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[21375] Re3:道徳教育返信 削除
2017/10/19 (木) 18:55:38 マンネルヘイム

▼ 徳翁導誉さん
お久しぶりです。
ちょっと忙しくて・・・。
> と言いますか、そもそもこうした発言自体、その当人たちが、
> 「自分たちこそ社会の本流」という思い込みがなければ、出てこない発想なんですよね。
> そして、それを信じて疑わないから悪気もなく、本流なので自身の責任感も伴わないと。
> ぶっちゃけた話、これがまだ、解った上で敢えてやってるんならマシなんです。
> しかし、自覚せずに悪気も責任感も抱かぬまま、暴走されるのは本当に怖い事でして・・・・
>

分かります・・・。
しかし、百歩譲って自分たちが本流だって自信を持つのは良いとして、どうして自分たち以外の意見を聞こうとしないのか。
少数派の尊重って大事なことだと思いますし、まして「総理の写真で愛国心を・・・」って事象に違和感を持つ人間は結構居ると思うんですけどね。


> う〜ん、この辺は言葉の定義の話になってしまうのですが、
> 自分自身のルールは、道徳と言うよりも、ポリシーとか信念とか言う方がしっくり来ますね。
> 例えば、「社会正義に反しても信念を貫く」というフレーズなら、意味が通りますけど、
> 「社会正義に反しても道徳を貫く」というフレーズだと、やはり私には違和感があります。
> その理由は、道徳というモノが、個人基準ではなく社会基準だからでは無いでしょうか?
> もちろん、個人ごとの道徳的価値観の違いというのも、存在するとは思いますが、
> それは、同じ社会を見たとしても、個々人で感じ方の違いがあるからですし、
> そこの違いは、対象が同じである以上、そこまで大差あるモノにはならない気がします・・・・
>

ポリシーや信念といったほうがしっくりくるというのは確かにそうですね。
でもそういう物も根っこは個々の道徳の差が生んでいる気もするんですよね。
 
> でも一方で、常に変化する社会と、それに応じる新ルールに対して、
> そんな大差ない個人差こそが、新たな社会ルールへの柔軟な対応を可能にしている面もあり、
> そこの違いは大変重要ですから、「これが正解」と上から定めてしまうのは間違いでしょうね。
> と言いますか、上からの目線で都合良く決めた社会ルールの正解が、
> 果たして本当に、社会のルールとして最適解なのかと言えば、どうしたってズレてくるはずで、
> しかも、ただでさえそうなのに、これを推進しようとする層の価値観が、
> 始めからズレている(道徳心が欠けている)という、笑い話にもならない現状であると(苦笑)。
> 道徳の教科化と並び、武道の必修化なんかも押し進めていますけど、
> 「銃剣道も入れろ」とか、「レスリングや太極拳は外国産だからダメ」とか、やってる一方で、
> 道徳では、中国産の儒教を教えて、それに成績を付けろとか、ハチャメチャな指示が出される為、
> それに振り回される下の方は、教科書記述をパン屋を和菓子屋に換えて郷土愛強化とか、
> 訳の分からない対応を迫られる状態になっちゃってますからねえ・・・・
>

まあ好きか嫌いかで言うと嫌いですが、あの界隈が完全に道徳心が欠けているとまでは言い切れないですね。
あの界隈と正反対の方針、例として挙げるなら日教組とかが教育行政で主導権を握っても多分末端では振り回されることになるでしょうし。

賛同できる部分はほとんど無いですけど、あの界隈が勝手にそういう価値観を持っているなら別に良いんですよ。
むしろある意味健全な状態ですよね。
私が気に入れないのはやっぱり国家レベルで押し付ける姿勢、自分を疑わない姿勢なんですよね。
というか・・・誤解を恐れず言うと国家「ごとき」が個人の内面に関わろうとしないでほしいなぁと(笑)
> あと最後に、少し脱線ですが、身も蓋も無い事を言ってしまうと、
> 個人的信念とか、社会的道徳とかで「善悪」と定義してみた所で、
> 本質を突き詰めれば、個人や社会の「損得(利害)」という価値観でしか無いんですけどね(笑)。
> ただ、そう言ってしまっては、あまりにもゲスなので、そうした美名で呼んでいるだけで、
> そして結局、そうした美名の使用自体も、精神衛生上の損得勘定でしか無いと。
>

そうですね(笑)損得というか、結局それぞれの人が何が好きで何が嫌いか、何が欲しくて何が欲しくいないか、そういう本能的な部分が本質なんじゃないかと。

> いや〜、でも実際は、あまり変わらないと思いますけどねえ?
> 別に道徳の授業自体は戦後ずっと行われて来てる訳ですし、
> 今回問題とされているのは、他教科同様に、その道徳に「成績」を付けようという所ですから。
> で、進学・就職用の内申書の為に、学生が教科化された道徳で好成績を目指す構図は、
> 形だけのボランティア活動をしたり、歯の浮くような小論文の書き方を練習する現状と、
> そこまで大差ない事なのかも知れませんね(もちろん健全な姿では無いでしょうけど)。
> 成績を付けるとなれば、意見が分かれる(明確な正解が無い)設問は出し難いでしょうから、
> 教師は無難な設問を出し、生徒は無難に答えるという、形式的なモノに結局は落ち着きそうな気も?
> そこで教師とやり合って、無駄に成績を落とすのは、私みたいな一握りの問題児くらいです(苦笑)。
>

私も絶対成績を落としたでしょうね(笑)

でもやっぱり極自然に眺めている授業や教科書の内容が少しずつ何らかの意図のもとに変えられていて、しかも成績がつくというのは
無意識下で影響があると思うんですよね。刷り込みって奴です。
形式だけの授業だっていうのもわかるんですけど、だからこそ不安なんですよね。
何の備えもなく無抵抗で受け入れてしまうわけですから・・・。

> それに、倫理の授業とかありますけど、それで生徒たちに倫理観が備わる訳でも無いので、
> 机上で道徳の授業をやった所で、それがそのまま身に付くとも思えません・・・・
> 恐らく、道徳の教科化が進んでも、実際の効果は推進者たちが得る自己満足感だけで、
> もしも効果を表すとすれば、多分それは学校ではなく、社会自体が変化した時ではないでしょうか?
>


> もちろん、基本的には誰もが、押し付けられる事は嫌いだと思います。
> と言いますか、教育であれ、洗脳であれ、相手に「押し付け」と感じさせた時点で失敗なんです。
> 親が子供に「勉強しなさい!」と叱りつけた所で、却って逆効果なだけですし、
> 上手な洗脳というのは、「自発的に行っている」と思い込ませる作業ですからねえ(笑)。
> そして実際は、嫌だと反発するような人ほど、自発的で積極的に関わってくる為、
> 望む方向へ誘導できる機会が多く、一度転がしてしまえば誰よりも熱狂的になったりする一方で、
> 「へ〜」と簡単に同調する人は、他人の話など聞き流していて、意外と洗脳が困難だったりします。
> と、何だかこんな話をしていたら、むかし見た短編ドラマを急に思い出しました。
>
> 世にも奇妙な物語「23分間の奇跡」 (1991年)
> https://www.youtube.com/watch?v=z9F3mtbVoRg
>

いつも思うのはそこの線引きって曖昧ですよね。
どこからが自発的でどこからがそう思わされているのか。
例え最初は誘導されていたとしても、本人が自分の意思で行っていると考えている場合、それは誘導による行為と言えるのかどうか。
仮に一方的に誘導されているだけ、と断じてしまうとその人物の自己決定を尊重していない気がしますし・・・。

> 誰が決めるかと言えば、少なくとも今回話題にしている道徳の授業においては、
> まず一次的には、現場の教師であり、教科書の制作者にあるのでしょうが、
> 彼らは文部科学省の指導に従う立場ですから、二次的には霞ヶ関でしょうし、
> そして霞ヶ関も、与党議員とその支援者に干渉を受けますから、最終的には為政者でしょうね。
> 誰が決めるかの問題ではなく、そもそも公的に行われる教育とは、全てがそういうモノかと?
>
> で、このスレッドで問題にしていたのは、その部分ではなく、それを前提とした上で、
> 道徳の授業に成績を付ける事であったり、為政者の干渉が過度で偏ってる事でした。
> 「進学や就職に影響するから、お上が望むような答えをしなさい」なんていうのは不健全ですし、
> 「自分が望む方向こそ絶対だ」と考えるのは独善的であり、共に「道徳的」ではありませんからねえ。
>

うーん、何となくわかってきました。
私が問題にしてたのは成績もそうなんですけど、それ以前の段階なんでしょうね。
管理人様のスタンスは為政者の干渉が適切じゃない、という事ですよね?
私にはそもそも道徳に関する干渉が適切かどうかも分からないんですよね。
そういう意味だと今回の干渉も私にとっては不適切で不愉快ですけど社会にとって不適切と言い切れない感じなんですよ。
そもそも適切か不適切かも分からないし、人によって違う、だからとりあえず可能な限り干渉を控えてほしい、ってスタンスなんだと思います。
今回は為政者のやり方が余りに過干渉だったからこんなに引っ掛かってるでしょうね。

> う〜ん、法と道徳の違いというのは、成文化されてるか否かの違いですかねえ?
> 成文化されているからこそ、法の方がより厳格ですし、公権力を背景にした強制力も持ちます。
> 一方で道徳の方は、もっとフワッとした存在であり、それ故に逆に怖くなる事もあって、
> 厳格に決められていないからこそ、時に際限なく暴走したり、時に恣意的に悪用されたりします。
> ですから、少数派を無視したり、過度に強要したりするのは、却って道徳由来の方かも知れません。
>
> 例えば昨今の不倫叩きブームにしても、確かに不倫は不貞行為で民法に抵触しますけど、
> 法的に言えば、あくまで夫婦間の問題であって、第三者は一切関係ありません。
> しかし道徳的な面からも、不倫は許されない行為であるが故に、
> 「道徳」を正義の御旗として、第三者であっても不貞行為を非難する事が可能となり、
> そして、それが集団化して暴走すると、このようなバッシング現象が生まれる訳です。
> ある意味で道徳というのは、イジメやリンチを生む下地を、実は孕んでいるんです・・・・
> 村八分なども、客観的には不道徳な行為ですけど、それ自体が道徳から生じた排斥ですからねえ。
>

全く持ってその通りだと思いますね。
だから私は道徳由来の同調圧力に従わされるのが嫌なんだと思います。
> > たとえば、今回の道徳教育には「愛国心」も項目に入ってましたよね?
> > 私は「愛国心」は大事だと思いますけど、人に強制されて抱く物では無いと思っています。
> > 「日本」に対して抱くと言うよりは「故郷」などに抱くのが自然な有り様だとも思っています。
> > 国の愛し方、あるいは愛するかどうかなんて百人居れば百人違う解釈があるわけで・・・。

> あまり意識される事はありませんけど、基本的に郷土愛が自然発生的なのに対して、
> 愛国心や祖国愛というのは、実はかなり人工的なモノなんですよねえ。
> 近代になって誕生した「国民国家」という政治概念により、
> 国家の構成員たる国民を統合する為に、愛国心というモノが必要になっただけの話で、
> ですから、愛国心や祖国愛が、郷土愛と同じように自然発生的に生まれるという感覚こそ、
> ある意味で、近現代的な価値観の教育(洗脳?)が、うまく行えてる証拠とも言えます(笑)。
>
> 祖国愛が郷土愛の延長線で自然に生じるなら、地球愛や人類愛だって同レベルで生じるはずですが、
> しかし実際には、それどころか百数十年ほど前まで、一般庶民には愛国心さえ生じませんでした。
> また、「民主主義国家だから愛国心が生じる」という考え方も有りますけど、
> 中国みたいに非民主主義国の国民にも愛国心は有りますし、
> 下手をすれば、そうした国の方が却って、愛国心は高い傾向にあるかも知れません。
> それに例え民主国家であっても、不利益を被る少数民族であれば、愛国心を抱かない場合もあり、
> 逆に植民地民であっても、高等教育を受けていれば、宗主国に愛国心を抱く場合もあります。
> 極端な話をすれば、もし仮に日本が中国に併合されたとして、日本人も中国国民となれば、
> 中国という新たな祖国に対する愛国心が、日本人にも自然発生的に生じるモノなのでしょうか?
>
> ・・・って、何だか前置きが長くなってしまいましたけど(笑)、
> まあ要するに「愛国心」というのは、近代国家にとっては必要なモノであり、
> それが押し付け的か、自然な感じかは置いておいて、
> 国家が国民に植え付けようとするのは、実は結構、当たり前の事ではあります。
> そもそも国民国家(特に民主国家)というのは、徴兵制とセットでもありましたからねえ。
> なので、程度の差こそあれ、どの国でも愛国教育というのは行っているように思います。
> ただ、それはあくまで国家側の都合であって、個々人の都合はまた別の次元の話ですけど、
> でもまあ、こちらも道徳と同じで、社会を上手く動かすルールとして用いられてる限りにおいては、
> 決して悪いモノとも言い切れないとは思っています(事態を悪化させる危険性も孕んではいますが)。
>
> と言いますか、私の場合、転勤族として日本各地を転々として育った為、
> 多くの人たちが普通に持ってる「故郷」というモノを持ち合わせて居らず、
> 数多くある故郷モドキ(数年過ごした土地)を掻き集めた「日本」という存在に対して、
> 郷土愛の代替みたいな感じで愛国心を、恐らく普通の人よりも一段と強い抱いてますからねえ。
> であればこそ、国家・国民の事を思わず、ストレス発散や金儲けの手段として、
> 形だけの愛国心を振り回す輩に対する不快感が、異常に強いのだと思います。
>

なるほど。勉強になりますね。
私も愛国心が悪いものと考えているわけではないです。
ただ、国という共同体に従う理由として振りかざすのは止めてほしいですね。

> でもまあ、自分の言動に対して疑念や心配を抱く感情がある限りは、
> 仮に何か問題を犯したとしても、そこまで大事になる事は少ないと思いますよ。
> 本当に厄介な人間というのは、自分は正しいと信じて疑わないタイプですし、
> そんな自分本位な人間の言動が正しい事は、まずほとんどありません(苦笑)。
> ですから、自信満々に迷惑を振り撒き続けて、それを改める機会すら持たないと・・・・
>
> あと、ここまで語ってきて何ですけども、
> 道徳について語る人間としては、あまり私は向いてない気がするんですよねえ(苦笑)。
> この年齢まで生きていれば、自分が変わり者である事を、さすがに自覚できてますし、
> 少しでも油断すると、すぐに世間の認識と乖離してしまいます。
> だからこそ、こういう話題になると、自らの肌感覚というのが役に立たず、
> 「どうやら普通はこう感じるらしい」というデータを集めて、客観的であり続けないと、
> 世間と上手く合わせていく事が出来ません・・・・
> それでも何とか調子を合わせられるのは、幼少期の躾(教育?洗脳?)の賜でしょうね。
> まあ、ここはネットですし、しかも私自身のサイトなので、普段よりは解放してますけど(笑)、
> それでも常に、浮いていないか? 迷惑じゃないか? と、気にしながら書いてはいます。
> でも、そんな感じの人間が語る一般論なんて、まるで説得力など無いんじゃないですかねえ?
>

私は管理人殿の意見や考え方に結構説得力を感じてます。
私が変わり者でなければ、管理人殿が上手く調子を合わせているという事だと思います(笑)

ただ、私も周囲からはズレているといわれることがありますね・・・。
管理人殿のように様々な経験や知識があるわけではないですし、所謂中二病みたいな一過性のアレかもしれないですけど、
ちょっと変な考え方をしてるのかもしれません。数年後に今の自分を振り返って悶えることにならなければ良いんですけどね。

> ゆとり教育の失敗にしても、それを行えるだけの下地を全く整備しないまま、
> 単にお題目を並べただけでは、そりゃ、どうやったって上手く行くはずが無いですよね。
> それをキチンと検証もしないまま、単にダメ出ししただけで終わって、方針転換では、
> 学校の教育が良い方向に改善されていくなんて事は、夢物語に過ぎません。
> って、このまま学校教育の話題に突入すると、更に話が長くなっちゃいますが(笑)、
> でもまあ、どうしても愚痴っぽくなってしまう「道徳の教科化」の話に比べれば、
> 「どういう教育が良いか?」という方が、まだマシな話題なのかも?
> 私自身が、学校の勉強がまるで合わなかった人間だからこそ、
> 「ああすれば、こうすれば」みたいな意見は、結構持っていたりします。
> ただし、それこそ自らの肌感覚からの考えなので、本当に適当なのかは解りませんけど・・・・

前に教育の経済学という本を読んだのですが、管理人殿の考えと近いことが書いてありました。
というのも日本の教育には客観的なデータが殆ど反映されていないとか。
そして、日本では欧米のような統計を基にした実践的な経験が殆どされていないらしいです。
ちょっとうろ覚えなので、詳しいことは思い出せないですけど・・・。


[21377] Re4:道徳教育返信 削除
2017/10/21 (土) 16:36:17 徳翁導誉

> お久しぶりです。
> ちょっと忙しくて・・・。

いえいえ、その辺は別に気にせずとも構いませんよ(笑)。

> > と言いますか、そもそもこうした発言自体、その当人たちが、
> > 「自分たちこそ社会の本流」という思い込みがなければ、出てこない発想なんですよね。
> > そして、それを信じて疑わないから悪気もなく、本流なので自身の責任感も伴わないと。

> 分かります・・・。
> しかし、百歩譲って自分たちが本流だって自信を持つのは良いとして、
> どうして自分たち以外の意見を聞こうとしないのか。
> 少数派の尊重って大事なことだと思いますし、

本流だからこそ、それが大多数の意見だと思っており、
大多数の意見なので、それこそが正しいと信じ込んでいれば、
少数派の意見など間違いであり、聞く必要が無いという具合でしょうね。
だって、社会的に間違ってる意見なのですから(その人の中では)。

ただまあ、この話は突き詰めていくと、別にそうした論理的な考えではなく、
ただ単に「自分は正しい。反対する人間は間違ってる」と思いたいだけの事かと?
先日も自民党の丸山議員が、「他党に投票する人は脳がおかしい」と選挙応援で発言し、
少しだけ問題になってましたけど、人気弁護士と言われる人でもそうなんです。
信仰とかも同じ構図でしょうけど、それが一番、心の休まる思考法ですし、
そう「信じる」上で、特に「根拠」などは必要ないですからねえ。

> > う〜ん、この辺は言葉の定義の話になってしまうのですが、
> > 自分自身のルールは、道徳と言うよりも、ポリシーとか信念とか言う方がしっくり来ますね。
> > もちろん、個人ごとの道徳的価値観の違いというのも、存在するとは思いますが、
> > それは、同じ社会を見たとしても、個々人で感じ方の違いがあるからですし、
> > そこの違いは、対象が同じである以上、そこまで大差あるモノにはならない気がします・・・・

> ポリシーや信念といったほうがしっくりくるというのは確かにそうですね。
> でもそういう物も根っこは個々の道徳の差が生んでいる気もするんですよね。

う〜ん、そう言われてしまうと、私がズレた人間である事を再認識させられますね(苦笑)。
恐らく、ほとんどの人にとっては、それが成り立つと思うんですよ。
個人が集まって出来るのが社会であり、社会の基準は個人の基準の最大公約数である以上、
個人と社会との価値観の間に、それほど大きな差は生まれないと。
でもこれは、大多数にとってはそうでも、少数派にはその限りじゃないんですよねえ・・・・

解りやすい例で言えば、私個人の基準だと、薬物の使用を悪い事とは感じていません。
もっと言うと、覚醒剤や大麻と、酒やタバコの間に、一体何の違いがあるかが解りません。
危険度をいうなら、酒は非常に致死率の高く、タバコもなかなか依存度が高いです。
酒やタバコに比べれば、大麻の方が人体への害が少ないですけど、なぜ大麻はダメなのか?
覚醒剤にしたって、適切に使用する限りでは有益なのに、なぜそこまで危険視されるのか?
もちろん、濫用すれば危険ですけども、それは全ての物事についても言える事です。
確かに日本の法律だと、酒やタバコは合法で、覚醒剤や大麻は違法という違いはありますが、
法律が正しさの基準であるなら、人種差別法があれば差別する事も正義となりますし、
そもそも、中東では酒が違法であったり、欧米では大麻が合法であったりする事を考えると、
そこの線引きに、普遍的な基準があるというモノでも無いはずです。
まあ結局は、多くの個人の基準がそこにあり、それが社会としての基準になったので、
更に多くの人が個人の基準もそこに至った・・・というだけの話なんだと思います。
つまり、ここで言う「そこ」とか「それ」と言うのが、まさに「道徳」の正体なんでしょうね。

> > でも一方で、常に変化する社会と、それに応じる新ルールに対して、
> > そんな大差ない個人差こそが、新たな社会ルールへの柔軟な対応を可能にしている面もあり、
> > そこの違いは大変重要ですから、「これが正解」と上から定めてしまうのは間違いでしょうね。
> > と言いますか、上からの目線で都合良く決めた社会ルールの正解が、
> > 果たして本当に、社会のルールとして最適解なのかと言えば、どうしたってズレてくるはずで、
> > しかも、ただでさえそうなのに、これを推進しようとする層の価値観が、
> > 始めからズレている(道徳心が欠けている)という、笑い話にもならない現状であると(苦笑)。

> まあ好きか嫌いかで言うと嫌いですが、
> あの界隈が完全に道徳心が欠けているとまでは言い切れないですね。

いや別に、「完全に欠けている」とまでは、一言も言っていませんよ(笑)。
と言いますか、そんな白か黒かが100%決まるなんて事は、現実だとほぼ皆無でしょうし、
そうした二元論というのは、結局の所、自己正当化にしか役立たないモノだと思います。
あと、完全に欠落と言いませんけど、独善的である時点で、決して完全では無いのも事実かと?

例えば森友学園の件とかでも、最初は愛国教育を賞賛していたのに、
都合が悪くなると切り捨てて、手のひら返しで袋叩きに変わり、
それで自らを恥じる所がまるで無いという人間に、
本当にそこまでの道徳心が備わっているのでしょうか?

> あの界隈と正反対の方針、例として挙げるなら
> 日教組とかが教育行政で主導権を握っても多分末端では振り回されることになるでしょうし。

う〜ん、ここで言う末端とは、現場の教師達の事でしょうか?
そうだとしたら、仮にそうなったとしても、あまり振り回される事は無いと思います。
そもそも論になりますけど、日教組なんていうのは、単なる教職員の労働組合です。
ですから、その他の労働組合と同じで、基本的な主張というのは、
「給料を上げろ」「労働環境を良くしろ」「雇用を守れ」の3点しかなく、
そうした方針が本当に実行された場合、果たして現場の教師は困るでしょうか?(笑)

もちろん、教師の中には困った人物もおり、その人が日教組の一員な事もあるでしょうが、
まあ数十万人もの人間が居るのですから、問題ある人物が一定数含まれる避けられません。
ただ、それはどこの組織でも同様の事ですし、日教組に問題が無い訳ではありませんが、
無関係な事まで「全て日教組の所為」と批判し、都合の良い陰謀論へと走るタイプこそ、
まさにそうした一定数いる「問題ある人物」そのものであるように、私には思えますね。

だって、日教組がもし本当に、そこまで強力な組織であれば、
予算は削られ、非正規は増え、公教育が崩壊の一途を辿る現状は起きてないはずで、
もっと言えば、教育問題に関心があると称する為政者側が、本気でそう思ってるなら、
こんな事態には陥っていないはずですからねえ・・・・
現状を把握できているなら、私立の無償化よりも、効率の建て直しこそ急務ですが、
結局の所、公教育だの日教組だのは、自らの主張にとって都合の良い道具の意味しかなく、
実物それ自体には、正直言って関心がない事の現れだとしか感じられません。
と言いますか、こうした現状を招いた政権の官房長官が、現在の首相ですからねえ。

こうした構図は現在、拉致問題や慰安婦問題でも見られるモノであり、
強硬論者にとっては、問題を悪化させるほど得になり、解決などしたら損になります。
これがまだ、自覚して敢えてやってるならまだしも、無自覚なのが本当に怖い所です。
何か大きな事件が起きた時、ネットで「こいつが犯人の親族だ」と無関係な人間を晒し、
無責任な正義感からバッシングに参加し、間違っていた事に気が付いても決して反省しない。
そんな層が世間で拡大していて、その極端な形として相模原での事件が起きた事を思うと、
ぶっちゃけた話、教育の小さな変化よりも、社会の大きな変化の方が、深刻な問題ですよね。
戦時中とかもそうでしたけど、社会の方が先に変わってしまえば、
教育の方も、後追いで大きく変えられてしまいますし。

> > もちろん、基本的には誰もが、押し付けられる事は嫌いだと思います。
> > と言いますか、教育であれ、洗脳であれ、相手に「押し付け」と感じさせた時点で失敗なんです。
> > 親が子供に「勉強しなさい!」と叱りつけた所で、却って逆効果なだけですし、
> > 上手な洗脳というのは、「自発的に行っている」と思い込ませる作業ですからねえ(笑)。
> > そして実際は、嫌だと反発するような人ほど、自発的で積極的に関わってくる為、
> > 望む方向へ誘導できる機会が多く、一度転がしてしまえば誰よりも熱狂的になったりする一方で、
> > 「へ〜」と簡単に同調する人は、他人の話など聞き流していて、意外と洗脳が困難だったりします。

> いつも思うのはそこの線引きって曖昧ですよね。
> どこからが自発的でどこからがそう思わされているのか。
> 例え最初は誘導されていたとしても、本人が自分の意思で行っていると考えている場合、
> それは誘導による行為と言えるのかどうか。
> 仮に一方的に誘導されているだけ、と断じてしまうと
> その人物の自己決定を尊重していない気がしますし・・・。

いや別に、そこは曖昧では無いように思えます。
「自発的」というのは、「自分から進んで行動する」様子の事であって、
その最初のキッカケが、誰かからの誘導だとか、何らかの影響だとかは、特に関係します。
と言いますか、他からの影響が全く何も無い行動って、実際に有り得るんですかねえ?

そして、誘導である事と、自己決定の尊重は、別に二律背反の関係では無いと思うんです。
まあ、「洗脳」という言葉を使っているから、何だか身構えてしまうのかも知れませんが、
これが例えば、「手品」だと思って、考えてみたらどうなるでしょうか?
手品では、観客の目を誤魔化す為に、非常に巧みな誘導を行いますよね。
専門用語だと、これをミスディレクション(misdirection)と言ったりするのですが、
こうしてマジシャンに誘導され、観客が選んだカードが当たったとして、
その時に、どれだけ観客が自発的に選んだからと言って、誘導では無いと言えるのでしょうか?
もし頑なにそう言い切ってしまうと、その観客は凄い超能力者になってしまうかも?(笑)

って、この段階であれば、ただの笑い話で済むでしょうけど、
これがもし、マジシャンが手品であると言わずに、「自分は超能力者」だと言ったり、
逆に観客に対して、「あなたは超能力者だ」と言い出したら、それは笑い話で済むでしょうか?
そんな事を言い出すというのは、何らかの騙す意図があっての行動でしょうし、
その事に相手が気付かず、自分の判断だと信じたとして、それで誘導は否定されるのでしょうか?
実際の社会には、マジシャンのように、自覚を持って誘導するケースだけでなく、
当人も自覚のないまま、相手を誘導するような人も居るでしょうし、
誰も誘導していないのに、自らの誤解からそうなってしまう人も居ます。
そうした事を考慮しても、自発と誘導の線引きは難しいと言うより、
自発と誘導はそもそも別のモノだと考えた方が、妥当なように思えますね。

> > 誰が決めるかと言えば、少なくとも今回話題にしている道徳の授業においては、
> > まず一次的には、現場の教師であり、教科書の制作者にあるのでしょうが、
> > 彼らは文部科学省の指導に従う立場ですから、二次的には霞ヶ関でしょうし、
> > そして霞ヶ関も、与党議員とその支援者に干渉を受けますから、最終的には為政者でしょうね。
> > 誰が決めるかの問題ではなく、そもそも公的に行われる教育とは、全てがそういうモノかと?
> > で、このスレッドで問題にしていたのは、その部分ではなく、それを前提とした上で、
> > 道徳の授業に成績を付ける事であったり、為政者の干渉が過度で偏ってる事でした。

> うーん、何となくわかってきました。
> 私が問題にしてたのは成績もそうなんですけど、それ以前の段階なんでしょうね。
> 管理人様のスタンスは為政者の干渉が適切じゃない、という事ですよね?
> 私にはそもそも道徳に関する干渉が適切かどうかも分からないんですよね。

適切の干渉と言うよりも、それこそ「個人的な信念」の部分ですよね。
「矜持」という言葉を、使っても良いかも知れません。
道徳とは社会における正義であり、矜持とは個人における正義なので、
この2つの正義が常に噛み合う訳では無いのですが、
どちらか一方の正義を重視して、もう一方の正義を軽視する姿勢というのは、
結局の所、重視している正義の方も、その程度のレベルだという事になってしまいます。

そして、人の上に立つ人間というのは、相応の責任も同時に背負っている訳で、
今回の道徳指針の話に限らず、他の多くの事柄に関しても言える事ですが、
そんな低レベルな行動をされると、下にいる多くの人間を巻き込んでしまうという事です。
と、これだけでは、何だか上から下への一方通行な感じですけど、
下から作られたうねりが、上の方を巻き込んで、それが上下にドンドン回りながら、
結果的に巨大な負のスパイラルを生むというケースも、現実には決して少なくないですね。
日本の歴史で言いますと、あの大戦に突入する経緯など、まさに典型例かも知れません。

> > まあ要するに「愛国心」というのは、近代国家にとっては必要なモノであり、
> > それが押し付け的か、自然な感じかは置いておいて、
> > 国家が国民に植え付けようとするのは、実は結構、当たり前の事ではあります。
> > そもそも国民国家(特に民主国家)というのは、徴兵制とセットでもありましたからねえ。
> > なので、程度の差こそあれ、どの国でも愛国教育というのは行っているように思います。
> > ただ、それはあくまで国家側の都合であって、個々人の都合はまた別の次元の話ですけど、
> > でもまあ、こちらも道徳と同じで、社会を上手く動かすルールとして用いられてる限りにおいては、
> > 決して悪いモノとも言い切れないとは思っています(事態を悪化させる危険性も孕んではいますが)。

> なるほど。勉強になりますね。
> 私も愛国心が悪いものと考えているわけではないです。
> ただ、国という共同体に従う理由として振りかざすのは止めてほしいですね。

う〜ん、そこがちょっと難しい所なのですが、
国であれ、何であれ、その共同体に属する事を望む以上は、
その共同体の最低限のルールは、守るべきであろうかと思うんです。
そして民主国家の場合、国民1人1人が構成員たる共同体ですから、
国家という共同体を存続させる為に、愛国心というのは必要になってくるかも知れません。

ただ、ここで言う愛国心とは、構成員たる国民の総意に基づくモノであって、
構成員の一部が一方的に決められるモノでは無いはずなんです。
ですが、個人的な意見を、国民の総意だと混同してしまうタイプだと、その区別が付かず、
総意であるはずなのに、反対する人間が多数いるという、自己矛盾に関しては、
そうした人間の存在を構成員から除外する事で、脳内では折り合いを付けてしまう訳です。
回りくどい言い方になってしまいましたが、例えば戦時中の事を例に取れば、
身勝手で私益な言動であっても、「御国の為」「天皇陛下の命令」と正当化して、
それを批判する人間に対しては、「非国民」とレッテルを貼って解決させるような事ですね。

で、結局は何を言いたいかというと、愛国心とは根本的に振りかざされるモノなんです。
逆の言えば、その共同体を構成する為に振りかざされるのが、愛国心とでも言いましょうか?
ですから、問題なのは愛国心を振りかざす事ではなく、
振りかざされる愛国心の中身の方だと言う事ですね。
要するに、国家・国民の為に振りかざされるのが愛国心であって、
自己利益の為に振りかざされるのは、その当人がどう思おうが、愛国心では無いのですから。

> > ゆとり教育の失敗にしても、それを行えるだけの下地を全く整備しないまま、
> > 単にお題目を並べただけでは、そりゃ、どうやったって上手く行くはずが無いですよね。
> > それをキチンと検証もしないまま、単にダメ出ししただけで終わって、方針転換では、
> > 学校の教育が良い方向に改善されていくなんて事は、夢物語に過ぎません。

> 前に教育の経済学という本を読んだのですが、管理人殿の考えと近いことが書いてありました。
> というのも日本の教育には客観的なデータが殆ど反映されていないとか。
> そして、日本では欧米のような統計を基にした実践的な経験が殆どされていないらしいです。
> ちょっとうろ覚えなので、詳しいことは思い出せないですけど・・・。

以前、テレビをつけたら、たまたま放送大学にチャンネルが合っており、
その時に「統計から見る学級崩壊のメカニズム」みたいな内容をやっていて、
つい、そのまま最後まで見てしまった事があるのですが、なかなか興味深い内容でしたね(笑)。
結果は同じ崩壊でも、締め付けの反動が招く古いタイプの崩壊と、
自由のタガが外れる新しいタイプの崩壊が、それぞれある事を知れました。

ただ、それが実際に現場で活かされているかとなると、やはりなかなか難しいみたいで、
当事者である教師へ個々に対応しても、日本の学校教育では縦も横も連携が乏しい為に、
どうしても全体の変革には繋がらず、効果の方はあまり現れていないそうです。
で、予算の削減と、教師の非正規化を、今の調子で続けていけば、
縦や横の連携だなんて、良くなる所か、これから更に悪くなる方向しか思い描けませんでした。

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