[スレッド全体]

[23561] 帝国主義時代の保護国と朝鮮統治に関して返信 削除
2021/4/27 (火) 19:34:09 徳翁導誉

> > と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> > そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> > 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。

> 横から失礼します。どうしても気になったので一点だけ。

いえいえ、横レス大歓迎ですよ!!
だからこそ、掲示板スタイルに拘ってる面がありますし。

> 保護国のままで充分についてですが、
> 日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
> 保護国のままで充分という事でしたら、
> 司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
> これは伊藤博文が統監で行ったことです。

う〜ん、これは「保護国」という単語に対する捉え方の違いなんじゃないですかねえ?
保護国というのは、「外交権や国防権が制限される国」を意味しますが、
しかし、だからと言って「それ以外の主権が保証されている」とは限りません。
確かに現代であれば、バチカンやアンドラに、オセアニアで自由連合を結ぶ国々など、
内政権を保証されるのが常ですけど、100年前の世界だと、決してそうではありませんでした。
内政権の制限度合いに関わらず、外交権や国防権が制限されていれば、それは保護国となります。
なので、「絶対に行わない」という見解は、現在の価値観で歴史を見ている印象を受けますね。

逆に尋ねますと、当時の欧米列強の保護国は、どれほど内政権を持ち得ていたのでしょう?
私も詳しくは知りませんが、イギリスやフランスの保護国とされた各国には、
日本と違って、司法権や警察権などが充分に付与されていたのですか?
宗主国に司法権や警察権を握られた国の方が、恐らく多数派だったとますし、
後追いの帝国主義国であった日本は、良くも悪くも、英仏のやり方を真似てたかと。
まあ、あの時代においては、「保護国≠植民地」ではなく、「保護国≒植民地」でしたから、
治安や特権の維持を考えると、警察や裁判所は押さえておくのが、一般的な気がしますね。
言い換えるなら、外交権や国防権は勿論の事、仮に内政権の多くを奪われていたとしても、
宗主国に併合されず、国家の体裁を整え、形式的にでも政府があるのであれば、
カッコ付きでも独立国として名義的に存在する以上、それは保護国と呼べると思うんです。
そして「保護国のまま」とは、「本国に併合しない」と同義の意味で用いています。

また歴史用語としても、日露戦争後から韓国併合までの大韓帝国の事を、
「保護国」と呼ぶのは、一般的な用法だと私は感じるのですが、
のたねこさん的には違和感があり、別の用語を用いたい所なのでしょうか?
「自治国」だと、既に国家に内包されている国家ですし、
「従属国」だと、封建的な上下関係のイメージがありますし、
「付庸国」だと、自治国と従属国の間にある曖昧な感じがするので、
そうなると、やはり保護国あたりが無難な表現かなと、個人的には思いますけど。

と言う事で、何も私が「保護国」という用語を用いたからと言って、
伊藤博文や統監府が、大韓帝国の内政権を侵していないとは、全く考えていませんし、
その前後で「韓国併合に反対の立場」や「併合の流れには逆らえない」と語っている以上、
そもそも論として、韓国側の主権尊重を念頭に置いた話の流れでは無いと思うんですよ。
実際の伊藤にしたって、あくまで日本側の都合で物事を考えており、
別に韓国側の都合などは、大して主眼を置いていなかったはずで、
要するに、日本の利益を最大化する為に、朝鮮人を懐柔する目的での文治主義ですね。
これは、現在の価値観から語る善悪の話ではなく、歴史や社会学としての話です。

あと、ついでに言うと、伊藤博文が暗殺されたのは1909年10月の事であり、
統監府司法庁の設置が同年11月、統監府への警察委託が1910年6月、韓国併合が同年10月ですから、
1907年の第3次協約により、日本の影響力が司法権や警察権にまで及んだのは確かですけど、
「剥奪」とまでの強い表現が適当となるのは、伊藤の死後なのでは無いでしょうか?
もちろん、そうした流れは伊藤の存命中から既に出来てましたし、
併合に反対という意見は、何も併合絶対阻止という対応と同義では無いので、
「伊藤が生きていれば韓国併合は無かった」とか、言っている訳ではありません。
と言いますか、独立抗争や同化の話題である以上、併合自体は大前提の話でしたからね。


・・・と、ここまでは主に保護国について語ってきましたけど、
確かに言われてみると、朝鮮における司法や警察の実態って、どんな感じだったんでしょ?
私自身、満洲や台湾に比べると、朝鮮統治の知識は正直不足してるんですよね。
という事で、簡単にですが、資料を調べてみました。

【朝鮮総督府の司法人員】
      判事           検事
 1910年  全254 朝71 (28%)   全 60 朝 6 (10%)
 1918年  全195 朝35 (18%)   全 69 朝10 (14%)
 1921年  全193 朝37 (19%)   全 76 朝10 (13%)
 1924年  全183 朝33 (18%)   全 75 朝 9 (12%)
 1927年  全186 朝31 (17%)   全 82 朝 9 (11%)
 1936年  全204 朝39 (19%)   全 93 朝 7 ( 8%)
 1937年  全224 朝45 (20%)   全107 朝11 (10%)

【朝鮮総督府の警察人員】
      全警官             警視      警部
 1930年  日10687 朝6976 (39%)   全62      全423
 1938年  日11737 朝8077 (40%)   日62 朝9   日388 朝89
 1943年  日14747 朝7968 (35%)   日77 朝8   日482 朝75

【朝鮮総督府の職員数】
      高等官           全職員
 1910年  全1100            全14529
 1915年  日 726 朝353 (33%)    日15145 朝10790 (42%)
 1920年  日 784 朝356 (31%)    日22293 朝14157 (39%)
 1925年  日 865 朝366 (30%)    日26687 朝14711 (36%)
 1930年  日1143 朝360 (24%)   日31761 朝17047 (35%)
 1935年  日1292 朝363 (22%)   日35642 朝20323 (36%)
 1940年  日1737 朝416 (19%)   日49907 朝36002 (42%)
 1942年  日2012 朝442 (18%)   日57302 朝45919 (44%)
※ 1937年の朝鮮移住者の41.4%が総督府官吏 ※

【朝鮮総督府 普通文官試験の合格者数】
 1919年  日59 朝 9 (13%)
 1925年  日21 朝 7 (25%)
 1930年  日27 朝17 (39%)
 1935年  日22 朝34 (61%)
 1939年  日41 朝95 (70%)

【朝鮮 京城帝国大学の学生数】
      学生数          法学部       医学部       理工学部
 1926年  全150 朝 47 (31%)   日 51  朝 33   日 52 朝 14
 1930年  全573 朝190 (33%)   日164 朝 90   日219 朝100
 1935年  全677 朝212 (31%)   日156 朝115   日309 朝 97
 1941年  全714 朝308 (43%)   日156 朝127   日227 朝165   日23 朝16

【台湾 台北帝国大学の学生数】
      学生数          文政学部    理農学部    医学部
 1928年  全 55  台 6 (11%)   全19 日16   全36 日33
 1930年  全180 台20 (11%)   全92 日80   全88 日80
 1936年  全 96  台25 (26%)   全53 日39   全43 日32   全40 日24
 1941年  全258 台63 (24%)   全71 日68   全99 日95   全88 日32

ついでに、満洲・建国大学1期生の民族比率を見てみると、
全141名中、日本70名・中国&満洲46名・朝鮮10名・台湾3名・蒙古7名・ロシア5名。
続いて、満州国の官僚(1935年)の民族比率を見てみると、
中央機関は全4939名中、日本&朝鮮2386名・中国&満洲2474名・蒙古41名・ロシア38名で、
地方機関は全7100名中、日本&朝鮮3249名・中国&満洲3517名・蒙古282名・ロシア52名。
1932年の建国当時は、中央における日系官吏の上限を2割としたものの、
わずか3年で、5割近くに達しています。

う〜ん、朝鮮統治は満洲統治のモデル・ケースとなった為、
イメージしていた数値と、そこまでの開きは無かったのですが、
合併後の総督府時代に比べると、合併前の統監府時代のデータは、
想定の範囲内ではあるものの、そう簡単には見つかりませんでしたね・・・・
のたねこさんは、統監府時代のデータとか、何か御存知でしょうか?
教えていただければ、幸いです。

第3次日韓協約の内容だけだと、組織のトップに日本人を据える程度ですが、
日本は第二次大戦中、軍事占領した欧米列強のアジア植民地に対して、
日本人顧問を派遣しての「内面指導」を行っていましたから、
それと似たような事は、恐らく併合前の朝鮮半島でも行っていたと思いますし、
一方で、やはり併合後と比べれば、そこまで あからさまでは無いと思うんですよね。

> この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
> 話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。

いや〜、事実は1つであっても、視点が異なれば見え方も違うので、
基本的には何事も、立場が変われば、認識はズレるものだと思ってます(笑)。
そういう意味では、認識を合わすとか、決着が付くとかが、そもそも難しいと思いますよ。
出来る事と言えば、相手の立場にも立って考え、相手の認識を推し量るくらいでしょうか?
それが行えれば、双方の妥協点も見出し易くなりますからねえ。
逆に言うと、自分の立場でだけ語っていては、折り合いなど付かないですし、
一方が他方に擦り寄るだけでは、完全な解決には至らないはずです。

・・・と、抽象的な話はさておき、
「もしも大日本帝国が存続していたら、朝鮮半島はどうなったか?」
などという話題は、客観的な歴史事実を踏まえる必要がある為、
余程の相手でも無い限り、韓国人と冷静に思考実験するのは困難でしょうし、
朝鮮は植民地じゃなかったとか、日本統治は素晴らしかったなどと主張する日本人とも、
まともに話し合うのは無理な議題だろうとは思います。
やはり一般的には、日本人だ韓国人だという立場を離れて物事を考えにくいでしょうし、
どうしたって、感情面が複雑に絡んでしまう人が多いでしょうからね。
しかも近頃は、そうした乖離を各国政府が後押し、利用する状況にありますので・・・・

あと、念のために、ついでに言っておくと、
私は学生時代、第2外国語は中国語でしたし、趣味で韓国語も囓っていたので、
こんな話題をしてますけど、別に嫌韓とか 反中とか 右翼とかではありませんよ(笑)。
恐らく根幹にあるのは、「多民族国家としての日本」というテーマと、
「民族認識と帰属意識」というテーマに関する興味だろうと思います、個人的には。
そういう意味では、台湾における本省人と外省人であったり、
ドイツ人とオーストリア人や、ロシア人とウクライナ人の関係なども興味の対象ですし、
日韓間で言うと、未だ日本や韓国などの国は無く、対馬海峡上に国境線など無かった古代、
人々はどのように交流し、そして時の流れと共にどう線引きされるに至るのかも、
興味の対象ではあります(当時の古墳や遺跡とか、共同で世界遺産を目指して貰いたい所)。


[23564] Re:帝国主義時代の保護国と朝鮮統治に関して返信 削除
2021/4/29 (木) 01:40:29 のたねこ

▼ 徳翁導誉さん
保護国と植民地的な保護領が
ごちゃごちゃになっている気がしますが、
保護国=植民地という事を表現したかったという事で
受け取ります。

長文のレスありがとうございました。

「多民族国家としての日本」というテーマですと、
日本人は創始改名を行い、
現地の人を二等市民扱いしてしまったわけで、
当時これでどうやって多民族国家を築けるのかという…。

最近は「多民族国家としての中国」というテーマの方が
現実味を増してきてるような気がするのだが…。
アルジェリアの山間部に高速道路を中国人が建設した
というニュースを見てさすがにこれはクレイジーだなと…。
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2017-04/26/content_40698496_4.htm
どうしてこういう事をするんでしょうね…。


[23568] では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/4 (火) 21:03:11 徳翁導誉

> 保護国と植民地的な保護領が
> ごちゃごちゃになっている気がしますが、

いやいや、ゴッチャにしているつもりは、まるで無いですよ。
それに、単なる意見の相違とかでしたら、私も別に気にならないのですが、
言葉の定義に関して「違う」と言われると、私の性格的に非常に気になります(笑)。

では、のたねこさんのおっしゃられる「保護国」とは、
一体どのような定義で、この用語を用いられているのでしょうか?

また、日韓併合前の統監府時代が「保護国では無い」と言う事であれば、
あの当時の「大韓帝国」に対して、一体どのような用語が適当だと思われるのでしょうか?

> 保護国=植民地という事を表現したかったという事で
> 受け取ります。

う〜ん、どのように受け取られるかは、個々人の自由ですけども、
少なくとも私自身は「保護国=植民地」とは思っていませんし、そう書いてもいません。
そもそも保護国と植民地は異なる概念の言葉なので、イコールで結ばれるモノでは無いかと?
もちろん、植民地の一形態として、保護国という形もありますが、
保護国が必ずしも、植民地な訳では無いですし、
植民地が必ずしも、保護国な訳では無いですからね。

でもまあ、そういう細かい言葉の定義は別として、
少なくとも、今回の朝鮮半島についての話題に関しては、
併合前の統監府時代であれ、併合後の総督府時代であれ、統治方法に違いはあれど、
両時期とも「朝鮮半島が日本の植民地であった」という認識を、私自身は持っているので、
日本の保護国であった統監府時代も、植民地であったと見なしているのは確かですね。


> 「多民族国家としての日本」というテーマですと、
> 日本人は創始改名を行い、
> 現地の人を二等市民扱いしてしまったわけで、
> 当時これでどうやって多民族国家を築けるのかという…。

そもそも多民族国家とは、「多くの民族により構成される国家」の事を意味する為、
どの民族が、どのような扱いを受けているかとは、全く別次元の話ですよ。

また、そもそも完全な単一民族国家など存在しないのは事実として、
どこからを多民族国家と呼ぶかの基準も、特に無いかとは思いますが、
とりあえず、この前の「大日本帝国の人口データ」を見てもらうと、
当時、1億人強いた大日本帝国の人口のうち、
日本系が7割、朝鮮系が2割、台湾系を含む その他が1割ですから、
少なくとも現状に比べれば、充分に多民族国家と呼べたかと?
あのまま帝国が存続していれば、民族的にも居住地的にも更に混ざったでしょうしね。

ちなみに、以前より掲示板で語っている
「多民族国家としての日本」というテーマについて言うと、
第1に、現在よりも多民族であった、戦前の日本社会に関する考察。
第2に、もしも帝国が崩壊せず、多民族社会が更に深化したであろうif展開の考察。
第3に、それら程では無いにせよ、日本在住の外国人が増え続けている現実社会の考察。
これら3つを含めて、「多民族国家としての日本」という1つのテーマにしています。

あと、そもそも論で言ってしまうと、
皇民化政策は実質、大東亜戦争(日中&太平洋戦争)が起きた事で進められた反面、
「大日本帝国の存続」という条件設定を考えると、戦争回避は重要なポイントですから、
そちらのif展開を選んだ場合には、史実である皇民化政策の方も変わってくるでしょうね。
日本の戸籍制度や夫婦同姓制度が、徴兵制にリンクして明治期に作られたように、
朝鮮の創氏改名や、台湾の改姓名も、将来的な徴兵制導入を見越してのモノだったはずで、
あのような苦しい戦局を経なければ、もっと異なる展開になっていた可能性は充分にあります。

また一方で、史実だと、そうした苦しい戦局にあったからこそ、
終戦の直前に選挙法が改正され、外地にも衆議院の選挙区が作るれまでになると。
(ちなみに内訳は、内地466議席・朝鮮23議席・台湾5議席・樺太3議席)
まあ結局は、実際に衆院選が行われる前に、日本は敗れて選挙は行われないのですが、
もしも戦争が無ければ、外地での選挙区設置は、史実以上に遅れてたでしょうね。
とは言え、大正デモクラシーが長続きするようなif展開であれば、
樺太にも内地と同じ法律を適用したり、民族に関わらず男子に選挙権を与えた時代なので、
外地で議席数を稼げそうな政党が政権を握れば、想像する以上に早く実現した可能性も?
ただ、大正デモクラシーの衰退は、世界大恐慌の影響も大きかった為、
この世界的な出来事を回避するのは、戦争回避のシナリオよりも実現が厳しいかな・・・・

それと、朝鮮人や台湾人が「二等市民」として扱われたのは、間違いとは言えないものの、
より厳密に言えば、差別されたのは民族自体よりも「外地在住者」でした。
簡単に言うと、主に徴兵制以外は、朝鮮人でも内地に住んでいれば日本人扱いであり、
日本人でも外地に住んでいれば、基本的に現地人扱いでしたので、
それこそ選挙権で言うと、外地には終戦直前まで選挙区が設置されていなかった為、
選挙権はあっても、投票が出来ないなんて仕組みになっていた訳です。
逆に言えば、朝鮮人や台湾人であっても、内地在住であれば投票が行えましたし、
中には、東京3区から出馬して当選した「朴春琴」のような人物も居ました。

って、だからと言って、民族差別は無かったなどと言うつもりは、毛頭ありませんよ!!
大部分の日本人は日本本土に住んでおり、大部分の朝鮮人は朝鮮半島に住んでいたのですから、
外地差別というのは、民族差別と、ほぼ同義であったと見て当然かと思われます。
しかも、日本人以外が内地に移住するには、あれこれと条件が課せられてましたし、
制度的な差別以上に、経済的・教育的・感情的な差別がありましたからね。
そして、そのような外地差別があった事こそ、朝鮮や台湾が植民地であった証と考えています。
本国と同等の権利を有するか、それ相応の自主権を有するか、
そのどちらかを満たさない限りは、どう言い繕っても、それは植民地だと私は思うので。


> 最近は「多民族国家としての中国」というテーマの方が
> 現実味を増してきてるような気がするのだが…。

現実味も何も、中国は今も昔も、ずっと多民族国家だと思いますけど、
のたねこさん的には、一体どのような意味合いで
「多民族国家」という単語を用いているのでしょうか?
また現在、中国共産党は、漢族と その他55の民族を全て一纏めにして、
新たに「中華民族」という概念を作ろうとしていますので、
現在進行形の話としては、「単一民族化させようとする中国」の方が適当かと。

・・・って、ひょっとしたら、これって逆説的な意味で、
同化政策が進み、「多民族」では無くなりつつあるという問題提起なのでしょうか?
だとすれば、帝国期の日本に関する話も、筋が通るような気はします。
皇民化政策により、大和系も、朝鮮系も、台湾系も、その他の民族が全て、
「日本民族」として同化してしまえば、確かに「多民族」では無くなりますよね。
それこそ昔の琉球民族も、今では単に沖縄県民となってますから(特に若い世代は)。

でもまあ、例えばアメリカのような移民国家だと、民族的な集団社会では無い為、
多人種・多文化な国家ではあっても、多民族な国家とまでは言い辛いですし、
ソ連だって崩壊するまでは、民族意識の上に、ソ連人としての国民意識がありましたからねえ。
なので大日本帝国も、あのまま存続し、仮に同化政策が上手く進んでいたら、
「帝国臣民」や「日本人」という意識を持ちつつも、ルーツとしての民族性は持ち得たかも?
それこそ沖縄県民が、「日本人であり、ウチナーンチュ(沖縄人)である」と感じているみたいに。
(本来は、ウチナーンチュが本島人で、シマンチュが諸島人でしたが、現在では共に沖縄人の意味)

また、在日コリアンにしても、南北の代理戦争の場と化した実状を踏まえると、
現在の3世4世などは、かなり日本社会に同化していると言えますし、
これでもし、韓国も、北朝鮮も、朝鮮戦争も、敗戦も無ければ、
在日コリアンの日本人化は、現状以上に、もっと進んでいたはずです。

> アルジェリアの山間部に高速道路を中国人が建設した
> というニュースを見てさすがにこれはクレイジーだなと…。
> http://japanese.china.org.cn/business/txt/2017-04/26/content_40698496_4.htm
> どうしてこういう事をするんでしょうね…。

え〜と、これが多民族国家という話題と、どのように関連するかは不明ですが、
それは一旦置くとして、どこが疑問で、何をクレイジーと感じられたのでしょうか?

まず初めに、片側3車線というのは、高速道路の一般的な規格ですね。
高速道路というのは、都市と都市とを結ぶ大動脈なので、
その途中が僻地だからと言って、車線まで狭めては効果が減じてしまいます。
続いて、山間部に高速道路を建設するのは、地図とか見てもらうと解るのですが、
アルジェリアって地中海のすぐ傍までアトラス山脈が迫り出している為、
沿岸部から少しでも内陸部に道路を敷こうとすると、どうしても山越えになるんです。
また、アトラス山脈を越えると、広大なサハラ砂漠が広がっているのですが、
ここはイブン=バットゥータやカンカン=ムーサ王の時代から、
ニジェール川流域の内陸都市と、地中海とを結ぶ、古くからの交易ルートであり、
行商人がラクダで運んだ道が、高速道路として生まれ変われば、有益性はあろうかと?

それに、こうしたインフラ建設というのは、何も中国が勝手に行っている訳ではなく、
アルジェリア政府が公共工事と依頼しているから、中国企業も作る訳です。
そして、そういう仕事をしているのは、別に中国だけに限らず、日本企業もそうです。
と言いますか、ここ10年余りで逆転されただけで、
それまではずっと、こうした事業を最も積極的に行ってきたのが日本でしたし、
(アフリカ各国の首脳を東京に呼ぶ「アフリカ開発会議」は、朝貢外交な雰囲気も・笑)
以前に比べれば存在感は薄くなりましたが、今でも日本だって行っていますよ。
それこそ、アルジェリア北岸を横断する「東西高速道路」の方に関しては、
西側が中国企業の担当で、東側が日本企業の担当でしたので(笑)。
ただ、日本企業は工事費未払いで途中撤退し、中国企業が全線開通させましたがね。

では、何故「こういう事をする」のかと問われれば、普通に「ビジネスだから」です。
もう少し解りやすく説明すると、国内でインフラ整備の需要が少なくなると、
会社を維持する為には、海外でのインフラ事業を受注する必要が出てきます。
この時、自国政府が途上国を支援する際に、条件として自国企業に受注させれば、
支援金は結局自国へ戻ってくる上に、途上国への貸し付けであれば そちらも後で戻ります。
簡単に言ってしまえば、国内で行っていた公共工事を、海外に舞台を移すだけの話です。
まあ途上国の側も、インフラが整うならWin-Winの関係ではありますし、
インフラが整えば、今度は工場の進出であったり、市場の新規開拓が出来る上、
その国の上層部とコネが築ければ、いろいろ互いに美味しい思いが出来ると(笑)。

ですが中国の場合、日本と違って、相手国が貸付金が返せなかった場合、
借金の棒引きとかはせず、港湾とか鉱山とか差し押さえちゃんですよね・・・・
また、現場の建設労働者も、現地の人間を使わず、中国本国から連れてきたりするので、
単にインフラが整うだけで、相手国の地元経済は別に潤わないと。
まあ、こうすれば、支援金のリターン率が高いのは事実なのですが、
現地民の感情は、あまり買えませんよね。
とは言え中国企業も、好印象よりも安さで商売しているので、大して痛手はありません。
そういう意味では、日本の支援は善意的・・・と言いますか、
中国よりも先進国である為、そうやらないと商売に為り難い事情とかがあったりします。


[23572] Re:では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/7 (金) 21:26:33 のたねこ

▼ 徳翁導誉さん
保護国≒植民地と書いてあったので、
おおよそ等しいとこちらは受け取りましたが、
そうではなかったのでしょうか…。

内容の受け取り違いが続いてはいけないので、
今回はここで書くのを止めにします。

ありがとうございました。

別の話題が上がった時、
機会があればまたその時よろしくお願いします。


[23575] Re2:では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/11 (火) 21:34:18 徳翁導誉

> > > > > > と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> > > > > > そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> > > > > > 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。

> > > > > 保護国のままで充分についてですが、
> > > > > 日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
> > > > > 保護国のままで充分という事でしたら、
> > > > > 司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
> > > > > これは伊藤博文が統監で行ったことです。
> > > > > この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
> > > > > 話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。

> > > > う〜ん、これは「保護国」という単語に対する捉え方の違いなんじゃないですかねえ?
> > > > 保護国というのは、「外交権や国防権が制限される国」を意味しますが、
> > > > しかし、だからと言って「それ以外の主権が保証されている」とは限りません。
> > > > 確かに現代であれば、バチカンやアンドラに、オセアニアで自由連合を結ぶ国々など、
> > > > 内政権を保証されるのが常ですけど、100年前の世界だと、決してそうではありませんでした。
> > > > 逆に尋ねますと、当時の欧米列強の保護国は、どれほど内政権を持ち得ていたのでしょう?
> > > > まあ、あの時代においては、「保護国≠植民地」ではなく、「保護国≒植民地」でしたから、
> > > > 治安や特権の維持を考えると、警察や裁判所は押さえておくのが、一般的な気がしますね。
> > > > また歴史用語としても、日露戦争後から韓国併合までの大韓帝国の事を、
> > > > 「保護国」と呼ぶのは、一般的な用法だと私は感じるのですが、
> > > > のたねこさん的には違和感があり、別の用語を用いたい所なのでしょうか?

> > > 保護国と植民地的な保護領が
> > > ごちゃごちゃになっている気がしますが、
> > > 保護国=植民地という事を表現したかったという事で
> > > 受け取ります。

> > いやいや、ゴッチャにしているつもりは、まるで無いですよ。
> > では、のたねこさんのおっしゃられる「保護国」とは、
> > 一体どのような定義で、この用語を用いられているのでしょうか?
> > また、日韓併合前の統監府時代が「保護国では無い」と言う事であれば、
> > あの当時の「大韓帝国」に対して、一体どのような用語が適当だと思われるのでしょうか?

> 保護国≒植民地と書いてあったので、
> おおよそ等しいとこちらは受け取りましたが、
> そうではなかったのでしょうか…。

こと、大韓帝国の件に関してであれば、
そう受け取ってもらって構いませんよ。

> 内容の受け取り違いが続いてはいけないので、
> 今回はここで書くのを止めにします。

「保護国であれば、司法権と警察権の剥奪は絶対に行われない」とか、
「保護国と植民地的な保護領が ごちゃごちゃになっている」という話の内容が、
私には未だに理解できてなかった為、
「では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?」という問いに関しては、
のたねこさん自身の認識を、キチンと伺いたい所ではありましたけどね。

「認識がしっかりしないと、話し合いはいつまでたっても決着が着かない」と、
最初の最初に、のたねこさん自身がおっしゃってましたし、
「内容の受け取り違いが続いてはいけない」との理由で止められてしまっては、
それこそ、相互理解が出来ない状態を固定化してしまう気がしますので。

> ありがとうございました。
> 別の話題が上がった時、
> 機会があればまたその時よろしくお願いします。

はい、ではまた機会がありましたら。

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72