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[23556] もう、雑談に専念しちゃいます?(笑) (その2)返信 削除
2021/4/20 (火) 21:07:13 徳翁導誉

▼ 都市計画本の紹介&朝鮮や琉球の話
> > 「古代の都はどうつくられたか 中国・日本・朝鮮・渤海」
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4642057137

> これめちゃくちゃ面白そうですね。

確かに、読んで良かった1冊ですけども、
この書名を見て「めちゃくちゃ面白そう」と反応する人は、かなりレアかと?(笑)
10年前に出版されたのに、Amazonでも誰1人としてレビューを付けてないレベルですからね。

東アジア史の比較文化論としては、なかなか上手く纏まってましたし、
同じく中国の都市計画を受け入れながら、日本と朝鮮では異なるアレンジが施されたり、
また、わずかですけど渤海についても触れられていたのは、今まであまり無かった視点かも。
とは言え、あれこれ扱おうとすると、どうしても総論となり、
1つ1つの掘り下げが浅くなってしまうのは、仕方ないとは言え物足りなかった所。
という事で、個人的に知識が乏しかった古代の朝鮮史に関しては、
コチラの本↓で少し補完しましたね(啓蒙書というより、学研の歴史群像くらいの内容)。

「朝鮮三国志 高句麗・百済・新羅の300年戦争」
https://www.amazon.co.jp/dp/4775310518

あと、古代の東アジアに限定せず、同じ様な感じで、
広く世界史上の都市を解説した1冊がコチラ↓

「都市計画の世界史」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062879328

そして、近代の日本人が行った都市計画をガッツリと触れたければ、
この1冊がオススメ↓(この方は東京やハルピンの都市計画本も書いています)

「満州国の首都計画」
https://www.amazon.co.jp/dp/4480087079

また、上と同じ著者の本で、より読みやすい1冊となりますと、
東日本大震災の直後に、私が思い描く復興案の元ネタの1つになった
日本の近現代に関するコチラ↓の本もありますね。

「復興計画 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで」
https://www.amazon.co.jp/dp/4121018087

> ifで思い出したのですが、2009年の韓国映画にロストメモリーというのがあって、
> これが伊藤博文暗殺失敗を軸にした物語なんですよね。
> とはいっても舞台は明治ではなく、現代「朝鮮」で伊藤博文暗殺失敗により
> なぜか日本は戦勝国になり(裏設定でその後、昭和元年まで生きていたみたいです。
> にしても、日本を戦勝国にするほどの力はさすがになかったと思います)、
> 2009年になっても、まだ朝鮮半島は日本領……という物語です。

チャン・ドンゴンと仲村トオルが共演した映画ですよね。
見てはいませんけど、作品の設定とかは多少知ってます。
映画版は知りませんけど、原案とされる小説「京城・昭和62年 碑銘を求めて」の方だと、
伊藤博文が延命した事により、朝鮮の内地化&朝鮮人の同化が急速に進む一方、
軍国主義の台頭を抑えた事で米英協調路線は維持され、第二次大戦は中立で参戦せず。
そして戦後は米ソ冷戦の中、第3極として独自の存在感を示しており、
日本の参戦が無かった為、アジア諸国は植民地のまま・・・という設定だったかと?

ちなみに小説版が書かれたのは、それこそ昭和62年(1987年)であり、
当時はまだ冷戦中で、韓国も完全には民主化されておらず、
日本は「Japan as No.1」などと言われて、GDPは韓国の10倍くらいあった頃ですから、
今と違って、日本以外のアジア諸国が、ここまで成長するとは思われてなかった時代です。
言い換えれば、反日感情はありつつも、日本への憧れも強烈にあったと思われますし、
逆に言うと、それこそ平成の30年間で、日韓の差は驚くほど縮まりましたよね。
今では、日本の地方民よりも、韓国のソウル市民の方が、平均収入が多いくらいなので。

と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。
併合後の朝鮮総督は全員武官でしたけど、そもそも伊藤は文官でしたし、
樺太の内地化促進や、総督の武官制廃止などを押し進めたのは、
伊藤の立憲政友会を引き継いだ原敬であり、
こうした大正デモクラシーの最中、軍部の反対を押し退けて民主化していった様は、
伊藤存命で史実以上に後ろ盾が強ければ、更に違った展開が有り得たかも知れません。
原敬は文民でありながら、一時的に海軍大臣の代行まで努めてましたからねえ。

と言いますか、「もしも原敬が暗殺されなければ」のif歴史も、大きく違ってきそう。
元老の有力候補と目されていた原の死により、元老は西園寺で打ち止めになりましたし、
伊藤や原の延命だけでは無理だったかも知れませんけど、
「もしも大正デモクラシーが衰退しなければ」、史実とは違った昭和になっていたかも知れず、
朝鮮や台湾での衆院選実施(終戦直前に決まるも実行はされず)であったり、
内地と外地の法律統一なども、進んでいたかも知れませんよね。
そうする事で選挙に勝てるのであれば、政治家というのは、そういう選択をするものですし、
実際、そのようにして、普通選挙の流れというのも起こった訳ですから。

また、国内政治のif展開だけでなく、国際政治のif展開で言うと、
「もしも日英同盟が存続していたら」というのも、かなり違ってきてたかも知れませんけど、
第一次大戦を経て、英米の力関係が逆転した当時の状況を思うと、これは難しいのかな?
まあ、ともかく、「日本がアメリカに勝利する」というシナリオを描くのは困難なので、
「第二次大戦に連合国側で参戦」というのも、かなり無理筋でしょうから、
「第二次大戦に参戦せず」というのが、最も有り得る存続シナリオになるでしょうか。
現に、スペインやポルトガルの独裁政権でさえ、そうやって戦後も存続しましたし、
史実通りに米ソ冷戦となれば、それこそ大日本帝国はキープレイヤーになったかも?
いや〜、こうして改めて考えてみると、原案小説の設定の方は、
外国人が考えたにしては、なかなか良く出来てるんじゃないですかねえ。

> で発想は面白い(伊藤博文云々というより韓国がまだ日本&その中での独立闘争という着想)
> 結局は、高句麗のタイムマシーンで過去に戻り伊藤博文を暗殺し、もとに歴史を戻すという話でした。

「高句麗のタイムマシーン」という単語が物凄く謎だし、こちらの方に興味が!?(笑)

タイムマシーンに乗って歴史改変を行い、史実通りのトゥルー・エンドを迎えたら、
祖父は朝鮮戦争で死んでいて、主人公が消滅してしまうとか、
住んでいたのは北朝鮮で、飢餓に苦しむ生活をしていたりとか、
大衆娯楽作では難しいでしょうけど、そんなバッド・エンドな展開も面白そう(笑)。
って、そうやって考えれば、サミット入りするほど発展した統一朝鮮という
理想的な展開に向けて、何度も歴史改変に挑む感じのゲームは、面白いかも知れませんね。

それと、高句麗という点から言うと、
朝鮮史観から見れば、高句麗って完全に朝鮮系の王朝なのですが、
史実的に言うと、あそこの王族は女真族と同じツングース系の可能性が高いんですよね。
それこそ、古代はまだ日本とか韓国といった、現在の感覚での民族性は確立されてませんし、
韓系と山東系とツングース系が混じり合って生まれたのが、中世以降の朝鮮民族なので、
間違いとまでは言い切れないものの、今の価値観で量ると正確性を欠いてしまうと。

また、現在の埼玉県南西部に、1300年前に高句麗の遺民たちが切り開いた「高麗郡」は、
今でも高麗神社や高麗川などに名前を残しているのですが、
そういう意味では彼らは、朝鮮民族となる前のツングース系の末裔なんですけど、
それほど歴史は古くない韓国風トーテムポールである「将軍標」が、神社に寄贈設置されていて、
日韓友好の象徴にはなってるみたいですけど、何だか変な感じはあるんですよね・・・・
とは言え、戦前は日本側も「内鮮一体」の象徴として利用していたので、どっちもどっちなのかな?
そもそも高句麗の遺民たち自体、1300年も経てば完全に日本に同化しちゃってますし(笑)。

あと、韓国併合後の李王家では無いですが、古代の日本にも、
国が滅びて亡命してきた「百済王」氏や「高麗」氏であったり、
秦の始皇帝の子孫と称する「秦」氏、後漢の霊帝の子孫と称する「漢」氏とか居ましたし、
それこそ、上でも話していた高句麗遺民の3世となる肖奈王大山などは、
遣唐使や遣渤海使として、現地に赴いたみたいです(ある意味で大陸への里帰りだったのかな?)。
そう言えば、山口の大内氏も一応、百済王の末裔を自称してはいましたね。
でもまあ、本姓である多々良氏は、任那系の渡来人の氏として記録されてるらしいので、
さすがに王の末裔は後付けでも、地理的にも渡来系である可能性は普通にあるのかも。

> これも、独立の機運に耐えられなくなった日本が李王家を担いで、
> 親日政権を作るも共和政体を作ろうとする勢力に押されるとか金日成なんかも登場させて、
> 史実のベトナムみたいな泥沼に陥る……(この場合、フランスもアメリカも日本がその役割を担うのかな)
> みたいな話の方が面白そうな気もしました。

え〜と、ちょっと解り難かったのですが、金日成の名前とか出てますし、
こちらに関しては、伊豆大島のキョンさんのアイデアって事なのかな?
でもまあ考えてみると、少し縁遠くはなってしまいますけど、
却って他国の歴史題材の方が、気兼ねなく、好き勝手に弄って遊べる側面はあるかも(笑)。
日清戦争から朝鮮戦争まで54年なのを考えれば、1人の人生でも多くの歴史的岐路に立てますし。

とは言え、史実はこうなったので、あまり言われませんけども、
朝鮮の同化政策って、そこそこ順調に進んでいた事もあり、
あのまま50年 100年と経った場合に、本当にそこまでの独立闘争が有り得たかは・・・・
日本人と朝鮮人は見た目がそんなに違いませんし、言語的にもかなり似ており、
近代化と同化とが同時進行する状況で、2世代3世代と過ぎていくと、
それこそ沖縄県民や在日コリアンのように、日本人化がかなり進んだ可能性はあろうかと?
近代のフランス・ドイツ・イタリア・イギリスでさえも、
大なり小なり、同じ様な事が行われてきましたし、
テレビの普及と文化の標準化も、非常に大きかったりします。

そして信仰面にしても、現在の韓国人なんて人口の3割がキリスト教徒ですし、
そもそも日本人も戦前の国家神道化により、江戸時代までの信仰とは様変わりしているので、
皇民化教育が50年 100年と続いていれば、そうなっちゃうと思うんですよね。
しかも朝鮮の場合、台湾と違って、他に本国のような存在もありませんから、
言語も、宗教も、文化も、社会も、一旦変わると、なかなか戻せないと思うんです。
元々は沿海州に住んでいて、スターリン時代に中央アジアへと強制移住させられた「高麗人」も、
ソ連社会で半世紀を過ごした事により、文化的には完全に同化してしまい、
カザフスタンの外務大臣や、キルギス軍の参謀総長に、高麗人の名前があったりしましたからね。
そう考えると、史実はどうあれ、大日本帝国が存続していた場合は、また今とは違っていたかも?

また、仮に独立運動が起こったとしても、
「チェコスロバキア」のように、平和裏に国が分かれた可能性は・・・あるのかなぁ?
この場合、それまでにどんな政治体制になってるか次第の話ではあるんですよね。
それこそスロバキアなどは、チェコと1つになって、オーストリア=ハンガリー帝国から独立し、
その後は、自治権獲得→連邦制導入→双方分離独立という流れになりましたから、
力で押さえ込むよりも、相互に認め合う方が利益が大きければ、そうする事もあるかも。
とは言え、当時の日本と朝鮮との力関係を考えると、こうした穏便な展開は難しいのかな?

とりあえず、日韓併合に賛成していた、当時の朝鮮人たちの意向としては、
日本人と同等の権利を得られる対等な合併であったり、
オーストリア=ハンガリー帝国のような「日韓二重帝国」だったりしたそうですが、
まあ現実は、そんなに甘くは無いですよねえ(苦笑)。
ちなみに個人的には、前回も少し書きましたけど、ドイツ帝国みたいな形式で、
プロイセン王国が主導しつつ、帝国内にはバイエルン王国やザクセン王国が存続したように、
日本が主導しつつ、帝国内に琉球王国・朝鮮王国・ハワイ王国などがあるのも面白かったかと(笑)。
でも結局は力関係から、イギリスみたいな形式に落ち着いていたんですかねえ。
そうなると朝鮮や台湾は、アイルランドになっていたのか? スコットランドになっていたのか?
と、長々と書いてきましたけど、やはり敗戦さえなければ、スコットランド化の可能性が高いかも。
過激派によるテロも起こってたかも知れませんが、良くも悪くもIRAくらいの感じな気がします。

ただ、この見立てが甘いとなると、フランスとアルジェリアみたいな感じになったのかな?
イメージ的には、こちらのアルジェリア戦争の方が、ベトナム戦争より近いと思います。
それこそ、フランス本土の対岸にあった植民地で、両国の力量差はハッキリしており、
多くのフランス人が入植していた事で、すんなり独立も認められず、泥沼の戦争状態に陥ると。
独立戦争の直前、アルジェリア900万人の内、「コロン」と呼ばれる欧州系は100万人いたらしく、
下記する大日本帝国の人口データと見比べると、人口比率はここまで進んでませんか。
まあアルジェリアの場合、朝鮮より80年早い、1830年からフランスの植民地でしたし、
元々の両国の人口数も違う上に、アルザス=ロレーヌの失陥&移住というのもありましたからねえ。
それに、キリスト教徒である入植民と、イスラム教徒である現地民とでは、文化も大きく異なり、
本土への移民には同化を強いたフランスも、植民地に対しては そこまででは無く、
内陸の山岳部に暮らす現地民と、沿岸の平野部に暮らす入植民とでは、混ざり合う機会も乏しかったかも。
そう考えると、やはり単純に、朝鮮とアルジェリアは比べられないのかな?

あと、50年 100年と統治が続いてたら、日本本土の方も少しは変わったかも知れませんよね。
沖縄を台湾の管轄に移す案だとか、済州島を内地扱いする案だとか、
実施はされませんでしたけど、地理的に頷ける提案は数々ありましたし、
戦前の道州制とも言える、内地の「州庁設置案」とかが通っていたら、
(仙台州・東京州・名古屋州・大阪州・広島州・福岡州の6州)
植民地エリアを巻き込んでの、大きな政治的変革が有り得たかも知れせんからね。
例えば北海道や沖縄にしたって、今では普通に日本の一部ですけど、
戦前までは、本土と植民地の中間に位置するような扱いでしたし、
システムが変わり、時間が経てば、やはり違ってくると思うんですよ。

そういう意味で言うと、「もしも大日本帝国が存続して、朝鮮独立があったら」よりも、
その大前提となる「もしも大日本帝国が存続して、全土が内地化された社会」の方が、
個人的には、興味深い妄想題材になるかと(笑)。
満州をどう扱うかはありますけど、少なくとも大日本帝国だけでも、
樺太・朝鮮・台湾・南洋諸島と、今よりずっと視野が広がりますし、
少なくとも、国内航空網は、現在よりも遥かに発達していたでしょうね。
テレビ番組のお天気コーナーとかも、北は北海道から、南は沖縄までの比ではありません!!
樺太や朝鮮の寒さと、台湾や南洋諸島の暑さとの対比は、今より遥かに大きくなるので。

それと、泥沼の内戦とか、日本支配からの独立闘争とかのif題材であれば、
朝鮮半島よりも、満州国の方が、更にネタ要素が富んでいて面白いかも?(笑)
満州国の理想に燃えて、祖国日本に対して戦いを挑む日系満州人とか、
反ソ連を掲げる白系ロシア人と、満州の共産化を目論む赤系ロシア人とか、
清朝の最高を目指す満洲族に、統一モンゴルを夢見る蒙古族。
中国人も、国共内戦の本国を憂いたり、満州の繁栄を謳歌したり、
朝鮮人も、準日本人と大手を振るったり、半島の独立闘争を準備したりと、
同床異夢の山積と言うか、カオスのるつぼみたいな場所でしたからね。

とは言え、それが30年50年と続き、世代が交代していけば、
それなりに国家としての体裁も整って行く訳で、保護国の状態が永続するよりも、
日本と1つの国家連合になるか、独立した国と国の関係になるか、
どちらかの方向には、恐らく進んでいく可能性が高いとは思うんですよね、必然的に。
また、スイス・ベルギー・インド・インドネシア・ソ連・ユーゴスラビア・イラク・レバノン等々、
世界にもモザイク国家は数多くありますし、崩壊や混迷する国があるのも事実ですが、
そこそこ機能している国もあり、確かに一旦危機を迎えると脆い構造ではあるものの、
独立闘争や共通の外敵と戦う経験をする事で、国として纏まっていく実例もありますし、
満州国にしても、対日独立戦争を経る事により、国家として団結できるかも知れません。
とは言え、一旦独立を勝ち取ると、今度は内戦を始めちゃう例も多いのは事実ですが(苦笑)。

最後に、10年前に調べた「大日本帝国の人口データ」を貼っておきますね。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c14846
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c14882
◆ 1940年(開戦前年)の日本内地の人口内訳 ◆
 ・ 総人口:7311万4308人
 ・ 内地人:7181万0022人(98.2%)
 ・ 朝鮮人: 124万1315人( 1.7%)
 ・ 台湾人:   2万2499人
 ・ 樺太人:      986人(アイヌは1932年に内地人扱いとなった為、恐らくウィルタやニヴフの事)
 ・ 南洋人:      246人
 ・ 外国人:   3万9237人(中国1万9453人/米国4755人/満州3787人/ドイツ2713人/英国1693人)

◆ 1940年前後の外地(全域&主要都市)の人口 ◆
 朝鮮【朝鮮総督府:13道】
 ・ 全  域  2370.9万人  日本人69.0万人( 2.9%)
 ・ 京  城    98.9万人  日本人15.9万人(16.1%)
 ・ 平  壌    34.2万人  日本人 3.2万人( 9.4%)
 ・ 釜  山    32.9万人  日本人 6.1万人(18.5%)

 台湾【台湾総督府:5州3庁】
 ・ 全  域  607.7万人  日本人34.9万人( 5.7%)
 ・ 台  北    28.8万人  日本人 8.2万人(28.5%)
 ・ 高  雄    8.7万人  日本人 2.0万人(23.0%)

 南樺太【樺太庁:8支庁】 ※1943年に内地編入※
 ・ 全  域    33.9万人  日本人33.7万人(99.4%)
 ・ 豊  原    3.7万人

 南洋群島【南洋庁:6支庁】
 ・ 全  域    12.9万人  日本人 7.7万人(59.8%)

 関東州【関東局:関東州庁】
 ・ 全  域  122.6万人  日本人18.5万人(15.1%)
 ・ 大  連    57.2万人  日本人17.0万人(29.7%)

 満州【満州国政府:18省1特別市】
 ・ 全  域  4320.3万人  日本人82.0万人( 1.9%)
 ・ 新  京    37.1万人  日本人 7.7万人(20.8%)
 ・ 奉  天    78.5万人  日本人 9.6万人(12.3%)
 ・ 哈爾浜    46.6万人  日本人 3.3万人( 7.0%)

◆ 大日本帝国(満州国含む)の大都市ランキング ◆
 1 位. 東  京 【内地】: 677.9万人
 2 位. 大  阪 【内地】: 325.2万人
 3 位. 名古屋 【内地】: 132.8万人
 4 位. 京  都 【内地】: 109.0万人
 5 位. 京  城 (朝鮮):  98.9万人
 6 位. 横  浜 【内地】:  96.8万人
 7 位. 神  戸 【内地】:  96.7万人
 8 位. 昭  南 (南方):  82.2万人  ※ シンガポールを占領改称 ※
 9 位. 奉  天 (満州):  78.5万人
 10位. 大  連 (関東):  57.2万人
 11位. 哈爾浜 (満州):  46.6万人
 12位. 新  京 (満州):  37.1万人
 13位. 台  北 (台湾):  35.4万人
 14位. 広  島 【内地】:  34.4万人
 15位. 平  壌 (朝鮮):  34.2万人
 16位. 釜  山 (朝鮮):  32.9万人
 17位. 福  岡 【内地】:  30.7万人
 18位. 川  崎 【内地】:  30.1万人
 19位. 八  幡 【内地】:  26.1万人  ※ 後に合併して北九州市 ※
 20位. 長  崎 【内地】:  25.3万人
 21位.   呉   【内地】:  23.8万人
 22位. 仙  台 【内地】:  22.4万人
 23位. 撫  順 (満州):  21.7万人
 24位. 仁  川 (朝鮮):  21.4万人
 25位. 静  岡 【内地】:  21.2万人
 26位. 安  東 (満州):  21.0万人
 27位. 大  邱 (朝鮮):  20.7万人
 28位. 札  幌 【内地】:  20.6万人
 29位. 佐世保 【内地】:  20.6万人
 30位. 函  館 【内地】:  20.4万人

> ノベルゲーだと趣向を変えて、尚泰とかも面白いかもしれないですね。
> ペリーの来航も9歳とはいえ国王として経験してますし、
> 琉球処分を琉球視点で描くというのも面白そう。

う〜ん、でも尚泰は、琉球処分により明治12年に東京へ移住して、
そのまま明治34年に亡くなってますからね。
「琉球視点で描く」というのは、確かに面白い案かと思われますが、
どうせなら、もう少し違った人物の方が、題材として向いているかも知れません。
特に、「琉球処分」に関して注目するのであれば、
日本への琉球併合や、先島諸島の清国割譲に反対したり、徴兵を拒否したりして、
清国へと亡命した琉球人たち「脱清人」の存在も、もっとフォーカスを当てたい所ではあります。
(北朝鮮からの亡命者を脱北者と呼び、琉球からの亡命者を脱清人と呼ぶのは、少し違和感・笑)

ただ、その一方で、「被害者としての琉球人」という安易な見方もしたくは無く、
琉球王国の植民地的存在であった先島諸島の事や、
近代化としての日本化を受け入れた琉球の下級士族の存在や、
支配する側の士族と、支配される側であった庶民との、見方の違いなども、
同じように、表現したい所ではありますね。
で、そうやって諸々考えると、大河ドラマ「琉球の風」のように、
主人公を史実の人物とするよりも、架空キャラとした方が、自由に動かせて良いかも知れません。
例えば東風平の出身とかにすれば、この地の出身である沖縄民権運動の父・謝花昇や、
この地を治めて建て直し、やがて中国へ亡命する義村按司 朝明とかとも、絡ませられるかと。

また、琉球処分から沖縄地上戦までが66年ですから、これだと1人の視点で描けそうですよね。
と言いますか、わずか66年ですので、著名な人物はパッと思い浮かばないものの、
名も無き一般市民の中には、この両方を体験した人たちも、少なからず居た事でしょう。
今から66年前というと、石原慎太郎の小説「太陽の季節」や「狂った果実」が大ヒットし、
その映画版に弟の裕次郎が出演して、国民的スターになったくらいの「昔」ですから。

でもまあ、琉球もそうですし、朝鮮や台湾などもそうですけど、
やはり、支配される側の人々のアイデンティティーというのは、
単純には言い表せない複雑さを孕んでますよね。
それこそ10年以上前、世界史Flashを作っていた頃に、
戦前の帝国議会で国会議員となった「朝鮮の朴春琴&台湾の林献堂」の動画も、
候補案の1つにあったのですが、その時に参考文献の1つとして読み、
いろいろと考えさせられた1冊がコチラ↓

「<日本人>の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮」
https://www.amazon.co.jp/dp/4788506483


▼ アメリカやロシアの話
> > また、1850年頃から現代までという、長い時間を対象とするのであれば、
> > 黒人差別・移民問題・宇宙開発・軍産複合・貿易摩擦といったピンポイント的な表現よりも、
> > 「経済」「財政」「外交」「軍事」「科学」「宗教」「思想」「人種」と、大きく分けて、
> > 黒人や移民の件は人種問題とか、宇宙開発は科学問題とかに分類しても良いかも?

> 科学問題にするともっと幅広いものが扱えますす、
> 人種とすれば、近年話題になっているスパニッシュの問題とか、
> それこそ日系人の強制収容やロス暴動みたいなのも扱えていいですね。

でもまあ、改めて考えてみると、史実の流れを熟知した上で、
それを なぞろうとしたり、はたまたif展開で ひっくり返したりなど、
メタ的に遊ぶのも、歴史ゲームの楽しみ方の1つではあるでしょうし、
有り得そうな展開を楽しむ目的であれば、それこそ近未来を題材にして、
同じ冷戦でも、「米中新冷戦」あたりを題材にした方が、
そっち方面での面白味というのは、増すのかも知れませんね。

> Qアノンとは思想なのかな……。
> Qアノン支持の大統領とかゲームだったらちょっと見てみたいかも。

ここでの雑談も少しは影響したのか、アメリカの政治的分断を調べる過程で、
最近ちょっと、今まで曖昧だったアメリカの国内政治史を、少し学び直しているのですが、
傍目から見ると、ずっと2大政党制であっても、
中身の部分は、意外と20〜30年くらいの単位で変わってるみたいですね。

共和党支持の赤い州(レッド・ステート)とか、
民主党支持の青い州(ブルー・ステート)とか、
私たちも普通に使いますけど、これにしたって、
明確にそうした傾向が現れたのって、21世紀に入ってからの事ですし、
そこから更に30年を遡れば、南部こそが民主党の強固な地盤であったり、
それこそ南北戦争まで遡ると、共和党の側が奴隷解放を訴えてたりしていると!!

まあ、この辺の事情は、日本の政治だって似たような事なんでしょうね。
かれこれ70年近く、日本では自民党が政権を握っていますけども、
55年体制下での自民党政権と、自社さ連立で再復帰した自民党政権と、
民主党政権の後に再々復帰した自民党政権とでは、
同じ「自民党」の看板を掲げていても、中身はまるで違っていますので。
(やはり、下野と奪取を繰り返すたびに、大きな変質が起こってますよね)
また、そもそも55年体制自体が、38年間の歴史でしかなく、
それが崩壊してから、既に28年も経ってる事を思えば、
昭和の頃の自民党政権を基準と見なすのも、実は間違ってるかも知れませんからね。

ちなみにQアノンに関してですが、「Qアノン支持の大統領」って、
別にゲーム内のifというよりも、普通に前大統領のトランプがそうだったのでは?
指示はしてなくても、支持していたからこそ、連邦議会への襲撃事件が起こった訳ですし。
あと、Qアノンを育んだネット上の苗床は、確実に「4chan」や「8chan」であり、
これは日本の「2ちゃんねる」から派生して生まれたモノなので、
実を言うと、日本は関係無いどころか、生みの親なのかも知れませんね(苦笑)。
それこそ、アノンが意味する匿名性も、まさに日本の2chからの流れですので。
(英語圏でありながら、魯迅の「阿Q正伝」から採っていたなら、知性を感じますけどね)

そういう意味では、日本のネトウヨ層がQアノンと親和性が高いのも、当然と言えば当然で、
「Jアノン」などとも呼ばれたりしますけども、ある意味では単なる逆輸入現象だとも言えます。
個人的には、こうした影響力の強さって、中国の民主化に向けて発動して欲しかったのですが、
まさか民主主義の本丸であるアメリカを、崩す方向に発動されるとは・・・・
でも考え方を変えると、戦前戦後を通じて、ここまで大きな影響を及ぼした対米工作は、
先にも後にも無かったのでは無いでしょうか?(別に、狙って行った訳じゃ無いですけど・苦笑)

> > まあ確かに、実名を用いると厄介という面もありますけど、
> > 私の場合、そうした実際のヤクザの情報とかに、まるで関心が無い為、
> > もしもゲーム化するとしても、扱うのは架空の組になるんでしょうかね。
> > そちらの方が、いろいろ無茶な設定とかも出来て、自由度が広そうですし。

> あとは、スターリンの葬送狂騒曲じゃないですけど、スターリン死後の権力闘争
> (だいたいスターリン死亡〜反党グループ事件〜ブレジネフの権力掌握)を
> マレンコフ、ベリヤ、フルシチョフやジューコフになって
> シミュレーションするというのも面白いような

そういえば、「スターリンの葬送狂騒曲」。
録画したっきり、まだ見てないなぁ・・・・
映画館のポスターで見て気になり、TSUTAYAの新作コーナーで見て気になり、
そしてNHK-BSでの放送を録ったんですけど、いつまで経っても見ないまま(苦笑)。

> > ロシアには「タタールのくびき」と呼ばれる、モンゴルに支配された歴史があり、
> > 長い年月で同化していたとは言え、ロシア貴族の2割はルーツがモンゴル系でしたし、
> > (モンゴル系19%・ドイツ系28%・ポーランド系27%・ウクライナ系21%・ロシア系5%)

> レーニンがタタール系ですよね。ロシアは本当に多民族国家という気がします。

もちろん、ロシアが多民族国家なのは そうなのですが、
我々が思う以上に、非常にアジア的・東洋的な国家でもあるんですよね。
ヨーロッパ人の側から見ると、特にその面がハッキリ見えてるはずですが、
非ヨーロッパ人からすると、そこがかなり見え難い所があるんだと思うんです。
まあ言うなれば、同じグループ内に居るからこそ、違いが際立って見える一方、
別のグループから見ていると、欧州内での違いというモノが解り難く、
しかも、その違いの部分こそが、我々と同じ部分なので、更に見え難いと・・・・


▼ 幕末維新やヤクザの抗争
> > まあ逆に、そうでもしないと、幕末から戦後までという人物はなかなか居ないんですよね。
> > 第1回・帝国議会の当選から、バカヤロー解散で落選するまで、
> > 60年以上も国会議員であり続けた「尾崎行雄」も、維新の頃はまだ10歳の子供ですし、

> 超脱線なんですけど、尾崎幸雄といえば、国会前の憲政記念館に入っているレストランは値段も
> それなりに手ごろでしっかりした料理がでてくるのでお勧めですよ……と思いましたが、
> 閉店してました。残念

言われてみると、あの辺りは何度も通ってますし、国会も見学した事はありますが、
憲政記念館に関しては、入った事が無かったですね。
コロナがなければ、「今度、行ってみようかな?」と思う所ですが、
やはり昨今の情勢もあり、最近はかなりフットワークが重くなっちゃいました。
私の性格的に、フラッと気軽に寄れないのは、あまり向いてないもので・・・・

> > そう考えると西園寺は、維新時は若干19歳とは言え、既に新政府の重要人物でしたし、
> > 黒船来航時も幼いとは言え西園寺家の当主で、11歳から朝廷に出仕しており、
> > 新選組から命を狙われ、慶喜逃亡後の二条城を接収し、戊辰戦争では河井継之助と戦いと、
> > もうこの時点で、ただの10代の若造ではありません(笑)。

> 維新、明治、昭和を扱える人物というとやはり、西園寺になりますかね。

それこそ繰り返しになっちゃいますけど、戦国期と帝国期という2つの動乱の時代を、
それぞれ1人の視点から時代を描こうとするなら、
前者は徳川家康でしょうし、後者は西園寺公望だと思いますよ。

> > 幕藩体制下の大名たちが、再び戦国大名化して、
> > 幕末維新の英雄を初め、戦前の軍人・政治家・財界人・文化人などが、
> > 各国の戦国武将として天下を争い、そこに欧米列強の介入も行われると・・・・
> > 新選組とか下剋上をさせて、甲斐あたりで国持ち大名にしたいですし(笑)、
> > 長岡藩士の子である山本五十六も、河井継之助の薫陶を受けて、立派な武将に育つかな?
> > 史実では負け組の仙台藩も、高橋是清・後藤新平・斎藤実あたりが揃っていて強そう。

> そうですね。明治日本を引っ張る人物が、それぞれの藩に分散する……と考えると面白そうですね。

って、どういう展開になれば、幕末から再戦国化に至りますかねえ?
まあ歴史上の事例を見てみると、中央政権が瓦解して、
それに取って代わるような強力な新勢力の存在が無いと、
そのまま群雄割拠状態に突入って感じになるパターンが多そうですけど。

う〜ん、攘夷強行して欧米列強に敗れ、幕府がその傀儡状態になるだとか、
戊辰戦争がどこかのタイミングで膠着化して、そのままグダグダ状態になるとか、
そういった可能性に絞られてくるのかなぁ?
考えてみると、関ヶ原にせよ、戊辰にせよ、短期決着しているからこそ、
次の時代へスパッと移行できた部分は大きいんですよね。

> > まあ当時の大陸には、それだけ多くの日本人が居たって事ですよね。
> > あれほど日本人が海外に出た時代は他に無い・・・と思いましたけど、
> > 実際の人数的には、グローバル化した今の方がずっと多いのかな?
> > という事で、気になったので少し調べてみた所、
> > 現在(2020年)の海外在留邦人は139万人で、
> > 戦前(1938年)の海外在留邦人は106万人ですね。
> > でも総人口は、現在は1億2600万人なのに対して、戦前は7000万人(本土のみ)と少ないですし、
> > 植民地の朝鮮に69万人、台湾に35万人、樺太に40万人、南洋に7万人は、恐らく別枠でしょうから、
> > それらを合わすと250万人を超えるみたいですね(更には日系人が別に約60万人)。

> まさにうちの親戚がそれで、大叔父が奉天の日赤病院で亡くなっているみたいです。

別に、移住してた訳では無いですけど、
曾祖父の弟も、二百三高地で亡くなってますね。

> 僕の曽祖父も総督府の役人でしたし、高祖父(曽祖父の妻の父)も朝鮮で事業をやっていたようです。
> 祖父も朝鮮で生まれています。

プライベートに関わる事なので、お答え戴かなくとも結構なのですが、
ここから直に東京なら解るのですが、なにゆえ途中で岐阜が挟まったのでしょう?
ちなみに私の場合は、単純に転勤族として育ったからですね。
あちこち移り住んだ所の1つが、たまたま岐阜であったと。

> 以前、朝鮮総督府の統計資料を見たのですが、やはり地理的な関係からか、
> 朝鮮に渡った日本人は山口県民が圧倒的に多かったみたいです。

そうでしょうね。
戦前はまだ、関門海峡に、橋もトンネルも架かってませんでしたから、
本州から朝鮮半島に渡ろうとする際には、博多発だけでなく、
下関発のルートも、それなりに多かったみたいですから。
あとは、長州閥による利益供与的な部分も、それなりに有ったかも?
それこそ最初の15年間は、長州人がずっと朝鮮統治のトップでしたし。

> > 日本の国民性を考えると、苦しみを共有し、一致団結して外敵と戦うのは、
> > 却って幕府と諸藩、武士と庶民の結び付けを強くしていたかも知れず、
> > 最終的には開国するにしても、流血を伴いながらの外敵排除という体験は、
> > 史実とは異なる、また別の日本の国家像を作り上げていたかも知れませんし、
> > それ自体は、決して荒唐無稽なif展開だとも思いませんね。

> また、ヤクザの話題で恐縮なんですが、まさに広島抗争がこんな感じでした。
> あれは、岡組の跡目争い(岡組一の実力者であった打越組vs呉の山村組)に
> 全国制覇を目指す山口組が乗っかってきたんですよね。
> で山口組・打越会・美能組連合vsその他の広島のやくざという抗争になり、
> 広島やくざ連合は最終的に共政会になり、山口組を撤退させる……と。

何だか、本宮ひろ志のマンガ的な世界観の話ですね(笑)。
ヤクザや不良学生で三国志演義みたいな事を、描くのが大好きな方なので。

> こういう経緯で、山口組は全国で広島と沖縄にだけ支部がないんですよね
> (沖縄は、山口組が全国制覇を目指した60年代はまだアメリカだったので、進出できなかった)。

ハッキリ言って、私はヤクザの抗争史とか、まるで把握してないんですけど、
こういう話が好きな方にすると、例えば数年前から続いている
六代目山口組と神戸山口組と任侠山口組との分裂騒動なんて、
注目を集める話題だったりするのでしょうか?

ちなみに政局だと、ほとんどの場合、分裂した側が基本的に消えてくのですが、
ヤクザの抗争とかも、それに似た印象は何となく持ってますね。
ただし今回の抗争に関しては、昨今の厳しいヤクザ取り締まり事情もあって、
分裂した側が先細るのは勿論の事、残された本体の側も弱まってる感じはしますし、
逆に言うと、パイが小さくなって、養える構成員の人数が減っていく流れだからこそ、
リストラの別の形として、抗争や分裂のようなトラブルが起った印象もあります。
まあ別に、内情とか全く知らないので、完全にイメージだけですけど。

あと、日本のヤクザはこんな現状ですけども、
中国の蛇頭や怒羅権などを始め、国内での外国勢力って、どんな感じになってるんでしょ?
この辺の裏社会の事情は、まるで関心が無い為、全く解ってないのが実際の所です。
ヤクザに対する締め付けが強化された反動で、外国勢力の台頭を招いたとも聞きますし、
その一方で、失われた平成の30年間により、日本は美味しい市場では無くなった為、
外国勢力の方も、わざわざそこまで苦労して手を伸ばしてこないと言うか、
本国で活動している方が、まだ儲かるような状況だとも聞きますし、実際はどうなんでしょ?


▼ これまでの100年と、これからの100年
> > > モロに受けてます。映画「ラストエンペラー」なんてまさにこんな感じですよね。
> > > 最初と最後だけ見ると200年くらい経っているように思えますけど、
> > > あれが1人の人生のうちで起こった出来事なんですよね。

> > 中国史だと、阿片戦争(1840)から、中華人民共和国の成立(1949)までが 109年。
> > 日本史だと、黒船来航(1853)から、東京オリンピック(1964)までが 111年。
> > 技術史だと、ライト兄弟の初飛行(1903)から、アポロの月面着陸(1969)までが 66年。
> > 世界史だと、フランス革命&ワシントン大統領就任(1789)から、冷戦終結(1989)までが 200年。
> > いや本当、中国だけに限らず、この「200年間」が本当に激動だったんだと思いますよ。

> この調子だと、これからの200年はもっと激動なんですかね。

う〜ん、でもここ30年くらいは、比較的穏やかじゃありません?
いや勿論、科学技術は進歩してますし、途上国も発展しましたし、
インターネットとグローバル化により、世界は本当に狭くなりましたけども、
それ以上の大きな変化は乏しいと言いますか、先進国側から見ると、
特に21世紀に入ってからの20年は、緩やかな停滞や衰退の時期だったか気がします。
まあ、大きな戦争が皆無なので、劇的な構造変化が起こってないからでも有るのでしょうけど。

> これだけ激動だとどうなるかも全然想像できないですよね。
とりあえず現状だと、中国を始めとした途上国の成長スピードや、日本の衰退スピードが、
四半世紀前に予想してたモノより、倍近く速いなって驚きはあるものの、
大きな構造変化は起こっていない為、歴史の流れ自体はそこまで想定外では無いかも?
逆に言うと、冷戦終結後の30年間は、そこまで予測を逸脱する出来事が生じなかったと。
それこそ世界地図を見ても、ここまで変化が乏しい時代って、他にもありましたかねぇ?

でもまあ、バイオ技術やナノ技術、AI技術などの発達により、
人間が自らの遺伝子を弄り、機械とも繋がり、高度に情報化して、
「人工進化」する時代は、もう近くにまで迫ってきているので、
あと数十年も経ったら、人類社会そのものが劇的に変化する可能性もあるのかな?
このままのペースだと40〜50年は掛かりそうなので、私などは微妙な年代ですけど、
近々に世界大戦級の戦争でもあれば、20〜30年後くらいまで早まるかも知れません。
・・・って、それはそれで、一市民からすると、決して体験したくは無いですがね(苦笑)。
台湾海峡であれ、朝鮮半島であれ、それが起これば、日本が巻き込まれる可能性は濃厚ですし。

それと、冷戦終結後の数十年間は、変動が小さい時代だったかも知れませんが、
100年 200年の単位で行くと、確かに予測できない所ではありますよね。
とは言え、それだけ長い期間となれば、大なり小なり、どの時代だって同じ事なのかも?
それこそ今から200年前と言えば、日本だと江戸時代な訳で、
江戸時代の人々が、今の日本社会を予測できたはずも無いですから・・・・
ただし山片蟠桃とかは、それこそ200年前に地球外生命の可能性について言及しているので、
本当に凄い知能の持ち主であれば、完璧にとは行かずとも、多少は予測が出来るのかな?

え〜と、例えば、100年後 200年後ともなると、
中華人民共和国が無くなっている展開は、普通に有り得そうかな?
と言いますか、成長が頭打ちになり、民主化という流れになれば、
数十年後だって、無くは無い話でしょうからね。
でも、だからと言って、「中国」という国自体が無くなる可能性は、まず無いだろうと。
また、現在の覇権国家であるアメリカにしても、その歴史は250年しか無い訳で、
200年後に国自体が無くなっていても、そんなに不思議な事では無いかも知れません。
アメリカの白人比率が過半数を割るのは、もう時間の問題ですし、
その時が迫るほどに、国内の分断は激しさを増していますから、分裂だって有り得る話です。
現在の年齢から、残りの寿命を確率的に推し量る「ゴットの推定」じゃないですけど、
やはり歴史の長い国の方が、今後も長続きする可能性は高そうですからねえ。
そういう意味では、100年後、200年後にも、日本は残ってるんじゃ無いですかねえ?

あとは、アニメとかゲームとかの未来設定だと、
1つの地球統一政府が出来てたり、幾つかの超巨大連邦が出来てたりしますけど、
100年 200年経っても、そうなる可能性は低そうかなぁ・・・・
まあ、宇宙人でも攻めてくれば、話は別ですけども、
何か共通の敵でも現れない限り、ちょっと難しい展開ですよね、それは。
しかし一方で、遊びの企画案として考えるのであれば、
それこそ赤い嵐の仮想シナリオのように、
50年後・100年後・200年後の世界地図を、いろいろ妄想してみるのも面白いかも?(笑)

> 1989年のニュートンが発行した21世紀はこうなるという本でも予測は全ぜなたってないですし、
> これから200年後にどうなるかを妄想してみるのも楽しいかもしれません……と思いましたけど、
> これってここのサイトで10年くらい前にやったような気が。

100年前の科学誌に載った「100年後の未来予測」記事を、
実際に100年経った現在、達成度を再確認するような雑談を行った記憶はあるんですけど、
あれは確か、世紀の変わり目だった気もするので、
そうなると10年前どころか20年前の事なので、これは違うでしょうし、
そうなると、2013年に行った企画「未来予定年表(2014年-2050年)」の方かな?
http://tokuou.g1.xrea.com/kikaku/mirai_nenpyou.html
あれは動画版↓も作りましたし、そこから結構時間も経過したので、
http://www.youtube.com/watch?v=QdVuDNP6iQI
また動画作りを再開する事があれば、「答え合わせ版」も作りたい思いはあります(笑)。
実際、予定が消えたり、遅れたりとか、いろいろ起こりましたからねえ・・・・
とりあえず、予定通りに行かなかった主立った項目を、幾つか抜き出してみました。

 2015年 4月 大阪都を設置(大阪市&隣接10市を大阪府と統合して20区に再編)
 2015年10月 消費税率が8%から、10%にアップ
 2015年12月 韓国軍の戦時作戦統制権を、在韓米軍から韓国軍へと移管
 2015年度内 築地市場(東京都中央卸売市場)を豊洲へと移転

 2016年内 インドが有人宇宙飛行を実行(アメリカ・ロシア・中国に次ぎ4ヶ国目)
 2016年内 世界最高層ビル「ブルジュ・ムバラク・アル=カビール(高さ1001m)」がクウェートに完成

 2017年12月 セヴァストポリ軍港の租借期間が終了(ウクライナがロシアに貸与中)
 2017年内 月着陸探査機「SELENE-2(かぐや後継機)」をJAXAが打ち上げ(韓国も参加)
 2017年度内 福島第一原発で、核燃料の取り出し作業を完了
 2017年頃 世界最高層ビル「キングダム・タワー(高さ1610m)」がサウジアラビアに完成

 2019年 3月 新国立競技場が建て替えで完成(開閉式ドームで収容8万人の陸上競技場)

 2020年 7月 東京(日本)で夏季オリンピックを開催
 2020年内 日本のJAXAが、後継機となる「H3ロケット」を初打ち上げ
 2020年度内 首都圏3環状道路「外環道(都心から半径15km)」が、湾岸線への接続区間を除き開通

 2021年 9月 今上天皇が87歳9ヵ月となり、有史で最長寿の天皇に(神話時代を除く)
 2021年度内 福島第一原発で、核燃料デブリ(粉塵ごみ)の除去作業を完了
 2021年頃 インドの人口が14億人に達し、中国の人口を上回り世界一に(国連予測)

この中で特にとなると、小池劇場による豊洲移転の延期であったり、
セヴァストポリ軍港の返還どころか、クリミア半島自体がロシアに併合されたり、
新国立競技場の設計案が変更され、本来の目的であったラグビーW杯に間に合わなかったり、
新型コロナで東京五輪が行えなかったりなど、その辺りが想定外の出来事でしたかねぇ?
原発の処理とか、そんな理想通りに進むとは、正直思ってませんでしたし・・・・

> > 清王朝の崩壊から、中華人民共和国の成立までが、わずか37年の出来事であり、
> > 日本の朝鮮統治が35年、台湾統治が52年である事を思うと、本当にアッという間だったかと。
> > 旧時代人が歴史の激流に翻弄される実感は、それこそ鳥居耀蔵が感じた以上かも?
> > 人民解放軍の「建軍の父」と評される朱徳は、その軍歴を清王朝の軍学校から始めてますし、
> > 満州国の首相を務めた張景恵は、日清戦争時に結成した自警団から馬賊に発展して、
> > 戦後は獄中生活のまま、人民共和国の成立から10年後に亡くなるんですよね。
> > 彼らに比べれば、毛沢東は少し若いですけど、辛亥革命では一兵士として参加しており、
> > 蒋介石は清朝末期に日本へ軍事留学して、辛亥革命には一指揮官として参加していて、
> > そんな2人が、1970年代中盤まで、台湾海峡を挟んで睨み合ってた訳ですからねえ・・・・
> > 溥儀だけに限らず、当時の中国の長命な有力者は、誰もが時代の激動を体感したかと思います。

> この辺の中国で長命というと張学良ですよね。ただ戦後は軟禁状態ですし、
> ちょっと影が薄い人物ですかね。
> ただ、90年代のテレビに出演したりしてるのはやっぱりすごいかも。

そうですね、張学良も思い浮かんだのですが、
おっしゃられる通り、半世紀に渡る軟禁生活でしたからねえ。
とは言え、台湾が民主化されるまで生き延び、そしてハワイへと移住して、
そこから更に10年生き、2001年に100歳で亡くなった訳で、やはり凄いとは思いますよ。

そういう意味では、先日99歳で亡くなった英国のフィリップ殿下なども、
既に歴史上の存在となっている「ギリシャ王国」の王子だった訳で、
やはり100年くらい生きていると、時代の違いに驚かされます。
まあ、私の祖父母とかも、共に明治生まれで90代半ばまで存命だったので、
「生きてる徳川慶喜や渋沢栄一を知ってたんだよな」とか、
大河ドラマを見ていても、ふと思っちゃうんですよね。


[23559] Re:もう、雑談に専念しちゃいます?(笑) (その2)返信 削除
2021/4/21 (水) 00:29:10 のたねこ

▼ 徳翁導誉さん

> と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。


横から失礼します。どうしても気になったので一点だけ。

保護国のままで充分についてですが、
日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
保護国のままで充分という事でしたら、
司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
これは伊藤博文が統監で行ったことです。

この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。


[23561] 帝国主義時代の保護国と朝鮮統治に関して返信 削除
2021/4/27 (火) 19:34:09 徳翁導誉

> > と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> > そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> > 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。

> 横から失礼します。どうしても気になったので一点だけ。

いえいえ、横レス大歓迎ですよ!!
だからこそ、掲示板スタイルに拘ってる面がありますし。

> 保護国のままで充分についてですが、
> 日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
> 保護国のままで充分という事でしたら、
> 司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
> これは伊藤博文が統監で行ったことです。

う〜ん、これは「保護国」という単語に対する捉え方の違いなんじゃないですかねえ?
保護国というのは、「外交権や国防権が制限される国」を意味しますが、
しかし、だからと言って「それ以外の主権が保証されている」とは限りません。
確かに現代であれば、バチカンやアンドラに、オセアニアで自由連合を結ぶ国々など、
内政権を保証されるのが常ですけど、100年前の世界だと、決してそうではありませんでした。
内政権の制限度合いに関わらず、外交権や国防権が制限されていれば、それは保護国となります。
なので、「絶対に行わない」という見解は、現在の価値観で歴史を見ている印象を受けますね。

逆に尋ねますと、当時の欧米列強の保護国は、どれほど内政権を持ち得ていたのでしょう?
私も詳しくは知りませんが、イギリスやフランスの保護国とされた各国には、
日本と違って、司法権や警察権などが充分に付与されていたのですか?
宗主国に司法権や警察権を握られた国の方が、恐らく多数派だったとますし、
後追いの帝国主義国であった日本は、良くも悪くも、英仏のやり方を真似てたかと。
まあ、あの時代においては、「保護国≠植民地」ではなく、「保護国≒植民地」でしたから、
治安や特権の維持を考えると、警察や裁判所は押さえておくのが、一般的な気がしますね。
言い換えるなら、外交権や国防権は勿論の事、仮に内政権の多くを奪われていたとしても、
宗主国に併合されず、国家の体裁を整え、形式的にでも政府があるのであれば、
カッコ付きでも独立国として名義的に存在する以上、それは保護国と呼べると思うんです。
そして「保護国のまま」とは、「本国に併合しない」と同義の意味で用いています。

また歴史用語としても、日露戦争後から韓国併合までの大韓帝国の事を、
「保護国」と呼ぶのは、一般的な用法だと私は感じるのですが、
のたねこさん的には違和感があり、別の用語を用いたい所なのでしょうか?
「自治国」だと、既に国家に内包されている国家ですし、
「従属国」だと、封建的な上下関係のイメージがありますし、
「付庸国」だと、自治国と従属国の間にある曖昧な感じがするので、
そうなると、やはり保護国あたりが無難な表現かなと、個人的には思いますけど。

と言う事で、何も私が「保護国」という用語を用いたからと言って、
伊藤博文や統監府が、大韓帝国の内政権を侵していないとは、全く考えていませんし、
その前後で「韓国併合に反対の立場」や「併合の流れには逆らえない」と語っている以上、
そもそも論として、韓国側の主権尊重を念頭に置いた話の流れでは無いと思うんですよ。
実際の伊藤にしたって、あくまで日本側の都合で物事を考えており、
別に韓国側の都合などは、大して主眼を置いていなかったはずで、
要するに、日本の利益を最大化する為に、朝鮮人を懐柔する目的での文治主義ですね。
これは、現在の価値観から語る善悪の話ではなく、歴史や社会学としての話です。

あと、ついでに言うと、伊藤博文が暗殺されたのは1909年10月の事であり、
統監府司法庁の設置が同年11月、統監府への警察委託が1910年6月、韓国併合が同年10月ですから、
1907年の第3次協約により、日本の影響力が司法権や警察権にまで及んだのは確かですけど、
「剥奪」とまでの強い表現が適当となるのは、伊藤の死後なのでは無いでしょうか?
もちろん、そうした流れは伊藤の存命中から既に出来てましたし、
併合に反対という意見は、何も併合絶対阻止という対応と同義では無いので、
「伊藤が生きていれば韓国併合は無かった」とか、言っている訳ではありません。
と言いますか、独立抗争や同化の話題である以上、併合自体は大前提の話でしたからね。


・・・と、ここまでは主に保護国について語ってきましたけど、
確かに言われてみると、朝鮮における司法や警察の実態って、どんな感じだったんでしょ?
私自身、満洲や台湾に比べると、朝鮮統治の知識は正直不足してるんですよね。
という事で、簡単にですが、資料を調べてみました。

【朝鮮総督府の司法人員】
      判事           検事
 1910年  全254 朝71 (28%)   全 60 朝 6 (10%)
 1918年  全195 朝35 (18%)   全 69 朝10 (14%)
 1921年  全193 朝37 (19%)   全 76 朝10 (13%)
 1924年  全183 朝33 (18%)   全 75 朝 9 (12%)
 1927年  全186 朝31 (17%)   全 82 朝 9 (11%)
 1936年  全204 朝39 (19%)   全 93 朝 7 ( 8%)
 1937年  全224 朝45 (20%)   全107 朝11 (10%)

【朝鮮総督府の警察人員】
      全警官             警視      警部
 1930年  日10687 朝6976 (39%)   全62      全423
 1938年  日11737 朝8077 (40%)   日62 朝9   日388 朝89
 1943年  日14747 朝7968 (35%)   日77 朝8   日482 朝75

【朝鮮総督府の職員数】
      高等官           全職員
 1910年  全1100            全14529
 1915年  日 726 朝353 (33%)    日15145 朝10790 (42%)
 1920年  日 784 朝356 (31%)    日22293 朝14157 (39%)
 1925年  日 865 朝366 (30%)    日26687 朝14711 (36%)
 1930年  日1143 朝360 (24%)   日31761 朝17047 (35%)
 1935年  日1292 朝363 (22%)   日35642 朝20323 (36%)
 1940年  日1737 朝416 (19%)   日49907 朝36002 (42%)
 1942年  日2012 朝442 (18%)   日57302 朝45919 (44%)
※ 1937年の朝鮮移住者の41.4%が総督府官吏 ※

【朝鮮総督府 普通文官試験の合格者数】
 1919年  日59 朝 9 (13%)
 1925年  日21 朝 7 (25%)
 1930年  日27 朝17 (39%)
 1935年  日22 朝34 (61%)
 1939年  日41 朝95 (70%)

【朝鮮 京城帝国大学の学生数】
      学生数          法学部       医学部       理工学部
 1926年  全150 朝 47 (31%)   日 51  朝 33   日 52 朝 14
 1930年  全573 朝190 (33%)   日164 朝 90   日219 朝100
 1935年  全677 朝212 (31%)   日156 朝115   日309 朝 97
 1941年  全714 朝308 (43%)   日156 朝127   日227 朝165   日23 朝16

【台湾 台北帝国大学の学生数】
      学生数          文政学部    理農学部    医学部
 1928年  全 55  台 6 (11%)   全19 日16   全36 日33
 1930年  全180 台20 (11%)   全92 日80   全88 日80
 1936年  全 96  台25 (26%)   全53 日39   全43 日32   全40 日24
 1941年  全258 台63 (24%)   全71 日68   全99 日95   全88 日32

ついでに、満洲・建国大学1期生の民族比率を見てみると、
全141名中、日本70名・中国&満洲46名・朝鮮10名・台湾3名・蒙古7名・ロシア5名。
続いて、満州国の官僚(1935年)の民族比率を見てみると、
中央機関は全4939名中、日本&朝鮮2386名・中国&満洲2474名・蒙古41名・ロシア38名で、
地方機関は全7100名中、日本&朝鮮3249名・中国&満洲3517名・蒙古282名・ロシア52名。
1932年の建国当時は、中央における日系官吏の上限を2割としたものの、
わずか3年で、5割近くに達しています。

う〜ん、朝鮮統治は満洲統治のモデル・ケースとなった為、
イメージしていた数値と、そこまでの開きは無かったのですが、
合併後の総督府時代に比べると、合併前の統監府時代のデータは、
想定の範囲内ではあるものの、そう簡単には見つかりませんでしたね・・・・
のたねこさんは、統監府時代のデータとか、何か御存知でしょうか?
教えていただければ、幸いです。

第3次日韓協約の内容だけだと、組織のトップに日本人を据える程度ですが、
日本は第二次大戦中、軍事占領した欧米列強のアジア植民地に対して、
日本人顧問を派遣しての「内面指導」を行っていましたから、
それと似たような事は、恐らく併合前の朝鮮半島でも行っていたと思いますし、
一方で、やはり併合後と比べれば、そこまで あからさまでは無いと思うんですよね。

> この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
> 話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。

いや〜、事実は1つであっても、視点が異なれば見え方も違うので、
基本的には何事も、立場が変われば、認識はズレるものだと思ってます(笑)。
そういう意味では、認識を合わすとか、決着が付くとかが、そもそも難しいと思いますよ。
出来る事と言えば、相手の立場にも立って考え、相手の認識を推し量るくらいでしょうか?
それが行えれば、双方の妥協点も見出し易くなりますからねえ。
逆に言うと、自分の立場でだけ語っていては、折り合いなど付かないですし、
一方が他方に擦り寄るだけでは、完全な解決には至らないはずです。

・・・と、抽象的な話はさておき、
「もしも大日本帝国が存続していたら、朝鮮半島はどうなったか?」
などという話題は、客観的な歴史事実を踏まえる必要がある為、
余程の相手でも無い限り、韓国人と冷静に思考実験するのは困難でしょうし、
朝鮮は植民地じゃなかったとか、日本統治は素晴らしかったなどと主張する日本人とも、
まともに話し合うのは無理な議題だろうとは思います。
やはり一般的には、日本人だ韓国人だという立場を離れて物事を考えにくいでしょうし、
どうしたって、感情面が複雑に絡んでしまう人が多いでしょうからね。
しかも近頃は、そうした乖離を各国政府が後押し、利用する状況にありますので・・・・

あと、念のために、ついでに言っておくと、
私は学生時代、第2外国語は中国語でしたし、趣味で韓国語も囓っていたので、
こんな話題をしてますけど、別に嫌韓とか 反中とか 右翼とかではありませんよ(笑)。
恐らく根幹にあるのは、「多民族国家としての日本」というテーマと、
「民族認識と帰属意識」というテーマに関する興味だろうと思います、個人的には。
そういう意味では、台湾における本省人と外省人であったり、
ドイツ人とオーストリア人や、ロシア人とウクライナ人の関係なども興味の対象ですし、
日韓間で言うと、未だ日本や韓国などの国は無く、対馬海峡上に国境線など無かった古代、
人々はどのように交流し、そして時の流れと共にどう線引きされるに至るのかも、
興味の対象ではあります(当時の古墳や遺跡とか、共同で世界遺産を目指して貰いたい所)。


[23564] Re:帝国主義時代の保護国と朝鮮統治に関して返信 削除
2021/4/29 (木) 01:40:29 のたねこ

▼ 徳翁導誉さん
保護国と植民地的な保護領が
ごちゃごちゃになっている気がしますが、
保護国=植民地という事を表現したかったという事で
受け取ります。

長文のレスありがとうございました。

「多民族国家としての日本」というテーマですと、
日本人は創始改名を行い、
現地の人を二等市民扱いしてしまったわけで、
当時これでどうやって多民族国家を築けるのかという…。

最近は「多民族国家としての中国」というテーマの方が
現実味を増してきてるような気がするのだが…。
アルジェリアの山間部に高速道路を中国人が建設した
というニュースを見てさすがにこれはクレイジーだなと…。
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2017-04/26/content_40698496_4.htm
どうしてこういう事をするんでしょうね…。


[23568] では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/4 (火) 21:03:11 徳翁導誉

> 保護国と植民地的な保護領が
> ごちゃごちゃになっている気がしますが、

いやいや、ゴッチャにしているつもりは、まるで無いですよ。
それに、単なる意見の相違とかでしたら、私も別に気にならないのですが、
言葉の定義に関して「違う」と言われると、私の性格的に非常に気になります(笑)。

では、のたねこさんのおっしゃられる「保護国」とは、
一体どのような定義で、この用語を用いられているのでしょうか?

また、日韓併合前の統監府時代が「保護国では無い」と言う事であれば、
あの当時の「大韓帝国」に対して、一体どのような用語が適当だと思われるのでしょうか?

> 保護国=植民地という事を表現したかったという事で
> 受け取ります。

う〜ん、どのように受け取られるかは、個々人の自由ですけども、
少なくとも私自身は「保護国=植民地」とは思っていませんし、そう書いてもいません。
そもそも保護国と植民地は異なる概念の言葉なので、イコールで結ばれるモノでは無いかと?
もちろん、植民地の一形態として、保護国という形もありますが、
保護国が必ずしも、植民地な訳では無いですし、
植民地が必ずしも、保護国な訳では無いですからね。

でもまあ、そういう細かい言葉の定義は別として、
少なくとも、今回の朝鮮半島についての話題に関しては、
併合前の統監府時代であれ、併合後の総督府時代であれ、統治方法に違いはあれど、
両時期とも「朝鮮半島が日本の植民地であった」という認識を、私自身は持っているので、
日本の保護国であった統監府時代も、植民地であったと見なしているのは確かですね。


> 「多民族国家としての日本」というテーマですと、
> 日本人は創始改名を行い、
> 現地の人を二等市民扱いしてしまったわけで、
> 当時これでどうやって多民族国家を築けるのかという…。

そもそも多民族国家とは、「多くの民族により構成される国家」の事を意味する為、
どの民族が、どのような扱いを受けているかとは、全く別次元の話ですよ。

また、そもそも完全な単一民族国家など存在しないのは事実として、
どこからを多民族国家と呼ぶかの基準も、特に無いかとは思いますが、
とりあえず、この前の「大日本帝国の人口データ」を見てもらうと、
当時、1億人強いた大日本帝国の人口のうち、
日本系が7割、朝鮮系が2割、台湾系を含む その他が1割ですから、
少なくとも現状に比べれば、充分に多民族国家と呼べたかと?
あのまま帝国が存続していれば、民族的にも居住地的にも更に混ざったでしょうしね。

ちなみに、以前より掲示板で語っている
「多民族国家としての日本」というテーマについて言うと、
第1に、現在よりも多民族であった、戦前の日本社会に関する考察。
第2に、もしも帝国が崩壊せず、多民族社会が更に深化したであろうif展開の考察。
第3に、それら程では無いにせよ、日本在住の外国人が増え続けている現実社会の考察。
これら3つを含めて、「多民族国家としての日本」という1つのテーマにしています。

あと、そもそも論で言ってしまうと、
皇民化政策は実質、大東亜戦争(日中&太平洋戦争)が起きた事で進められた反面、
「大日本帝国の存続」という条件設定を考えると、戦争回避は重要なポイントですから、
そちらのif展開を選んだ場合には、史実である皇民化政策の方も変わってくるでしょうね。
日本の戸籍制度や夫婦同姓制度が、徴兵制にリンクして明治期に作られたように、
朝鮮の創氏改名や、台湾の改姓名も、将来的な徴兵制導入を見越してのモノだったはずで、
あのような苦しい戦局を経なければ、もっと異なる展開になっていた可能性は充分にあります。

また一方で、史実だと、そうした苦しい戦局にあったからこそ、
終戦の直前に選挙法が改正され、外地にも衆議院の選挙区が作るれまでになると。
(ちなみに内訳は、内地466議席・朝鮮23議席・台湾5議席・樺太3議席)
まあ結局は、実際に衆院選が行われる前に、日本は敗れて選挙は行われないのですが、
もしも戦争が無ければ、外地での選挙区設置は、史実以上に遅れてたでしょうね。
とは言え、大正デモクラシーが長続きするようなif展開であれば、
樺太にも内地と同じ法律を適用したり、民族に関わらず男子に選挙権を与えた時代なので、
外地で議席数を稼げそうな政党が政権を握れば、想像する以上に早く実現した可能性も?
ただ、大正デモクラシーの衰退は、世界大恐慌の影響も大きかった為、
この世界的な出来事を回避するのは、戦争回避のシナリオよりも実現が厳しいかな・・・・

それと、朝鮮人や台湾人が「二等市民」として扱われたのは、間違いとは言えないものの、
より厳密に言えば、差別されたのは民族自体よりも「外地在住者」でした。
簡単に言うと、主に徴兵制以外は、朝鮮人でも内地に住んでいれば日本人扱いであり、
日本人でも外地に住んでいれば、基本的に現地人扱いでしたので、
それこそ選挙権で言うと、外地には終戦直前まで選挙区が設置されていなかった為、
選挙権はあっても、投票が出来ないなんて仕組みになっていた訳です。
逆に言えば、朝鮮人や台湾人であっても、内地在住であれば投票が行えましたし、
中には、東京3区から出馬して当選した「朴春琴」のような人物も居ました。

って、だからと言って、民族差別は無かったなどと言うつもりは、毛頭ありませんよ!!
大部分の日本人は日本本土に住んでおり、大部分の朝鮮人は朝鮮半島に住んでいたのですから、
外地差別というのは、民族差別と、ほぼ同義であったと見て当然かと思われます。
しかも、日本人以外が内地に移住するには、あれこれと条件が課せられてましたし、
制度的な差別以上に、経済的・教育的・感情的な差別がありましたからね。
そして、そのような外地差別があった事こそ、朝鮮や台湾が植民地であった証と考えています。
本国と同等の権利を有するか、それ相応の自主権を有するか、
そのどちらかを満たさない限りは、どう言い繕っても、それは植民地だと私は思うので。


> 最近は「多民族国家としての中国」というテーマの方が
> 現実味を増してきてるような気がするのだが…。

現実味も何も、中国は今も昔も、ずっと多民族国家だと思いますけど、
のたねこさん的には、一体どのような意味合いで
「多民族国家」という単語を用いているのでしょうか?
また現在、中国共産党は、漢族と その他55の民族を全て一纏めにして、
新たに「中華民族」という概念を作ろうとしていますので、
現在進行形の話としては、「単一民族化させようとする中国」の方が適当かと。

・・・って、ひょっとしたら、これって逆説的な意味で、
同化政策が進み、「多民族」では無くなりつつあるという問題提起なのでしょうか?
だとすれば、帝国期の日本に関する話も、筋が通るような気はします。
皇民化政策により、大和系も、朝鮮系も、台湾系も、その他の民族が全て、
「日本民族」として同化してしまえば、確かに「多民族」では無くなりますよね。
それこそ昔の琉球民族も、今では単に沖縄県民となってますから(特に若い世代は)。

でもまあ、例えばアメリカのような移民国家だと、民族的な集団社会では無い為、
多人種・多文化な国家ではあっても、多民族な国家とまでは言い辛いですし、
ソ連だって崩壊するまでは、民族意識の上に、ソ連人としての国民意識がありましたからねえ。
なので大日本帝国も、あのまま存続し、仮に同化政策が上手く進んでいたら、
「帝国臣民」や「日本人」という意識を持ちつつも、ルーツとしての民族性は持ち得たかも?
それこそ沖縄県民が、「日本人であり、ウチナーンチュ(沖縄人)である」と感じているみたいに。
(本来は、ウチナーンチュが本島人で、シマンチュが諸島人でしたが、現在では共に沖縄人の意味)

また、在日コリアンにしても、南北の代理戦争の場と化した実状を踏まえると、
現在の3世4世などは、かなり日本社会に同化していると言えますし、
これでもし、韓国も、北朝鮮も、朝鮮戦争も、敗戦も無ければ、
在日コリアンの日本人化は、現状以上に、もっと進んでいたはずです。

> アルジェリアの山間部に高速道路を中国人が建設した
> というニュースを見てさすがにこれはクレイジーだなと…。
> http://japanese.china.org.cn/business/txt/2017-04/26/content_40698496_4.htm
> どうしてこういう事をするんでしょうね…。

え〜と、これが多民族国家という話題と、どのように関連するかは不明ですが、
それは一旦置くとして、どこが疑問で、何をクレイジーと感じられたのでしょうか?

まず初めに、片側3車線というのは、高速道路の一般的な規格ですね。
高速道路というのは、都市と都市とを結ぶ大動脈なので、
その途中が僻地だからと言って、車線まで狭めては効果が減じてしまいます。
続いて、山間部に高速道路を建設するのは、地図とか見てもらうと解るのですが、
アルジェリアって地中海のすぐ傍までアトラス山脈が迫り出している為、
沿岸部から少しでも内陸部に道路を敷こうとすると、どうしても山越えになるんです。
また、アトラス山脈を越えると、広大なサハラ砂漠が広がっているのですが、
ここはイブン=バットゥータやカンカン=ムーサ王の時代から、
ニジェール川流域の内陸都市と、地中海とを結ぶ、古くからの交易ルートであり、
行商人がラクダで運んだ道が、高速道路として生まれ変われば、有益性はあろうかと?

それに、こうしたインフラ建設というのは、何も中国が勝手に行っている訳ではなく、
アルジェリア政府が公共工事と依頼しているから、中国企業も作る訳です。
そして、そういう仕事をしているのは、別に中国だけに限らず、日本企業もそうです。
と言いますか、ここ10年余りで逆転されただけで、
それまではずっと、こうした事業を最も積極的に行ってきたのが日本でしたし、
(アフリカ各国の首脳を東京に呼ぶ「アフリカ開発会議」は、朝貢外交な雰囲気も・笑)
以前に比べれば存在感は薄くなりましたが、今でも日本だって行っていますよ。
それこそ、アルジェリア北岸を横断する「東西高速道路」の方に関しては、
西側が中国企業の担当で、東側が日本企業の担当でしたので(笑)。
ただ、日本企業は工事費未払いで途中撤退し、中国企業が全線開通させましたがね。

では、何故「こういう事をする」のかと問われれば、普通に「ビジネスだから」です。
もう少し解りやすく説明すると、国内でインフラ整備の需要が少なくなると、
会社を維持する為には、海外でのインフラ事業を受注する必要が出てきます。
この時、自国政府が途上国を支援する際に、条件として自国企業に受注させれば、
支援金は結局自国へ戻ってくる上に、途上国への貸し付けであれば そちらも後で戻ります。
簡単に言ってしまえば、国内で行っていた公共工事を、海外に舞台を移すだけの話です。
まあ途上国の側も、インフラが整うならWin-Winの関係ではありますし、
インフラが整えば、今度は工場の進出であったり、市場の新規開拓が出来る上、
その国の上層部とコネが築ければ、いろいろ互いに美味しい思いが出来ると(笑)。

ですが中国の場合、日本と違って、相手国が貸付金が返せなかった場合、
借金の棒引きとかはせず、港湾とか鉱山とか差し押さえちゃんですよね・・・・
また、現場の建設労働者も、現地の人間を使わず、中国本国から連れてきたりするので、
単にインフラが整うだけで、相手国の地元経済は別に潤わないと。
まあ、こうすれば、支援金のリターン率が高いのは事実なのですが、
現地民の感情は、あまり買えませんよね。
とは言え中国企業も、好印象よりも安さで商売しているので、大して痛手はありません。
そういう意味では、日本の支援は善意的・・・と言いますか、
中国よりも先進国である為、そうやらないと商売に為り難い事情とかがあったりします。


[23572] Re:では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/7 (金) 21:26:33 のたねこ

▼ 徳翁導誉さん
保護国≒植民地と書いてあったので、
おおよそ等しいとこちらは受け取りましたが、
そうではなかったのでしょうか…。

内容の受け取り違いが続いてはいけないので、
今回はここで書くのを止めにします。

ありがとうございました。

別の話題が上がった時、
機会があればまたその時よろしくお願いします。


[23575] Re2:では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/11 (火) 21:34:18 徳翁導誉

> > > > > > と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> > > > > > そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> > > > > > 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。

> > > > > 保護国のままで充分についてですが、
> > > > > 日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
> > > > > 保護国のままで充分という事でしたら、
> > > > > 司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
> > > > > これは伊藤博文が統監で行ったことです。
> > > > > この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
> > > > > 話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。

> > > > う〜ん、これは「保護国」という単語に対する捉え方の違いなんじゃないですかねえ?
> > > > 保護国というのは、「外交権や国防権が制限される国」を意味しますが、
> > > > しかし、だからと言って「それ以外の主権が保証されている」とは限りません。
> > > > 確かに現代であれば、バチカンやアンドラに、オセアニアで自由連合を結ぶ国々など、
> > > > 内政権を保証されるのが常ですけど、100年前の世界だと、決してそうではありませんでした。
> > > > 逆に尋ねますと、当時の欧米列強の保護国は、どれほど内政権を持ち得ていたのでしょう?
> > > > まあ、あの時代においては、「保護国≠植民地」ではなく、「保護国≒植民地」でしたから、
> > > > 治安や特権の維持を考えると、警察や裁判所は押さえておくのが、一般的な気がしますね。
> > > > また歴史用語としても、日露戦争後から韓国併合までの大韓帝国の事を、
> > > > 「保護国」と呼ぶのは、一般的な用法だと私は感じるのですが、
> > > > のたねこさん的には違和感があり、別の用語を用いたい所なのでしょうか?

> > > 保護国と植民地的な保護領が
> > > ごちゃごちゃになっている気がしますが、
> > > 保護国=植民地という事を表現したかったという事で
> > > 受け取ります。

> > いやいや、ゴッチャにしているつもりは、まるで無いですよ。
> > では、のたねこさんのおっしゃられる「保護国」とは、
> > 一体どのような定義で、この用語を用いられているのでしょうか?
> > また、日韓併合前の統監府時代が「保護国では無い」と言う事であれば、
> > あの当時の「大韓帝国」に対して、一体どのような用語が適当だと思われるのでしょうか?

> 保護国≒植民地と書いてあったので、
> おおよそ等しいとこちらは受け取りましたが、
> そうではなかったのでしょうか…。

こと、大韓帝国の件に関してであれば、
そう受け取ってもらって構いませんよ。

> 内容の受け取り違いが続いてはいけないので、
> 今回はここで書くのを止めにします。

「保護国であれば、司法権と警察権の剥奪は絶対に行われない」とか、
「保護国と植民地的な保護領が ごちゃごちゃになっている」という話の内容が、
私には未だに理解できてなかった為、
「では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?」という問いに関しては、
のたねこさん自身の認識を、キチンと伺いたい所ではありましたけどね。

「認識がしっかりしないと、話し合いはいつまでたっても決着が着かない」と、
最初の最初に、のたねこさん自身がおっしゃってましたし、
「内容の受け取り違いが続いてはいけない」との理由で止められてしまっては、
それこそ、相互理解が出来ない状態を固定化してしまう気がしますので。

> ありがとうございました。
> 別の話題が上がった時、
> 機会があればまたその時よろしくお願いします。

はい、ではまた機会がありましたら。

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