜ん、分類として「CIS(旧ソ連)」の項目がある場合には、
基本的にヨーロッパの区分には含まれず、CISとして別途に区分されます。
そもそも「中央アジア」と言うくらいですから、地理的には完全にアジアですし、
(地理区分で厳密に言えば、カスピ海沿岸の一部はヨーロッパですけども)
カザフスタンがヨーロッパに属しているのは、現状でサッカーくらいじゃ無いですかねえ?
まあそれも、他の中央アジア諸国と同様、ソ連から独立後はアジアに属していたものの、
フランスW杯の最終予選で日韓に敗れて出場権を逃すと、所属を欧州へと転向した為であり、
その時の理由が「国民の半数がロシア系だから」というモノでした(本音は商業的な理由)。
ただし、独立直後は「カザフ系4割・ロシア系4割」だった民族構成も、
20年経った今では「カザフ系7割・ロシア系2割」になっちゃってますけどね。

> > > それと、ウクライナ語でリヴィウと呼ぶのか? 英語でリヴィフか?
> > > ロシア語でリヴォフか? ポーランド語でルヴフか? ドイツ語でレンベルクなのか?
> > > 未だに日本では、この都市の呼び方が人によりバラバラですけども、
> > > いっそ五輪を開いてくれれば、呼び方を日本語風に「リビウ」と統一できるかと(笑)。

> > そうですね。この町の日本語表記もバラバラですがアルファベット表記も見事にバラバラですよね。
> > Lviv Lvov Lwow L'vov などなど。
> > ちなみに私は1991年と1994年にこの町を訪問していますが
> > 現地の方(ロシア人)はルヴォフと言っていました。

個人的には、「リヴォフ」表記が一番しっくり来るのですが、
現地のロシア人は、そう発音していないんですね(笑)。
・・・って、それよりも、この街を2度訪れているというのが凄い!!
旧市街が世界遺産になってるとは言え、訪れる日本人なんてほとんど居ないのでは?
しかも1991年と1994年って、ソ連崩壊の直前と、ウクライナ独立の直後じゃないですか!?
物凄く興味をそそられるのですが、迷惑にならない範囲で体験談などを伺う事は可能でしょうか?

> > いっそのこと漢字表記の「隣山」にしてしまうのは如何でしょう(笑)
まだ夏のオリンピックであれば、メジャーな開催都市が多いので、
「倫敦五輪」とか「里約五輪」みたいに、漢字表記も出来ますけども、
冬の場合は、マイナーな開催都市も多いので大変そう・・・・
そもそも、開催中の「ソチ」の漢字表記が解りませんし(中国語では「索契」だそうです)。

> > > WW1まで オーストリア領レンベルク(ポーランド人5割・ユダヤ人3割・ウクライナ人2割)
> > >         ↓
> > > 戦間期 ポーランド領ルヴフ(ポーランド人6割・ユダヤ人3割・ウクライナ人1割)
> > >         ↓
> > > WW2後 ソ連領リヴォフ(ウクライナ人5割・ロシア人3割・ポーランド人1割・ユダヤ人1割)
> > >         ↓
> > > 冷戦後 ウクライナ領リヴィウ(ウクライナ人9割・ロシア人1割)

> 本当にポーランド南部やチェコ、スロバキアの辺りは支配国家が入れ替わって大変ですね。
> その度に都市名も入れ替わりますし。
> まあ、都市の呼び方で悩んでいる日本人よりも、
> 幾度となく戦乱に巻き込まれる現地に住む人の方が大変なのは言うまでもないでしょうが。

しかも、住民の民族構成が変わっているという事は、その度に、
難民化や強制移住、場合によっては殺戮などが起きてた訳ですからねえ・・・・
近代までは、統治者は代わっても、住民がこうした目に遭うのは少なかったものの、
これが「国民国家」という概念が定着した現代の負の側面ではありますね。
国境線が大きく変化した2度の大戦の後には、そのような悲劇が各地で繰り返されましたからねえ。

> > > もしもHEX制なら、そうした運河の掘削とかも行える自由度がありますね。
> > > 目的地まで延々と鉄道を伸ばしたり、僻地に近代的な港湾施設を築いたりと、
> > > 特に帝国主義(植民地主義)の時代であれば、ゲーム性がグッと増すと思います。

> 内政の楽しさを味わうにはよいマップですね。
> 建設をすることで、さらに自分のプレイする国家に愛着がわいてくると思います。
> これを世界版に拡大して、ぜひ全国家でプレイしたいものです。
> 都市のあるマスとないマスができる感じですかね?

そうですね、1マスに都市が配置される形で、
空いてるマスにプランテーション農地などが作れれば、
奴隷を輸入してでも、新大陸で開拓を行いたい衝動に襲われるかも?(笑)
そういう意味では、植民地拠点としての新都市や港湾の建設が出来ても良いでしょうね。
でもまあ、そうした方向へと進めば、「1プレイヤー・1国」ではなく、
国家は所属先となり、「1プレイヤー・1社(東西インド会社)」になりそうですけど。

> > > エルサルバドル以外だと、あとは「ベリーズ」ですね。
> > > と言いますか、ベリーズに関しては、1981年に独立するまでイギリス領だった事もあり、
> > > 250エリアくらいの初めのマップには、中南米における大英帝国の拠点として実は存在してました。
> > > しかし、最終的に陸地が200エリアに整理された際に、ベリーズはメキシコに吸収したので、
> > > その影響によりギアナは、シナリオによってイギリス領になったり、フランス領になったりと(笑)。

> ジャマイカでも中南米に影響を出せそうでおもしろいですね。

西インド諸島を細かく設定するのであれば、
イスパニョーラ島もドミニカとハイチに分けたい所なんですけどね。
以前、この掲示板にも顔を出されていたFlash仲間の若狭さんによる、ハイチ独立↓の作品もある事ですし。
https://web.archive.org/web/20050327053003oe_/http://zyakusui.web.infoseek.co.jp/flash/haiti.swf

> ベリーズ(ベリーズシティorベルモパン)はメキシコとパナマの間に挟まれたエリアになっていたということですか?
そうですね、ユカタン半島の周辺がベリーズとなる予定でした。
そして対岸(太平洋側)は、グアテマラかニカラグアにするつもりだった記憶が・・・・
ついでに言うと、メキシコシティーも当初は内陸地にするエリア分けでしたからねえ。
フェニックスの下側がポッカリ空いているのも、統合で内陸エリアが消滅した時の名残です。

> > > 同じParadox社製のゲームでも、私が随分前にプレーしたEU2とでは、
> > > そうした難易度とかって、違ったりするんですかねえ?
> > > 個人的には、そこまで極端なif展開は困難だった記憶があるのですが。

> バージョンによりますが、Hoi2はif展開が用意だと思います。
> もちろん、プレイの腕に依存しますが、ルクセンブルクを大国に成長させたり、
> スイスで征服プレイをしたりすることも出来たりします。

なるほど、そんな感じになっているんですね。

> > > また、今までとは趣の異なる感じで、数百年とか千年という、
> > > 長期的な時間の流れを対象にするゲームも作りたいんですけどねえ・・・・
> > > 例えば、長い歳月をかけて地盤を固め、その国の王位を狙ってみたり、
> > > 政略結婚により他国の姫との間に生まれた世継ぎが、姫の出身国の継承権を得たり、
> > > 遠方の領地を効果的に統治すべく次男や三男を派遣したら、代替わりよって独立国化したりなど、
> > > 家と領地の系譜を作り上げていくというのも、きっと面白いと思うんですよ。

> 歴史を紡ぐゲーム、というのはおもしろいですね。
> 中世ヨーロッパなら一発逆転の要素も多いでしょうし、
> トップに君臨していても安心できませんからね。
> 東ローマ帝国や、それを滅ぼしたオスマン帝国のように、
> プレイヤーが国家としての長い歴史を保っていくというのはロマンがあります。

でもまあ、そうなれば「フランス王位」や「神聖ローマ帝位」などの器は同じでも、
中身は完全に架空世界のストーリーになっちゃいますけどね(笑)。
逆に、史実から極端に逸脱しない方向性を考えますと、
国家の枠組みがほぼ出来上がった近世以降が対象になるでしょうが。


[18742] Re:まとめレス&2022年の冬季五輪返信 削除
2014/2/17 (月) 20:24:39 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
> > > > 他に可能性があるとすれば、クラクフやリヴィウくらいじゃないですかねえ?
> > > クラコウもザコパネなどの山岳地域がちょっと距離があります。
> > > このあたりがどのように判断されるかですね。

> いやいや、クラクフの五輪招致案でそれ以上に問題なのは、
> アルペン・スキーの会場が、ザコパネより更に遠い隣国スロバキアのヤスナなんですよ。


やっぱりスロバキアとの共催なんですね。今まで同一国の二都市はともかく
二か国での共催は前例がありませんので選考にどう影響するかですね。

> > > しかしポーランド自体もユーロ2012を開催できていますので
> > > 経済的にはなんとか五輪を開催できそうですが。

> それならばウクライナも、ポーランドとEURO2012を共催してますので、
> 候補地としての利点は、リヴィウも同条件になりそうですがね。
> でもまあ、ポーランドとウクライナによるEURO共催は、
> インフラやホスピタリティの面で、かなり評判が悪かったらしいですが・・・・


そりゃそうですね。
クラコヴィアとルヴォフの間の鉄道は故障が多かったと聞きますし
あそこの国境越えってワイロを要求する役人が多いので有名です。
それでもヨハネパウロ2世のおひざ元での五輪はカトリック教国への影響はあるかも?

> > > > それと、ウクライナ語でリヴィウと呼ぶのか? 英語でリヴィフか?
> > > > ロシア語でリヴォフか? ポーランド語でルヴフか? ドイツ語でレンベルクなのか?
> > > > 未だに日本では、この都市の呼び方が人によりバラバラですけども、
> > > > いっそ五輪を開いてくれれば、呼び方を日本語風に「リビウ」と統一できるかと(笑)。

> > > そうですね。この町の日本語表記もバラバラですがアルファベット表記も見事にバラバラですよね。
> > > Lviv Lvov Lwow L'vov などなど。
> > > ちなみに私は1991年と1994年にこの町を訪問していますが
> > > 現地の方(ロシア人)はルヴォフと言っていました。

> 個人的には、「リヴォフ」表記が一番しっくり来るのですが、
> 現地のロシア人は、そう発音していないんですね(笑)。


自分的には「リボフ」が一番しっくりくると思います。
昔の文献にはあまり「ヴ」の文字は使いませんのでロシアの臨時政府の首相は「リボフ公」と表記されていましたよねぇ。
あ、でもこれは人名だから別物なのかなぁ(笑)

> ・・・って、それよりも、この街を2度訪れているというのが凄い!!

よく考えると2回っていうのはウソでした。2010年にもちょい立ち寄ってますので都合3回ですね。
1980年代後半までは現在のように格安航空券でシベリア上空をひとっとびできる時代では
ありませんでしたので、お金の無い学生は新潟や横浜から船でナホートカまで行き
そこからシベリア鉄道やロシア国内航空線でヨーロッパに出ていました。(ちなみにお金のある人は欧州や米国系の航空会社でアンカレジ経由)
そうなるとモスクワからプラガ・ブダペシュタ・ローマなどに行く旅行者は
リボフに立ち寄っている日本人はそれなりにいるのでした。(変わり者が多いですが(笑))
その当時には観光地の説明看板には変な日本語ですが日本語表記もあったのですよ。

当時のソ連には「開放都市」と「閉鎖都市」の2種類があり、旅行者が通常訪問できるのは
開放都市だけだったのです。ちなみにモスクワからこの方面の解放都市はキエフとルヴォフだけ。
そういった理由が最初の2回の訪問の理由です。
また2010年の時はポーランドへ旅行した時にウクライナにちょっと立ち寄ったのですが
キエフのボリスポリ空港のアクセスが非常に悪いのでリヴォフの空港からワルシャワに移動するために立ち寄りました。

> 旧市街が世界遺産になってるとは言え、訪れる日本人なんてほとんど居ないのでは?
> しかも1991年と1994年って、ソ連崩壊の直前と、ウクライナ独立の直後じゃないですか!?
> 物凄く興味をそそられるのですが、迷惑にならない範囲で体験談などを伺う事は可能でしょうか?


可能ですよ。
えーっとお話できることは結構ありますねぇ。
ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。
1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
尚、2010年はポーランドも含めて約10日です。
どのようなことをお話しすればよろしいでしょうか?


[18775] はからずも、リヴィウがホットな話題に返信 削除
2014/2/22 (土) 07:52:05 徳翁導誉

> > > > > 他に可能性があるとすれば、クラクフやリヴィウくらいじゃないですかねえ?
> > > > クラコウもザコパネなどの山岳地域がちょっと距離があります。
> > > > このあたりがどのように判断されるかですね。

> > いやいや、クラクフの五輪招致案でそれ以上に問題なのは、
> > アルペン・スキーの会場が、ザコパネより更に遠い隣国スロバキアのヤスナなんですよ。

> やっぱりスロバキアとの共催なんですね。今まで同一国の二都市はともかく
> 二か国での共催は前例がありませんので選考にどう影響するかですね。

「広島&長崎」五輪のように、表立って共催を唱っている訳では無いですけど、
この招致案では、最終選考に残れない可能性もあるんじゃないですかねえ?
まあ過去には、1956年のメルボルン五輪が、検疫の問題で馬術競技をストックホルムで行ったり、
2008年の北京五輪も同じく馬術競技を香港で行っているので、前例が皆無という訳では無いですが。
逆に言えば、これが一次審査を通るのか否かも、注目ポイントとして楽しめると(笑)。
招致に成功しなくても、一次審査を通過すれば、IOCが実質的な2ヶ国共催を認めた事になりますしね。

ところで、五輪の話で急に思い出しましたけど、2020年の五輪開催が決まった東京は、
「頭脳五輪(チェスや囲碁などマインド・スポーツの世界大会)」の方はどうするんでしょ?
2012年こそロンドンではなく対岸のリールでしたけど、
2008年の北京や、2016年のリオはパラリンピック後に頭脳五輪をやりますし、
やはり東京としては、こちらも一緒に開催するんですかねえ?


> > > > ちなみに私は1991年と1994年にこの町を訪問していますが
> > > > 現地の方(ロシア人)はルヴォフと言っていました。

> > 個人的には、「リヴォフ」表記が一番しっくり来るのですが、
> > 現地のロシア人は、そう発音していないんですね(笑)。

> 自分的には「リボフ」が一番しっくりくると思います。
> 昔の文献にはあまり「ヴ」の文字は使いませんのでロシアの臨時政府の首相は「リボフ公」と表記されていましたよねぇ。
> あ、でもこれは人名だから別物なのかなぁ(笑)

言われてみると、いつの間にか「ソビエト」表記よりも、
「ソヴィエト」表記の方が、しっくり来るようになってますね。
まあ私が意識的に変えたというよりも、世間的に傾向が強まった感じですが、
う〜ん、いつ頃からこうした表記が一般化したんだろう?
ソ連があった頃は、完全に「ソビエト」表記だったはずですが・・・・


> > ・・・って、それよりも、この街を2度訪れているというのが凄い!!
> よく考えると2回っていうのはウソでした。2010年にもちょい立ち寄ってますので都合3回ですね。

こちらは数年前と比較的最近の訪問ですね。
最近のニュースでは、ウクライナの情勢がかなり深刻だと報じられていますが、
2010年というと、その直近での発端と言える大統領選挙が過熱してた頃ですよねえ?
当時のウクライナの雰囲気って、どんな感じでしたか?
今では内戦化の危機さえ伝えられてますが、当時から既にその潜在的な空気感ってあったのでしょうか?

・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html

> 1980年代後半までは現在のように格安航空券でシベリア上空をひとっとびできる時代では
> ありませんでしたので、お金の無い学生は新潟や横浜から船でナホートカまで行き
> そこからシベリア鉄道やロシア国内航空線でヨーロッパに出ていました。
> (ちなみにお金のある人は欧州や米国系の航空会社でアンカレジ経由)
> そうなるとモスクワからプラガ・ブダペシュタ・ローマなどに行く旅行者は
> リボフに立ち寄っている日本人はそれなりにいるのでした。(変わり者が多いですが(笑))
> その当時には観光地の説明看板には変な日本語ですが日本語表記もあったのですよ。
> 当時のソ連には「開放都市」と「閉鎖都市」の2種類があり、旅行者が通常訪問できるのは
> 開放都市だけだったのです。ちなみにモスクワからこの方面の解放都市はキエフとルヴォフだけ。
> そういった理由が最初の2回の訪問の理由です。

なるほど、旅行の中継地として立ち寄った訳なんですね。
一応は知識として、現在の北朝鮮のように、ソ連も旅行などで入国できた事は知っているのですが、
子供の頃の「鉄のカーテン」の印象が強過ぎて、未だに鎖国的なイメージが拭えないもので(笑)。
10年前に刺殺された国会議員の石井紘基が、1960年代にモスクワ大学へ留学していた事を思えば、
却って今の北朝鮮などより、ソ連の方がずっと開かれていたのかも知れませんね。

あと、「アンカレッジ経由」という言葉を久しぶりに耳にしました(笑)。
冷戦当時は日本と欧州を結ぶ空の交通拠点でしたけども、今ではどうなっているんでしょ?
と言う事で、気になって少し調べた所、貨物便のハブ空港(世界5位)になってるんですね。
「閉鎖都市」なんかも懐かしいと思いましたが、よくよく考えると、
近場では中国の旅順が、つい数年前まで閉鎖都市で入れなかったんですよね、確か。

> > 旧市街が世界遺産になってるとは言え、訪れる日本人なんてほとんど居ないのでは?
> > しかも1991年と1994年って、ソ連崩壊の直前と、ウクライナ独立の直後じゃないですか!?
> > 物凄く興味をそそられるのですが、迷惑にならない範囲で体験談などを伺う事は可能でしょうか?

> 可能ですよ。
> えーっとお話できることは結構ありますねぇ。
> どのようなことをお話しすればよろしいでしょうか?

う〜ん、具体的にとなると、どんな事ですかねえ・・・・
漠然としていて申し訳ありませんが、資料などでは伝わらない、
体験者だけが語れる当時の「空気感」みたいなモノでしょうか?
特にソ連などになると、どうしても子供当時のステレオ・タイプなイメージが先行しがちで、
(それこそ現在開催中の五輪なんて、冷戦当時は東西両陣営の代理戦争のような印象でした)
テレビや本からじゃ解らない、東側諸国の実際の街や市民の様子などは興味がありますね。
でも、やはり一番は、日本人の目から見た素直な感想はどうだったのかですかねえ?
いろいろ聞く内に、疑問や質問も湧いてくるかも知れませんし。

> ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。

これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、
ベロヴェーシ合意が発表された時はどうだったか?とか、
ソ連という国が無くなった事への反応はどうだったか?など、
聞きたい事が多すぎちゃいますので、どこから尋ねれば良いかも解りません(笑)。

とりあえずの質問は、その半年に及ぶ滞在は、初めから予定しての事だったのですか?
それとも、クーデターや連邦解体のゴタゴタで出国が出来なかったり、
こうした一連の激動に遭遇して、敢えて滞在を延ばしたなどの事情があったのでしょうか?
また、予兆を感じての渡航だったのでしょうか? それとも偶然のタイミングだったのでしょうか?

> 1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
こちらは、ソ連の支配から脱して、東欧諸国が新たな国造りで熱かった頃ですね。
東欧の民主化や資本主義への移行は、各国ごとにそれぞれ状況が異なったとは思いますが、
その辺の事で、特に印象に残った事などはありましたか?


[18782] Re:はからずも、リヴィウがホットな話題に返信 削除
2014/2/25 (火) 23:29:28 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
> > > ・・・って、それよりも、この街を2度訪れているというのが凄い!!
> > よく考えると2回っていうのはウソでした。2010年にもちょい立ち寄ってますので都合3回ですね。

> こちらは数年前と比較的最近の訪問ですね。
> 最近のニュースでは、ウクライナの情勢がかなり深刻だと報じられていますが、
> 2010年というと、その直近での発端と言える大統領選挙が過熱してた頃ですよねえ?
> 当時のウクライナの雰囲気って、どんな感じでしたか?
> 今では内戦化の危機さえ伝えられてますが、当時から既にその潜在的な空気感ってあったのでしょうか?


残念ながら2010年の時は単なる一旅行者だったので、あまり現地の情勢には留意しませんでした。
ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
ちなみに当時の行程はワルシャワ→(鉄道IC)→クラコヴィア→(バスEuroline)→リヴォフ→(飛行機LOT)→ワルシャワ→(飛行機AF)→モスクワ
でした。

> ・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
> 『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
> http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html


ホントにあっという間に政権崩壊してしまいましたね。
今後どうなるのでしょうか?東西分裂は極論だとしてもクリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。

> > 1980年代後半までは現在のように格安航空券でシベリア上空をひとっとびできる時代では
> > ありませんでしたので、お金の無い学生は新潟や横浜から船でナホートカまで行き
> > そこからシベリア鉄道やロシア国内航空線でヨーロッパに出ていました。
> > (ちなみにお金のある人は欧州や米国系の航空会社でアンカレジ経由)
> > そうなるとモスクワからプラガ・ブダペシュタ・ローマなどに行く旅行者は
> > リボフに立ち寄っている日本人はそれなりにいるのでした。(変わり者が多いですが(笑))
> > その当時には観光地の説明看板には変な日本語ですが日本語表記もあったのですよ。
> > 当時のソ連には「開放都市」と「閉鎖都市」の2種類があり、旅行者が通常訪問できるのは
> > 開放都市だけだったのです。ちなみにモスクワからこの方面の解放都市はキエフとルヴォフだけ。
> > そういった理由が最初の2回の訪問の理由です。

> なるほど、旅行の中継地として立ち寄った訳なんですね。
> 一応は知識として、現在の北朝鮮のように、ソ連も旅行などで入国できた事は知っているのですが、
> 子供の頃の「鉄のカーテン」の印象が強過ぎて、未だに鎖国的なイメージが拭えないもので(笑)。
> 10年前に刺殺された国会議員の石井紘基が、1960年代にモスクワ大学へ留学していた事を思えば、
> 却って今の北朝鮮などより、ソ連の方がずっと開かれていたのかも知れませんね。


えぇ、当時もソ連はビザさえ申請すればちゃんと入国できますよ。
北朝鮮と比べるとはるかにハードルは低いです。個人でも溜池の大使館に行けばビザは発給してくれます。
それに当時のパスポートには「北朝鮮を除いて有効」の文言が入っていた時期ですしねぇ。
ソ連邦は鎖国はしておりませんので当時も共産主義国同士はだいたいビザ無しで入国できるようです。
当時のプラガやプロブディフのような田舎町などにも陸上を移動してきた中国人行商人が多くいましたしね。

まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
(さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。
この両国はバルセロナやローマから6〜7時間以上かかります。)


> あと、「アンカレッジ経由」という言葉を久しぶりに耳にしました(笑)。
> 冷戦当時は日本と欧州を結ぶ空の交通拠点でしたけども、今ではどうなっているんでしょ?
> と言う事で、気になって少し調べた所、貨物便のハブ空港(世界5位)になってるんですね。
> 「閉鎖都市」なんかも懐かしいと思いましたが、よくよく考えると、
> 近場では中国の旅順が、つい数年前まで閉鎖都市で入れなかったんですよね、確か。


閉鎖都市は今でもありますよね。ゴーリキー近辺の「アルザマス」とか。

> > ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> > 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。

> これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
> いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
> クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
> ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、


1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
私はヤロスラーブルの街にいました。
突然ラジオからゴルバチョフが病気で倒れたということが流れ、
(当時の私のロシア語のヒアリング能力はこの程度)
近くのロシア人に聞いたところ「ゴルバチョフが失脚した」とのことでした。
私が持っていたロシア語会話集の中に「クーデターが起きたのですか?」の一文があったので確認したら
ロシア人は「Да(YES)」とのこと。

結局現地では情報も入らないのでモスクワに移動し、
クトーゾフ通りの外国人アパートに出向き状況を確認しました。
結局現地に居るよりも東京からの新聞(2日遅れで入荷する)の方が詳しい情報があったりするのでした。
しかし、当時はインターネットなど無い時代ですからモスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

> とりあえずの質問は、その半年に及ぶ滞在は、初めから予定しての事だったのですか?

一応はじめっからの予定でしたね。学生みたいな身分でしたので
バイト感覚で映画「おろしや国酔夢譚」の関連企画(正確にはオフィシャルとは全く関係のない便乗企画)でレニングラードに滞在しておりました。
その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
(ドライブ中に道路標識に「Kabul ××kM(何故かこれだけ英語表記、ドゥシャンベすらキリル文字での表記なのに)」
と出てくるとちょっと焦ります。)

> > 1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
> こちらは、ソ連の支配から脱して、東欧諸国が新たな国造りで熱かった頃ですね。
> 東欧の民主化や資本主義への移行は、各国ごとにそれぞれ状況が異なったとは思いますが、
> その辺の事で、特に印象に残った事などはありましたか?


やっぱり貧しい国だからこそ西欧への憧れが大きいようです。
ウクライナであった企業家とお話したときですが「ウクライナは2〜3年で西欧に追いつく」と述べていたことは印象的でした。
その彼の希望は20年経過しても残念ながら実現しておりませんが。

とりあえず簡単に返信しておきました。
しかし、インターネットって便利な反面、現地にどっぷりつかることができなくなりますね。
当時はロシア語であろうが2〜3週間で普通に会話ができるようになりましたが
(ロシア語が話せなければ現地では何もできませんので否応にも話せるようになります)
今では一カ月間滞在しても英語ですら話せないと断言できます(苦笑)

まぁこの経験がその後約10年間も私個人の生活の糧になるとは思いませんでした。
今では東京から離れられない生活となってしまいましたが。
やっぱり若かったんだなぁ(笑)


[18802] ソ連の体験談をミカエルさんに聞くコーナー(笑)返信 削除
2014/2/28 (金) 21:00:45 徳翁導誉

貴重な体験談、ありがとうございます。
以下、それに対する質問が並びますけども、返答は無理のない範囲で構いませんので(笑)。
それと、これは最初に質問すべきだったかも知れませんが、
初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。


> > 2010年というと、その直近での発端と言える大統領選挙が過熱してた頃ですよねえ?
> > 当時のウクライナの雰囲気って、どんな感じでしたか?
> > 今では内戦化の危機さえ伝えられてますが、当時から既にその潜在的な空気感ってあったのでしょうか?

> 残念ながら2010年の時は単なる一旅行者だったので、あまり現地の情勢には留意しませんでした。
> ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。

言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。

> ちなみに当時の行程はワルシャワ→(鉄道IC)→クラコヴィア→(バスEuroline)
> →リヴォフ→(飛行機LOT)→ワルシャワ→(飛行機AF)→モスクワでした。

何だか凄い行程ですねえ・・・・
乗り物酔いの酷い私には、絶対に無理だと思います(笑)。

> > ・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
> > 『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
> > http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html

> ホントにあっという間に政権崩壊してしまいましたね。
> 今後どうなるのでしょうか?東西分裂は極論だとしても

ヤヌコーヴィチが国内東部に留まり、徹底抗戦で応じていれば、
内戦から東西分裂の流れも有り得たでしょうが、少なくともそれは回避できた模様。
でもまあ、全てはプーチンの対応次第なんでしょうけど、恐らく当分の間は様子見でしょうね。
親ロシア政権が倒れた以上、1兆円を超える財政支援も、天然ガスの7割引き価格も停止なので、
仮に混乱が収束できたとしても、ウクライナはすぐさま困難に直面するでしょうし、
これを支持したEU側が、ロシアに代わって、どれだけ支援の負担に耐えられるのか?
ギリシャ問題だけでも、あれだけ揉めてるというのに・・・・
まあ逆に言えば、IMFの国家再生プランは、ロシアからの支援ほど甘くは無いので、
国民から上がる反発の方も、ウクライナの方がギリシャの比にならない可能性も・・・・
あと、オレンジ革命の例を見るまでもなく、デモの過熱化にはアメリカも一枚噛んでいるはずですが、
ソチ五輪の隙に煽ったアメリカと、直接の対応を強いられるEUとの関係は、実際どうなんでしょ?
EUがアメリカ側に経済負担を割り振れば、その分の何割かは日本が代理で負担するんですかねえ?

と言いますか、そもそもデモは収束するのでしょうか?
年内の選挙実施で、野党勢力は合意できたとしても、それは野党の利益であって、
100名近い死者を出したデモ隊が、それで納得して収まる状況には見えないのですが・・・・
アメリカにしても、火に油を注ぐ事は出来ても、それを鎮火する事は出来ないでしょうし。
何だか3年前のエジプトと、状況がかなり酷似しているような気がします。
「反ヤヌコーヴィチ」では纏まる事が出来ても、そもそも野党勢力もバラバラですから。
釈放されたティモシェンコは出馬するらしいですが、クリチコ兄も当然出馬しますよねえ?
親ロシア政権が倒れても、ロシア系の国民が居なくなる訳ではないので、
最終的には決選投票で親EU派が勝つにしても、1回目の投票で親ロシア派に負ける展開は・・・・

> クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・
歴史的な経緯を考えれば、リヴィウが分離独立を目指しても説明は付きますし、
ユーゴ分裂時のスロベニアのように、国内の混乱を余所に自分たちはEU加盟なんて構想も?
まあ実例ですと、20年前にクリミアの州議会も独立宣言を行い、
結果的には州から自治国に格上げされて事態は一時収束しましたから、
リヴィウも一気に独立とまでは行かなくても、それくらいの権利拡大は求める可能性はあるかも?

> > なるほど、旅行の中継地として立ち寄った訳なんですね。
> > 一応は知識として、現在の北朝鮮のように、ソ連も旅行などで入国できた事は知っているのですが、
> > 子供の頃の「鉄のカーテン」の印象が強過ぎて、未だに鎖国的なイメージが拭えないもので(笑)。
> > 10年前に刺殺された国会議員の石井紘基が、1960年代にモスクワ大学へ留学していた事を思えば、
> > 却って今の北朝鮮などより、ソ連の方がずっと開かれていたのかも知れませんね。

> えぇ、当時もソ連はビザさえ申請すればちゃんと入国できますよ。
> 北朝鮮と比べるとはるかにハードルは低いです。個人でも溜池の大使館に行けばビザは発給してくれます。
> ソ連邦は鎖国はしておりませんので当時も共産主義国同士はだいたいビザ無しで入国できるようです。
> 当時のプラガやプロブディフのような田舎町などにも陸上を移動してきた中国人行商人が多くいましたしね。

テレビ朝日の番組じゃないですけど、今も昔も変わらず、
本当に「こんなところに中国人」って感じですよね、中国人は(笑)。
あのバイタリティは、どこから来るんでしょう?
単に「人口の絶対数が多いから」という以上の何かがあるように感じます。

> まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)

日本からの直行便なんて無いでしょうし、
それこそ、乗り継ぎ、乗り継ぎになりそうですからねえ。
でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?


> > > ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> > > 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。

> > これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
> > いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
> > クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
> > ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、

> 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> 私はヤロスラーブルの街にいました。

いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?
リヴォフみたいに中継地という立地でも無いでしょうし、
気になって調べてみた所、動乱時代のモスクワ陥落時の臨時首都が、この街だそうで、
歴史的な建築物も多く残されてるらしいですから、その辺が関係しているのでしょうか?

> 突然ラジオからゴルバチョフが病気で倒れたということが流れ、
> (当時の私のロシア語のヒアリング能力はこの程度)
> 近くのロシア人に聞いたところ「ゴルバチョフが失脚した」とのことでした。
> 私が持っていたロシア語会話集の中に「クーデターが起きたのですか?」の一文があったので確認したら
> ロシア人は「Да(YES)」とのこと。

「クーデターが起きたのですか?」って、何でそんな例文が載ってるんですか?(笑)
そして、かなりデリケートな質問だと思うのに、意外と外国人にも素直に答えてもらえるんですね。

> 結局現地では情報も入らないのでモスクワに移動し、
> クトーゾフ通りの外国人アパートに出向き状況を確認しました。
> 結局現地に居るよりも東京からの新聞(2日遅れで入荷する)の方が詳しい情報があったりするのでした。

なるほど、情報というのも時や場合によりけりで、
噂話の方が早い時もあれば、外部からの発信の方が早い時もありますものね。
って、現地ではそこまで大事にはなっていなかったんですか?
私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・

あと、この事件が引き金となる形で、あのソ連があっという間に崩壊してしまいますけども、
その事に対して、現地の市民の反応はどうだったのかは、かなり興味があります。
ベロヴェーシ合意にしても、市民は突然それを知らされた訳ですよねえ?
秘密会議の舞台裏は、書籍やドキュメント番組などで、いくらか伺い知る事は出来るのですが、
その時の国民の反応などは、なかなか解らないもので・・・・

> しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。


> > とりあえずの質問は、その半年に及ぶ滞在は、初めから予定しての事だったのですか?
> 一応はじめっからの予定でしたね。学生みたいな身分でしたので
> バイト感覚で映画「おろしや国酔夢譚」の関連企画(正確にはオフィシャルとは全く関係のない便乗企画)で

ありましたね〜、「おろしや国酔夢譚」(笑)。
莫大な制作費を掛けた割には、興行収入をあまり得られず、大赤字になったんでしたっけ?
当時見たはずなのですが、ロシアの映像が綺麗だったくらいしか記憶にない・・・・
いま見直したら、また違った感想になるでしょうかねえ?

> レニングラードに滞在しておりました。
サンクトペテルブルクは、私が憧れてる都市の1つなのですが、
「レニングラード」と表記されると、一気にイメージが変わるから不思議(笑)。
時期的に言うと、ちょうど市の名前が変わった頃ですか?(1991年11月に改称らしいので)
って、ソ連の崩壊前に都市の名前が、市民の要望でサンクトペテルブルクに戻されるって、
レニングラードという名称は、実は住民からも好かれてなっかたんですかねえ・・・・
ところでサンクトペテルブルクというと、エルミタージュ美術館には行かれましたか?
ルネサンスからバロック、ロココを経て印象派へ至るまで、その収蔵絵画は世界でも屈指ですけど、
私が最も好きなカンディンスキーの「コンポジション6」もあるはずですが、ご覧になりましたか?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/f/fc/Kandinsky_-_Composition_VI_%281913%29.jpg

> その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> (ドライブ中に道路標識に「Kabul ××kM(何故かこれだけ英語表記、ドゥシャンベすらキリル文字での表記なのに)」
> と出てくるとちょっと焦ります。)

アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
(以前、マスードの歴史Flashを作ってましたけど、未完のまま途中で止まっちゃたなぁ・・・・)
って、そんな地域にまで外国人が行けるのかと、改めて思いました。
それにしても、本当にあちこち行かれたんですね(笑)。
「何故また中央アジアに?」という印象です(サマルカンドやブハラは見たい気もしますが)。
ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?


> > > 1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
> > こちらは、ソ連の支配から脱して、東欧諸国が新たな国造りで熱かった頃ですね。
> > 東欧の民主化や資本主義への移行は、各国ごとにそれぞれ状況が異なったとは思いますが、
> > その辺の事で、特に印象に残った事などはありましたか?

> やっぱり貧しい国だからこそ西欧への憧れが大きいようです。
> ウクライナであった企業家とお話したときですが「ウクライナは2〜3年で西欧に追いつく」と述べていたことは印象的でした。
> その彼の希望は20年経過しても残念ながら実現しておりませんが。

さすがに2〜3年でとは行かずとも、何でも揃っているウクライナの潜在能力を考えると、
もう少し上手く行ってても良さそうですが、現実はなかなか厳しいみたいですね。
統計データの推移↓を見ると、イメージ以上に大変そう(人口減少と実質GDPが特に)。
http://ecodb.net/country/UA/
キッシンジャーと並び称され、オバマ政権でも外交ブレーンを務めるブレジンスキーが、
「15年後、フランス・ドイツ・ポーランド・ウクライナが欧州の新たな軸になる」と、
15年ほど前に出された本に書いてましたけども、そうはなっていませんね(笑)。

それと、ウクライナ人やベラルーシ人って、ロシア人とどれくらい違うんですか?
正直な所、当の本人たちはどう思っているのかも、よく解りません・・・・
やはりソ連時代と独立後とでは、民族意識の持ち方が変化していたりするのでしょうか?
独立直後はロシア代表を選ぶウクライナ人選手もいましたが、現在ではまず有り得ないでしょうし。
また、これはカザフスタンなどでも大変らしいですが、
国民の母語の脱ロシア語化って、現状ではどうなっているのでしょ?

> とりあえず簡単に返信しておきました。
> しかし、インターネットって便利な反面、現地にどっぷりつかることができなくなりますね。
> 当時はロシア語であろうが2〜3週間で普通に会話ができるようになりましたが
> (ロシア語が話せなければ現地では何もできませんので否応にも話せるようになります)
> 今では一カ月間滞在しても英語ですら話せないと断言できます(苦笑)

インターネットは便利すぎますからねえ(笑)。
調べモノをするにしても、ネットの登場以前と以後では、
掛かる手間や得られる情報量が、格段に変化しましたし、
しかもそれは、地方だろうと、海外だろうと、場所を選ばないんですよねえ。
(ただし情報の取捨選択を心得ていないと、却って圧倒する情報量に溺れそうですが)
ですから、言葉の通じない外国に行っても、以前に比べれば困る事も減ったでしょし、
逆に言うと、日本に居ながら、海外の人と交流する事も可能な時代なんですよねえ。
まあ、海外とまでは行かなくても、こうして体験談を伺う機会なども得られる訳ですしね(笑)。


[18833] Re:ソ連の体験談をミカエルさんに聞くコーナー(笑)返信 削除
2014/3/8 (土) 19:45:52 ミカエル

すいません。一週間多忙で返信に時間がとれませんでした。

▼ 徳翁導誉さん
> 初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
> 日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。


ソ連に初めて入国したのはハバロフスクだったのですが、まず街の雰囲気が灰色だったりセピア色なんですよ。
当時の日本と比べても華やかさが全くない土地でした。
このあたりは時間が経つにつれて慣れてくるかと思いましたが
結局ヨーロッパロシアに入るまで全く解決しませんでした。
また、特別の事情で当時に閉鎖都市「クラスノヤルスク」での滞在は
とてもとても古く暗いホテル住まいだったので大変でした。
ホテルの部屋に怪しい電話やドアをたたく音もするのでかなり恐怖ですよ。
(後程確認したところ所謂「売春婦」だったようですが)

> > ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
> 言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
> 丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。


はい、以下のとおりの行程です。
中谷剛さんの本を読み、ご本人のガイドも受けてきました。
 
> > ちなみに当時の行程はワルシャワ→(鉄道IC)→クラコヴィア→(バスEuroline)
> > →リヴォフ→(飛行機LOT)→ワルシャワ→(飛行機AF)→モスクワでした。

> 何だか凄い行程ですねえ・・・・
> 乗り物酔いの酷い私には、絶対に無理だと思います(笑)。
>
> > > ・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
> > > 『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
> > > http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html

> > ホントにあっという間に政権崩壊してしまいましたね。
> > 今後どうなるのでしょうか?東西分裂は極論だとしても

> ヤヌコーヴィチが国内東部に留まり、徹底抗戦で応じていれば、
> 内戦から東西分裂の流れも有り得たでしょうが、少なくともそれは回避できた模様。
> でもまあ、全てはプーチンの対応次第なんでしょうけど、恐らく当分の間は様子見でしょうね。
> 親ロシア政権が倒れた以上、1兆円を超える財政支援も、天然ガスの7割引き価格も停止なので、
> 仮に混乱が収束できたとしても、ウクライナはすぐさま困難に直面するでしょうし、
> これを支持したEU側が、ロシアに代わって、どれだけ支援の負担に耐えられるのか?
> ギリシャ問題だけでも、あれだけ揉めてるというのに・・・・
> まあ逆に言えば、IMFの国家再生プランは、ロシアからの支援ほど甘くは無いので、
> 国民から上がる反発の方も、ウクライナの方がギリシャの比にならない可能性も・・・・
> あと、オレンジ革命の例を見るまでもなく、デモの過熱化にはアメリカも一枚噛んでいるはずですが、
> ソチ五輪の隙に煽ったアメリカと、直接の対応を強いられるEUとの関係は、実際どうなんでしょ?
> EUがアメリカ側に経済負担を割り振れば、その分の何割かは日本が代理で負担するんですかねえ?
>
> と言いますか、そもそもデモは収束するのでしょうか?
> 年内の選挙実施で、野党勢力は合意できたとしても、それは野党の利益であって、
> 100名近い死者を出したデモ隊が、それで納得して収まる状況には見えないのですが・・・・
> アメリカにしても、火に油を注ぐ事は出来ても、それを鎮火する事は出来ないでしょうし。
> 何だか3年前のエジプトと、状況がかなり酷似しているような気がします。
> 「反ヤヌコーヴィチ」では纏まる事が出来ても、そもそも野党勢力もバラバラですから。
> 釈放されたティモシェンコは出馬するらしいですが、クリチコ兄も当然出馬しますよねえ?
> 親ロシア政権が倒れても、ロシア系の国民が居なくなる訳ではないので、
> 最終的には決選投票で親EU派が勝つにしても、1回目の投票で親ロシア派に負ける展開は・・・・
>
> > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・


この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。
前大統領は復権をめざしロストフ=オン=ドンにとどまっているようですが
ロシアも全面的な軍事進攻はするとは思えませんし。
ただし、クリミアの分離独立傾向はさらに進んでいくのでしょうね。
まぁ、ロシアへの分離併合まで一気にすすむかどうかは微妙だとは思います。
ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。
トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・

> ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
> 州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
> 日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
> それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・
> 歴史的な経緯を考えれば、リヴィウが分離独立を目指しても説明は付きますし、
> ユーゴ分裂時のスロベニアのように、国内の混乱を余所に自分たちはEU加盟なんて構想も?
> まあ実例ですと、20年前にクリミアの州議会も独立宣言を行い、
> 結果的には州から自治国に格上げされて事態は一時収束しましたから、
> リヴィウも一気に独立とまでは行かなくても、それくらいの権利拡大は求める可能性はあるかも?


リヴォフ周辺が独立することは可能性としては無いのでは?
ウクライナ人の国家が2つになってしまいますので不安定化してしまいます。

> > まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> > 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> > (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)

> 日本からの直行便なんて無いでしょうし、
> それこそ、乗り継ぎ、乗り継ぎになりそうですからねえ。
> でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?


サンマリノ、行くのは大変ですよ(笑)
ローマからアンコナを経てリミニまで行きます。
ローマからリミニまで7時間程度かかりますし、そこから国境を越えるバスに乗って1時間ですよ。
でもなぜかサンマリノにはメキシコ大使館をはじめ南米各国の大使館があったりします。(謎)
アンドラは行ったことはありませんがあっちも大変のようです。
 
> > > > ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> > > > 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。

> > > これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
> > > いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
> > > クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
> > > ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、

> > 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> > 私はヤロスラーブルの街にいました。

> いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
> モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
> 長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
> ・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?


はい、その「ヤロスラブリ」で間違いないです。
学生時には正教の研究をしておりましたので「ヤロスラブリ」などを含む
「黄金の輪」の地域には良く出向いていました。
ちょうど「ヤロスラブリ」の街の創建1000年だそうで宗教的行事が開かれていました。
(教会自体はほぼ廃墟になっているのですが少しずつアレクセイ2世の権威が復活しはじめた時期
なのでこのようなこともできたのでしょう)

> > 突然ラジオからゴルバチョフが病気で倒れたということが流れ、
> > (当時の私のロシア語のヒアリング能力はこの程度)
> > 近くのロシア人に聞いたところ「ゴルバチョフが失脚した」とのことでした。
> > 私が持っていたロシア語会話集の中に「クーデターが起きたのですか?」の一文があったので確認したら
> > ロシア人は「Да(YES)」とのこと。

> 「クーデターが起きたのですか?」って、何でそんな例文が載ってるんですか?(笑)


http://www.amazon.co.jp/%E6%A8%99%E6%BA%96%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BC%9A%E8%A9%B1-%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%9D%B1-%E4%B8%80%E5%A4%AB/dp/4560006113/ref=sr_1_94?s=books&ie=UTF8&qid=1394273784&sr=1-94&keywords=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%E3%80%80%E4%BC%9A%E8%A9%B1
これには載ってます(笑)

> そして、かなりデリケートな質問だと思うのに、意外と外国人にも素直に答えてもらえるんですね。
全く大丈夫でしたね。
モスクワで良く出入りしていたのはクトゥーゾフ通7番地の「外国人アパート」
だったのですが近くには「ウクライナホテル」や「コメコン本部」そして「ロシア共和国のホワイトハウス」が
ありましたが、燃えたバスとかバリケードに覆われたホワイトハウスも普通に写真とれましたね。

また、8月革命3日後の22日には普通にクレムリンの中に入れました。
エリツィンの勝利宣言の集会には出向いても全く危険を感じることはありませんでした。
>
> > 結局現地では情報も入らないのでモスクワに移動し、
> > クトーゾフ通りの外国人アパートに出向き状況を確認しました。
> > 結局現地に居るよりも東京からの新聞(2日遅れで入荷する)の方が詳しい情報があったりするのでした。

> なるほど、情報というのも時や場合によりけりで、
> 噂話の方が早い時もあれば、外部からの発信の方が早い時もありますものね。
> って、現地ではそこまで大事にはなっていなかったんですか?


よくコップの中の嵐と言われますがまさにそんな感じでしょう。
後のハズブラートフの時の騒動はもっとそんな感じだったのでしょう。
しかし、この外国人アパートの存在がほぼ正確な情報を入手できたと思いますよ。
(この建物の詳細は今井博の「モスクワ特派員報告(岩波新書)」に詳しくでています)

> 私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
> 核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・


そうなんですよね。私の子供のころはブレジネフ政権時だったので
一時期は米ソ開戦一歩手前まで行った時でしたから。
そのような超大国がこのようなことになるとははっきりいっておもいませんでした。

> > しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> > モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

> 1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
> 佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
> 日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。


そうなんですねぇ。モスクワで起きていることよりそっちの方が大事かも(笑)
(私は広島ファン)

> > その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> > (ドライブ中に道路標識に「Kabul ××kM(何故かこれだけ英語表記、ドゥシャンベすらキリル文字での表記なのに)」
> > と出てくるとちょっと焦ります。)

> アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
> (以前、マスードの歴史Flashを作ってましたけど、未完のまま途中で止まっちゃたなぁ・・・・)
> って、そんな地域にまで外国人が行けるのかと、改めて思いました。
> それにしても、本当にあちこち行かれたんですね(笑)。
> 「何故また中央アジアに?」という印象です(サマルカンドやブハラは見たい気もしますが)。
> ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?


ちょうど9月にちょっと日本に帰ることになり、それならちょっと寄り道をしました。
レニングラード → 飛行機 → モスクワ → 飛行機 → サマルカンド(ウズベク) → 乗用車
→ ドゥシャンベ(タジク) → 飛行機 → タシケント (ウズベク) → アバカン (カザフ)
→ 飛行機 → ハバロフスク → 新潟
でした。 今考えると、もうこの経路を再現するのは不可能に近いですねぇ。

それにしてももう20年も前のことなんですよねぇ。
あー年くったなぁ。


[18856] 今昔のロシア・東欧事情返信 削除
2014/3/14 (金) 19:57:44 徳翁導誉

> すいません。一週間多忙で返信に時間がとれませんでした。
いえいえ、別に急ぎの用件って訳じゃ無いですし、
ウクライナ情勢の方もジワジワと進行中なので、
仮に2週間に1度くらいのペースでも、私の方は全然構いませんよ(笑)。
いつもは抑えてる長文癖も、今回はあまり気にせず返信してるので、読むだけでも一苦労でしょうし。

> > 初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
> > 日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。

> ソ連に初めて入国したのはハバロフスクだったのですが、まず街の雰囲気が灰色だったりセピア色なんですよ。
> 当時の日本と比べても華やかさが全くない土地でした。
> このあたりは時間が経つにつれて慣れてくるかと思いましたが
> 結局ヨーロッパロシアに入るまで全く解決しませんでした。

なるほど、映像から通して伝わる、社会主義国特有の無機質な街並みのイメージは、
(革命の初期には、前衛アートとの蜜月時代があったんですけどねえ・・・)
実際に現地で見てみても、そのまま変わらないんですね(笑)。
冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?
とりあえず、バクーの夜景ライトアップがとんでもない事になっているのは聞いていますが(笑)。

> また、特別の事情で当時に閉鎖都市「クラスノヤルスク」での滞在は
> とてもとても古く暗いホテル住まいだったので大変でした。
> ホテルの部屋に怪しい電話やドアをたたく音もするのでかなり恐怖ですよ。
> (後程確認したところ所謂「売春婦」だったようですが)

こう言うのはまさに、現地の体験談じゃないと解らない話ですよね(笑)。

> > > ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
> > 言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
> > 丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。

> はい、以下のとおりの行程です。
> 中谷剛さんの本を読み、ご本人のガイドも受けてきました。

旧アウシュヴィッツ収容所で、公式ガイドをされてる方ですね。
名前だけだと誰なのか解りませでしたが、検索してみてピンときました。
ところでアウシュヴィッツと言えば、その中谷さんの著作を含め、
「アンネの日記」などのホロコースト関連の書籍が破られる事件があり、
昨日、容疑者が逮捕されたらしいですが、あれは一体どんな意図で行われたんですかねえ?
浦和レッズの差別横断幕の件とかなら、根幹は恐らく嫌韓なんだろうと想像は付きますけど・・・・

> > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。
> 前大統領は復権をめざしロストフ=オン=ドンにとどまっているようですが
> ロシアも全面的な軍事進攻はするとは思えませんし。

私もそう思っていましたが、予想を上回るクリミア情勢の急速な緊張感の高まりを受けて、
「もしかしたら・・・」という考えも、まだ低いですが、日増しに強くなりつつありますね。
独立宣言を行ったクリミア自治政府と、それを認めないウクライナ暫定政権との間で、
武力衝突が起き、そこにロシア軍が加担するような展開に発展すれば、
ウクライナ東部におけるロシア系住民への締め付けや蜂起が発生する可能性はありますし、
その場合はクリミアで火が付いてしまった以上、そちらにも類焼する事も有り得無くは無いので。
もちろん現段階では、「さすがにそこまでは」と私も考えますけど、
これだけ緊迫を増した状況になると、時には急転直下で物事が激変しますからねえ・・・・

> ただし、クリミアの分離独立傾向はさらに進んでいくのでしょうね。
> まぁ、ロシアへの分離併合まで一気にすすむかどうかは微妙だとは思います。

いや本当、クリミアの件は一体どうなるうでしょ?
前倒しに前倒しされ、この日曜にもロシア編入の是非を問う住民投票が行われる事になりましたが、
ここまでスケジュールが早まり、投票内容も先鋭化するとは、私も当初は考えてませんでした。
住民投票はロシア編入ではなく独立の賛否を問うモノになり、その結果、
クリミアが独立を宣言して、ウクライナや欧米は認めなくても、ロシアが承認&支援し、
実質的には独立国となる「南オセチア化」するシナリオが、妥当な落とし所かと見ていたので・・・・
ひょっとしたらプーチン自身も、ここまで急進化した事態に苦慮しているのでは?
一般的には、大国の利害により、小国が良いように振り回されるイメージが強いですが、
ただ実際には、小国の暴走により、大国が振り回されるケースも、決して珍しくは無いですからねえ。
ロシア下院の方からも、編入手続きを簡素化するようプーチンは突かれてますし、
一方で、独立ではなく編入となると、「欧米もコソボを独立させた」という先例を名分に使えませんし、
そして何より、編入まで踏み込んでしまうと、欧米との対立の出口戦略が描き難くなる上に、
南オセチアやアブハジアに関しても、同様の処置を要する展開になりかないですからねえ・・・・

> ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
> ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。

オセット人の場合は、大多数が正教徒ですし、グルジアという明確な敵も居るので、
ロシアとしては、まだ扱いやすい少数民族だとは思いますが、
クリミア・タタール人の方は、大多数がイスラム教徒な上、ロシアに対する感情も悪いだけに、
オセチアの事情とは、また違った感じなんじゃないですかねえ?
クリミア編入でタタール人の帰還が加速すれば、逆に今度はロシアからの独立を求める声が強まりそうですし。
・・・って、もしかして「第二のオセチア」ではなく「第二のチェチェン」の間違いですか?
それであれば、その可能性は私もあると思います。

> トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
んん?
これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?
どちらなのかで、意味も大きく変わって来ると思いますけど。
ただ個人的には、「分離独立させた上で本国併合」という流れだと、
テキサス共和国やカリフォルニア共和国を思い出しちゃうんですよね(笑)。

> > ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
> > 州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
> > 日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
> > それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・

> リヴォフ周辺が独立することは可能性としては無いのでは?
> ウクライナ人の国家が2つになってしまいますので不安定化してしまいます。

う〜ん、まあ普通に考えれば、暫定政権と共同歩調が妥当な線なのでしょうけど、
今回のデモが起きる前に、この記事の地図↓を見た際に、
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshij007/32491322.html
「何でリヴィウ州だけ色が違うんだろう?」と思った記憶が、強く残ってまして・・・・
って、キリル文字とか読めないので、これが何なのか未だに謎なままなんですけどね(笑)。
(「2012」の数字が見えるので、恐らく議会選挙の各州の第一党かな?とは想像しますが)
ただ、クリミアの独立宣言が欧米を刺激した以上、そんな青写真はもう描けないのは確かかと。
未だにポーランド系住民が多ければ話は別でしょうけど、現状はそうじゃないですしね。

> > > まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> > > 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> > > (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)

> > でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?

> サンマリノ、行くのは大変ですよ(笑)
> ローマからアンコナを経てリミニまで行きます。
> ローマからリミニまで7時間程度かかりますし、そこから国境を越えるバスに乗って1時間ですよ。

いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
とイメージした次第です(笑)。
例えば日本への観光でも、山奥にある白川郷だけを見に行くのは大変そうですが、
金沢観光とセットなら、バスで1時間ちょっとらしいので、苦にならなそうな感じでしょうか?

> > > 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> > > 私はヤロスラーブルの街にいました。

> > いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
> > モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
> > 長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
> > ・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?

> はい、その「ヤロスラブリ」で間違いないです。
> 「ヤロスラブリ」などを含む「黄金の輪」の地域には良く出向いていました。

なるほど、各都市名までは解らなくても、「黄金の環」と言われればイメージが湧きますね。
古都ウラジーミルみたいな感じを想像すれば、だいたい良いですかねえ?
繁栄を続ける首都モスクワよりも、却って郊外の方が古い建築群が残っていそうですし。
私のロシア史に関する知識は、雷帝と呼ばれたイヴァン4世から始まりますけど、
モスクワ大公国からロシア帝国へと至る下地を築いた先代たちの歴史も、結構面白そうかも?
(モンゴル好きなので、ジョチ・ウルスの盛衰から通して見た、諸公国の歴史は何となく解りますが)

> 学生時には正教の研究をしておりましたので
だから以前、中世東欧の話をされてた訳ですね。
ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?

> ちょうど「ヤロスラブリ」の街の創建1000年だそうで宗教的行事が開かれていました。
> (教会自体はほぼ廃墟になっているのですが少しずつアレクセイ2世の権威が復活しはじめた時期
> なのでこのようなこともできたのでしょう)

前々から疑問だったのですが、ソ連時代の信仰事情って、実際はどうだったんでしょ?
共産主義では宗教に対して否定的な一方、ロシア人自体は敬虔な正教徒のイメージが強いので、
目に見える教会の方は廃れていっても、心の中にある信仰心の方は強く残っていたであろう事は、
ソ連崩壊後の急速な復活ぶりを見るだけでも、何となく想像はつきますけども。

> モスクワで良く出入りしていたのはクトゥーゾフ通7番地の「外国人アパート」
> だったのですが近くには「ウクライナホテル」や「コメコン本部」そして「ロシア共和国のホワイトハウス」が
> ありましたが、燃えたバスとかバリケードに覆われたホワイトハウスも普通に写真とれましたね。
> また、8月革命3日後の22日には普通にクレムリンの中に入れました。
> エリツィンの勝利宣言の集会には出向いても全く危険を感じることはありませんでした。

えっ!?
あのベールイ・ドーム前での勝利集会にも立ち会ったんですか?
大群衆だった記憶があるので、現場に居合わせれば参加できそうなのは理解できますが、
何より、そんな世界史の1ページに「居合わせた」という事が何より凄いですね!!
数行前の「コメコンって懐かしいなぁ」なんて感想が、すぐに消し飛んでしまいましたよ(笑)。

> よくコップの中の嵐と言われますがまさにそんな感じでしょう。
> 後のハズブラートフの時の騒動はもっとそんな感じだったのでしょう。

でもあの時は、真っ白なベールイ・ドームが、砲撃で真っ黒に焼け焦げてましたし、
さすがに緊迫感は高かったように想像しますけど、まあ空気感は現地に居ないと解りませんからねえ。

> しかし、この外国人アパートの存在がほぼ正確な情報を入手できたと思いますよ。
> (この建物の詳細は今井博の「モスクワ特派員報告(岩波新書)」に詳しくでています)

ちょっと興味が湧きましたけど、調べてみると絶版本ですね・・・・
まあ、ソ連崩壊から既に20年以上が経過してますし、仕方ない面もあるのかな?
ちなみに現地ルポものだと、先日読んだ「謎の独立国家ソマリランド」が面白かったのです。

> > 私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
> > 核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・

> そうなんですよね。私の子供のころはブレジネフ政権時だったので
> 一時期は米ソ開戦一歩手前まで行った時でしたから。

赤い嵐シナリオでも採用した「新冷戦」の時代ですね。
って、今後のウクライナ情勢に対する米ロの対応次第では、
まさに今の時代こそが「新冷戦」と呼ばれかねませんが・・・・

> そのような超大国がこのようなことになるとははっきりいっておもいませんでした。
こんなにもあっさりと、冷戦が終わり、ソ連邦が崩壊し、東西ドイツが統合するなんて、
当時は想像だにしてませんでしたからねえ(私が子供だったからかも知れませんが)。

> > > しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> > > モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

> > 1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
> > 佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
> > 日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。

> そうなんですねぇ。モスクワで起きていることよりそっちの方が大事かも(笑)

日本を離れているからこそ、国内に居た時以上に「試合結果が気になる」という話はよく聞きますしね。
特にプロ野球の場合、シーズン中は毎日のように試合がありますし、
「情報で日本と繋がる」という事を考えると、プロ野球って大きな存在だったのかも?
今のプロ野球事情を思うと、過去形になりつつあるのは寂しいですが・・・・

> (私は広島ファン)
私は中日ファンですけど、一番下の弟が広島ファンですね。
まあ私の場合は単純に、プロ野球を見始めた時に住んでいたのが名古屋だったからですが、
弟が見始めた頃は、地元に球団が無い静岡に住んでいたので、
「緒方・正田・野村・江藤・前田・ロペス・金本・西山」という最強打線に惹かれてファンになり、
そのおかげで、十数年に及ぶBクラス地獄を味わう羽目に(笑)。
そんな訳で、1993年の最後の広島リーグ優勝も、私は見てますが、弟は見ていないと。
ちなみにミカエルさんの年代ですと、私も見てない「赤ヘル旋風」時代まで知ってるのかな?

> > > その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> > アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
> > ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?

> ちょうど9月にちょっと日本に帰ることになり、それならちょっと寄り道をしました。
> レニングラード → 飛行機 → モスクワ → 飛行機 → サマルカンド(ウズベク) → 乗用車
> → ドゥシャンベ(タジク) → 飛行機 → タシケント (ウズベク) → アバカン (カザフ)
> → 飛行機 → ハバロフスク → 新潟
> でした。 今考えると、もうこの経路を再現するのは不可能に近いですねぇ。

めちゃくちゃ乗り継いでるじゃないですか!?(笑)
以前、シベリア鉄道の話が出ていたので、鉄路なのかと勝手に想像してました。

> それにしてももう20年も前のことなんですよねぇ。
> あー年くったなぁ。

このサイト内でも、ソ連の記憶がある人って、ごく一部でしょうしね(笑)。
中高生だと、長野五輪や日韓W杯ですら、物心つく前の出来事だったりしますから。


[18911] Re:今昔のロシア・東欧事情返信 削除
2014/4/3 (木) 23:44:28 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん

やっぱり年度末です。
消費税の駆け込み需要による物流の混乱を受けここ数週間が多忙でした。


> > > 初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
> > > 日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。

> > ソ連に初めて入国したのはハバロフスクだったのですが、まず街の雰囲気が灰色だったりセピア色なんですよ。
> > 当時の日本と比べても華やかさが全くない土地でした。
> > このあたりは時間が経つにつれて慣れてくるかと思いましたが
> > 結局ヨーロッパロシアに入るまで全く解決しませんでした。

> なるほど、映像から通して伝わる、社会主義国特有の無機質な街並みのイメージは、
> (革命の初期には、前衛アートとの蜜月時代があったんですけどねえ・・・)
> 実際に現地で見てみても、そのまま変わらないんですね(笑)。
> 冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
> 今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?


街の雰囲気は25年経過してもぱっと目につくところ以外は社会主義時代の無機質な建物が多いですよ。
集合住宅ややたらに広い道路、場所によってはスターリン様式の建物が見えると(笑)
反対に空港や外資が入っているホテルなどは東京よりモダンで綺麗ですね。
噂だとアルバニアのティラナの空港は超近代的だとか(笑)

> > > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> > この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。


その後の2週間で一気にロシアへの編入が進んでしまいましたね。
このまま既成事実化してしまうのでしょうか。
米国といえどクリミア半島まで派兵する気はなさそうですし。
欧州もキエフの政権をどこまで守れるのでしょうか。

> そして何より、編入まで踏み込んでしまうと、欧米との対立の出口戦略が描き難くなる上に、
> 南オセチアやアブハジアに関しても、同様の処置を要する展開になりかないですからねえ・・・・


本当にそうですねえ。
南オセチア・アブハジア・沿ドニエストルなどもそうですし
バルト三国・カザフスタンなどは厳しい状況に置かれるでしょうね。

> ・・・って、もしかして「第二のオセチア」ではなく「第二のチェチェン」の間違いですか?
> それであれば、その可能性は私もあると思います。


すいません。アブハジアのことでした。

> > トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> んん?
> これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
> それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?


ソ連崩壊後のトゥバですね。

> > > ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
> > > 州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
> > > 日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
> > > それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・

> > リヴォフ周辺が独立することは可能性としては無いのでは?
> > ウクライナ人の国家が2つになってしまいますので不安定化してしまいます。

> う〜ん、まあ普通に考えれば、暫定政権と共同歩調が妥当な線なのでしょうけど、
> 今回のデモが起きる前に、この記事の地図↓を見た際に、
> http://blogs.yahoo.co.jp/yoshij007/32491322.html
> 「何でリヴィウ州だけ色が違うんだろう?」と思った記憶が、強く残ってまして・・・・
> って、キリル文字とか読めないので、これが何なのか未だに謎なままなんですけどね(笑)。
> (「2012」の数字が見えるので、恐らく議会選挙の各州の第一党かな?とは想像しますが)


選挙結果の地図ですね。
リヴィウ州は極右政党(ウクライナの国営放送のトップを襲撃したあの政党)
が第一党だと書かれています。

ちなみにもう一つの地図は前回の大統領選挙の結果です。
ユーシェンコとヤヌコビッチの勢力図ですね。

> > > > まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> > > > 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> > > > (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)

> > > でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?

> > サンマリノ、行くのは大変ですよ(笑)
> > ローマからアンコナを経てリミニまで行きます。
> > ローマからリミニまで7時間程度かかりますし、そこから国境を越えるバスに乗って1時間ですよ。

> いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
> 「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
> 「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
> とイメージした次第です(笑)。


今は半弾丸ツアーしかできないのでサンマリノって遠いんですよ(号泣)
10年ほど前、無職の時に行きましたがあの時は時間がありあまっていたので
ベニス(3泊)フェラーラ(2泊)ラヴェンナ(2泊)フィレンツェ(3泊)
とのんびり堪能してきました。
しかしボローニャって駅は10回以上通っているのに乗り換え以外に1回だけ
駅前で食事した以外何もしていないんですよね。
まああの駅はローマ=ベニス=ミラノ=バーリの4方面からくる鉄道が直角に交差する場所であるために
たいてい遅れがでているのですよねー。
それで焦って次の列車に早々に乗ってしまう(笑)

> ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
> 東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
> 東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
> 例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
> 正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
> 西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
> 王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?


ビザンツ世界における称号ですが前半(マケドニア王朝以前)と後半では
だいぶ違っていて皇帝と帝国からの重要度によって分けられていました。
基本はディオクレティアヌスのテトラルキア制に準じているのですが
所謂「正帝位」(ギリシャ語でバシレイウス)はローマ皇帝とペルシャ皇帝だけで
あとは「副帝位」(ギリシャ語でカイサル)となります。

それ以外ですと「王」(ギリシャ語でレークス、アジア系だとカン)
や「公」(ギリシャ語でデュクス)などが帝国からの重要度に応じて付与されました。

後半になるとビザンツ世界では主に「君侯」(デスポト)を自称していたのですが
ビザンツ帝国の弱体化によりローマ教皇から称号を受けたのです。
セルビア王国もビザンツ側からの史料を見ると「デスポト」なんですよねぇ。
ちなみに「デスポト」の和訳が「専制公」となるのかは私にはよくわかりません。

>
> > ちょうど「ヤロスラブリ」の街の創建1000年だそうで宗教的行事が開かれていました。
> > (教会自体はほぼ廃墟になっているのですが少しずつアレクセイ2世の権威が復活しはじめた時期
> > なのでこのようなこともできたのでしょう)

> 前々から疑問だったのですが、ソ連時代の信仰事情って、実際はどうだったんでしょ?
> 共産主義では宗教に対して否定的な一方、ロシア人自体は敬虔な正教徒のイメージが強いので、
> 目に見える教会の方は廃れていっても、心の中にある信仰心の方は強く残っていたであろう事は、
> ソ連崩壊後の急速な復活ぶりを見るだけでも、何となく想像はつきますけども。


ソ連時代もロシア人は正教を信仰していたと思いますよ。
ブレジネフの葬儀は完全に「正教」式だったと言われています。

> > モスクワで良く出入りしていたのはクトゥーゾフ通7番地の「外国人アパート」
> > だったのですが近くには「ウクライナホテル」や「コメコン本部」そして「ロシア共和国のホワイトハウス」が
> > ありましたが、燃えたバスとかバリケードに覆われたホワイトハウスも普通に写真とれましたね。
> > また、8月革命3日後の22日には普通にクレムリンの中に入れました。
> > エリツィンの勝利宣言の集会には出向いても全く危険を感じることはありませんでした。

> えっ!?
> あのベールイ・ドーム前での勝利集会にも立ち会ったんですか?
> 大群衆だった記憶があるので、現場に居合わせれば参加できそうなのは理解できますが、
> 何より、そんな世界史の1ページに「居合わせた」という事が何より凄いですね!!


偶然ですが居合わせました。確かアルバータ街を出ると行列が出ていたと思います。

> > しかし、この外国人アパートの存在がほぼ正確な情報を入手できたと思いますよ。
> > (この建物の詳細は今井博の「モスクワ特派員報告(岩波新書)」に詳しくでています)

> ちょっと興味が湧きましたけど、調べてみると絶版本ですね・・・・


古本ならまだ手に入れられると思いますよ。
アルメニア総主教とのインタビュー記事や「官製」風刺喜劇作家の紹介など興味深い内容です。

> > > > しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> > > > モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

> > > 1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
> > > 佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
> > > 日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。

> > そうなんですねぇ。モスクワで起きていることよりそっちの方が大事かも(笑)

> 日本を離れているからこそ、国内に居た時以上に「試合結果が気になる」という話はよく聞きますしね。
> 特にプロ野球の場合、シーズン中は毎日のように試合がありますし、
> 「情報で日本と繋がる」という事を考えると、プロ野球って大きな存在だったのかも?
> 今のプロ野球事情を思うと、過去形になりつつあるのは寂しいですが・・・・
>
> > (私は広島ファン)
> 私は中日ファンですけど、一番下の弟が広島ファンですね。
> まあ私の場合は単純に、プロ野球を見始めた時に住んでいたのが名古屋だったからですが、
> 弟が見始めた頃は、地元に球団が無い静岡に住んでいたので、
> 「緒方・正田・野村・江藤・前田・ロペス・金本・西山」という最強打線に惹かれてファンになり、
> そのおかげで、十数年に及ぶBクラス地獄を味わう羽目に(笑)。
> そんな訳で、1993年の最後の広島リーグ優勝も、私は見てますが、弟は見ていないと。
> ちなみにミカエルさんの年代ですと、私も見てない「赤ヘル旋風」時代まで知ってるのかな?


はい、よーく知っています。
私のころは
「高橋慶・山崎・小早川・山本・衣笠・長嶋・木下・達川、代走は今井」の打線
投手は
「北別府・川口・大野・山根・抑えは小林」
でした。

> > > > その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> > > アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
> > > ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?

> > ちょうど9月にちょっと日本に帰ることになり、それならちょっと寄り道をしました。
> > レニングラード → 飛行機 → モスクワ → 飛行機 → サマルカンド(ウズベク) → 乗用車
> > → ドゥシャンベ(タジク) → 飛行機 → タシケント (ウズベク) → アバカン (カザフ)
> > → 飛行機 → ハバロフスク → 新潟
> > でした。 今考えると、もうこの経路を再現するのは不可能に近いですねぇ。

> めちゃくちゃ乗り継いでるじゃないですか!?(笑)
> 以前、シベリア鉄道の話が出ていたので、鉄路なのかと勝手に想像してました。


鉄道移動もありますし、空路での移動もあります。
この時は各所に5連泊しながらの移動だったのでだいぶゆっくりした感じです。
しかしこれでも体を壊しましたが。
お腹の調子が悪いのに新潟空港からの帰りに「青春18きっぷ」で東京に各駅停車で帰ってきた記憶があります。




[18929] クリミアは「第二のズデーテン」になるのか?返信 削除
2014/4/11 (金) 20:24:22 徳翁導誉

> やっぱり年度末です。
> 消費税の駆け込み需要による物流の混乱を受けここ数週間が多忙でした。

予定通りだと、また来年にも消費税を10%にアップする事になってますけど、
この短期間で、本当に再び上げるんですかねえ?
3%から5%が8年、5%から8%が17年と比べると、間隔が短すぎる気がしますが、
短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・

> > 冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
> > 今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?

> 街の雰囲気は25年経過してもぱっと目につくところ以外は社会主義時代の無機質な建物が多いですよ。
> 集合住宅ややたらに広い道路、場所によってはスターリン様式の建物が見えると(笑)
> 反対に空港や外資が入っているホテルなどは東京よりモダンで綺麗ですね。
> 噂だとアルバニアのティラナの空港は超近代的だとか(笑)

まあさすがに、25年程度じゃ表部分くらしか変わらないでしょうからねえ。
そんな中でも、街並みの雰囲気が最も変化した旧東側の国ってどこなんでしょ?
カザフスタンなんて新首都として、計画都市アスタナを黒川紀章の設計で作ってるらしいですから、
http://trekking1179.seesaa.net/article/313283906.html
http://d.hatena.ne.jp/stertwist/20110920/1316480876
http://adaisuke.blog100.fc2.com/blog-entry-33.html
一見すると旧ソ連的な雰囲気は皆無ですが、よく見ると新たな高層建築なのにスターリン様式だったり(笑)。
ちなみに、ミカエルさんが中央アジアへ出向かれたのは、前述の旧ソ連時代が最後なのでしょうか?

あと逆に、昨年の10月にサッカー日本代表がベラルーシで強化試合を行った際、
「今まで旧ソ連の国はいろいろ行ったが、最もソ連の雰囲気が残っている」という観戦記事を読んだのですが、
ルカシェンコ時代が続いている事もあり、やはりベラルーシって、そんな感じなのでしょうか?

> > > > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > > > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > > > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > > > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > > > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > > > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > > > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > > > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > > > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > > > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> > > この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。

> その後の2週間で一気にロシアへの編入が進んでしまいましたね。
> このまま既成事実化してしまうのでしょうか。
> 米国といえどクリミア半島まで派兵する気はなさそうですし。

そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
(本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?

クリミアがコソボ方式の独立ではなく、ロシアへの併合という予想以上の展開を見せ、
更にはアメリカやEUの制裁内容が手緩かった為、東部での展開も一応想定の範囲内ではありましたけど、
本当にここまで事態が悪化している現状が怖いですね・・・・
併合という形になったとは言え、とりあえず「クリミア限定」で手打ちに持っていくのかと思いましたが、
(併合までやってるのに、2018年サッカーW杯の開催権剥奪という案件すら上ってませんので)
この調子だと、クリミアだけでは収まらない可能性も出てきてしまった印象です。
う〜ん、併合だけで終わらないとなると、クリミアは「第二のズデーテン」になってしまうのでしょうか?

> 欧州もキエフの政権をどこまで守れるのでしょうか。
ここまで来ると逆に、どこまで展開が悪化すれば、NATOは平和維持部隊を送るのかが気になります。
アメリカにしても、EUにしても、本音を言えば関わりたくないでしょうけど、
武力衝突を避ける為にも、どのラインを越えれば軍隊を駐屯せざるを得ないのでしょうか?
例えば、上記の東部3州にロシア軍が派遣される展開になった場合は、どうするんですかねえ?
そこでも動かないと、「クリミアと地続きになるまで」「とりあえずドニエプル川まで」って具合に、
決断できないまま、ズルズルと事態を悪化させかねない危険性すら孕んでますし・・・・
シリアでの一件を見ても、オバマがどこで決断できるのかは、不安要素ではあるんでよねえ。

> > そして何より、編入まで踏み込んでしまうと、欧米との対立の出口戦略が描き難くなる上に、
> > 南オセチアやアブハジアに関しても、同様の処置を要する展開になりかないですからねえ・・・・

> 本当にそうですねえ。
> 南オセチア・アブハジア・沿ドニエストルなどもそうですし

沿ドニエストルは、南オセチアやアブハジアとは違って、ロシアと隣接してませんからねえ。
飛び地の併合と言うのは、軍事面や輸送面から言っても困難を極めますし、
クリミアや南オセチア・アブハジアとは、また違う次元なんだろうとは思います。
実際に数年前、沿ドニエストル側が住民投票によってロシアへの編入を求めた際にも、
ロシア側はそれに応じず、独立さえ承認しないで、モルドバでの連邦制を望む態度でしたし。
逆に言えば、ロシア側が沿ドニエストル問題を過熱化させるような場合には、
その立地から言って、ウクライナとの全面衝突を強いられる可能性が高く、
そうなると、もう1つ高い段階に事態が進行しているような気がします・・・・

ただモルドバの場合、極右的な民族派は沿ドニエストルの併合を望む一方、
親EU派は面倒な沿ドニエストルを切り離し、ルーマニアとの再統合を望んでるそうなので、
http://jp.rbth.com/politics/2014/04/03/47775.html
民族派と親EU派が手を組めたウクライナとは、また事情が異なって来るんでしょうね・・・・
その一方で、モルドバはウクライナとルーマニアに挟まれた内陸国なので、
ウクライナとロシアが対立している状況だと、ロシアとの関税同盟を望む親ロシア派も大変そう。

> バルト三国・カザフスタンなどは厳しい状況に置かれるでしょうね。
プーチン政権になって以降、中国・カザフスタン・ノルウェーとは係争地を面積等分し、
ラトビアなどとも国境線の現状維持でまとめ、残るエストニアとも今年2月に国境を画定させて、
あとは日本との北方領土だけという所まで、ロシアは持って来ており、
日本側も安倍内閣が長期政権化しそうな為、問題解決が期待されてたんですけど
さすがに今回のクリミア併合は、既に国境問題を解決させた周辺国さえ刺激する悪手かと・・・・
欧州連合に対抗する「ユーラシア連合」の結成に前向きだったカザフスタンやベラルーシにしても、
両国とも非常の多くのロシア系住民を抱える実情を踏まえると、こちらすら停滞しかねませんし。

> > > ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
> > > ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。

> > ・・・って、もしかして「第二のオセチア」ではなく「第二のチェチェン」の間違いですか?
> > それであれば、その可能性は私もあると思います。

> すいません。アブハジアのことでした。

んん、「第二のアブハジア」ですか!?
すみません、それだと正直イメージが湧きません・・・・

「第二のチェチェン」ならば、クリミア・タタール人はイスラム教徒が多いですし、
強制移住を強いられた過去や、生活が不安定な現状に対する不満などから、
チェチェン同様に、この後の展開次第でイスラム系のテロ・紛争が起きる恐れがあるので解ります。
一方で「第二のオセチア」だと、オセット人は親ロシアの傾向が強いので、
ロシア国内の北オセチアを通じて、グルジア国内の南オセチアの懐柔工作が行われている現状から、
同様に、ロシア国内のタタール人が、クリミアのタタール人を懐柔させる方法もあるでしょうけど、
クリミアのロシア併合に対して、反対の急先鋒がウクライナ人ではなくタタール人な状況から、
そうした展開も有り得なくは無いものの、可能性の話で言えば凄い低いように思うんです。
ただ、「第二のアブハジア」となると、グルジアに対する敵対意識がとにかく強く、
オセチアのように親ロシアと言うよりも、「敵の敵は味方」とロシアを頼っている認識があるので、
これをクリミアとタタール人に当てはめるのは、個人的に難しいように思うんです・・・・


> > > トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> > んん?
> > これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
> > それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?

> ソ連崩壊後のトゥバですね。

返信後に少し調べてみた所、トゥバってソ連崩壊の直前に「主権回復宣言」をしてたんですね。
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/996/1/KJ00000044314.pdf#page=23
ソ連が崩壊し、連邦を構成していた共和国が独立した後に、
ソ連にあった自治共和国の方も、旧構成国内の共和国に格上げされた事は知ってましたが、
スムーズに事が進んだというよりも、このような経緯があっての格上げだったんですね。
それを事前に知っていれば、「モンゴル、独立への道」の構成も少し変えてたかも?(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=0d3xWBbFPsc
あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。


> > 今回のデモが起きる前に、この記事の地図↓を見た際に、
> > http://blogs.yahoo.co.jp/yoshij007/32491322.html
> > 「何でリヴィウ州だけ色が違うんだろう?」と思った記憶が、強く残ってまして・・・・
> > って、キリル文字とか読めないので、これが何なのか未だに謎なままなんですけどね(笑)。
> > (「2012」の数字が見えるので、恐らく議会選挙の各州の第一党かな?とは想像しますが)

> 選挙結果の地図ですね。
> リヴィウ州は極右政党(ウクライナの国営放送のトップを襲撃したあの政党)
> が第一党だと書かれています。

「リヴィウ」という都市名だけだと、それこそ「世界遺産の古都」というイメージが強いですが、
大戦後に入植したウクライナ系の新住民が多いという事情を考えると、
ウクライナ国内の他のどの地域よりも、民族主義的なのかも知れませんね?
地理的にもロシアから離れてますので、過激に振る舞っても大丈夫でしょうし。

> ちなみにもう一つの地図は前回の大統領選挙の結果です。
> ユーシェンコとヤヌコビッチの勢力図ですね。

はい、こちらは見慣れた分布図なので解りました。
逆に言うと、そこから導いての「左側は議会選挙かな?」という推測でした。

ところで、来月に行われる予定の大統領選挙の方ですが、
有力候補の1人だったボクシング世界王者のクリチコ兄が、
もう1人の有力候補である、世界的な菓子メーカー会長の「チョコレート王」と手を組み、
大統領選への出馬を取りやめて、自身はキエフ市長選に転進するらしいですが、
これはもう大統領選挙に関しては、ほぼ大勢が決した感じなんですかねえ?
釈放されたティモシェンコにしても、首相時代の評価から賛否両論でしょうし、
地域党もヤヌコビッチの後任を立てるそうですが、今回は流石に厳しいでしょうから、
下手をすると、インターネット党の「ベイダー卿」に話題を奪われるかも?(笑)
http://www.asahi.com/articles/ASG452QLSG45UHBI008.html
でもまあ、親ロシア傾向が強い東部の情勢がこれ以上ゴタゴタするようだと、
大統領選挙どころでは無くなりそうな気もしますが・・・・


> > いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
> > 「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
> > 「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
> > とイメージした次第です(笑)。

> 今は半弾丸ツアーしかできないのでサンマリノって遠いんですよ(号泣)
> 10年ほど前、無職の時に行きましたがあの時は時間がありあまっていたので
> ベニス(3泊)フェラーラ(2泊)ラヴェンナ(2泊)フィレンツェ(3泊)
> とのんびり堪能してきました。
> しかしボローニャって駅は10回以上通っているのに乗り換え以外に1回だけ
> 駅前で食事した以外何もしていないんですよね。
> まああの駅はローマ=ベニス=ミラノ=バーリの4方面からくる鉄道が直角に交差する場所であるために
> たいてい遅れがでているのですよねー。
> それで焦って次の列車に早々に乗ってしまう(笑)

まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・


> > ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
> > 東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
> > 東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
> > 例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
> > 正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
> > 西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
> > 王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?

> ビザンツ世界における称号ですが前半(マケドニア王朝以前)と後半では
> だいぶ違っていて皇帝と帝国からの重要度によって分けられていました。
> 基本はディオクレティアヌスのテトラルキア制に準じているのですが
> 所謂「正帝位」(ギリシャ語でバシレイウス)はローマ皇帝とペルシャ皇帝だけで
> あとは「副帝位」(ギリシャ語でカイサル)となります。
> それ以外ですと「王」(ギリシャ語でレークス、アジア系だとカン)
> や「公」(ギリシャ語でデュクス)などが帝国からの重要度に応じて付与されました。

う〜ん、もともとローマ帝国だったバルカンやアナトリアなどだと、
そうした枠組みがあった事は、何となく想像が付くのですが、
その外にあったであろうルーシ世界で「キエフ大公」や「モスクワ大公」という感じに、
なぜ「王」ではなく「大公」なのかが、最大の疑問点なんですよねえ・・・・
単純に訳語的な問題なのでしょうか?
独立正教会の存在とかは関係ないですよねえ?
(言い換えると、東方正教は1国1教会であって、1教会1国じゃないですよねえ?)

> 後半になるとビザンツ世界では主に「君侯」(デスポト)を自称していたのですが
> ビザンツ帝国の弱体化によりローマ教皇から称号を受けたのです。
> セルビア王国もビザンツ側からの史料を見ると「デスポト」なんですよねぇ。
> ちなみに「デスポト」の和訳が「専制公」となるのかは私にはよくわかりません。

対象が同じでも、「専制公(公国)」だったり「専制侯(侯国)」だったりと、
書籍によって表記が違ったりしますからねえ・・・・
まあ、古代中国の周時代に用いられた「五等爵(公・侯・伯・子・男)」を、
制度の異なる西洋の和訳に用いようというのが、そもそも無理があるのかも知れませんね。
そこへ更に、大日本帝国期には華族制度の序列付けにも用いられた事で、
気を付けないと、イメージがぐちゃぐちゃになってしまいますし・・・・


> > 前々から疑問だったのですが、ソ連時代の信仰事情って、実際はどうだったんでしょ?
> > 共産主義では宗教に対して否定的な一方、ロシア人自体は敬虔な正教徒のイメージが強いので、
> > 目に見える教会の方は廃れていっても、心の中にある信仰心の方は強く残っていたであろう事は、
> > ソ連崩壊後の急速な復活ぶりを見るだけでも、何となく想像はつきますけども。

> ソ連時代もロシア人は正教を信仰していたと思いますよ。
> ブレジネフの葬儀は完全に「正教」式だったと言われています。

無神論を掲げるソ連とは言え、完全に宗教を禁止していた訳では無いのは知ってますが、
逆に言うと、どこまで許されてて、どこからダメだったのかが、よく解らないんですよねえ・・・・
現在進行形で宗教の規制政策を採る中国などは、何となくながらイメージできますけど、
やはり東アジアと東欧とでは、そもそも土台となる宗教事情が異なりますし。


> > そんな訳で、1993年の最後の広島リーグ優勝も、私は見てますが、弟は見ていないと。
> > ちなみにミカエルさんの年代ですと、私も見てない「赤ヘル旋風」時代まで知ってるのかな?

> はい、よーく知っています。
> 私のころは
> 「高橋慶・山崎・小早川・山本・衣笠・長嶋・木下・達川、代走は今井」の打線
> 投手は
> 「北別府・川口・大野・山根・抑えは小林」
> でした。

そのメンツからすると、最後に広島が日本一となった1984年(昭和59年)のメンバーですね。
ただそれは、1979年〜1986年の「赤ヘル黄金時代」ではあるのですが、
全国的なフィーバーを巻き起こした「赤ヘル旋風」とは、また少し違いまして、
広島がリーグ初優勝を果たした1975年のフィーバーが、第一次赤ヘル旋風と呼ばれ、
江夏の21球で初の日本一に輝いた1979年のフィーバーが、第二次赤ヘル旋風と呼ばれています。
感覚的には、阪神大震災の後に「がんばろう神戸」を掲げたオリックスとイチローが全国的に応援され、
昨年のように、東日本大震災からの復興を掲げる楽天と田中将大が全国的に応援された感じと、
恐らくは似ていたのでは無いでしょうか?(前述のように、私は赤ヘル旋風を見ていませんけども)

ちなみに、私が見始めた頃ですと、広島の抑えは「炎のストッパー」こと津田恒美でしたね。
小林誠二の方は肘の故障により引退目前で、抑え投手としての活躍した事よりも、
「パームボールは凄い有効だけど、投手寿命を削る怖い変化球だ」と印象付けられた選手でした。
まあ中日ファンの私からすると、現役時代の小林よりも、
落合が監督に就任した翌年、ほぼ面識の無かった小林を二軍投手コーチに抜擢し、
落合が退任するまでの7年間、選手寮に住み込みながら中日投手陣を影から支えた印象の方が強いですね。
って、落合は黄金期の広島&西武でコーチ陣を固めたから、中日OBから引きずり下ろされる訳ですが(笑)。

他の投手陣ですと、北別府・川口・大野の3人は私が見始めた頃もバリバリに戦力でしたね。
その1991年のリーグ優勝の際も、最も活躍してたのはセ・リーグMVPを獲得した佐々岡でしたが、
佐々岡に続く投手となると、北別府・川口・大野のベテラン3人組でしたからねえ。
まあベテランとは言え、北別府が最高勝率賞、川口が奪三振王、大野がセーブ王でしたし、
そこに最多勝&最優秀防御率の佐々岡を加え、投手力で掴んだ優勝というイメージでした。
(野手では前田や江藤が台頭した年なのですが、やはり若手で戦力的には、まだこれからって感じでした)
シーズン初めは津田が抑えでしたけど、例の病気で離脱し、途中から大野が抑えに回ったのはよく覚えています。
今から振り返ると、あれが生前の津田の投球を見た最後だったんですよねえ・・・・
ちなみに山根に関しては、私が見始めた頃に西武へ移籍したので、残念ながら広島のイメージは無いですね。

最後に打撃陣の方は、私が見始めたのと入れ替わりで山本が引退したので、現役時代を知りませんし、
衣笠は一応現役でしたが、連続出場記録の為に無理して起用されてるのが子供にも丸解りな状態で、
山本&衣笠を主軸にした黄金期の「強力打線」というイメージは、正直皆無な時期でした。
正田・山崎・高橋という俊足巧打のスイッチヒッターが並ぶ1・2・3番は脅威でしたが、
それを還すクリーンナップが貧弱で、打線全体としての怖さは、そこまでな感じでした・・・・
山本の引退で、4番には小早川が座ってましたが、小早川自体は悪い選手ではないものの、
全盛期の落合を始め、日本人では原・清原・掛布、外国人ではブーマ・バース・ホーナーなど、
各球団とも強力な4番打者が居た時代なので、「12球団最弱の4番打者」ってイメージでしたね。
江川が小早川にサヨナラ本塁打を打たれて引退した事実も、当時のイメージを強化してたかも?
例えばこれが落合やバースに打たれたのなら、そこまでの結論には至らないだろうと(笑)。


[18951] Re:クリミアは「第二のズデーテン」になるのか?返信 削除
2014/4/23 (水) 20:17:45 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
> 短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
> 基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・


税抜き価格表示・・・本当に混乱しますね。
安いと思っても8%がオンされるとちょいキツイっす。
>
> > > 冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
> > > 今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?

> > 街の雰囲気は25年経過してもぱっと目につくところ以外は社会主義時代の無機質な建物が多いですよ。
> > 集合住宅ややたらに広い道路、場所によってはスターリン様式の建物が見えると(笑)
> > 反対に空港や外資が入っているホテルなどは東京よりモダンで綺麗ですね。
> > 噂だとアルバニアのティラナの空港は超近代的だとか(笑)

> まあさすがに、25年程度じゃ表部分くらしか変わらないでしょうからねえ。
> そんな中でも、街並みの雰囲気が最も変化した旧東側の国ってどこなんでしょ?
> カザフスタンなんて新首都として、計画都市アスタナを黒川紀章の設計で作ってるらしいですから、
> http://trekking1179.seesaa.net/article/313283906.html
> http://d.hatena.ne.jp/stertwist/20110920/1316480876
> http://adaisuke.blog100.fc2.com/blog-entry-33.html
> 一見すると旧ソ連的な雰囲気は皆無ですが、よく見ると新たな高層建築なのにスターリン様式だったり(笑)。
> ちなみに、ミカエルさんが中央アジアへ出向かれたのは、前述の旧ソ連時代が最後なのでしょうか?


さすがに最後ですね。
いっときアシュガバトに行く機会がありましたがぽしゃってしまいました。
しかし、アスタナの画像を見るとある意味「独裁者」ですので雰囲気は
「スターリン様式」やイタリア等にある「ファシスト様式」に通じるものがありますね。
>
> あと逆に、昨年の10月にサッカー日本代表がベラルーシで強化試合を行った際、
> 「今まで旧ソ連の国はいろいろ行ったが、最もソ連の雰囲気が残っている」という観戦記事を読んだのですが、
> ルカシェンコ時代が続いている事もあり、やはりベラルーシって、そんな感じなのでしょうか?


ベラルーシは訪問したことは無いのですがミンスクなどは旧ソ連の雰囲気が濃厚でしょうね。
しかしベラルーシからモスクワのシェレメチェボを経由して日本に来る場合ロシアのビザが必要なのは絶句です。

> > > > > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > > > > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > > > > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > > > > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > > > > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > > > > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > > > > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > > > > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > > > > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > > > > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> > > > この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。

> > その後の2週間で一気にロシアへの編入が進んでしまいましたね。
> > このまま既成事実化してしまうのでしょうか。
> > 米国といえどクリミア半島まで派兵する気はなさそうですし。

> そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
> 親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
> http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
> その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
> http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
> まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
> ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
> いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
> (本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
> それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
> まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?


いつのまにかクリミアの件よりもウクライナ本土に焦点が移ってしまいましたね。
4者合意があったと言えどもまだまだ情勢は流動的ですね。
ついに米国が東欧へ派兵したとなると、ますます武力衝突への危惧が大きくなったと言えます。
米国大統領も東アジア歴訪をする余裕なんてあるのかなぁとも考えてしまいます。

> > > > トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> > > んん?
> > > これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
> > > それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?

> > ソ連崩壊後のトゥバですね。

> 返信後に少し調べてみた所、トゥバってソ連崩壊の直前に「主権回復宣言」をしてたんですね。
> http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/996/1/KJ00000044314.pdf#page=23
> ソ連が崩壊し、連邦を構成していた共和国が独立した後に、
> ソ連にあった自治共和国の方も、旧構成国内の共和国に格上げされた事は知ってましたが、
> スムーズに事が進んだというよりも、このような経緯があっての格上げだったんですね。
> それを事前に知っていれば、「モンゴル、独立への道」の構成も少し変えてたかも?(笑)
> http://www.youtube.com/watch?v=0d3xWBbFPsc
> あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
> 同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
> そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
> 吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。


案外これが原因かもしれませんね(笑)
http://www.chinayouth.org.hk/China/rocmap.html

 
> > > いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
> > > 「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
> > > 「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
> > > とイメージした次第です(笑)。

> > 今は半弾丸ツアーしかできないのでサンマリノって遠いんですよ(号泣)
> > 10年ほど前、無職の時に行きましたがあの時は時間がありあまっていたので
> > ベニス(3泊)フェラーラ(2泊)ラヴェンナ(2泊)フィレンツェ(3泊)
> > とのんびり堪能してきました。
> > しかしボローニャって駅は10回以上通っているのに乗り換え以外に1回だけ
> > 駅前で食事した以外何もしていないんですよね。
> > まああの駅はローマ=ベニス=ミラノ=バーリの4方面からくる鉄道が直角に交差する場所であるために
> > たいてい遅れがでているのですよねー。
> > それで焦って次の列車に早々に乗ってしまう(笑)

> まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
> 1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
> 古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
> ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
> ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・


あはは、本当にそう思います。
フィレンツェに滞在して、ちょっと遠出するならピサに行って斜塔を見ますもんねぇ。

> > > ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
> > > 東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
> > > 東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
> > > 例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
> > > 正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
> > > 西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
> > > 王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?

> > ビザンツ世界における称号ですが前半(マケドニア王朝以前)と後半では
> > だいぶ違っていて皇帝と帝国からの重要度によって分けられていました。
> > 基本はディオクレティアヌスのテトラルキア制に準じているのですが
> > 所謂「正帝位」(ギリシャ語でバシレイウス)はローマ皇帝とペルシャ皇帝だけで
> > あとは「副帝位」(ギリシャ語でカイサル)となります。
> > それ以外ですと「王」(ギリシャ語でレークス、アジア系だとカン)
> > や「公」(ギリシャ語でデュクス)などが帝国からの重要度に応じて付与されました。

> う〜ん、もともとローマ帝国だったバルカンやアナトリアなどだと、
> そうした枠組みがあった事は、何となく想像が付くのですが、
> その外にあったであろうルーシ世界で「キエフ大公」や「モスクワ大公」という感じに、
> なぜ「王」ではなく「大公」なのかが、最大の疑問点なんですよねえ・・・・
> 単純に訳語的な問題なのでしょうか?


ちょっと調べてみたのですがやっぱり「王」と「公」の違いは存在しますね。
(大公は日本語訳の問題のようです)

ブルガリアですがもともとアジア系のため「汗」とされていましたが
ビザンツ皇帝ミカエル3世時の864年にボリス1世が「王(クニャス)」の称号を付与されています。
(同時にキリスト教への改宗も行われています。所謂「ボリスの改宗」です)
のちにシメオンが「ブルガリア人の皇帝」位を承認されますが
もちろんこれは「カイサル(副帝)」の方です。

キエフの場合はビザンツ皇帝レオン6世の時の911年にオレグが「公(パトリキオス、古代ローマの爵位が名称そのままで実態が変化していった)」の爵位を与えられて
「キエフ公国」と日本では呼称されています。

クロアチアについてはもっと遅くバシレイオス2世時(981年)に「公」位を与えられていました。

> 独立正教会の存在とかは関係ないですよねえ?
あんまり関係ないと思います。当時は東西分裂前ですので各国の教区はあくまで府主教扱いです。

 
> > 後半になるとビザンツ世界では主に「君侯」(デスポト)を自称していたのですが
> > ビザンツ帝国の弱体化によりローマ教皇から称号を受けたのです。
> > セルビア王国もビザンツ側からの史料を見ると「デスポト」なんですよねぇ。
> > ちなみに「デスポト」の和訳が「専制公」となるのかは私にはよくわかりません。

> 対象が同じでも、「専制公(公国)」だったり「専制侯(侯国)」だったりと、
> 書籍によって表記が違ったりしますからねえ・・・・
> まあ、古代中国の周時代に用いられた「五等爵(公・侯・伯・子・男)」を、
> 制度の異なる西洋の和訳に用いようというのが、そもそも無理があるのかも知れませんね。


私もそう思います。周の大封建につかわれた爵位をそのまま使うのはどうも・・・
でも幕末の大名家はこの基準でと分けられていますね。
(これも実高を使っていて非常にわかりづらいのですが)

今回も時間の制約があるのでこれぐらいに。


[18959] Re2:クリミアは「第二のズデーテン」になるのか?返信 削除
2014/4/25 (金) 21:41:56 徳翁導誉

> > 短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
> > 基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・

> 税抜き価格表示・・・本当に混乱しますね。
> 安いと思っても8%がオンされるとちょいキツイっす。

個人的に、小銭で財布が膨らむのが嫌いなので、
支払いでは札を出して、釣銭を出来るだけ少なくする買い方が染み付いているだけに、
正直、消費増税それ自体よりも、この外税表示への変更の方が嫌だったりしますね(笑)。

今までは単純な足し算でしたので暗算も楽だったのに、8%増の小数点計算を間違えたり、
税込表示額を従来通りそのまま足してしまい、小数点以下の累積分が思わぬ増額を招くなどして、
札から数円だけ飛び出してしまい、手持ちの小銭が足りなかったりすると、
逆に却って凄い量の釣銭を受け取る羽目になった事が、既に2回もありました・・・・


> > そんな中でも、街並みの雰囲気が最も変化した旧東側の国ってどこなんでしょ?
> > カザフスタンなんて新首都として、計画都市アスタナを黒川紀章の設計で作ってるらしいですから、
> > http://trekking1179.seesaa.net/article/313283906.html
> > http://d.hatena.ne.jp/stertwist/20110920/1316480876
> > http://adaisuke.blog100.fc2.com/blog-entry-33.html
> > 一見すると旧ソ連的な雰囲気は皆無ですが、よく見ると新たな高層建築なのにスターリン様式だったり(笑)。

> しかし、アスタナの画像を見るとある意味「独裁者」ですので雰囲気は
> 「スターリン様式」やイタリア等にある「ファシスト様式」に通じるものがありますね。

ちなみに同じ旧ソ連の国でもグルジアは、また別の方向にぶっ飛んでるのですが、
こちらの方にも、同様に独裁的な通じるモノはあるんですかねえ?(笑)
・ 国会議事堂 http://www.civil.ge/files/images/2012/Kutaisi-Parliament-Oct21.jpg
・ 行政府庁舎 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15624.jpg
・ 大統領官邸 http://9.pro.tok2.com/~yucky/Presidential%20palace.jpg
・ 危機管理局 http://static.panoramio.com/photos/large/85832463.jpg
・ 国立図書館 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15625.jpg
・ 警察本部 http://solomonternaleli.files.wordpress.com/2011/02/police-parade-2010-05-06.jpg
・ 警察署1 http://1.bp.blogspot.com/-NXUmLReb0-M/UXA2kIjrgpI/AAAAAAAACh4/Sdy1oKBhBjA/s1600/police+station6.jpg
・ 警察署2 http://2.bp.blogspot.com/-VnHT78tmj60/UXA2jbI5xPI/AAAAAAAAChw/Z-7jUgYMTXM/s1600/police+station+5.jpg
・ 国立銀行 http://georgiaabout.files.wordpress.com/2012/06/vault-of-national-bank-of-georgia-in-tbilisi.jpg
・ 首都中心の橋 http://www.archstructure.net/topics/11/peace/peace1.jpg

こういう街並み↓の中に建ってる事を想像すると、却って面白く思えます。
http://sputnik.am/wp-content/uploads/2013/12/tbilisi-sputnik.jpg
逆に考えると、敢えてロシア的なモノを排除すべく、奇抜で近未来風な建築にしているのでしょうか?
グルジアの写真を見ていると、グルジア国旗だけでなくEU旗も一緒に掲揚されてる公共施設が多いですし。

> > ちなみに、ミカエルさんが中央アジアへ出向かれたのは、前述の旧ソ連時代が最後なのでしょうか?
> さすがに最後ですね。
> いっときアシュガバトに行く機会がありましたがぽしゃってしまいました。

さすがに中央アジアとなると、そうそう機会はありませんよね(笑)。

> > あと逆に、昨年の10月にサッカー日本代表がベラルーシで強化試合を行った際、
> > 「今まで旧ソ連の国はいろいろ行ったが、最もソ連の雰囲気が残っている」という観戦記事を読んだのですが、
> > ルカシェンコ時代が続いている事もあり、やはりベラルーシって、そんな感じなのでしょうか?

> ベラルーシは訪問したことは無いのですがミンスクなどは旧ソ連の雰囲気が濃厚でしょうね。
> しかしベラルーシからモスクワのシェレメチェボを経由して日本に来る場合ロシアのビザが必要なのは絶句です。

えっ、ロシア・ベラルーシ間の移動って意外と面倒なんですか!?
欧州連合に対抗しようという「ユーラシア連合」の構想は、
ロシア・カザフスタン・ベラルーシの3国が中核であり、
既に域内での人や物資の往来はボーダーレス化しているイメージだったのですが、
意外と現状は進んで無いんですね(外国人への扱いが厳しいだけかも知れませんけど)。
一昔前までは同じ国だった事を思うと、地元民的に不便さなどは無いんですかねえ?

今回のウクライナ問題もそうですが、旧ソ連のゴタゴタを見る度に、
ソ連崩壊の流れ自体は避けられなかったにしても、
エリツィンの振る舞い次第では、もう少し違って現状があったのでは?と考えてしまいます。


> > そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
> > 親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
> > http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
> > その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
> > http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
> > まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
> > ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
> > いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
> > (本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
> > それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
> > まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?

> いつのまにかクリミアの件よりもウクライナ本土に焦点が移ってしまいましたね。

まあクリミアに関しては、自治権拡大とか、ウクライナからの独立とかを通り越して、
一気に最大レベルである「ロシア編入」まで進んでしまいましたし、
アメリカも、EUも、お茶を濁す程度の制裁内容で済ませてしまった時点で、
建前上は今後もいろいろ言おうと、実質的には黙認しちゃったも同然ですからねえ・・・・
ウクライナの暫定政府側にしても、大統領選挙の事を考えると、
本音を言えば、クリミアの親ロシア票など無い方が望ましいでしょうし。

> 4者合意があったと言えどもまだまだ情勢は流動的ですね。
まあ、最終的な着地点を見い出せて無い合意など、一時の気休めに過ぎないですからね。
とりあえずは、5月末に行われる予定の大統領選挙が1つの目安でしょうか?
選挙の同日か、その直前に、東部では住民投票が行われる可能性が高いですので、
大統領選自体は恐らく、半月後の決選投票に縺れ込むであろう事を考えると、
当日は大統領選挙の結果以上に、ウクライナ東部での住民投票の方の結果に注目かも?

> ついに米国が東欧へ派兵したとなると、ますます武力衝突への危惧が大きくなったと言えます。
ロシア軍が既に演習と称して、ウクライナとの国境沿いに15万の兵力を集めてますからねえ。
もちろんロシア側としても、ウクライナ東部での暫定政府側の強硬姿勢を抑え込む為の脅しが本意で、
暫定政府側が余程下手を打たない限り、実際に国境を越える可能性は相当低いでしょうし、
これに応じて、アメリカ軍も合同演習と称して東欧4ヶ国に派兵したとは言え、総数が600では、
「新しい欧州(旧東側のNATO加盟国)」の支持を繋ぎ止める為の政治的意味合いが強いでしょうから、
さすがに米ロの直接衝突は現状では無いかと?(仮にロシア軍が越境しても、米軍は動かないでしょうし)

> 米国大統領も東アジア歴訪をする余裕なんてあるのかなぁとも考えてしまいます。
余裕と言いますか、アメリカ国内ではオバマ・ケア導入を始めとして数多くの問題が山積し、
国際政治では、シリアに引き続いてウクライナでも無策な弱腰姿勢を曝け出し、
中間選挙を前に、もう東アジア(TPP)の方で手段が無いんじゃないですか?
とは言え日本相手にすら、尖閣問題でカードを切ったのに、TPPの大筋合意を得られない様を見ると、
任期を2年以上残して、既にオバマ政権ってレイムダック化しちゃってませんか?(笑)
・・・って、キナ臭い国際情勢を考えると、それを笑ってばかりも居られませんし、
そこでもしもオバマがキレて、時を逸して強硬姿勢に転換すれば、最悪の展開になりかねないと。
それこそズデーテンじゃないですが、妥協により相手側が引けない所まで進んでから、
一転して強硬策に移ると、双方引けずに全面衝突へ至る最悪のシナリオを招きかねませんからねえ。


> > あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
> > 同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
> > そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
> > 吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。

> 案外これが原因かもしれませんね(笑)
> http://www.chinayouth.org.hk/China/rocmap.html

よくは知りませんが、台湾の政府が作成する「官製地図」って未だに、
モンゴルが中華民国領だったり、沖縄が琉球国だったりするのでしょうかねえ?
近年は、事実上の大使館をモンゴルに開設したり、駐琉球大使館を駐日本大使館の支局扱いにするなど、
台湾側も実質的に現状を認めている対応ですが、建前は建前でなかなか簡単に変更できないでしょうし。
(台湾の都合だけでなく、大陸の中国側からも「中華民国」という建前を守るよう強要されてますしね)


> > まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
> > 1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
> > 古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
> > ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
> > ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・

> あはは、本当にそう思います。
> フィレンツェに滞在して、ちょっと遠出するならピサに行って斜塔を見ますもんねぇ。

そう言えば、「ピサの斜塔」なんていうのも有りましたねえ(笑)。
他にもまだナポリやポンペイなど観光資源は豊富ですし、
さすがイタリアは、世界遺産数でナンバー1のという感じでしょうか!!

現金な話をすれば、つまりはそれだけイタリアの観光収入も多い訳ですけど、
せっかく東京オリンピックの招致にも成功した訳ですし、
これを機会に、もう少し日本も、観光産業の活性化を計れませんかねえ?
海外から国内にカネを落とさせるには、「ビジネス・観光・留学」が3本柱ですから。


> > う〜ん、もともとローマ帝国だったバルカンやアナトリアなどだと、
> > そうした枠組みがあった事は、何となく想像が付くのですが、
> > その外にあったであろうルーシ世界で「キエフ大公」や「モスクワ大公」という感じに、
> > なぜ「王」ではなく「大公」なのかが、最大の疑問点なんですよねえ・・・・
> > 単純に訳語的な問題なのでしょうか?

> ちょっと調べてみたのですがやっぱり「王」と「公」の違いは存在しますね。
> (大公は日本語訳の問題のようです)

すみません、お手数おかけして(笑)。

> ブルガリアですがもともとアジア系のため「汗」とされていましたが
> ビザンツ皇帝ミカエル3世時の864年にボリス1世が「王(クニャス)」の称号を付与されています。
> (同時にキリスト教への改宗も行われています。所謂「ボリスの改宗」です)
> のちにシメオンが「ブルガリア人の皇帝」位を承認されますが
> もちろんこれは「カイサル(副帝)」の方です。

なるほど、副帝ですか!!
いや〜、以前より「ブルガリア帝国やセルビア帝国の『帝国』って何?」という疑問があり、
ニカイア帝国やトレビゾンド帝国のように、コンスタンティノープルの皇帝を認めてないか、
もしくは大英帝国での使用例のように、多くの国を従えたという意味での帝国なのかと思ってましたが、
そうですか、これらは副帝としての地位の方で、ブルガリア人やセルビア人の皇帝という事だったんですね。
ありがとうございます、長年の疑問が1つ解決されました(笑)。

直接的な繋がりは無いかも知れませんが、神聖ローマ帝国も最後は「ドイツ人の帝国」を名乗ってましたし、
「○○人の皇帝(帝国)」という称号は、かなり使い勝手が良さそうですよね。
ドイツ語の「カイザー」、ロシア語の「ツァーリ」、オスマン帝国の「ルーム・カイセリ」など、
皇帝を表す単語や称号が「アウグストゥス(正帝)」ではなく、
「カイサル(副帝)」の方から来ているのも、この辺の事情なのでしょうかね?

> キエフの場合はビザンツ皇帝レオン6世の時の911年にオレグが「公(パトリキオス)」の爵位を与えられて
> 「キエフ公国」と日本では呼称されています。

キエフ大公、ウラジーミル大公、モスクワ大公などの「大公」という単語は結局、
ルーシ世界の諸公国を束ねる「盟主」的な意味合いしか無いって事ですかねえ、これは?
ただ、それこそ「黄金の環」を始め、ルーシの諸公国って山のように数がありますけど、
それらも全て、ビザンツ皇帝から公爵位を与えられたモノだったのでしょうか?
あの数からすると、かなりの僭称も混じっているような気もするのですが・・・・
でもまあ、キエフの公爵位がビザンツ皇帝から与えられた(認められた)ものであるなら、
支配関係は別として、秩序的にはビザンツ世界の中に入っていた訳ですから、王を称さなかったのは納得しました。
・・・って、勝手に東アジアの華夷秩序的なイメージで捉えてますけど、
ルーシ世界におけるの影響力って、実際どの程度のモノだったんでしょう?

> クロアチアについてはもっと遅くバシレイオス2世時(981年)に「公」位を与えられていました。
今更なんですが、旧西ローマ帝国のカトリック圏だとローマ教皇が王位などを授けますが、
東ローマ帝国の正教圏では、コンスタンティノープル総主教とかは一切関与しなかったのでしょうか?
もちろん、カール大帝後の歴史的経緯から、西欧側では皇帝と教皇による権力の綱引きが横行した一方、
東欧側では、基本的に皇帝が総主教より権力が強かったのは解るのですが、形式的にはどうだったんでしょ?
聖俗分離の方針を考えると、世俗権力である爵位は名実ともに、皇帝から授けられたのでしょうか?
いや、ふと思っただけなので、どうしてもという疑問ではありませんが(笑)。

> > 独立正教会の存在とかは関係ないですよねえ?
> あんまり関係ないと思います。当時は東西分裂前ですので各国の教区はあくまで府主教扱いです。

東西教会の分裂って、双方が2つに枝分かれしたイメージがありますが、
よくよく考えてみると、東方教会は従来通りの仕組みとあまり変わらず、
西方教会で唯一の総主教座であるローマが、独自路線を進み出したという方が適当なのかも?
キチンと意識しないと、どうしても西欧中心史観に流されがちになちゃうんですよね(笑)。

ちなみに、旧ローマ帝国の外にある中欧・東欧へとキリスト教圏が広がる際に、
「東方教会に属するか? 西方教会に属するか?」は、爵位を受ける領主側の方で決めたのでしょうか?
それとも、既に現地での布教状況により、東方教会か西方教会は自明の事だったのでしょうか?
と言うかそもそも、爵位を受ける段階での現地住民の布教率って、よく知らないんですよねえ・・・・
ポーランドやルーシがどうだったかは勿論、十字軍国家はどうだったのか?


> > まあ、古代中国の周時代に用いられた「五等爵(公・侯・伯・子・男)」を、
> > 制度の異なる西洋の和訳に用いようというのが、そもそも無理があるのかも知れませんね。

> 私もそう思います。周の大封建につかわれた爵位をそのまま使うのはどうも・・・
> でも幕末の大名家はこの基準でと分けられていますね。
> (これも実高を使っていて非常にわかりづらいのですが)

でも日本の場合、華族の爵位にしても、軍人の階級にしても、
維新後の近代化によって、歴史的な経緯など無く、形的に導入しましたから、
欧米のそれらよりも、却ってシンプルで解り易くありません?
逆に言えば、日本側の仕組みがシンプルで明瞭すぎるからこそ、
複雑な欧米の仕組みでも、同じ単語を用いてる事で、理解を難しくしている側面もあろうかと?
大日本帝国でも、李家の王公族や朝鮮貴族などの例が増えていれば、また違ったかも知れませんが。


> 今回も時間の制約があるのでこれぐらいに。
まあ雑談ですので、無理のない範囲でOKですよ(笑)。


[19053] Re3:クリミアは「第二のズデーテン」になるのか?返信 削除
2014/5/21 (水) 22:28:00 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
> > > 短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
> > > 基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・

> > 税抜き価格表示・・・本当に混乱しますね。
> > 安いと思っても8%がオンされるとちょいキツイっす。

> 個人的に、小銭で財布が膨らむのが嫌いなので、
> 支払いでは札を出して、釣銭を出来るだけ少なくする買い方が染み付いているだけに、
> 正直、消費増税それ自体よりも、この外税表示への変更の方が嫌だったりしますね(笑)。


外税方式・・・やっぱりめんどいですねぇ。
表示価格に8%をオンされるとなると金額的にもばかになりません。
私の家のスーパーも外税表示だけだったのですが、やっぱり不評だったらしく
結局内税表示もされるようになりました。

> 今までは単純な足し算でしたので暗算も楽だったのに、8%増の小数点計算を間違えたり、
> 税込表示額を従来通りそのまま足してしまい、小数点以下の累積分が思わぬ増額を招くなどして、
> 札から数円だけ飛び出してしまい、手持ちの小銭が足りなかったりすると、
> 逆に却って凄い量の釣銭を受け取る羽目になった事が、既に2回もありました・・・・


私は5%の時からあきらめてました。
おかげで小銭入れはいつもパンパンになってました。
その小銭は近くの信金の口座に入れてましたがその金額は年間だと数万円に(笑)
>
> ちなみに同じ旧ソ連の国でもグルジアは、また別の方向にぶっ飛んでるのですが、
> こちらの方にも、同様に独裁的な通じるモノはあるんですかねえ?(笑)
> ・ 国会議事堂 http://www.civil.ge/files/images/2012/Kutaisi-Parliament-Oct21.jpg
> ・ 行政府庁舎 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15624.jpg
> ・ 大統領官邸 http://9.pro.tok2.com/~yucky/Presidential%20palace.jpg
> ・ 危機管理局 http://static.panoramio.com/photos/large/85832463.jpg
> ・ 国立図書館 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15625.jpg
> ・ 警察本部 http://solomonternaleli.files.wordpress.com/2011/02/police-parade-2010-05-06.jpg
> ・ 警察署1 http://1.bp.blogspot.com/-NXUmLReb0-M/UXA2kIjrgpI/AAAAAAAACh4/Sdy1oKBhBjA/s1600/police+station6.jpg
> ・ 警察署2 http://2.bp.blogspot.com/-VnHT78tmj60/UXA2jbI5xPI/AAAAAAAAChw/Z-7jUgYMTXM/s1600/police+station+5.jpg
> ・ 国立銀行 http://georgiaabout.files.wordpress.com/2012/06/vault-of-national-bank-of-georgia-in-tbilisi.jpg
> ・ 首都中心の橋 http://www.archstructure.net/topics/11/peace/peace1.jpg


↑結構東欧地域にはこういうのは多いです。
 
> こういう街並み↓の中に建ってる事を想像すると、却って面白く思えます。
> http://sputnik.am/wp-content/uploads/2013/12/tbilisi-sputnik.jpg


ルスタベリ通りですね。これは例外です。
トビリシではこういった町並みは少ないですね。
1991年に訪問していますがもっと古びた感じです。

> > ベラルーシは訪問したことは無いのですがミンスクなどは旧ソ連の雰囲気が濃厚でしょうね。
> > しかしベラルーシからモスクワのシェレメチェボを経由して日本に来る場合ロシアのビザが必要なのは絶句です。

> えっ、ロシア・ベラルーシ間の移動って意外と面倒なんですか!?
> 欧州連合に対抗しようという「ユーラシア連合」の構想は、
> ロシア・カザフスタン・ベラルーシの3国が中核であり、
> 既に域内での人や物資の往来はボーダーレス化しているイメージだったのですが、
> 意外と現状は進んで無いんですね(外国人への扱いが厳しいだけかも知れませんけど)。
> 一昔前までは同じ国だった事を思うと、地元民的に不便さなどは無いんですかねえ?


ロシア=ベラルーシ間は所謂「シェンゲン」ではありません。
となるとミンスクからの飛行機は国内線扱いのモスクワシェレメチェボ第一空港に到着します。
そこから外国へは第二若しくは第三に移動します。
困ったことに第一空港と第二第三空港はドメスティックの扱いの路線バス若しくはタクシーで動きますので
必然的にロシアのビザは必要になるのですねぇ。

わかりやすく言えば
外国人がニューヨークから成田空港へ行き、
そこから羽田に出てシンガポールなどに飛んだ場合日本へ「入国」することになります。
となると、ビザが必要な国の人たちは日本のビザを取らないといけないのです。
(正直私は日本にトランジットビザが存在するのかどうかもわかりませんが・・・)
ただし、羽田の国際化に伴い「スカイチーム」所属の「デルタ航空」を使うと
このケースはありうるのですね。
(現実にはデルタは以遠権を持っているので実際にこの経路を使う人がいるとは思え無いのです)

>
> > > そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
> > > 親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
> > > http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
> > > その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
> > > http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
> > > まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
> > > ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
> > > いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
> > > (本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
> > > それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
> > > まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?

> > いつのまにかクリミアの件よりもウクライナ本土に焦点が移ってしまいましたね。

> まあクリミアに関しては、自治権拡大とか、ウクライナからの独立とかを通り越して、
> 一気に最大レベルである「ロシア編入」まで進んでしまいましたし、
> アメリカも、EUも、お茶を濁す程度の制裁内容で済ませてしまった時点で、
> 建前上は今後もいろいろ言おうと、実質的には黙認しちゃったも同然ですからねえ・・・・
> ウクライナの暫定政府側にしても、大統領選挙の事を考えると、
> 本音を言えば、クリミアの親ロシア票など無い方が望ましいでしょうし。
>
> > 4者合意があったと言えどもまだまだ情勢は流動的ですね。
> まあ、最終的な着地点を見い出せて無い合意など、一時の気休めに過ぎないですからね。
> とりあえずは、5月末に行われる予定の大統領選挙が1つの目安でしょうか?
> 選挙の同日か、その直前に、東部では住民投票が行われる可能性が高いですので、
> 大統領選自体は恐らく、半月後の決選投票に縺れ込むであろう事を考えると、
> 当日は大統領選挙の結果以上に、ウクライナ東部での住民投票の方の結果に注目かも?


今週末は大統領選ですね。
東部諸州を抜きにして行われる選挙が有効になるとは思えないのですが
どうなることでしょう。
 
> > > あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
> > > 同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
> > > そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
> > > 吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。

> > 案外これが原因かもしれませんね(笑)
> > http://www.chinayouth.org.hk/China/rocmap.html

> よくは知りませんが、台湾の政府が作成する「官製地図」って未だに、
> モンゴルが中華民国領だったり、沖縄が琉球国だったりするのでしょうかねえ?
> 近年は、事実上の大使館をモンゴルに開設したり、駐琉球大使館を駐日本大使館の支局扱いにするなど、
> 台湾側も実質的に現状を認めている対応ですが、建前は建前でなかなか簡単に変更できないでしょうし。
> (台湾の都合だけでなく、大陸の中国側からも「中華民国」という建前を守るよう強要されてますしね)


はい、台北からの「那覇」便は「琉球」便と標記されます。
実態としては無くとも「タテマエ」としては未だのこっているようですね。
トゥバも相変わらず台湾は領有主張しているようです。

> > > まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
> > > 1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
> > > 古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
> > > ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
> > > ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・

> > あはは、本当にそう思います。
> > フィレンツェに滞在して、ちょっと遠出するならピサに行って斜塔を見ますもんねぇ。

> そう言えば、「ピサの斜塔」なんていうのも有りましたねえ(笑)。
> 他にもまだナポリやポンペイなど観光資源は豊富ですし、
> さすがイタリアは、世界遺産数でナンバー1のという感じでしょうか!!


あれ?世界遺産数ってイタリアがトップでしたっけ?
スペインだったような記憶があるのですが。
(調べれば簡単にわかるのですが時間がないので調べていません。すいません・)
 
> 現金な話をすれば、つまりはそれだけイタリアの観光収入も多い訳ですけど、
> せっかく東京オリンピックの招致にも成功した訳ですし、
> これを機会に、もう少し日本も、観光産業の活性化を計れませんかねえ?
> 海外から国内にカネを落とさせるには、「ビジネス・観光・留学」が3本柱ですから。


そうなんですよねぇ。
しかし最近では城跡などを中心に観光産業を発展させようとする動きがでていますね。
ちょっと前のガイアの夜明けにもありましたが羽田の国際化に地方は期待しているようです。
>
ビザンツ関連に関してはまた今度にでも返信いたします。
やっぱりここしばらくは人手不足で私もかなりの長時間労働でお疲れモード全開です(号泣)



[19064] ウクライナ大統領選挙&東部2州の住民投票返信 削除
2014/5/24 (土) 15:23:08 徳翁導誉

> > 正直、消費増税それ自体よりも、この外税表示への変更の方が嫌だったりしますね(笑)。
> 外税方式・・・やっぱりめんどいですねぇ。
> 表示価格に8%をオンされるとなると金額的にもばかになりません。

低額ならまだしも、高額になると、
後から追加される8%分に、一瞬「えっ!?」となりますよね。
なので精神衛生的にも、早く内税表示に戻ってもらいたいです(笑)。

> > 今までは単純な足し算でしたので暗算も楽だったのに、8%増の小数点計算を間違えたり、
> > 税込表示額を従来通りそのまま足してしまい、小数点以下の累積分が思わぬ増額を招くなどして、
> > 札から数円だけ飛び出してしまい、手持ちの小銭が足りなかったりすると、
> > 逆に却って凄い量の釣銭を受け取る羽目になった事が、既に2回もありました・・・・

> 私は5%の時からあきらめてました。
> おかげで小銭入れはいつもパンパンになってました。
> その小銭は近くの信金の口座に入れてましたがその金額は年間だと数万円に(笑)

消費税が導入される前は、1円玉や5円玉なんて、あまり使いませんでしたよねえ?
その数年前までは、500円に硬貨が無くて岩倉具視の紙幣でしたし・・・って、
平成生まれ世代からすると、「何て前時代の話を」とか思われそうですが(笑)。
まあ、電子マネーが主流化してくれば(鉄道だと既にSuicaなどが主流かな?)、
「小銭で財布が膨れて」なんていうのも、そういう類の話になるのでしょうけどね。


> > ちなみに同じ旧ソ連の国でもグルジアは、また別の方向にぶっ飛んでるのですが、
> > こちらの方にも、同様に独裁的な通じるモノはあるんですかねえ?(笑)
> > ・ 国会議事堂 http://www.civil.ge/files/images/2012/Kutaisi-Parliament-Oct21.jpg
> > ・ 行政府庁舎 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15624.jpg
> > ・ 大統領官邸 http://9.pro.tok2.com/~yucky/Presidential%20palace.jpg
> > ・ 危機管理局 http://static.panoramio.com/photos/large/85832463.jpg
> > ・ 国立図書館 http://dream-piece.com/wp-content/uploads/2013/09/IMG15625.jpg
> > ・ 警察本部 http://solomonternaleli.files.wordpress.com/2011/02/police-parade-2010-05-06.jpg
> > ・ 警察署1 http://1.bp.blogspot.com/-NXUmLReb0-M/UXA2kIjrgpI/AAAAAAAACh4/Sdy1oKBhBjA/s1600/police+station6.jpg
> > ・ 警察署2 http://2.bp.blogspot.com/-VnHT78tmj60/UXA2jbI5xPI/AAAAAAAAChw/Z-7jUgYMTXM/s1600/police+station+5.jpg
> > ・ 国立銀行 http://georgiaabout.files.wordpress.com/2012/06/vault-of-national-bank-of-georgia-in-tbilisi.jpg
> > ・ 首都中心の橋 http://www.archstructure.net/topics/11/peace/peace1.jpg

> ↑結構東欧地域にはこういうのは多いです。

そうなんですか?
まあ確かに、日本にも大阪の舞洲ゴミ処理場↓のように、ぶっ飛んだ公共建築物はあるので、
http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK201109290029.html
東欧にもありそうな気はしますけど、それにしてもグルジアは多すぎる気が!?
逆に、「これは印象に残ったなぁ」という近代建築は、何かありましたでしょうか?

> > こういう街並み↓の中に建ってる事を想像すると、却って面白く思えます。
> > http://sputnik.am/wp-content/uploads/2013/12/tbilisi-sputnik.jpg

> ルスタベリ通りですね。これは例外です。
> トビリシではこういった町並みは少ないですね。
> 1991年に訪問していますがもっと古びた感じです。

もちろん、こんな通りは例外的で、対外向けのショー・ウィンドウなのは想像できますが、
それでもやはり、都市の中にこういうブロックがあるだけで凄いと思いました。
だってこれ、ディズニーランドやUSJのアーケード街じゃ無いですよねえ?(笑)
ミラノのガレリアや、パリのパサージュ、モスクワのグム百貨店など、
欧州だと、そういう美しい街並や商店街の一部が残ってるじゃないですか。
それに比べると、日本は江戸や明治どころか戦後の街並みすら消え掛かってますからねえ・・・・
浅草の仲見世や、新宿のしょんべん横町など、それはそれで良いですが、ちょっと違いますし。
・・・って、トビリシみたいなコーカサスの街にまで行ってるんですか!?(笑)


> > > ベラルーシは訪問したことは無いのですがミンスクなどは旧ソ連の雰囲気が濃厚でしょうね。
> > > しかしベラルーシからモスクワのシェレメチェボを経由して日本に来る場合ロシアのビザが必要なのは絶句です。

> > えっ、ロシア・ベラルーシ間の移動って意外と面倒なんですか!?
> > 欧州連合に対抗しようという「ユーラシア連合」の構想は、
> > ロシア・カザフスタン・ベラルーシの3国が中核であり、
> > 既に域内での人や物資の往来はボーダーレス化しているイメージだったのですが、
> > 意外と現状は進んで無いんですね(外国人への扱いが厳しいだけかも知れませんけど)。

> ロシア=ベラルーシ間は所謂「シェンゲン」ではありません。
> となるとミンスクからの飛行機は国内線扱いのモスクワシェレメチェボ第一空港に到着します。
> そこから外国へは第二若しくは第三に移動します。
> 困ったことに第一空港と第二第三空港はドメスティックの扱いの路線バス若しくはタクシーで動きますので
> 必然的にロシアのビザは必要になるのですねぇ。
> わかりやすく言えば
> 外国人がニューヨークから成田空港へ行き、
> そこから羽田に出てシンガポールなどに飛んだ場合日本へ「入国」することになります。
> となると、ビザが必要な国の人たちは日本のビザを取らないといけないのです。

うわ〜、それは面倒臭いなぁ・・・・(笑)
日本に例えてもらえた事もあり、実情はよく解ったのですが、
国際ハブ空港の競争が激しい昨今、ロシア政府としてはそれで良いのでしょうか?
羽田と成田みたいに物理的に遠く離れている訳じゃなく、ターミナルが別なだけなんですよねえ?
少し気になり調べた所、こんなレポート↓を見付けたのですが、今では改善されているのかな?
http://4travel.jp/travelogue/10687934
あと、話は少し逸れますが、国土強靭化政策として「成田と羽田の一体化」が唱えられていますけど、
正直言って・・・あれだけ物理的に両空港が離れていると、現実的に無理じゃないですか?
専用の直通リニアとかで結ぶにしても、費用対効果が悪過ぎるでしょうし・・・・

> > > 4者合意があったと言えどもまだまだ情勢は流動的ですね。
> > まあ、最終的な着地点を見い出せて無い合意など、一時の気休めに過ぎないですからね。
> > とりあえずは、5月末に行われる予定の大統領選挙が1つの目安でしょうか?
> > 選挙の同日か、その直前に、東部では住民投票が行われる可能性が高いですので、
> > 大統領選自体は恐らく、半月後の決選投票に縺れ込むであろう事を考えると、
> > 当日は大統領選挙の結果以上に、ウクライナ東部での住民投票の方の結果に注目かも?

> 今週末は大統領選ですね。
> 東部諸州を抜きにして行われる選挙が有効になるとは思えないのですが
> どうなることでしょう。

現状ではロシアも、東部にまで軍事的な介入をする様子は無いですし、
暫定政権側が強硬手段に出ていても、あくまで大統領選挙までの「暫定」ですから、
東部2州の住民投票と同様に、選挙自体の正当性を云々する声は出るかも知れませんけど、
まずは、新たに誕生する大統領が、東部問題に対してどう対応するかですよねえ。
連邦制へと移行できるなら、東部もロシアも欧米も一応は納得できる落とし所になると思うのですが、
その場合、前政権を倒した極右勢力と、その支持を受ける暫定政権がどう動くかですよねえ?
逆に、極右勢力を恐れてそちら寄りになると、連邦制という妥協点に辿り着くのも難しいでしょうから、
事態がもう一段階、悪い方へ進む危険性が高くなってしまいますし・・・・
なので大統領選後は、流血の続く東部以上に、革命が起きた西部の情勢の方が注目になって来ると思います。


> > そう言えば、「ピサの斜塔」なんていうのも有りましたねえ(笑)。
> > 他にもまだナポリやポンペイなど観光資源は豊富ですし、
> > さすがイタリアは、世界遺産数でナンバー1のという感じでしょうか!!

> あれ?世界遺産数ってイタリアがトップでしたっけ?
> スペインだったような記憶があるのですが。
> (調べれば簡単にわかるのですが時間がないので調べていません。すいません・)

2013年6月時点で、1位がイタリアで49件、2位が中国で45件、3位がスペインで44件だそうです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/375850/
また、ここ10年の登録数が、イタリア12件、中国16件、スペイン6件らしいので、
10年前だとスペインが1位だったんでしょうね(笑)。、
ちなみに、日本は13位タイで17件です(富岡製糸場が正式決定すれば18件ですが)。

> ビザンツ関連に関してはまた今度にでも返信いたします。
> やっぱりここしばらくは人手不足で私もかなりの長時間労働でお疲れモード全開です(号泣)

いや本当、返信は無理のない範囲で良いですからね。
・・・などと言いつつ、ビザンツ関連の話が最も楽しいのは内緒(笑)。

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