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[21856] 夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/8/14 (火) 10:06:51 徳翁導誉

元々、こちらのスレッド↓で話題にしていた
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r21527
「AIと教育(読解力)」や「大河ドラマの通史化」等から考え始めた事でしたので、
話の流れ的には、そのまま同スレッドで続けるべきかとも思いましたが、
ロシアW杯という中断期間を挟み、また随分と時間が経ってしまいましたので、
独り言になるかも知れませんが、新スレッドで徒然に書いていきたいと思います(笑)。

もちろん、皆様方からの横レスも大歓迎ですよ!!
私みたいに、もう受験はとっくに終わった人も、
いま受験を控えている人も、これから受験を迎える人も、
やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。


【受験勉強と生涯学習は別物?】
  まず最初に、「受験勉強」と「生涯学習(大学教育なども含む)」は、根本的に異なります。
  受験勉強には、試験日や出題範囲、そして入試の点数という明確な数値が存在しますが、
  生涯学習の方では、ある意味で、受験勉強のような解りやすいゴールは存在しません。
  だからこそ生涯学習の勉強法は、常に知識を増やしていく「足し算&掛け算」となりますし、
  学習方法としては、こちらの方が本来は一般的なのですが、
  しかし受験勉強の方は、合格を勝ち得る事こそが最大の目的であり、
  「点数」という形で目標が見える為、「引き算&割り算」の勉強法が効率的になってきます。
 
  要するに受験勉強では、高校入試であれ、大学入試であれ、
  その試験日までの日数が明確に出ており、出題範囲や受験科目なども限られ、
  そして目指す学校の「合格ライン点数」も、ある程度は解っているのですから、
  現状での自らの学力を把握すれば、あとは合格まで何点必要かを引き算し、
  目標までの距離を計れたら、最後は残る日数で割り算して、1日のノルマを出すだけです。
  つまり、「受験勉強は引き算&割り算」と言ったのは、式に表すとこういう事↓ですね。
 
   「合格=(合格に必要な点数−現時点の学力での点数)÷(試験日−今日)」
 
  この辺の仕組みを理解しないまま、ただ闇雲に勉強したとして、
  そうした積み上げ式の勉強法は、足し算&掛け算の生涯学習では良くても、
  「合格こそが最終目標」である受験勉強には、あまり適した方法ではありません。
  ただ、ノルマが決まっても、そこは性格的な個人差がありますから、
  毎日コツコツできる人は1日単位のノルマでも問題ないでしょうけども、
  その人ごとによって、1週間単位とか、1ヶ月単位のノルマ設定でも良いと思います。
  要するに、最終的に、時間内に目的地まで辿り着ければ良いのですから。

【受験勉強は効率的に!】
  正直、個人的には、こうした受験勉強の類は好きでは無いのですが、
  今の日本社会において、進学が大きくウェイトを占める以上、なかなか避けられない事ですし、
  逆に言えば、だからこそ、無駄に時間を掛け過ぎず、
  効率的に合格を目指す方法が、受験勉強には求められるな気がします。
 
  その為にも、まず何より重要なのは、ターゲットとなる入試問題の情報ですよね。
  例えば、目指す学科に理科の入試科目が無いのであれば、
  合格を目指すという点だと、理科の勉強は必要ない事になりますし、
  各校の試験問題の特徴を事前に知る事で、出題傾向に応じた学習配分を取れ、
  そして、各教科の配点を把握する事で、自らの得手・不得手を踏まえた戦略を立てられると。
 
  まさに孫子が言う所の
  「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」
  ってヤツですね!!
 
  「早めに過去問をやれ」と言われるのも、自分の今の実力を知る以上に、
  過去問をやる事で出題傾向が解り、今後どのように勉強すれば解る事が大きい訳です。
  例えば、埼玉県の公立高校入試の日本史ですと、
  古代から幕末明治までが5割、幕末明治から現代までが5割という配点で出題される為、
  過去問をやり、その傾向を早めに掴んでおけば、古代から全ての時代を満遍なく勉強するよりも、
  明治までの1500年間は、文化史も含めて、浅くても良いから広く押さえておき、
  明治以降の150年間は、特に政治外交史を中心に深く覚えておく事で、高得点が期待できます。
  入試本番まで時間が無ければ、現代から逆に時代を遡って勉強していく方法も有効でしょうね。
  これを知っているか、知らないかでは、結果に大きな違いが出てくるはすです。
 
  少なくとも、「結果」を求めて受験勉強を行うのであれば、
  自分自身の学力と、目標校合格に求められる学力を、
  まずはキチンと把握してから勉強を行った方が、遥かに効率は良いはずです。
  ぶっちゃけた話、受験勉強に「近道」など無いとは思いますが、
  「地図」を手にして道を進む受験生と、ただ闇雲に道を進む受験生とでは、
  到達する時間は、まるで変わってくるはずです。
  要するに、近道など無いけど、多くの人は回り道をしていると。
  だからこそ、出来るだけ回り道をしないのが、効率的な方法になる訳ですね。

【生涯学習の方法で受験勉強】
  とは言え、この「効率的な受験勉強」の方法を極め過ぎてしまうと、
  ただ単に、TVゲームのように点数を上げる作業に突入してしまい、
  その方法だと、結果的に「テストで高得点を取る」能力しか身に付かないと・・・・
 
  よく、「学校の勉強は役に立たない」などと言われたりもしますが、
  これは学校教育における「生涯学習」の面を無視して、
  「受験勉強」の面のみで捉えるから、そういう感想になる気がします。
  結局、良い大学は出ていても、義務教育の基礎知識すら身に付いてない人が多いのも、
  テストで点を取る技術だけ学んで、その教科本来の中身を学んでいないからでしょうしね。
 
  ・・・という事で、何だか前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題(笑)。
  「生涯学習」の学び方で、その教科の知識を身につけつつ、
  「受験勉強」の方にも、結果的に繋げられる勉強法は無いモノか?
  な〜んて事を、ちょっと考えてみたいと思います。
  有り体に言えば、「楽しみながら、知識が身に付き、受験にも役立つ」学習法は無いかと?

【地歴の勉強法】
  「ゲームや動画を通して、歴史の楽しさを伝える」という、
  このサイトの主旨からしますと、地歴の学習法が一番身近でしょうかねえ?
  例えば、赤い嵐をプレーした事で、世界地理に詳しくなった方も居るかと思います(笑)。
  でもまあ、ここにあるゲームは、別に「受験勉強に役立つ」目的では作られていませんし、
  逆に言うと、このスレッドの主旨からすれば、
  「受験勉強に役立つゲーム」とは、一体どんなモノか?という感じになるでしょうか。
 
  確かに、歴史や地理というのは、主要教科でありながら、
  それを「趣味」とする人たちも多い分野ではあります。
  ですが多くの場合、興味の対象は戦国や三国志など特定の時代であり、
  そこのマニアックな武将知識というのは、受験にほとんど影響を与えません。
  でもこれが、「全時代&全世界の通史的なゲーム」であったり、
  「時代無視のオールスター的なゲーム」であったら、どうでしょうか?
 
  このサイトのゲームで言えば、「Super三國志」や「ナポレオンの野望」などで、
  古代から現代まで、自由に時代のシナリオを選べるとしたら、
  各時代の勢力図に、国名や君主名などは、もっと気軽に覚えられるかも知れませんし、
  それ以外の出来事・重要人物・重要政策なども、イベント・カード的に加えれば、
  歴史全体の流れみたいなモノは、ずっと身に付くかも知れません。
 
  また逆に、時代性など無視して、例えば信長の野望みたいなゲーム・システムで、
  各勢力を、日本史であれば都道府県、世界史であれば現国家の単位とし、
  各武将を、その地域の歴史上の人物をオールスター的に登場させれば、
  マニアックな武将も、山川の用語集に掲載されてるような人物達になりますし、
  勢力の単位が現代なので、そこを作り込めば、地理の知識も身に付くゲームにできます。
 
  あとは、前スレッドの続きのような話ですけど、
  ドラマであれ、マンガであれ、動画であれ、特定の人物や出来事に焦点を当てた作品を、
  通史という形で通して見られれば、歴史全体の流れも把握しやすいように思えます。
  このサイト的に言うなら、歴史Flashの作品群で時代の流れを繋げる感じでしょうか?
  とは言え、それを個人でやるのは、さすがに難しいので、
  そういう意味でも、通史モノの大河ドラマとかを見てみたいんですよね(笑)。
  「日本通史・大河ドラマの主人公リレー25名案」↓
  http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=c21670
  (昔は「歴史の勉強に大河を見なさい」と言われたモノですが、最近は聞かない台詞ですね)
 
  それと地理に関しては、前述のように、赤い嵐みたいなゲームで予備知識を得られれば、
  世界のニュース報道とかに触れても、いろいろと得られる情報は多いでしょうし、
  もっとシンプルな遊びであれば、世界地図のパズルなんかも良いと思います。
  3Dプリンターが普及した今なら、触覚&視覚を通して、地形を覚える事が出来るかと。
  まあ、3Dプリンターは無理でも、ボール紙などを使えば、簡単に自作も出来ますしね。
  そして地図パズルという形であれば、各世紀ごとの勢力地図パズルを、
  その時代の主要な人物や事件、戦争の行軍ルート付きで作れば、歴史の勉強でも使えるかも?
  ゲームとして考えるなら、単純にスゴロクとかでも充分に面白いモノが作れそうですし、
  世界遺産とか観光名所などで、歴史要素も絡めつつ、カード・ゲームとかも出来そうです。
  ウチの弟のように、「桃太郎電鉄」で日本の地理に詳しくなったり、
  サッカーで世界の地理に詳しくなった人は、きっと大勢居る事でしょうし、
  地理という科目も、なかなかどうして、娯楽との相性が良いモノなのでは無いでしょうか?
 
  まあ正直、私は理系だったので、文系の事情はあまり詳しく無いのですが、
  大学受験の地歴は、上位校(特に東大)ほど、歴史マニアが高得点を狙えると思いますし、
  趣味として成り立つからこそ、好きになれば「勉強の息抜き」に使える教科にも為ろうかと!!
  って、あくまでも受験目的であれば、好き嫌いなく広い時代や地域をカバーしつつ、
  息抜きの時間(地歴の勉強)ばかりにならないよう、注意しなければなりませんがね(笑)。

【理科の勉強法】
  ・・・これは、あまり万人向けの受験勉強法では無いと思いますけど、
  理科の場合、中学や高校で習う中途半端な内容よりも、
  大学以降に習う本格的な内容の方が、学問的に絶対面白いと思うので、
  受験勉強とか、ほぼ無視して、いきなり大学用の教科書とかで独学してました。
  まあ、大学の専門内容が理解できれば、それなりに受験問題も解けますしね(笑)。
  ただ、これだけだと今回の主旨に、ちょっと反してしまいますので、
  もう少し、「物理・化学・生物・地学」の科目ごとに、勉強法を考えてみたいと思います。
 
  まずは私の専門分野である「物理」に関してですが、
  そもそも物理学とは、万物自然界の法則(理:ことわり)を解き明かす学問であり、
  王道的な学び方として、「力学はこうなっている」「電磁気学はこうだ」という、
  既に結論が出ている解釈を、そのまま受け売りで、知識として取り入れるのも良いですけど、
  「人類はどのように自然界の法則を解き明かしてきたか?」という、
  歴史的な流れから順々に、学んでいくのも1つの方法では無いかと思うんです。
  それこそ、紀元前の学者達が辿り着いた結論は、比較的に理解しやすい事柄ですし、
  そこから一歩ずつ、人類の理解の歴史と歩調を合わせていけば、理解もしやすいのでは無いかと?
  アートとかでも、確かに個々の作品や、印象派などの作品群を、単体として鑑賞しても、
  それはそれで楽しめるのですが、そこにある歴史的な「アートの文脈」を把握すると、
  作品の背景などまで感じられて、より深くアート鑑賞を楽しめますからねえ。
  ですから同じ要領で、歴史的な「物理学の文脈」を学んでおけば、
  近現代における物理学の急速な発展を、より実感できそうですし、
  理学的な発見と工学的な発明の繋がりも、理解できそうな気がします。
 
  続いて「化学」ですが、これは意外とゲームとの相性が良い気がします。
  もし仮に、ポケモンに登場するモンスターが、それぞれ元素の名前で、
  各元素の特徴を持ちながら、原子番号や質量数などが攻撃力や防御力だったら、
  日本中に化学好きの子供達が溢れていたかも知れません(笑)。
  周期表も上手く工夫すれば、トランプの7並べみたいなゲームが作れそうですし、
  有機や無機の化学合成も、麻雀風のカードゲームとか作れば面白そうなので。
  水素カード2枚と、酸素カード1枚で、水を作る・・・みたいな要領で、
  相手の作った化合物を、分解反応させてポイントを下げたり、
  化学反応を起こして生じたエネルギーを、ボーナス点として得られたりすれば、
  戦略的にも、いろいろ出来そうで、なかなか面白いゲームが作れるかも?
 
  次に「生物」ですけど、一応、私は受験で物理と化学を選択していたのですが、
  近年の発展が目覚ましい生物学にも興味があったので、少し手を出してました(苦笑)。
  とは言え、この科目こそ、現在の理科教科の中で、最もホットな題材でしょうし、
  そうした現在進行形なニュースに触れていく為にも、
  最初に「万人向けでは無い」と言った、「本格的に学ぶ」という方法も、
  この生物という分野に関しては、意外と間違えでは無いのかも知れません。
  それに、子供達に大人気の動物・昆虫・恐竜なども、考えてみれば生物学の分野ですし、
  だからこそ、上野の国立科学博物館に行っても、展示品はかなり生物関連が多いんですよね。
  改めて考えてみますと、生物学というのは、一般的に最も身近な理科科目なのかも知れません。
  ・・・って、結局は、どんな学び方が良いかとなると、まずは生物学を好きになって、
  科学博物館に行き、いろいろ展示品を解説できるレベルになれば、受験でも点は取れるかも?(笑)
 
  最後に「地学」ですが・・・これを理系で選択できる大学や学部は限られる一方、
  国立志望で、文系でもセンター試験では理科科目が必要な大学なら、
  地学という選択肢も、決して悪くは無いモノでしょうし、
  何より、東大文系みたいに地歴科目の選択を2つ求められる場合、
  学問的に、それぞれリンクしている「世界史&地理+地学」という組み合わせは、
  正直言って、最強コンボなのでは無いでしょうか!?
  それに地学は、気象や地形、地質に海洋などなど、
  ある意味で、私たちの生活に最も深く関わる学問の1つですから、
  英語とは正反対で、受験用と実用の知識が、かなり近い関係にある気がします。
  ニュース番組のお天気コーナーを見るだけでも、学べる所はあるでしょうからねえ。

【英語の勉強法】
  正直、英語は私の苦手教科だったので、どんな学習法が良いとか、あまり無いのですが、
  それでも今は「DVD(Blu-ray)」で、映画やドラマから気軽に英語を学べるのは良いですよね!!
  なので、「その教科を好きになる所から始める」という意味では、
  英単語や英文法などから入るよりも、英会話やドラマ視聴から入る方が向いてると思います。
  ただ、単純にテストで高得点を狙うなら、英単語や英文法から入った方が近道でしょうから、
  英会話やドラマ視聴から入るのは、時間がある場合や、実用目的などの場合でしょうね。
 
  そういう意味では、受験用と実用の乖離が最も大きい教科って、この英語なのかも?
  まあ確かに、100年以上昔に日本で英語教育が始まった当時であれば、
  英語の書物を翻訳・読解する事こそ重要だったのでしょうけども、
  その方針が100年以上経った現在でも、あまり変わらないまま続いた結果、
  難しい文章を読み書き出来るけど、簡単な文章を聞き話し出来ない学生を量産したと・・・・
  だからこそ、中学1年の頃は「英語が好き」という生徒が多数派なのに、
  高校3年の頃になると「英語が嫌い」という生徒が多数派となる状況を生んでいる気がします。
  であればこそ、まずは「英語が好き」という気持ちを持続させる事こそ、
  「急がば回れ」じゃないですけど、遠回りに見えつつ近道のように思うんです。
 
  で、前置きが長くなってしまいましたが、
  北米TVドラマの人気ジャンルである「シットコム(シチュエーション・コメディ)」は、
  舞台演劇が原型なので、設定や登場人物なども毎回大きく変わらず、
  1回25分前後の一話完結型ですから、かなり気軽に作品を楽しむ事が出来ますし、
  人気ジャンルだけあって様々な作品があり、気に入る作品も見付けやすいのでは無いでしょうか?
  教材として繰り返し視聴する事を考えると、「気に入る」というのは非常に重要な事かと。
  もちろん、お気に入りの洋画とかがあれば、そちらでも構わないのですが、
  ドラマの方がトータルの時間が長く、会話劇が多いので、やはり教材向きな気がします。
  逆に言うと、アクション系やサスペンス系の作品ですと、
  台詞が少なく、短文のスラングが多い事などもあって、あまり教材向きでは無いのかな?
 
  そんなシットコム作品の中から、教材としてオススメするとすれば、
  日本だとNHK教育で放送されていた「フルハウス」ですかねえ?
  NHK教育の平日夕方にやってたくらいなので、中高生の教材としては安心ですし(笑)、
  主人公が子供なので、そんなに難しい英文やスラングは登場しません。
  逆に言えば、だからこそ、英語の初学者向きの作品とも言えます。
  具体的には、まずは日本語吹き替えor日本語字幕で視聴して、話の流れを把握したら、
  次は1回、英語音声&英語字幕で視聴してみて、どれくらい解るかを把握してみる。
  そして2度目は、解らない単語や文章を書き出してみて、意味を調べて、
  台詞の意味まで解るようになった3度目以降は、台詞を聞き真似して音読にも挑戦。
  最後に、英語字幕を消してみて、音読も聞き取りも出来るようになっていれば、
  次のストーリーに移る・・・といった具合の学習方法ですね。
 
  また教材選びに関しては、もしもアニメが好きな人であれば、いっその事、
  英語吹き替えされた、日本のアニメ作品を「北米版Blu-ray」で入手するのも手かと?
  (北米版DVDは日本と再生仕様が異なる為、基本的には北米版Blu-rayがオススメ)
  北米版の方が、日本版よりも、ずっと安く購入できますし、
  だいたいの場合、副音声でオリジナルの日本語音声も入ってますからねえ。
  要するに、英語の勉強として視聴するのであれば、
  台詞が英語で、その台詞を英語字幕を同時に見られれば良いのですから、
  繰り返し視聴しても苦にならない作品があるのなら、日本のアニメでも良いと思います。
  特に「ジブリ作品」などは、主人公が子供の作品も多くて、台詞の英語も簡単ですし、
  多くの人は、既にストーリーを熟知しているでしょうから、元の台詞を思い浮かべつつ、
  「ああ、こういう言い回しをするんだぁ」と、気軽に英語を学べるのでは無いでしょうか?
  近年、徐々に比重を増しつつあるリスニング対策としても、有効な独学方法かと。
 
  とは言え、現実的には「入試まで、もう時間が無い」という人も居るでしょうし、
  前述のように、やはり実用英語と受験英語とでは、現実的に乖離がありますからねえ。
  まずは「DUO」やZ会の「速読英単語」で、とにかく語彙数を増やして、
  続いて、桐原と駿台の「英頻」で文法や語法を押さえつつ、
  最後に、伊藤和夫の「英文解釈教室 or ビジュアル英文解釈」で構文読解を身に付け、
  あとはひたすら問題集や過去問を解きまくるのが、やはり手っ取り早いのかな?
  って、この辺の参考書は古典過ぎて、今の受験生には時代遅れなのかも知れませんが(笑)。
 
  それと、これは試験テクニックみたいなモノですけど、
  英語の長文問題というのは、読むのに時間がかかる為、如何に速く読むかが重要です。
  もちろん、長文をサッと素早く読めるのが理想ですが、なかなか難しい事ですから、
  不要な箇所は読み流す判断力が、時間が限られたテストでは地味に大事になってきます。
  その為の1つのテクニックとしては、先に「問い」の方を軽く目を通しておき、
  下線や括弧の位置から、答えを書くのに不要な箇所を切り捨てるというのがありますね。
  また、単語や文法など、すぐに答えられて、長考しても答えが出ないような問題は、
  最初にさっさと片付けておき、時間のかかる長文問題や作文問題なの時間を残すなど、
  配点を考えながら、テスト全体の時間配分をするのも、結構重要な事だと思います。

【国語の勉強法】
  う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
  現代文にせよ、古典にせよ、それほど勉強せずとも、
  センター試験で9割は取れてましたから、理系の私にはそれで充分でした(苦笑)。
  思い返してみると、小1の頃のアダ名が「漢字博士」だった程、昔から漢字は出来ましたし、
  高校の頃に読んだ歴史小説が、現代文の読解力を高めでもしたのでしょうか?
  理系でしたから、構文に対する論理的な捉え方も、自然と身に付いていたかも知れません。
 
  また古典の方も、私が転勤族として育った為、「方言適応力」が普通の人より高く、
  その影響か、古文も漢文も、それほど苦も無く読めてしまったんですよねえ・・・・
  標準語と少し違うというのは、ある意味で、古い言葉も方言も同じ様なモノなので。
  それと、私が歴史好きだった為、その時代背景や文化背景を理解していた事も、
  古典の読解には、意外と大きな役立っていたのかも知れませんね。
 
  ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
  私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。
  特に漢文に関しては、中国史の小説を読んでいるか否かで、身近さが違ってきますし、
  そこから「孫子」や「三十六計」などに足を踏み込むだけでも、大きく変わってくるかと?
  あとは古文ですと、「百人一首」に親しんでおくのは、何かと有利かも知れませんね。
  最初はゲーム目的で、意味も解らず丸暗記した和歌も、古文で大きく活きてくると思います。
  あと、現代文というのは、出来る人と出来ない人の間でも、そこまで点差が付かないので、
  国語で差を付けようと思えば、この古典の部分が、結構重要になってくる気がします。
 
  それと、これは入試用の得点法ではありませんが、
  学校の定期テストで国語の点を取ろうと思えば、
  基本的に、授業で扱った教科書の文章から出題される訳ですから、
  授業の解説を覚えておけば、読解力とかに関係なく、高得点が取れますけどね(笑)。
  まあ、内申点を押さえておく目的であれば、これはこれで有効な手段かと?
  私は転校続きでしたし、不良では無いものの意外に問題児でしたので、
  内申点など最初から期待できず、ほぼ気にした事はありませんでしたけども、
  推薦入学であったり、入試の加点分を考えれば、やはり内申点は重要でしょうからねえ。

【数学の勉強法】
  え〜と、国語に続き、数学の勉強法も、なかなかに難しい問題ですよね・・・・
  しかも英語と同じで、受験用の数学と、実用?(生涯学習)の数学とでは乖離があり、
  受験用の数学では、論理的な思考を養うとかでは無くて、
  ただただ、出題された問題を解く、ある意味でクイズやパズルに近いモノですから。
  そういう意味では、クイズやパズルとして、受験数学を楽しめれば良いですけど、
  そうで無い場合は、単にテストで高得点を取るテクニックを身に付けるだけの話になります。
 
  まず、高校レベルの数学で、与えられている定義を覚えておき、
  それぞれの問題で、どの定義が使うべきかを、解法パターンとして訓練していく。
  そして、それを問題集や過去問などで、反復的に訓練し続ける事で、
  「こういう問題では、この定義を使う」と、即座に判断できる力を鍛えると。
  言うなれば、多くの解法パターンを覚える事で、手持ちのカードの数を増やし、
  そのカードを場面場面に応じて、適切に出せる勝負勘を養うようなイメージでしょうか?
  ただ、クイズやパズルとして楽しめなければ、本当に単なる点を取る為の作業ですよね。
 
  数式をCGアート化して、視覚的に数学を楽しむ方法とか、
  いろいろと考えてみた事はあるのですが、
  正直な所、受験数学を楽しくする方法というのは、私には思い浮かびませんでした。
  でもまあ、物理学にとって、数学とは「言語」のような存在ですし、
  クイズやパズル気分で楽しめた訳では無かったですけど、
  受験数学が決して嫌いでは無かったですし、それなりに点数も取れてましたね。
  あと、こうして改めて考えてみると、定義とパターンを覚えたら、
  後は反復練習で精度を上げるというのは、まさに言語の学習に近いモノなのかも?

【最後に】
  と、まあ、ここまでダラダラと書いてみましたけど、
  そもそも私自身、学校の授業をキチンと聞いてたのは小学3〜4年くらいまでで、
  中高生になると、まるで聞いていなかったくらい、
  いわゆる、一般的な学校教育とは合わなかった生徒なので、
  学生時代から、いろいろと自分に合う勉強方法を独自に模索していたんですよね。
  そういう意味では、あまり他の人には参考にならない意見なのかも知れません(苦笑)。
  ただ逆に、私はこんな感じだったからこそ、他の人の勉強法であったり、
  一般的とされる学習方法などに、興味があったので、少し書いてみた次第です。


[21877] Re:夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/8/30 (木) 21:46:49 徳翁導誉

> やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
> と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
> まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。

何か新しい企画でも始めようかと思い、「楽しみながら東大合格」を裏テーマに、
今回は自分の趣味よりも、需要の方に重きを置いて考えてみたのですが・・・
返信がないという事は、あまり需要がある題材では無かったのかな?(笑)


[21880] Re2:夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/8/31 (金) 20:55:08 ヤン・ウェンリーU世

▼ 徳翁導誉さん
> > やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
> > と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
> > まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。

> 何か新しい企画でも始めようかと思い、「楽しみながら東大合格」を裏テーマに、
> 今回は自分の趣味よりも、需要の方に重きを置いて考えてみたのですが・・・
> 返信がないという事は、あまり需要がある題材では無かったのかな?(笑)


では私立文系出身の私が(笑
最近、数学を勉強する必要に迫られてまして・・・笑
興味をもったので主に数学についていくつか。

>  【数学の勉強法】
>   え〜と、国語に続き、数学の勉強法も、なかなかに難しい問題ですよね・・・・
>  しかも英語と同じで、受験用の数学と、実用?(生涯学習)の数学とでは乖離があり、
>   受験用の数学では、論理的な思考を養うとかでは無くて、
>   ただただ、出題された問題を解く、ある意味でクイズやパズルに近いモノですから。
>   そういう意味では、クイズやパズルとして、受験数学を楽しめれば良いですけど、
>   そうで無い場合は、単にテストで高得点を取るテクニックを身に付けるだけの話になります。

 
>  まず、高校レベルの数学で、与えられている定義を覚えておき、
>   それぞれの問題で、どの定義が使うべきかを、解法パターンとして訓練していく。
>   そして、それを問題集や過去問などで、反復的に訓練し続ける事で、
>   「こういう問題では、この定義を使う」と、即座に判断できる力を鍛えると。
>   言うなれば、多くの解法パターンを覚える事で、手持ちのカードの数を増やし、
>   そのカードを場面場面に応じて、適切に出せる勝負勘を養うようなイメージでしょうか?
>   ただ、クイズやパズルとして楽しめなければ、本当に単なる点を取る為の作業ですよね。


>  数式をCGアート化して、視覚的に数学を楽しむ方法とか、
>   いろいろと考えてみた事はあるのですが、
>   正直な所、受験数学を楽しくする方法というのは、私には思い浮かびませんでした。
>   でもまあ、物理学にとって、数学とは「言語」のような存在ですし、
>   クイズやパズル気分で楽しめた訳では無かったですけど、
>   受験数学が決して嫌いでは無かったですし、それなりに点数も取れてましたね。
>   あと、こうして改めて考えてみると、定義とパターンを覚えたら、
>   後は反復練習で精度を上げるというのは、まさに言語の学習に近いモノなのかも?


全部引用してしまいますが・・・・。数学ってどうやったら出来るようになるんですか?
計算問題が出来るようになって・・文章題が出来るようになって・・という流れかと思うんですが。
そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいいというふうなコトを聞いたことがありますが、
どういうことなんですか?


[21888] 数学という教科と、その勉強法返信 削除
2018/9/7 (金) 19:27:31 徳翁導誉

> > > やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
> > > と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
> > > まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。

> > 何か新しい企画でも始めようかと思い、「楽しみながら東大合格」を裏テーマに、
> > 今回は自分の趣味よりも、需要の方に重きを置いて考えてみたのですが・・・
> > 返信がないという事は、あまり需要がある題材では無かったのかな?(笑)

> では私立文系出身の私が(笑
> 最近、数学を勉強する必要に迫られてまして・・・笑

事情はよく解りませんが、そういった事もあるんですね(笑)。
でも、もし仮に、早い段階で私立文系に絞られたのであれば、
早々に数学を切り捨てているでしょうし、
改めて勉強するというのは、思いのほか大変そう・・・・

> 数学ってどうやったら出来るようになるんですか?
> 計算問題が出来るようになって・・文章題が出来るようになって・・という流れかと思うんですが。

まあ、ザックリと言ってしまうと、
数学というの「定義の積み重ね」の学問ですからねえ。
「これは、こう定義されています」というのを、その度にキチンと理解できていれば、
定義という名のブロックを、何処までも高く積み上げていく事が可能です。
数学が得意な人が、苦手な人に対して「なんで解らないかが解らない」と、なりがちなのも、
「こう定義されています」と聞いて、すぐに「なるほど」と理解できるからですね。
そう定義されているのだから、それ以外に考えようは無く、悩む部分すら無いと。
そして数学は、この定義を、1からコツコツと積み重ねる以外に方法は無く、
例えば日本史みたいに、縄文から始めず、途中の戦国や幕末から入るみたいな事は出来ません。
足し算が出来なければ、掛け算を理解できませんし、方程式を解くなど尚更無理な話です。

一方で、数学が苦手な人というのは、定義に対する理解があやふやなまま、
ブロックを変な形で積み上げてしまい、そしてガラガラと崩れてしまうイメージでしょうか?
なので、崩れた時に積んでた箇所から数学が解らなくなったと、苦手な人は思いがちですが、
実はそれ以前に、キチンとブロックを積まなかった箇所から、数学が解らなくなっているんです。
そして、その事を自分自身で把握できていないからこそ、苦手を克服できないと・・・・
つまり逆説的に言えば、「どこまで理解していて、どこから理解できていないか」を、
正確に把握できてさえいれば、苦手を克服するのも意外と容易なんですよね。
それでも、次に積む定義のブロックが本当に難しいとなれば、
ブロックを小分けにして、少しずつでも積み上げていく事は可能ですから。

そういう意味では、数学って最も、誰にでも平等な教科なのかも知れません。
確かに、センスがある程、ブロックを早く積む事は可能でしょうけど、
別にセンスなど無くても、ブロックを1つずつ丁寧に積んでいけば、
それなりの高さまでは、確実に積む事ができる教科ではありますからねえ。
センスが「感覚的」なモノだとすれば、数学はその対極に位置する「論理的」な学問なので。

で、具体的にどうすれば、数学が出来るようになるかと言えば、
まず最初に「どこから理解できていないか?」を把握する所からでしょうね。
その為に手っ取り早いのは、急がば回れじゃ無いですけど、小1から順にやり直す事(笑)。
「そんなの、恥ずかしくて今更出来ないよ」というようなスタンスだと、
結局は、いったい何処から躓き出したのか把握できず、苦手なままという事になりがちです。
数学は定義を積み重ねる学問だからこそ、上達には、それこそが厳禁なんですよねえ!!
要するに、数学の学習で最も重要なのは、定義の積み上げ作業で「横着をしない」事であると。
(そして作業スピードを上げる横着こそが、数学的センスと言えるかも?)

あと、計算する事だけが、数学という訳ではありません。
図形や表みたいなモノもありますし、論理的な方向に突き進むモノもあります。
と言いますか、数学って進めば進むほど、数字とか計算とは姿を消してしまう学問かも?(笑)
(具体的に数値を計算する算数と、抽象化により論理力を養う数学の違いって、意外と認知度が低そう)
ちなみに、今になって改めて思い起こしてみると、
私が図形に強いのは、子供の頃に折り紙をやってたからかも知れませんし、
論理的な思考が出来るのも、子供が抱く「なんで? どうして?」という感情を、
未だに持ち続けているかも知れません。

> そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいいというふうなコトを聞いたことがありますが、
> どういうことなんですか?

例えば有名な所だと、2次方程式「ax^2+bx+c=0 (a≠0)」の解の公式として、
「{-b±√(b^2 -4ac)}/2a」というのが、ありますよねえ?
この公式などは、恐らくほとんど人が利用した事があると思いますけど、
丸暗記して記憶が曖昧だと、「4acだっけ? 2acだっけ?」なんて事が起こり得ます。

そんな時、ax^2+bx+c=0の解き方をキチンと理解していれば、
自力で解の公式を導き出す事が出来ますから、「4acで良いんだよな」と確認できると。
また、y=ax^2+bx+cのグラフを描いた際、X軸(y=0)との交点が解だと知っていれば、
公式など覚えていなくても、大体の答えは見えてきたりもします。
ですから、別に無理して公式を覚える必要は無いというのは、1つの事実かも知れません。

とは言え、実際問題として、そんな事をいちいち行っていたら面倒ですからねえ(笑)。
そういう意味では、「公式は覚えておいた方が便利」というのも、これまた事実でして、
「公式は覚えなくてもいい」とまで言ってしまうと、ちょっと言い過ぎかも知れません。
要するに公式とは、無駄な手間を省ける道具ですので、道具があれば便利なのは確かな一方、
その道具について詳しく知らないまま、「何か上手く行くから」と使うのは危険という感じでしょうか?
例えば、前述の2次方程式の解の公式にしても、「a≠0」という前提条件が付いているのに、
「a=0」の時にも使用したら、正しい解など求まりませんので。

ただし現実的に、特にテストの場合など、短時間に多くの問題を解かなければならない関係上、
自力で公式を導き出せる力よりも、公式を上手く利用する力の方が求められます。
この事が、受験勉強で「数学は暗記科目」と言われてしまう一因でしょうね・・・・
数学という教科そのものは、決して暗記要素は高くない無いものの、
入学試験や定期試験で用いられるテスト方式だと、どうしても暗記要素の比重が高まると。
ちなみに、ここで言う「暗記」とは、単に公式を覚える事だけでなく、
「この問題なら、この公式を使うんだな」という、マニュアル込みでの暗記ですね。
(問題集を解くという行為は、実例集を用いたマニュアル作りに近い所があるかも?)


[21892] Re:数学という教科と、その勉強法返信 削除
2018/9/10 (月) 19:17:38 ヤン・ウェンリーU世

▼ 徳翁導誉さん
> > > > やはり「勉強の仕方」というのは、誰もが関わりある話題でしょうからねえ。
> > > > と言いますか、私の知らない方法とか聞ければ、それが一番嬉しいかも?
> > > > まあ、もし興味のある方が居られたら、少しお付き合い下さい(笑)。

> > > 何か新しい企画でも始めようかと思い、「楽しみながら東大合格」を裏テーマに、
> > > 今回は自分の趣味よりも、需要の方に重きを置いて考えてみたのですが・・・
> > > 返信がないという事は、あまり需要がある題材では無かったのかな?(笑)

> > では私立文系出身の私が(笑
> > 最近、数学を勉強する必要に迫られてまして・・・笑

> 事情はよく解りませんが、そういった事もあるんですね(笑)。
> でも、もし仮に、早い段階で私立文系に絞られたのであれば、
> 早々に数学を切り捨てているでしょうし、
> 改めて勉強するというのは、思いのほか大変そう・・・・

 
ちょっと大変ですね(笑)
実はいま、数学を教えるというボランティアをしたところ、
数学の教師というものに憧れを抱くようになりまして・・・。
やっぱり無理かなあ・・無謀かなあ・・・と思い始めていますが(笑)。

> > 数学ってどうやったら出来るようになるんですか?
> > 計算問題が出来るようになって・・文章題が出来るようになって・・という流れかと思うんですが。

> まあ、ザックリと言ってしまうと、
> 数学というの「定義の積み重ね」の学問ですからねえ。


なるほど。
 
> 一方で、数学が苦手な人というのは、定義に対する理解があやふやなまま、
> ブロックを変な形で積み上げてしまい、そしてガラガラと崩れてしまうイメージでしょうか?
> なので、崩れた時に積んでた箇所から数学が解らなくなったと、苦手な人は思いがちですが、
> 実はそれ以前に、キチンとブロックを積まなかった箇所から、数学が解らなくなっているんです。


なるほど、なるほど・・・。

> そういう意味では、数学って最も、誰にでも平等な教科なのかも知れません。
> 確かに、センスがある程、ブロックを早く積む事は可能でしょうけど、
> 別にセンスなど無くても、ブロックを1つずつ丁寧に積んでいけば、
> それなりの高さまでは、確実に積む事ができる教科ではありますからねえ。



> で、具体的にどうすれば、数学が出来るようになるかと言えば、
> まず最初に「どこから理解できていないか?」を把握する所からでしょうね。
> その為に手っ取り早いのは、急がば回れじゃ無いですけど、小1から順にやり直す事(笑)。


小学1年ですか?!笑)でもやるしかないですかねえ・・・。
いま中学のやり直しをしてるんですが、因数分解を放っておいたので、遅くて遅くて・・・。


> あと、計算する事だけが、数学という訳ではありません。
> 図形や表みたいなモノもありますし、論理的な方向に突き進むモノもあります。
> と言いますか、数学って進めば進むほど、数字とか計算とは姿を消してしまう学問かも?(笑)
> (具体的に数値を計算する算数と、抽象化により論理力を養う数学の違いって、意外と認知度が低そう)

中学でもギリギリ、算数みたいなものだなと感じています。
高校数学になると、急に何だこれ?ってものが増えてくるんですよねえ・・・。
抽象化による論理力っていうのが、不思議だなあと感じてます。

> > そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいいというふうなコトを聞いたことがありますが、 どういうことなんですか?
> 例えば有名な所だと、2次方程式「ax^2+bx+c=0 (a≠0)」の解の公式として、
> 「{-b±√(b^2 -4ac)}/2a」というのが、ありますよねえ?
> この公式などは、恐らくほとんど人が利用した事があると思いますけど、
> 丸暗記して記憶が曖昧だと、「4acだっけ? 2acだっけ?」なんて事が起こり得ます。


結構ありますね。

> 自力で公式を導き出せる力よりも、公式を上手く利用する力の方が求められます。
> この事が、受験勉強で「数学は暗記科目」と言われてしまう一因でしょうね・・・・
> 数学という教科そのものは、決して暗記要素は高くない無いものの、
> 入学試験や定期試験で用いられるテスト方式だと、どうしても暗記要素の比重が高まると。
> ちなみに、ここで言う「暗記」とは、単に公式を覚える事だけでなく、
> 「この問題なら、この公式を使うんだな」という、マニュアル込みでの暗記ですね。
> (問題集を解くという行為は、実例集を用いたマニュアル作りに近い所があるかも?)


数学を出来るようになるには
問題集を一回解いてみて、定義を確認するって感じでいいですかね?
「平均値」だとか、言葉の意味がなんだっけこれ?っていうのが多く戸惑ってます笑


[21899] Re2:数学という教科と、その勉強法返信 削除
2018/9/14 (金) 20:02:01 徳翁導誉

> > > では私立文系出身の私が(笑
> > > 最近、数学を勉強する必要に迫られてまして・・・笑

> > 事情はよく解りませんが、そういった事もあるんですね(笑)。
> > でも、もし仮に、早い段階で私立文系に絞られたのであれば、
> > 早々に数学を切り捨てているでしょうし、
> > 改めて勉強するというのは、思いのほか大変そう・・・・

> ちょっと大変ですね(笑)
> 実はいま、数学を教えるというボランティアをしたところ、
> 数学の教師というものに憧れを抱くようになりまして・・・。

なるほど、そういう事情だったんですね。
てっきり「コンピューター関連の話なのかな?」と、勝手に想像していたので、
「数学教師になりたい」というのは、かなり予想外の答えでした(笑)。

でも、「他人に教える」という環境にあるという事は、
自ら学ぶという意味でも、非常に恵まれた状況下にあると思いますよ!!
実際そうした機会は、なかなか得られるモノでは無いので、前回は敢えて書かなかったのですが、
学習において、最も効果的な方法というのは、「他人に教える」事だと私は考えていますので。
(教えたい願望はあるものの、そうした機会に恵まれない私からすると、羨ましい限りです・笑)

単に自分がテストで点を取るだけなら、10の知識が足りる一方、
他人に10の知識を教えようとすれば、教える側に100の知識が必要となります。
もちろん、最初から100の知識を得られる人など、ほとんど居ませんから、
「言われてみれば、何でだろう?」とか、「なるほど、そういう考え方があるのか」など、
自分に足りてない部分に気が付く作業を繰り返しながら、
自らの知識を10から20に、そして30にと増やしていく事が必要になってくる訳ですけど、
その「気付きの機会」が最も得られる方法こそ、まさに「他人に教える」事ですからねえ。

> やっぱり無理かなあ・・無謀かなあ・・・と思い始めていますが(笑)。
いやいや、本気で目指すのであれば、決して無謀な事だとは思いませんよ!!
まず始めに、数学の教員免許を取得しようとした場合、基本的にルートは2つあります。
1つ目は、教員を養成する「教育学部 数学専攻」に入るルート。
2つ目は、数学自体を学ぶ「理学部 数学科」に入り、プラスして教職課程も受けるルート。

まあ日本の場合、1つ目のルートで数学教師になる人が多いかと思います(特に中学は)。
やはり教育学部というのは、教員を育てる、つまりは教員免許を取る事に特化した学部であり、
一方で理学部は、本来の数学の研究に加えて、更に教員免許を取らなければなりませんからねえ。
ぶっちゃけ、数学科に入って教職免許を取ろうとすれば、人の倍は頑張る必要がありますし、
何より身も蓋も無い事を言ってしまうと、偏差値的に数学科に入る方が大変だという現実があります。
逆に言えば、偏差値的には低く、しかも文系に分類される教育学部の方が、文系の人には有利かと?
(正直、小学校だと基本文系の教師が全教科を見るので、理数系の初等教育が疎かになってる気が・・・)

その上、数学科で教員免許を取っても、数学の教師にしかなれませんが、
教育学部であれば、専攻する教科・科目以外の教員免許も、追加取得できる大学は多いんですよね。
この場合、教師になる為の全専攻共通の単位などは共用できますから、
なので例えば、教育学部自体は国語専攻で入学しておいて、
国語教師の他に、数学教師になる為の単位も受ける事で、国語と数学の教員免許を取得する事も可能です。
実際問題、数学科で教職を取るより、別専攻で数学を追加する方が、労力は少ない気はしますし、
しかも複数科目の免許を持っている方が、教員採用の際に有利に働くでしょうからねえ(笑)。

それと、ヤン・ウェンリーU世さんが現在、
在学生なのか? 卒業生なのか?は解りませんが、
もし在学生であれば、「学内転部」を認めている大学は結構あると思いますので、
教育学部や数学科のある大学であれば、それが最も手っ取り早いルートだと思います。
この方法だと、既に取得した一般教養の単位も持ち込めますしね(笑)。
また、もし卒業生であれば、同じ大学であれば「学士入学」という方法がありますし、
違う大学であっても「社会人入試」という方法がありますので、
こうしたルートを使えば、一般受験で入学するよりも、楽に入学する事は可能だと思います。
まあ通常であれば、こうしたルートを取ると年齢が上がり、就職時に不利とされますが、
現在の国の教育方針では、「社会経験のある教員を増やそう」という理念の下、
採用時に優遇制度を設ける所も増えていますので、その点の不安は多少軽減されそうかも?


> > で、具体的にどうすれば、数学が出来るようになるかと言えば、
> > まず最初に「どこから理解できていないか?」を把握する所からでしょうね。
> > その為に手っ取り早いのは、急がば回れじゃ無いですけど、小1から順にやり直す事(笑)。

> 小学1年ですか?!笑)でもやるしかないですかねえ・・・。
> いま中学のやり直しをしてるんですが、因数分解を放っておいたので、遅くて遅くて・・・。

いや別に、小1レベルから、じっくりとやる必要まではなく、
例えば、1冊で小学校6年分の数学を復習できるような問題集で十分ですよ(笑)。
それで満点を取れるようなら、さっさと通り過ぎてもらって構いませんし、
間違えた箇所があるようなら、その時はちゃんと立ち止まって理解できるようにすると。
そこを疎かにしてしまうと、結局あとあと、「解らない」となってしまう訳です。

それに、「数学が出来ない」とか、「理解が遅い」というのも、
教師を目指すという事であれば、決して欠点ばかりではありません。
人に上手く何かを教える為には、以下の3つの条件が必要であるからです。
 1つ目は、「教師側が、その分野をキチンと理解している」という事。
 2つ目は、「生徒側の理解度を、教師側が把握できてる」という事。
 3つ目は、「理解できない部分を、上手く伝える技術がある」という事。
もちろん、もともと数学が出来る人というのは、1に関しては得意なはずです。
しかし、そういう出来る人ほど、2や3が得意かと言えば・・・・
却って出来ない人の方が、経験があったり、理解があったりする為に、
1は苦手でも、2や3は得意という事があり、
1は自分の努力次第で克服できますから、そうなれば「教えるのが上手い」教師となれます。
「自分で出来る」というのと、「相手を出来るようにする」というのは、やはり違いますからねえ。

で、この3つの条件の前に必要な大前提として、
「生徒が教師の話を聞く姿勢が出来てる(教師が生徒に関心を向けさせる)」
というのがありますね。
どんなに教え方が上手かった所で、聞いてもらえなければ仕方ありませんので(笑)。
そういう意味では、0番目に「生徒の心を掴む技術がある」事を加えても良いかも?
1対1の個別指導ならまだしも、学校というのは多くの生徒を同時に見る訳ですしねえ。


> > あと、計算する事だけが、数学という訳ではありません。
> > 図形や表みたいなモノもありますし、論理的な方向に突き進むモノもあります。
> > と言いますか、数学って進めば進むほど、数字とか計算とは姿を消してしまう学問かも?(笑)
> > (具体的に数値を計算する算数と、抽象化により論理力を養う数学の違いって、意外と認知度が低そう)

> 中学でもギリギリ、算数みたいなものだなと感じています。
> 高校数学になると、急に何だこれ?ってものが増えてくるんですよねえ・・・。
> 抽象化による論理力っていうのが、不思議だなあと感じてます。

「抽象化」という言葉が解り難ければ、
「普遍化」「汎用化」「モデル化」などの言葉に置き換えても良いんですけど、
要するに、具体的な数値が入っていると、その場限りの計算式となりますが、
抽象的な記号が入っていれば、どんな時にも成り立つ計算式になるという事ですね。

例えば、次のような法則があったとします。
 1→3
 2→5
 3→7
 4→9
 5→?

この場合、右側の数字は2ずつ増えている事に気付けば、
?に当てはまる数字は、「11」である事が解ると思います。
では、左側の数字が10の時は? 50の時は? 100の時は? となると、
その度に計算するのは面倒ですし、中には答えられない人も居るかも知れません。

ですが、次のように、記号を用いて抽象化したらどうでしょう?
 n→2n+1

こうすれば、次のように、簡単に答が得られるという事です。
 10→21
 50→101
 100→201

これだけだと、「それが一体、何の役に立つんだ?」という感じになりそうですが、
こうした事を、前述された「因数分解」に絡めて話してみますと、
効率的な料理のレシピを書く時などは、因数分解が用いられています(笑)。
例えば「肉じゃが」のレシピを書こうという時に、
「ジャガイモを切って、ジャガイモを炒めて、ジャガイモを煮て、ジャガイモに味付けして、
 ニンジンを切って・・・牛肉を切って・・・」
という具合に料理の行程を進めていては、手際が悪くて仕方ありません。
ですが、これを具材と行程に分けて数式っぽい形にすれば、
 (ジャガイモ→ニンジン→牛肉)×(切る→炒める→煮る→味付け)
という具合に表せます。
更に、それぞれ具材を「a・b・c」、行程を「w・x・y・z」と置き換えれば、
 (a+b+c)(w+x+y+z)=aw+ax+ay+az+bw+bx+by+bz+cw+cx+cy+cz
という因数分解の形になり、記号に何を入れるかで、シチューも煮物も作れるようになると(笑)。

まあ、これは解りやすいように、極端な例を用いましたが、
例えば、数十人いる生徒を、いくつかの班に上手く分けようとしたり、
数百人いる顧客に対して、ランク分けして契約料を変更したりなど、
対象が「数字」で無い場合にも、因数分解の概念というのは役立ちますし、
逆に言うと、生徒や顧客の情報をデータ化できれば、より的確に配分が出来るようになります。


> > > そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいい
> > > というふうなコトを聞いたことがありますが、 どういうことなんですか?

> > 例えば有名な所だと、2次方程式「ax^2+bx+c=0 (a≠0)」の解の公式として、
> > 「{-b±√(b^2 -4ac)}/2a」というのが、ありますよねえ?
> > この公式などは、恐らくほとんど人が利用した事があると思いますけど、
> > 丸暗記して記憶が曖昧だと、「4acだっけ? 2acだっけ?」なんて事が起こり得ます。

> 結構ありますね。

もっと簡単な例だと、九九などもそうでしょうね。
便利だから暗記した方が良いですけど、足し算をすれば普通に答えは出せます。
なので、「八七54だっけ? 八七56だっけ? え〜い、54で良いや」なんて時は、
変に記憶頼りにならず、少し時間は掛かっても、8を7回足せば確実なんですよね。
もちろん、九九さえ暗記しておけば、掛け算も割り算も答えられますけど、
掛け算「A×B」は、AをB回足すという足し算の延長であり、
割り算「A÷B」は、AからBを何回引けるかという引き算の延長だという事を、
ちゃんと理解しないまま、テストの点数だけ取れるというのでは、後々躓く要因になると。

また、そもそも九九にしても81個全てを覚える必要など無く、
1の段なんてそのままですし、
「A×B=B×A」だと理解していれば、「A>B」の場合も不要です。
こうすれば、暗記すべき九九の数は36個となり、覚える量を6割近く削減できますし、
覚えやすい5の段と9の段さえ押さえておけば、あとは足し引きで対応可能です。
という事で私は、未だに九九をスラスラとは暗唱できなかったり(笑)。


> > 自力で公式を導き出せる力よりも、公式を上手く利用する力の方が求められます。
> > この事が、受験勉強で「数学は暗記科目」と言われてしまう一因でしょうね・・・・
> > 数学という教科そのものは、決して暗記要素は高くない無いものの、
> > 入学試験や定期試験で用いられるテスト方式だと、どうしても暗記要素の比重が高まると。
> > ちなみに、ここで言う「暗記」とは、単に公式を覚える事だけでなく、
> > 「この問題なら、この公式を使うんだな」という、マニュアル込みでの暗記ですね。
> > (問題集を解くという行為は、実例集を用いたマニュアル作りに近い所があるかも?)

> 数学を出来るようになるには
> 問題集を一回解いてみて、定義を確認するって感じでいいですかね?

う〜ん、これに関しては、「目標をどこに置くか?」で答えは変わってくる気がします。
以前にも書きましたけど、「学問としての数学」と「受験用の数学」は大きく異なる為、
数学が出来るというのが、数学を楽しめる事なのか? テストで点を取る事なのか?
本来であれば、問題演習というのも、自らの理解度を測る1つの手段に過ぎませんけど、
しかし受験用になると、その手段と目的が逆転してしまって、
理解もそこそこに、とにかく問題さえ解ければOKとなってしまいますからねえ。

具体的に言いますと、今回の場合、数学が出来るようになると言うのが、
「教師として、数学の魅力を伝えられるようになりたい」という事なら前者ですし、
「教師になるために、とにかく大学に入りたい」という事なら後者となります。
これ自体は、どちらが良くて、どちらが悪いという話ではありません。
理想を語るなら前者ですけど、現実的に教師を目指すなら後者になりますので。
ですが、例えば、小学校の算数の段階で、小数点や分数の計算を習う訳で、
「1/3=0.333…と割り切れないけど、実際にリンゴは3等分できるよねえ?」とか、
「1/3x3=1で、0.333…x3=0.999…という事は、1=0.999…なの?」と尋ねられた時に、
前者のタイプの教師なら、喜んで質問した小学生に向き合うでしょうけども、
大多数であろう後者のタイプの小学校教師は、果たして、どういう対応をするのか・・・・
(と言いますか、納得できる答えを得られなかったのが、当時の私の実体験ですね・苦笑)

まあ、そんな話はさておき、今までですと値段も手頃な所で、
中高レベルの数学知識がある方には、「オイラーの贈物(東海大学出版会)」を、
大学レベルの数学知識がある方には、「ブルバキ数学史(ちくま学芸文庫)」を薦めてましたが、
ヤン・ウェンリーU世さんが求めていそう条件を、諸々考慮してみると、
「小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」および、
「中学校3年分の数学が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」がオススメですかねえ?
受験に繋がる学校数学の「なんで? どうして?」を、解りやすく解説する この本は、
正直、学問としての魅力を伝えつつ、それが受験にも繋げたい私のスタンスとは異なりますが、
「数学教師を目指したいけど、数学は苦手」という人には、まさに打って付けの2冊だと思います。

> 「平均値」だとか、言葉の意味がなんだっけこれ?っていうのが多く戸惑ってます笑
ザックリ言えば、みんなで1つの財布に入れた後、人数で頭割りしたモノですね。
例えば、10人でバーベキューをやる事となり、
2人が肉1kgを、他の5人は肉200gを持参し、残る3人は肉を持ってこなかった場合、
集まった肉は、全部で3000g (=1000x2+200x5+0x3)となります。
これを10人で均等に分けると、1人あたり肉300gずつ食べられる・・・というのが「平均値」です。
肉を1kg持ってきた人も、全く持ってこなかった人も、等しく300gになります(笑)。

とは言え、時には「ごまかし」の数値として用いられるのも、この平均値です。
例えば、11人の社会人が居たとして、それぞれの年収が、
1人が2000万円、2人が800万円、3人が300万円、5人が200万円だった場合、
全員の総年収は5500万円 (2000x1+800x2+300x3+200x5)で、平均年収は500万円となります。
「平均年収500万円」と聞くと、一見良さそうな感じがしますけど、
しかし、実際に500万円以上の年収を得ているのは、11人の中で3人しか居ない訳です。
共産国家でも無ければ、バーベキューの肉みたいに、みんなで均等に分けたりしませんしね。
ですから、11人のちょうど真ん中にあたる6人目の年収300万円をとる「中央値」や、
11人いて最も多い年収200万円の5人の層をとる「最頻値」というモノもあったりします。
まあ、数字に強くない多くの人に対して、もっともらしいデータと分析を提示する事で、
うまく相手を信じ込ませるというのも、典型的な数学の活用法ではありますが(苦笑)。


[21927] Re3:数学という教科と、その勉強法返信 削除
2018/9/30 (日) 20:13:25 ヤン・ウェンリーU世

▼ 徳翁導誉さん
> > > > では私立文系出身の私が(笑
> > > > 最近、数学を勉強する必要に迫られてまして・・・笑

> > > 事情はよく解りませんが、そういった事もあるんですね(笑)。
> > > でも、もし仮に、早い段階で私立文系に絞られたのであれば、
> > > 早々に数学を切り捨てているでしょうし、
> > > 改めて勉強するというのは、思いのほか大変そう・・・・

> > ちょっと大変ですね(笑)
> > 実はいま、数学を教えるというボランティアをしたところ、
> > 数学の教師というものに憧れを抱くようになりまして・・・。


> 単に自分がテストで点を取るだけなら、10の知識が足りる一方、
> 他人に10の知識を教えようとすれば、教える側に100の知識が必要となります。
> もちろん、最初から100の知識を得られる人など、ほとんど居ませんから、
> 「言われてみれば、何でだろう?」とか、「なるほど、そういう考え方があるのか」など、
> 自分に足りてない部分に気が付く作業を繰り返しながら、
> 自らの知識を10から20に、そして30にと増やしていく事が必要になってくる訳ですけど、
> その「気付きの機会」が最も得られる方法こそ、まさに「他人に教える」事ですからねえ。


 全くそれを今感じてます。やっと中学レベルの数学を理解できたかなという程度でして・・・。
難しくなるとまだ、分からなくなるのですが、まあ楽しいですね。

> > やっぱり無理かなあ・・無謀かなあ・・・と思い始めていますが(笑)。
> いやいや、本気で目指すのであれば、決して無謀な事だとは思いませんよ!!
> まず始めに、数学の教員免許を取得しようとした場合、基本的にルートは2つあります。
> 1つ目は、教員を養成する「教育学部 数学専攻」に入るルート。
> 2つ目は、数学自体を学ぶ「理学部 数学科」に入り、プラスして教職課程も受けるルート。
>
> まあ日本の場合、1つ目のルートで数学教師になる人が多いかと思います(特に中学は)。
> やはり教育学部というのは、教員を育てる、つまりは教員免許を取る事に特化した学部であり、
> 一方で理学部は、本来の数学の研究に加えて、更に教員免許を取らなければなりませんからねえ。
> ぶっちゃけ、数学科に入って教職免許を取ろうとすれば、人の倍は頑張る必要がありますし、
> 何より身も蓋も無い事を言ってしまうと、偏差値的に数学科に入る方が大変だという現実があります。
> 逆に言えば、偏差値的には低く、しかも文系に分類される教育学部の方が、文系の人には有利かと?
> (正直、小学校だと基本文系の教師が全教科を見るので、理数系の初等教育が疎かになってる気が・・・)
>
> その上、数学科で教員免許を取っても、数学の教師にしかなれませんが、
> 教育学部であれば、専攻する教科・科目以外の教員免許も、追加取得できる大学は多いんですよね。
> この場合、教師になる為の全専攻共通の単位などは共用できますから、
> なので例えば、教育学部自体は国語専攻で入学しておいて、
> 国語教師の他に、数学教師になる為の単位も受ける事で、国語と数学の教員免許を取得する事も可能です。
> 実際問題、数学科で教職を取るより、別専攻で数学を追加する方が、労力は少ない気はしますし、
> しかも複数科目の免許を持っている方が、教員採用の際に有利に働くでしょうからねえ(笑)。


ええ、私も調べてみました。上越教育大大学院が教員免許取得プログラムというのをやっているようで・・。
これからならば、そこで免許を取るのが一番かなと思っています。
小学校も取れるみたいなのでね。
 
> それと、ヤン・ウェンリーU世さんが現在、
> 在学生なのか? 卒業生なのか?は解りませんが、
> もし在学生であれば、「学内転部」を認めている大学は結構あると思いますので、
> 教育学部や数学科のある大学であれば、それが最も手っ取り早いルートだと思います。
> この方法だと、既に取得した一般教養の単位も持ち込めますしね(笑)。
> また、もし卒業生であれば、同じ大学であれば「学士入学」という方法がありますし、
> 違う大学であっても「社会人入試」という方法がありますので、
> こうしたルートを使えば、一般受験で入学するよりも、楽に入学する事は可能だと思います。
> まあ通常であれば、こうしたルートを取ると年齢が上がり、就職時に不利とされますが、
> 現在の国の教育方針では、「社会経験のある教員を増やそう」という理念の下、
> 採用時に優遇制度を設ける所も増えていますので、その点の不安は多少軽減されそうかも?

 
答えを言うと、もう卒業して仕事もしてますよ。(正確に言うとちょっと違いますがw)
ですから学内の学士入学を狙うことになるのですが、教育学部はありますが理学系しか募集してないようで・・・。
生物学専攻などはありましたので、そちらも候補ですね。まあ色々勉強しないといけないことが増えてしまいますが・・・w
ただ生物などそちらにも広げると、教育学専攻で社会を取るというのも候補になってきたり・・・。
金の問題を解決できれば選択肢は色々あるのだなあと思っています。
それで私は元々は哲学や社会学系の学部出身なので社会のほうが一貫性あるかなあと思ったり。
教師という枠で言えば数学も社会も関係ないんじゃないかと。

> > > で、具体的にどうすれば、数学が出来るようになるかと言えば、
> > > まず最初に「どこから理解できていないか?」を把握する所からでしょうね。
> > > その為に手っ取り早いのは、急がば回れじゃ無いですけど、小1から順にやり直す事(笑)。

> > 小学1年ですか?!笑)でもやるしかないですかねえ・・・。
> > いま中学のやり直しをしてるんですが、因数分解を放っておいたので、遅くて遅くて・・・。

> いや別に、小1レベルから、じっくりとやる必要まではなく、
> 例えば、1冊で小学校6年分の数学を復習できるような問題集で十分ですよ(笑)。
> それで満点を取れるようなら、さっさと通り過ぎてもらって構いませんし、
> 間違えた箇所があるようなら、その時はちゃんと立ち止まって理解できるようにすると。
> そこを疎かにしてしまうと、結局あとあと、「解らない」となってしまう訳です。

 
ふむふむ・・・。

> それに、「数学が出来ない」とか、「理解が遅い」というのも、
> 教師を目指すという事であれば、決して欠点ばかりではありません。
> 人に上手く何かを教える為には、以下の3つの条件が必要であるからです。
>  1つ目は、「教師側が、その分野をキチンと理解している」という事。
>  2つ目は、「生徒側の理解度を、教師側が把握できてる」という事。
>  3つ目は、「理解できない部分を、上手く伝える技術がある」という事。
> もちろん、もともと数学が出来る人というのは、1に関しては得意なはずです。
> しかし、そういう出来る人ほど、2や3が得意かと言えば・・・・
> 却って出来ない人の方が、経験があったり、理解があったりする為に、
> 1は苦手でも、2や3は得意という事があり、
> 1は自分の努力次第で克服できますから、そうなれば「教えるのが上手い」教師となれます。
> 「自分で出来る」というのと、「相手を出来るようにする」というのは、やはり違いますからねえ。
>
> で、この3つの条件の前に必要な大前提として、
> 「生徒が教師の話を聞く姿勢が出来てる(教師が生徒に関心を向けさせる)」
> というのがありますね。
> どんなに教え方が上手かった所で、聞いてもらえなければ仕方ありませんので(笑)。
> そういう意味では、0番目に「生徒の心を掴む技術がある」事を加えても良いかも?
> 1対1の個別指導ならまだしも、学校というのは多くの生徒を同時に見る訳ですしねえ。

 
ですよねえ・・・。この聞いてもらえるキャラかというのが問題でして・・・。
まあ、授業した経験もあるのですが、話す内容によっては聞いてもらえるという感じだったりします。
説明のしかたは工夫していかないとなあと思ってます。

> > > あと、計算する事だけが、数学という訳ではありません。
> > > 図形や表みたいなモノもありますし、論理的な方向に突き進むモノもあります。
> > > と言いますか、数学って進めば進むほど、数字とか計算とは姿を消してしまう学問かも?(笑)
> > > (具体的に数値を計算する算数と、抽象化により論理力を養う数学の違いって、意外と認知度が低そう)

> > 中学でもギリギリ、算数みたいなものだなと感じています。
> > 高校数学になると、急に何だこれ?ってものが増えてくるんですよねえ・・・。
> > 抽象化による論理力っていうのが、不思議だなあと感じてます。

> 「抽象化」という言葉が解り難ければ、
> 「普遍化」「汎用化」「モデル化」などの言葉に置き換えても良いんですけど、
> 要するに、具体的な数値が入っていると、その場限りの計算式となりますが、
> 抽象的な記号が入っていれば、どんな時にも成り立つ計算式になるという事ですね。
>
> 例えば、次のような法則があったとします。
>  1→3
>  2→5
>  3→7
>  4→9
>  5→?
>
> この場合、右側の数字は2ずつ増えている事に気付けば、
> ?に当てはまる数字は、「11」である事が解ると思います。
> では、左側の数字が10の時は? 50の時は? 100の時は? となると、
> その度に計算するのは面倒ですし、中には答えられない人も居るかも知れません。
>
> ですが、次のように、記号を用いて抽象化したらどうでしょう?
>  n→2n+1
>
> こうすれば、次のように、簡単に答が得られるという事です。
>  10→21
>  50→101
>  100→201
> これだけだと、「それが一体、何の役に立つんだ?」という感じになりそうですが、
> こうした事を、前述された「因数分解」に絡めて話してみますと、
> 効率的な料理のレシピを書く時などは、因数分解が用いられています(笑)。
> 例えば「肉じゃが」のレシピを書こうという時に、
> 「ジャガイモを切って、ジャガイモを炒めて、ジャガイモを煮て、ジャガイモに味付けして、
>  ニンジンを切って・・・牛肉を切って・・・」
> という具合に料理の行程を進めていては、手際が悪くて仕方ありません。
> ですが、これを具材と行程に分けて数式っぽい形にすれば、
>  (ジャガイモ→ニンジン→牛肉)×(切る→炒める→煮る→味付け)
> という具合に表せます。
> 更に、それぞれ具材を「a・b・c」、行程を「w・x・y・z」と置き換えれば、
>  (a+b+c)(w+x+y+z)=aw+ax+ay+az+bw+bx+by+bz+cw+cx+cy+cz
> という因数分解の形になり、記号に何を入れるかで、シチューも煮物も作れるようになると(笑)。
>
> まあ、これは解りやすいように、極端な例を用いましたが、
> 例えば、数十人いる生徒を、いくつかの班に上手く分けようとしたり、
> 数百人いる顧客に対して、ランク分けして契約料を変更したりなど、
> 対象が「数字」で無い場合にも、因数分解の概念というのは役立ちますし、
> 逆に言うと、生徒や顧客の情報をデータ化できれば、より的確に配分が出来るようになります。
>
>
> > > > そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいい
> > > > というふうなコトを聞いたことがありますが、 どういうことなんですか?

> > > 例えば有名な所だと、2次方程式「ax^2+bx+c=0 (a≠0)」の解の公式として、
> > > 「{-b±√(b^2 -4ac)}/2a」というのが、ありますよねえ?
> > > この公式などは、恐らくほとんど人が利用した事があると思いますけど、
> > > 丸暗記して記憶が曖昧だと、「4acだっけ? 2acだっけ?」なんて事が起こり得ます。

> > 結構ありますね。

> もっと簡単な例だと、九九などもそうでしょうね。
> 便利だから暗記した方が良いですけど、足し算をすれば普通に答えは出せます。
> なので、「八七54だっけ? 八七56だっけ? え〜い、54で良いや」なんて時は、
> 変に記憶頼りにならず、少し時間は掛かっても、8を7回足せば確実なんですよね。
> もちろん、九九さえ暗記しておけば、掛け算も割り算も答えられますけど、
> 掛け算「A×B」は、AをB回足すという足し算の延長であり、
> 割り算「A÷B」は、AからBを何回引けるかという引き算の延長だという事を、
> ちゃんと理解しないまま、テストの点数だけ取れるというのでは、後々躓く要因になると。
>
> また、そもそも九九にしても81個全てを覚える必要など無く、
> 1の段なんてそのままですし、
> 「A×B=B×A」だと理解していれば、「A>B」の場合も不要です。
> こうすれば、暗記すべき九九の数は36個となり、覚える量を6割近く削減できますし、
> 覚えやすい5の段と9の段さえ押さえておけば、あとは足し引きで対応可能です。


> という事で私は、未だに九九をスラスラとは暗唱できなかったり(笑)。
これは意外すぎます。
でも案外ありますよね、覚えなくてもいいことは覚えないと。
>
>
> > > 自力で公式を導き出せる力よりも、公式を上手く利用する力の方が求められます。
> > > この事が、受験勉強で「数学は暗記科目」と言われてしまう一因でしょうね・・・・
> > > 数学という教科そのものは、決して暗記要素は高くない無いものの、
> > > 入学試験や定期試験で用いられるテスト方式だと、どうしても暗記要素の比重が高まると。
> > > ちなみに、ここで言う「暗記」とは、単に公式を覚える事だけでなく、
> > > 「この問題なら、この公式を使うんだな」という、マニュアル込みでの暗記ですね。
> > > (問題集を解くという行為は、実例集を用いたマニュアル作りに近い所があるかも?)

> > 数学を出来るようになるには
> > 問題集を一回解いてみて、定義を確認するって感じでいいですかね?

> う〜ん、これに関しては、「目標をどこに置くか?」で答えは変わってくる気がします。
> 以前にも書きましたけど、「学問としての数学」と「受験用の数学」は大きく異なる為、
> 数学が出来るというのが、数学を楽しめる事なのか? テストで点を取る事なのか?
> 本来であれば、問題演習というのも、自らの理解度を測る1つの手段に過ぎませんけど、
> しかし受験用になると、その手段と目的が逆転してしまって、
> 理解もそこそこに、とにかく問題さえ解ければOKとなってしまいますからねえ。
>
> 具体的に言いますと、今回の場合、数学が出来るようになると言うのが、
> 「教師として、数学の魅力を伝えられるようになりたい」という事なら前者ですし、
> 「教師になるために、とにかく大学に入りたい」という事なら後者となります。


大学に入るだけでは意味が無いので・・・・数学の魅力のほうで考えますと
数学に限らず魅力を伝えるには、やっぱり知識が必要だなと思っています。
知識があとからつくと考えるか、先生になる前に一定の知識がないといけないと考えるか。
まあ、別に勉強しろよっていう話でしかないと思うんですがね。
学問としての数学も色々な分野を極めるべきか、一つを極めれば他の分野も分かってくるのかなど、
未知なことが多いです。


> これ自体は、どちらが良くて、どちらが悪いという話ではありません。
> 理想を語るなら前者ですけど、現実的に教師を目指すなら後者になりますので。
> ですが、例えば、小学校の算数の段階で、小数点や分数の計算を習う訳で、
> 「1/3=0.333…と割り切れないけど、実際にリンゴは3等分できるよねえ?」とか、
> 「1/3x3=1で、0.333…x3=0.999…という事は、1=0.999…なの?」と尋ねられた時に、
> 前者のタイプの教師なら、喜んで質問した小学生に向き合うでしょうけども、
> 大多数であろう後者のタイプの小学校教師は、果たして、どういう対応をするのか・・・・



> (と言いますか、納得できる答えを得られなかったのが、当時の私の実体験ですね・苦笑)
これ分かります。中学時代質問しようとしたら、他の生徒がそれは難しいことを知らないと理解できないから説明しない!といわれてるのを見て
質問しにいかなくなり、そのまま数学が嫌いに・・・・笑


> まあ、そんな話はさておき、今までですと値段も手頃な所で、
> 中高レベルの数学知識がある方には、「オイラーの贈物(東海大学出版会)」を、
> 大学レベルの数学知識がある方には、「ブルバキ数学史(ちくま学芸文庫)」を薦めてましたが、
> ヤン・ウェンリーU世さんが求めていそう条件を、諸々考慮してみると、
> 「小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」および、
> 「中学校3年分の数学が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」がオススメですかねえ?


これ読んでみますね。やっぱり1からコツコツとですよね。

> 受験に繋がる学校数学の「なんで? どうして?」を、解りやすく解説する この本は、
> 正直、学問としての魅力を伝えつつ、それが受験にも繋げたい私のスタンスとは異なりますが、
> 「数学教師を目指したいけど、数学は苦手」という人には、まさに打って付けの2冊だと思います。
>
> > 「平均値」だとか、言葉の意味がなんだっけこれ?っていうのが多く戸惑ってます笑
> ザックリ言えば、みんなで1つの財布に入れた後、人数で頭割りしたモノですね。
> 例えば、10人でバーベキューをやる事となり、
> 2人が肉1kgを、他の5人は肉200gを持参し、残る3人は肉を持ってこなかった場合、
> 集まった肉は、全部で3000g (=1000x2+200x5+0x3)となります。
> これを10人で均等に分けると、1人あたり肉300gずつ食べられる・・・というのが「平均値」です。
> 肉を1kg持ってきた人も、全く持ってこなかった人も、等しく300gになります(笑)。
>
> とは言え、時には「ごまかし」の数値として用いられるのも、この平均値です。
> 例えば、11人の社会人が居たとして、それぞれの年収が、
> 1人が2000万円、2人が800万円、3人が300万円、5人が200万円だった場合、
> 全員の総年収は5500万円 (2000x1+800x2+300x3+200x5)で、平均年収は500万円となります。
> 「平均年収500万円」と聞くと、一見良さそうな感じがしますけど、
> しかし、実際に500万円以上の年収を得ているのは、11人の中で3人しか居ない訳です。
> 共産国家でも無ければ、バーベキューの肉みたいに、みんなで均等に分けたりしませんしね。
> ですから、11人のちょうど真ん中にあたる6人目の年収300万円をとる「中央値」や、
> 11人いて最も多い年収200万円の5人の層をとる「最頻値」というモノもあったりします。
> まあ、数字に強くない多くの人に対して、もっともらしいデータと分析を提示する事で、
> うまく相手を信じ込ませるというのも、典型的な数学の活用法ではありますが(苦笑)。


あ、ありがとうございますw
数列の平均値の問題で、いつも通りの「平均値」の出し方じゃなくて、
何か公式があったっけかな?あった気がするんだけどな・・・という感じですよ。
さすがにこの平均値は分かります(笑


[21934] Re4:数学という教科と、その勉強法返信 削除
2018/10/5 (金) 06:15:50 徳翁導誉

> > > やっぱり無理かなあ・・無謀かなあ・・・と思い始めていますが(笑)。
> > いやいや、本気で目指すのであれば、決して無謀な事だとは思いませんよ!!
> > まず始めに、数学の教員免許を取得しようとした場合、基本的にルートは2つあります。
> > 1つ目は、教員を養成する「教育学部 数学専攻」に入るルート。
> > 2つ目は、数学自体を学ぶ「理学部 数学科」に入り、プラスして教職課程も受けるルート。

> ええ、私も調べてみました。上越教育大大学院が教員免許取得プログラムというのをやっているようで・・。
> これからならば、そこで免許を取るのが一番かなと思っています。

なるほど、そこまで本気で考えられているんですね!!
大学院に進学して、教員免許を取得するという方法ですか。
国公立の大学院だと、全国で18校が行っているそうで。
http://blog.livedoor.jp/cooler_b/archives/21111601.html

> 小学校も取れるみたいなのでね。
小学校だと基本的に、担任教師が全教科を1人で担当するので、
先生は大変でしょうし、やる気や能力の低い先生に当たると子供達が可哀想ですが、
それでも、体系的に教えられるというのは面白そうですよね!!
何かを深く学ぶ場合、細分化するというのは1つの方法ではあるのですけど、
現状では、各教科・各科目が縦割り過ぎて、それぞれが結び付いていないのが、
日本の教育の問題点の1つだと思いますし、小学校ならそれが多少は可能ですから。
実を言うと私も、学生時代の第2志望は小学校の先生で、物理学科に進んだ後も、
一応、教職の授業も取っては居たんです(授業の中身は全く覚えてませんけど・笑)。
でも、それで取れるのは中高の教員免許でしたので、
実験や何だと時間的に両立が困難になると、結局は諦めてしまいましたが・・・・

ところで、小中高の算数・数学で言いますと、
2年後から「プログラミング教育の必修化」が始まるらしいのですが、
何か具体的な情報とか、得ていたりしますでしょか?
実際の授業が一体どういった中身になるのか、いまいち見えてこないモノで・・・・
あと同時に、小学校5・6年では英語の教科化が始まるそうですね。
道徳も教科化されますし、小学校の先生は更に大変になりそう。

> > それと、ヤン・ウェンリーU世さんが現在、
> > 在学生なのか? 卒業生なのか?は解りませんが、
> > もし在学生であれば、「学内転部」を認めている大学は結構あると思いますので、
> > 教育学部や数学科のある大学であれば、それが最も手っ取り早いルートだと思います。
> > この方法だと、既に取得した一般教養の単位も持ち込めますしね(笑)。
> > また、もし卒業生であれば、同じ大学であれば「学士入学」という方法がありますし、
> > 違う大学であっても「社会人入試」という方法がありますので、
> > こうしたルートを使えば、一般受験で入学するよりも、楽に入学する事は可能だと思います。

> 答えを言うと、もう卒業して仕事もしてますよ。(正確に言うとちょっと違いますがw)

すみません・・・・
自分でも少し、プライベートな事情に踏み込み過ぎかなぁ?とは考えたのですが、
タイミング的に、秋からの新学期が始まる直前だったもので、
もしも学内転部を考える場合は、出来るだけ早く伝えた方が良いかと思いまして。

> ですから学内の学士入学を狙うことになるのですが、教育学部はありますが理学系しか募集してないようで・・・。
> 生物学専攻などはありましたので、そちらも候補ですね。まあ色々勉強しないといけないことが増えてしまいますが・・・w
> ただ生物などそちらにも広げると、教育学専攻で社会を取るというのも候補になってきたり・・・。
> 金の問題を解決できれば選択肢は色々あるのだなあと思っています。

生物や社会も候補に・・・という事は、「数学の先生に」という以上に、
「先生になりたい」というのが第一義だったんですね(笑)。
ただ、生物学とか世界史とか、科目の免許だと高校教師にしかなれず、
逆に中学教師だと、理科なら物理・化学・生物・地学、社会なら日本史・世界史・地理・公民と、
その教科の全科目を取得しなければならない為、実は却って中学の方が大変らしいですね。

> > それに、「数学が出来ない」とか、「理解が遅い」というのも、
> > 教師を目指すという事であれば、決して欠点ばかりではありません。
> > 人に上手く何かを教える為には、以下の3つの条件が必要であるからです。
> >  1つ目は、「教師側が、その分野をキチンと理解している」という事。
> >  2つ目は、「生徒側の理解度を、教師側が把握できてる」という事。
> >  3つ目は、「理解できない部分を、上手く伝える技術がある」という事。
> > で、この3つの条件の前に必要な大前提として、
> > 「生徒が教師の話を聞く姿勢が出来てる(教師が生徒に関心を向けさせる)」
> > というのがありますね。
> > どんなに教え方が上手かった所で、聞いてもらえなければ仕方ありませんので(笑)。
> > そういう意味では、0番目に「生徒の心を掴む技術がある」事を加えても良いかも?
> > 1対1の個別指導ならまだしも、学校というのは多くの生徒を同時に見る訳ですしねえ。

> ですよねえ・・・。この聞いてもらえるキャラかというのが問題でして・・・。
> まあ、授業した経験もあるのですが、話す内容によっては聞いてもらえるという感じだったりします。
> 説明のしかたは工夫していかないとなあと思ってます。

こういう分野で参考になるのは、お笑いの話芸ですかねえ?
落語にせよ、漫才にせよ、お笑いというのは、まず客に話を聞いて貰わなければ始まりませんし、
腕のある芸人というのは、すぐに聴衆の関心を掴む「つかみ」に長けています。

とは言え、授業では、生徒達を笑わせるのが目的では無いですから、
強いて真似るなら、「何でだろう?」と好奇心や疑問をくすぐる感じになるのでしょうか?
ただ、理科や社会だと、そうしたネタが豊富にありそうですけど、
数学となると、ちょっと厳しいのかなぁ・・・・
「フィボナッチ数列って美しいよねぇ」な〜んて話から授業に入っても、
それで食い付いてくれる生徒なんて、ごく少数でしょうし(苦笑)。

でも例えば、「素因数分解が無ければ、amazonで買い物も出来ないんだぞ」と始めれば、
「因数分解なんて何の役に立つんだよ」と言うような生徒も、耳を傾けてくれるかも知れません。
(インターネットで用いられるRSA暗号は、素因数分解が使われています)
中学になると算数から数学に移り、本来の学習内容としては、より抽象化が進むモノですけど、
生徒達の関心を掴む事に主眼を置けば、身近な題材を例に取り、
却って応用問題の方から、微分積分や代数幾何などに入っていく方が、実は良いのかも?
(小学生の場合は、積み木やロープなど、実際に手に取り動かせるモノを使うと良い気がします)
ちなみに前回、因数分解と料理の話や、バーベキューや年収で平均値の話をしたのは、
一応、その辺の事も少しは意識してのモノでしたが・・・どうやら失敗だったみたいです(笑)。

> > > > > そういえば、理論を理解したら公式は覚えなくてもいい
> > > > > というふうなコトを聞いたことがありますが、 どういうことなんですか?

> > > > 例えば有名な所だと、2次方程式「ax^2+bx+c=0 (a≠0)」の解の公式として、
> > > > 「{-b±√(b^2 -4ac)}/2a」というのが、ありますよねえ?
> > > > この公式などは、恐らくほとんど人が利用した事があると思いますけど、
> > > > 丸暗記して記憶が曖昧だと、「4acだっけ? 2acだっけ?」なんて事が起こり得ます。

> > > 結構ありますね。

> > もっと簡単な例だと、九九などもそうでしょうね。
> > 1の段なんてそのままですし、
> > 「A×B=B×A」だと理解していれば、「A>B」の場合も不要です。
> > こうすれば、暗記すべき九九の数は36個となり、覚える量を6割近く削減できますし、
> > 覚えやすい5の段と9の段さえ押さえておけば、あとは足し引きで対応可能です。
> > という事で私は、未だに九九をスラスラとは暗唱できなかったり(笑)。

> これは意外すぎます。
> でも案外ありますよね、覚えなくてもいいことは覚えないと。

「七四42 七五35 七六42・・・」と、スラスラ言えないだけで、
「四七42 五七35 六七42・・・」という感じには、一応暗唱できますよ(笑)。

> > > 数学を出来るようになるには
> > > 問題集を一回解いてみて、定義を確認するって感じでいいですかね?

> > う〜ん、これに関しては、「目標をどこに置くか?」で答えは変わってくる気がします。
> > 以前にも書きましたけど、「学問としての数学」と「受験用の数学」は大きく異なる為、
> > 数学が出来るというのが、数学を楽しめる事なのか? テストで点を取る事なのか?
> > 具体的に言いますと、今回の場合、数学が出来るようになると言うのが、
> > 「教師として、数学の魅力を伝えられるようになりたい」という事なら前者ですし、
> > 「教師になるために、とにかく大学に入りたい」という事なら後者となります。

> 大学に入るだけでは意味が無いので・・・・数学の魅力のほうで考えますと
> 数学に限らず魅力を伝えるには、やっぱり知識が必要だなと思っています。
> 知識があとからつくと考えるか、先生になる前に一定の知識がないといけないと考えるか。
> まあ、別に勉強しろよっていう話でしかないと思うんですがね。
> 学問としての数学も色々な分野を極めるべきか、一つを極めれば他の分野も分かってくるのかなど、
> 未知なことが多いです。

正直な所、その「教員免許取得プログラムで大学院に入る」という事が、
受験的に言って、どれだけの難易度を求められるのかが、私には解らないのですが、
教員免許を取るために大学院へ行くのであれば、まずは入学できないと話は始まらないので、
とりあえずは、入試に受かる為の数学の勉強という事になりそうですね。
数学の魅力を学んだり、教える知識を身に付けるのは、入学してからでも出来ますし、
子供達が相手なら、最先端の研究よりも、数や図形の楽しさを伝えられた方が良さそうですから。

・・・で、大学院入試とは言え、受験内容に関しては、高校レベルの数学で良いのでしょうか?
一応、私は「大学への数学」シリーズを使ってましたけど、これは恐らく初学者向きでは無い為、
私は使ってませんでしたけど、数学が苦手な人には「チャート式」シリーズが良いんですかねえ?
チャート式は1冊1冊が分厚いので、やる気のある方にしか薦められませんけど、
1冊が分厚いという事は、それだけ掲載されている問題数が多く、各分野を網羅してますし、
解説も詳しく載っている事から、単なる問題集ではなく、ある意味で参考書としての利用も可能です。
しかも受験生のレベルに応じて、初学者向けの「白チャート」から始まり、
中堅向けの「黄色チャート」、難関向けの「青チャート」、超難関向けの「赤チャート」と、
同じ科目でも難易度ごとに4種類のシリーズが出ていますので、自分のレベルに合わせて選べます。

ともかく、受験勉強の仕方として最も悪いのは、
次から次へと、新しい問題集や参考書に手を出して、
どれも中途半端に投げてしまう事なので(それをすると必ず穴となる分野が出来ます)、
まずは薄いモノで良いので、1冊を1周する事ですよね。
1周する事で、理解できてる分野と、理解できてない分野が、おおよそ見えて来ますから。
そして、理解できてる所は、一気に難しい問題に挑んでも良いでしょうし、
理解できてない所は、易しい問題から一歩ずつといった具合でしょうか。
出来なかった問題は、2周目、3周目と繰り返す内に、出来るようになれば良いと。
あと、定義に関しては・・・少なくとも受験数学に於いては、そこまで意識する必要はないかも?
結局、決められた時間内に、決められた問題数を解く形式のテストでは、
覚えた公式を、問題の特徴に応じて、如何に上手く用いられるかになっちゃいますし、
公式の上手な使い方を身に付けるには、問題集で多くの実演をこなす事が、最も有効ですので。

> > まあ、そんな話はさておき、今までですと値段も手頃な所で、
> > 中高レベルの数学知識がある方には、「オイラーの贈物(東海大学出版会)」を、
> > 大学レベルの数学知識がある方には、「ブルバキ数学史(ちくま学芸文庫)」を薦めてましたが、
> > ヤン・ウェンリーU世さんが求めていそう条件を、諸々考慮してみると、
> > 「小学校6年分の算数が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」および、
> > 「中学校3年分の数学が教えられるほどよくわかる(ベレ出版)」がオススメですかねえ?

> これ読んでみますね。やっぱり1からコツコツとですよね。

自分で理解するだけでなく、教える立場になろうと言うのであれば、
そうした姿勢こそが、尚更重要になるだろうと思います!!
小学生や中学生に教える場合、対象となる生徒達はそのレベルに居る訳ですからねえ。

で、「理解する」というのは、崖の下から上に登るようなモノで、
センスに恵まれた人であれば、苦もなくスッと崖を登れてしまう一方、
多くの人が居る以上は、全く登れない人だって中には居る事でしょう。
そして「教える」というのは、そんな崖に階段を作り、登れるようにしてあげる事だと思うんです。

この場合、自らは簡単に登れてしまう人だと、1段1段の高さが高い階段を作ってしまい、
しかも大人の視点だと、子供目線で物事を見るのが苦手となり、それで充分と満足しかねません。
でも、いくら階段を作ったからと言って、子供の歩幅で登れなければ、それは充分ではなく、
究極的に言ってしまえば、1段1段の差を極小にして、スロープ化してしまわない限り、
様々なタイプがある大勢の子供達を、大人1人で登らせようと言うのは無理だと思うんですよね。
まあ現実的には、様々な制約はあるでしょうから、そこまで懇切丁寧には出来ないでしょうけど、
それでも、少しでも階段の段数を増やしてあげられる事が、とても重要な気がします。
> > 単に自分がテストで点を取るだけなら、10の知識が足りる一方、
> > 他人に10の知識を教えようとすれば、教える側に100の知識が必要となります。

↑と言うのも、自分の歩幅なら、10歩もあれば崖の上に登れたとしても、
5歩で充分な生徒も居れば、30歩50歩必要な生徒も居る訳ですから、
何歩で登るかは各生徒次第として、とりあえず100段の階段を作れる人って事ですよね。
そして、教える立場にある人は、既に崖の上に登れている人ですけど、
教える以上は自らも崖の下まで降りて、もう1度、同じ目線で崖に挑む事が重要だろうと。
その為にも、やはり「1からコツコツ」というのは、非常に重要な姿勢だと思うんです!!

> > > 「平均値」だとか、言葉の意味がなんだっけこれ?っていうのが多く戸惑ってます笑
> > ザックリ言えば、みんなで1つの財布に入れた後、人数で頭割りしたモノですね。
> > 例えば、10人でバーベキューをやる事となり、
> > 2人が肉1kgを、他の5人は肉200gを持参し、残る3人は肉を持ってこなかった場合、
> > 集まった肉は、全部で3000g (=1000x2+200x5+0x3)となります。
> > これを10人で均等に分けると、1人あたり肉300gずつ食べられる・・・というのが「平均値」です。
> > 肉を1kg持ってきた人も、全く持ってこなかった人も、等しく300gになります(笑)。

> あ、ありがとうございますw
> 数列の平均値の問題で、いつも通りの「平均値」の出し方じゃなくて、
> 何か公式があったっけかな?あった気がするんだけどな・・・という感じですよ。
> さすがにこの平均値は分かります(笑

そう言えば、オチで「公式化すると、こうなります」と書くつもりだったのに、忘れてました(笑)。


まあ一般的に、「数式が増えるほど、本は売れなくなる」とか言われますし、
見慣れない数式が現れると、それだけで毛嫌いして拒否反応を示す人の方が多数派なのでしょうが、
でも、いったん数式の意味を理解してしまえば、これほど簡潔明瞭なモノも無いんですけどね!!
私が専門とする物理学の世界では、数学とはまさに道具でしたし、
個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」と考えているので、
世界で最も普及している文字は、アルファベットではなく、アラビア数字であり、
世界で最も普及している言語は、英語ではなく、数学であるという感覚です(笑)。

・・・って、こんな話を以前にもしたなぁ、と思ったら、
1年くらい前、数学が専門の公孫竜さんとのスレッド↓でした。
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r21213#21376


[21891] Re:夏休み特別企画?(笑) 「勉強の仕方について考える」返信 削除
2018/9/7 (金) 23:30:11 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> 【国語の勉強法】
>   う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
>   現代文にせよ、古典にせよ、それほど勉強せずとも、
>   センター試験で9割は取れてましたから、理系の私にはそれで充分でした(苦笑)。
>   思い返してみると、小1の頃のアダ名が「漢字博士」だった程、昔から漢字は出来ましたし、
>   高校の頃に読んだ歴史小説が、現代文の読解力を高めでもしたのでしょうか?
>   理系でしたから、構文に対する論理的な捉え方も、自然と身に付いていたかも知れません。
>
>   また古典の方も、私が転勤族として育った為、「方言適応力」が普通の人より高く、
>   その影響か、古文も漢文も、それほど苦も無く読めてしまったんですよねえ・・・・
>   標準語と少し違うというのは、ある意味で、古い言葉も方言も同じ様なモノなので。
>   それと、私が歴史好きだった為、その時代背景や文化背景を理解していた事も、
>   古典の読解には、意外と大きな役立っていたのかも知れませんね。
>
>   ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
>   私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。
>   特に漢文に関しては、中国史の小説を読んでいるか否かで、身近さが違ってきますし、
>   そこから「孫子」や「三十六計」などに足を踏み込むだけでも、大きく変わってくるかと?
>   あとは古文ですと、「百人一首」に親しんでおくのは、何かと有利かも知れませんね。
>   最初はゲーム目的で、意味も解らず丸暗記した和歌も、古文で大きく活きてくると思います。
>   あと、現代文というのは、出来る人と出来ない人の間でも、そこまで点差が付かないので、
>   国語で差を付けようと思えば、この古典の部分が、結構重要になってくる気がします。
>
>   それと、これは入試用の得点法ではありませんが、
>   学校の定期テストで国語の点を取ろうと思えば、
>   基本的に、授業で扱った教科書の文章から出題される訳ですから、
>   授業の解説を覚えておけば、読解力とかに関係なく、高得点が取れますけどね(笑)。
>   まあ、内申点を押さえておく目的であれば、これはこれで有効な手段かと?
>   私は転校続きでしたし、不良では無いものの意外に問題児でしたので、
>   内申点など最初から期待できず、ほぼ気にした事はありませんでしたけども、
>   推薦入学であったり、入試の加点分を考えれば、やはり内申点は重要でしょうからねえ。

私も国語について書いてみます。

管理人殿の言う通り、定期テストは決まった範囲からしか出ませんから、その範囲をどれだけしっかりやるかがそのまま点数に直結しますが、
センター入試や各大学の個別試験は一発勝負ですから、結局これまでの読書経験で決まると思います

小さい頃から多くの本を読んでいれば、出題される文章のお約束のようなものが分かるようになるかと。
たまにそこから外れた本もありますが、漠然とした定型を知っていることで、そこからどう外れているのかが何となく分かります。
なんか非常に感覚的な話になってしまうのですが・・・勉強せずに国語で点数を取れる人は大体、「こうなるのが自然」「こうだった方が面白い」みたいな感覚で現代文は解けちゃうと思いますね。
古文や漢文は現代の感覚とズレがありますが・・・歴史小説等に多少触れておけば修正できます

私の場合はどうしても恋愛を題材にした古文と和歌が全く理解できず、そこだけはほぼ捨ててました。
大体読めるのですが、何故か理解できていないようで、回答を誤っていましたね。
逆に恋愛を題材とした古文なら読めなくても大体解けると言う友人が居ました、何故解けるかは分からないとも言っていました。

とはいえ、読書経験が浅くても受験なら過去問を解くことでカバーできると思いますね
その際、読書経験が多い人が無意識でやっている、要点纏めや重要な文章の抜き出しを意識してやれば、
高い点数を取ることも可能だと思います。数をこなす必要があるでしょうが・・・。


[21898] 国語という教科と、その勉強法 返信 削除
2018/9/14 (金) 20:01:35 徳翁導誉

> > 【国語の勉強法】
> >   う〜ん、とにかく国語の勉強法は、ちょっと私には解りません・・・・
> >   ぶっちゃけた話、国語の勉強法に関しては、他の方の意見も多く聞きたい所ですし、
> >   私から言える事は、「歴史小説を読めば、有利なのでは?」って事くらいです。

> 私も国語について書いてみます。
> 管理人殿の言う通り、定期テストは決まった範囲からしか出ませんから、
> その範囲をどれだけしっかりやるかがそのまま点数に直結しますが、
> センター入試や各大学の個別試験は一発勝負ですから、結局これまでの読書経験で決まると思います

少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?

しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・
で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。
1発勝負ではなく、1年間に複数回の実施とかなら、私も良いと思いますけど、
そちらに関しては、どうやら採用を見送られたみたいですし。

> 小さい頃から多くの本を読んでいれば、出題される文章のお約束のようなものが分かるようになるかと。
> たまにそこから外れた本もありますが、
> 漠然とした定型を知っていることで、そこからどう外れているのかが何となく分かります。
> なんか非常に感覚的な話になってしまうのですが・・・勉強せずに国語で点数を取れる人は大体、
> 「こうなるのが自然」「こうだった方が面白い」みたいな感覚で現代文は解けちゃうと思いますね。
>  (中略)
> とはいえ、読書経験が浅くても受験なら過去問を解くことでカバーできると思いますね
> その際、読書経験が多い人が無意識でやっている、要点纏めや重要な文章の抜き出しを意識してやれば、
> 高い点数を取ることも可能だと思います。数をこなす必要があるでしょうが・・・。

でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
(夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?

で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。

> 古文や漢文は現代の感覚とズレがありますが・・・歴史小説等に多少触れておけば修正できます
現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。

> 私の場合はどうしても恋愛を題材にした古文と和歌が全く理解できず、そこだけはほぼ捨ててました。
> 大体読めるのですが、何故か理解できていないようで、回答を誤っていましたね。

現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。

・・・って、私などは恋愛小説どころか、小説そのものをほとんど読まないんですけどね(笑)。
半年くらい前には、評判の良かった小説を試しに読んでみたのですが、
100ページ以上読み進めても、一向に面白くならなかった為、途中で読むのを辞めちゃいました。
読んだ事がある小説は、ほぼ歴史小説に限定されますし、
それすら、高2以降の数年間くらいの話で、
歴史小説すら、もう10年くらいは読んでいないと思います。

でもまあ、逆に考えてみると、小説は未開拓な分野という事になるのかなぁ?
特に古典などは、学校や受験の勉強以外で、触れる機会すらありませんでしたし、
物は試しで、「源氏物語」とかに手を出してみても、面白いのかも知れません(笑)。


[21901] Re:国語という教科と、その勉強法 返信 削除
2018/9/14 (金) 23:36:16 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
>
> しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・
> で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。
> 1発勝負ではなく、1年間に複数回の実施とかなら、私も良いと思いますけど、
> そちらに関しては、どうやら採用を見送られたみたいですし。
>

そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。

民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。
そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。

さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
勿論、重要には違いないでしょうが、極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れればそれぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。

ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
一気に進学先が無くなります。
英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?

> でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?
>
> で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。
>

そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。

> 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。
>

同感です。
昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。
>
> ・・・って、私などは恋愛小説どころか、小説そのものをほとんど読まないんですけどね(笑)。
> 半年くらい前には、評判の良かった小説を試しに読んでみたのですが、
> 100ページ以上読み進めても、一向に面白くならなかった為、途中で読むのを辞めちゃいました。
> 読んだ事がある小説は、ほぼ歴史小説に限定されますし、
> それすら、高2以降の数年間くらいの話で、
> 歴史小説すら、もう10年くらいは読んでいないと思います。
>
> でもまあ、逆に考えてみると、小説は未開拓な分野という事になるのかなぁ?
> 特に古典などは、学校や受験の勉強以外で、触れる機会すらありませんでしたし、
> 物は試しで、「源氏物語」とかに手を出してみても、面白いのかも知れません(笑)。

好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。

「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない


[21911] センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/21 (金) 19:45:16 徳翁導誉

▼ 大学入学共通テストの話
> > 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> > 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> > 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
> > しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> > その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・

> そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
> 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。

> 正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも
> 高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
> 私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、
> 一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
> しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
> 少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。

いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?

> > で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> > TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。

> 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・

TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。
都会に暮らし、経済的にも恵まれている受験生は、現状でも有利な状況にあるのに、
国が率先して格差を更にを広げるのは、私の公教育観とは全く合わないというのが正直な所。

また、移行期間のように、大学入学共通テストに英語のテストがありつつ、
各大学ごとの判断で、TOEICやTOEFLの点数も利用できると言うなら良いのですが、
5教科の中で英語に限り、国が作るテストを無くしてしまうと言うのは・・・・
現行のセンター試験に問題があるなら、国が責任を持って新たなテストを作るべきで、
「そうした能力すら、いまの日本には無いのか?」と、悲しくもなりますし、
いっそ全廃して民間テストに丸投げするなら、英語だけなどという中途半端な事はせず、
高校入試の業者テストのように、他の教科も含めて、民間業者に任せるべきです。
それに、そもそも、2次試験では各大学がそれぞれ入試テストを課すのですから、
1次試験である共通テスト(センター試験)には、それこそ統一性こそが重要な気がしています。

> そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、
> 本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
> 確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、
> TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が
> 身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。

でもまあ、1つの目安には成り得ますよね。
学歴にしても、資格にしても、ある意味では同じ事だ思います。
そもそも、「即座に通用」というレベルを期待されていない気もしますし。

> さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
> 勿論、重要には違いないでしょうが、
> 極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れれば
> それぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
> 全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
> それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。
> ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
> 一気に進学先が無くなります。
> 英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
> 英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?

それでもまだ、日本の状況はマシな方ではあるんですよね。
日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。

で、そうした日本の現状が悪い事なのかと言えば、決してそうとも言えません。
何より、母国語で学問が出来る事で、絶対数が増え、全体のレベルも上がりますからねえ。
もちろん、諸外国の学生は英語も出来て、それこそ「即座に通用」するレベルかも知れませんが、
そうした人材はトップの一握りであり、日本でもトップなら相応の英語力はあるでしょうし、
また、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の益川教授は、英語が出来ない事で有名でした。
英語は出来ないのにノーベル賞を取れる人材を輩出できる国など、日本くらいかも知れません(笑)。

それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。
楽天・三木谷が自身の英語コンプレックスを振り回し、自社内の公用語を英語にするも、
(国の後援を受けながら)海外展開が上手く行ってないのは、経営者個人の勝手ですけど、
安倍政権の政策ブレーンとして、国民全体の教育まで振り回すのは、正直勘弁して貰いたい・・・・


▼ 国語の話
> > でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> > 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> > (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> > 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> > その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?

> そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
> 国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
> 英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、
> 二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
> 現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。
> しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。

> > で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> > アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> > 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> > 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> > でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。

> その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
> やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。

私も実際の所は解りませんけど、
海外ドラマとかだと、そんな感じのイメージです(笑)。

> > 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> > 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> > もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> > 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。

> 同感です。
> 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。

あと、小説という点では、何も歴史小説に限らず、
科学の小説であったり、数学の小説であったりというのも、
やり方によっては、面白い内容にできて、かつ受験教材にも為り得る可能性はあると思うんです。
何でも漫画化してみたり、とにかく萌え化や擬人化してみたりなど、そうした教材は既にありますけど、
どうも、やっつけ仕事の感が強く、作品としても教材としても不十分なばかりな印象がありますし。

> > 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> > そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> > 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。

> 好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
> 読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
> 一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
> 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

う〜ん、単純に考えると、後者って事になるのでしょうが、
何だか、それも違う気がする・・・・

ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
入り込んでしまうからこそ、主人公に同調して、深読みや裏読みをしてしまう。
でもテスト問題の読み方って、もっと表面的じゃないですか?
例えば、「主人公は喜んだ」と書いてあれば、
主人公の感情として適当な選択肢は「喜び」が正解になるのでしょうけど、
作品に入り込むと、「この主人公なら、本心では悔しいはずだ」と感じ取る事もあるはずです。
だからと言って、解答として「悔しさ」を選んだら、それは間違いとして判断されてしまうと。

もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)
そもそも現代の恋愛小説とかは、基本的にテスト問題として出てこないでしょうし、
実際にテストがあった場合、実は自信満々の答えが不正解なんて事も有り得るかも知れません。
前術の例で言えば、「悔しいはず」と感じたのは、個人の思い込みで、
本当に主人公は、純粋に「喜んでいた」というケースですね。


[21916] Re:センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/26 (水) 13:57:18 マンネルへイム

▼ 徳翁導誉さん
> ▼ 大学入学共通テストの話
> > そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
> > 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> > マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

> マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
> スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。
>

そんな大した話ではないですよ(笑)
大体マーク式は4択や5択の問題ですよね
だから模試やワークを解くときに選択肢に〇や×をしておきます。
正解だと確信できた選択肢に〇、間違っていると確信できる選択肢に×をつけておきます。
どちらか判断がつかない選択肢には△をつけておきます。余裕があれば、その選択肢のどの部分が間違っているかまで記号を付けておければ良いかと。
そして最後に△を含まない問題、つまり確実に正解しているという自信がある問題を大体計算して、自分がこのテストでどれくらい点数が取れそうか予測しておきます。

自己採点の後、事前に予測していた点数を上回っていたとしても、それは△を含む問題を「幸運にも」正解できただけだとわかりますから、
自分の実際の実力を見誤らないで済みます。
下回っていた場合は、自信のある問題を間違えていることに気づけます。

見直しの際には回答中につけた記号が役にたち、効率的・効果的に見直せます。
具体的には自分が〇や×を自信をもって付けて答えたにも関わらず、誤答してしまった問題は、
「分かったつもり」になっている問題ですから、最優先で見直しをしないと本番で足をすくわれかねません。
こういう「分かったつもり」の問題を無くすことで着実に点数を伸ばしていけますし、尚且つ自分の実力を常に正しく把握できるようになります。

△を付けた問題はその時点で「分からない」問題ですから、時間が無ければ後回しにしても大丈夫です。
なんなら、放置して次のページなりプリントなりをやっても良いかもしれません。
△を付けたという事は少なくとも自分が「分からない」ということは分かっている問題ですから、本番までのどこかで時間があるときに集中的に復習すれば無駄なく点数を上げられます

> いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
> 基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
> ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
> 先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
> それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?
>

確かにマーク式ですけど、半分がリスニングですし、リーディングも文法や単語問題の比率がセンター試験より高いのがネックですかね?
読解問題は確かにこれまでのセンター対策と通じる部分があると思いますが、総合的にはより負担が大きくなっているのは間違いありません。

> > 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> > 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> > その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

> 私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
> 国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・
>
> TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
> それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
> 試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
> その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
> しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
> 受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
> そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。
> 都会に暮らし、経済的にも恵まれている受験生は、現状でも有利な状況にあるのに、
> 国が率先して格差を更にを広げるのは、私の公教育観とは全く合わないというのが正直な所。
>
> また、移行期間のように、大学入学共通テストに英語のテストがありつつ、
> 各大学ごとの判断で、TOEICやTOEFLの点数も利用できると言うなら良いのですが、
> 5教科の中で英語に限り、国が作るテストを無くしてしまうと言うのは・・・・
> 現行のセンター試験に問題があるなら、国が責任を持って新たなテストを作るべきで、
> 「そうした能力すら、いまの日本には無いのか?」と、悲しくもなりますし、
> いっそ全廃して民間テストに丸投げするなら、英語だけなどという中途半端な事はせず、
> 高校入試の業者テストのように、他の教科も含めて、民間業者に任せるべきです。
> それに、そもそも、2次試験では各大学がそれぞれ入試テストを課すのですから、
> 1次試験である共通テスト(センター試験)には、それこそ統一性こそが重要な気がしています。
>

センター利用型入試が無くなるとすればそれは地方高校出身の学生には大きな影響を与えますね・・・。
単に旅費の問題だけではなく、試験会場で試験を受けるという状況自体学生には負担が大きいです。
勿論、数をこなして慣れるという考え方もあるでしょうけど、それも限度があるかと。
例えばMarchのセンター利用型に片っ端から出した上で本命だけは直接会場で受けるというような事が出来なくなりますよね・・・。
あるいは滑り止めの為だけにわざわざ大阪なり東京なりに行く必要が出てきます。

> でもまあ、1つの目安には成り得ますよね。
> 学歴にしても、資格にしても、ある意味では同じ事だ思います。
> そもそも、「即座に通用」というレベルを期待されていない気もしますし。
>
> それでもまだ、日本の状況はマシな方ではあるんですよね。
> 日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
> これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
> 英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
> そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
> だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
> 逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
> 国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
> 学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。
>
> で、そうした日本の現状が悪い事なのかと言えば、決してそうとも言えません。
> 何より、母国語で学問が出来る事で、絶対数が増え、全体のレベルも上がりますからねえ。
> もちろん、諸外国の学生は英語も出来て、それこそ「即座に通用」するレベルかも知れませんが、
> そうした人材はトップの一握りであり、日本でもトップなら相応の英語力はあるでしょうし、
> また、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の益川教授は、英語が出来ない事で有名でした。
> 英語は出来ないのにノーベル賞を取れる人材を輩出できる国など、日本くらいかも知れません(笑)。
>
> それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
> 日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
> まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
> 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
> そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。
> 楽天・三木谷が自身の英語コンプレックスを振り回し、自社内の公用語を英語にするも、
> (国の後援を受けながら)海外展開が上手く行ってないのは、経営者個人の勝手ですけど、
> 安倍政権の政策ブレーンとして、国民全体の教育まで振り回すのは、正直勘弁して貰いたい・・・・
>
>

それを言われると弱いですね・・・。
フィンランドやオランダでは言語利用者が少ない為に、採算が取れず、学術書も児童書も自国語に翻訳されることは無いとか。
それ故に基本的に本という本が英語で書かれており、まさしく英語を学ぶことが必要不可欠な環境に置かれているそうです。
ただ、一方日本のように言語利用者が多い為に英語学習が必要不可欠とまではいかない状況が悪いとも言えず、
その環境を日本人が率先して破壊していくのは軽率だ、というような本を読んだ記憶があります。

個人的にはAIの発達を期待したいです。
仕事が無くなったら元も子もないですけどね・・・。
> ▼ 国語の話
> > そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
> > 国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
> > 英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、
> > 二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
> > 現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。
> > しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> > まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

> 「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。
>

私も下手です。
それに最近、文章での説明も下手になってきた気がして焦っています。
紙媒体の読書量が減ったのが原因なんでしょうかね・・・。

> > 同感です。
> > 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> > 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> 数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
> 「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
> 国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
> まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
> 考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
> 一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。
>
> あと、小説という点では、何も歴史小説に限らず、
> 科学の小説であったり、数学の小説であったりというのも、
> やり方によっては、面白い内容にできて、かつ受験教材にも為り得る可能性はあると思うんです。
> 何でも漫画化してみたり、とにかく萌え化や擬人化してみたりなど、そうした教材は既にありますけど、
> どうも、やっつけ仕事の感が強く、作品としても教材としても不十分なばかりな印象がありますし。
>

うーん、ネット小説とかならともかく、いわゆるSNSやブログだと文章を書くというより、
話し言葉を文章化したような印象を受けます。
といってもそれが悪いという訳でもなく、コミュニケーション能力の向上には繋がるでしょう。
ただ、文章力の向上に繋がるかは正直微妙ではないでしょうか?

> > 好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
> > 読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
> > 一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
> > 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> > 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> > 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> > その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> > 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> > 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> > そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

> う〜ん、単純に考えると、後者って事になるのでしょうが、
> 何だか、それも違う気がする・・・・
>
> ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
> 入り込んでしまうからこそ、主人公に同調して、深読みや裏読みをしてしまう。
> でもテスト問題の読み方って、もっと表面的じゃないですか?
> 例えば、「主人公は喜んだ」と書いてあれば、
> 主人公の感情として適当な選択肢は「喜び」が正解になるのでしょうけど、
> 作品に入り込むと、「この主人公なら、本心では悔しいはずだ」と感じ取る事もあるはずです。
> だからと言って、解答として「悔しさ」を選んだら、それは間違いとして判断されてしまうと。
>
> もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)
> そもそも現代の恋愛小説とかは、基本的にテスト問題として出てこないでしょうし、
> 実際にテストがあった場合、実は自信満々の答えが不正解なんて事も有り得るかも知れません。
> 前術の例で言えば、「悔しいはず」と感じたのは、個人の思い込みで、
> 本当に主人公は、純粋に「喜んでいた」というケースですね。

いや、感情移入しすぎというよりは私の思考形式が特定の状況では世間の思考形式とズレちゃうんだと思います。
基本的に文章題は世間様の常識を意識して読んでいるのですが、極稀に私の常識がズレていることがあるみたいで・・・。

それに加え、蜻蛉日記の場合は背景を知っていることが逆効果になっているのかもしれません。

蜻蛉日記は藤原道綱母が夫の藤原兼家に失望して、子の藤原道綱を育てることに生きがい?を見出していく話で
そこに至るまでの藤原道綱母の心情が滲み出ているからこそ高く評価されているのだと認識しています。
最初に読んだ蜻蛉日記の説明がそんな感じだったので。
それ故に兼家に対する道綱母の心情を厳しめに想定しすぎているのかもしれません。
最初の方は兼家に未練だらだらですからね・・・。


[21919] Re2:センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/27 (木) 19:57:52 徳翁導誉

> > > 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> > > マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

> > マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
> > スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。

> そんな大した話ではないですよ(笑)
> 大体マーク式は4択や5択の問題ですよね
> だから模試やワークを解くときに選択肢に〇や×をしておきます。
> 正解だと確信できた選択肢に〇、間違っていると確信できる選択肢に×をつけておきます。
> どちらか判断がつかない選択肢には△をつけておきます。
> 見直しの際には回答中につけた記号が役にたち、効率的・効果的に見直せます。
> 具体的には自分が〇や×を自信をもって付けて答えたにも関わらず、誤答してしまった問題は、
> 「分かったつもり」になっている問題ですから、最優先で見直しをしないと本番で足をすくわれかねません。
> こういう「分かったつもり」の問題を無くすことで着実に点数を伸ばしていけますし、
> 尚且つ自分の実力を常に正しく把握できるようになります。

なるほど、模試や問題集をする時の話だったんですね。
「マーク式が英語力の無い人間でも高得点を取れるテスト」とありましたので、
私はてっきり、入試本番で選択問題の正答率を上げる裏技でもあるのかと?(笑)。

> > いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
> > 基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
> > ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
> > 先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
> > それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?

> 確かにマーク式ですけど、半分がリスニングですし、
> リーディングも文法や単語問題の比率がセンター試験より高いのがネックですかね?
> 読解問題は確かにこれまでのセンター対策と通じる部分があると思いますが、
> 総合的にはより負担が大きくなっているのは間違いありません。

そもそも「マーク式ってそんなに悪いかなぁ?」という思いが、私自身には正直あるんですよね。
数学や物理などの計算問題では、単に答えを書くだけなら、記述式とそんな大差ありませんし、
確かに、4択問題なら25%、5択問題なら20%の確率で、当てずっぽうに答えても正解しますけど、
十分な問題数さえあれば、平均点を引き上げたり、点差を縮めたりはあるものの、
最終的には、それなりに学力差はキチンと反映されるだろうと考えているので。


> > > 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> > > 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> > > その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

> > 私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
> > 国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・
> > TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
> > それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
> > 試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
> > その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
> > しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
> > 受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
> > そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。

> センター利用型入試が無くなるとすればそれは地方高校出身の学生には大きな影響を与えますね・・・。
> 単に旅費の問題だけではなく、試験会場で試験を受けるという状況自体学生には負担が大きいです。
> 勿論、数をこなして慣れるという考え方もあるでしょうけど、それも限度があるかと。
> 例えばMarchのセンター利用型に片っ端から出した上で
> 本命だけは直接会場で受けるというような事が出来なくなりますよね・・・。
> あるいは滑り止めの為だけにわざわざ大阪なり東京なりに行く必要が出てきます。

そして、大学入試ほどでは無いにしても、TOEICやTOEFLの受験だって移動は大変です。
私自身は転勤族として、都会や地方を数年単位で連れ回せれて育った為、
都会の長所と短所も、地方の長所と短所も、両方理解しているつもりですが、
どうも都会暮らしの人は、自分が恵まれた環境下にある事を理解してないと言いますか、
どれだけ地方暮らしが不便を強いられるかを、あまり想像できてない感はあるんですよね。
確かに、ここ10年くらいで、「ネット通販」と「ショッピング・モール」の登場により、
生活面における都会と地方の差というのは、急速に縮まった所があるものの、
実際に現地へ足を運ばなければならない分野(試験や手続き、観戦・鑑賞など)に関しては、
もう物理的な差なので、その辺は未だに厳然として存在していますし・・・・

> > 日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
> > これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
> > 英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
> > そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
> > だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
> > 逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
> > 国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
> > 学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。

> フィンランドやオランダでは言語利用者が少ない為に、
> 採算が取れず、学術書も児童書も自国語に翻訳されることは無いとか。
> それ故に基本的に本という本が英語で書かれており、
> まさしく英語を学ぶことが必要不可欠な環境に置かれているそうです。
> ただ、一方日本のように言語利用者が多い為に英語学習が必要不可欠とまではいかない状況が悪いとも言えず、
> その環境を日本人が率先して破壊していくのは軽率だ、というような本を読んだ記憶があります。

別にそれは珍しい主張では無いと思いますし、基本的には私も同意見ですよ。
英語が出来ないよりも、出来たに越した事が無いのは当然ですが、
その代償として、国語の能力だったり、その他の学力が、それ以上に落ちるようでは、
本末転倒も良い所だろうと思いますので・・・・
例えば東大なども、そこまで気にする事も無い、世界の大学ランキングを上げようと、
国際化の方針を図った結果、肝心の研究面や教育面で評価を落として、
結局、ランキングの順位を落としたりなどは、本当に愚の骨頂に見えます。

あと、児童の英語教育という話ですと、
日本では2020年から、小学校で「英語の教科化」の始まる予定だそうですね。
もう既に数年ほど前から、週に1回のペースで、英語に親しむ時間は取られていたそうですが、
2年後から遂に、英語の授業時間が相応に取られ、教科書を使い、成績まで付くらしいです。
もちろん、言語教育というのは早ければ早いほど良いというのは、一面では真実ですけども、
だからと言って、今まで中学1年生から始めてた事を、小学校高学年を前倒しするだけで、
しかも、専門的な研修や経験を積んでいない小学校の先生が教えるようでは、
無理があると言いますか、英語嫌いになる年齢を早めるだけな気がするんですよねえ・・・・

もともと現状の英語という教科は、学び始める中1の頃は生徒からの人気度が高いのに、
中3の頃には人気がガタ落ちするという、深刻な構造的問題を抱えている訳ですし、
小学校に英語を導入するにしても、純粋に「楽しむ」だけに徹した方が、遥かに良い気がします。
「道徳の教科化」と言い、「プログラミング教育の必修化」と言い、
これからの日本の小学生をどう育てたいのか、私には本当に意味不明です・・・・

> > それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
> > 日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
> > まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
> > 「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
> > そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。

> 個人的にはAIの発達を期待したいです。

私の予想では、10年かからない内に、自動翻訳機が普通に使われる時代になると思いますし、
とりあえず総務省は、2年後の東京五輪に向けて、本格利用を目指していますね。
少なくとも、海外旅行や日常生活で使えるレベルのモノは、
数年の内に、実用化&普及するのでは無いでしょうか?

> 仕事が無くなったら元も子もないですけどね・・・。
その辺の事を含めて、AIとセットで「BI(ベーシック・インカム)」が語られる事が多いですけど、
産業革命を始め、今までも人類は、そうした大変革期を体験してきて現在に至ってる訳で、
ある意味では、古い時代の仕事が無くなり、新たな時代の仕事が生まれるのは、歴史の常かと?
そして、大きな変革は大きなな格差を生み、その歪みが限界に達すると、ガラガラポンが起きると。

強いて違いを言えば、時代が進めば進むほど、変化のスピードも加速度的に速くなってる事でしょうか?
IT革命によって社会は大きく変わりましたが、その変革も、ここ十数年間の話ですし、
これから本格化するであろうAIの発達は、更なる変革を社会にもたらすでしょうけど、
その後に来るナノやバイオの技術革新は、今までの歴史にも存在しなかった、
人類が自らの手により「人工的に進化」する時代を、到来させるでしょうからねえ・・・・
もし世界大戦レベルの戦争があれば、私たちが生きている内に見られるかも知れませんよ(苦笑)。


> > > しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> > > まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

> > 「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。

> 私も下手です。
> それに最近、文章での説明も下手になってきた気がして焦っています。
> 紙媒体の読書量が減ったのが原因なんでしょうかね・・・。

やはり皆さん、今は電子書籍で読まれる時代なんですかねえ?
私は未だに紙じゃないと駄目なので、本を読むなら紙媒体ですし、
電子情報も数十ページあれば印刷しても読み、本を買うのもAmazonではなく本屋です。
そう考えると、私はかなりのアナログ派なのかな(笑)。

> > > 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> > > 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

> > 数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
> > 「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
> > 国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
> > まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
> > 考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
> > 一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。

> うーん、ネット小説とかならともかく、いわゆるSNSやブログだと文章を書くというより、
> 話し言葉を文章化したような印象を受けます。
> といってもそれが悪いという訳でもなく、コミュニケーション能力の向上には繋がるでしょう。
> ただ、文章力の向上に繋がるかは正直微妙ではないでしょうか?

明治の頃、言文一致運動の中、話し言葉で書かれた夏目漱石などの近代小説は、
それこそ当時の文化人たちからは、「低俗」として切って捨てられていましたけども、
現在、彼らの書いた小説作品は、果たしてどんな評価をされているでしょうか?
平安時代の日記と現代のブログや、江戸時代の俳諧連歌と現代のLINEには、
各時代性の違いという以外に、一体どれだけの違いがあるのでしょう?
また、純文学に大衆文学、ラノベにケータイ小説、ブログにSNSと、
全て繋がって見えるこれらは、どこかで明確に線引き出来るモノなのでしょうか?
そして例えば、ブログ以上に話し言葉に近い、この掲示板でのやり取りなども、
文章力の向上には、まるで繋がらないのでしょうかねえ?(笑)

それに何より、文章力や読解力というのは、コミュニケーション能力の一要素では無いでしょうか?
先日、文化庁の調査で、「なし崩し」や「檄を飛ばす」といった言葉は、
本来の意味で用いられるより、誤用の方が7割近いという結果が発表されてましたけど、
言葉とは時代によって変わる生き物である以上、ここまで来れば、誤用こそ正しいとも言えますし、
教科書的に正しいとされる意味にしても、時代を遡れば、誤用が定着した例など枚挙に暇がありません。
ですから、教科書的な正しさを絶対的な1つの基準として、それ以外は間違いとするのではなく、
その辺を含めてキチンと理解できる事こそ、本当の意味での国語力だと思いますし、
よく「近頃の若いモンは」となるのは、何か若者に問題があるという以上に、
若者との世代間ギャップを埋まられない、当人の問題が大きいと思うんですよね。
・・・って、国語のテストとなると、逆にその「教科書的な正しさ」が絶対になるのですが(苦笑)。

> > > 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> > > 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> > > 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> > > その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> > > 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> > > 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> > > そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

> > ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
> > もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)

> いや、感情移入しすぎというよりは
> 私の思考形式が特定の状況では世間の思考形式とズレちゃうんだと思います。
> 基本的に文章題は世間様の常識を意識して読んでいるのですが、
> 極稀に私の常識がズレていることがあるみたいで・・・。

「極稀に」と言うのが、却って厄介なのかも知れませんね(笑)。
私の場合、基本的に世間様の常識とズレている事の方が多いので、
「自分の見方」だけでなく、常に「一般的な見方」を意識しています。
そうしないと、面倒事ばかり増えてしまいますから・・・・
でもまあ、考えようによっては、そうしたズレがあるからこそ、
客観的視点とか、多角的視点みたいなモノが、自然と身に付いたのかも知れませんし、
あちこち転勤しながら育った為、土地が変われば世間の常識も変わる事も覚えたのかも?

> それに加え、蜻蛉日記の場合は背景を知っていることが逆効果になっているのかもしれません。
> 蜻蛉日記は藤原道綱母が夫の藤原兼家に失望して、子の藤原道綱を育てることに生きがい?を見出していく話で
> そこに至るまでの藤原道綱母の心情が滲み出ているからこそ高く評価されているのだと認識しています。
> 最初に読んだ蜻蛉日記の説明がそんな感じだったので。
> それ故に兼家に対する道綱母の心情を厳しめに想定しすぎているのかもしれません。
> 最初の方は兼家に未練だらだらですからね・・・。

文章から結構な熱量を感じるのですが(笑)、
マンネルへイムさんは、現代の作品よりも、古典の方が好きな感じでしょうか?
それとも、現代とか古典とか関係なく、「蜻蛉日記」が良い作品という感じでしょうか?
どうも私は、この辺の分野の本を、まるで読まないもので・・・・

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