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[24101] 旧トルコ担当さんへの返信(その1)返信 削除
2022/12/21 (水) 19:39:40 徳翁導誉

さすがにスレッドが長くなり過ぎたので、
返信まで間が空いた今回を機に、新スレッドに移行しますね。
ちなみに、元スレッドは こちら↓
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23688


> > > > 来週からカタールW杯が始まりますので、
> > > > 私の方の返信は、今後 遅れるかと思います。
> > > > 事前に御了承下さい。

> > 日本代表の戦いは終わりましたが、
> > W杯の大会自体は、まだまだ続いてますので、
> > 申し訳ありませんが、長文となる返信は来週か再来週にでも。

> いえいえ、気になさらず。

1ヶ月に及んだW杯も終わり、返信の方も再開(笑)。
とは言え、これは日程上、事前に解っていた事ではあるものの、
大会が終わったら、既に今年も2週間を切っており、
いろいろ積み残した仕事が溜まっていて、非常にバタバタしていますが(苦笑)。

> よくこんな好き勝手書いている文章に返信していただいてありがたいです。
まあ、そこは私の方も、ある程度 好き勝手に書いてますからね(笑)。
あまり得意なテーマでは無いと、思い付くまま纏まりを欠く長文を書いてる部分もありますし。

> 文章にすることで自分の中でふわっと感じていたことが整理される、
> だから書いているという独り言みたいな側面もあるので。

それって、やはり重要ですよね!!
頭の中だけにある時よりも、考えが整理されたり、
書いてる途中で、新たな気付きや疑問なども生じたりしますので。


> > > 1調べて「なるほど」と満足するのがダメで、
> > > 10調べて「分かった」と感じるのがダメで、
> > > 100調べても詳しい人を名乗ってもだめなら、
> > > どれだけ調べれば私は気持ち良くなっていいんですかね?

> > 何事でも そうですが、真面目に学ぼうとした場合、
> > 新しい事を1つ知ると、解らない事が2つも3つも新たに出てくるモノですし、
> > 学びを繰り返していけば、ネズミ算的に、解らない事が膨大に増えていくモノですから、
> > そういう意味では、学びというのは、非常に理不尽な世界です(笑)。
> > でも、そうやって「解らない事」の数が増えていくというのが、実はとても重要なんですよ!!
> > 洋の東西を問わず、孔子もソクラテスも言及している、「無知の知」ってヤツですね。

> あとまあ、私の場合は学問としての歴史が好きなのではなく、
> ある種のSFとしての歴史が好きなんだというのに気づいてしまったというのもあるんですよね。
> 例えば優生学とか(支持しているとかではなく)あのエセ科学で当時の時代の雰囲気が感じられるのがめちゃくちゃ好きですし、
> 高校生くらいのころは歴史学"崇拝"があって、もっと歴史のまじめな本読んで自分も勉強しなくちゃいけないと思っていましたが、
> 今は好きなように適当に歴史をかじって、結果としてある程度間違った歴史認識だったとしても、
> 自分が面白ければそれでいいや、と思うようになりましたね。
> 私はオタクであって知識人ではないので。

前回の繰り返しになっちゃいますけど、
それを自覚できているのであれば、そのままで問題ない気もしますけどね?

例えば、戦後昭和の頃なんて、歴史小説や歴史ドラマの人気が今より遥かに高く、
「歴史好き」を自認する人は、それこそ大勢いましたけど、
でもそれは「学問的な歴史」ではなく、やはり「娯楽的な歴史」でしたからねえ。
ただ、そうした状況を、苦々しく見ていた歴史学者もかなり居た一方で、
一般の歴史ファンも、小難しくて解り難い歴史学者の見解より、
面白くて解りやすい歴史小説家の見解の方を、ありがたがる風潮はあったかな?

そもそも、双方が用いる「歴史」という単語が、それぞれ別物であるという事を、
解っている人も当然いましたが、解っていない(自覚できていない)人も多かったですね。
ですけど、当時は それでも、あまり大きな問題は無かったんですよね。
「学問的な歴史」と「娯楽的な歴史」とが交わる機会なんて、ほとんどありませんでしたので。
(まあ、自称・郷土史家のレベルだと、学術的な人とエンタメ的な人が混在していましたが)
もっと言うなら、歴史好きな一般人の声なんて、誰にも届かないので、影響力など皆無であり、
専門家の声も、基本的には、狭い学問の世界の中でしか響きませんでしたから。

しかし今の時代は、ネットの普及によって、誰でも気軽に発信を行えるようになり、
一般人(非専門家)の声の影響力が、場合によっては、途轍もなく大きくなったんですよね。
その一方で、専門家の声も、その気になれば容易に触れられる環境にはなったものの、
そこまで行う人の数は限定的なので、双方が交わった上に、バランスも大きく崩れた感じかな?
実際に書店の棚を見ると、以前なら学術系とエンタメ系の置き場は、別々であったのに、
境界線が曖昧となる事で、それらの棲み分けも済し崩しとなり、
今は書店も経営的に苦しい時代なので、売れるエンタメ系が、学術系を追いやってる現状です。
でもリアル書店は、棚に並ぶ本を一瞥で見比べられるから、まだマシなんですよ。
これがネット書店となると、1度に見比べられるタイトルは数冊程度な上、
しかもAIが売れ筋のエンタメ系を推してくる為、昔よりも遥かに娯楽的な方向へ誘導されやすいと。

そういう意味では、そんな今の時代だからこそ、「自覚」は非常に重要なんですよね!!
逆に言うと、それを自覚できていないと、自身がトラブルの発生源にも なりかねないので。

> 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)
私の根幹をなすのは「スポーツ・科学・歴史・アート」という、4本の柱であり、
科学は理系の面で、歴史は文系の面で、それぞれ知識人的と言えるのかも知れませんけど、
その一方で、旧トルコ担当さんから見た「私」の認識には、
スポーツに由来する、精神論も重視する体育会系な私の側面や、
アートに由来する、一般常識から逸脱する感情的な私の側面が、
どうも、抜け落ちているような印象は受けるんですよね。

では何故、そのような認識像で捉えていのるのか?となると、
恐らくは旧トルコ担当さん自身が、スポーツやアートに対する関心が薄いからでしょうし、
逆に言うと、科学や歴史に付随する、私なりの社会や文化の見方に対して、
旧トルコ担当さんは興味を抱き、そのあたりを重点的に反応を示すのだと思うんです。
要するに「流される」というのも、その前提に「好き」があるからであり、
好きで無ければ(関心が乏しければ)、そもそも流される事も少ない気がします。

そういう意味では、「好きに流される」のも、1つの在り方ではあるんじゃないですか?(笑)
「流行に流される一般人」というのも、その時々で生じた「楽しい」に、
多くの人が「集まる」から、「流れ」が生まれるのであって、
それはそれで、自分が「好き」なモノを追っている姿であると言えるんです。
別に何も、他に共感する人が少ないモノを追う事だけが、個人の「好き」じゃ無いですし、
大勢が「好き」と感じるモノを、その人が「好き」と感じるのは、特に不思議な話では無いと。
マニアの世界とは ある意味、珍味を追い求めるようなモノで、それが正しい訳でも無く、
ファミレスやコンビニで「おいしい」と満足できるのであれば、それはそれで間違いじゃないはずです。

今回のカタールW杯にしても、試合前には胃が痛み、勝利の後も「まだ次があるぞ!」と喜び切れない、
何年間も代表チームを追い続けるサッカー・ファンに比べれば、
4年に1度、パッと盛り上がる一般人の「楽しい」の方が、ずっとコスパが良いですよ(笑)。
「好き」という感情は深まれば深まるほど、「苦しさ」も増していくモノですし、
それが報われる「喜び」の絶頂は、その分だけ高くなっても、
好きであるほど その瞬間は一瞬であり、しかも必ず報われるとは限りませんからねえ。
・・・って、そんな大層な事を言っていても、
多くのサッカー・ファンも、早々に夢破れたサッカー少年の成れの果てな訳で、
実際にプレーする選手に比べれば、単なるファンの喜びや苦しさも、一般人のそれと大差無いかと?

そう考えれば、インスタントでコスパの良い「楽しい」を、好む人が多いのは当然で、
そんな「楽しい」に多くの人が集まれば、流れが生まれるのも当たり前の事だとも言えます。
もっと言えば、多くの人が好むモノから、少数の人しか好まないモノまで、
どちらか一方ではなく、両方とも楽しめれば、それだけ「楽しさの幅」は広がる訳ですから、
変に頑なになって自らの幅を狭めるよりも、そちらの方が良さそうな気はしますけどね。

また、知識人系の意見に流されるのは、そこに「知識に対する憧れ」があるからでしょうし、
その憧れに対して、自分は「どう対応するのか?」というだけの話な感じもします。
例えば、雄大な富士山を見て「凄いな!」と思ったとして、
その姿を見るだけで満足なのか? 実際に自分の足で登ってみるのか?
いつか登りたいで終わるのか? はたまた、実際に挑むも途中で挫折するのか?
そもそも、富士山を見ても何も感じず、ただの風景として見過ごしてしまうのか?
どれが良いとか、何が正解とか、そういう話では無いですけど、
「登りたい」と感じたなら、「登らない理由」を探すより、とりあえず「登ってみる」のが最適かと。
そして、それは山頂に至らなくても、別の目的や楽しさだって在る事でしょう。

ですから、学問としての歴史ではなく、SFとしての歴史が好きなのであれば、それはそれで良いですし、
「好きだから突き詰めなきゃいけない」というモノでは、必ずしも無いですからねえ。
ただし、「突き詰めたい」という思ったなら、ただ思うだけよりも、実際に動く方が世界も広がり、
でも、それが苦し過ぎるなら、「突き詰めなきゃいけない」モノでは無い以上、途中で止めても構わないと。
逆に言うと、止めたいけど止められないの行き着く結果が、「突き詰める」じゃないですかねえ?

> ちなみに、私の好きなコンテンツに「ドナウ連邦建国史」というのがあるのですが、管理人さんはご存知でしょうか?
> 第一次世界大戦でドイツが勝った世界線の架空史なのですが、筆者の豊富な歴史知識による作りこみが凄くておススメです。

いや、知りませんでした。
オススメ情報、ありがとうございます。


> > > まあ、学問自体に期待していないので、私が多少科学的じゃなくても、
> > > どうせ学者だって似たり寄ったりだろ、みたいなことも"極論"思うようになりました。
> > > 反知性主義といわれるかもしれませんが、そのくらいの距離感が社会科学に対する丁度よい距離感なのかな、と。

> > 学問とか、科学とかは、解らない事は普通に「解らない」と言いますし、
> > 真摯な態度で語るなら、それこそ「解らない事だらけ」なので(笑)、
> > 具体的な処方箋を呈示してくれるみたいな期待は、当然ながら応えられないかな?(苦笑)
> > 例えば、地球温暖化の話にしたって、科学的・学術的に語るのであれば、
> > 地球が本当に温暖化しているかも解らなければ、人間の出す二酸化炭素の所為かも解りません。

> 何となく聞いたことはありましたが、やはり地球温暖化は怪しいんですね。

「怪しい」ではなく、「解らない」ですね(笑)。
怪しいと言ってしまうと、今度はトランプ支持者みたいなタイプに利用されますし、
それだったら、まだ環境保護派の方がマシです(名画にペンキを掛けるとかは論外ですが)。

ちなみに、二酸化炭素に温室効果があるのは事実ですし、二酸化炭素が増えれば気温も上昇します。
ただ一方で、気温が上昇すれば二酸化炭素が増えるモノでもあるので、
どちらが卵で、どちらが鶏かは、正直な所 解りません。
また、人類が排出する二酸化炭素で、大なり小なり気温が上昇する事もありそうですが、
それが果たして、大なのか?小なのか?は、解らないと言うのが実際なんだと思います。

それに、温暖化の傾向が、今後もずっと続くかも、不透明ではあるんですよね。
例えば1940〜70年代なんて、逆に地球の「寒冷化」が不安視されてましたし、
00年代以降は、温暖化が「停滞」しているという事実もあるんですよね。
地球の気温は、太陽活動や火山噴火などの影響も大きいですし、
縄文時代や平安時代は、今よりも海水面が高かったですが、人類は二酸化炭素を排出していません。

しかし、ならば温暖化は起こっていないか?
人類の二酸化炭素排出が温暖化に影響しないか?となると、「解らない」というのが現実かと。
フロンガス排出によるオゾンホールの出現のような例も、実際にある訳ですし、
とは言え、二酸化炭素はフロンガスと違い、あまりに一般的に存在するモノなので、
要素が複雑に絡まりすぎてて、本当によく解らないんです。

ですから、「可能性があるなら、念の為に対応しておこう」というのは、正しいと思うんですよ。
ただ、多くの人というのは、そんなフワフワした理由では、やはり厳しく動けないと思うんですよね。
言ってしまえば、「解りやすい正しさ」に飛び付いて、自分を「絶対的な正義」の立場に置きたい訳です。
そうなれば、「温暖化はある」「温暖化はない」という、断言されてる方が居心地が良いですし、
その居心地の良さに満足してしまうと、今度は「ある/ない」は大前提となって、手段と目的が逆転し、
そして最後は、「ある/ない」自体には興味を失い、自らの「正義の行動」に利益や快感を求めるようになると。
排出権取引だとか、過激な環境保護活動だとか、はたまた懐疑派のQアノン的な振る舞いだとかは、
結局の所、「地球環境を出来るだけ良くしよう」ではなく、利己主義者の成れの果てといった印象ですかね?
「レジ袋の有料化」も、手段が目的化しているというか、なぜ行うかが解り難くなってきてますし。

> 就活でカーボンニュートラルが〜とか散々聞いているので、
> あれが全部非科学的と言われれば、薄々感じていたこととはいえ、頭がバグりそうw

化石燃料だって、もとを正せば太古の植物だったりする訳で、
長いサイクルとして見るなら、あれはあれで「炭素循環」ではあるんですけどね(笑)。
バイオ燃料との違いなど、時間的な違いでしか無かったりしますし、
人為的な肥料を用いた場合、「それは本当にエコなのか?」という疑問も生じます。
また、本当に二酸化炭素で温暖化が起きていて、酷い被害があるのなら、
化学的な方法で「炭素固定」を行う選択肢もあるのでしょうけど、
どうも、生物的に行われる炭素固定はアリでも、化学的に行う炭素固定はナシな風潮なんですよね。
まあ、実態は「宗教の教義」に近いと捉えれば、あながち間違いでも無いのでしょうけど。

科学は厳密さを重視するので、基本的に「断言」は行いません。
逆に言うと、根拠が曖昧であるのに、結論が断言調になるほど、宗教的な色合いが強まるかな?
ただ、「あれが全部非科学的」だとは、別に言ってないんですよ。
科学的に「可能性がある」という話を、政治的に断言されて用いられるから、
その断言を否定するだけで、可能性自体を否定するモノでは一切ありません。
と言いますか、白か?黒か?の二元論では無い為、
そういう反応をされるのも怖いので、あまり外では発言されない向きもあるかと。
昨今の社会は、ネットの普及に、インスタントな結論を求める風潮が相俟って、
安易に陰謀論が広まる下地が、世界的に醸成されてきてますからねえ・・・・
トランプ支持者も、グレタ支持者も、掲げる旗が異なるだけで、私には同類に映りますし。

> 割と人体とかに近いのかな?人体の中でも様々な体の機能や反応が起きているはずで、
> おそらくその大部分は現代医学でも未解明なんでしょうね。

人体や脳は・・・どうなんですかね!?
もちろん、現時点においては、「まるで解らない」という所でしょうけど、
ヒトゲノムの解読自体は、既に終わっていたりしますし、
そう遠くない未来、量子コンピューターによるゲノム解析とかが進んでいくと、
プログラム的に自体を理解できたり、更には思うように改変したりが、可能となりそうな気もします。

言うなれば、「不確定要素の数の違い」かも知れませんね。
人体や脳の場合、未解明の要素が膨大でも、そこさえ逆にクリアー出来たなら、
あとは計算量の問題で、そのうち何とかなりそうな気もしますので。
って、かなり個人的な願望も混じった見解かも知れませんが(笑)。


> > > 若者は褒められたくないというのが私の私見です。
> > > もちろんSNSなどの承認欲求というのもありますが、身近な人か好かれたい・嫌われたくないというのが若者の関心事項であり、
> > > 大学の教授に褒められるというのは、苦痛でしかないと思います。
> > > また、仮に相手が身近な人であったとしても、褒められたいというよりも、
> > > その欲求というのはもっと消極的に存在を認めてほしい、程度であって
> > > 褒められたい、というのはやはりパワフルさというか、意識の高さみたいなものを感じます。

> > う〜ん、これに関しては、
> > 「認める」という言葉の意味の誤用というか、解釈の拡大や意味の変容が起きている気がするんですよね。
> > 個人的には、「認める」の方が重く、「褒める」の方がライトなので、「認める>褒める」という感じですが、
> > ここ数年の用法だと、「褒める>認める」みたいな用い方も目立ち始めてきた印象があります。
> > まあ、「消極的に存在を認めてほしい」というのも解りますが、それはあまりにネガティブというか、
> > 逆に言えば、だからこそ、ポジティブ方向への意味や適用の拡大が、近年起きている気がするんです。
> > 要するに、「褒める」に替わる別の用語として、「認める」を引っ張り出してきた感じに近いのかな?

> これは私の場合を基にした仮説なので(今までも大半そうですが)、説得力がないかもですが、
> 「周囲の評価を気にする」世代というより、自己否定が非常に強い世代という方が正しいと思うんですよね。
> 周囲の評価が気になるというのは、自分では自分を絶対に認められないから、
> せめてもの渇きをいやすために、周囲にすがっているというか。
> 俺ガイルにしても、管理人さんの目にはどのように主人公が周囲の目を気にしているように見えるのかは分かりませんが、
> 周囲の視線が気になるというより、自分はこれでいいのかという、恐怖心があると思うんですよね。
> だからこそ主人公は自分好きですし、逆に言えばそのくらい自分好きじゃないと、
> 心のバランスが取れず、メンヘラみたくなってしまうんですよ。

う〜ん、何と言えば伝わりますかねえ・・・・
自分では自分を認められないから、周囲の評価を気にするというのも、解ってはいるんですよ。
自己肯定感が低い世代だというのも、きっと事実なのでしょう。
そうした諸々を踏まえた上で、私が感じるのは、
「今の若い世代って、本当に自分の事が好きだよな」という事なんです。
と言いますか、「その自覚はあるんだ」というのが、今回の発見ですかね?

もう少し解りやすく説明すると、日本人の国民性を考えれば、
自己肯定感なんてモノは、今だけに限らず、昔から低い傾向があるんですよ(笑)。
ですから、他の世代と比べもせずに、「非常に強い」と感じるのは、独りよがりな気もしますし、
以前にも言いましたけど、基準となる そもそものベースが異なると思うんです。
一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。
それこそ、俺ガイルの主人公は自分が好きなのだとしたら、エヴァの主人公は自分が嫌いです。
逆に言うと、「好きじゃなきゃバランスが取れない」くらい、自己肯定感の基準点が高い訳で、
「嫌わなきゃバランスが取れない」レベルからすれば、「何 言ってんだ?」という感じになると。
60点を取ってて「全然ダメだわ」と嘆く人を、30点しか取れない人が冷ややかに見る感じでしょうか?
子供の数が減り、社会が成熟し、大事に育てられた事で、
基準点が上がってる事自体は、決して悪い訳じゃないですし、
辛さというのは主観なので、当人的にはキツいのも事実でしょうけど、
他と見比べた上でないと、「非常に強い」という表現は客観性を欠くって事ですね。

とは言え、今の日本の社会的な背景もあってか、
自己肯定感が高い人の割合に関して言うと、昔よりは下がっていそうな気はします。
言ってしまえば、今は平均的で、60点近辺にいる子供の割合が高いけども、
昔は80〜90点の子供がいる一方で、30〜40点の子供も多かったって感じですかねえ?
なので、平均値で見るか?中央値で見るか?上限と下限で見るか?分布割合で見るか?など、
それぞれの見方によって、抱く感想は異なってくるかも知れません。

で、もう少し踏み込むと、自己肯定感は低いけれど、自分好きという所に由来するのでしょうけど、
今の若者世代って、「消極的な利己主義」とか「受け身な利己主義」とでも言えば良いのか、
ともかく、自分が良くありたい思いが強い印象を受けるんですよね。
ただ、この利己心は消極的で受動的なので、どこまで自覚があるのか、私には正直不明。
例えば利己心と言うと、「人より上に行きたい」みたいに、積極的なモノをイメージしがちですが、
これが消極的なモノとなると、「人より下になりたくない」という思いが強くなる感じでしょうか?
言い換えるなら、「マウント取られたくない症候群」とでも称すれば良いですかねえ(笑)。
その結果が「横並び意識の強さ」であり、それは仲間内だけでなく、上下関係があっても発動されると。

「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?

> 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

まあ、これは旧トルコ担当さん自身の心の本音の吐露なので、
「よく打ち明けたな」と、個人的には却って好印象なのですが、
また後でも触れますけど、これって世間的には、かなりの発言内容ですよ!?(笑)
そこは自覚された上での、覚悟の発言なのでしょうか?

> まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
まあ一応、参考までに。

Q.自分のオタク度(5点満点)
  1点1% 2点4% 3点28% 4点50% 5点17%

Q.今まで付き合った人数
  0人7% 1人18% 2人17% 3人22% 4人7% 5人以上26%

Q.パートナーの有無
  妻がいる38% 恋人がいる21% 好きな人がいる19% 誰もいない21%

Q.パートナーはオタクか否か
  パートナーもオタク35% パートナーは非オタ65%

Q.パートナーとの出会い
  昔からの友人19% 職場19%

> いや、いいんですよ。結婚できなくても、生涯独身で最後は孤独老人として死ぬとしても。
> それは私はオタクになったと時に、覚悟したことですし、私は人生ささげると(大げさではなく)決めたので。
> ですけど、やはりふと本当にこのままでいいのかと、お前は人生から逃げているのではないかと、不安になるんですよね。

その年齢で、そうした不安を抱くのであれば、もうそれが答えですよね。
いや本当、これは真剣な忠告として、心を改めた方が良いですよ!!
上記のアンケートだと、2割を占める学生時代の友人は、今からだと難しいかも知れませんが、
残る2割の職場や、その他の出会いであれば、今からでも、まだまだ充分にチャンスはあるはずです。
「ブサイクでも、デブでもない」という自己評価はあるみたいですし(笑)。

それに、厳しい事を言えば、そういう道は自然と「なっちゃう」ものであり、
なろうと「覚悟した」とか「決めた」と言ってる時点で、その程度なんですよ。
しかも、そうした不安は、加齢と共に倍々ゲームで増えていくモノなので、
現状で既に その状態だと、40歳を超えた頃には、絶望感で押し潰されてる可能性が高いです。
もっと言うと、あの岡田斗司夫の女癖の悪さを思えば、恋愛とオタク道の両立可能なはず(笑)。

それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。
そうなった時、変な逃げ口上で自分を納得させ、貴重な若い時を無駄に潰した事を、
後から気付いて、猛烈な後悔に襲われてる姿が、容易に想像できるんですよ・・・・
やるだけやってダメだったのと、何もやらずにダメだったのとでは、後悔の度合いも違いますし、
今の時点で不安感を抱いているのでしたら、尚更の事ですよね。

あと、「生涯独身で最後は孤独老人として死ぬ」と言っていますが、
別の所では、「死の現実感の希薄さ」も語っている訳で、
言っちゃ何ですけど、その程度の現実感で考えている「孤独さ」は、
一体どれだけリアリティーを持って考えられているのかが、正直疑問なんですよね。
賢狼ホロも、「孤独は死に至る病じゃ」と言ってるじゃないですか・・・という冗談はさておき(笑)、
若い頃はまだしも、年老いてからの孤独は、下手をしたら死よりも怖いかも知れず、
死が怖いのであれば、同じくらい、将来の孤独を恐れてみても良いかも知れませんよ。

> 『どうか皆の前で』で若者は異常に貢献欲求が高く、会社に入っても、上司からごくごく単純な業務を任されただけで、
> 異様に張り切るというような話がありますが、
> これも自己では補完しえない自分の存在意義を、今この上司から任された仕事をやっている瞬間だけは、
> 他人にとって自分は価値ある存在だと「自分で」思えるからなのではないでしょうか?

これ、ふと思ったんですけど、単純作業ではなく、
凄く難しい仕事を任された時の反応って、一体どうなんですかねえ?
「単純作業でも張り切る」ではなく、実は「単純作業だから張り切る」ような気もしてきたので。


> > まあ、少子高齢化の影響により、若者の絶対数も減っていれば、大人と子供の割合も変化しており、
> > 教育方針の変化とも相俟って、今の世代は昔以上に、良くも悪くも1人1人が見られている時代ですので、
> > どの世代の子供より、実は褒められたり、存在を確認されている世代でもあるのですが、
> > それが当たり前で育っていると、そこを自覚できないと言うか、スタート地点の違いとかもありますね。
> > 内在的で抑え気味な「もっと、もっと」という願望と、それが困難な社会の実状との間に、ギャップがあったり、
> > 主観的に「自分たちはこうだ」というのと、客観的に「あなたたちはこうだ」というのでも、ズレもありますし。
> > って、あれこれと勝手に分析・解釈されるって、あまり心地良いモノでは無いかも知れませんけど(苦笑)。

> いや、一周回って面白いですよw
> なんだかんだで、私もこの世代の一員で、
> 私の性格や個性は、しょせんこの世代の中のバリエーションに過ぎないんだな、という発見があるので。

W杯の試合を見ていて、私も今更ながらに気付かされたのですが、
20代中盤くらいまでの若い選手たちは、まさしく「Z世代」なんですよね。
あんな超一流のプロたちも、局面でのプレー選択にZ世代の特徴が現れるのは、ちょっと驚きでした!!
取材情報などに触れると、練習姿勢や戦術志向などでは、それが尚更顕著みたいでし。

いや勿論、ひとたびピッチを離れれば、そこは普通の若者と大差ないのは解っていましたが、
プロは厳しい競争を勝ち上がった世界なのに、ピッチ上でも、世代的な傾向が現れるのかと!?
しかも、それは日本だけでなく、世界的に見られたんですよね。
まあ、そもそもZ世代という言葉がアメリカ発祥なので、当然と言えば当然なのでしょうけど。
ただ若手の中でも、最終的に活躍するのは、やはりメンタルと我が強い選手でした(笑)。

> 最近、大学のキャリア支援センター(就職課)の方が
> 「大学生がなかなかキャリア支援センターを利用してくれないので、なぜなのか調査したところ、
> 『キャリア支援センターは静かなので怖い』と思われているということが判明したのですが、
> キャリア支援センターは確かに静かですが、怖いところではありませんよ」
> という話をしたという、冗談みたいな体験をして、今の大学生を上から目線に笑っていました。

う〜ん、これって「上から目線に笑う」行為なんですか?
まあ、その場の雰囲気とかは解らないので、確たる事は言えませんけど、
文面だけで見た限りでは、却って、大学生に対する気遣いを感じさせますけどね。
何というか、今の若者層は「マントを取られたくない」傾向が極端に強く、
少しでもネガティブに感じる部分があると、そこで過剰反応する嫌いはあるかと?

> しかし、後日映画を見にショッピングモールに行ったところ、
> ショッピングモールがあまりに家族連れだらけで、同じ大学生くらいの利用者もなんか陽キャな感じで、
> 割と本気で帰りたくなったんですよね(帰ったら映画見れないので帰りませんでしたが)。
> 「キャリア支援センターが怖い大学生をバカにしてすみませんでした、やっぱり私もショッピングモール怖いです」って感じですw
> ちなみに私のTwitterのフォロワーの既婚者の方もやはりショッピングモールに居心地の悪さを感じるようで、
> 陰キャ魂は結婚しても変わらないんだな、と思いました。

それは、その人の心の持ち様次第なのでは?
若い独身の頃は、ショッピングモールなど安っぽくて騒がしいと嫌っていた人でも、
結婚して子供を持てば、これだけ過ごしやすい場所も無いと、心境が一変する事は珍しくなく、
逆に、未婚のままで独身中年になると、あの幸せな空間に耐え切れず、鬱な気分になったりもすると。

と言いますか、立場が変われば、「映画を見に行く人種は陽キャ」と見なす人だって居るでしょうし、
アウェー感を抱くのも、その感情を拗らせて被害妄想に陥るのも、結局は当人の心次第であり、
現実問題として、周囲の人は自分に関心など無いのですから、そんな自意識過剰にならなくても良いんです。
見方を考えれば、ホームでありたいと願う心があるから、現実とのギャップで居心地が悪くなるのでは?
例えば旅行などに行けば、そこがアウェーなのは当然の事であり、
アウェー感を気にして苦痛を感じる人は少ないはずで、ショッピングモールだって同じですよ。
足を運んだ先で、自分が何を楽しむのか?というだけの話です。
そもそも大きなモールには、それこそ多種多様な専門店が並んでおり、
その中には、オタク向けの商品を揃える店だって、普通に入っていたりしますからねえ。

> 商学部なので最近はこういう考え方をするようになったのですが、
> ショッピングモールだって大予算かけて建設する分、入念なマーケティングの元建設してるはずですし、
> まさか最近の陰キャが居心地の悪さを感じているとは思っていないんでしょうね。
> と書きつつ、ショッピングモールの陽キャ感に帰りたくなる現象というのは、
> もしかして最近の若者の感性ではなく、割と昔から存在しているもんなのでしょうか?
> もしかして私ってショッピングモールの客層じゃない?
> (もちろんメインターゲットは家族連れですが、陰キャはサブターゲットにもなってないんですかね)

ショッピングモールに関しては、10年くらい前に、いろいろ調べた事があるのですが、
恐らく、旧トルコ担当さんが抱かれているような、一様なイメージでは無かったりするんですよね。
地方にあっては、小さな都会がオアシスのように現れた場所であり、
郊外にあっては、便利ではあっても、田舎を象徴するような場所であり、
陽キャが集まり、陰キャには居心地が悪いという、プラスな印象もあるでしょうけど、
その一方で、マイルド・ヤンキー系の子連れ家族がたむろする、マイナスな印象もあると。
言うなれば、同じショッピングモールであっても、
その人の置かれた土地柄や立ち位置によって、見え方は様々である訳です。

そういう意味では、経営側の方だって、
ショッピングモールを「最大公約数にウケる場所」として作っていても、
必ずしも「万人ウケ」を狙っている訳では無いでしょうから、それも想定の範囲内なのでは?
言うなればショッピングモールとは、ショッピングをテーマにしたテーマパークですからね(笑)。
どんなに素晴らしい「夢の国」を作っても、その世界観から浮いてしまう客層も一定数は居ますよ。
まあ私の場合、人々の動線や見え方などの建築面であったり、専門店の各配置であったり、
そもそも客である以前に、観察者みたいな視点からモールを見ちゃうので、
居心地が良いとか、悪いとか、そうした層からも更に離れた所にいる感じかも(苦笑)。
ある意味、居心地の悪さを感じられるレベルにさえ、到達できてないような人種ですので。

ちなみに、日本のショッピングモールや大型店は、
大店法が廃止された2000年以降に、店舗数も店舗面積も急拡大したモノなので、
そもそも、ここ十数年あまりの歴史しか無い事を考えると、「昔から」というのは無いかな?
とは言え、昔は昔でアーケード街や百貨店あたりが、今のモールに相当するでしょうし、
そうした場所の華やかな雰囲気を「苦手」と感じる人たちは、当時から普通に居たと思いますよ。
ただし当時は今と違って、ネット通販なんて無かったので、
何か欲しいモノがあれば、リアル店舗まで足を運ぶ必要がありましたし、
マニアックな店とかは特に、大きな繁華街の路地裏などにあるのが定番で、
そういう意味では、客層の共存と言うか、混在や棲み分けみたいな感じもあったかと。

> イタい感じの自分語りっぽくなってしまいましたが、これしか参考になる話はできないので、あきらめてくださいw
> おそらく私の体験を元にした、どこまで信用できるんだかわからない仮説を披露するよりも、
> 元データを直接見てもらう方がよっぽどマシですw

いや、私の方は全然構いませんよ(笑)。
そうした内面の声を聞くのは、私も結構好きですし、
それこそアート作品なんて、まさしく そうしたモノの塊ですからね。


[24102] 旧トルコ担当さんへの返信(その2)返信 削除
2022/12/21 (水) 19:40:09 徳翁導誉

> > > 交通事故で死者が出るのは仕方ないことだと皆考えていますが、
> > > いざ自分が交通事故にあって障害が残るようなことになれば、そうは思わないでしょうし。

> > 年齢差による「感覚の違い」という観点から、引き続いて述べると、
> > 「死の身近さ」というのも、大きな違いがあるかも知れません。

> そうですね、私ももう大学生でありながら未だ葬式には1度しか出たことがありませんし、
> 親戚家族関係の希薄化にともなって世代間交流がなくなっているんでしょうね。
> 私が知っている人が亡くなったのって、親戚と学校の先生とあとはTwitterのフォロワーくらいですね。
> 親戚がなくなったときはまだ幼かったですし、知っている人が亡くなって一番ショックだったのが
> Twitterのフォロワーというのが"現代"なんでしょうね。

ネット普及以前の時代で言うと、それに近いのが「有名人の死」なのかな?
もちろん今でも、有名人の自殺や早世は、世間の人(特に若者層)に大きな影響を与えますし、
だからこそ、昨今は自殺報道などがあると、心の電話相談の案内がセットで付いてきてますが、
有名人の死に伴う「後追い自殺」は、一昔前の方が多かった印象を受けますね。
例えば、岡田有希子とか、尾崎豊とか、X JAPANのhideとか・・・・

> > > 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> > > (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

> > いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
> > 「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
> > 「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
> > テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
> > そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・

> 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。
でも、「なぜ?」を問うた上で、何らかの対策を考える「応用面」での活用では、それは有益ですし、
科学の世界にも、基礎分野と応用分野があると考えれば、それが学術的では無いとも言えません。
ただし、それは断言できるほどの正確な内容には至らないので、
そこで断言が生じるようなら、政治利用やビジネス目的に主眼が置かれたモノになるかな?
学問よりも宗教的だと、言い換えても良いかも知れません。

と言いますか、冷戦期にあった20世紀後半の歴史学って、
マルクス主義に基づく唯物史観が、西側も含め、世界の学術界を席巻していた為、
「なぜ起きたか?」の答えは既に用意されており、それに沿って事象を解釈する傾向が強かったので、
そういう意味では、そうした認識が正しいか否かは別として、
20世紀的な歴史観の「しがらみ」から、既に解き放たれてる世代なのでしょうね。
逆に言うと、戦後昭和に学んだ高齢層は、冷戦当時の歴史観に囚われている側面はあるかも?
もっと言えば、そうした考え方が染み付いている為に、唯物史観を捨てても、
それに替わる新たな拠り所を欲して、歴史修正主義などにハマっていく部分もある気がします。

> もしかしたら社会主義国家の成立は人類史を100回やって1回しか起こらないことかもしれませんし、
> ですが私たちの生きている世界はその1回が起きた世界なので、
> どうしても100回やったら少なくとも30回くらいは起こるだろうと予測してしまう、
> と思っているのですが、どうなのでしょうか?

う〜ん、それは難しい問いですねえ(笑)。
確かに共産革命に関しては、まあ何らかの形で起こった可能性は高そうですが、
それがソ連邦のような形で生じる確率は、かなり低かったようにも思えます。
しかし、だからと言って、その確率を数値化するのは無理であり、
印象で数値を概算する以上、感情に左右されるのは不可避でしょうから、
その要素を出来るだけ排除しようと試みると、必然的に史実に引っ張られるので・・・・
でもまあ、100回に1回とか、具体的な数値の方は さておき、
そうした考え方自体は、決して間違っているとも言えないかと思いますよ、個人的には。


> > > > そういう意味では、今の時代って、全ての関係性で垣根が低くなりましたし、
> > > > 逆に言えば、だからこそ、1歩進んで深い関係性となるには、
> > > > 言葉による再確認というか、関係性の再定義を、目に見える形で行いたい意向が働くのかも?

> > > 根拠はないですけど、それはありそう。
> > > 「俺ガイル」だってその辺がテーマですし。

> > 逆に言うと、「全ての関係性で垣根が低い」からこそ、
> > 対立とか衝突を乗り越えた上での、深くて強固な人間関係みたいなモノは、
> > 却って今の時代の方が、築き難くなってるのかも知れませんね。
> > 何度も言っていますが、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体の関係なので、
> > 面倒さというデメリットを排せた反面で、絆の強さというメリットも失われてしまったと。
> > だからこそ、言葉による再確認とか、周囲の人間も巻き込んでの関係作りが、昔以上に重要なのかも?

> 完全に独り言ですが、ソードアート・オンラインは現在27巻出ていますが、
> 9巻〜8巻のアリシゼーション編で主人公のキリトに男の親友が登場するんですよね。
> やはりここがSAOの転換点で、それまではなんだかんだで、なろう小説のような、
> ぼっち主人公が実は最強でみんなが憧れの美少女ヒロインに好かれる、というラノベだったのですが、
> この男の親友が登場して以降、SAOが普通のラノベから、もっと別のリア充崇拝に近いような、
> まぶしい系のコンテンツに変わっていったんですよね。
> 主人公キリトは、第1巻ではボッチを気取っていてたのに、
> 今では50人以上のゲーム仲間と言うか軍団のリーダーみたいなのやっていますし。

SAOにせよ、俺ガイルにせよ、最初はボッチで読者層に合わせているのに、
どちらの結局は、美少女たちや男友達に囲まれる方向に話が進み、
そして読者たちも、それに付いていくのですから、やはりそこに本心があるのでは?
まあ、認めるか認めないかに関わらず、読者の心の奥底にある欲求に応えるべく、
各作品のストーリーだって、そちらの方向へと流れていくというのが、実際の所でしょうからね。

もちろん 中には、本当にボッチ志向の人も居るでしょうけど、そういう人は 恐らく少数派であり、
大多数の人は、自らをボッチだと かこつけてるだけで、本音では彼女や仲間を欲している気がします。
と言いますか、そんな作品の変化を「リア充崇拝に近い」と感じている時点で、
そうした本音が見え隠れしているように、私には映るんですよねえ・・・・
ぶっちゃけ、本当にボッチ志向の人だと、そんな変化に触れても普通にスルーでしょうし、
わざわざ引っ掛かるのも、もっと言えば、そもそも こうした作品の主人公に「自分」を投影するのも、
結局の所、「リア充に憧れながら、ボッチを演じている人」の証のような気がするんです。
天然のボッチというのは、共感も、投影も、始めから求めていないタイプが多いでしょうから。

あと余談ながら、アニメSAOの主題歌を担当したLiSAが、人気アニソン歌手となって早10年。
鬼滅の記録的な大ヒットにより、一躍 紅白歌手にまで登り詰め、
そして今年は、ABEMA&テレ朝のW杯テーマ曲まで任せられ、もう既に国民的歌手ですね!
また今回のW杯中継では、放送局のメインが「地上波(NHK)」から「ネット配信(ABEMA)」に変わり、
時代の移り変わりというのを、体感させられた気分でもあります。
今までだと、各大会を思い出す際のBGMは、NHKのW杯テーマ曲が普通でしたが、
今大会のそれは、NHKのKing Gnuよりも、ABEMAのLiSAな人が多いかも知れません。
コアなサッカー・ファンほど、全試合を中継したABEMAの方に触れる機会が多かったでしょうし。

それと、200億円と言われる莫大な放映権料を、ABEMAの親会社であるサイバーエージェントが、
ウマ娘の爆発的ヒットで上げた利益で支払い、全64試合を無料配信したなんて裏話を聞くと、
ソシャゲ課金に対して、これまで苦言を呈していたにも関わらず、
藤田社長だけでなく、課金ユーザーにも、「ありがたいな」と思ってしまいました(笑)。

日本が初出場した1998年のフランスW杯の時は、5.5億円だった放映権料も、
7大会24年が経過した2022年のカタールW杯では、地上波分も合わせると総額350億円となり、
どう考えたって、広告収入に頼った無料放送だと、採算が合わない時代になりましたからねえ・・・・
実際、今回のW杯アジア最終予選のアウェー戦は、テレビ中継なしのDAZN独占(月額3000円)でしたし、
テレビ局の方も、採算度外視にしたって支払える金額では既に無い為、
あとは今回のように、どこかの利益を転じて突っ込むくらいしか、無料存続の手段は無いのでしょう。
(ちなみにAmazonの多角化経営だと、動画事業は宣伝と割り切り、利益よりも顧客獲得手段と化してます)

恐らく興味は無いでしょうが、ついでなので愚痴らせてもらうと(苦笑)、
特に、アジア連盟主催の公式戦の放映権料に関しては、
連盟の主導権をアラブ諸国が握っていて、アラブ圏の放映権は事前に分離した上で、
日中韓には莫大な放映権料を課し、それを残りの国々で山分けするという、悪質な改革案を、
日中韓が強硬に反対する中、賛成多数で可決させてしまったんですよ!?
今までも、アラブ勢の やりたい放題な所はあったのですが、この件はさすがに酷過ぎます。
しかも、その際の嫌韓反中なネット世論は、中韓との共闘態勢に猛反発でしたし、
それで、いざ無料で試合が見られなくなると、中韓の所為にした上で、日本協会バッシングと、
何だか本当、外側だけでなく、内側にも敵が居る、内憂外患な状態なんですよね・・・・

また、サッカーが国民的スポーツであり、先んじて放映権高騰に苦しんだ欧州では、
政治が動いて、自国の試合や準決勝・決勝を「国民的行事」とし、
テレビで無料放送させる法律を作り、放映権料を抑え込んじゃいましたからねえ(笑)。
日本の政界にも、元スポーツ選手の国会議員とか居るのですから、
単なる票集めの看板ではなく、そういう分野でキチンと活躍をしてもらいたい所。

> 私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
> ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、
> フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
> 人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、
> あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

何というか、テニスの壁打ちに近いのかな?という印象を受けますね。
どんなボールで攻めてくるかと、相手とのラリーの応酬を楽しみたいというよりは、
自分が打ちたいが為に、単にボールを返してくれる「壁」役の存在を欲していると。

極端な話、それで自分が満足できるのであれば、
ネットの向こう側に居る相手は、人でもbotでも構わない感じなのかな?
もちろん、始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそうですし、
それを望まない人は未だに多いでしょうけど、気が付かなければ意外とそれでもOKみたいな。
まあ現状だと、まだまだ自然な会話は、技術的にも難しいでしょうけど、
これが将棋や囲碁などのネット対戦であれば、既に充分に有り得る話ですからねえ。

> ですが、最近読んだラノベだと
> 「世界で一番けんかする人が恋人」カノジョの妹とキスをした
> 「友達はそんな役回りを引き受けるためにいる」マリア様がみてる 赤薔薇さま
> こういうのも分かりはするんですよ。
> 相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。
> しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、
> 岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、
> やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。

う〜ん、結局の所、上記と同じ話になっちゃいますけど、
botが相手では虚しいものの、かと言ってリアルな人間が相手だと煩わしく、
その結果、素性も知らない「bot的な人」を相手に求めるようになり、
それに応じて、自分さえも「bot化」してしまうというのが、そのあたりの正体なのでは?

> もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
> 本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。
> とはいえやはりひと昔前と比較して、
> 人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、
> というのはより進んでいるのでしょうね。

「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。
ぶっちゃけ今も昔も、リアルな人間を相手に面と向かって、平気で「壁」役を求める人など普通に居ますし、
今の若い世代は良くも悪くも、そうした傍若な振る舞いを、自らがする事を恐れている気もします。
もう少し解りやすく表現すると、面と向かった他人を、自分の為に利用する事は好まないし、
それ以上、自分が他人に利用される状況というのが耐えられない・・・みたいな感じなのかと。

そして、その反動というか、衝動みたいなモノが、
相手の顔が見えないネット上であったり、顔が見えても素性の解らない匿名の場などで、
新自由主義などとも相俟って、人間関係の「コンテンツ化」という形で現れているのかも?
まあ、私みたいな世代だと、アナログしか存在しなかった所に、後からデジタルが現れたので、
「リアルとネットは別物」という感覚が、未だに割と残っているのですが、
デジタル・ネイティブな若い世代だと、「ネットはリアルの一部」という感覚でしょうし、
逆に言えば、だからこそ、「リアルとネットの区別」を行ってる自分に無自覚なのかも知れません。
確かに現在は、ネットがリアルにも深くリンクする時代や社会となっていますが、
それでも、ネットとリアルが完全にイコールとはなっていない以上、
世代ごとに濃淡の差こそあれ、そこには何らかの「使い分け」が生じているはずですからねえ。

言い換えるなら、ネットの存在が当たり前すぎて、リアルとの関係性を意識できない為に、
その辺りで混乱が生じているというか、振り回されてるみたいな印象があるかな。
「人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに」という図式も、
私から見ると、それは「→」で繋がっているかも知れませんが、
少なくとも「=」で繋がっているイメージは無いんですよね。
「→」であれば、幾つか在るルートの1つですけど、
「=」ですと、それは1本道なので。

> それは、一方的に悪いことと言いたいわけではなく、
>  困ってる友達を助けるべき ←→ トラブルメーカーとは関わりたくない、トラブルを起こすやつはダメな奴
> 常に社会の価値観はこの横軸のどこかに点を打っているはずであり、
> 昔であればこの点がより左側に打たれていた、というだけであって、
> ある以上に不快な奴は昔だって、無視であったり、あるいは除け者、笑い物の対象だったと思うのですが、
> この基準がどんどん高くなってきているのでしょうね。
> ある意味ではダメなやつ(嫌な奴)を互いに受け入れる同士から、自分の中の嫌な奴は排除していくという、
> 共助から自助に代わっているとも言えます。

これに関しては、卵が先か?鶏が先か?みたいな話かも知れませんね。
昔の社会は、その不便性から、我慢や寛容が生きていく為に必要であっただけで、
便利な社会となり、カネさえあれば1人でも何とかなる時代となれば、
我慢や寛容といったコストなど、支払いたくない層だって決して少なくないでしょう。
そうした変化の見方を変えれば、確かに「共助から自助へ」という事でしょうし、
自助が破綻すると、互助も共助も飛び越えて、一気に公助を求める流れになると。

あと、旧トルコ担当さんが商学部の学生であるならば、
横軸で「人間関係」を取るだけでなく、縦軸で「経済状況」を取り、
そこから「幸福」の分布図を示してみると、
人間社会というモノが、更に深く見えてくるかも知れませんよ(笑)。

> 岡田斗司夫はホワイト社会の特徴として「ミュート」というのを挙げていますが、
> これもかつては笑い物であったり、いじめの対象であったりした不快沸点を超えた人たちが、
> ホワイト化でその対応がミュートになったという要因もあるのでしょうね。
> いや、別に悪いことばかりではなく、その分えげつないイジメや学校で笑い物にされたり、というのは減っているはずですから、
> 私としては昔の世界より今の世界の方が生きやすいと思うんですけど、ただそれは人間関係の希薄化とバーター取引であったと。
> ミュートされるかもしれない、という恐怖が人を露骨に笑い物にしたりしない、という個人の民度を上げているので。

不快源をシャットアウトするのに、ミュート機能が重宝されるのは私も解ります。
イジメやイジリの減少と、人間関係の希薄化が、トレードオフの関係にあるのも概ね事実でしょう。
(それ自体は、デジタル化以前から進んでいる話なので、社会の成熟度にリンクしての事でしょうけど)

ただ、この中だと「ミュートされる恐怖」という感覚は、私にはイマイチ掴めない所かな?
いや勿論、無視をされれば寂しいのは解りますし、
希薄ではあっても、繋がりが重視される関係において、そこから排除されるのは死活問題なのでしょう。
でも、それって、本当にそこまで怖いモノなのですか?
逆に言えば、そこまで怖いモノなのであれば、それは「えげつないイジメ」とは違うのですか?
無視というのは、時には暴力以上に、人を傷付けるイジメ行為でもありますし。
それに、近年のネット上における集団リンチって、ネットの普及を差し引いても、
明らかに苛烈になってる印象があるのですが、これって本当に民度が上がっているのですか?
結局の所、人間の本質など大して変わらないモノでしょうし、
目に見える解りやすいイジメから、顔の見えない陰湿なイジメに取って代わっただけな気もするんですよね。

> 皆が相手に求める基準が上がった分、皆が少しずつ良い人になったと。
> 経済だって、金が欲しいという私利私欲があるから一生懸命働くわけですし。
> 岡田斗司夫は「現代の20代以下は地獄を生きてきた世代」と言っていますが、
> 私から見れば当たり前のように学校に暴力があった昔の時代の方が地獄ですね。

平成の30年間で、子供の人数は半減しているのに、自殺数は倍増してますからねえ・・・・
比率で言えば3〜4倍だと考えると、果たして本当に、今の方がマシと言えるのか、どうか?
ただ、そこが地獄と映るか否かは、個々の置かれた状況や、主観か客観かでも変わるモノですし、
現実はどうあれ、多くの人は、自分の居場所に対する正常性バイアスが働くモノでしょうから、
「今は地獄だ」とか「昔の方が地獄だ」と、一個人の感覚で語っても、あまり意味は無いかと。


> これは年上の方に対して失礼かもしれませんけど
正直な話、私は年上だとか年下だとか、全く気にしないタイプですからねえ。
リアルの場合、一応は相手に合わせて、年上なら気を払いますけども、
年下だと年齢差に関係無く、タメ年感覚で接しがちなので、ナメられる事も多々あります(笑)。
で、リアルでも そんな感じですから、ネットなんて尚更ですね。
重要なのは中身の方ですし、年齢なんて単なる数字という感覚で、ほぼ気にした事が無いかな?
ですから旧トルコ担当さんも、その辺りの事は、全く気にしなくてOKですよ!!

> 「ネットde真実」というのは、
> そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
そんな便利な単語が既に存在するのに、悪い意味合いを気にして、
その度に長々と回りくどく説明したり、うまく伝わらない別の単語に言い換えたりするほど、
私は別にポリコレ重視じゃありませんし、他に便利な単語が無ければ、今後も用いていくと思います。

例えば「印象派」なんて単語も、最初は侮蔑的な意味合いが含まれてましたし、
そもそも論として、愛称や記号の多くは、そうした他称が広く認知される事で、
次第に認知され、定着していったモノも多いのですから、私は使用をそれほど気にしていません。

逆に言うと、ネット上でよく見られるウヨサヨ論争みたいな感じで、
相手を馬鹿にしたいから、その単語を用いてる訳でもありませんけどね。
う〜ん、そうした事情は、文章の内容を読んでいただければ、解るモノだと思ってましたけども、
今回の反応を見ると、どうやら、そうでは無かったみたいです・・・・
となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)
それが私もピンと来る単語であるなら、きっと置き換えるでしょうし。

あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
って言っているようなモノですからね、この発言は。

> もちろん、確かにそういう人たちが愚かなことを言っているのは事実ですが、
> 少なくとも私の場合は、そういったネットの陰謀論に騙されずに済んでいるのは、
> 周囲に知的に恵まれた環境(といっても父親が少し本を読む程度の一般家庭のもの範疇ですが)があったからですし、
> 対する陰謀論者の人たちは、そういった環境に恵まれなかっただけだと思うんですよね。

「お前の目の前の箱は、何の為にあるんだよ!?」というのは、
一昔前までのネットだと、よく目にしたフレーズなんですけどね(笑)。

ちなみに、ここで言う「目の前の箱」とは、ネットをする為の「PC」の事で、
まあ現在だと、ネット端末の主流はPCからスマホとなり、同じPCでもノートPCばかりで、
今や箱形のデスクトップ&ブラウン管モニターなど、絶滅危惧種でしょうけど、
それはともかく、ネット環境というのは、一昔前に比べると格段に普及&進歩しています。
なので、知りたい願望があるのなら、調べられる環境は用意されているんですよ。
あとは、「どこまで調べるか?」という、個々のスタンスの違いだけかと。

もっと言うと、これって別に、若い世代だけの話では無いんですよね。
会社を定年退職した団塊世代の男性が、世間との繋がりを失う一方、スマホを手に入れた事で、
「高齢者がネトウヨ化」する現象というのが、地味に問題となっていたりもします・・・・
では、そういう人たちが、「知的環境に恵まれなかったのか?」となると、決してそうでは無く、
サラリーマン時代は至って常識人であり、名門大学やエリート企業に属した人も珍しくないのに、
荒唐無稽な陰謀論にハマったりする事も多いんですよ。
ハッキリ言って、環境的に恵まれなかったのだとすれば、
それは子供時代の「知的環境」では無く、退職後の「人的交流環境」の方なのでしょうね。
ネトウヨ活動であれ、プロ市民活動であれ、そういう所に行けば、すぐに仲間が作れるので。

> 管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
> それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、
> そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
> そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、
> それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

え〜と、いきなり どうかしましたか!?(笑)
マイケル・サンデルの番組を見るなり、近著でも読んだりしました?
このスレッド内でも、以前に何度か「メリトクラシー」の件について触れた際には、
旧トルコ担当さんの方からは特に、目立った反応は返って来なかったと記憶してますけど・・・・

能力主義や実績主義を重視すると、その人が育った環境格差が大きくモノを言うようになり、
努力して出世したエリートは、自らの努力に関して過大評価する一方で、
自らの恵まれた環境に関しては軽視しがちである問題点は、確かに私もあるとは思ってますし、
アメリカだけでなく、近年は特に日本でも、その傾向が高まっているようには感じるんです。
ですけど、そうした問題が確かにあったとして、それは概論としては語れても、
個々の人物を見ないまま、勝手に型に填め込んで、
それを根拠に個人否定するのは、どう考えたって間違いでしょ!?

少なくとも私の場合、良く言えば放任、悪く言えば放置な両親の元で育ちましたし、
父親の転勤で3〜4年くらいで各地を転々とした為、周囲との人間関係もかなり希薄であり、
人見知りな性格の上、当時はまだネットもありませんでしたから、本当に ほぼ独力ですね。
まあ、上を見ればキリが無いですし、下を見てもキリが無いので、
「もっと恵まれた環境なら」と屈折する事はありませんけども、
大人になってみて「当時の自分は、こういうのを望んでいたんだな」と感じだモノを、
今の子供たちに対して、私なりに微力でも何か伝えられないか?という事は、
結構考えたりしますし、時々ここでも構想を語ったりもしてますからねえ・・・・

それに、上の方でも同じ事を書きましたが、私が自分自身で自己分析する限りでは、
私は別に知識人タイプでも無ければ、マウントを取って他人を見下したいタイプでも無いので、
どちらかと言うと、その見立ては、旧トルコ担当さん自身の思いの投影な気がしますよ。
自分で言うのも何ですけど、私は変わり者というか、ちょっと掴み難いタイプだと思いますし、
これは旧トルコ担当さんに限らず、そこはもう、様々に映る私の角度の中から、
その人が見たい像を、それぞれに見つけ出す作業をされている感覚はありますね。
なので、一面では理解される事はあっても、全体像として理解された経験は思い浮かばないかな?

あと、私が陰謀論にハマらないのは、実に単純な話で、
「それにハマっても、別に私は楽しさを感じないから」というだけの事ですね。
ムー大陸だとか、宇宙人だとか、知的プロレスである一昔前の陰謀論は楽しかったですけど、
ネットを媒介とする、現在の政治的な陰謀論というのは、まるで別物ですし。
それでも、陰謀論にハマって自慰的に気持ち良くなるのも、そういう人たちを利用して金儲けをするのも、
私と関係無い、どこかの内輪だけで収まる話であるのなら、それは別に構わないんですよ。
ただ、そうした動きが社会に悪影響を及ぼし、日本を停滞・衰退させる要因となるのであれば、
「次々と面白いモノ生み出す、活力ある日本」が好きな私としては、見過ごせない所があるのも事実かな。
転勤族として育ち、明確な故郷を持たない私は、何だかんだで、世間の人よりも愛国心が強いですし(笑)。

> まあでも知識のない人をこうやって擁護する時代こそ、おかしな時代なんですかね。
> 1960年代とかだともっと知識人崇拝というか、そういうのってありそうなイメージですし、
> 以前のテレビ報道の話もそうですが、そうした知識を軽視する時代というのがおかしくて、
> 知識が無いのは馬鹿にされるのが当然なんでしょうか。

高度成長期の頃の日本は、一般市民の中に「知識崇拝」と言いますか、
背伸びして教養人ぶりたいマインドが、確かにあったかと思われます。
歴史・文学・美術・音楽・百科事典などなど、ありとあらゆる分野の「○○全集」が発売され、
それを蒐集するのが、一大ブームとなってた時代はありましたからねえ。

また、経済が右肩上がりの時代ですから、貧乏人の子供であっても、
子供たちに良い教育を与えて、勉強が出来れば、豊かな将来が保証されてる感じで、
「末は博士か、大臣か」じゃ無いですけど、勉強が一番大事という風潮があったのは事実かと。
でも一方で、一億総中流の時代でもありましたから、
別に学歴など無くても、誰もが家庭を持てて、それなりの生活を送れたんですよね。
ですから、トップ層の受験競争は苛烈であっても、全体的には比較的にのんびりした社会だったかも?
少なくとも、今のような世知辛い世の中では無かったので。

あとは、細かい事を言うと、1960年代だと「知識人崇拝」どころか、
中国の文化大革命に感化された全共闘世代が、大学教授を吊し上げていたような時代なので、
学生たちは自分たちを、新時代の教養主義者であると自認する一方、
旧来の知識人たちに対しては、明らかに敵意を抱くというか、バッシングの対象となっていたかと。
そして三島由紀夫などの戦後右翼層も、立場は違えど、旧来の知識人批判には荷担していた感じかな?
言うなれば、戦前・戦中派と、戦後育ちの若者との間で、文化的な衝突があった格好かと。

それと、「知識を軽視するような時代」になったというのも、
「ネットの普及」というのが、本当に大きかったりします。
簡単に言うと、一昔前までの世界では、大きな発信力があるのって、マスコミだけだったんですよ。
そして、戦前はまだしも、戦後のマスコミ記者というのは、高学歴のインテリ集団でもあり、
発信力の寡占という弊害を抱えつつも、インテリ的な倫理観で暴走は抑えられていたと。
要するに、知的ピラミッドの上層部にしか、影響力をもつ発信権は与えられておらず、
逆の見方をすれば、当時だって普通に、
知的じゃない人たちなんて大勢いた・・・と言うよりも、そちらの方が多数派でした。
でもまあ、それで世の中は上手く回っているし、そもそも社会問題など関心が薄いので、
「賢いヤツらが言ってるんだから、まあ正しいんだろ」みたいな雰囲気でしたよね。
政治だって政策は官僚に丸投げでしたし、知識人崇拝というか「インテリ委任型」だったかな?

それが90年代に入ると、戦後日本を支えてきた経済成長が頭打ちとなり、
停滞から下落へと時代が移り変わっていく中で、逆にネットの普及は加速度的に進み、
マスコミが独占してきた発信力が、一般大衆にまで開放されるようになったと。
その事で恩恵を受けた層は確かに居るでしょうし、
小さいながら私なども、その一部かも知れませんけど、
インテリとしての知識と自制があるが故に、今までは抑えられてきた暴走的な発信が、
知的ピラミッドの中層・下層部にまで、発信力が与えられたとなると・・・・
誤解を恐れずに言えば、「馬鹿にも発信力を与えた」のが、ネットの時代であり(笑)、
「知識を軽視するような時代」に変わったと言うよりは、
そうした人々は以前から変わらず居り、変わったのは彼らの影響力が大きくなった事です。

で、それが良い事か?悪い事か?と問われれば・・・決して良い方向性では無いのでは?
昨年のアメリカ議事堂襲撃事件なんて、それこそ悪い実例の見本でしょ?
簡単に言っちゃうと、民主主義の政治制度において、そうした層の御機嫌取りに終始し出すと、
民主主義はアッと言う間に、「衆愚政治」へと変貌してしまいますし、
衆愚政治によって行われる政策は、中長期的に見て、社会に好影響を与えるのは困難です。
実際、EU離脱の賛否を問うたイギリスの国民投票では、国益に適う選択が行われたでしょうか?
「俺達(労働者)は馬鹿だから、お前ら(国会議員)に高給を払って、国政を任せているんだ!
 それなのに、お前らが責任逃れをして、俺達に大事な判断を委ねるなんて、何て愚かなんだ!!」
と、イギリスの人気ロック歌手が発言してますが、これは結構な至言なんですよね(笑)。

「民主政治は国民のレベルを映す鏡だ」というのは、よく言われる事ですけども、
直接民主制だと、等身大そのままのスッピン姿が映し出されますが、
間接民主制であれば、多少なりとも化粧姿を飾れるんですよね。
要するに、平均値より幾らかは盛れるはずのシステムであると。
でもまあ、民主主義というのは、政策の失敗が王様でも貴族でもなく、
全て「自己責任」になる制度ですから、それはそれで良いのかも知れません。
ただし、歴史の法則を見る限り、その行き着く先に現れるのが「独裁者」であり、
そして独裁者が暴走すると、生み出されるのは大量の国民の死体なんですよねえ・・・・

ちなみに「反知性主義」自体は、もう100年以上の歴史がありますけど、
戦前のそれは、急速的に進む社会の変革に対して、「反近代化」的な意味合いで用いられ、
戦後のそれは、赤狩りとも絡んだ「反エリート主義」的な政治運動へと内容が変節し、
今世紀に入って以降のそれは、ブッシュJr.当選やトランプ現象などが起こり、
その支持者を「馬鹿にする用語」として、左翼が誤用&多用するようになったという感じですね。

> あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、
> 生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、
> 『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

いや〜、これに関しては、私の方が少数派なのかも知れませんけど、
チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
個人的には「スポーツ競技者」という見方になってしまうので、
演技内容はまだしも、顔の可愛さだとか、身体のラインだとかは、ほぼ意識の外なんですよね。
そもそも、生まれ持った容姿で勝負しているような世界じゃありませんし。

でもまあ、そういう見方をする人が多いというのは、私も理解はしていますし、
それが問題のある見方なのかと問われれば、別にそうでも無い気はするんです。
ただ、自分自身はそういう見方をしていながら、
尚かつ、勝手に容姿基準だと想像して、勝手に辛くなるのは、どうなんですかねえ・・・・
言うなれば、黒人の子供とかに対して、
「自分は差別意識は無いけど、黒い肌に生まれて可哀想だし、同情するよ」
と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。


[24107] Re:旧トルコ担当さんへの返信返信 削除
2022/12/26 (月) 01:55:18 旧トルコ担当


> > 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> > オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

> 私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)


わたしも無学人間なので、だからこそ"系"という言葉をつけて保留にしています。
私から見れば管理人さんは知識人に見えますが、私から見ればですので。

> > 何となく聞いたことはありましたが、やはり地球温暖化は怪しいんですね。
> 「怪しい」ではなく、「解らない」ですね(笑)。


本当かどうか分からない、ということでの怪しいという表現ですね。
もしかしたら案外あっているかもしれないと。

> 一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。

これは、感覚として分からないですね。
昭和後期の家族団らんは想像できても、それよりさらに前の家父長制の強かった時代は想像できないみたいな感じです。

> で、もう少し踏み込むと、自己肯定感は低いけれど、自分好きという所に由来するのでしょうけど、
> 今の若者世代って、「消極的な利己主義」とか「受け身な利己主義」とでも言えば良いのか、
> ともかく、自分が良くありたい思いが強い印象を受けるんですよね。
> ただ、この利己心は消極的で受動的なので、どこまで自覚があるのか、私には正直不明。
> 例えば利己心と言うと、「人より上に行きたい」みたいに、積極的なモノをイメージしがちですが、
> これが消極的なモノとなると、「人より下になりたくない」という思いが強くなる感じでしょうか?
> 言い換えるなら、「マウント取られたくない症候群」とでも称すれば良いですかねえ(笑)。
> その結果が「横並び意識の強さ」であり、それは仲間内だけでなく、上下関係があっても発動されると。
>
> 「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
> 積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
> そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
> 「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
> 「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
> 「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
> そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
> 「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?


「教師が知識マウントを取ってくる!」という話は岡田ゼミで聞いたときは「えー、そんな人がいるの?」という感じでしたが、やはり実際にいるんですね。
(まあ実際、余計にマウントをとってくる大学教授がいないわけではないですがw)

受け身な利己主義に関しては私も同感ですが、実利以上の横並び意識は私はその気持ちも、そういった人の例もちょっと分からないですね。
(逆に言えば、受け身な利己主義に関しては私もありますw、日本が高齢化でめちゃくちゃになろうと、自分だけは公務員や正社員になって安定したい、他の奴らのことは知らんみたいなw)

ちなみに、これも偶然なのですが、最近ゼミでレポートを提出する機会があり、ゼミ生だけのLINEでレポートのページ数を全員で合わせようという話になりましたね。

> > まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> > むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

> いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
> オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
> とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
> 「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
> https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
> で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
> まあ一応、参考までに。


いや、このデータは私には役に立たないですし、世間一般の定義はともかく私の考えるオタクとは違うかなあ。
だって男性の9%がスポーツオタクと答えているんですよ。18%のゲームオタクも、14%のアニメオタクも、ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけじゃないんですかねw
少なくとも、オタク男性の4分の3が、2人以上の女性と付き合ったことがあって、女性オタクのうち恋愛未経験者が7.3%しかいないのならば、私は死にますw
管理人さんとしては、この辺に違和感覚えなかったんでしょうか?

> それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。
> そうなった時、変な逃げ口上で自分を納得させ、貴重な若い時を無駄に潰した事を、
> 後から気付いて、猛烈な後悔に襲われてる姿が、容易に想像できるんですよ・・・・
> やるだけやってダメだったのと、何もやらずにダメだったのとでは、後悔の度合いも違いますし、
> 今の時点で不安感を抱いているのでしたら、尚更の事ですよね。
>
> あと、「生涯独身で最後は孤独老人として死ぬ」と言っていますが、
> 別の所では、「死の現実感の希薄さ」も語っている訳で、


これは↓のことを指していると思うのですが、そもそもの意図から離れていますね。
> そうですね、私ももう大学生でありながら未だ葬式には1度しか出たことがありませんし、親戚家族関係の希薄化にともなって世代間交流がなくなっているんでしょうね。
> 私が知っている人が亡くなったのって、親戚と学校の先生とあとはTwitterのフォロワーくらいですね。親戚がなくなったときはまだ幼かったですし、知っている人が亡くなって一番ショックだったのがTwitterのフォロワーというのが"現代"なんでしょうね。

大体そもそも、死ぬことと死を想像することは全然違います。
死ぬときは自分の死を意識できないので、怖いとも思えないはずですし。
また、ある日突然あっさり死ぬのと、何年もの闘病生活の末に死ぬのでは全然違うはずであり、そこを無視して論じてもあまり意味はないと思うんですよね。
葬式というのは残された人たちが行う儀式であって、本人とはある意味無関係ですし、家族が闘病生活の末無くなったというのであれば、死ぬ過程に対する理解度は上がるのかな。

> 言っちゃ何ですけど、その程度の現実感で考えている「孤独さ」は、
> 一体どれだけリアリティーを持って考えられているのかが、正直疑問なんですよね。
> 賢狼ホロも、「孤独は死に至る病じゃ」と言ってるじゃないですか・・・という冗談はさておき(笑)、
> 若い頃はまだしも、年老いてからの孤独は、下手をしたら死よりも怖いかも知れず、
> 死が怖いのであれば、同じくらい、将来の孤独を恐れてみても良いかも知れませんよ。


そうですね、5年前の私なら年を取ることや身体・環境の変化による、自分自身の感情などへの変化って理解できませんでしたが、
最近は小学生時代のことを思い出したりもして、年を取ると変わっていないつもりの自分自身がビックリするくらい変化する、というのもあり得るんだなあ、というのは分かります。

将来の孤独も何も、既に孤独なのでこれ以上に孤独になることってあるんですかね?現在話す相手ゼロなので、マイナスにはなりえないでしょう。
年取って仕事しなくなれば、今以上に孤独になるかもしれませんが、幸いというか、そんな早々に楽隠居させてくれるような時代じゃなさそうですしw
リアリティーと言えば、中年の孤独の寂しさなんかよりも、就職先での人間関係の方が、よっぽど恐怖の対象ですね。

後は実は、ウクライナ戦争の影響というのもあるんですよね。
やはり人口1億の国と人口4000万の国の全面戦争が始まったというのは、これまでの紛争や内戦より1レベル大きい戦争ですし。
歴史を多少かじった者としては、東西冷戦期とか両軍が核兵器を搭載した航空機を24時間365日飛ばしながら代理戦争してたわけで、
正直今の日本社会としてはウクライナ戦争を大げさに捉えすぎているとは思うのですが、
ただ私も感情ある人間なので、本物の戦争が始まってしまったというショックはありますし、開戦数週間は夜中には不安を覚えたりというのもあったんですよね。

今でも、お昼の時間帯になると「今日もおいしいご飯が食べれて(こんなに平和で)幸せ」と思うようになりましたし、おかげでちょっと太りそうな勢いでご飯がおいしいんですよ。
私が太ったらプーチンは責任取ってくれるんですかねw
水木しげるのマンガでは「終戦後3年くらいは、今日も明日も明後日も生きられるというだけで幸せだった」とありますが、まさか自分がそんな体験をするとは思いませんでした。
いやまあ、遠いヨーロッパで戦争が起きたくらいで大げさなんですけど。

この話の前に、人間関係についての話を返信します。

> > もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
> > 本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。
> > とはいえやはりひと昔前と比較して、
> > 人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、
> > というのはより進んでいるのでしょうね。

> 「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
> 旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
> 私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。


いや、なので「もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。」
と書いているんですけどね。
理想と現実は別ですが、その時代の理想の人間関係の描かれ方というのは、その時代の人間関係に対する価値観を表しているのも事実ですし。

> > 私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
> > ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、
> > フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
> > 人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、
> > あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

> 何というか、テニスの壁打ちに近いのかな?という印象を受けますね。
> どんなボールで攻めてくるかと、相手とのラリーの応酬を楽しみたいというよりは、
> 自分が打ちたいが為に、単にボールを返してくれる「壁」役の存在を欲していると。
>
> 極端な話、それで自分が満足できるのであれば、
> ネットの向こう側に居る相手は、人でもbotでも構わない感じなのかな?
> もちろん、始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそうですし、
> それを望まない人は未だに多いでしょうけど、気が付かなければ意外とそれでもOKみたいな。
> まあ現状だと、まだまだ自然な会話は、技術的にも難しいでしょうけど、
> これが将棋や囲碁などのネット対戦であれば、既に充分に有り得る話ですからねえ。
>
> > ですが、最近読んだラノベだと
> > 「世界で一番けんかする人が恋人」カノジョの妹とキスをした
> > 「友達はそんな役回りを引き受けるためにいる」マリア様がみてる 赤薔薇さま
> > こういうのも分かりはするんですよ。
> > 相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。
> > しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、
> > 岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、
> > やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。

> う〜ん、結局の所、上記と同じ話になっちゃいますけど、
> botが相手では虚しいものの、かと言ってリアルな人間が相手だと煩わしく、
> その結果、素性も知らない「bot的な人」を相手に求めるようになり、
> それに応じて、自分さえも「bot化」してしまうというのが、そのあたりの正体なのでは?


bot化というのは、私が名のでしょうか?それとも今の世代がなのでしょうか?

私はTwitterも最近はbotに半分くらい任せています
過去のツイートなどをまとめて1日1ツイートにしておけば勝手にいいねやRTが得られるので、
これでいいじゃんってなってますね。
これは岡田斗司夫のUG動画と同じことをしただけなのですが、
こんなに便利なら、なぜ誰一人としてTwitterでこれをやっている人がいないのだろう、と思っていました。
が、やはりこれで満足できるって変わってるんですかね?

テニスの壁打ちというのは本当にもっともで、私は何十時間かかけてゲーム作る割に、あまりRT数もいいねの数も気にしませんし、
たぶん私の作ったゲームで一番遊んでいるのは私だと思います。
なんなら最近はそれに飽き足らず、ほとんど独り言のホームページも運営していますし。
(Googleなどの検索サイトに見つけてもらう方法が面倒で放置しているので、HPなのに検索に引っかからないんですよね
一応Twitterにはリンク張っているので、ちょっと(数人?)は訪問者がいるらしいですがw)

といいますか、普通に小学生の頃は自分だけが読むための小説とか、誰に見せるわけではない絵とか描いていましたし。
それと本質的には変わらないかなあ。
その私の自己満足で作ったゲームや書いた文章に多少の需要があるから、もったいないのでTwitterで公開してるだけで、見せるためではないという点は今も変わってないと。

> そして、その反動というか、衝動みたいなモノが、
> 相手の顔が見えないネット上であったり、顔が見えても素性の解らない匿名の場などで、
> 新自由主義などとも相俟って、人間関係の「コンテンツ化」という形で現れているのかも?
> まあ、私みたいな世代だと、アナログしか存在しなかった所に、後からデジタルが現れたので、
> 「リアルとネットは別物」という感覚が、未だに割と残っているのですが、
> デジタル・ネイティブな若い世代だと、「ネットはリアルの一部」という感覚でしょうし、
> 逆に言えば、だからこそ、「リアルとネットの区別」を行ってる自分に無自覚なのかも知れません。
> 確かに現在は、ネットがリアルにも深くリンクする時代や社会となっていますが、
> それでも、ネットとリアルが完全にイコールとはなっていない以上、
> 世代ごとに濃淡の差こそあれ、そこには何らかの「使い分け」が生じているはずですからねえ。


私が下の世代に一番差異を感じるのも、リアルとネットの使い分けですからね。
割と小学生のころからLINEがあった世代のネット観ってどうなってるんでしょうか。

> 言い換えるなら、ネットの存在が当たり前すぎて、リアルとの関係性を意識できない為に、
> その辺りで混乱が生じているというか、振り回されてるみたいな印象があるかな。


これは私のことを言っている、ということであっていますよね?
まあ私はリアルで友達どころか話し相手もいないので、変なことを言っているのは、まあそうなんでしょうね。
歴史やネット社会に対する認識のずれというか、そもそもの人間関係の認識がくるっているのだと思います。

> 「人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに」という図式も、
> 私から見ると、それは「→」で繋がっているかも知れませんが、
> 少なくとも「=」で繋がっているイメージは無いんですよね。
> 「→」であれば、幾つか在るルートの1つですけど、
> 「=」ですと、それは1本道なので。


いやあ、→だというのは分かっていますけどね。

で、私の恋愛(結婚?)の話に戻ります。
岡田斗司夫は「今後恋愛も流動化が進み、1人の人と生涯に1度恋愛して結婚する昭和の単婚社会から、常に複数の人と恋愛みたいな状態を持ち続ける多婚社会になる」と15年くらい前から言っており、
「具体的には、例えば今の女性はその時その時では1人の彼氏としか付き合っていないけど、5年6年のスパンで見ると3人の彼氏と付き合っていたりする。
これは実のところ同時に3人の彼氏と付き合っているのと、ある意味では変わりない。」とも言っています。
まあ、具体的にどういった形で単婚社会の解体が進むのか、あるいは本当に多婚社会になるのかは置いておくとしても、
全体的な傾向としては、そういった恋愛・結婚の流動化が進んでいるのは私も賛成しますし、私が年を取ってより寂しさを実感するときには、もっと恋愛・結婚の形も変わっていると思うんですよね。
それこそ離婚率も今後さらに上がっていきそうですし、
何かこの「将来寂しくなるのが不安なら、今のうちに恋愛しとかなきゃ」というのは、「将来日本はもっとひどくなるから、絶対正社員・公務員にならなきゃ」みたいな感じがして、
もちろんフリーターよりは正社員・公務員の方が安定なのは間違いないですけど、じゃあそれって私がじいさんになった50年後とかも会社が面倒見てくれるんですかと言いたくなるんですよ。
なれるならフリーターより正社員になった方が絶対いいでしょうし、多少なら無理してでも公務員になった方がいいのかもしれませんけど、
一方でそういう不安をあおるような感じのものは(悪意があるわけではないのは分かりますが)胡散臭く見えるんですよね。

そしてリアルに自分が女性と付き合うということを想像すると、やはりメチャクチャ気持ち悪いですね。
女性に媚びて、おしゃれとは言わないものの清潔感のある服装ですか、そういうのをしている自分も気持ち悪いですし、
女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。
ヲタ恋の桃瀬成海は少女の気持ちの時とBLの気持ちの時があるらしいですが、https://comic.pixiv.net/viewer/stories/40110
私の場合、普段は源氏物語とかラノベとか普通に好きなのですが、1週間に1日くらい異性愛が本当に気持ち悪くなる日があるんですよね。
ちなみに、新海誠の「秒速5センチメートル」はだんだん気持ち悪くなって見れませんでした(前にも書いた通り新海誠の「言の葉の庭」は好きなのですが、秒速はある程度新海作品が私にマッチする分、余計に気持ち悪かったですね)。
まあ、その気持ち悪さが生きているってことなんでしょうが。

私の場合、好き嫌いは非常に多いので、少年マンガとかは絵柄が苦手なので一切読めませんし、異性愛だけが特別苦手というわけではないです。
(萌え系とその源流になった手塚系・少女マンガ系の絵は大丈夫なのですが、少年マンガの絵は名探偵コナンくらいが限界で、ワンピースもドラゴンボールも鬼滅の刃も絵柄がダメで一切読んでません)

真面目に私は将来AI娘が寂しさを紛らわしてくれるのを期待していますし、
まあ、あとは高齢元オタク同士のメタバース同性愛というのもありかな、とは思っています。私はずっとオタクコンテンツに浸かってきたので同性愛には全然抵抗ないというか、高校時代にはちょっと気になる男子とか普通にいたので(何もしませんでしたが)。
といいますか、今もちょっとTwitterで4つ年下のメンヘラ男の子がちょっと気になっているんですが、こういう可愛い感じの子は既に私と似たようなオタクたちが囲っているんですよね。
実際にはどっちも技術的理由、個人的感情から無理かもしれませんが、正直今したくもないことをして将来の不安に備える気はないですね。
そうやって適当なこと言って努力せず備えないでいると、コツコツ準備してきた人と後で大きな差ができるよ、というのも分かりますが、一方で転勤族の私の父が単身赴任で寂しい思いをしているのも事実ですし。

そして(矛盾していますが)、正直特定の誰かと強い関係性を持ちたくないというのはあるんですよね。
私にとっての理想の人間関係は、誰からでも交換可能なパーツであることですので。Twitterもそれを理想として運用していますし。生きた証を残したい、みたいなのとは真逆です。
そのうえで、自分が勝手に満足したら、誰にも気づかれないように社会から消え去りたい、というか、少なくともいつでもそうできる選択肢自体は持っておきたいんですよね。
まあ現実問題、いざそういう段階に達すれば、本能的な恐怖に直面するものであり、そんな選択しとれないのも事実ですが。

そして、私にとって独り身が寂しいというのはそこまで大きな感情ではなく、感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。
これ書いていて思い出しましたけど、高校生の時は同学年の女の子見て、ちょっと辛くなりましたね(人間、絶対できないことに対しては羨ましいとは思わないらしいです)。
私の高校は制服が全く可愛くなかったのが幸いでしたが。

> もっと言うと、あの岡田斗司夫の女癖の悪さを思えば、恋愛とオタク道の両立可能なはず(笑)。

岡田斗司夫は例外ですよw
だってあの人はオタクでも萌え以前の世代のオタクで、萌えキャラのこと割とバカにしますし。
モテない男に向かって「お前が結婚しないから、世の中の1人の女が結婚できないんだぞ」なんて言ってしまう昭和人な面も、普段出てこないだけで普通にありますし、
というか、そもそもあの人は今も孤独でしょ。
嫁さんとは離婚して、友達もいない自称サイコパスじゃないですか(本人がそれでいいのだから、とやかく言うわけではないですが)。

> それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。


別にオタクやってれば、中高年にならずとも、これの繰り返しじゃないですかね?
面白い作品ある時は毎日のように生きてて良かった〜と思いますし、そういった作品が見つからないときは人生が虚無になりますし。
ヲタ恋の桃瀬成海も「最近何にも熱くなれない周期なんだよね。私このまま死んじゃうのかな……」って言っています(いや本当に熱くなれない時期はこんな感じで絶望していますw)。
私にとって歴史というのは、この面白い作品が見つからない時に逃避的に楽しむコンテンツでもあるんですよね。
ちなみに、今私ははマリア様がみてる(全37巻)読んでいる最中なので、おそらく楽しい期が今後最低でも2,3か月は続くと思います。

おそらく、若い時の情熱を失ってしまったオタクが現在行きつく先がTwitterだと思います。
他のオタクたちがつぶやいてるアニメの感想であったり、ゲームの録画であったり、萌え話であったり、そういうものが自分の努力(?)なしに一方的に流れてくるので、
私もTwitterでタイパ意識の焼き畑農業的、効率重視のオタク成分接種をやっていた時期はありますし、
中高年オタクが情熱なくしたり、興味や時間が無くなって、オタク戦線から離れていく姿というのは、それこそTwitterで毎日見ているので。
昔ゲーム作ってた人が、最近ではTwitterにログインしなくなり、結婚報告ツイートしてるみたい感じですかね。

歳を重ねた人に突き刺さる、オタクだったのにだんだんアニメが見れなくなる現象 https://togetter.com/li/1278232
そういった現象って昔は高齢オタクのものでしたが、今はタイパ意識とかのあれで、若いオタクにも結構身近なんじゃないでしょうか。
私もそういったアニメを見れなくなる現象を何度か経験した上での結論としては、本当に面白い作品に出合えていないかタイパ意識が浸透してアニメを見れなくなる、ということだと思います。
面白くないラノベ読むのは苦痛ですが、ラノベなんて面白ければ大学の課題提出ギリギリまで読んでいるので。本当面白い作品の前ではタイパ意識何か消え去るはずです。

ややこしくなっているので整理しますが、
面白い作品が見つからず虚無という現象:おそらくいつの時代のオタクにもあった
年を取り時間や気力がなくなっていくとオタクから離れていくという現象:同上
オタク成分の効率的接種のためTwitterをやる:最近の傾向
若くしてアニメを見れなくなる現象:最近の傾向
ではないでしょうか?

あとは面白い作品を探すだけではいずれ鉱脈が尽きるといいますか、自分に作品を楽しむ力がないと刺激ばかり求めて、刺激ジャンキーになっていずれ飽きが来るので、
既に好きな作品をどれだけ楽しめるか、あるいは各作品を並列で見たりして楽しむ力をつけるというのも重要ですね。
私の場合、好きな作品は因果関係表作っていますし(サボり気味ですが……)、そういった手間をかけると、新しいものが見えてくるので、より作品を楽しめるんですよね。

もしオタクの中高年や、あるいはオタクの老後というのがあるのであれば、
オタク成分の低い毎日を送って、Twitterでオタクエアプ勢をやっている自分を許せるようになった時ではないでしょうか?
かくいう私も、響け!ユーフォニアムを見てからは、正直もう死んでもいいくらいの気持ちはあるので、昔に比べるとTwitterでだらだらエア・オタクやることへの抵抗は下がってるんですよね。

と言いつつ、オタク辞めようかな、というのは中学生のころから思っていることではあるんですよね。
小学生の時までは、時間がたつにつれてドンドン次のステージ次のステージと色々進んでいったはずなのですが、
中学でオタクになってからは、もうそれが10年くらい停滞しているので。
なので、オタクコンテンツにもしハマれなくなったら、それはそれで次のものを探す良い機会なんだと思います。

> > 「ネットde真実」というのは、
> > そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

> まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
> ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
> いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
> そんな便利な単語が既に存在するのに、悪い意味合いを気にして、
> その度に長々と回りくどく説明したり、うまく伝わらない別の単語に言い換えたりするほど、
> 私は別にポリコレ重視じゃありませんし、他に便利な単語が無ければ、今後も用いていくと思います。
>
> 例えば「印象派」なんて単語も、最初は侮蔑的な意味合いが含まれてましたし、
> そもそも論として、愛称や記号の多くは、そうした他称が広く認知される事で、
> 次第に認知され、定着していったモノも多いのですから、私は使用をそれほど気にしていません。
>
> 逆に言うと、ネット上でよく見られるウヨサヨ論争みたいな感じで、
> 相手を馬鹿にしたいから、その単語を用いてる訳でもありませんけどね。
> う〜ん、そうした事情は、文章の内容を読んでいただければ、解るモノだと思ってましたけども、
> 今回の反応を見ると、どうやら、そうでは無かったみたいです・・・・
> となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
> 今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)
> それが私もピンと来る単語であるなら、きっと置き換えるでしょうし。


いや、管理人さんが積極的に馬鹿にする意図を持っていないのは分かっていますよ。
そのうえで、やはり「ネットde真実」という言葉を使っているのが、無意識に相手の能力の低さを見下している根底を批判しているので。
普通に陰謀論とかでいいんじゃないですかね。それでも十分伝わるでしょう。
ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?

> あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
> この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> > 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> > もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

> これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
> 私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
> 人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
> プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
> 「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
> って言っているようなモノですからね、この発言は。


この件については、大変勉強になりました。
私って、例えるなら典型的な嫌な左翼みたいな人なんでしょうねw
自分はエリートだと思い込み、世の中の恵まれていない人を救うという割に、周囲からは何かそこに見下しを感じて、嫌な奴と思われる、みたいなw
弱者救済といって人を助けようとしたら、そこにあやかろうとする人のプライドを傷つけることに気づいていない、みたいな。

> > もちろん、確かにそういう人たちが愚かなことを言っているのは事実ですが、
> > 少なくとも私の場合は、そういったネットの陰謀論に騙されずに済んでいるのは、
> > 周囲に知的に恵まれた環境(といっても父親が少し本を読む程度の一般家庭のもの範疇ですが)があったからですし、
> > 対する陰謀論者の人たちは、そういった環境に恵まれなかっただけだと思うんですよね。

> 「お前の目の前の箱は、何の為にあるんだよ!?」というのは、
> 一昔前までのネットだと、よく目にしたフレーズなんですけどね(笑)。
>
> ちなみに、ここで言う「目の前の箱」とは、ネットをする為の「PC」の事で、
> まあ現在だと、ネット端末の主流はPCからスマホとなり、同じPCでもノートPCばかりで、
> 今や箱形のデスクトップ&ブラウン管モニターなど、絶滅危惧種でしょうけど、
> それはともかく、ネット環境というのは、一昔前に比べると格段に普及&進歩しています。
> なので、知りたい願望があるのなら、調べられる環境は用意されているんですよ。
> あとは、「どこまで調べるか?」という、個々のスタンスの違いだけかと。
>
> もっと言うと、これって別に、若い世代だけの話では無いんですよね。
> 会社を定年退職した団塊世代の男性が、世間との繋がりを失う一方、スマホを手に入れた事で、
> 「高齢者がネトウヨ化」する現象というのが、地味に問題となっていたりもします・・・・
> では、そういう人たちが、「知的環境に恵まれなかったのか?」となると、決してそうでは無く、
> サラリーマン時代は至って常識人であり、名門大学やエリート企業に属した人も珍しくないのに、
> 荒唐無稽な陰謀論にハマったりする事も多いんですよ。


私の大学にキャリア指導に来ている外部講師の方がいるのですが、
元バリバリサラリーマンな感じの、すごく昭和人っぽい感じの人で、「最近の若者はブラック企業、ブラック企業と言うが、会社は新入社員を赤字で教育しているんだから、感謝の気持ちを持ちなさい」
みたいな話をされる方なんですよね。
本人曰く、本は大量に読んだとのことですし、普通に知的なことを考えられる方なのですが、このコロナの2年くらいですっかり陰謀論にハマって、
「コロナウイルスはイギリス政府が発生させたものだ」とか言い始めてしまったんですよね。ちょうどこの動画です→https://www.nicovideo.jp/watch/sm37175931
講義受けただけなので、それだけで本人を知ったような気になるのも失礼かもしれませんが、コロナ起き始めの時に講義受けた際はそんなこと言っていなかったので、
やはりコロナによる外出自粛というのは高齢の方の色々なバランスを崩してしまっているのかなあ、とは思います。

> ハッキリ言って、環境的に恵まれなかったのだとすれば、
> それは子供時代の「知的環境」では無く、退職後の「人的交流環境」の方なのでしょうね。
> ネトウヨ活動であれ、プロ市民活動であれ、そういう所に行けば、すぐに仲間が作れるので。


ネトウヨになって、色々な年齢帯の人と(ネットで)関わるようになりました、とは私のフォロワーのネトウヨの人も言っていたので、あの辺はちょっと楽しそうだな、とは思いますね。
ただ、外部講師の方の場合は、おそらく普通に色々な人脈もある方だと思いますし(でないとサラリーマンが定年後大学で講義を持つなんてできないはず)、
何かそれだけでない理由があるのかな、とも思うんですよね。
いや本当に、「日本の国土の形が違えば、今の日本人の文化はどうなっていたのだろうか」みた知的なことを考えられる方なので。
その方が講義で言っていた、早ければ数年以内、遅くとも2030年までには、GAFAやそれに準ずるところが世界中の共通通貨を作り、既存の円やドルを無価値な古い通貨にする、という仄かに知的な香りのする陰謀論はちょっと好きです。
私は陰謀論自体はSFっぽくてちょっと好きで、Twitterで多少集めてたりするので(フィンランドは存在しない、とか好きですね)。

> > 管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
> > それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、
> > そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
> > そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、
> > それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

> え〜と、いきなり どうかしましたか!?(笑)
> マイケル・サンデルの番組を見るなり、近著でも読んだりしました?
> このスレッド内でも、以前に何度か「メリトクラシー」の件について触れた際には、
> 旧トルコ担当さんの方からは特に、目立った反応は返って来なかったと記憶してますけど・・・・
>
> 能力主義や実績主義を重視すると、その人が育った環境格差が大きくモノを言うようになり、
> 努力して出世したエリートは、自らの努力に関して過大評価する一方で、
> 自らの恵まれた環境に関しては軽視しがちである問題点は、確かに私もあるとは思ってますし、
> アメリカだけでなく、近年は特に日本でも、その傾向が高まっているようには感じるんです。
> ですけど、そうした問題が確かにあったとして、それは概論としては語れても、
> 個々の人物を見ないまま、勝手に型に填め込んで、
> それを根拠に個人否定するのは、どう考えたって間違いでしょ!?
>
> 少なくとも私の場合、良く言えば放任、悪く言えば放置な両親の元で育ちましたし、
> 父親の転勤で3〜4年くらいで各地を転々とした為、周囲との人間関係もかなり希薄であり、
> 人見知りな性格の上、当時はまだネットもありませんでしたから、本当に ほぼ独力ですね。


私としては、家庭環境などはそういった運の要素の一部でしかなく、
例えば偶然子供のころに面白く歴史を紹介する本に出合えたとか、そういったものすべてを恵まれた環境だと思っていますので、
管理人さんの家庭環境はあまり関係ないと思いますよ。
事実としてこうして普通の人よりも色々知っているのですから、それはどこかで運に恵まれたということだと思っています。
歴史や理系、あるいは芸術やスポーツに対して、おそらく管理人さんは知的になるための努力ではなく、面白くて勉強したはずでしょうし、
ですが管理人さんの趣別のことであれば、今頃陰謀論にハマっているという可能性もあると思うんですよね(それは私も同様だと思っています)。

そういう意味では、「メリトクラシー」のようなあまり論争に興味が無いのも、
メリトクラシー論争が、現実的にある程度計測可能な家庭環境のようなものによるスタートラインの違いが、同じく計測可能な収入等に影響している、という論争自体に
「いやいや、そんな計測可能な範囲だけを見ても、その外に膨大な計測不可能なものによる差があるんだから意味ないじゃん」と思っているからだと思いますし。
根本的に人生は理不尽ですけど、社会は公正なフリをしていないといけないので(もし多くの人が今の世の中を不公正だと思えば、努力しなくなったり、逆に革命がおきたりします)、
世の中の多くの人が家庭環境による差をなくさなければ、と思うのであれば、社会はそう努力するべきだとは思います。
私としては、人生の理不尽の100を99にする努力よりも、社会全体の富自体を増やす方が(基本的には)手っ取り早いと思うので、あまりそこに熱心にはなれないですね。

> まあ、上を見ればキリが無いですし、下を見てもキリが無いので、
> 「もっと恵まれた環境なら」と屈折する事はありませんけども、
> 大人になってみて「当時の自分は、こういうのを望んでいたんだな」と感じだモノを、
> 今の子供たちに対して、私なりに微力でも何か伝えられないか?という事は、
> 結構考えたりしますし、時々ここでも構想を語ったりもしてますからねえ・・・・
>
> それに、上の方でも同じ事を書きましたが、私が自分自身で自己分析する限りでは、
> 私は別に知識人タイプでも無ければ、マウントを取って他人を見下したいタイプでも無いので、
> どちらかと言うと、その見立ては、旧トルコ担当さん自身の思いの投影な気がしますよ。


そうですね、私が他人を見下しがちだからこそ、自分でも反省しますし、
さらに自分より知識のある人に対してはより一層、その点に敏感になる、というはあると思いますね。
ホワイト社会が、自分がまずホワイトであるための努力を行い、さらに自分よりも有名な人たちに対してよりホワイトであることを要求する(=無名な人にはホワイトであることをあまり要求しない)社会なのであれば、
私は、自分に対して倫理的であることを要求する分、自分よりもより優れている人に対してより倫理的であることを要求するのだと思います。
どっちも理不尽なことには変わりないですが。

> 自分で言うのも何ですけど、私は変わり者というか、ちょっと掴み難いタイプだと思いますし、
> これは旧トルコ担当さんに限らず、そこはもう、様々に映る私の角度の中から、
> その人が見たい像を、それぞれに見つけ出す作業をされている感覚はありますね。
> なので、一面では理解される事はあっても、全体像として理解された経験は思い浮かばないかな?


全体像として理解された経験がある人なんてごく少数なのでは?
あるいは、そんなこと気にしたこともない人が多いのでしょうか?
少なくとも、自分が全体像として理解された経験があるかを気にしている人の99%はそんなことないと答えそうw

> > あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、
> > 生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、
> > 『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

> いや〜、これに関しては、私の方が少数派なのかも知れませんけど、
> チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> 個人的には「スポーツ競技者」という見方になってしまうので、
> 演技内容はまだしも、顔の可愛さだとか、身体のラインだとかは、ほぼ意識の外なんですよね。
> そもそも、生まれ持った容姿で勝負しているような世界じゃありませんし。
>
> でもまあ、そういう見方をする人が多いというのは、私も理解はしていますし、
> それが問題のある見方なのかと問われれば、別にそうでも無い気はするんです。
> ただ、自分自身はそういう見方をしていながら、
> 尚かつ、勝手に容姿基準だと想像して、勝手に辛くなるのは、どうなんですかねえ・・・・
> 言うなれば、黒人の子供とかに対して、
> 「自分は差別意識は無いけど、黒い肌に生まれて可哀想だし、同情するよ」
> と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。


いや、私が問題にしているのはチアリーダーが事実上女性しかいないことなので。
> チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
と書かれている時点で、おそらく管理人さんの想像していることとは別のことになると思います。

> と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。
そうですね、普通の感覚では理解されないと思いますし、なのでそれを大っぴらに主張したことはないですね。
私の言っていることは、究極的にはAKB48は容姿差別だ、と言っているようなものなので。
それを言えばオタクコンテンツなんて究極の差別コンテンツですし、私がチアガールだけを非難するのは明らかに矛盾であると。
ですが、チアガールを見ると私が辛くなるのも事実ですし、可愛い女の子しか出てこないオタクコンテンツを楽しむことに、罪悪感があるのも事実なんですよね。
まあ、だからこそ女性と付き合うなんて絶対したくないとw
容姿で女性を選り好みするのはやりたくないですけど、容姿で選り好みしないほど人間ができているわけでもないので。

> > > > 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> > > > (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

> > > いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
> > > 「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
> > > 「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
> > > テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
> > > そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・

> > 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> > なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

> まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
> 「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
> 「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
> 歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。


経済学史の講義をとって、偶然マッハ主義というのを勉強し、
> 「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン
というのは、なるほど、と思わされました。ああいうのが科学なんですね。
と言いつつ、私は物理学は高校レベルなのでマッハ主義は全然理解できていませんし、経済学に対する理解も全然ですが。

> あと、旧トルコ担当さんが商学部の学生であるならば、
> 横軸で「人間関係」を取るだけでなく、縦軸で「経済状況」を取り、
> そこから「幸福」の分布図を示してみると、
> 人間社会というモノが、更に深く見えてくるかも知れませんよ(笑)。


嫌ですw
そういう俗世の嫌な面を見ないためにオタクやって引きこもっているのでw
そういったデータ(?)をどう捉えるかは人それぞれですが、私はそういうの見て辛くなりやすいタイプなので。
そういう風にしてると知的な人にはなれないのでしょうが、そこまでしてなりたいとは思わないので。

> 言うなればショッピングモールとは、ショッピングをテーマにしたテーマパークですからね(笑)。
> どんなに素晴らしい「夢の国」を作っても、その世界観から浮いてしまう客層も一定数は居ますよ。
> まあ私の場合、人々の動線や見え方などの建築面であったり、専門店の各配置であったり、
> そもそも客である以前に、観察者みたいな視点からモールを見ちゃうので、
> 居心地が良いとか、悪いとか、そうした層からも更に離れた所にいる感じかも(苦笑)。
> ある意味、居心地の悪さを感じられるレベルにさえ、到達できてないような人種ですので。


ショッピングモールの建築は私も好きですよ(専門店の配置とかには興味ないですが、吹き抜けとかカッコよくて好きですね)。
常々ショッピングモールのプラモデルないかなあ、と探しているんですが、ないんですよね。
仕方ないのでパシャパシャ写真にとってます。

> あと、私が陰謀論にハマらないのは、実に単純な話で、
> 「それにハマっても、別に私は楽しさを感じないから」というだけの事ですね。
> ムー大陸だとか、宇宙人だとか、知的プロレスである一昔前の陰謀論は楽しかったですけど、
> ネットを媒介とする、現在の政治的な陰謀論というのは、まるで別物ですし。
> それでも、陰謀論にハマって自慰的に気持ち良くなるのも、そういう人たちを利用して金儲けをするのも、
> 私と関係無い、どこかの内輪だけで収まる話であるのなら、それは別に構わないんですよ。
> ただ、そうした動きが社会に悪影響を及ぼし、日本を停滞・衰退させる要因となるのであれば、
> 「次々と面白いモノ生み出す、活力ある日本」が好きな私としては、見過ごせない所があるのも事実かな。
> 転勤族として育ち、明確な故郷を持たない私は、何だかんだで、世間の人よりも愛国心が強いですし(笑)。


あるじゃないですか!!冷静でいられない事

> > 時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
> > やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。

> う〜ん、この辺りの感覚の違いは、私と旧トルコ担当さんの年齢の違いも影響してるかも?
> 未だ青春時代の途上にある旧トルコ担当さんの感覚だと、
> もちろん、いろいろあるでしょうけど、基本的には全ての感覚が登り調子でしょうし、
> それが衰退する事に対して、恐怖や冷静でいられない感覚に陥るのも、充分に理解できるんです。


私はオタクであまり人と関わらないから、自分の好きな作品が消えていくのに対して気持ちが動きますし、
管理人さんの場合はそれが愛国心であるというだけで、構造としては一緒じゃあないですかね?
私なんかは政治とか経済とかを意識し始めたころにGDP世界2位が中国になったので「中国には追い付けなくて当然、日本は世界80億の中の1億に過ぎない」
という意識が強いですが、やはり80年代90年代を生きていれば、日本の衰退を素直に受け入れられない心は多少あるんでしょうね。


色々暗いこと書いていますが、管理人さんがこの掲示板にこれらのことが相応しくないと考えられたなら、削除していただいて構いません。
削除されれば、それ以上同じことを書くこともありませんし、部分的に削除されれば、ああその話題はまずかったんだなということで以後そうした話題には触れないようしますので。
今ちょうど「マリア様がみてる」を読んでいるので、反動で若干鬱気味です。それを管理人さんの返信に対してぶつけるのも理不尽ですが、管理人さんに言われたことに対してリアクションしようとすると、どうしてもこういう思考になってしまうので仕方ない(言い訳)。


追記

実際、私にとって年取るにあたって一番怖いのは、感情が動かなくなることなんですよね
何事に対しても何も思えなくなるといいますか、ずっと味のしないガムを噛んでいる感じと言いますか、
そういう感覚に頻繁になるので、この何も思えなくなる期が年を取るにつれて増えていくのであれば、私にとってそれが一番怖いですね
この感覚が管理人さんに伝わっているかどうかは分かりませんが、管理人さんは若いころと比べて感情って動かなくなりましたか?
私としては感情が動かなくなるくらいであれば、孤独に絶望している方が100倍マシですし、むしろ絶望という(よくなる余地があるという点においての)希望がある分だけ良い中年だとすら思えます
どうでしょう?何事にも感情が動かなくなってしまい、土日は寝て過ごしているみたいな、年取ったらそういったことってあるのでしょうか?
寝て過ごしているは大げさにしても、つまらないYouTubeみて一日が終わるみたいな人は少なくなさそう
本当かどうか知りませんが、性犯罪も性欲のピークである20代よりも、性欲が衰えてくる30代に多いらしく、もう普通のことでは興奮できないから性犯罪に走ってしまう30代というのは、(いや性犯罪者になるわけではないですけど)自分の未来の姿のような気がして怖いんですよね


[24109] 返信は、また年明けにでも返信 削除
2022/12/28 (水) 21:11:04 徳翁導誉

すみません。
最初は「今年の内に返信できるかな?」と考えていたのですが、
あれこれと急な用事を頼まれてしまい、時間が無くなってしまいました(笑)。
W杯期間に引き続き、再び遅れて申し訳ありませんが、
返信は、年明け(成人の日後?)となりそうです。


P.S.
先週末、たまたま本屋の新書コーナーで、
「これは旧トルコ担当さん向きかな?」という1冊を発見(笑)。
ちょうど、ここでも話題にしていた、近年の「知識(教養)」観の変化を扱った本で、
実例ではホリエモンも頻繁に取り上げられてましたから、一応オススメしておきますね。

「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」
https://www.amazon.co.jp/dp/4087212335


[24110] 『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』感想返信 削除
2022/12/30 (金) 15:12:31 旧トルコ担当

▼ 徳翁導誉さん
> すみません。
> 最初は「今年の内に返信できるかな?」と考えていたのですが、
> あれこれと急な用事を頼まれてしまい、時間が無くなってしまいました(笑)。
> W杯期間に引き続き、再び遅れて申し訳ありませんが、
> 返信は、年明け(成人の日後?)となりそうです。


いえいえ、おかまいなく。


『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』感想

本の主張自体には新規性があまりなく、面白くなかったです。ファスト教養が薄っぺらいのなんて、今さらでしょう。
ただ、その補足として出てくる引用や、ファスト教養本が出てくるまでの詳細な時代の流れの解説は非常に面白かったです。一気読みしました。
小泉改革時代の雰囲気とか知れて勉強になりましたね。

・自己責任という言葉が、小泉改革以前はマイナーな言葉だったというのは本当なんですかね?私からすれば当たり前に使う言葉ですので、昔からあるものだと思っていましたが。
 確かに、その語感からすれば、造語っぽくて、「自己責任」という言葉が突然出てきても、辞書引かずとも意味がスッと分かりそうな感じはします。
 とはいえ、自己責任という言葉が本当にマイナーであったとするならば、00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中ということになりそうですが。

・今大学生の私からは、ホリエモンみたいな自己啓発本って、昔からあるものだと勝手に思っていたのですが、せいぜいここ15年程度の流れのものなんですね。
 これは最大の発見でした。

・AKBが新自由主義的という分析は非常に面白かったですね。
 スマホゲームの課金なんかも、そういった時代の中で出てきたのだなと。

・ファスト教養を含めた自己啓発本を読む動機って、1つには中産階級から脱落することへの恐怖というのもあるのでしょうが、もう1つにはキラキラ欲求というとがあると思うんですよね。
 単に金の問題なら、この本のインタビューに出ている大企業の若手社員が自己啓発の方向にいくというのはレアケースになるはずですし。

 岡田斗司夫は評価経済社会が到来した、と今年くらいの動画で言っており、私はこれを聞いた時「?」という感じだったのですが、
 確かに、ホリエモンもおらず、オンラインサロンもなく、インスタ映えもなかった、1995年(岡田斗司夫が評価経済社会の到来を予言した年)と比べて、
 今の世の中は評価経済的というか、経済とは違うキラキラで人々が動く時代なんですね。
 かくいう私も、そういう他人と比較し競争し続ける地獄から逃れるためにラノベの世界に入ってきたはずなのに、
 結局ラノベの可愛い女の子と自分を比較して勝手に辛くなっているんですから、時代精神からはつくづく逃げられないんだなぁと思います。
 まあ、そんなことに夢中になれること自体が日本が平和である証拠なのかな?(ウクライナ戦争脳)

・この本読む限りでは、ホリエモンの影響ってかなり大きかったんですかね?
 日本経済の停滞に伴う下流転落への恐怖などの背景はありつつも、彼がスタートラインになって現在の自己啓発系の流れができたのだとすれば、日本全体にかなり大きな影響を与えたということですよね。
 (まあ、それがホリエモンが意図したことではないのかもしれませんが)

P.S.

今、『マリア様がみてる』を読んでいるのですが、当たり前ですけどこの時代は土曜も平日なんですね。
学校での週5日制は90年代に始まったというのは知識としては知っていましたが、やはり小説の中でさらっと出てくるとちょっと戸惑います。
(マリみてのシリーズ第1巻は99年ですが、携帯電話が一切出てこないなどの背景から、マリみては基本的に80年代っぽい雰囲気なので)


[24112] 『ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由』感想返信 削除
2022/12/31 (土) 14:29:11 旧トルコ担当


『ファスト教養』が大変面白かったので、そのまま『ゆるい職場』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BP7H4LNM/という本も読んだのですが、
『ファスト教養』と通じる部分が結構あり、大変面白かったです。

『ゆるい職場』の内容としては、
・(大企業では)この5年くらいでで職場がゆるくなっている
 10年前であれば灰皿を投げつけられて、深夜残業も当たり前だった新入社員が、今では「親戚の子供」のように扱われていると感じている
・これは新入社員側の要因によるものではなく、法改正などの影響によるものである
・こうした新入社員の扱われ方の変化から、会社が好きにも関わらず、スキルが伸びないことに将来に不安を覚え、転職する若手社員が増えている
・また、新入社員側も入社前から長期インターンシップや法人とコラボしたイベントの開催などの経験を持つ新入社員が増えており、
 こうした優秀な人材ほどゆるい職場に不安を覚えて転職してしまう
 曰く「最近の新入社員は下手な社員よりも、社会人らしいかもしれない」
・全ての社員がそうした入社前のビジネス経験などを持つわけではないため、新入社員自体も多様化しており、
 法改正の影響も含め、まっさらな白紙状態の新入社員に画一的な教育を行うこと自体が難しくなっている
・これからは新入社員同士の横の教えあいや、社外での経験、そして新入社員自身の努力によって新入社員を教育していくしかないのではないか
といった感じです


確かに、私の知り合いにも同じ大学生でファッションブランドを経営している人が(特別という感じではなく)普通にいましたし(大成功しているとかいうわけではないですが)、
私ですらも商学部の中で、何回かビジネスプラン・コンテストに出たり、ビジネスプランを作る講座を受けたり、あるいは起業家の方の講演を聞いたりしましたから(150分×13回)、
割とこういうのって、最近の主流な傾向なんだなあと

これって『ファスト教養』の中で出てきたAKB48の話と一緒ですよね
新自由主義的な価値観が日本に浸透していく中で、終身雇用とセットで新入社員教育も崩壊していき、優秀な人は学生のうちからドンドンビジネス経験を積んでいっていると

NHK:運動部に異変!?下がる入部率、あなたの都道府県は? https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221226/k10013920681000.html
の記事によれば、運動部に入る生徒が減少しており、代わりにスポーツクラブに参加する生徒が増えているらしいですが、
今までの画一的な人生のあり方が崩壊する流れというのは、部活にも及んでいるようです

新入社員教育も、部活もコロナで大きく影響を受けていますし、「アフターコロナは全然違う社会になる」というのは、私にもちょっと理解できたかもしれません(今さらですが)

ちなみに、本書の帯は「働きやすい会社をなぜ若者はやめてしまうのか」となっていますが、
私も以前やっていたスーパーのアルバイトは、店長はじめずっと「親戚の子供」みたいな感じで優しく接されていましたが、
「このバイトしてもあまり自分のスキルにならないな」と思い、コールセンターでのバイトに切り替えたんですよね。
これってアルバイトではありますが、働きやすい会社に不安を覚えて転職するという行為そのものですね。


[24113] 年を越しての長文返信(その1)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:26:30 徳翁導誉

> > すみません。
> > 最初は「今年の内に返信できるかな?」と考えていたのですが、
> > あれこれと急な用事を頼まれてしまい、時間が無くなってしまいました(笑)。
> > W杯期間に引き続き、再び遅れて申し訳ありませんが、
> > 返信は、年明け(成人の日後?)となりそうです。

> いえいえ、おかまいなく。

という事で、年を跨いでの返信(笑)。


> > > 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> > > オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

> > 私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)

> わたしも無学人間なので、だからこそ"系"という言葉をつけて保留にしています。
> 私から見れば管理人さんは知識人に見えますが、私から見ればですので。

まあ正直な所、見方など人それぞれなので、そこは良いのですが、
「管理人は知識人→知識人は こんなタイプ→だから管理人も こんな感じ」
という三段論法の元で見られてしまうと、型にハマった先入観から、
私の真意が伝わらなくなる(無視される)のが怖いんですよね。

> > 一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。
> これは、感覚として分からないですね。

う〜ん、分かりませんかぁ・・・・
でも、そうなると尚更、「自己否定が非常に強い世代」だと、よく自認できるなぁ・・・とも(笑)。
いや勿論、当人たち的には そうなのでしょうけど、
「自分が好き」でいられる時点で、「自己否定」など相当低いように、客観的には映りますし、
単に「自信がない」という事を、自己否定だと捉えているだけな感じがするんですよね。

あと、これが感覚的に解らないとなると、
それこそエヴァとかを見ても、あまりよく解らないのでは?

> 昭和後期の家族団らんは想像できても、
> それよりさらに前の家父長制の強かった時代は想像できないみたいな感じです。

家父長制が想像できないのであれば、昭和後期の家族団欒も想像できないのでは?
一口に家父長制と言っても、大家族であった戦前と、核家族化した戦後とでは、結構違いもあるのですが、
共働きであった戦前の農村社会よりも、サラリーマン&専業主婦が増えた70〜80年代の方が、
「父親の強権性」という点では、ある意味で増していった側面もありますからねえ。
そこにあるのは、今のような友達親子や恋人夫婦とは、かなり異なる「家族」を前提とした「団欒」です。

解りやすい所ですと、テレビの存在とかが そうかな?
今でこそ、若者のテレビ離れが急速に進む一方で、映像を見られるスマホは1人1台な時代ですが、
平成の初め頃まで、娯楽の王様はそれこそテレビであり、しかも1家に1台な時代でしたからねえ。
子供たちはアニメやバラエティー、女性陣はドラマや歌番組、お父さんは巨人戦やニュースが見たくても、
テレビは1家に1台ですから、どれか1つの番組を、家族みんなで見るしかなく、
それを決める「チャンネル権」は、だいたいの場合、お父さんに独占されていました。
で、多くの家庭では問答無用で、お父さんは自分の見たい番組を見るんですよね(笑)。
それでも、テレビに勝る娯楽はありませんから、仕方無くみんなで見るんですよ・・・・
逆に言うと、だからこそ、音楽であれドラマであれ、国民的なヒット作が生まれた訳ですし、
お父さんが不在の時間帯に、主婦向けの昼ドラや、子供向けの夕方アニメが、盛況だったとも言えます。

ちなみに、90年代の後半あたりから、子供向けではなく若者向けのゲームやアニメが増えたのは、
テレビが1家に1台の時代から、子供部屋にも1台になってきた事と、無縁では無いかも知れませんね。
当たり前の話ですけど、未だPCも普及していない時代、テレビはモニターも兼務しており、
家族がテレビを見ている時間は、ゲームも出来なければ、ビデオも見られませんでしたから、
自分で自由に使えるテレビ(モニター)を得たのは、非常に大きな時代の変化だったかと?
って、今のスマホ世代からすれば、それすらも「過去の時代」の話なのでしょうけど(笑)。

> > 「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
> > 積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
> > そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
> > 「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
> > 「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
> > 「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
> > そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
> > 「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?

> 「教師が知識マウントを取ってくる!」という話は岡田ゼミで聞いたときは
> 「えー、そんな人がいるの?」という感じでしたが、やはり実際にいるんですね。
> (まあ実際、余計にマウントをとってくる大学教授がいないわけではないですがw)

もちろん、そういうタイプの教授や講師も確かに居るでしょうけど(笑)、
でも基本的には、教わる方より、教える方の知識量が多いのは当然の事であり、
そもそも論として、だからこそ、教わりに行っている訳ですからねえ。

あと、この感じだと、恐らく自覚は無いのでしょうけど、
旧トルコ担当さんの返信からも、そこまで酷くは無いものの、
時折、そんな感じが読み取れる文章を書かれてる事もありますよ(笑)。
でもまあ、「今時の若者だな」って感じるくらいで、それで不快に感じたりは無いのですが、
とりあえず、他の方に対する時は、ちょっと意識しておく方が無難かも知れませんね。

> ちなみに、これも偶然なのですが、最近ゼミでレポートを提出する機会があり、
> ゼミ生だけのLINEでレポートのページ数を全員で合わせようという話になりましたね。

まさしく、今時っぽいエピソードですね!?(笑)
みんなでページ数を合わせようなんて発想、私たちの世代では出てきませんよ!!
そういうのって大体、最低限の枚数や、目安となる枚数が定められてますから、
その枚数にギリギリ達するよう、何とか嵩増しするのが、基本路線だったように思います。
正直、他の人が何枚書いてるかなんて、全く気にもなりませんし。


> > > まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> > > むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

> > いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
> > オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
> > とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
> > 「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
> > https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
> > で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
> > まあ一応、参考までに。

> いや、このデータは私には役に立たないですし、世間一般の定義はともかく私の考えるオタクとは違うかなあ。
> だって男性の9%がスポーツオタクと答えているんですよ。
> 18%のゲームオタクも、14%のアニメオタクも、ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけじゃないんですかねw

う〜ん、やはり こういう反応が返ってきましたかぁ・・・・
確かに、これがドンピシャなデータであるとは、私も思ってませんでしたけど、
でも、仮に、当てはまる部分が半分、当てはまらない部分が半分あったとして、
そのどちらに焦点を当て、それを役立てるか? はたまた役に立たないと切り捨てるか?で、
今回だけでなく、様々な事象や機会においても、
自らの可能性を広げるか?摘み取るか?の分岐点になると思うんですよね。
そして今回、わざわざ手渡された機会を、旧トルコ担当さんは自ら放り投げたと・・・・
個々の事例を参考に出来るか否かよりも、そうした対応こそが、恐らく最も響くと思いますよ。

それこそ、前回指摘した「変な逃げ口上で自分を納得させ」というのも、まさにこの事なんです!!
例えば、スポーツ・オタクな人の事を、どれだけ旧トルコ担当さんは把握しているのでしょう?
プロ野球だと、足繁く球場へ足を運び、毎日3〜4時間ある試合を見て、時には地方まで遠征しと、
変な話、コアなファン層はアニメやゲーム以上に、世捨て人なタイプも多い分野ですよ(笑)。
格闘技やプロレスも、アニメやゲームに負けず劣らず、コミュ障の割合が高い印象もありますし。

また、回答者層は「ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけ」というのも、
特に根拠は無くと言いますか、そう思いたいから、そう見なしてる部分がありませんか?
逆に言えば、だからこそ前回、一番最初に「回答者のオタク自認度」を貼ったんですよ。
この分布度合いであれば、私が感じる旧トルコ担当さんのオタク度とも、そこまでズレないと感じたので。
具体的に言うと、ライト層がオタクだと強がってる割合が高ければ、もっと5点が多いでしょうし、
反対に、コアなオタクが多ければ、その時は3点がもっと多いはずなので、
4点が半数を占める これは恐らく、自分はそこそこのオタクだと自認している層が厚いかな?と。
実際、旧トルコ担当さんが自身のオタク度を問われたら、何点って答えてますか?

> 少なくとも、オタク男性の4分の3が、2人以上の女性と付き合ったことがあって、
> 女性オタクのうち恋愛未経験者が7.3%しかいないのならば、私は死にますw
> 管理人さんとしては、この辺に違和感覚えなかったんでしょうか?

まあ、マッチング・アプリの会社が調査してますので、実際よりも高い数値が出ているとは思いますよ。
とは言え、一応 2020年に国が調べた生涯未婚率は、男性26%、女性16%ですからねえ。
逆に言えば、男性の74%、女性の84%には結婚歴があり、恋愛経験なら その数値は更に高くなるはずですし、
もっと言うと、オタクか否かに関係無く、結婚できない人や、恋愛できない人は相当の割合で居ると(笑)。

データとかは無いですけど、恐らく感覚的には、オタクの方が未婚率は高そうな気がしますけど、
でもそれも、オタクだから結婚や恋愛が出来ないと言うよりは、
コミュ障だから結婚や恋愛が縁遠いのが実際で、
コミュ障とオタク趣味は親和性が高いから、結果としてオタクの未婚率も上がってるのでは?
そして、オタクの未婚率が一般より何割か高いとしても、数字的に結婚する人の方が多数派となりますし、
一般から懸け離れた数値が出るほど、オタクが特殊すぎる人種だとも思えません。

という事で、全体的には多少の有意な違いは出るでしょうけど、個人レベルなら誤差の範疇です。
オタクだって、普通の人よりも少し低い程度の割合で、普通に恋愛も結婚もしてるのが、現実でしょうね。
異世界転生モノが、人気を席巻する昨今ではありますが、
長渕剛も歌っているように、「生まれ変わるなら、生きてるうちに」ではあるんですよ!!

> > 言っちゃ何ですけど、その程度の現実感で考えている「孤独さ」は、
> > 一体どれだけリアリティーを持って考えられているのかが、正直疑問なんですよね。
> > 賢狼ホロも、「孤独は死に至る病じゃ」と言ってるじゃないですか・・・という冗談はさておき(笑)、
> > 若い頃はまだしも、年老いてからの孤独は、下手をしたら死よりも怖いかも知れず、
> > 死が怖いのであれば、同じくらい、将来の孤独を恐れてみても良いかも知れませんよ。

> そうですね、5年前の私なら年を取ることや身体・環境の変化による、自分自身の感情などへの変化って理解できませんでしたが、
> 最近は小学生時代のことを思い出したりもして、年を取ると変わっていないつもりの自分自身がビックリするくらい変化する、
> というのもあり得るんだなあ、というのは分かります。
> 将来の孤独も何も、既に孤独なのでこれ以上に孤独になることってあるんですかね?
> 現在話す相手ゼロなので、マイナスにはなりえないでしょう。

いや〜、それがなるんですよ、マイナスに!?(笑)

もちろん、話し相手がゼロからマイナスになるなんて事は無いのですが、
1人でも得られる満足度が、70点から50点、そして30点と、年々下がっていくんです。
小学生から大学生への変化は「成長」ですけど、
青少年から中高年への変化は「老化」ですからね。
アリとキリギリスじゃないですけど、心と体の衰えを想定できてない人ほど、
いざ自分がそうなった場合、本当にガクッと来ますよ(「襲われる」という表現の方が適当かな?)。

> 後は実は、ウクライナ戦争の影響というのもあるんですよね。
ちなみに、旧トルコ担当さんの年齢的には、
12年前の「東日本大震災の影響」って、どの程度なのでしょう?
あれは遠く離れたウクライナの事ではなく、まさしく我々が当事者である日本の事でしたし、
天災と人災の違いがあるとは言え、2万人もの死者と数十万人の避難者を生み、町の多くも破壊されましたからねえ。
まあ逆に言うと、今の小中学生とかは、東日本大震災すら「歴史」な世代なので、
いろいろと見え方や感じ方が違ってくるのは、容易に想像できますけど。

> やはり人口1億の国と人口4000万の国の全面戦争が始まったというのは、これまでの紛争や内戦より1レベル大きい戦争ですし。
と言いますか、白人(欧米人)同士の戦争であるから、これだけ注目度が高いのでは?
(ロシアが核保有国である事も大きいですが、NATO参戦がない限り、核使用の可能性は低いので)
それこそ、ウクライナからそこまで離れている訳ではないアラビア半島でも、
人口3300万のイエメンで内戦が起こり、そこに人口3600万の隣国サウジアラビアが荷担していて・・・と言うか、
アラブの春で起きたイエメンのクーデターに対して、サウジが軍事介入して潰しに掛かった事で、内戦が激化し、
ウクライナの数十倍という民間人の死者を生む戦争が、現在進行形で起きているんですけどね・・・・

もっと言えば、この惨劇がウクライナ戦争ほど報じられないのは、
欧米人から見た場合、所詮はアジア人の事だからであり(一応、日本は同じアジアのはずですが)、
しかもイエメン内戦の場合、ロシア軍の立場にあるのが、アメリカ陣営のサウジ軍ですからねえ。
この戦場では立場が逆転し、しかももっと酷いのですから、そりゃ まともに報じませんよ。
とは言え、そこはトランプ政権からバイデン政権に代わった影響で、
アメリカ側もサウジに対する軍事支援を控え始めましたが、今度はサウジが中国やロシアに接近し出したと。

> 歴史を多少かじった者としては、
> 東西冷戦期とか両軍が核兵器を搭載した航空機を24時間365日飛ばしながら代理戦争してたわけで、

まあ、私も年齢的に、さすがに朝鮮戦争やベトナム戦争は知りませんけど、
ソ連軍のアフガン侵攻や、アメリカ軍のパナマ侵攻は、子供ながらリアルタイムで見てますからねえ。
とにかく冷戦中は、「朝 起きたら世界が滅んでる」可能性があった時代でしたし、
少なくとも私の中では「歴史」ではない為、いろいろ世代的に感じ方は違う所はあろうかと。
いくら北朝鮮の脅威とか煽られても、ソ連の脅威を実際に覚えてる世代なので(苦笑)。

> 正直今の日本社会としてはウクライナ戦争を大げさに捉えすぎているとは思うのですが、
> ただ私も感情ある人間なので、本物の戦争が始まってしまったというショックはありますし、
> 開戦数週間は夜中には不安を覚えたりというのもあったんですよね。

まあ、その感情は私も分かりますよ。
と言いますか、2014年のマイダン革命で、ウクライナもアメリカも滅茶苦茶だったのは見てましたし、
開戦前の大規模演習で、ここまで準備を整えたら、プーチンも後には引けないのは予測できていたので、
戦争の勃発自体に驚きはなかったものの、やはり、それとは別にショックはありましたからねえ。
戦争が起これば、それだけ一般市民にも犠牲者が出る訳ですから・・・・

ちなみに、ロシア軍は半年前に30万人の大動員(開戦時の2倍)を行っている為、
この冬にも大規模な再攻勢が想定されていましたが、
今年は記録的な暖冬で、地面も凍らず ぬかるんでいるそうで、
春頃に大きな動きがありそうですけど、今更ウクライナ軍も油断しないはずで、一体どうなりますかねえ?
ロシアでは厭戦気分が高まる反面、強硬意見も台頭してきてますし、
仮にプーチン政権が倒れても、それで一件落着どころか、却って悪化するシナリオも有り得ます。

とは言え、何か劇的な変化があるにしても、それは今年ではなく来年かな?
来年は、3月にロシアの、4月頃にウクライナの、11月にアメリカの大統領選挙が、それぞれ予定されており、
選挙結果だけでなく、選挙運動の過程においても、何かと動きがあるかも知れません。
政権交代が起こるか否か?誰が大統領に就任するか?で、アメリカの対応が変わるのは勿論、
盤石に映るロシアも、選挙運動で生じる大規模なデモを武力で弾圧すれば、どう転がるかは解らず、
傍からだと挙国一致のように見えるウクライナでも、来年の大統領選挙を見据えてなのか、
現職大統領のゼレンスキーが、対抗馬と目されるキエフ市長のクリチコを、激しく罵ったりしてます・・・・
(って、片やコメディー俳優であり、片やボクシング世界王者ですからねえ・苦笑)

> 今でも、お昼の時間帯になると「今日もおいしいご飯が食べれて(こんなに平和で)幸せ」と思うようになりましたし、
> おかげでちょっと太りそうな勢いでご飯がおいしいんですよ。
> 私が太ったらプーチンは責任取ってくれるんですかねw
> 水木しげるのマンガでは「終戦後3年くらいは、今日も明日も明後日も生きられるというだけで幸せだった」とありますが、
> まさか自分がそんな体験をするとは思いませんでした。
> いやまあ、遠いヨーロッパで戦争が起きたくらいで大げさなんですけど。

ご飯も喉を通らないではなく、それで食が進むというのでしたら、
ショックというのは同じでも、その方向性は まるで異なるのでしょうね・・・・
理屈としては解るものの、そういう感じで繋がるのは、ちょっと驚きというか 違和感が残ります。

いや別に、それが良い悪いという話では無いですけど、
そこが自己中心的というか、新自由主義的な価値観なのでしょうか?
昨今の横並び志向も、共感や同調から来るというより、消極的な利己主義に基づいてそうですし、
自己肯定感が低いのに、自分の事を好きでいられるのも、そうした下地があるからかも知れません。


> > > もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
> > > 本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。
> > > とはいえやはりひと昔前と比較して、
> > > 人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、
> > > というのはより進んでいるのでしょうね。

> > 「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
> > 旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
> > 私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。

> いや、なので「もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
>  本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。」
> と書いているんですけどね。
> 理想と現実は別ですが、その時代の理想の人間関係の描かれ方というのは、
> その時代の人間関係に対する価値観を表しているのも事実ですし。

今も昔も「理想と現実は別」なのは確かなのですけど、
その一方で、「今の理想と昔の理想は別」でもあるし、「今の現実と昔の現実も別」という話なんですよね。
そもそも、今と昔とでは、土台となる「人間関係」自体が、大きく変わってしまっていますし。

> > > 私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
> > > ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、
> > > フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
> > > 人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、
> > > あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

> > 何というか、テニスの壁打ちに近いのかな?という印象を受けますね。
> > どんなボールで攻めてくるかと、相手とのラリーの応酬を楽しみたいというよりは、
> > 自分が打ちたいが為に、単にボールを返してくれる「壁」役の存在を欲していると。
> > 極端な話、それで自分が満足できるのであれば、
> > ネットの向こう側に居る相手は、人でもbotでも構わない感じなのかな?
> > もちろん、始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそうですし、
> > それを望まない人は未だに多いでしょうけど、気が付かなければ意外とそれでもOKみたいな。
> > > 相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。
> > > しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、
> > > 岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、
> > > やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。

> > う〜ん、結局の所、上記と同じ話になっちゃいますけど、
> > botが相手では虚しいものの、かと言ってリアルな人間が相手だと煩わしく、
> > その結果、素性も知らない「bot的な人」を相手に求めるようになり、
> > それに応じて、自分さえも「bot化」してしまうというのが、そのあたりの正体なのでは?

> bot化というのは、私が名のでしょうか?それとも今の世代がなのでしょうか?

固有名詞を付けてないので、基本的には「世代論」として述べていますね。
とは言え、その辺りの傾向は、同世代である旧トルコ担当さんにおいても、
多いにせよ少ないにせよ、幾らか該当する所があるのでは?というのも含まれているので、
世代論として語っているのが8割くらいって感じですかねえ、何となく(笑)。

> 私はTwitterも最近はbotに半分くらい任せています
> 過去のツイートなどをまとめて1日1ツイートにしておけば勝手にいいねやRTが得られるので、
> これでいいじゃんってなってますね。
> これは岡田斗司夫のUG動画と同じことをしただけなのですが、
> こんなに便利なら、なぜ誰一人としてTwitterでこれをやっている人がいないのだろう、と思っていました。
> が、やはりこれで満足できるって変わってるんですかね?

いや〜、そんな事をされてるんですね!?
今っぽいと言えば、今っぽいので、変わってる・・・とまで言いませんけど、
少なくとも私なら、絶対にやらない行為でしょうね。
もちろん、これが仕事や作業であるならば、そうした事も有り得るでしょうけど、
このTwitterに関しては、個人の趣味で行っているんですよねえ?
これってもう、本来の つぶやく事自体が目的なのではなく、「いいね」を貰う事が目的なんですか?

で、そうなると、前回の話に戻るというか、話の前提を変えなきゃいけないかも知れないのが、
仮に、「いいね」を貰う事が主目的化しているのは解るとして、
この「いいね」も、botが機械的に付ける事は可能ですよねえ(現状だとルール違反のようですが)。
で、例えば、人は誰も見ていなくて、プログラムが自動的に処理する事で、いいねの数が増えたとして、
それでも嬉しかったり、満足できたりするモノなのでしょうか?
もっと言うと、向こう側はブラック・ボックスなので、機械を人間と思えてれば良いのではなく、
そもそも最初から、全てが人間不在で機械相手である事が解っていても、それでも良いんですかね?

もしも、そうであるならば、
「始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそう」
という、私の認識の方を改めなければならないでしょうね。
何と言いますか、これがゲームの対戦とかであれば、
もちろん人対人の方が盛り上がるものの、人対COMの1人プレーでそれなりに楽しめますし、
SNS利用というのも、人同士の繋がりを楽しむのではなく、そういう段階に来つつあるのかなぁ・・・と。
まあ正直な所、私自身は ほぼSNSを利用していないので、そもそも実感が欠けてる部分がありますからね。

> テニスの壁打ちというのは本当にもっともで、私は何十時間かかけてゲーム作る割に、あまりRT数もいいねの数も気にしませんし、
> たぶん私の作ったゲームで一番遊んでいるのは私だと思います。
> なんなら最近はそれに飽き足らず、ほとんど独り言のホームページも運営していますし。

この辺りは、私と全く正反対なのかな?(笑)
私は自分で作ったゲームを遊ぼうとは全く思いませんし(最低限のテストプレーくらい)、
長文癖ではあるものの、返信する機会でも無ければ、1人で語ろうとも思いませんので。

> (Googleなどの検索サイトに見つけてもらう方法が面倒で放置しているので、HPなのに検索に引っかからないんですよね
> 一応Twitterにはリンク張っているので、ちょっと(数人?)は訪問者がいるらしいですがw)

私自身が何も対策を取っていないので、正直無頓着なのですが、
いまの時代は個人サイトでも、そうした検索対策をするのが、やはり一般的なんですかねえ?
私の方も もう少し真剣に、サイト運営を考えるべきなのかなぁ・・・・
正直、老化や死、運と努力、社会に経済とかよりも、こうした創作系の話題の方が個人的には合いそう(笑)。
特に小説に関しては、昔から少し興味はあるものの、全く手を付けていない分野ですし、
実際に書く行動に移すかはともかく、世界観の設定を考えるのとかは、凄く興味があります!!

ちなみに、そのサイトや小説・絵・ゲームなどは、ここで晒したりはしないんですか?(笑)
先日も十数年ぶりに、豆乳さんのサイトと相互リンクしましたし、
もしも旧トルコ担当さんがお望みであれば、そうした事も可能ですよ。

> といいますか、普通に小学生の頃は自分だけが読むための小説とか、誰に見せるわけではない絵とか描いていましたし。
> それと本質的には変わらないかなあ。
> その私の自己満足で作ったゲームや書いた文章に多少の需要があるから、
> もったいないのでTwitterで公開してるだけで、見せるためではないという点は今も変わってないと。

誰にも見せないけど、文章を書くとか、絵を描くとかは解ります。
まあ、それ自体は昔から よくある事ですからね。

ただ一方で、SNSはコミュニケーション・ツールだという認識があるので、
井戸端会議の延長線上と言いますか、時には街宣活動のネット化なのかもしれませんけど、
ともかく、相手が実際に自分の話を聞いているか否かはともかく、
いいねやRTも含めて、向こう側にいる「人間」の存在は、基本的に求められているのかと思ってました。
これって、1人で小説を書き貯める行為とは、別だと考えてますし、
独り言を言ったり、1人で鼻歌を歌う事はあっても、それはコミュニケーションとは別という認識なので。

とは言え、だからこそ、SNSでは炎上事件が頻発するんですかねえ?
簡単に言うと、今の時代のコミュニケーション観が変化したのではなく、
独り言をする場と、会話をする場との違いを、単に認識できてないだけみたいな話で。
(別にコミュニケーション・ツールじゃなくても良いのですが、ネットは世界と繋がってる認識は必要)
それこそネットの集団リンチなども、対象となる相手が「実在の人間」である意識の希薄さを感じますし、
面と向かっては言えなくても、ネット上だと容易に言えてしまう感じだとか、
ネットとリアルの境が曖昧化した事で、画面の向こうに居るのが人かAIかの意識も曖昧化しているのかも・・・・

> > まあ、私みたいな世代だと、アナログしか存在しなかった所に、後からデジタルが現れたので、
> > 「リアルとネットは別物」という感覚が、未だに割と残っているのですが、
> > デジタル・ネイティブな若い世代だと、「ネットはリアルの一部」という感覚でしょうし、
> > 逆に言えば、だからこそ、「リアルとネットの区別」を行ってる自分に無自覚なのかも知れません。

> 私が下の世代に一番差異を感じるのも、リアルとネットの使い分けですからね。
> 割と小学生のころからLINEがあった世代のネット観ってどうなってるんでしょうか。

だいたい世代の感覚は、10年くらいで様変わりしますので、
現在 大学生である旧トルコ担当さんと、今の小中学生とでは、結構感覚が違いそう。

2019年から始まったGIGAスクール構想に、2020年以降のコロナ禍も相俟って、
特に ここ2〜3年は、子供たちのネット利用が加速度的に進んでおり、
まだ、平仮名の書き取りや、数字の練習などをしている小学1年生が、
学校の宿題をダウンロードし、ノートPCで宿題を解き、ネット送信で提出する様子には、
アナログ世代の私など、かなりの隔世の感を抱かされます(笑)。

> > 言い換えるなら、ネットの存在が当たり前すぎて、リアルとの関係性を意識できない為に、
> > その辺りで混乱が生じているというか、振り回されてるみたいな印象があるかな。

> これは私のことを言っている、ということであっていますよね?

いや、主語が抜けている場合は、一般論や世代論を語っています。
もちろん一般論や世代論なので、それに旧トルコ担当さんが当てはまる場合もあるでしょうけど、
相手に向けて語る際には、「旧トルコ担当さん」のように、固有名詞を付けて書いてますね。


> 岡田斗司夫は「今後恋愛も流動化が進み、1人の人と生涯に1度恋愛して結婚する昭和の単婚社会から、
> 常に複数の人と恋愛みたいな状態を持ち続ける多婚社会になる」と15年くらい前から言っており、

根本的に、恋愛と結婚は別物なのでは?
社会の風潮が、見合い結婚から恋愛結婚へと変われば、恋愛の回数も当然変化するとして、
恋愛と違い、結婚の先には出産や子育てがあるとして、それでどう多婚社会になるのでしょう?
結婚後も恋愛をアウトソーシングすれば、それはホワイト社会が目の仇にする「不倫」でしょうし(笑)。

> 「具体的には、例えば今の女性はその時その時では1人の彼氏としか付き合っていないけど、
> 5年6年のスパンで見ると3人の彼氏と付き合っていたりする。
> これは実のところ同時に3人の彼氏と付き合っているのと、ある意味では変わりない。」とも言っています。

「ある意味では変わりない」とは、どのように変わらないでしょう?
正直、全く意味不明の論説です。
できれば解説をお願いします。

> まあ、具体的にどういった形で単婚社会の解体が進むのか、あるいは本当に多婚社会になるのかは置いておくとしても、
> 全体的な傾向としては、そういった恋愛・結婚の流動化が進んでいるのは私も賛成しますし、
> 私が年を取ってより寂しさを実感するときには、もっと恋愛・結婚の形も変わっていると思うんですよね。

でもその時は、もう何も行動が取れなくなってると思いますよ。
甘い理想を立てるのは自由ですが、世の中って そんなモノなので。
「将来を見据えて、今のうちに動いておけ」という、教訓じみた話をしている訳では無く、
「いま動けない人は、将来は尚更動けない」という、実に即物的な話をしているんです。

> それこそ離婚率も今後さらに上がっていきそうですし、
> 何かこの「将来寂しくなるのが不安なら、今のうちに恋愛しとかなきゃ」というのは、
> 「将来日本はもっとひどくなるから、絶対正社員・公務員にならなきゃ」みたいな感じがして、
> もちろんフリーターよりは正社員・公務員の方が安定なのは間違いないですけど、
> じゃあそれって私がじいさんになった50年後とかも会社が面倒見てくれるんですかと言いたくなるんですよ。
> なれるならフリーターより正社員になった方が絶対いいでしょうし、
> 多少なら無理してでも公務員になった方がいいのかもしれませんけど、
> 一方でそういう不安をあおるような感じのものは(悪意があるわけではないのは分かりますが)胡散臭く見えるんですよね。

う〜ん、私が言いたい事とは、どんどん離れていく(間違って解釈されてる)感じがしますけど、
こうやって安易に、白か?黒か?の二元論で考えたがるのは、昨今の流行であるとは言え、
解り易さを優先するあまり、中身はスカスカになっちゃうんですよね・・・・
単純化しすぎて本質を欠くのは、複雑さで煙に巻かれる胡散臭さ以上に、時に危険な存在でありますし、
フリーターと公務員がどうこうという話では無く、もっと幅広い視野や立ち位置を作りましょうという話です。
この例え話で述べるのなら、「丈夫な草鞋が一番」ではなく、「何足も草鞋を履こう」という感じかな?

皮肉な話ですけど、社会が多様化の必要性を唱えるようになって以降、
人々の基本となる思考や価値観は、却って多様性を失っているような実感があります。
そう考えると、単純化して煙に巻くのは、もっと胡散臭いのかも知れませんね。
何と言いますか、本当に都合の良いように、新自由主義に踊らされ操られてる時代な感じもしますし。
・・・って、これこそが「情報化社会の負の側面」だったりするのかなぁ?
それこそネットが普及し始めた頃は、正の側面に魅せられ、もっと理想な社会が到来する印象があったのに(泣)。

> そしてリアルに自分が女性と付き合うということを想像すると、やはりメチャクチャ気持ち悪いですね。
> 女性に媚びて、おしゃれとは言わないものの清潔感のある服装ですか、そういうのをしている自分も気持ち悪いですし、

じゃあ、そうしなければ良いのでは?
何で自分で枠組みを立てて、それを自分で噛みついているんですか?
自作自演というか、独り相撲の極みになってません?
それだけ悪感情を顕わにしている時点で、それほどまでに気にしてるんだな・・・と感じますし。

> 女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。
> そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。

え〜と、この発言↑って正直、この発言↓と整合性は取れてます?
> 感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
> それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。
> セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、
> 何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
> 女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、
> まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。

あと、2年前の このやり取り↓に関しても、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23513
> > > > > 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> > > > > 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> > > > > やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> > > > > 現在の百合の根底にあると思います。

> > > > ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
> > > > 難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
> > > > いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
> > > > それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
> > > > キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
> > > > それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
> > > > 「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。

> > > 百合かといわれると微妙ですね。隣接文化でしょうか。ガンダムシリーズとガンプラみたいな。
> > > 一応別の文化だけど、深く関係している感じです。
> > > では、百合と女装コスプレが「隣接文化」である事を示す根拠はあるのでしょうか?

> > ガンダムとガンプラなら、それを示すのも容易でしょうけど、
> > 百合と女装コスプレは、それすらちょっと難しくありませんか?
> > 現状では、旧トルコ担当さんが、そのように感じたというだけの話な気がして、
> > 厳しく言うと、少なくとも現時点では、私はまるで腑に落ちていません。

やはり、旧トルコ担当さんの そうした思いがあるから、そのように見えるのでは?
という思いを、改めて抱きました。

> これ書いていて思い出しましたけど、高校生の時は同学年の女の子見て、ちょっと辛くなりましたね
> (人間、絶対できないことに対しては羨ましいとは思わないらしいです)。
> 私の高校は制服が全く可愛くなかったのが幸いでしたが。

羨ましいから悪態をついてるようで、それとも少し異なる感じ・・・・
って、文章から漂ってくる、この感じの正体は何なんだろう。
うまく表現できないですけど、女の子の事を「2.5次元」的に捉えているのかな?
なので、3次元な生身の部分には嫌悪感が生じるし、2次元的な可愛らしさには憧れて、
もし生まれ変わるなら、女性になりたいと言うよりも、アニメの美少女キャラになりたいみたいな感じ。

そう考えると、前回のチアの話題も、何となく腑に落ちる所があるかも。
よくあるような、女子アスリートを「性の対象」と見なす感じとは違って、
2次元と3次元のギャップに関して、あれこれ感情を抱いているというか・・・・
でもこれって、そもそも3次元の存在である女性を、3次元で見ていない事にも繋がるので、
変の話、性の対象として生々しく3次元で見てる以上に、女性の尊厳を踏みにじるような見方なのかも?
当たり前の話ですけど、リアルの女性は2次元の美少女キャラでも無ければ、その代替でも無いので。

あと、「3次元には興味がない」という言い方は、よくあったりしますけど、
最初から3次元に興味のない人など、ほぼほぼ居ないのが実状ですからねえ・・・・
3次元に関心がなければ、何故わざわざ2次元でも、美少女キャラにこだわるのか?という話です。
そこには結局、リアルから逃れられない人間のサガがありますし、
結局の所、当人が自覚しているか否かはさておき、3次元からの逃亡先として2次元があっただけであり、
本当にリアルから離れた価値観で生きているなら、そもそも人型になんて拘りませんよ!!
アート系の世界だと、ガチでそこまで ぶっ飛んでいる人が居ますし、だからこそ面白いです(笑)。

> 私の場合、好き嫌いは非常に多いので、少年マンガとかは絵柄が苦手なので一切読めませんし、
> 異性愛だけが特別苦手というわけではないです。

話を聞いていると、好みが本当に「腐女子」に近い感じなのかな?
もっと言うと、腐女子になりたい願望が強いというか、
更に言うと、なれないのが解っているからこそ、なりたい願望を抱いてしまった印象。
逆に言えば、もし本当に なれるとなれば、ならないどころか、願望も捨ててしまいそう。

> (萌え系とその源流になった手塚系・少女マンガ系の絵は大丈夫なのですが、
> 少年マンガの絵は名探偵コナンくらいが限界で、ワンピースもドラゴンボールも鬼滅の刃も絵柄がダメで一切読んでません)

鬼滅を描いた吾峠呼世晴は女性マンガ家らしいですけど、そういう基準でも無いのかな?
まあ別に、女性マンガ家が、少年マンガを描いてはいけないとは思ってませんけど、
やはり、独特な絵の特徴が出る事は多いので、個人的には気になる事もあるのですが。

> 真面目に私は将来AI娘が寂しさを紛らわしてくれるのを期待していますし、
> まあ、あとは高齢元オタク同士のメタバース同性愛というのもありかな、とは思っています。
> 実際にはどっちも技術的理由、個人的感情から無理かもしれませんが、

いや、技術的には出来ると思いますし、そのうち出てくると思いますよ。
ですが、それで空白感が埋められる事は、まず無いと思いますけどね。
実際、以前にも言いましたけど、似たようなモノは これまでに何度となく現れてますけど、
今こうして「将来的に出てくれば」なんて話をしている時点で、全く定着してないんですよ。

それは決して、技術的に未熟だからとか、そういう話ではありません。
どれだけ技術が進んでも、リアルという存在がある以上、バーチャルはどこまで行ってもバーチャルなんです。
バーチャルだと割り切って楽しんだり、リアルにバーチャルを混ぜたり、そうした事は可能でも、
バーチャルをリアル同等に持って行くには、リアル自体を断ち切る必要があると思うんですよ。
ですが我々は、リアルな生身の身体を持っている以上、そこまで行くのは不可能です。
それが可能な時代が到来するとすれば、そうれはもうSF的な世界でしょうね。

> 私はずっとオタクコンテンツに浸かってきたので同性愛には全然抵抗ないというか、
> 高校時代にはちょっと気になる男子とか普通にいたので(何もしませんでしたが)。
> といいますか、今もちょっとTwitterで4つ年下のメンヘラ男の子がちょっと気になっているんですが、
> こういう可愛い感じの子は既に私と似たようなオタクたちが囲っているんですよね。

それは別に、オタクどうこうとか関係無く、
昔から よくある、「思春期特有の性感情」に近い印象も受けますけどねえ。
男子にせよ、女子にせよ、未だ成長途中な時には、同性が気になる事も決して珍しくありません。
逆に言うとオタク・コンテンツの方が、思春期の特性に寄せている側面もあり、
それにドップリ浸ってしまうと、本来なら一過性で通り過ぎる所が、定着してしまう事もあるかな?
先天的な同性愛とかはまだしも、後天的な性志向は、そうした築かれる印象が強いですし。

更に言うと、これは衆道文からの流れなのか、
日本って伝統的にも、可愛い男の子を愛でる文化が、何気に息衝いていおり、
例えば、私が応援する浦和レッズの小泉選手とか、そうした面での人気もありますし、
そもそも芸能界に目を転ずれば、美輪明宏や池畑慎之介など、古くから人気がありますからねえ。
男性でも「ちょっと気になる男子」という感覚は、日本だと意外に解る人が多そうです。
逆に言うと、キリスト教やイスラム教の社会が、教義的に禁忌と見ているだけで、
動物界でも対して珍しくない事を思えば、結構普通に受け入れられてる社会は多いかも?

あと、化粧やセーラー服への憧れ(?)みたいな話の時にも思いましたが、
旧トルコ担当さんが「宇宙海賊ミトの大冒険1・2」とか見たら、どんな感想なんだろう?と思いました。
いや、「らんま1/2」とかの方が、性転換アニメの例としては一般的なのでしょうけど(笑)、
何だかミトって、個人的に結構印象に残る作品だったんですよねえ・・・・。

> 正直今したくもないことをして将来の不安に備える気はないですね。
> そうやって適当なこと言って努力せず備えないでいると、コツコツ準備してきた人と後で大きな差ができるよ、
> というのも分かりますが、一方で転勤族の私の父が単身赴任で寂しい思いをしているのも事実ですし。

単身赴任で寂しいのなら、独り身なら尚更じゃありません?
まあ、それはそれとして、心底から そう考えてる人に対しては、私だって特に言いませんよ。
でも、その他の文章まで込みで読むと、どうしたって、心底から そう考えてるようには映らないんです。

「今から勉強しようと思ったのに、言われたからやる気がなくなった」という子供は、
言われなければ本当に勉強するかとなると、まず やりません(笑)。
それは、表面上はどう思っていようと、心の奥底では そう考えていないから。
これがまだ、解った上で言い訳してるなら、まだ大丈夫なんですけど、
自分自身の嘘には、自分まで騙されているようだと、本当に後々が大変なんですよね。

> そして(矛盾していますが)、正直特定の誰かと強い関係性を持ちたくないというのはあるんですよね。
> 私にとっての理想の人間関係は、誰からでも交換可能なパーツであることですので。

何度も書いてますけど、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体ですからね。
まあ、戦後以降の世の中は、ドンドンと個人主義の方向へ進んでいきましたし、
そういう感情に至るのは、別に珍しい事でも無いのですが、
デメリットだからと切り捨てた時、メリットも同時に捨て去ってしまうので、
気付いた時には、手元に何も残っていなかったりすると・・・・

> そのうえで、自分が勝手に満足したら、誰にも気づかれないように社会から消え去りたい、というか、
> 少なくともいつでもそうできる選択肢自体は持っておきたいんですよね。
> まあ現実問題、いざそういう段階に達すれば、本能的な恐怖に直面するものであり、そんな選択しとれないのも事実ですが。

「満足したら」と言いますけど、本当に「満足できる時」なんて来るんですかねえ?
この先で起こるのは、それとは正反対の可能性が非常に高いと思いますよ。
「努力せず備えないで」とか、「コツコツ準備」とかいう事よりも、
そうした甘い見立てというか、心積もりが、後々になって響きそうだな・・・という感じです。
いや、でもまあ、若者にありがちな考えと言えば、確かにそうなのですけど(笑)。


[24114] 年を越しての長文返信(その2)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:27:13 徳翁導誉

> > それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> > あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> > 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> > 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。

> 別にオタクやってれば、中高年にならずとも、これの繰り返しじゃないですかね?
> 面白い作品ある時は毎日のように生きてて良かった〜と思いますし、
> そういった作品が見つからないときは人生が虚無になりますし。

そうじゃないんですよ・・・・
「面白い作品ある/ない」というのは、外的な要因ですけど、
「作品を楽しめる/楽しめない」という、内的な要因が働き始めるんです。

旧トルコ担当さんは若いので、まだ今は想像しにくいかも知れませんけど、
例えば、体調を崩した時だとか、気が滅入っている時とかでも、
いつもと変わらず、作品を楽しむ事は可能ですか?
もしも それが可能であるのなら、この話は取り越し苦労なので忘れて下さい。
でも現実問題として、そういうタイプの人って、本当に極一部であり、
大抵の人は、体調が悪かったり、精神的に辛いと、いつもみたいには楽しめないはずです。
そういう大多数の人たちには、ほぼほぼ当てはまるような話ですよ、この件は。

で、老化というのは、そうした体調や精神の不調が常態化し、しかも年々重くなるようなモノであり、
RPGで言えばHPやMPの最大値が、ガシガシと削られ続けていくような感じなんですよね。
宿屋で休息して全回復しても、20代と30代と40代とではMAXが違います(苦笑)。
そして、そのうち1人パーティーでは辛くなったとしても、そこからやり直すのは困難なんです。
だからこそ、それが容易な今の内に、口うるさく忠告している訳ですし、
今はまだ解らなくても、10年後20年後ではなく、3年後5年後で気付けたなら、
時間が早いほど、まだまだ挽回のチャンスも残されているので、
そうなれば良いかな?くらいの感じで、あれこれ講釈を垂れてる所はありますね(笑)。

恐らく、そうした苦境をスムーズに乗り越えられるのは、
ずっと前から整え続けてきた人間か、もしくは最初から突き抜けてる人間かと?
サッカー選手で言うなら、前者が長谷部で、後者が三浦カズでしょうね。
特にカズなんて、来月には56歳になるのに、今年から新たにポルトガル2部でプレーですから、
スポンサー枠だの何だのがあるにしても、もう充分に常識外の化け物ですよ(笑)。

> 歳を重ねた人に突き刺さる、オタクだったのにだんだんアニメが見れなくなる現象 https://togetter.com/li/1278232
> そういった現象って昔は高齢オタクのものでしたが、
> 今はタイパ意識とかのあれで、若いオタクにも結構身近なんじゃないでしょうか。

少し話はズレますけど、今の子供たちって身体の成長が早いのも さる事ながら、
ネットがある事で情報に溢れ、しかも周囲の大人たちも ぞんざいな扱いをしない社会となっており、
結果的に、当人の気分的には「早く成熟してしまう」感覚が強くありません?
(いや、精神面の強さみたいな所は、却って未熟なままな時代でもありますけど・笑)
だからこそ、早く満足してしまい、早く枯れ出すような傾向が、ありそうな気はしますね。

また、コンテンツの方も、昔に比べれば遥かに数は多く、平均点や それを満たす割合も高まってますけど、
逆に、飛び抜けた出来の作品とかは現れ難くなくなり、すぐに最高点に達してしまうという、
社会背景(経済状況)による影響も、ひょっとしたら あるのかも知れません。

> 私もそういったアニメを見れなくなる現象を何度か経験した上での結論としては、
> 本当に面白い作品に出合えていないかタイパ意識が浸透してアニメを見れなくなる、ということだと思います。
> 面白くないラノベ読むのは苦痛ですが、ラノベなんて面白ければ大学の課題提出ギリギリまで読んでいるので。
> 本当面白い作品の前ではタイパ意識何か消え去るはずです。

まさしく、それは若い故の部分もあるんですよ!
コスパやタイパの意識に囚われるとか、時間が無くなるとかいう以前に、
「本当に面白い作品に出合えば」・・・で済まなくなるのが、加齢なんです(笑)。

解りやすく言えば、20代だと自分自身の最大キャパが100あるので、
面白さ100の作品に出会った場合、そのまま100を楽しめるのですが、
30代40代と年齢を重ねると、自分自身の最大キャパが80、60と落ちていくんです。
そうなると、いくら作品自体に面白さ100あっても、その人の中では80や60までしか楽しめず、
場合によってはキャパ・オーバーを起こし、面白すぎると却って手が遠退くようになったりもします。
もう少しイメージしやすいような例え話をするなら、若い頃は肉の脂身が大好物だったのに、
中高年になると身体の方が受け付けなくなり、食べても胃もたれを起こすような感じかな?(笑)

って、わざわざ こんな話を繰り返すのも、
旧トルコ担当さんから、全くイメージできてない印象を受けるからですね。
でもまあ、若い内は大概そんなモノなので、別に良いと言えば良いのですが、
そういうタイプの人に限って、いざ自分が年齢を重ねると、本当にガクッと落ちがちな傾向が強く、
逆に、ある程度の年齢から意識できていると、減少を緩やかにする事が可能だったりします。
まあ、内面的な精神や身体の変化って、ちょっと想像が難しいかも知れませんが、
例えば運動面とかの話であれば、結構イメージしやすいんじゃないですかねえ?
若いうちは誰もが、別に運動などしなくても、快調に体が動くものですが、
中高年になってくると、体を動かしてきたか否かの差が、如実に現れてくるみたいな感じで。
しかも心は体以上に、落ちやすくて、上がりにくいので、若いうちから意識した方がベターですよと(笑)。
それこそ人生という長い視点で見るなら、コスパやタイパ的にも、それが最も効率良さそうですし。

あと、こんな事を最後に言うと、ちゃぶ台をひっくり返すような話かも知れませんが(笑)、
こういう言い方をした方が、今は伝わりやすいかと思い、コスパだのタイパだのと言っているだけで、
別に そうした価値観で育った世代では無いので、正直 そこまで深くは気にして無いというか、
少なくとも、考え方の中心軸みたいな感じでは無いですよね。
新自由主義やサブスク的な価値観も含め、今の時代がそうだから、それに合わせているだけであり、
ぶっちゃけ、元々そこまで「タイパ意識何か消え去るはず」という所まで根付いていない感じ。
逆に言うと、仮に今後、社会の価値観がコスパやタイパを重視しない方向性に転換したとしても、
社会の価値観は10年20年おきに変わっても、個々の価値観は なかなか変わらないモノなので、
そうした価値観で育った世代であるが故に、ずっと それに振り回される可能性はありますね・・・・
いや勿論、その時々で、世の風潮に流される人だって多いですけど、
恐らく旧トルコ担当さんは、そうした事を良しとされないタイプでしょうし。

> ややこしくなっているので整理しますが、
> 面白い作品が見つからず虚無という現象:おそらくいつの時代のオタクにもあった
> 年を取り時間や気力がなくなっていくとオタクから離れていくという現象:同上
> オタク成分の効率的接種のためTwitterをやる:最近の傾向
> 若くしてアニメを見れなくなる現象:最近の傾向
> ではないでしょうか?

だったら、話は簡単じゃありません?
「面白い作品が見つからない」のも、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のも、昔から よくある現象であるなら、
「自分は○○だから」と、テイの良い言い訳で自分を納得させて逃げるのも、昔から よくある現象ですし、
それで後になって激しく後悔し、そして取り返しが付かない事に絶望するのも、昔から よくある現象でしょ。
しかも平成の30年間で、未婚率は7〜8倍も激増してますから、該当者も急増中です。
いわゆる「無敵の人」なんて言葉が象徴するように、まあ実際に犯罪まで至る人は極少数でも、
その予備軍と言いますか、何も無くて苦しむ人は確実に増えてますし、それはネット上でも実感できるのでは?
それでも「自分だけは大丈夫」という正常性バイアスに陥ると、却って「よくある現象」よ!!
旧トルコ担当さんの場合、まだ何とでも出来る年齢であれこそ、お節介ながらも忠告しているんです。

あと、これは他の所でも述べているので、何度も繰り返しはしませんが、
「面白い作品が見つからない」のと、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のとでは、全くの別物です。

それと、「若くしてアニメを見れなくなる現象」というのが、「最近の傾向」と言うのも、
深夜アニメが現れたのが90年代後半で、激増したのが00年代後半ですから、
その頃の若者層が、大人になってもアニメを見続けたとして、
そうした人たちが現れた事自体、ここ10年やそこらの話でしかありませんからねえ。
つまりは、そもそも「若くしてアニメを見る」現象こそ、最近の傾向であるとも言えます(笑)。
また、高校生や大学生で離れたとしても、それは元々ある一般的なアニメ視聴の姿勢だとも言えると。

> あとは面白い作品を探すだけではいずれ鉱脈が尽きるといいますか、
> 自分に作品を楽しむ力がないと刺激ばかり求めて、刺激ジャンキーになっていずれ飽きが来るので、
> 既に好きな作品をどれだけ楽しめるか、あるいは各作品を並列で見たりして楽しむ力をつけるというのも重要ですね。

更に言うと、旧トルコ担当さんも、今はまだ若い世代なので、
若者向けに提供される作品と、自分の好みの作品との間に、差異は無いかも知れませんが、
5年10年と経った際、その時に提供される若者向け作品は、その時代の若者の好みに合わせたモノなので、
ここでドンドンと差異が生じてきますし、自らの趣向を変えない限り、提供される作品数は絶対的に減少します。
そうなると、気力・体力・時間・財力が大丈夫でも、どこかで供給源が途絶える恐れは確実にあるんですよね。

でもまあ、旧トルコ担当さん自身に関して言うと、
今回の「マリみて」のように、古典作品も楽しめているようですし、
また、消費や消化だけに留まらず、独自の楽しみ方を見つけられているようなので、
その点に関しては、まあ大丈夫ではあるのかな?(笑)

とは言え、これって結構切実な問題であったりもするんですよね。
いや本当、自分が好きなジャンルであったり、そもそも根本の分野自体が、
時代の変化と共に、消え失せてしまう事だって、よくあるのが現実の世界ですから・・・・
これに関しては、サブカル作品に限らず、食事や衣服など、全ての分野に言える事ですね。
「お気に入りの惣菜パンがコンビニから姿を消したり、そういう小さな絶望の積み重ねが人を大人にするのです」
というのは、呪術廻戦の中で、私が最も好きな台詞(笑)。

> もしオタクの中高年や、あるいはオタクの老後というのがあるのであれば、
> オタク成分の低い毎日を送って、Twitterでオタクエアプ勢をやっている自分を許せるようになった時ではないでしょうか?
> かくいう私も、響け!ユーフォニアムを見てからは、正直もう死んでもいいくらいの気持ちはあるので、
> 昔に比べるとTwitterでだらだらエア・オタクやることへの抵抗は下がってるんですよね。

まあ、それで心が満たされるのであれば、それはそれで良いとは思いますけどね。
10年後にTwitter自体が生き残っているかは知りませんけど、
他にまた、別の何かが現れてるはず・・・とは思うものの、現れない可能性もあるのかな?
それが「右肩下がりの時代」に、ありがちな現象でもありますし。

> と言いつつ、オタク辞めようかな、というのは中学生のころから思っていることではあるんですよね。
> 小学生の時までは、時間がたつにつれてドンドン次のステージ次のステージと色々進んでいったはずなのですが、
> 中学でオタクになってからは、もうそれが10年くらい停滞しているので。
> なので、オタクコンテンツにもしハマれなくなったら、それはそれで次のものを探す良い機会なんだと思います。

でも、次のモノを探す「時間」の方が、もう残り少ないかも知れませんよ!?
決して脅す訳ではありませんが、一般的な話として。
「四十の手習い」なんて言葉がある通り、何歳になっても新しい事は始められるのですが、
逆に言えば、そんな言葉が生まれるくらい、年齢を重ねてからのスタートは現実的に難しく、
もし何かを始めるのであれば、恐らくは20代(可能なら前半)のうちがリミットですかねえ?

あとは、別に今あるモノを捨てずとも、それはそれで取って置き、
新しく幅を広げていっても良いんでしょうけどね。
それこそ、一昔前のオタクが幅広いのは、そんな感じだったからで、
1つの所から枝分かれに、外へ外へと波及させてたり、
異なる所から広げたモノが、やがて交わり巨大化したんだと思いますよ。


> > > 「ネットde真実」というのは、
> > > そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

> > まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
> > ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
> > いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
> > となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
> > 今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)

> いや、管理人さんが積極的に馬鹿にする意図を持っていないのは分かっていますよ。
> そのうえで、やはり「ネットde真実」という言葉を使っているのが、
> 無意識に相手の能力の低さを見下している根底を批判しているので。
> 普通に陰謀論とかでいいんじゃないですかね。それでも十分伝わるでしょう。
> ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?

えっ!?
「ネットde真実」と「陰謀論」は、それぞれ全く異なる概念の単語でしょ!
それらをイコールで結んじゃってるんですか?

「ネットde真実」とは、ネットの情報を鵜呑みにして信じてしまう行為であり、
そこには、「学校では教えない○○」「マスコミが報じない××」という感じで、
既存の権威にマウントを取りたいが故に、却って踊らされてる人を、揶揄する意味合いも含まれ、
そして当時は、「○○de××」という表現が、オシャレ系や意識高い系に流行っていたので、
その辺りの人々の事も、同時に小馬鹿にする雰囲気も持つ言葉でした(笑)。
要するに、その人にとって信じたい情報こそが、ここでいう「真実」なのであり、
それが「陰謀論」的な内容の場合もあるでしょうけど、それが全てでは無いって事ですね。
また、ネットと陰謀論の親和性が高いのは確かですが、
陰謀論にハマる人が、必ずしもネット利用者とは限りませんし・・・・

結局、今回のやり取りで解ったのは、
「いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉」として、私は用いたものの、
旧トルコ担当さんの方は、それを「侮蔑的な言葉」という意味で認識をしていた為に、
互いにズレが生じたって事なのでしょうね。
う〜ん、旧トルコ担当さんは、ニコニコ・ユーザーという事なので、
「これくらいのネット・スラングは説明不要だろう」と思い込んでいた、私のミスかも?
とりあえず、今後は旧トルコ担当さんとの会話では、出来るだけ使用を避けるようにしますけど、
何だか、「片手落ち」が差別用語だと誤解され、放送禁止用語となった一件を思い出しました(笑)。
(ちなみに片手落ちは、腕が1本しかない「片手・落ち」ではなく、片方に配慮が欠ける「片・手落ち」の意味)

> > あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
> > この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> > > 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> > > もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

> > これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
> > 私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
> > 人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
> > プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
> > 「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
> > って言っているようなモノですからね、この発言は。

> この件については、大変勉強になりました。
> 私って、例えるなら典型的な嫌な左翼みたいな人なんでしょうねw
> 自分はエリートだと思い込み、世の中の恵まれていない人を救うという割に、
> 周囲からは何かそこに見下しを感じて、嫌な奴と思われる、みたいなw
> 弱者救済といって人を助けようとしたら、そこにあやかろうとする人のプライドを傷つけることに気づいていない、みたいな。

う〜ん、それは「典型的な嫌な左翼」の前に、「右翼から見た」という一文が加わりそう(笑)。
恐らく、旧トルコ担当さん自身は無自覚かも知れませんが、
少なくとも私から見ると、旧トルコ担当さんも少し右寄りの認識というか、
より厳密に言うと、周囲の人たちが右寄りな環境にあるんじゃないですかねえ?

まあ、90年代までは確実に左寄りだった日本社会は、00年代から急速に右旋回しており、
その時代しか知らない今の若者層からすると、右旋回している日本がデフォなので、
同年代の仲間内だけに居ると、なかなか実感は出来ないかと思われますが・・・・

> > 会社を定年退職した団塊世代の男性が、世間との繋がりを失う一方、スマホを手に入れた事で、
> > 「高齢者がネトウヨ化」する現象というのが、地味に問題となっていたりもします・・・・
> > では、そういう人たちが、「知的環境に恵まれなかったのか?」となると、決してそうでは無く、
> > サラリーマン時代は至って常識人であり、名門大学やエリート企業に属した人も珍しくないのに、
> > 荒唐無稽な陰謀論にハマったりする事も多いんですよ。

> やはりコロナによる外出自粛というのは高齢の方の色々なバランスを崩してしまっているのかなあ、とは思います。

バランスを崩したのは、高齢者の方なのか? はたまた、社会の方なのか?
還暦の赤いちゃんちゃんこは、60歳で赤ちゃんに還る事を意味すると言われますが、
脳の老化により、子供みたいに感情に素直になると言いますか、自制心が働きにくくなり、
怒りっぽく、頑固で、我が儘になる傾向があるのは、何も最近になって始まった話ではありません。

ただし一方で、日本社会は戦後昭和の絶頂期から、平成の停滞期、そして令和の衰退期へと突入し、
しかもそこへコロナ禍が襲った訳ですから、高齢者が不満を爆発させる機会も増加しており、
そこに、不満を解消させてくれる言説が、ネットを経由して もたらされた・・・って感じなのでは?

> > ハッキリ言って、環境的に恵まれなかったのだとすれば、
> > それは子供時代の「知的環境」では無く、退職後の「人的交流環境」の方なのでしょうね。
> > ネトウヨ活動であれ、プロ市民活動であれ、そういう所に行けば、すぐに仲間が作れるので。

> ネトウヨになって、色々な年齢帯の人と(ネットで)関わるようになりました、とは
> 私のフォロワーのネトウヨの人も言っていたので、あの辺はちょっと楽しそうだな、とは思いますね。
> ただ、外部講師の方の場合は、おそらく普通に色々な人脈もある方だと思いますし
> 何かそれだけでない理由があるのかな、とも思うんですよね。

もう少し詳しく言うと、ここでいう「人的交流」とは、あくまでも手段であり、
その目的は「心的な満足感」を得る事にあるかと思います。
だからこそ、社会的や経済的に成功している人であっても、そこで満たされない気持ちがあれば、
ネトウヨ活動やプロ市民活動などで、心の充足を得ようと言うのは、必ずしも珍しい事ではありません。
もしくは、あれもこれもと何でも欲しがる「物凄く強欲(欲求に素直)」なタイプの人ですね(笑)。

また、どれほど高名な人物であっても、ひとたび自らの専門分野から離れれば、
専門外の認識など一般人レベルであったり、却って一般人以下なんて事もザラにあるので、
その辺りは、肩書きだけで判断せず、キチンと言葉の内容を精査すべき所ではありますよね。

> その方が講義で言っていた、早ければ数年以内、遅くとも2030年までには、GAFAやそれに準ずるところが世界中の共通通貨を作り、
> 既存の円やドルを無価値な古い通貨にする、という仄かに知的な香りのする陰謀論はちょっと好きです。

これって、ただ単に「仮想通貨」や「電子マネー」の話なのでは?
これの、どの辺りが「陰謀」なのでしょう?

> 私は陰謀論自体はSFっぽくてちょっと好きで、Twitterで多少集めてたりするので(フィンランドは存在しない、とか好きですね)。
「フィンランドは存在しない」は、初めて知りました。
と言いますか、これは陰謀論というよりは、ネタですよねえ?(笑)
でもまあ、最初は皆がネタだと認識していても、それが拡散されていくと、
本気で信じる人が出てきて、いろいろと面倒な事になるのも確か・・・・

実際、パロディー的な偽ニュースを発し、ネット草創期に人気を博した「朝目新聞」も、
ネタをネタと理解できないネット・ユーザーが増えるに従い、
デマ拡散サイトとして叩かれるようになりましたし、
お笑いコンビ「8.6秒バズーカー」の原爆揶揄説バッシングなんていうのも、
元々は、誰もが嘘だと解る、こじつけ的なジョークだったはずが、
それを本気にした人が大量に出た所為で、アッと言う間に消されちゃいましたから。


> > > 管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
> > > それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、
> > > そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
> > > そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、
> > > それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

> > 少なくとも私の場合、良く言えば放任、悪く言えば放置な両親の元で育ちましたし、
> > 父親の転勤で3〜4年くらいで各地を転々とした為、周囲との人間関係もかなり希薄であり、
> > 人見知りな性格の上、当時はまだネットもありませんでしたから、本当に ほぼ独力ですね。

> 私としては、家庭環境などはそういった運の要素の一部でしかなく、
> 例えば偶然子供のころに面白く歴史を紹介する本に出合えたとか、そういったものすべてを恵まれた環境だと思っていますので、
> 管理人さんの家庭環境はあまり関係ないと思いますよ。

いや〜、確かに人生において、運は大事な要素ですけど、
何でもかんでも運で片づけていたら、それはもう「運命論」ですよ。
自分が誰と結ばれるのか?はたまた結ばれないか?は、全て運命の赤い糸次第ですか?
試験期間の時、誘惑に負けてゲームを遊び、テストの点が悪くても、それは運が悪かっただけで、
ゲームを我慢して勉強をし、テストの点が良かった人は、努力ではなく運が良かっただけですか?
正直、いま旧トルコ担当さんがしているのは、そういった類の話だと思いますよ。

> 事実としてこうして普通の人よりも色々知っているのですから、それはどこかで運に恵まれたということだと思っています。
> 歴史や理系、あるいは芸術やスポーツに対して、おそらく管理人さんは知的になるための努力ではなく、面白くて勉強したはずでしょうし、
> ですが管理人さんの趣別のことであれば、今頃陰謀論にハマっているという可能性もあると思うんですよね(それは私も同様だと思っています)。

ハッキリ言って、私の場合は、そんな特別なモノは無いですよ。
下地は全て学校ですし、それも別に名門私立とかではなく、転勤族なので それこそ各地の普通の公立です。

スポーツが好きになったのは、放課後や休み時間に外遊びをしていた延長ですし、
当時はプロ野球中継の視聴率が25%くらいあり、テレビ観戦も至って普通の事で、
(ウチの父親は野球中継を見なかったので、帰ってくるまでの間か、ラジオ中継でしたが)
私自身が弟たちに与えた影響はあっても、家庭内で与えられた影響は ほぼ皆無ですね。
強いて言うなら、父親はマンガ読みだったので、「ドカベン」の単行本があったくらいかな?
サッカー観戦に関しては、ガッツリ見始めたのは、1人暮らしを始めてからですし、
そのキッカケも、日本代表のW杯初出場や、自国開催である日韓W杯の影響が大きかったです。
こうして振り返ってみても、そこまで大きな「運」に恵まれた感じはしませんね。
確かに、野球やサッカーの人気が高い時代だったのは「運」ですけど、それは同世代は全て同じですし。

また、それ以外の3つは、それこそ全て学校ですね。
歴史は社会、科学は理科、アートは図工、あとは遠足や修学旅行などですか。
と言いますか、それ以外に無かったですよね、ネットの無い当時では。
まあ、読書が身近な存在であれば、また違ったのでしょうけど、
私が小学時代に読んだ本は、プロ野球選手の列伝と、新美南吉の動物童話の2冊のみですし、
中学時代に至っては、本当に1冊も本を読んでいませんね。
本を読み始めたのは、高校の夏休みにプレーした、ゲームの「信長の野望」や「三國志」にハマり、
その時代背景を知りたくて、司馬遼太郎や陳舜臣などの歴史小説を手を出したので、
それを「運」と言えなくは無いでしょうけど、
当時の人気ゲームを遊んだ事や、当時売れ筋だった歴史小説を読んだ事が、どれだけ特別かと言うと・・・・

ちなみに、家庭での影響となると、歴史に関しては「大河ドラマ」がありますが、
まあ、コチラも当時は視聴率が40%あった時代ですし、基本的には夕飯時に ながら見でしたから、
そこから歴史好きになった訳でもなく、歴史好きとなる下地を作ったくらいの影響かと。
って、それを言い出すと、社会も理科も図工も、
それで好きになったというよりは、嫌いにならなかった程度の話かな?
繰り返すようですが、普通の公立校に通ったので、特に素晴らしい先生の授業を受けた訳でも無いので。
ですから、科学に関しては、大学の進路が理系だったというのが大きいですし、
アートに関しては、昔から多少興味はあったものの、本格的に囓り始めたのは大人になってからですね。
余談ながら、私が本格的にアニメ視聴を始めたのも、1人暮らしになってからあり、
クラシックやジャズなど、音楽を聴くようになったのも、エヴァ・銀英伝・CowboyBebopなどの影響です(笑)。

また、波及する「影響」という面から振り返るなら、
私のサッカー好きは、アニメ「キャプテン翼」からの影響を無視できませんし、
私の身体能力は並以下なので、小学生の頃から、頭や技術を使ってのプレーを強いられており、
物理学に関心を持ったのも、球速で劣る分、変化球やコントロールを磨く為でした。
アートへの興味も、1つは「歴史」から、もう1つは「お笑い」(表現繋がり)からの波及でしたし、
特に「ゲーム」と「アニメ」は、異なる様々な分野を結び付ける、強力なツールとなりました。
ですから、実はゲームやアニメのオタクは、非常に潜在機会が広い世界に居るんですよ!!
あとは幼少期の「折り紙」遊びが、手先の器用さ・色彩感覚・幾何学の強さ・手順や構造の慣れなど、
様々な下地になりつつ、相互にリンクしてますけど、折り紙なんて特に珍しい経験じゃ無いですし、
私はやりませんでしたが、ガンプラやレゴ、今の時代ならマイクラなどで、似たような機会は得られるはず。

ぶっちゃけ、私は全般的にスタートが遅かったですし、
その為に、手が届かなかった世界も、いろいろありましたから(もちろん努力も足らずの事ですが)、
ネットがある今の若者たちの環境は、それこそ「めちゃくちゃ幸運に恵まれている」と言っても良いですよ。
ネットがあれば、地域格差も、経済格差も、情報格差も、時代格差も、
様々なギャップを、当人の気持ちと努力次第で、かなり覆す事が可能ですからねえ。
正直な所、私程度の知識量であれば、今なら中高生でも普通に身に付けられる時代でもあります。
情報は溢れている上、それを整理できれば、あとは「集中力」と「好奇心」が段違いな年齢なので!!
逆に言うと、だから私は、その「情報整理」の部分で、若い世代の役に立てたらな、という思いがあると。
(このサイト内に、ゲーム・動画・企画などのコンテンツがあるのも、そうした意図を含んでいます)

いや本当、ネットの有る無しだけで、環境はかなり変わりますよ!!
まあ、デジタル・ネイティブ世代からすると、ネットがあるのが当然で、
どれほど自分たちが恵まれているのか、なかなか意識はしないでしょうけど、
試しに1週間でも1ヶ月でもネット絶ちする事で、その不便さは十二分に味わえるはずです。
言い換えるなら、それだけ恵まれた環境にありながら、安易に陰謀論にハマる事が「不運」なんですか?

私は小学生の頃から、日本に生まれた事に関して、「凄く幸運な事だ」という認識はありましたし、
逆に言うと、当時の先進国と後進国(今風に言えば途上国)との差は、今以上に激しいモノでした。
でも、この論だと、ハングリーな環境から のし上がった成功を、努力ではなく運だと見なし、
恵まれた環境にありながら成功できなかった事を、「運が悪かった」と言うようなモノでしょ!?
ハングリーな環境だから努力できた。
ハングリーな環境じゃないから努力できなかった。
それは確かに一面では、そういう見方をする事も可能でしょうけど、
他者の苦しい環境や、自分の恵まれた環境やを過小評価し、
あまつさえ、それを幸運・不運で納得させるなど、あまりに傲慢で身勝手な見方ですよ!!

もちろん、例えば昨今話題の宗教2世問題のように、
育った環境などにより、そうした洗脳教育のようなモノが施されて育ったなら解りますが、
陰謀論にハマる大多数の人たちは、そんな劣悪な環境で育った訳でも無いはずです。
また、今の時代は却って、処理しきれないほどの大量の情報に溢れており、
まともな判断力が育つ前から、それらに溺れてしまう危険性があるのも確かですが、
では、同世代の若者が皆同じかと言えば、そうでは無いですし、
しかも多くの場合は、判断力が付いてから、聞こえの良い情報に漬かりに行くケースが多いですからねえ。
これって、試験期間中にゲームの誘惑に負けちゃう様なモノなんじゃないですか?
恵まれた人間には、恵まれた人間なりの苦しみがあるのは事実ですが、
だからと言って、薬物使用で捕まった2世タレントの言い訳じゃないですけど、
恵まれた状況下で、恵まれた事を「不運」だと嘆いた所で、第3者から共感は得られかどうか?

ちなみに、私が陰謀論にハマらないのは、そこまで利己的な人間になれないからですね。
タチの悪い陰謀論と言うのは、その一時は自分が気持ち良くなれても、
巡り巡って、周囲の人間に多大な迷惑を及ぼす事を、理解してもいますし。
(奇しくも、アメリカに引き続きブラジルでも、大統領落選に伴う議事堂襲撃が起こりましたね)
って、これに関しても、利己主義的な今の時代に育った「不運」という事なのでしょうか?
まあ個人的な見解では、右肩下がりな日本社会しか知らず、
そうなってしまうのは確かに不運な面もあるかも知れませんけど、
それが、陰謀論にハマる事を正当化できるほどの不運かと問われれば、
現状だと、決してそうとは思えないんですよね。

しかし、その一方で、そうした行為を良いの悪いのと断じる事もありません。
善悪の価値基準なんて、それこそ個々人だけでなく、地域や時代によっても異なりますから。
ただ、強いて言うなら、誰かに迷惑を及ぼす行為の場合は、
やる以上は、解った上で「敢えて行え!」というのが、私の基本姿勢かな?
逆に言えば、責任逃れで目を瞑る身勝手さに対しては、その態度自体を非難すると。
ルルーシュの「撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」に近い感じでしょうか(笑)。
別に私自身は、殺人やドラッグ使用さえ完全否定しないタイプなので、陰謀論くらいは別にそこまで。

ちなみに、成し遂げる「成功」が大きくなるほど、「運」の巡り合わせが重要になるのは確かです。
でもそれは、成功という「結果」が運である以上、成功に繋がる「機会」が運なんですよ!!
だからこそ、これは釣りに似ていて、機会が来るまでジックリと同じ場所で待ち続けるか?
はたまた、機会を求めてコロコロと場所を変えるか? 方法は様々です。
(時代的に、戦後昭和だと前者、令和だと後者の方が、成功の確率は高そう)
そして最も大事なのは、「幸運の女神には前髪しかない」という ことわざが示すように、
いざ目の前に機会(運)が巡ってきた際に、それをキッチリ掴み取る事であり、
機会の到来をに気付き、決断し、手に入れる「能力」とは、運と言うよりも「実力」であって、
いつ何が必要となるかは解らない以上、日々の努力や勉強が大事であったりする訳ですね。
これは、コスパやタイパを意識して、目先の利益に走っていては、まず身に付かないモノです。

で、多くの人は、結果の運と、機会の運をゴッチャにしている印象ですね。
もちろん、結果の方にも運はあるんですよ。
でも、万馬券に賭けてたまたま勝つのと、勝つ確率を地道に積み上げて勝つのとでは、
一言に同じく「勝ち運に恵まれた」と言っても、その中身はまるで違います。
それこそ、この前のカタールW杯における日本代表の成果がそうですけど、
ドイツ&スペインという優勝経験国を立て続けに撃破したのは、確かに確率の低い幸運ですが、
しかしそれは、2度続けてギャンブルに勝った以上に、4年間かけた準備の賜物です。
ただ、そこは勝負の世界ですから、本当にギャンブルで連勝する事もあれば、
どれほど周到に準備を進めても結果が現れない事もあります。
とは言え、その違いが解らないと、ギャンブルと下準備の勝率の違いが認識できません。

近年は「ワンチャンある!」という思考が、以前にも増して席巻している印象を受けますが、
そのワンチャンがギャンブルであるのなら、そんなのはまず成功しないんですよ!!
で、他者が下準備で成功しても、海面下の氷山のように、それを認識できず、
認識できないから事前は「無能」と評価し、結果を残しても「幸運」で片付けてしまうと・・・・
でもまあ、それだけで終わるのであれば、そういう人たちが成功できないだけの話なのですが、
そういう人たちが多数集まり、影響力を持ってしまうと、全体も一緒に巻き込まれてしまうんですよね。
どちらかと言うと、そうした問題点の方が、社会的には より深刻なのだと思います。
それこそ今のネット社会は、集まり、影響力を持ち、巻き込む力を、良くも悪くも持っているので。

とまあ、あれこれと長々語ってしまいましたけど、
簡潔に本質を言ってしまえば、「面白く感じる努力」はしてますよ。
努力というと言い過ぎですけど、少なくとも「意識付け」くらいはしてます。
でもそれは、新たに「身に付けよう」としている訳では無く、「失わない」よう心掛けてる感じに近いです。
先入観にとらわれず、何事にも関心を示す「子供の純真さ」は、大人の誰もが以前は持っていたはずのモノなので。
そういう意味では、オタクという種族って、それが最も行えそうな位置に居ると思いますけど、
でも実際は、子供の悪い部分の方を残しつつ、都合の良い所だけ大人になってしまう層も、決して少なく無いかな?
正直、そのやり方が気持ち良くなる上で、短期的に最もコスパが良い方法ではありますからね。
ある意味、「大人になる」とは「楽を覚える」事だと思いますし、
楽を覚える過程で、様々なモノを削ぎ落としていくのが、一般的な方法だと思うので。

> 根本的に人生は理不尽ですけど、社会は公正なフリをしていないといけないので
> (もし多くの人が今の世の中を不公正だと思えば、努力しなくなったり、逆に革命がおきたりします)、
> 世の中の多くの人が家庭環境による差をなくさなければ、と思うのであれば、社会はそう努力するべきだとは思います。
> 私としては、人生の理不尽の100を99にする努力よりも、
> 社会全体の富自体を増やす方が(基本的には)手っ取り早いと思うので、あまりそこに熱心にはなれないですね。

で、その「社会全体の富」は、そんな手っ取り早く容易に、増えて行くんですか?
現実的には、それとは正反対に、富の拡大が低下し続けているからこそ、
持てる者の「富の囲い込み」が起こり始めて、持たざる者への理不尽さが増している状況では?

そして、これは以前にも言いましたけど、ならば社会を良くしようという方向には、当分進まないはずです。
それこそ、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」のように、
他者を蹴落としてでも自分は助かろうと、数少ない道へ我先にと人々が集まり、
その事で状況は更に悪化し、時には大量の死者を出して、多くの人が底へと落ちた後で、
その時ようやく革命なり何なりが起き、持てる者が引きずり降ろされ、貧しい平等から再スタートを切ると。
もちろん可能性的には、そこまで悪い状況へ陥る前に、何とか立て直す道もあるでしょうけど、
10年前の東日本大震災があっても、今回のコロナ禍があっても、
変わらない・・・どころか、下手したら悪化しているので、恐らく無理です。

・・・って、旧トルコ担当さんは、こんな世界で今後の人生を送りたいですか?
ちなみに、もしも日本が、今のウクライナのような状況に陥った場合、
旧トルコ担当さんは今までみたいに、ラノベやアニメを楽しめてますかねえ?

> > まあ、上を見ればキリが無いですし、下を見てもキリが無いので、
> > 「もっと恵まれた環境なら」と屈折する事はありませんけども、
> > 大人になってみて「当時の自分は、こういうのを望んでいたんだな」と感じだモノを、
> > 今の子供たちに対して、私なりに微力でも何か伝えられないか?という事は、
> > 結構考えたりしますし、時々ここでも構想を語ったりもしてますからねえ・・・・
> > それに、上の方でも同じ事を書きましたが、私が自分自身で自己分析する限りでは、
> > 私は別に知識人タイプでも無ければ、マウントを取って他人を見下したいタイプでも無いので、
> > どちらかと言うと、その見立ては、旧トルコ担当さん自身の思いの投影な気がしますよ。

> そうですね、私が他人を見下しがちだからこそ、自分でも反省しますし、
> さらに自分より知識のある人に対してはより一層、その点に敏感になる、というはあると思いますね。

まあこれは、右肩上がりの時代だと、目線も自然と上を向く一方で、
右肩下がりの時代になると、どうしても目線は下を向くという、社会的な傾向がありますからね。
で、その意識が内側に向くと日本スゴイ論となり、外側に向くと嫌韓反中バッシングになる感じでしょうか?
逆に90年代までは、アメリカに追いつけ追い越せ!という上昇志向でしたし、
バブル経済が崩壊した後も、文化的には新しいモノが次々と生まれていましたから、
これは奇麗事とかでは無く、「見下して優越感に浸る」感覚が乏しいんですよ、本当に。
どちらかと言えば、「見上げて羨望や憧れを抱く」感覚の方が強いので、そちら方向に進まない感じかと。

・・・って、よくよく思い出してみると、当時の日本は日本で、
現在の嫌韓反中バッシングみたいなモノでは無いものの、
「名誉白人」意識というか、ナチュラルにアジア人を見下す風潮があり(戦前から継続しており)、
それを子供ながら、嫌な気分で見つめていたので、結局は個々人の見方次第なのかな?
ちなみに、アジア人に向ける日本人の視線は、90年代から00年代に掛けて、
日本の経済成長が停滞した一方で、アジアの経済は急成長し、
そこへちょうどサッカーブームが到来し、アジア予選を重ねる事で親近感も増した影響で、
当時よりは かなり改善しましたね(今では訪日する観光客も多いですし)。
と言うか、当時のナチュラルな蔑視観は、今の人の感覚だと普通に引きそう(笑)。
まあ、あの頃の日本は、普通に人前でタバコを吸い、平気でゴミをポイ捨てしてましたので。

ちなみに、これは私個人の感覚なのですが、一元的ではなく多元的に評価するので、
ほとんどがダメでも、何か1つでも秀でていれば、そうれはもう「上」という認識ですし、
この世には、完全に同じ人など居ない以上、誰でも絶対どこかに、
「これは凄い」「その発想は無かった」という所があると考えてますからねえ。
それこそ、相手が小学生や幼稚園児であっても、教えてもらう事は多々ありますから、
せっかくの機会を見落としては勿体ないと、いちいち見下してる暇が無い感じです(笑)。

> ホワイト社会が、自分がまずホワイトであるための努力を行い、
> さらに自分よりも有名な人たちに対してよりホワイトであることを要求する
> (=無名な人にはホワイトであることをあまり要求しない)社会なのであれば、
> 私は、自分に対して倫理的であることを要求する分、
> 自分よりもより優れている人に対してより倫理的であることを要求するのだと思います。
> どっちも理不尽なことには変わりないですが。

何となく思ったんですけど、それって本当に「ホワイト」なんですかねえ?
「光が強くなればなるほど、影もまた濃くなる」じゃないですけど、
その感覚って、ホワイトどころか、非常に「ブラック」な感じがしてきました(笑)。
言うなれば、「その倫理観の基準って何? そもそも、誰が決めてるの?」って感じですか。
もっと言うと、誰かを集団で叩く目的で、自分たちの都合良く倫理基準を作り上げてませんかねえ?
本来は夫婦間の問題なのに、第3者が不倫バッシングで、標的を社会的に抹殺しようとする行為も、
ホワイト化という名の「ブラック化」の象徴のように思えてきました・・・・


> > > あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、
> > > 生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、
> > > 『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

> > いや〜、これに関しては、私の方が少数派なのかも知れませんけど、
> > チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> > 個人的には「スポーツ競技者」という見方になってしまうので、
> > 演技内容はまだしも、顔の可愛さだとか、身体のラインだとかは、ほぼ意識の外なんですよね。
> > そもそも、生まれ持った容姿で勝負しているような世界じゃありませんし。

> いや、私が問題にしているのはチアリーダーが事実上女性しかいないことなので。
> > チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> と書かれている時点で、おそらく管理人さんの想像していることとは別のことになると思います。

「事実上 女性しかいない」という事でしたら、新体操もそうですし、
アーティスティック・スイミング(旧シンクロ)とかも、そうですよね。
フィギュアは確かに男子選手も居ますが、それでも女子選手の方が6〜7倍多いですし。

それに、「事実上 女性しかいない」点を対象としているのであれば、
なぜ「生まれ持った容姿で判断される女性」という話になるのでしょうか?
例えばソフトボールなども、大部分が女性のスポーツですけど、そこで容姿の話とか出てきます?
逆に言うと、「男子は野球&女子はソフト」「男子は応援団&女子はチア」みたいに棲み分けられてると、
「事実上 男性しかいない」競技も存在する訳ですが、男子選手に対する心苦しさも生じているのでしょうか?

> > と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。
> そうですね、普通の感覚では理解されないと思いますし、なのでそれを大っぴらに主張したことはないですね。
> 私の言っていることは、究極的にはAKB48は容姿差別だ、と言っているようなものなので。

アイドルであれば、当然容姿も重要でしょう!?(笑)
もちろん、容姿さえ良ければ人気を獲得できるほど、甘い世界ではありませんが。
でも、スポーツ選手の場合、求められるのは競技者としての能力であり、容姿じゃないですよねえ?

例えば声優なども、本来であれば、容姿など関係無く、声や演技さえ良ければ良いはずです。
でも一方で、2008年に「美人すぎる市議」が流行語になって以降、ネットの普及や収益の多様化とも相俟って、
今の時代は、あらゆる分野において、特に女性の「アイドル売り」が進んでいるのは事実ですし、
そうやって注目度を上げ、人気の幅を広めている人が居るのも確かです。
そういう意味では、野球やサッカーの世界にも、女性人気の高いイケメン選手は居て、
それが一概に悪い事だとも、私は決して思っていません。
ですが、ファンの皆が皆、イケメン基準で選手を応援している訳じゃありませんし、
アイドル的な人気は、あくまで本業におけるサブの要素であり、
コアな人気を得るには、やはり本業での活躍は必須です。

あと、「普通の感覚では理解されない」との事ですが、
いや普通に理解できてると思いますよ。
だって、それって、滅茶苦茶ライトな「普通の感覚」そのものなので(笑)。
それこそ、五輪やW杯が、何故ここまで盛り上がるのか?というと、
4年に1度の特別感が、日頃は興味の無い一般のライト層まで巻き込むからであり、
その一方で、ライト層であるからこそ、プレーの中身とかは なかなか解りませんから、
「あの選手はイケメンだ!」とか、そういう所に食い付くのは、至って よくある話です。

もっと言うと、「何だか物凄く違和感が残る」と言っているのは、
そういう時だけ盛り上がる、ニワカの態度に対してのバッシングではなく、
マウントを取られる事を恐れて、「いや俺はニワカじゃねーし!」と強がっての発言が、
却って、対象者を傷付ける言動になっている事を、「好ましくない」と捉えている感じですね。

> それを言えばオタクコンテンツなんて究極の差別コンテンツですし、私がチアガールだけを非難するのは明らかに矛盾であると。
> ですが、チアガールを見ると私が辛くなるのも事実ですし、
> 可愛い女の子しか出てこないオタクコンテンツを楽しむことに、罪悪感があるのも事実なんですよね。

ルッキズムを否定しながら、自分自身もルッキズムに陥ってる・・・みたいな感じですか?
旧トルコ担当さんの中で、 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論が響き過ぎている印象を受けるのも、
旧トルコ担当さんから見た社会の世界観が、まさにホワイト革命の言説に合致するというよりは、
旧トルコ担当さん自身の価値観が、ホワイト革命の言説に合致するが故に、
社会の世界観の方も、ホワイト革命に合致するような見方をしている部分があるのかも知れませんね。

ただ、ここで1つ付け加えるとすると、
アニメとチアとで大きく異なるのは、アニメは架空ですけど、チアは実在するって事でしょうか?
例えば誹謗中傷をしても、アニメのキャラは心を痛めませんけど、チアは現実の人なので心を痛めます。
これはデジタル社会の弊害でもあるのですが、昔に比べると、人々の虚構とリアルの認識が曖昧となり、
また、何でも「コンテンツ」視して、「消費(消化)」する文化となった事で、
ネットの集団リンチに代表されるように、大勢が無自覚のまま、誰かを傷付ける事が非常に増えた気がします。

> まあ、だからこそ女性と付き合うなんて絶対したくないとw
> 容姿で女性を選り好みするのはやりたくないですけど、容姿で選り好みしないほど人間ができているわけでもないので。

いや〜、それは人間としての「出来/不出来」ではなく、
単なる経験不足から、理想像を膨らませ過ぎているだけなのでは?
それこそ、喪女ほど「白馬の王子様」症候群を拗らせるモノですしね(笑)。


[24115] 年を越しての長文返信(その3)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:27:49 徳翁導誉

> > > 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> > > なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

> > まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
> > 「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
> > 「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
> > 歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。

> 経済学史の講義をとって、偶然マッハ主義というのを勉強し、
> > 「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン
> というのは、なるほど、と思わされました。ああいうのが科学なんですね。
> と言いつつ、私は物理学は高校レベルなのでマッハ主義は全然理解できていませんし、経済学に対する理解も全然ですが。

いや、マッハ主義だとか、そこまで言ってるつもりは無いんですけどね、私個人としては(笑)。
う〜ん、何と言えば良いのか、そもそも「科学」という単語が難しいのですが、
「自然科学」と「人文科学」と「社会科学」との、特徴の違いみたいな話をしてました。

あと、私たち自身は日本の文化で育っている為、ついつい見落としがちですけど、
欧米人の哲学や思想というのは、どうしてもキリスト教の影響を強く受けており、
彼らの主張を解釈する時、その大前提を欠いてしまうと、真意を見誤る恐れもありますね。
高名な物理学者とかであっても、欧米人だと なかなか、「神」の束縛から離れて物事を考えられないので。

> > あと、旧トルコ担当さんが商学部の学生であるならば、
> > 横軸で「人間関係」を取るだけでなく、縦軸で「経済状況」を取り、
> > そこから「幸福」の分布図を示してみると、
> > 人間社会というモノが、更に深く見えてくるかも知れませんよ(笑)。

> 嫌ですw
> そういう俗世の嫌な面を見ないためにオタクやって引きこもっているのでw
> そういったデータ(?)をどう捉えるかは人それぞれですが、私はそういうの見て辛くなりやすいタイプなので。

まあ、経済を上げたのは一例であって、別に何だった良いんですけどね。
要は、一元的な見方をするのではなく、多元的な見方をする方が、その事象をより正確に把握出来ますし、
もっと言うと、主観的に「思ってる」のと、客観的に「解ってる」のとでは、大きく違うという事なんです。
で、一般的な感覚だと、取り扱いやすいのは2次元の「平面」、出きる人でも3次元の「立体」であり、
「縦軸と横軸を取り、分布図で掴む」というのが、人間には最も理解しやすい方法であると。
(コンピューターで処理したり、数学的に偏微分を用いれば、変数が4つ以上でも対応可能ですがハードルは高い)

ちなみに、ここで一例として経済を持ち出したのは、それが重要というのも然る事ながら、
新自由主義な今の時代が、非常に経済至上的な社会になっており、
そんな時代に育った今の若い世代の価値観も、無自覚に、それが浸透しているからですね。
それこそ、「オタク文化と市場経済」の関係性などというのは、
20世紀育ちの古い世代の感覚からすると、とても疎遠であり、時には反発すらするモノでしたが、
21世紀育ちの今の世代の感覚からすれば、それはもう 凄く密接というか、一体化した感すらあり、
その新感覚は、古い世代から見れば下品とも映る一方で、古い世代には無い強味であると言えます。
例えば一昔前までは、同人活動で金儲け行為は嫌悪の対象であり、同時に苦手な人が多かったですけど、
金を稼ぐ事で、同人活動も上手く回していければ、そこにマネタイズの好循環が生まれるみたいな感じで。

言うなれば、今のオタク文化そのものが既に、
古い世代からすると、充分に「俗世」的ですし、「嫌な面」も多いのですが、
今の世代からすると、もうそれが当たり前なので、そこに違和感は無いんでしょうね。
でも一方で、「俗世の嫌な面を見ないためにオタク」という、旧来の「構図」は引き継いでいる所が、
何と言いますか、今の時代の特徴なのかな?という所もあります。

> そういう風にしてると知的な人にはなれないのでしょうが、そこまでしてなりたいとは思わないので。
知的・・・と言いますか、上記からも繋がる話となりますけど、
一昔前まではオタクの世界だって、と言いますかオタクであればこそ、
特定分野に対する深い知識や、周辺分野における広い知識が求められましたし、
そうした知の土台があるから、各自が独自の分析とかも行ってましたからね。
それこそ、以前にも書いた「ガンダム チョット ワカル」みたいな雰囲気で(笑)。

> > 言うなればショッピングモールとは、ショッピングをテーマにしたテーマパークですからね(笑)。
> > どんなに素晴らしい「夢の国」を作っても、その世界観から浮いてしまう客層も一定数は居ますよ。
> > まあ私の場合、人々の動線や見え方などの建築面であったり、専門店の各配置であったり、
> > そもそも客である以前に、観察者みたいな視点からモールを見ちゃうので、
> > 居心地が良いとか、悪いとか、そうした層からも更に離れた所にいる感じかも(苦笑)。
> > ある意味、居心地の悪さを感じられるレベルにさえ、到達できてないような人種ですので。

> ショッピングモールの建築は私も好きですよ(専門店の配置とかには興味ないですが、吹き抜けとかカッコよくて好きですね)。
> 常々ショッピングモールのプラモデルないかなあ、と探しているんですが、ないんですよね。
> 仕方ないのでパシャパシャ写真にとってます。

何だか話が逸れてしまいましたけど、ショッピングモールであれ、何処であれ、
そこに「居心地の悪さ」を感じるというのは、「居心地の良さ」を求めている裏返しでもあって、
何故そうした感情を抱くのか?となると、それは居心地を「意識」しているからなんです。
ハッキリ言って、最初から対象外を自覚している当人なら、そもそも意識すらしませんからね。
そういう意味では、その居心地の悪さの「正体」として、
その人自身の「羨望」や「憧れ」みたいな感情が、実は心の奥底に潜んでいるのかも?
(「嫌悪感」をオブラートに包んだ表現の可能性もありますけど・笑)

> > あと、私が陰謀論にハマらないのは、実に単純な話で、
> > 「それにハマっても、別に私は楽しさを感じないから」というだけの事ですね。
> > ムー大陸だとか、宇宙人だとか、知的プロレスである一昔前の陰謀論は楽しかったですけど、
> > ネットを媒介とする、現在の政治的な陰謀論というのは、まるで別物ですし。
> > それでも、陰謀論にハマって自慰的に気持ち良くなるのも、そういう人たちを利用して金儲けをするのも、
> > 私と関係無い、どこかの内輪だけで収まる話であるのなら、それは別に構わないんですよ。
> > ただ、そうした動きが社会に悪影響を及ぼし、日本を停滞・衰退させる要因となるのであれば、
> > 「次々と面白いモノ生み出す、活力ある日本」が好きな私としては、見過ごせない所があるのも事実かな。
> > 転勤族として育ち、明確な故郷を持たない私は、何だかんだで、世間の人よりも愛国心が強いですし(笑)。

> あるじゃないですか!!冷静でいられない事

んん!?
ここの「冷静でいられない」とは、私の事? それとも旧トルコ担当さんの事?
とりあえず、前者だと想定して答えますけど、
この文章の中に、私の熱が籠もっているというか、冷静で無くなってる部分って、何処かあります?
どちらかと言えば、旧トルコ担当さんの反応の方が、冷静さを欠いているような?(笑)

もっと言うと、「反論したい」心情が先行してしまい、「管理人も私と一緒」と思いたがり、
率先して文章の内容を誤解釈してしまっている印象を受けますね。
厳しい言い方をすると、それこそ、テニスの壁打ちにおける「壁」扱いされ、
旧トルコ担当さんから、私自身の存在が無視された感じとでも言いますか・・・・

> 私なんかは政治とか経済とかを意識し始めたころにGDP世界2位が中国になったので
> 「中国には追い付けなくて当然、日本は世界80億の中の1億に過ぎない」
> という意識が強いですが、やはり80年代90年代を生きていれば、日本の衰退を素直に受け入れられない心は多少あるんでしょうね。

う〜ん、それは何とも難しい所ですね。
確かに、「Japan as No.1」と言われた当時の日本を覚えている世代であるほど、
右肩下がりの時代となった現在の日本の状況を、寂しく感じる所は大いにあると思うんですよ。
とは言え、当時の日本は、「敗戦」を基本土台として築かれた社会だったので、
「日本は小さな国です」というのが、お決まりの自己紹介フレーズだったんですよね。

それこそ、「恒産なくして恒心なし」じゃないですけど、
バブル期の日本人に、驕りが無かったと言えば嘘になりますが、
でもまあ基本的には、人というのは上手く行っている時ほど心に余裕がある一方、
状況が苦しくなると、心まで荒んでくるのが世の常ですからねえ・・・・

そういう意味では、過去の栄光という「記憶」があるから、現状を受け入れられないと言うよりは、
「衰退」という状況自体が、人の心を追い込むので、素直に受け入れられなくなるんだと思いますよ。
実際、戦後昭和を知らない平成・令和の若い世代だって、
日本スゴイ論であったり、嫌韓反中な愛国論であったりに、ハマる人は大勢居ますし、
もっと言うと、今の日本社会がそうした風潮だからこそ、
その風潮の中で育った若者世代の方が、無意識にそれを擦り込まれてる部分もありそう・・・・

で、戦後昭和の世代が「素直に受け入れられない」所があるとすれば、
日本経済の衰退以上に、そうした日本人の民度の低下の方なのかも知れませんね?
例え経済が下り坂となっても、精神の方まで「貧すれば鈍する」とはならず、
「武士は食わねど高楊枝」といく事は可能でしょうし。

とは言え、反対に考えてみると、
この苦しい状況下でも、何とか日本が輝きを取り戻す道は無いか?と試行錯誤する行為は、
見方を変えると、「日本の衰退を素直に受け入れられない」行為になるのかなぁ?
それこそ「貧すれば鈍する」で、大きな変革は望まず、嫌韓反中な愛国論や、消極的な利己主義に走る方が、
ある意味では、「日本の衰退を素直に受け入れている」行為だとも言えるのかも知れませんし、
今更、右肩上がりの心意気を唱えるのは、「売り家と唐様で書く」ようなモノかも知れません・・・・
奇しくも戦後の日本も、昭和・平成・令和と来て、まさに今は3代目ですからね(苦笑)。

> 色々暗いこと書いていますが、管理人さんがこの掲示板に
> これらのことが相応しくないと考えられたなら、削除していただいて構いません。
> 削除されれば、それ以上同じことを書くこともありませんし、
> 部分的に削除されれば、ああその話題はまずかったんだなということで以後そうした話題には触れないようしますので。

いや、「暗い」とかは全く感じていなかったので、正直ちょっと驚いていたり(笑)。
でもまあ、今の時代だと、「真面目な話=暗い話」みたいな感じはあるんですかねえ?

また、ここの掲示板は「何を書いてもOK」というのが、20年以上続く基本方針ですし、
そもそも論として、個人的に読んでいて、眉を顰めるような内容も稀ですから、
削除するとか どうとかも、全く考えた事もありませんよ。
少なくとも、旧トルコ担当さんとの やり取りにおいては。
ただ一方で、旧トルコ担当さんの文章が長くなると、
長文癖である私の返信は、更に長くなってしまいますので、
適度にカットする必要があるとすれば、そちらの理由からかも知れません(笑)。

それこそ、これだけ長文化してくると、読む方も大変でしょうが、書く方も大変・・・と言いますか、
W杯や年末年始で長文返信を遅らせた事で、楽する味を覚えてしまった上に(笑)、
数日前から急に かすみ目の症状が現れてしまい、もし これが続くようだと、物理的にキツいかな?と。
なので長文の場合は、引き続き今後も、1週か2週くらい間を空けての返信になるか、
もしくは、同週に即座の返信を希望であれば、分割投稿にならない程度に、返信箇所をカットするかも。
(目安的には、投稿文が600行を超えると、容量的に分割が必要になるイメージ)
ちなみに旧トルコ担当さん的には、どちらの方が お望みでしょうか?

> 今ちょうど「マリア様がみてる」を読んでいるので、反動で若干鬱気味です。
> それを管理人さんの返信に対してぶつけるのも理不尽ですが、
> 管理人さんに言われたことに対してリアクションしようとすると、どうしてもこういう思考になってしまうので仕方ない(言い訳)。

まあ、それはそれで別に私としては構わないんですけど、
とりあえず、コチラとしても、こういう書き方をしたら個人的に損かな?という事も、
旧トルコ担当さんの今後に、何か役立つ事があればと、敢えて書いている部分もありますので、
反射的や感情的にでは無く、出来れば もう少し、文章の内容を咀嚼して欲しい所もあるかな?

いや、若い内は結構それが難しいのは、私自身も理解していますし、
我ながら説教じみた話をしている自覚も、充分に持っていたりはするんですけどね(笑)。


> > 先週末、たまたま本屋の新書コーナーで、
> > 「これは旧トルコ担当さん向きかな?」という1冊を発見(笑)。
> > ちょうど、ここでも話題にしていた、近年の「知識(教養)」観の変化を扱った本で、
> > 実例ではホリエモンも頻繁に取り上げられてましたから、一応オススメしておきますね。
> > 「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4087212335

> 『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』感想
> 本の主張自体には新規性があまりなく、面白くなかったです。ファスト教養が薄っぺらいのなんて、今さらでしょう。
> ただ、その補足として出てくる引用や、ファスト教養本が出てくるまでの詳細な時代の流れの解説は非常に面白かったです。一気読みしました。
> 小泉改革時代の雰囲気とか知れて勉強になりましたね。

「10分で答えが欲しい人たち」という副題に、イメージを引っ張られてますかねえ?
ああいうのはYahooトピックとかと同じで、著者ではなく編集側で、売れそうなタイトルを付けるので、
基本的には前述の通り、「近年の知識(教養)観の変化」が、この本のテーマだと思いますし、
だからこそ、旧トルコ担当さんがリアルタイムで知らない部分の記述こそ、
オススメとして読んでもらいたかった箇所でもありました。
逆に言っちゃうと、この本の著者とは同世代なので、私はリアルタイムで知ってる事ばかりで、
それこそ、特に新規性は無かったですからね(笑)。
(リアルタイムでのホリエモン評は、随分と甘いなという感じでしたが)

あと、リアルタイムで知ってる部分に関しても、
個々の事象に関しては、解っているつもりになっていても、
過去からの流れで、全体像として通してみないと、正確に認識できなかったりしますからねえ。
そういう意味では、「あ〜、知ってる、知ってる」と流すだけでなく、
せっかくの機会なので、改めて立ち止まり、考えてみるのも良いかも知れません。
何事でも そうですが、「解っているつもりで、実は解ってない」のが、最大の躓きポイントとなるので。

> ・自己責任という言葉が、小泉改革以前はマイナーな言葉だったというのは本当なんですかね?
>  私からすれば当たり前に使う言葉ですので、昔からあるものだと思っていましたが。
>  確かに、その語感からすれば、造語っぽくて、「自己責任」という言葉が突然出てきても、辞書引かずとも意味がスッと分かりそうな感じはします。
>  とはいえ、自己責任という言葉が本当にマイナーであったとするならば、00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中ということになりそうですが。

「自己責任論」に関しては、以前にも話したように↓本当ですよ。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c24027
もともとある言葉でしたが、ここまで普及して、しかも社会的な価値観として根付いたのは、ここ十数年の話です。
そういう意味では、「00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中」というのは、まさに その通りでしょうね。
いや、私自身は変化を実体験してきた世代なので、実際には そこまでですけど、
今の価値観しか知らない世代だと、それこそ別世界のように映るかも知れませんね、00年代前半までの日本社会は。
戦前と戦後を分けるくらいターニング・ポイントが、2000年あたりにも存在した感覚ですし。
(もちろん、戦争のような強烈で明確なポイントでは無い為、それに無自覚な同世代人も非常に多いですけど)

と言いますか、この辺りの過去話は、私の話だけだと説得力に欠けるかな?という思いもあり、
この本を薦めてみたという事情も、実はあったりします(笑)。
ここ十数年の流れを振り返る上でも、簡潔に纏まっているように感じましたし。

> ・今大学生の私からは、ホリエモンみたいな自己啓発本って、昔からあるものだと勝手に思っていたのですが、
>  せいぜいここ15年程度の流れのものなんですね。
>  これは最大の発見でした。

いや、自己啓発本そのものは、昭和の頃からありましたし、平成前期でも人気でした。
ただ違うのは、その内容の方でしょうねえ。
もっと言うと、当時と近年とでは、背景となる日本の社会状況が大きく異なると。

以前の啓発本は、その人の気持ちを高ぶらせるモノであり、
言ってしまえば、司馬遼太郎などの歴史小説がよく読まれたのも、
啓発本的な側面があったからだと思います。
まあ、当時は社会全体が、行け行けドンドンな時代でしたから。
そういう意味では、今とは別種の自己啓発本は存在したものの、
「ホリエモンみたいな自己啓発本」という事であれば、確かに無かったかも知れません。
同じ人の同じ内容の本を買う行為も、ちょっとした「お布施」に似ていますし。

あと、時代の変化で言うと、1年1年の変化はジワジワしたものですけど、
15年30年と纏まれば、かなり変わってきますからねえ。
それこそ、平成の30年間でも、最初と最後じゃかなり違いますし、
今年で戦後78年(戦後昭和・平成・令和)となりますけど、
これは帝国期77年(明治・大正・戦前昭和)よりも長いんです。
逆に言えば、ここから15年後30年後の社会というのも、今とは相当違っているはずで、
例えば日本の人口は、15年後には1000万人、30年後には2000万人も減ってる予測ですから、
新しいモノは生まれないのに、あれが無くなり、これが無くなりという社会になるでしょう。

> ・AKBが新自由主義的という分析は非常に面白かったですね。
>  スマホゲームの課金なんかも、そういった時代の中で出てきたのだなと。

だからこそ、旧世代のオタク層は、秋葉原を荒らしたAKBが嫌いなのかも?(笑)
そもそも一昔前までは、オタクでも、職人でも、学者でも、表現者でも、
とにかく「道」に通ずるような人たちは、金儲けに繋がる事を蛇蝎のように嫌っており、
それこそ、新自由主義的な価値観とは、かなり相性が悪かったですからねえ・・・・

って、今の価値観の人たちから見れば、古い求道的な価値観など甘く見えるのでしょうし、
実際、当時の日本は世界でも一二を争う経済力があったからこそ、
そういった人々も、カネの事など意識せず、我が道を追求できてたのかも知れません。
逆に言うと、今は経済的に余裕が無くなり、世知辛い世の中になった事で、
アメリカのように(と言って良いのか?)、資金調達と探究創造が上手く噛み合えば理想ですけど、
でも現実は、全く上手く噛み合わず、国内での先細り&海外への流出って感じになっているのかな?

> ・ファスト教養を含めた自己啓発本を読む動機って、1つには中産階級から脱落することへの恐怖というのもあるのでしょうが、
>  もう1つにはキラキラ欲求というとがあると思うんですよね。

ちょっと前の言葉で言うなら、「意識高い系」ですかね(笑)。
と言いますか、「もう1つ」ではなく、意外とタイプ的に被ってません?
ただ単に、背景となる社会の方が、停滞の時代から、衰退の時代へと移行して、
その現れ方も、時代に合わせて変化&増加したというだけで・・・・

>  岡田斗司夫は評価経済社会が到来した、と今年くらいの動画で言っており、
>  私はこれを聞いた時「?」という感じだったのですが、
>  確かに、ホリエモンもおらず、オンラインサロンもなく、インスタ映えもなかった、
>  1995年(岡田斗司夫が評価経済社会の到来を予言した年)と比べて、
>  今の世の中は評価経済的というか、経済とは違うキラキラで人々が動く時代なんですね。
>  かくいう私も、そういう他人と比較し競争し続ける地獄から逃れるためにラノベの世界に入ってきたはずなのに、
>  結局ラノベの可愛い女の子と自分を比較して勝手に辛くなっているんですから、
>  時代精神からはつくづく逃げられないんだなぁと思います。

それは多分、新自由主義的な価値観で育った世代の宿命なのかも?
スキルアップ思考で経済的に成功しても、キラキラ欲求で承認欲求を満たしても、
結局はどちらも、不安感や不足感をスタート地点に、新自由主義的な価値観で動かされていては、
対象が経済か否かに関係無く、根本的な行動原理が一緒で、どこまで行っても逃げられないのでは?
意識的にでも逆らわなければ、どうしたって自然と、その時代の価値観に染められるモノですし。

それでも、時代の価値観と、自分の価値観が合致している間は、実はまだマシな方なんですよ。
更なる地獄というのは、時代の価値観の方は、10年や20年経てば変わるモノなのに対して、
人の価値観というのは、いったん形成されてしまうと、なかなか変える事が難しい所にあります。
逆に言うと、今の時代が今後もずっと続くと勘違いしていると、かなり大変な目に遭うと思いますよ。
例えば仮に、次の時代が反・新自由主義的な価値観の社会になったとしても、
新自由主義的な価値観が染み付いた世代は、時代とのギャップに襲われる上に、
自らを苦しめる価値観からも逃れる事が出来ないと・・・・

でもまあ、可能性的に言うと、次の時代はもっとキツイ時代になる確率が高そうですけどね(苦笑)。
とは言え、そこまで厳しくなると、次の世代は割り切って、辛さから逃れる術を身に付けてる世代かも?
今の世代は、時代的に変化の途上、しかも衰退期の始まりであったが故に、
いろいろとネガティブな方向へと、振り回されてしまった側面もあるのでしょうし、
そういう意味では、スキルアップ思考でも無い、キラキラ欲求でも無い、
それでいて不安から述べられる方法を切り開けるなら、大きな開拓のチャンスが眠っていそうですね。
私は、それが「楽しいの お裾分け」だと思ってますけど、果たして未来は どうなるのかな?

少し前までであれば、自分でカネを払い、自らが楽しむのが一般的でしたけど、
最近は、誰かが楽しむ姿にカネを払い、その楽しさを共有する人も増えてきましたし、
逆に言うと、上手く人々を巻き込めれば、今までよりも大きな楽しみの機会を得る事も容易になりました。
そしてこれは、必ずしもカネだけを媒介とするのではなく、労力も提供してもらう事で、
ネットも利用して多くの人を参加させられれば、かなり大きな事まで行える時代になりつつある気がします。
で、そうやって あげたり貰ったりするのが、モノやカネではなく、「楽しさ」という感情になるかな?と。

>  まあ、そんなことに夢中になれること自体が日本が平和である証拠なのかな?(ウクライナ戦争脳)
年末放送の「徹子の部屋」で、ゲスト出演したタモリが、
番組の最後に、2023年がどんな年になるかを問われて、
「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えた発言が、かなり話題になってましたけどね。

ウクライナ戦争を機に、台湾海峡へ向ける意識も俄然高まりましたし、
岸田総理の口からは、防衛費増税の声も出てきましたから、
日本人の「平和意識」という点では、昨年は大きな転換点でしたよ。
もっと言うと、そうした何となくの危機感は、より明確な危機を招く危険性を孕んだモノであり、
だからこそ、その起爆剤となる「陰謀論」が、本当に危険な時代へとなってきたんですよね。
戦争というのは、「片方が大バカをするか」or「双方がバカをするか」により発生する為、
良くも悪くも、それを後押しする民意というのは、本当に重要だったりします。

ちなみに、ウクライナ戦争に関しては、
一般的な報道に触れるだけだと、プーチンが大バカだったと見られそうですが、
今でこそ英雄視されるゼレンスキーも、開戦前の行動は かなりバカでした。
もっと言うと、それ以前にウクライナ国民やアメリカも、かなり やらかしてます・・・・
もちろん、そうは言っても、実際に開戦へと踏み切ったプーチンが、
ダントツで悪く、バカであった事も間違いありませんが。

> ・この本読む限りでは、ホリエモンの影響ってかなり大きかったんですかね?
>  日本経済の停滞に伴う下流転落への恐怖などの背景はありつつも、
>  彼がスタートラインになって現在の自己啓発系の流れができたのだとすれば、
>  日本全体にかなり大きな影響を与えたということですよね。
>  (まあ、それがホリエモンが意図したことではないのかもしれませんが)

正直、かなり持ち上げ過ぎな感じはしますよ、その点に関しては(笑)。
とは言え、あの頃のホリエモンが「時代の寵児」であった事は、紛れもない事実ですし、
良くも悪くも、当時の社会風潮を映す、時代の象徴であったかも知れませんね。
(今ではイメージし難いかも知れませんが、郵政選挙で当選した「杉村太蔵」も同じく寵児でした)

あとは、解りやすいでしょうから、敢えて下品な表現を続けてしまうと、
ある時からホリエモンは、「情弱を誑かして、カネを稼ぐ」という方法にハマり出して、
騙されるカモを増やす為、露出の機会を増やして とにかく目立ち、利益をエサに釣られる人を増やし、
で、それをやり過ぎた結果、証取法違反で捕まり実刑判決を喰らうに至り、
今では少人数の信者を相手に、以前と似た手法を繰り返していると言うか、もう戻れなくなっていると。
もっと言っちゃうと、そんなホリエモン自身も、実は上手く踊らされたカモの一部であり、
ホリエモンを利用する事で、捕まる事なく稼いだ人たちも、裏側に結構いた感じはしますね。

と、ここまでボロクソに言ってますけど(笑)、
出てきた当初のホリエモンの事は、私も決して嫌いじゃなかったですし、
出所後のホリエモンは、ちょっと人が変わってしまった感じもあるのですが、
ふと、ネットの昔話とかする時とかは、良い具合に毒気が抜けて、昔の感じが戻ったりもあるかな?
逆に言うと、それだけに、良いように踊らされ利用されるホリエモンの姿は、あまり見たくないですが、
でもまあ、そんなホリエモンだからこそ、時代の寵児に祭り上げられたのでしょうけどね。
もう少し賢く立ち回れれば、もっと成功できたでしょうけど、今ほど名は売れなかったでしょうし、
そして何より欠けていたのは、対象となるモノへの関心というか、愛情というか、熱量だったのかも。
だからこそ、対象が好きな層からは嫌われ、カネの匂いに釣られた輩ばかり周囲に集まった感じがします。

> 今、『マリア様がみてる』を読んでいるのですが、当たり前ですけどこの時代は土曜も平日なんですね。
> 学校での週5日制は90年代に始まったというのは知識としては知っていましたが、
> やはり小説の中でさらっと出てくるとちょっと戸惑います。

学校が完全週休2日制になったのは、2002年の事ですからねえ。
そして、私の世代はちょうど端境期なので、
昭和世代な私は土曜登校も普通でしたが、平成世代の弟は土日休みが普通でした。
(月1休み→月2休み→毎週休みと、いきなりではなく、順々に変化)
と言っても、土曜は半日なので(通称「半ドン」)、平日と呼ぶのも少し違うかな?
土曜日に限り、学校は正午まで、会社は午後3時までだったので、
日曜日よりも却って、友人と遊んだり、同僚と飲みに行ったりが多いのが、土曜日でしたね。

でも、逆に近年では、「土曜授業を復活」させる流れがあり、
進学校の高校では、完全週休2日制のままの学校の方が少なくなってますし、
授業時間の不足を補う為、今では公立の小中学校でも、土曜授業の実施校が3割近くになっており、
昨今のコロナ禍もあって、この傾向は更に強まる事が予測されてます。
ですから、今度は令和世代になると、
「平成の頃は、土曜日も休みだったんだ!」という反応になるかも(笑)。

実際、近年は夏休みが6週間から「5週間」に短縮されつつあり、
少し前までは、2学期の始まりというと9月1日でしたけど、
今では、8月から2学期が始まる学校が、一般的になってきましたからねえ。

> (マリみてのシリーズ第1巻は99年ですが、携帯電話が一切出てこないなどの背景から、
> マリみては基本的に80年代っぽい雰囲気なので)

いやいや、それは誤解だと思いますよ。
確かに、今では高校生がスマホを持つ事など当たり前ですけども、
携帯電話の普及率が5割を超えたのが2000年頃なので、当時の高校生はまだまだでした。
いや勿論、90年代も後半となれば、持ってる高校生は持ってましたが(特に格安のPHSを)、
進学校や名門校であるほど、学校への携帯持ち込み自体が、校則で厳しく禁止されてましたから、
90年代のお嬢様学校が舞台であるなら、携帯が一切出てこなくても、決して不思議ではありません。

そもそもスマホとは違い、単なる携帯電話じゃ、当初はネットも使えませんでしたし、
基地局も今ほど豊富じゃなく、電波だって弱いので、まともに使えないエリアも多かったです。
また、自分の部屋から電話をかけるだけであれば、90年代には固定電話の子機が急速に普及したので、
わざわざ携帯である必要はありませんでしたからねえ。
今みたいに定額料金じゃないので、使えば使うほど、結構な金額が掛かりましたし、
携帯は1日中いじっているような代物ではありませんでしたから、今のスマホ文化とはかなり違いますよ。

そして、2011年の東日本大震災を契機に、連絡ツールとしての必要性が認識されて、
子供のスマホ保有率・利用時間が劇的に急増し、学校への持ち込みや使用も急速に認められましたから、
(高校生のスマホ保有率は、東日本大震災後の1年間で、1割未満から5割超へと激変)
逆に言うと、90年代どころか00年代においても、校内でのスマホ文化は今ほどではありませんでした。
って、当時の状況をあれこれ語ってはみたものの、著者の年齢を考えると、
単に、学校生活での携帯利用が実体験として無く、イメージも湧かなかっただけの事かも知れませんが(笑)。

ちなみに90年代は、80年代からの右肩上がりな延長線上にあるので、
飲食や娯楽など、あらゆる分野で「店舗数が増えた」という違いはありますが、
それは単に、便利になったり、機会が増えたり、質が上がったりくらいの違いでしたから、
そこまで劇的な変化というモノは、両年代の間には乏しいかな?
強いて言えば、CDがバカ売れしていて、毎年10曲以上のミリオン・ヒット曲が生まれ、
若者世代でも、カラオケ・ボックスが盛況になった所でしょうか?

あとは、次世代ゲーム機戦争の結果として、若者年代のライトなゲーマー層も作られましたね。
それまではTVゲームって、多くは子供年代がメイン対象であり、若者年代は一部のマニアでしたので。
ちなみにアニメの方は、それから10〜15年くらい遅れて普及して、その範囲もゲームよりは狭い感じかな。
それと地味に大きいのが、平成の30年間で、物価は上昇したのに、小遣いの金額が半減した事でしょうか?
今では、少ない費用で やりくりする習慣が染み付き過ぎていて、
仮に、いきなり小遣いが倍額されても、すぐには使い道が思い浮かばないかも知れませんが、
自由に使える金額が2倍になれば、やれる事の幅は確実に広がりますからねえ。
そういった所から、一昔前との日本社会の違いを連想してみるのは、イメージを掴みやすい手法かも?


> 『ファスト教養』が大変面白かったので、そのまま『ゆるい職場』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BP7H4LNM/という本も読んだのですが、
> 『ファスト教養』と通じる部分が結構あり、大変面白かったです。
> 『ゆるい職場』の内容としては、
> ・(大企業では)この5年くらいでで職場がゆるくなっている
>  10年前であれば灰皿を投げつけられて、深夜残業も当たり前だった新入社員が、今では「親戚の子供」のように扱われていると感じている
> ・これは新入社員側の要因によるものではなく、法改正などの影響によるものである

あ〜、それは確かにあるでしょうねえ(笑)。
コンプライアンスの名の下に、何事も面倒事には関わりたがらない風潮が高まってますし。
とは言え、親戚の子供というか、腫れ物の触るような扱いでは、当人の為にならない事も?
それでも「敢えて指導」とはならないのも、余裕無き利己主義な時代だからかも知れません。
一昔前の社会であれば、親戚の子供だって、結構乱暴に扱ってましたし(笑)。

> ・こうした新入社員の扱われ方の変化から、会社が好きにも関わらず、スキルが伸びないことに将来に不安を覚え、転職する若手社員が増えている
それとは少し違うかも知れませんけど、安定的な終身雇用の時代であっても、
優秀な人材であるほど、スキルアップして、官庁や大企業から飛び出る事はあったんですよね。
右肩上がりの時代の頃は、給料を貰いながら、海外手当まで付けて貰い、
国や会社のカネで、海外の名門大学に留学するキャリア官僚やエリート社員は多く居ましたし、
そういう人材に限って、帰国すると、さっさと会社を辞めて独立してしまうと(笑)。
でもまあ、社会全体に余裕がある時代でしたから、「仕方無いヤツだ」と笑い話で済んでおり、
場合によって、人材を育てる為のボランティア的な感覚もあった気がします。

とは言え、バブル崩壊後の失われた10年で、そうした行為への風当たりも強まり、
しかも、まだまだ安定は期待されていた時代でしたから、
そういう「飛び出し」は、減っていったイメージがありますね。
そして、失われた10年が20年30年と伸びていき、今までは保証されていた安定も期待できなくなると、
以前のような向上心からではなく、不安感に駆られる形での「飛び出し」が増えてきた感じかも?

でもまあ、優秀な人材だから成功確率が高かった方式でしたけど、
不安と期待を煽られ、猫も杓子もとなると、良いようにカモられるケースは激増しそう・・・・
もっと言っちゃえば、そうした人々をターゲットにしているのが、
「ファスト教養」でも指摘されている、一連のビジネス・モデルなのでしょうね。
それこそ、昔からある「儲かる方法を教えます」みたいな話で、
実際に振り込んでみると、「あなたも私と同じ事をすれば良い」という返信が来るみたいな感じで。

> ・また、新入社員側も入社前から長期インターンシップや法人とコラボしたイベントの開催などの経験を持つ新入社員が増えており、
>  こうした優秀な人材ほどゆるい職場に不安を覚えて転職してしまう
>  曰く「最近の新入社員は下手な社員よりも、社会人らしいかもしれない」

まあ、それも良い面と悪い面がありますけどね・・・・
それこそ、「ファスト教養」の中でも引用されてた名言ですけど、
「すぐ役立つ知識は、すぐに役に立たなくなる」というのは真意でして、
そうやって、すぐに使える人材は、すぐに使い捨てされたりもすると。
アニメ好きであれば、声優業界が抱える闇から、ブラックな人材起用のイメージをしやすいのでは?

> ・全ての社員がそうした入社前のビジネス経験などを持つわけではないため、新入社員自体も多様化しており、
>  法改正の影響も含め、まっさらな白紙状態の新入社員に画一的な教育を行うこと自体が難しくなっている
> ・これからは新入社員同士の横の教えあいや、社外での経験、そして新入社員によって新入社員を教育していくしかないのではないか
> といった感じです

このまま、アメリカ型の働き方が定着していくのであれば、
従来の「新入社員」という概念が、そもそも無くなっちゃいますけどね。
アメリカだと、既に「できる人間」を採るので、できない人間を「教育」なんてしません。
「自身の努力」で身に付けるのは事実ですが、その努力の差が現状とは段違いで求められますね。
正社員待遇の中で、実地体験を積んでいくとか、アメリカ型は そんな生易しい仕組みでは無いので・・・・

> 確かに、私の知り合いにも同じ大学生でファッションブランドを経営している人が
> (特別という感じではなく)普通にいましたし(大成功しているとかいうわけではないですが)、
> 私ですらも商学部の中で、何回かビジネスプラン・コンテストに出たり、ビジネスプランを作る講座を受けたり、
> あるいは起業家の方の講演を聞いたりしましたから(150分×13回)、
> 割とこういうのって、最近の主流な傾向なんだなあと

ネットの普及は、そうした行動を凄く容易にしましたからねえ。
YouTubeやnoteなどで小遣い稼ぎをするのも、本当に簡単で身近になって来てますし。
そう言えば、何の本だったかは忘れましたけど、
「これからは、1人1人が個人営業のサービス業になる」みたいな事を言ってる人が居ましたね。
確か、「次のテクノロジーで世界はどう変わるのか」だったかな?

逆に言うと、ネットの普及以前では、バブル崩壊&失われた10年により、
ベンチャーや学生起業を焚き付ける言説に溢れていても、
実行に移すまでのハードルが高すぎて、しかも環境も未整備で、リスクも今より高かったですから、
ほとんど、掛け声だけで終わっていた所はありましたね。
とは言え、そこで訪れたITバブルに乗り、頭角を現したのが、
ソフトバンクの孫正義であり、楽天の三木谷であり、ライブドアのホリエモンでした。

今では、前者2名は大成し、ホリエモンが失墜しているのは、
経済界の事は詳しくないので、よくは解りませんけど、
「ファスト教養」の中でも指摘されていたように、ホリエモンの「露悪さ」が原因だったかも?
あの悪目立ちぶりは、ファンも多かった反面、無駄に敵を増やしてましたし、
当時から既に前者2名との差はありましたけど、もう少し上手く振る舞えていれば、
今みたいに落ちぶれず、もっと成功していた可能性はあったでしょうからねえ。

> これって『ファスト教養』の中で出てきたAKB48の話と一緒ですよね
> 新自由主義的な価値観が日本に浸透していく中で、終身雇用とセットで新入社員教育も崩壊していき、
> 優秀な人は学生のうちからドンドンビジネス経験を積んでいっていると

でもまあ、本当に優秀な人材なら、学生時代で日本から出てっちゃうでしょ?(笑)
世界の市場は日本の数十倍あり、ネットの発達で、海外進出のハードルが激下がりしている一方、
30年後には人口が2000万人減り、高齢者が5割近く占める日本市場は、ジリ貧なのが目に見えていますから。
もちろん、それでも1億人市場は それなりの規模なので、上手く立ち回れば、確かに方法は沢山あるものの、
同じ労力を払うのであれば、世界を相手にしてしまった方が、成功の確率はグッと上がるでしょうし。

> NHK:運動部に異変!?下がる入部率、あなたの都道府県は? https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221226/k10013920681000.html
> の記事によれば、運動部に入る生徒が減少しており、代わりにスポーツクラブに参加する生徒が増えているらしいですが、
> 今までの画一的な人生のあり方が崩壊する流れというのは、部活にも及んでいるようです
> 新入社員教育も、部活もコロナで大きく影響を受けていますし、
> 「アフターコロナは全然違う社会になる」というのは、私にもちょっと理解できたかもしれません(今さらですが)

う〜ん、その認識はちょっと違うかな?
と言いますか、旧トルコ担当さん自身が、都合良く解釈している部分もありそう・・・・

まずは部活動ですが、一昔前のような「強制入部」の仕組みが無くなれば、
当然ながら、部活に入る人の割合は減るでしょうし、
そもそも少子化の時代ですから、部活に入る子供の絶対数は減ります。
ですけど、野球なら最低でも9人、サッカーなら最低でも11人が必要なのは変わらず、
子供の絶対数の減少が、団体スポーツに与える影響は大きいですね。
逆に言うと、例えば卓球など、今までは人気薄だった個人スポーツの部員は、意外と増えていたりします。

また、スポーツクラブに参加する事も増えているのは確かでしょうけど、
そもそも論として、部活制度で上手く回っていた日本では、元々のスポーツクラブ数が少なく、
スポーツクラブが増え、部活が減ったと言っても、実数で比べたならば、如実に差があるはずです。
そして、今では少子化の影響や、顧問を任せられる教員の負担軽減で、選べる部活の数自体も減っており、
「クラブに入らなければ、好きなスポーツもできない」状況へと、変化している意味合いもあるです。
しかも、クラブは部活と違って営利事業であり、部活よりも優れた環境を提供される反面、
それ相応に費用も要しますから、結局の所、経済的に余裕のある家庭の子供しか利用しにくかったします。

例えば、野球のキャッチボールなんて、
一昔前までは、兄弟やクラスメイト、近所の子供たちと、遊びの中で自然と身に付けましたけど、
今では、公園はどこも球技禁止で、騒ぐな何だと外遊びできる場所が消える一方、
子供たちの絶対数も減っている上、放課後に外で一緒に遊ぶ機会も減っている状況ですから、
クラブに入り、そこでキャッチボールを覚えるというケースが、非常に増えているらしいです。
それこそ海外だと、ハングリーな環境から、スポーツで成り上がるようなイメージの人も多いですが、
しかし現実は、恵まれた家庭の子供が、優れた環境でスポーツを覚え、
恵まれない家庭の子供は、そもそもスポーツする機会が乏しい・・・という時代になりつつあるんです。
部活はクラブより質が低い問題点はありますけど、機会の豊富さは非常に大きなメリットだと言えますし、
「格差が広がった」事を見て、安易に「画一的な人生のあり方が崩壊」と評価して良いものか?

> ちなみに、本書の帯は「働きやすい会社をなぜ若者はやめてしまうのか」となっていますが、
> 私も以前やっていたスーパーのアルバイトは、店長はじめずっと「親戚の子供」みたいな感じで優しく接されていましたが、
> 「このバイトしてもあまり自分のスキルにならないな」と思い、コールセンターでのバイトに切り替えたんですよね。
> これってアルバイトではありますが、働きやすい会社に不安を覚えて転職するという行為そのものですね。

英語のことわざ「A rolling stone gathers no moss.(転がる石には苔が生えぬ)」が、
イギリスだと、「転職や転居を繰り返す人は、地位も得られず金も貯まらない」という意味なのに、
アメリカだと、「活発に動き続けていると、常に生き生きとしていられる」という意味になるのに近いかな?
日本の社会も、良いか悪いかはともかく、イギリス型からアメリカ型に変わりつつあるのかも知れませんね。

ちなみに、イギリス出身の人気ロックバンド「ローリング・ストーンズ」は、
恐らく、この ことわざからバンド名を取っているのでしょうけど、
イギリス本国だと、反骨心を現す意味での ことわざ引用のバンド名が、
アメリカに行ってしまうと、健全で上昇志向なバンド名に一変してしまうと(笑)。


[24118] 長文返信1返信 削除
2023/1/15 (日) 02:43:14 旧トルコ担当

> それこそ、これだけ長文化してくると、読む方も大変でしょうが、書く方も大変・・・と言いますか、
> W杯や年末年始で長文返信を遅らせた事で、楽する味を覚えてしまった上に(笑)、
> 数日前から急に かすみ目の症状が現れてしまい、もし これが続くようだと、物理的にキツいかな?と。
> なので長文の場合は、引き続き今後も、1週か2週くらい間を空けての返信になるか、
> もしくは、同週に即座の返信を希望であれば、分割投稿にならない程度に、返信箇所をカットするかも。
> (目安的には、投稿文が600行を超えると、容量的に分割が必要になるイメージ)
> ちなみに旧トルコ担当さん的には、どちらの方が お望みでしょうか?


お好きなようにどうぞ。私が好きに返信しているだけなので。
「偏屈な奴に忠告するのも飽きた、もう返信しない」ということであれば、それで全然仕方ないと思っていますし。
一応、私としては分割投稿にならない程度で早めの返信希望です。
返信量は不要な部分削って(毎回心がけてるつもりではありますが)、
さらにマークをつけてみました。返信欲しいところは〇、何か新しい視点や論点などあれば書いてほしいのが△、私は特にいらないと思っているのが×です。

▼ ×ウクライナ戦争の個人的影響

> > 今でも、お昼の時間帯になると「今日もおいしいご飯が食べれて(こんなに平和で)幸せ」と思うようになりましたし、
> > おかげでちょっと太りそうな勢いでご飯がおいしいんですよ。
> > 私が太ったらプーチンは責任取ってくれるんですかねw
> > 水木しげるのマンガでは「終戦後3年くらいは、今日も明日も明後日も生きられるというだけで幸せだった」とありますが、
> > まさか自分がそんな体験をするとは思いませんでした。
> > いやまあ、遠いヨーロッパで戦争が起きたくらいで大げさなんですけど。

> ご飯も喉を通らないではなく、それで食が進むというのでしたら、
> ショックというのは同じでも、その方向性は まるで異なるのでしょうね・・・・
> 理屈としては解るものの、そういう感じで繋がるのは、ちょっと驚きというか 違和感が残ります。
>
> いや別に、それが良い悪いという話では無いですけど、
> そこが自己中心的というか、新自由主義的な価値観なのでしょうか?
> 昨今の横並び志向も、共感や同調から来るというより、消極的な利己主義に基づいてそうですし、
> 自己肯定感が低いのに、自分の事を好きでいられるのも、そうした下地があるからかも知れません。


いや、これは「生きねば」ですよ。
もう自己嫌悪だとか、自己否定だとか、遠い国で戦争が起きてショックなんて言ってられない、
遺伝子に刻まれた非常ベルがうるさく鳴っているからお腹がすくのであって、世代論とは縁遠い本能による影響ですね。

▼ △私の中高年期について

> > まあ、具体的にどういった形で単婚社会の解体が進むのか、あるいは本当に多婚社会になるのかは置いておくとしても、
> > 全体的な傾向としては、そういった恋愛・結婚の流動化が進んでいるのは私も賛成しますし、
> > 私が年を取ってより寂しさを実感するときには、もっと恋愛・結婚の形も変わっていると思うんですよね。

> でもその時は、もう何も行動が取れなくなってると思いますよ。
> 甘い理想を立てるのは自由ですが、世の中って そんなモノなので。
> 「将来を見据えて、今のうちに動いておけ」という、教訓じみた話をしている訳では無く、
> 「いま動けない人は、将来は尚更動けない」という、実に即物的な話をしているんです。


根本的な話としては、私の場合他人と一緒にいて楽しいと思ったことがほとんどないので、コミュ障(友達が欲しいけど作れない)とも違うんですよね。
これじゃまずいと思い、小学5年6年と、中学1,3年の時は友達作りにチャレンジしましたが、結局は自分には友達がいなくていい、という結論に達したんですよね。
(まあその後も高2で一度迷い、友達を作りかけていますが)
まあ、他人と一緒にいて楽しいと思ったことが"一切"ありません、と言い張れるほど中二病でもないですけど、
やはり友達といて楽しそうにしている人を見ると、宇宙人のように見えるといいますか、理解できない存在なんですよね。
世間的には私の方がよっぽど宇宙人なのでしょうが。

「いま動けない人は、将来は尚更動けない」というのは、小学生のころから実感していますし、
それが分かっていてなお、相応の紆余曲折があった末に、友達も結婚相手もいらない、と判断しているので。
おそらく、管理人さんが想定しているほど安易な決断ではないんですよ。

かぐや様は告らせたいの石上くんは「小学生のころからやり直したい」と言っていますが、
私はやり直したとしてもこの人生しかないことを知っているので、
俺ガイルの八幡の「悔いなんてないし、なんならおおよそ全てに悔いているまである」とも言えますし、「この道しかない」と。

幼稚園生のころは友達がいなくても先生が遊んでくれたからなあ。
小学校入ると先生が遊んでくれなくなったので、小学生1年生ながら友達いないと遊んでくれる人がいなくてヤバい、と思ったなあ。
「いま動けない人は、将来は尚更動けない」というのは先生とばかり遊んでいた幼稚園生のころの私に言ってほしかった言葉かなあw

> > > > まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> > > > むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

> > > いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
> > > オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
> > > とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
> > > 「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
> > > https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
> > > で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
> > > まあ一応、参考までに。

> > いや、このデータは私には役に立たないですし、世間一般の定義はともかく私の考えるオタクとは違うかなあ。
> > だって男性の9%がスポーツオタクと答えているんですよ。
> > 18%のゲームオタクも、14%のアニメオタクも、ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけじゃないんですかねw

> う〜ん、やはり こういう反応が返ってきましたかぁ・・・・
> 確かに、これがドンピシャなデータであるとは、私も思ってませんでしたけど、
> でも、仮に、当てはまる部分が半分、当てはまらない部分が半分あったとして、
> そのどちらに焦点を当て、それを役立てるか? はたまた役に立たないと切り捨てるか?で、
> 今回だけでなく、様々な事象や機会においても、
> 自らの可能性を広げるか?摘み取るか?の分岐点になると思うんですよね。
> そして今回、わざわざ手渡された機会を、旧トルコ担当さんは自ら放り投げたと・・・・
> 個々の事例を参考に出来るか否かよりも、そうした対応こそが、恐らく最も響くと思いますよ。
>
> それこそ、前回指摘した「変な逃げ口上で自分を納得させ」というのも、まさにこの事なんです!!
> 例えば、スポーツ・オタクな人の事を、どれだけ旧トルコ担当さんは把握しているのでしょう?
> プロ野球だと、足繁く球場へ足を運び、毎日3〜4時間ある試合を見て、時には地方まで遠征しと、
> 変な話、コアなファン層はアニメやゲーム以上に、世捨て人なタイプも多い分野ですよ(笑)。
> 格闘技やプロレスも、アニメやゲームに負けず劣らず、コミュ障の割合が高い印象もありますし。
>
> また、回答者層は「ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけ」というのも、
> 特に根拠は無くと言いますか、そう思いたいから、そう見なしてる部分がありませんか?
> 逆に言えば、だからこそ前回、一番最初に「回答者のオタク自認度」を貼ったんですよ。
> この分布度合いであれば、私が感じる旧トルコ担当さんのオタク度とも、そこまでズレないと感じたので。
> 具体的に言うと、ライト層がオタクだと強がってる割合が高ければ、もっと5点が多いでしょうし、
> 反対に、コアなオタクが多ければ、その時は3点がもっと多いはずなので、
> 4点が半数を占める これは恐らく、自分はそこそこのオタクだと自認している層が厚いかな?と。
> 実際、旧トルコ担当さんが自身のオタク度を問われたら、何点って答えてますか?
>
> > 少なくとも、オタク男性の4分の3が、2人以上の女性と付き合ったことがあって、
> > 女性オタクのうち恋愛未経験者が7.3%しかいないのならば、私は死にますw
> > 管理人さんとしては、この辺に違和感覚えなかったんでしょうか?

> まあ、マッチング・アプリの会社が調査してますので、実際よりも高い数値が出ているとは思いますよ。
> とは言え、一応 2020年に国が調べた生涯未婚率は、男性26%、女性16%ですからねえ。
> 逆に言えば、男性の74%、女性の84%には結婚歴があり、恋愛経験なら その数値は更に高くなるはずですし、
> もっと言うと、オタクか否かに関係無く、結婚できない人や、恋愛できない人は相当の割合で居ると(笑)。
>
> データとかは無いですけど、恐らく感覚的には、オタクの方が未婚率は高そうな気がしますけど、
> でもそれも、オタクだから結婚や恋愛が出来ないと言うよりは、
> コミュ障だから結婚や恋愛が縁遠いのが実際で、
> コミュ障とオタク趣味は親和性が高いから、結果としてオタクの未婚率も上がってるのでは?
> そして、オタクの未婚率が一般より何割か高いとしても、数字的に結婚する人の方が多数派となりますし、
> 一般から懸け離れた数値が出るほど、オタクが特殊すぎる人種だとも思えません。
>
> という事で、全体的には多少の有意な違いは出るでしょうけど、個人レベルなら誤差の範疇です。
> オタクだって、普通の人よりも少し低い程度の割合で、普通に恋愛も結婚もしてるのが、現実でしょうね。
> 異世界転生モノが、人気を席巻する昨今ではありますが、
> 長渕剛も歌っているように、「生まれ変わるなら、生きてるうちに」ではあるんですよ!!


「オタクだって、普通の人よりも少し低い程度の割合で、普通に恋愛も結婚もしてるのが、現実」だから、
そういう人たちもいるけど、私はそっちではないんだよなあ、という意味で前々回、私は↓の話をしたのですが。

> でもやっぱりオタクの中でもまた色々なタイプがいますし、
> オタクと言いつつ、なんだかんだで体育会系の部活に入っていたり、普通に友達がいたり、そういうオタク以外の世界もある人たちが、やっぱり結婚していくんですよね。
> Twitter見てても、私が「この人は結婚するだろうな」と思った人が本当に結婚した率or実は既婚者だった率は今のところ100%的中していますし、この診断で行けば私は結婚できないタイプのオタクです。


前にも書いたとおり、私は大学生になってから同じゼミの女の子以外では、母親とバイト先のおばちゃんたとくらいしか女性と接点が無い人間ですので、
「当てはまる部分が半分、当てはまらない部分が半分あったとして」という前提が、全然成り立っていないと思いませんか?
確かに、「プロ野球だと、足繁く球場へ足を運び、毎日3〜4時間ある試合を見て、時には地方まで遠征しと〜世捨て人なタイプ」という人の話であれば私も参考になりそうですが、
このデータって男女ともに恋愛経験ゼロの人が7%しかいないんですよ。

まあ、でも実際私ほど友達がいないのも珍しいんですかねえ。
Twitterのフォロワーが「友達いない」みたいな感じのこと言ってても、
実は昔は部活に友達がいて、大学入ってコロナでサークル入らなかったため今だけ友達ができてない、みたいなことだったりしますので。
私の場合、家族の次に人生でたくさんしゃべった人は管理人さんになると思いますよ。

> > ややこしくなっているので整理しますが、
> > 面白い作品が見つからず虚無という現象:おそらくいつの時代のオタクにもあった
> > 年を取り時間や気力がなくなっていくとオタクから離れていくという現象:同上
> > オタク成分の効率的接種のためTwitterをやる:最近の傾向
> > 若くしてアニメを見れなくなる現象:最近の傾向
> > ではないでしょうか?

> だったら、話は簡単じゃありません?
> 「面白い作品が見つからない」のも、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のも、昔から よくある現象であるなら、
> 「自分は○○だから」と、テイの良い言い訳で自分を納得させて逃げるのも、昔から よくある現象ですし、
> それで後になって激しく後悔し、そして取り返しが付かない事に絶望するのも、昔から よくある現象でしょ。
> しかも平成の30年間で、未婚率は7〜8倍も激増してますから、該当者も急増中です。
> いわゆる「無敵の人」なんて言葉が象徴するように、まあ実際に犯罪まで至る人は極少数でも、
> その予備軍と言いますか、何も無くて苦しむ人は確実に増えてますし、それはネット上でも実感できるのでは?
> それでも「自分だけは大丈夫」という正常性バイアスに陥ると、却って「よくある現象」よ!!
> 旧トルコ担当さんの場合、まだ何とでも出来る年齢であれこそ、お節介ながらも忠告しているんです。
>
> あと、これは他の所でも述べているので、何度も繰り返しはしませんが、
> 「面白い作品が見つからない」のと、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のとでは、全くの別物です。


年齢を重ねて、は理解できませんが、面白い作品が見つかる見つからないにかかわらず、楽しめなくなるは理解できますよ。
それこそ、気分が乗っているときであれば、別に作品自体を読む必要すらなくて、それまで読んだ作品を思い出すだけでニヤケが止まらなかったり(きも)、
あるいは自分でオリジナルストーリー想像して楽しんでたりしますし。
ただ、そこまで作品を楽しめる気分なのは稀ですし、そうでないとなると、
好きなラノベシリーズの新作を買っても、気分が乗ってない時に読むのはもったいないと思い、何か月もそのままということもあります。
響け!ユーフォニアムはアニメ2期の他に映画があるのですが、結局いまだに映画の方は見れてないんですよね。
これって、年取るとより気分が乗らなくなるんですかね?

まあ後、管理人さんの結婚の話に賛成できないのは、日々接している年上のオタクの人たちから、管理人さんがおっしゃるような悲惨な感じを受けないからなんですよね。
まあ、しょせんTwitterなんてその人のごく一部しか見えませんから、それで分かった気になるのも勘違い甚だしいですが、
一方でTwitter見ていて、中高年のオタクは悲惨という話は一度も耳にしたことはないので、管理人さんがだけがこの話をしている現状なんですよね。
なので、できれば具体的な例とか出してきてほしいんです。
といいますか、おそらくこういうことを書いているという時点で、管理人さん自身が老いによる一人の楽しさの減少を感じているはずですし、管理人さんの話でも私は全然その方が実感わきそうです。

ちなみに、私の中高年オタクのイメージはこんな感じです↓
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/23854 「だからオタクはやめられない。」
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/25871
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/22031
https://twitter.com/arpk_akt/status/849209247900418048
https://twitter.com/haig1899/status/1504066014509961218

といいますか、高校生のころに「元腐女子だけど、同人関連のトラブル+年取るで、腐女子としての情熱がなくなってしまいました」というブログを読んで、すごく怖かったことがありました。
https://hiroko01.com/archives/9080 ☆エソラゴトのとなり☆同人引退者「ヒロコ1号」の雑記ブログ
今でもオタクとして情熱を失ってしまうことはすごく怖いですけど、まあでもそうなってしまえばもうしょうがないかな、という覚悟はしているんですよね。

ちなみに、現在管理人さんが言われていることは、年取ると楽しみが減るから、その対策として、ということでいいんですよね?
体力が落ちて生活上不便になるということであれば、私も素直に婚活でも何でもして、同じような不安を抱える女性と契約的な結婚でもしますが。

> > いや、いいんですよ。結婚できなくても、生涯独身で最後は孤独老人として死ぬとしても。
> > それは私はオタクになったと時に、覚悟したことですし、私は人生ささげると(大げさではなく)決めたので。
> > ですけど、やはりふと本当にこのままでいいのかと、お前は人生から逃げているのではないかと、不安になるんですよね。

> その年齢で、そうした不安を抱くのであれば、もうそれが答えですよね。
> いや本当、これは真剣な忠告として、心を改めた方が良いですよ!!


そもそも、なんでこんな話になったんだっけお、と思い元々の返信を読み返してみました。↑
で、おそらく管理人さんは誤解されていると思うんですけど、上の文章の「人生から逃げているのではないか」という不安って、
私は結婚しなくても全然OKだけど、それで親に顔向けできるのか、みたいな罪悪感からくる不安なんですよね。
岡田斗司夫風に言えば、私はそういう罪悪感オナニーが大好きな人間ということになるでしょうし、
孤独な将来に対して不安なのではなく、孤独な人生を送ることに対して、本当にそれで世間様に顔向けできるのか、という不安なので。

って、これ書きつつ思ったんですけど、これってまさしく腐女子の人の不安そのものですよね。
BLが楽しいけど、いつまでたっても結婚しない、こんな私でいいんでしょうか……という。

▼ ×人生の満足感について

> > そのうえで、自分が勝手に満足したら、誰にも気づかれないように社会から消え去りたい、というか、
> > 少なくともいつでもそうできる選択肢自体は持っておきたいんですよね。
> > まあ現実問題、いざそういう段階に達すれば、本能的な恐怖に直面するものであり、そんな選択しとれないのも事実ですが。

> 「満足したら」と言いますけど、本当に「満足できる時」なんて来るんですかねえ?
> この先で起こるのは、それとは正反対の可能性が非常に高いと思いますよ。
> 「努力せず備えないで」とか、「コツコツ準備」とかいう事よりも、
> そうした甘い見立てというか、心積もりが、後々になって響きそうだな・・・という感じです。
> いや、でもまあ、若者にありがちな考えと言えば、確かにそうなのですけど(笑)。


まあ、「今、人生を満足できるなら、将来も可能そう」で、「今無理なら、将来も無理」だとすると、
正直今死んだとしても、まあまあ満足できるるんですよね。
ウエディングドレス着れなかったこととか、確かに不満はいくらでもありますが、それを言えばきりがないですし、
響け!ユーフォ見れて、マリみて見つけられたのだから、人生の満足度としてはかなり高い方かな。

「山田太郎(国会議員)が若者に今政治に望むことをネットで募集したところ、自殺する権利を望む声が圧倒的に多かった」という話を岡田斗司夫が取り上げたことがありました。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00290/091500019/ (正確には、山田太郎のアンケートに対する橘玲のコメントに、岡田斗司夫が動画で反論しています)
その時の岡田斗司夫の結論は、経済の暗い見通しが若者を悲観的にさせて、自殺を考えることへ向かわせている、という全然面白くない(意外性のない)結論だったのですが。
私もこの自殺する権利を望む若者の気持ちはよく分かる、といいますか、それが上の世代に衝撃をもって受け止められることが衝撃だったので(そりゃネットでそんなこと聞けばそりゃそうなるだろ)、
今の若者は、私も含め「甘い見立てというか、心積もりが、後々になって響」くような、そんな未来に楽観的ではないですよ。

▼ △ジェンダーについて

> > 女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。
> > そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。

> え〜と、これって正直、この直後の発言↓と整合性は取れてます?
> > 感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
> > それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。
> > セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、
> > 何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
> > 女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、
> > まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。
> > これ書いていて思い出しましたけど、高校生の時は同学年の女の子見て、ちょっと辛くなりましたね
> > (人間、絶対できないことに対しては羨ましいとは思わないらしいです)。
> > 私の高校は制服が全く可愛くなかったのが幸いでしたが。


いえ、とれていませんよ。
結局、私の正義論は自分の罪に対して、自分で攻撃しているだけなので。

> > まあ、だからこそ女性と付き合うなんて絶対したくないとw
> > 容姿で女性を選り好みするのはやりたくないですけど、容姿で選り好みしないほど人間ができているわけでもないので。

> いや〜、それは人間としての「出来/不出来」ではなく、
> 単なる経験不足から、理想像を膨らませ過ぎているだけなのでは?
> それこそ、喪女ほど「白馬の王子様」症候群を拗らせるモノですしね(笑)。


ふとTwitter見ていて思い出したのですが、私の容姿に関する正義感はオタクバッシングから来ているんですよね。
宇崎ちゃん論争はNHKのHPでも取り上げられていましたが、Twitterでは毎フェミニスト(の一部)とオタク(の一部)がバトルをしています。
正直どっちもろくでもない争いですが、これに関しては私のフォロワーは完全にアンチ・フェミニストなので、バトルを見ていると、だんだんフェミニズム側に「も」共感するようになりました。
でも、フェミニスト(の一部)の人が言うような"性的消費"なんて、実は世の中にはほとんどないんですかね?
オタクを攻撃することでしか楽しみを見いだせない人たちに私も巻き込まれて、ありもしない"性的消費"をあると思い込まされて、罪悪感を植え付けられているんでしょうか?
まあ、私にとって世の中に性的消費が蔓延しているかどうかは関係なく、自分が性的消費をしているかが問題であって、周囲に迷惑をかけているからダメ、とかではない自己満足の正義感に合致するかが重要なんですけどね。

> 羨ましいから悪態をついてるようで、それとも少し異なる感じ・・・・
> って、文章から漂ってくる、この感じの正体は何なんだろう。
> うまく表現できないですけど、女の子の事を「2.5次元」的に捉えているのかな?
> なので、3次元な生身の部分には嫌悪感が生じるし、2次元的な可愛らしさには憧れて、
> もし生まれ変わるなら、女性になりたいと言うよりも、アニメの美少女キャラになりたいみたいな感じ。
>
> そう考えると、前回のチアの話題も、何となく腑に落ちる所があるかも。
> よくあるような、女子アスリートを「性の対象」と見なす感じとは違って、
> 2次元と3次元のギャップに関して、あれこれ感情を抱いているというか・・・・
> でもこれって、そもそも3次元の存在である女性を、3次元で見ていない事にも繋がるので、
> 変の話、性の対象として生々しく3次元で見てる以上に、女性の尊厳を踏みにじるような見方なのかも?
> 当たり前の話ですけど、リアルの女性は2次元の美少女キャラでも無ければ、その代替でも無いので。


2次元か3次元か、と言われても、そんな簡単にどっちですとは言えません。
3次元の生身の女の子をちゃんと理解してますよ、と言い切る自信もないですが、2次元の美少女にあこがれているというほど、単純な憧れでもないので。
例えば、マリみての影響で最近は母と祖母の電話での会話が羨ましいんですよね。
今までも母と祖母の電話が聞こえてくることは度々ありましたが、マリみて読んで女性的な人間関係に対する解像度が上がり、見え方が変わったと。
私も息子と母親の関係ではなく、娘と母親だったら、もっといろんな話とかできたんだろうなあ、とは昔から思っていましたが、その気持ちも強くなりました。
いや、こういうことはこれまで育ててくれた母親に対して失礼なのかもしれませんが。
関係なさそうですけど、女性の歌声も好きなんですよね。
小学生のころは歌うの大好きだったんですけど、声変わりしたころから女の子の声を羨ましくなるように思い……。

▼ ×政治観について

> > > あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
> > > この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> > > > 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> > > > もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

> > > これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
> > > 私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
> > > 人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
> > > プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
> > > 「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
> > > って言っているようなモノですからね、この発言は。

> > この件については、大変勉強になりました。
> > 私って、例えるなら典型的な嫌な左翼みたいな人なんでしょうねw
> > 自分はエリートだと思い込み、世の中の恵まれていない人を救うという割に、
> > 周囲からは何かそこに見下しを感じて、嫌な奴と思われる、みたいなw
> > 弱者救済といって人を助けようとしたら、そこにあやかろうとする人のプライドを傷つけることに気づいていない、みたいな。

> う〜ん、それは「典型的な嫌な左翼」の前に、「右翼から見た」という一文が加わりそう(笑)。
> 恐らく、旧トルコ担当さん自身は無自覚かも知れませんが、
> 少なくとも私から見ると、旧トルコ担当さんも少し右寄りの認識というか、
> より厳密に言うと、周囲の人たちが右寄りな環境にあるんじゃないですかねえ?


まあ若いネット世代の一人として、私のTwitterのフォロワー含め右翼に囲まれていることは自覚しているといいますか、
政治的には意見が異なりますし、正直野党の悪口ばかり言っている彼らに嫌気がさすこともありますが、
そういうネット右翼は(正しい正しくないではなく)私はでも好きですので、定期的に見て嫌な気持ちになってTwitter閉じていますね(でもミュートにはしない)。
というか、そういう嫌なツイートが定期的に流れてくるようにしないと、永遠にTwitter見ちゃうので。

> まあ、90年代までは確実に左寄りだった日本社会は、00年代から急速に右旋回しており、
> その時代しか知らない今の若者層からすると、右旋回している日本がデフォなので、
> 同年代の仲間内だけに居ると、なかなか実感は出来ないかと思われますが・・・・


小学生のころは左翼というか左寄りだった私が、周囲に流される形で右旋回している自覚はありますし、良くないなあ、とも思ってはいるんですよね。

▼ ×陰謀論について

> ぶっちゃけ、私は全般的にスタートが遅かったですし、
> その為に、手が届かなかった世界も、いろいろありましたから(もちろん努力も足らずの事ですが)、
> ネットがある今の若者たちの環境は、それこそ「めちゃくちゃ幸運に恵まれている」と言っても良いですよ。
> ネットがあれば、地域格差も、経済格差も、情報格差も、時代格差も、
> 様々なギャップを、当人の気持ちと努力次第で、かなり覆す事が可能ですからねえ。
> 正直な所、私程度の知識量であれば、今なら中高生でも普通に身に付けられる時代でもあります。
> 情報は溢れている上、それを整理できれば、あとは「集中力」と「好奇心」が段違いな年齢なので!!
> 逆に言うと、だから私は、その「情報整理」の部分で、若い世代の役に立てたらな、という思いがあると。
> (このサイト内に、ゲーム・動画・企画などのコンテンツがあるのも、そうした意図を含んでいます)
>
> いや本当、ネットの有る無しだけで、環境はかなり変わりますよ!!
> まあ、デジタル・ネイティブ世代からすると、ネットがあるのが当然で、
> どれほど自分たちが恵まれているのか、なかなか意識はしないでしょうけど、
> 試しに1週間でも1ヶ月でもネット絶ちする事で、その不便さは十二分に味わえるはずです。
> 言い換えるなら、それだけ恵まれた環境にありながら、安易に陰謀論にハマる事が「不運」なんですか?


やはり、私としては陰謀論者もネットde真実も、見下しすぎな気がします。
「ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?」と前回書きましたが、まさしくそうだったというのが私の感想ですね。
「大人になる前にネトウヨは一度経験して卒業しておくべき」という言葉は私は嫌いでしたが、これは案外正しかったのかなあと。

あるいは、情報不足な時代の感覚と、情報過多な時代の感覚が全然違うということなんですかね。
陰謀論者の人が「私はウクライナについてネットで100時間勉強したんですよ」とツイートして笑いものになっていましたが、
彼らからすれば、努力して勉強しているつもりなんですよね。
ですが、図書館で本を読んで勉強したりすると、また違った情報がある、ということを知らないがゆえに、
努力すればするほど、陰謀論にハマっていく現状があると……
で、この状況って恵まれているんですか?
確かに、そういう情報があるということを知ることができれば、ネットを活用していくらでも勉強できる半面、
特にネットから政治などに興味を持ち始めた場合、別の情報があること自体を知れる環境にあるとは思えないのですが。

▼ ×早く大人になってしまう

> > 歳を重ねた人に突き刺さる、オタクだったのにだんだんアニメが見れなくなる現象 https://togetter.com/li/1278232
> > そういった現象って昔は高齢オタクのものでしたが、
> > 今はタイパ意識とかのあれで、若いオタクにも結構身近なんじゃないでしょうか。

> 少し話はズレますけど、今の子供たちって身体の成長が早いのも さる事ながら、
> ネットがある事で情報に溢れ、しかも周囲の大人たちも ぞんざいな扱いをしない社会となっており、
> 結果的に、当人の気分的には「早く成熟してしまう」感覚が強くありません?
> (いや、精神面の強さみたいな所は、却って未熟なままな時代でもありますけど・笑)
> だからこそ、早く満足してしまい、早く枯れ出すような傾向が、ありそうな気はしますね。


管理人さんと同じ観点ではないですが、早熟化というのは私もすごく感じています。
「ゆるい職場」も、「新入社員の"大人化"」(原文ママ)と書かれていますし、
以前の「女子小学生向けのマンガの『両想い』から『付き合う』へ」も、そんなに早く大人にならなくていいのに……と思っていますし。
ハッキリ言って、「マリみて」も女子高生にしてはすごく幼いな、と感じますよ。

私の仮説では、大正時代の女学生と比べれば、マリみての方が大人ですし、
それこそ源氏物語なんて、女の子に一回振られただけで、すぐ人生に絶望して出家してしまったりするので、
時代が進むにつれて、早く大人になってしまうのは歴史的な法則なのかな、と思っています。
あくまで、仮説段階で検証が十分でないですが。

▼ 〇昭和平成の学校文化

> > 今、『マリア様がみてる』を読んでいるのですが、当たり前ですけどこの時代は土曜も平日なんですね。
> > 学校での週5日制は90年代に始まったというのは知識としては知っていましたが、
> > やはり小説の中でさらっと出てくるとちょっと戸惑います。

> 学校が完全週休2日制になったのは、2002年の事ですからねえ。
> そして、私の世代はちょうど端境期なので、
> 昭和世代な私は土曜登校も普通でしたが、平成世代の弟は土日休みが普通でした。
> (月1休み→月2休み→毎週休みと、いきなりではなく、順々に変化)
> と言っても、土曜は半日なので(通称「半ドン」)、平日と呼ぶのも少し違うかな?
> 土曜日に限り、学校は正午まで、会社は午後3時までだったので、
> 日曜日よりも却って、友人と遊んだり、同僚と飲みに行ったりが多いのが、土曜日でしたね。
>
> でも、逆に近年では、「土曜授業を復活」させる流れがあり、
> 進学校の高校では、完全週休2日制のままの学校の方が少なくなってますし、
> 授業時間の不足を補う為、今では公立の小中学校でも、土曜授業の実施校が3割近くになっており、
> 昨今のコロナ禍もあって、この傾向は更に強まる事が予測されてます。
> ですから、今度は令和世代になると、
> 「平成の頃は、土曜日も休みだったんだ!」という反応になるかも(笑)。


そういえば、私の高校も土曜授業合ったわw
完全に忘れてましたw
土曜は休みという先入観が強すぎて、自分の高校時代のことなどすっかり忘れていましたw
ラノベのストーリーはいくらでも覚えているのに、自分の人生のことはなんにも覚えていないオタクの末路じゃんw
なーにが「当たり前ですけどこの時代は土曜も平日なんですね」だよw

> > (マリみてのシリーズ第1巻は99年ですが、携帯電話が一切出てこないなどの背景から、
> > マリみては基本的に80年代っぽい雰囲気なので)

> いやいや、それは誤解だと思いますよ。
> 確かに、今では高校生がスマホを持つ事など当たり前ですけども、
> 携帯電話の普及率が5割を超えたのが2000年頃なので、当時の高校生はまだまだでした。
> いや勿論、90年代も後半となれば、持ってる高校生は持ってましたが(特に格安のPHSを)、
> 進学校や名門校であるほど、学校への携帯持ち込み自体が、校則で厳しく禁止されてましたから、
> 90年代のお嬢様学校が舞台であるなら、携帯が一切出てこなくても、決して不思議ではありません。
>
> そもそもスマホとは違い、単なる携帯電話じゃ、当初はネットも使えませんでしたし、
> 基地局も今ほど豊富じゃなく、電波だって弱いので、まともに使えないエリアも多かったです。
> また、自分の部屋から電話をかけるだけであれば、90年代には固定電話の子機が急速に普及したので、
> わざわざ携帯である必要はありませんでしたからねえ。
> 今みたいに定額料金じゃないので、使えば使うほど、結構な金額が掛かりましたし、
> 携帯は1日中いじっているような代物ではありませんでしたから、今のスマホ文化とはかなり違いますよ。
>
> そして、2011年の東日本大震災を契機に、連絡ツールとしての必要性が認識されて、
> 子供のスマホ保有率・利用時間が劇的に急増し、学校への持ち込みや使用も急速に認められましたから、
> (高校生のスマホ保有率は、東日本大震災後の1年間で、1割未満から5割超へと激変)
> 逆に言うと、90年代どころか00年代においても、校内でのスマホ文化は今ほどではありませんでした。
> って、当時の状況をあれこれ語ってはみたものの、著者の年齢を考えると、
> 単に、学校生活での携帯利用が実体験として無く、イメージも湧かなかっただけの事かも知れませんが(笑)。


学校のスマホ持ち込みは禁止されていましたね。
皆隠れて持ってきていましたが、見つかると没収でした。
調べたわけではないですが、「月がきれい」でも中学生が修学旅行でスマホ没収されていましたし、全国的にも持ち込み禁止が多かったと思います。
最近の小学校は使わなければ持ち込みアリらしいですが、時代は変わったなあ、と思います。

> それと地味に大きいのが、平成の30年間で、物価は上昇したのに、小遣いの金額が半減した事でしょうか?
> 今では、少ない費用で やりくりする習慣が染み付き過ぎていて、
> 仮に、いきなり小遣いが倍額されても、すぐには使い道が思い浮かばないかも知れませんが、
> 自由に使える金額が2倍になれば、やれる事の幅は確実に広がりますからねえ。
> そういった所から、一昔前との日本社会の違いを連想してみるのは、イメージを掴みやすい手法かも?


祐美さんと祥子さまが遊園地デートの約束していますが、これって2人がお嬢様だからではなく、普通にお小遣いで遊園地に行けたってことですかね?

もしそうなのだとすれば、前にも「今の若者は金のかかる遊びを知らない」と書きましたが、本当にもう日本経済は終わりじゃないですか?
前にも書きましたが、私自身、大学生になってアルバイトをするようになりましたが、お金の使い道もなく、将来不安もあり、月のお小遣いは5000円しか使ってないんですよね。
しかもPC代を毎月1500円引いているので、実質3500円しか使えていないと。(このお小遣いには食費などは含まれていません)
バイト代はほぼ貯金しているので、そろそろ100万円に届きそうなので、金が無いと言わけでは全然ないんですよ。

2倍と言われても、私は高校時代は決められたお小遣いが無く、貯金でラノベ買っていましたし。
でもこれって、もしかして日本の貧困化の影響をもろに受けていたってことなんですかね?
特段欲しいものは無かったので困らなかったものの、マンガは買えなかったんですよねえ(いや、今も買えていませんが)。
ラノベとマンガが同じ値段で、マンガはすぐに読み切ってしまうので、どうしてもマンガは損な感じもあり、
私はマンガより小説の方が好きなので、結局マンガは今に至るまであまり作家も知らず、私が人生で読んだことあるマンガシリーズって20に届かないと思います。
別にマンガが絶対買えなかったというわけではなく、買ったけど読んでないラノベが本棚に積まれている程度にはお小遣いがありましたが。
ただ、まあまあ面白い程度のマンガを我慢せざるを得なかったのも事実なので。

> そういう意味では、「00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中」というのは、まさに その通りでしょうね。
> いや、私自身は変化を実体験してきた世代なので、実際には そこまでですけど、
> 今の価値観しか知らない世代だと、それこそ別世界のように映るかも知れませんね、00年代前半までの日本社会は。
> 戦前と戦後を分けるくらいターニング・ポイントが、2000年あたりにも存在した感覚ですし。
> (もちろん、戦争のような強烈で明確なポイントでは無い為、それに無自覚な同世代人も非常に多いですけど)


> > (マリみてのシリーズ第1巻は99年ですが、携帯電話が一切出てこないなどの背景から、
> > マリみては基本的に80年代っぽい雰囲気なので)

> いやいや、それは誤解だと思いますよ。
> 確かに、今では高校生がスマホを持つ事など当たり前ですけども、
> 携帯電話の普及率が5割を超えたのが2000年頃なので、当時の高校生はまだまだでした。
> いや勿論、90年代も後半となれば、持ってる高校生は持ってましたが(特に格安のPHSを)、
> 進学校や名門校であるほど、学校への携帯持ち込み自体が、校則で厳しく禁止されてましたから、
> 90年代のお嬢様学校が舞台であるなら、携帯が一切出てこなくても、決して不思議ではありません。


あっそうなんですね。
『女子校育ち』という本で、男子校の先生が「携帯電話が普及してから、女の子にモテそうな男子学生の服装が凄くおしゃれになった。
昔の男子校は全員が女の子にモテないダサい服をしているのが、男子校の良かったところなのに」と話しており、著者は「私たちが本当の意味での女子校・男子校に通った最後の世代かもしれない」と言っているのですが、
こうした現象も00年代に起きた現象だったのですね。(90年代だと思っていました)

その後さらに男子校・女子校の数自体がどんどん減少していき(私の高校もちょうど2010年ごろに男子校から共学になっていました)、
00年代って本当に急激に世の中が変わっていった時代なんですね。
それこそ、「マリみて」読んでいるとその辺実感します。

▼ △意識高い系・インスタ映えの次はオタクの時代

> >  岡田斗司夫は評価経済社会が到来した、と今年くらいの動画で言っており、
> >  私はこれを聞いた時「?」という感じだったのですが、
> >  確かに、ホリエモンもおらず、オンラインサロンもなく、インスタ映えもなかった、
> >  1995年(岡田斗司夫が評価経済社会の到来を予言した年)と比べて、
> >  今の世の中は評価経済的というか、経済とは違うキラキラで人々が動く時代なんですね。
> >  かくいう私も、そういう他人と比較し競争し続ける地獄から逃れるためにラノベの世界に入ってきたはずなのに、
> >  結局ラノベの可愛い女の子と自分を比較して勝手に辛くなっているんですから、
> >  時代精神からはつくづく逃げられないんだなぁと思います。

> それは多分、新自由主義的な価値観で育った世代の宿命なのかも?
> スキルアップ思考で経済的に成功しても、キラキラ欲求で承認欲求を満たしても、
> 結局はどちらも、不安感や不足感をスタート地点に、新自由主義的な価値観で動かされていては、
> 対象が経済か否かに関係無く、根本的な行動原理が一緒で、どこまで行っても逃げられないのでは?
> 意識的にでも逆らわなければ、どうしたって自然と、その時代の価値観に染められるモノですし。
>
> それでも、時代の価値観と、自分の価値観が合致している間は、実はまだマシな方なんですよ。
> 更なる地獄というのは、時代の価値観の方は、10年や20年経てば変わるモノなのに対して、
> 人の価値観というのは、いったん形成されてしまうと、なかなか変える事が難しい所にあります。
> 逆に言うと、今の時代が今後もずっと続くと勘違いしていると、かなり大変な目に遭うと思いますよ。
> 例えば仮に、次の時代が反・新自由主義的な価値観の社会になったとしても、
> 新自由主義的な価値観が染み付いた世代は、時代とのギャップに襲われる上に、
> 自らを苦しめる価値観からも逃れる事が出来ないと・・・・
>
> でもまあ、可能性的に言うと、次の時代はもっとキツイ時代になる確率が高そうですけどね(苦笑)。
> とは言え、そこまで厳しくなると、次の世代は割り切って、辛さから逃れる術を身に付けてる世代かも?
> 今の世代は、時代的に変化の途上、しかも衰退期の始まりであったが故に、
> いろいろとネガティブな方向へと、振り回されてしまった側面もあるのでしょうし、
> そういう意味では、スキルアップ思考でも無い、キラキラ欲求でも無い、
> それでいて不安から述べられる方法を切り開けるなら、大きな開拓のチャンスが眠っていそうですね。
> 私は、それが「楽しいの お裾分け」だと思ってますけど、果たして未来は どうなるのかな?


岡田斗司夫はキラキラの次の価値観を、ラノベ脳だと言っていますね。
ネット時代の自分よりすごいやつが不幸にもすべて見えてしまう時代には、インスタグラムも、意識高い系も過当競争しか生まず、
だから今の中学生の半分くらいは、ラノベの異世界転生ものを読むような、リアルを諦めてバーチャルに生きる、そういうメンタルンになっていると。

私も可愛い女の子に生まれたかったとは思っていますけど、結局それをこの掲示板に書いている時点で、ある程度諦めがついていということですし、
結局はマリみて読んで、バーチャルなものに楽しさを見出す人生に納得しているので、私もキラキラの次の価値観の方の住人だと思うんですけどね。
沈んでいく日本経済の中で、お金もあんまりかかんないし、VRもAIもコッチを豊富にする技術でしょうし、流行ると思うんですけどね。

▼ ×Twitterの使い方

> > 私はTwitterも最近はbotに半分くらい任せています
> > 過去のツイートなどをまとめて1日1ツイートにしておけば勝手にいいねやRTが得られるので、
> > これでいいじゃんってなってますね。
> > これは岡田斗司夫のUG動画と同じことをしただけなのですが、
> > こんなに便利なら、なぜ誰一人としてTwitterでこれをやっている人がいないのだろう、と思っていました。
> > が、やはりこれで満足できるって変わってるんですかね?

> いや〜、そんな事をされてるんですね!?
> 今っぽいと言えば、今っぽいので、変わってる・・・とまで言いませんけど、
> 少なくとも私なら、絶対にやらない行為でしょうね。
> もちろん、これが仕事や作業であるならば、そうした事も有り得るでしょうけど、
> このTwitterに関しては、個人の趣味で行っているんですよねえ?
> これってもう、本来の つぶやく事自体が目的なのではなく、「いいね」を貰う事が目的なんですか?


いいねが欲しい、とは真逆ですね。
私がTwitter運用する動機は「自分の描いた絵を、そのままにしておいてもいいけど、見たいという人がいるなら、じゃあ公開するか」みたいな感じなので。
私は「バズってもリプライに変な奴が来るだけで、何もいいことない」と思っているので、1000いいね超えたら一時的に鍵垢にしたりしています。
Bot運用も、HPの内容紹介して、HPの宣伝用にやっているだけなので。
おそらく、SNSの主流派とはだいぶ違う位置にいると思いますよ。

▼ ×HPについて

> > (Googleなどの検索サイトに見つけてもらう方法が面倒で放置しているので、HPなのに検索に引っかからないんですよね
> > 一応Twitterにはリンク張っているので、ちょっと(数人?)は訪問者がいるらしいですがw)

> 私自身が何も対策を取っていないので、正直無頓着なのですが、
> いまの時代は個人サイトでも、そうした検索対策をするのが、やはり一般的なんですかねえ?
> 私の方も もう少し真剣に、サイト運営を考えるべきなのかなぁ・・・・


いや、Googleサーチに登録するやり方がよく分からなかったというだけなので、特別対策しているわけではないですよ。
私のサイトは、何かGoogleでサイト名で検索しても検索引っかからないのでw

> 正直、老化や死、運と努力、社会に経済とかよりも、こうした創作系の話題の方が個人的には合いそう(笑)。
> 特に小説に関しては、昔から少し興味はあるものの、全く手を付けていない分野ですし、
> 実際に書く行動に移すかはともかく、世界観の設定を考えるのとかは、凄く興味があります!!
>
> ちなみに、そのサイトや小説・絵・ゲームなどは、ここで晒したりはしないんですか?(笑)
> 先日も十数年ぶりに、豆乳さんのサイトと相互リンクしましたし、
> もしも旧トルコ担当さんがお望みであれば、そうした事も可能ですよ。


まあそもそも、社会や経済はともかく、老化や死、運と努力に関しては、対話してもあまり意味がないと思います。
どちらかの口が相当うまいとかでない限り、平行線で終わりそう。

サイトはまあ、晒してもいいんですけど、内容にそんなに自信があるわけではないですし、何なら見せるために作ってないみたいな面あるので。
http://hoi1936.s205.xrea.com/


[24119] 長文返信2返信 削除
2023/1/15 (日) 02:45:34 旧トルコ担当


▼ ×その他

このページは全て×です

> とは言え、これって結構切実な問題であったりもするんですよね。
> いや本当、自分が好きなジャンルであったり、そもそも根本の分野自体が、
> 時代の変化と共に、消え失せてしまう事だって、よくあるのが現実の世界ですから・・・・
> これに関しては、サブカル作品に限らず、食事や衣服など、全ての分野に言える事ですね。
> 「お気に入りの惣菜パンがコンビニから姿を消したり、そういう小さな絶望の積み重ねが人を大人にするのです」
> というのは、呪術廻戦の中で、私が最も好きな台詞(笑)。


コミケの二次創作ではよくあることですね。好きなアニメが完結し、二次創作を行う人も少なくなっていく。
だからこそ、もう供給が断たれれば自己生産・自己消費するしかないとw
私もオリジナルでは小説書いて(もったいないのでPixivで一応公開して)、多少は自己生産しているのですが、
二次創作はチャレンジしようしようと思いながらできていないんですよね。

> > ホワイト社会が、自分がまずホワイトであるための努力を行い、
> > さらに自分よりも有名な人たちに対してよりホワイトであることを要求する
> > (=無名な人にはホワイトであることをあまり要求しない)社会なのであれば、
> > 私は、自分に対して倫理的であることを要求する分、
> > 自分よりもより優れている人に対してより倫理的であることを要求するのだと思います。
> > どっちも理不尽なことには変わりないですが。

> 何となく思ったんですけど、それって本当に「ホワイト」なんですかねえ?
> 「光が強くなればなるほど、影もまた濃くなる」じゃないですけど、
> その感覚って、ホワイトどころか、非常に「ブラック」な感じがしてきました(笑)。
> 言うなれば、「その倫理観の基準って何? そもそも、誰が決めてるの?」って感じですか。
> もっと言うと、誰かを集団で叩く目的で、自分たちの都合良く倫理基準を作り上げてませんかねえ?
> 本来は夫婦間の問題なのに、第3者が不倫バッシングで、標的を社会的に抹殺しようとする行為も、
> ホワイト化という名の「ブラック化」の象徴のように思えてきました・・・・


いや、そんなのは当たり前では?
ホワイト社会だろうと何だろうと、結局は人間のやっている理不尽で勝手な正義感であって、それが本当に正しいとは全く思っていませんが。
逆に、そんなブラック化でもないと思いますけどね。昔も今も未来も、いつも正義感なんて勝手ですし、理不尽なことには変わりないのでは?
コンプライアンス、コンプライアンスと言われる世の中も息苦しいですけど、コンプライアンスガバガバな世の中も大変ですし。

> > > > 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> > > > なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

> > > まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
> > > 「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
> > > 「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
> > > 歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。

> > 経済学史の講義をとって、偶然マッハ主義というのを勉強し、
> > > 「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン
> > というのは、なるほど、と思わされました。ああいうのが科学なんですね。
> > と言いつつ、私は物理学は高校レベルなのでマッハ主義は全然理解できていませんし、経済学に対する理解も全然ですが。

> いや、マッハ主義だとか、そこまで言ってるつもりは無いんですけどね、私個人としては(笑)。


いえ、マッハ主義とまで言っているわけではないですよ。
「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン、という管理人さんの言葉を理解していますよ、
という意味で、ひとつの類似としてマッハ主義を出しただけですので。

> > 私はずっとオタクコンテンツに浸かってきたので同性愛には全然抵抗ないというか、
> > 高校時代にはちょっと気になる男子とか普通にいたので(何もしませんでしたが)。
> > といいますか、今もちょっとTwitterで4つ年下のメンヘラ男の子がちょっと気になっているんですが、
> > こういう可愛い感じの子は既に私と似たようなオタクたちが囲っているんですよね。

> それは別に、オタクどうこうとか関係無く、
> 昔から よくある、「思春期特有の性感情」に近い印象も受けますけどねえ。
> 男子にせよ、女子にせよ、未だ成長途中な時には、同性が気になる事も決して珍しくありません。
> 逆に言うとオタク・コンテンツの方が、思春期の特性に寄せている側面もあり、
> それにドップリ浸ってしまうと、本来なら一過性で通り過ぎる所が、定着してしまう事もあるかな?
> 先天的な同性愛とかはまだしも、後天的な性志向は、そうした築かれる印象が強いですし。


女の子の男嫌い的な同性思慕は思春期的と(分類されると)知っていましたが、男同士でも思春期特有の性感情なんですね。
これは全然知りませんでした。

> > > > 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> > > > オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

> > > 私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)

> > わたしも無学人間なので、だからこそ"系"という言葉をつけて保留にしています。
> > 私から見れば管理人さんは知識人に見えますが、私から見ればですので。

> まあ正直な所、見方など人それぞれなので、そこは良いのですが、
> 「管理人は知識人→知識人は こんなタイプ→だから管理人も こんな感じ」
> という三段論法の元で見られてしまうと、型にハマった先入観から、
> 私の真意が伝わらなくなる(無視される)のが怖いんですよね。


知識人の人に対してステレオタイプなイメージを持てるほど、知識人というタイプの人を知らないですね。

> > > 一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。
> > これは、感覚として分からないですね。

> う〜ん、分かりませんかぁ・・・・
> でも、そうなると尚更、「自己否定が非常に強い世代」だと、よく自認できるなぁ・・・とも(笑)。
> いや勿論、当人たち的には そうなのでしょうけど、
> 「自分が好き」でいられる時点で、「自己否定」など相当低いように、客観的には映りますし、
> 単に「自信がない」という事を、自己否定だと捉えているだけな感じがするんですよね。
>
> あと、これが感覚的に解らないとなると、
> それこそエヴァとかを見ても、あまりよく解らないのでは?


エヴァは分からないですね。
シン・エヴァの最終作は、庵野秀明が結婚して自分だけ幸せになって、逃げたように見えてしまいます。
結局お腹減って、食事食べて、でメンタルが回復して、そういうのを肯定しちゃうのかあ……と。
いや、エヴァを理解せずに自分の偏見で語っているのかもしれませんが。

> > 昭和後期の家族団らんは想像できても、
> > それよりさらに前の家父長制の強かった時代は想像できないみたいな感じです。

> 家父長制が想像できないのであれば、昭和後期の家族団欒も想像できないのでは?
> 一口に家父長制と言っても、大家族であった戦前と、核家族化した戦後とでは、結構違いもあるのですが、
> 共働きであった戦前の農村社会よりも、サラリーマン&専業主婦が増えた70〜80年代の方が、
> 「父親の強権性」という点では、ある意味で増していった側面もありますからねえ。
> そこにあるのは、今のような友達親子や恋人夫婦とは、かなり異なる「家族」を前提とした「団欒」です。


まあ、家族だんらんを完全に理解しているわけでもないですし、
一方で家父長制を完全に理解できないわけじゃあないんですよね。

> 解りやすい所ですと、テレビの存在とかが そうかな?
> 今でこそ、若者のテレビ離れが急速に進む一方で、映像を見られるスマホは1人1台な時代ですが、
> 平成の初め頃まで、娯楽の王様はそれこそテレビであり、しかも1家に1台な時代でしたからねえ。
> 子供たちはアニメやバラエティー、女性陣はドラマや歌番組、お父さんは巨人戦やニュースが見たくても、
> テレビは1家に1台ですから、どれか1つの番組を、家族みんなで見るしかなく、
> それを決める「チャンネル権」は、だいたいの場合、お父さんに独占されていました。
> で、多くの家庭では問答無用で、お父さんは自分の見たい番組を見るんですよね(笑)。
> それでも、テレビに勝る娯楽はありませんから、仕方無くみんなで見るんですよ・・・・
> 逆に言うと、だからこそ、音楽であれドラマであれ、国民的なヒット作が生まれた訳ですし、
> お父さんが不在の時間帯に、主婦向けの昼ドラや、子供向けの夕方アニメが、盛況だったとも言えます。
>
> ちなみに、90年代の後半あたりから、子供向けではなく若者向けのゲームやアニメが増えたのは、
> テレビが1家に1台の時代から、子供部屋にも1台になってきた事と、無縁では無いかも知れませんね。
> 当たり前の話ですけど、未だPCも普及していない時代、テレビはモニターも兼務しており、
> 家族がテレビを見ている時間は、ゲームも出来なければ、ビデオも見られませんでしたから、
> 自分で自由に使えるテレビ(モニター)を得たのは、非常に大きな時代の変化だったかと?
> って、今のスマホ世代からすれば、それすらも「過去の時代」の話なのでしょうけど(笑)。


「東京ラブストーリー」など恋愛ドラマが増えたのも、一家に1台のTVから一家に複数台のTVになったからですよね。

> > > 「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
> > > 積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
> > > そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
> > > 「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
> > > 「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
> > > 「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
> > > そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
> > > 「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?

> > 「教師が知識マウントを取ってくる!」という話は岡田ゼミで聞いたときは
> > 「えー、そんな人がいるの?」という感じでしたが、やはり実際にいるんですね。
> > (まあ実際、余計にマウントをとってくる大学教授がいないわけではないですがw)

> もちろん、そういうタイプの教授や講師も確かに居るでしょうけど(笑)、
> でも基本的には、教わる方より、教える方の知識量が多いのは当然の事であり、
> そもそも論として、だからこそ、教わりに行っている訳ですからねえ。
>
> あと、この感じだと、恐らく自覚は無いのでしょうけど、
> 旧トルコ担当さんの返信からも、そこまで酷くは無いものの、
> 時折、そんな感じが読み取れる文章を書かれてる事もありますよ(笑)。
> でもまあ、「今時の若者だな」って感じるくらいで、それで不快に感じたりは無いのですが、
> とりあえず、他の方に対する時は、ちょっと意識しておく方が無難かも知れませんね。


ああ、そうなんですね。

> > ちなみに、これも偶然なのですが、最近ゼミでレポートを提出する機会があり、
> > ゼミ生だけのLINEでレポートのページ数を全員で合わせようという話になりましたね。

> まさしく、今時っぽいエピソードですね!?(笑)
> みんなでページ数を合わせようなんて発想、私たちの世代では出てきませんよ!!
> そういうのって大体、最低限の枚数や、目安となる枚数が定められてますから、
> その枚数にギリギリ達するよう、何とか嵩増しするのが、基本路線だったように思います。
> 正直、他の人が何枚書いてるかなんて、全く気にもなりませんし。


このレポートの場合、最低枚数も目安も示されてなかったゆえの示し合わせなので、動機としては大して変わってないような気がします。

> > あとは面白い作品を探すだけではいずれ鉱脈が尽きるといいますか、
> > 自分に作品を楽しむ力がないと刺激ばかり求めて、刺激ジャンキーになっていずれ飽きが来るので、
> > 既に好きな作品をどれだけ楽しめるか、あるいは各作品を並列で見たりして楽しむ力をつけるというのも重要ですね。

> 更に言うと、旧トルコ担当さんも、今はまだ若い世代なので、
> 若者向けに提供される作品と、自分の好みの作品との間に、差異は無いかも知れませんが、
> 5年10年と経った際、その時に提供される若者向け作品は、その時代の若者の好みに合わせたモノなので、
> ここでドンドンと差異が生じてきますし、自らの趣向を変えない限り、提供される作品数は絶対的に減少します。
> そうなると、気力・体力・時間・財力が大丈夫でも、どこかで供給源が途絶える恐れは確実にあるんですよね。


若者向けに提供されるコンテンツなんて、私が楽しんだことねえよ、とも思いますがね。
今期アニメだとかなんだとか、正直全く面白いと思えないので。
と言いつつ、SAOも俺ガイルは私の世代向けの作品ですし、90年代のラノベを読んでもあんまりだったりするので、やはりある程度は世代ボーナスを享受しているんでしょうね。

> > > > 「ネットde真実」というのは、
> > > > そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

> > > まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
> > > ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
> > > いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
> > > となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
> > > 今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)

> > いや、管理人さんが積極的に馬鹿にする意図を持っていないのは分かっていますよ。
> > そのうえで、やはり「ネットde真実」という言葉を使っているのが、
> > 無意識に相手の能力の低さを見下している根底を批判しているので。
> > 普通に陰謀論とかでいいんじゃないですかね。それでも十分伝わるでしょう。
> > ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?

> えっ!?
> 「ネットde真実」と「陰謀論」は、それぞれ全く異なる概念の単語でしょ!
> それらをイコールで結んじゃってるんですか?
>
> 「ネットde真実」とは、ネットの情報を鵜呑みにして信じてしまう行為であり、
> そこには、「学校では教えない○○」「マスコミが報じない××」という感じで、
> 既存の権威にマウントを取りたいが故に、却って踊らされてる人を、揶揄する意味合いも含まれ、
> そして当時は、「○○de××」という表現が、オシャレ系や意識高い系に流行っていたので、
> その辺りの人々の事も、同時に小馬鹿にする雰囲気も持つ言葉でした(笑)。
> 要するに、その人にとって信じたい情報こそが、ここでいう「真実」なのであり、
> それが「陰謀論」的な内容の場合もあるでしょうけど、それが全てでは無いって事ですね。
> また、ネットと陰謀論の親和性が高いのは確かですが、
> 陰謀論にハマる人が、必ずしもネット利用者とは限りませんし・・・・
>
> 結局、今回のやり取りで解ったのは、
> 「いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉」として、私は用いたものの、
> 旧トルコ担当さんの方は、それを「侮蔑的な言葉」という意味で認識をしていた為に、
> 互いにズレが生じたって事なのでしょうね。
> う〜ん、旧トルコ担当さんは、ニコニコ・ユーザーという事なので、
> 「これくらいのネット・スラングは説明不要だろう」と思い込んでいた、私のミスかも?
> とりあえず、今後は旧トルコ担当さんとの会話では、出来るだけ使用を避けるようにしますけど、
> 何だか、「片手落ち」が差別用語だと誤解され、放送禁止用語となった一件を思い出しました(笑)。
> (ちなみに片手落ちは、腕が1本しかない「片手・落ち」ではなく、片方に配慮が欠ける「片・手落ち」の意味)


いやあ、言葉の意味が変わるの承知ですけどね。
私の感覚としてはそれだけポリコレ配慮に対する許容度が高いということだと思いますよ。
話をすること自体を否定されることに比べれば、表現を変えることくらい、全然問題ないだろって思っちゃうのは、ポリコレに流されているんでしょうね。

> > その方が講義で言っていた、早ければ数年以内、遅くとも2030年までには、GAFAやそれに準ずるところが世界中の共通通貨を作り、
> > 既存の円やドルを無価値な古い通貨にする、という仄かに知的な香りのする陰謀論はちょっと好きです。

> これって、ただ単に「仮想通貨」や「電子マネー」の話なのでは?
> これの、どの辺りが「陰謀」なのでしょう?


早ければ数年以内、遅くとも2030年までには絶対に円やドルが淘汰される、というような感じで話されていましたので。
可能性としてはもちろんあるでしょうが、そんな急に円やドルを捨てるようなことってあるんですかね?
太平洋戦争レベルの大戦争や世界恐慌レベルの大恐慌でも起きれば別ですが。(と言いつつ、それが起きてもおかしくない時代ではありますが)

> いや本当、ネットの有る無しだけで、環境はかなり変わりますよ!!
> まあ、デジタル・ネイティブ世代からすると、ネットがあるのが当然で、
> どれほど自分たちが恵まれているのか、なかなか意識はしないでしょうけど、
> 試しに1週間でも1ヶ月でもネット絶ちする事で、その不便さは十二分に味わえるはずです。


ここ5年くらい、自分の中でもインターネットが無かった時代の感覚を思い出せなくなりつつあったのですが、
マリみて読んでると、あの時代の感じが思い出せましたね。

> それに、「事実上 女性しかいない」点を対象としているのであれば、
> なぜ「生まれ持った容姿で判断される女性」という話になるのでしょうか?
> 例えばソフトボールなども、大部分が女性のスポーツですけど、そこで容姿の話とか出てきます?
> 逆に言うと、「男子は野球&女子はソフト」「男子は応援団&女子はチア」みたいに棲み分けられてると、
> 「事実上 男性しかいない」競技も存在する訳ですが、男子選手に対する心苦しさも生じているのでしょうか?


心苦しく思う男性もいるかもしれ名からやめろ、というのが私とポリコレ過激派の主張ですね。
それが社会の大勢の価値観から逸脱しているのは分かっていますし、私の正義感で社会を正そうとは思いませんが。

> ちなみに、ここで一例として経済を持ち出したのは、それが重要というのも然る事ながら、
> 新自由主義な今の時代が、非常に経済至上的な社会になっており、
> そんな時代に育った今の若い世代の価値観も、無自覚に、それが浸透しているからですね。
> それこそ、「オタク文化と市場経済」の関係性などというのは、
> 20世紀育ちの古い世代の感覚からすると、とても疎遠であり、時には反発すらするモノでしたが、
> 21世紀育ちの今の世代の感覚からすれば、それはもう 凄く密接というか、一体化した感すらあり、
> その新感覚は、古い世代から見れば下品とも映る一方で、古い世代には無い強味であると言えます。
> 例えば一昔前までは、同人活動で金儲け行為は嫌悪の対象であり、同時に苦手な人が多かったですけど、
> 金を稼ぐ事で、同人活動も上手く回していければ、そこにマネタイズの好循環が生まれるみたいな感じで。
>
> 言うなれば、今のオタク文化そのものが既に、
> 古い世代からすると、充分に「俗世」的ですし、「嫌な面」も多いのですが、
> 今の世代からすると、もうそれが当たり前なので、そこに違和感は無いんでしょうね。


まあ、嫌な面も多いですよ。
今期のアニメだとか何だとか、騒いでる人たち(偏見)は大っ嫌いですし、アニメビジネスも嫌いなものが多いですね。
自分とは関係ないと思っているので。

まあでも、特撮界を見れば、経済的に利益を生まないオタクコンテンツの悲しさが伝わってきますし、
アニメで騒ぐ人たちのおかげでたくさんのアニメがあるので、そこに文句をつけるのはぜいたくな悩みというものですよ。

> > > 先週末、たまたま本屋の新書コーナーで、
> > > 「これは旧トルコ担当さん向きかな?」という1冊を発見(笑)。
> > > ちょうど、ここでも話題にしていた、近年の「知識(教養)」観の変化を扱った本で、
> > > 実例ではホリエモンも頻繁に取り上げられてましたから、一応オススメしておきますね。
> > > 「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」
> > > https://www.amazon.co.jp/dp/4087212335

> > 『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』感想
> > 本の主張自体には新規性があまりなく、面白くなかったです。ファスト教養が薄っぺらいのなんて、今さらでしょう。
> > ただ、その補足として出てくる引用や、ファスト教養本が出てくるまでの詳細な時代の流れの解説は非常に面白かったです。一気読みしました。
> > 小泉改革時代の雰囲気とか知れて勉強になりましたね。

> 「10分で答えが欲しい人たち」という副題に、イメージを引っ張られてますかねえ?
> ああいうのはYahooトピックとかと同じで、著者ではなく編集側で、売れそうなタイトルを付けるので、
> 基本的には前述の通り、「近年の知識(教養)観の変化」が、この本のテーマだと思いますし、


あっそうなんですね。

> > 後は実は、ウクライナ戦争の影響というのもあるんですよね。
> ちなみに、旧トルコ担当さんの年齢的には、
> 12年前の「東日本大震災の影響」って、どの程度なのでしょう?
> あれは遠く離れたウクライナの事ではなく、まさしく我々が当事者である日本の事でしたし、
> 天災と人災の違いがあるとは言え、2万人もの死者と数十万人の避難者を生み、町の多くも破壊されましたからねえ。
> まあ逆に言うと、今の小中学生とかは、東日本大震災すら「歴史」な世代なので、
> いろいろと見え方や感じ方が違ってくるのは、容易に想像できますけど。


そんなに私や私の世代にとっての東日本大震災を客観視できるほどの視点は持っていませんが、
ただ1年くらい前にこの掲示板の会話がきっかけで東日本大震災のWikipediaページhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BDを見たときは、
震災の写真にふと懐かしさを感じてしまいました。

> > やはり人口1億の国と人口4000万の国の全面戦争が始まったというのは、これまでの紛争や内戦より1レベル大きい戦争ですし。
> と言いますか、白人(欧米人)同士の戦争であるから、これだけ注目度が高いのでは?
> (ロシアが核保有国である事も大きいですが、NATO参戦がない限り、核使用の可能性は低いので)
> それこそ、ウクライナからそこまで離れている訳ではないアラビア半島でも、
> 人口3300万のイエメンで内戦が起こり、そこに人口3600万の隣国サウジアラビアが荷担していて・・・と言うか、
> アラブの春で起きたイエメンのクーデターに対して、サウジが軍事介入して潰しに掛かった事で、内戦が激化し、
> ウクライナの数十倍という民間人の死者を生む戦争が、現在進行形で起きているんですけどね・・・・


イエメン内戦に関しては関心を払わない日本人が、ヨーロッパ人が巻き込まれたとなると大騒ぎするのは、やはり腹が立ちますね。
ポーランドはじめ、欧州はロシアの軍事力の脅威を感じているので、ウクライナにイエメン以上の大きな関心を持つのは仕方ないですが、
日本人にとってはイエメンもウクライナも遠い国の話である分、中立的に見ることが可能だと思うんですけどね。
太平洋戦争を経験した日本だからこそ、平和に関してはもっとアンテナを張っても良いと思うのですが。

と書きつつ、恥ずかしながらイエメンの人口を数百万単位だと思っていました。
確認したら赤い嵐現代版でも2000万になっていましたね。
偉そうなこと言っておきながら、無学を恥じます。

> > NHK:運動部に異変!?下がる入部率、あなたの都道府県は? https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221226/k10013920681000.html
> > の記事によれば、運動部に入る生徒が減少しており、代わりにスポーツクラブに参加する生徒が増えているらしいですが、
> > 今までの画一的な人生のあり方が崩壊する流れというのは、部活にも及んでいるようです
> > 新入社員教育も、部活もコロナで大きく影響を受けていますし、
> > 「アフターコロナは全然違う社会になる」というのは、私にもちょっと理解できたかもしれません(今さらですが)

> う〜ん、その認識はちょっと違うかな?
> と言いますか、旧トルコ担当さん自身が、都合良く解釈している部分もありそう・・・・
>
> まずは部活動ですが、一昔前のような「強制入部」の仕組みが無くなれば、
> 当然ながら、部活に入る人の割合は減るでしょうし、
> そもそも少子化の時代ですから、部活に入る子供の絶対数は減ります。
> ですけど、野球なら最低でも9人、サッカーなら最低でも11人が必要なのは変わらず、
> 子供の絶対数の減少が、団体スポーツに与える影響は大きいですね。
> 逆に言うと、例えば卓球など、今までは人気薄だった個人スポーツの部員は、意外と増えていたりします。
>
> また、スポーツクラブに参加する事も増えているのは確かでしょうけど、
> そもそも論として、部活制度で上手く回っていた日本では、元々のスポーツクラブ数が少なく、
> スポーツクラブが増え、部活が減ったと言っても、実数で比べたならば、如実に差があるはずです。
> そして、今では少子化の影響や、顧問を任せられる教員の負担軽減で、選べる部活の数自体も減っており、
> 「クラブに入らなければ、好きなスポーツもできない」状況へと、変化している意味合いもあるです。
> しかも、クラブは部活と違って営利事業であり、部活よりも優れた環境を提供される反面、
> それ相応に費用も要しますから、結局の所、経済的に余裕のある家庭の子供しか利用しにくかったします。
>
> 例えば、野球のキャッチボールなんて、
> 一昔前までは、兄弟やクラスメイト、近所の子供たちと、遊びの中で自然と身に付けましたけど、
> 今では、公園はどこも球技禁止で、騒ぐな何だと外遊びできる場所が消える一方、
> 子供たちの絶対数も減っている上、放課後に外で一緒に遊ぶ機会も減っている状況ですから、
> クラブに入り、そこでキャッチボールを覚えるというケースが、非常に増えているらしいです。
> それこそ海外だと、ハングリーな環境から、スポーツで成り上がるようなイメージの人も多いですが、
> しかし現実は、恵まれた家庭の子供が、優れた環境でスポーツを覚え、
> 恵まれない家庭の子供は、そもそもスポーツする機会が乏しい・・・という時代になりつつあるんです。
> 部活はクラブより質が低い問題点はありますけど、機会の豊富さは非常に大きなメリットだと言えますし、
> 「格差が広がった」事を見て、安易に「画一的な人生のあり方が崩壊」と評価して良いものか?


キャッチボールもお金を払う時代になっているんですね。これは驚きでした。
スポーツも器楽みたいな、どちらかというとお金持ちの遊び、みたいになるんでしょうかね。


[24120] 勝手ながら拝見させてもらってます返信 削除
2023/1/15 (日) 16:11:25 豆乳

長文なので把握しきれてませんが、管理人さんと旧トルコ担当さんの会話を見させてもらってます。

細かい用語とかは分からなかったりしますが、旧トルコ担当さんに共感できる部分が多いです。
管理人さんの発言は「なるほど」と思うところもありますが、逆に(自分視点で)ズレてるように感じるところもそれなりにあります。

雑談としていろいろ話を深めているのを見るのはほほえましいしうらやましいのですが、
ただ、何というか管理人さんの圧が強そうで旧トルコ担当さんの肩身がせまそうに見えるのがちょっと惜しい感じが。

もし余裕があれば(自分が今余裕が少ないのできついですが)、自分も管理人さんと旧トルコ担当さんの話に加わりたいという思いがあります。

今のところこちらからの一方的な要望だと思いますが、こういう人がいるよと認識して頂ければありがたいです。

横槍すみません。


[24121] Re:勝手ながら拝見させてもらってます返信 削除
2023/1/17 (火) 07:00:14 旧トルコ担当

▼ 豆乳さん
> 長文なので把握しきれてませんが、管理人さんと旧トルコ担当さんの会話を見させてもらってます。
>
> 細かい用語とかは分からなかったりしますが、旧トルコ担当さんに共感できる部分が多いです。
> 管理人さんの発言は「なるほど」と思うところもありますが、逆に(自分視点で)ズレてるように感じるところもそれなりにあります。
>
> 雑談としていろいろ話を深めているのを見るのはほほえましいしうらやましいのですが、
> ただ、何というか管理人さんの圧が強そうで旧トルコ担当さんの肩身がせまそうに見えるのがちょっと惜しい感じが。
>
> もし余裕があれば(自分が今余裕が少ないのできついですが)、自分も管理人さんと旧トルコ担当さんの話に加わりたいという思いがあります。
>
> 今のところこちらからの一方的な要望だと思いますが、こういう人がいるよと認識して頂ければありがたいです。
>
> 横槍すみません。


こうして第三者がみる掲示板に書いていますので、横から返信していただいても全然問題ないですよ。
あまり人に見せられるようなちゃんとした文章ではないので、読んでいますといわれると、正直恥ずかしくもありますがw

オタクの相手を無視した一方的な話なので、意味不明な点もあると思いますし、用語など分からない点挙げていただければ、簡単な説明くらいはできますので、
もし知りたいというものあれば、返信もできます。


[24124] Re2:勝手ながら拝見させてもらってます返信 削除
2023/1/18 (水) 20:31:20 徳翁導誉

> > 長文なので把握しきれてませんが、管理人さんと旧トルコ担当さんの会話を見させてもらってます。
> > 細かい用語とかは分からなかったりしますが、旧トルコ担当さんに共感できる部分が多いです。
> > 管理人さんの発言は「なるほど」と思うところもありますが、
> > 逆に(自分視点で)ズレてるように感じるところもそれなりにあります。

まあ、それはあるかと思いますよ(笑)。
正直な所、豆乳さんと旧トルコ担当さんは「似たタイプ」という認識で私は居ますし、
更に言うと、同じ視点同士で同意ばかりを語っても、私はあまり面白く感じないタイプなので、
敢えて「異なる(ズレてる)」箇所を、話題として扱うケースが多いですからねえ。
恐らく、波風を立てない「いいね!」文化の昨今においては、かなり異質な対応であるのも事実かと。

> > 雑談としていろいろ話を深めているのを見るのはほほえましいしうらやましいのですが、
> > ただ、何というか管理人さんの圧が強そうで旧トルコ担当さんの肩身がせまそうに見えるのがちょっと惜しい感じが。

私の発言を「圧が強い」と感じるという話は、以前に豆乳さん自身も されてましたね。
実際、圧を掛けようという思いは、微塵も無いのですが、
ですが一方で、そう感じるだろうなというのも、何となくは解るんです。
私は私で、引く事なく応じているので(笑)。
って、この表現だと解り難いでしょうから、もう少し突っ込んだ言い方をすると、
相手が押してくれば、私も押し返す感覚に近いのかな?

更に解りやすく言うと、無自覚に自己主張が強いというか、
自分の見方でしか語らない(もしくは 語れない)人に対して、
「こういう見方もあるでしょ」「ああいう見方もあるでしょ」と、繰り返し指摘するような感じで、
それは別に、見方や意見を変えさせようとしているのではなく、
異なる存在を気付かせようとしているのに、近いかも知れません。
でもまあ、それが余計なお節介である事も、相手にとって心地良い事では無いのも理解してますし、
その一方で、私の方も得どころか損するような事であるのは解ってますけど、
これも他生の縁という事で、何かの役に立てばと、敢えて行っている部分もあるんですよね。
それに、あれこれ説明を変えながら話し続けると、そのうち伝わる事もありますので(笑)。
(逆に言うと、全く伝わらないままであれば、そこまで しつこく同じ話を繰り返さないかも?)

あと、「言論の自由」を重んじる私としては、あくまでも立場は対等のつもりでいますけど、
とは言え、現実的に、ここは私が運営するサイトの掲示板ではある為、
どうしても、発言に気を使ってしまう方というのは、居られるのも確かかと・・・・
そこは結局、そうした自由な空気感を上手く作れていない、私の不徳の致す所でもあるのですが。

> > もし余裕があれば(自分が今余裕が少ないのできついですが)、
> > 自分も管理人さんと旧トルコ担当さんの話に加わりたいという思いがあります。
> > 今のところこちらからの一方的な要望だと思いますが、こういう人がいるよと認識して頂ければありがたいです。
> > 横槍すみません。

> こうして第三者がみる掲示板に書いていますので、横から返信していただいても全然問題ないですよ。
> あまり人に見せられるようなちゃんとした文章ではないので、読んでいますといわれると、正直恥ずかしくもありますがw
> オタクの相手を無視した一方的な話なので、意味不明な点もあると思いますし、
> 用語など分からない点挙げていただければ、簡単な説明くらいはできますので、
> もし知りたいというものあれば、返信もできます。

上述したように、豆乳さんと旧トルコ担当さんは「似たタイプ」だと思うので、
共通の話題さえあれば、会話としては合うのでは?というのは、以前より感じていた事ではあるので、
却って私抜きで2人の方が、話としては盛り上がるかも知れませんよ(笑)。
この掲示板が活発に利用されてた頃は、私抜きで話が進む事も、別に珍しくは無かったですし。

また、私が掲示板方式に拘るのは、横レスも含めて、
話が深まる、昔ながらのネット文化を愛するが故ですからね(笑)。


[24126] Re3:勝手ながら拝見させてもらってます返信 削除
2023/1/19 (木) 12:43:11 豆乳

▼ 旧トルコ担当さん
>こうして第三者がみる掲示板に書いていますので、横から返信していただいても全然問題ないですよ。
>あまり人に見せられるようなちゃんとした文章ではないので、読んでいますといわれると、正直恥ずかしくもありますがw
>オタクの相手を無視した一方的な話なので、意味不明な点もあると思いますし、用語など分からない点挙げていただければ、簡単な説明くらいはできますので、
>もし知りたいというものあれば、返信もできます。

ありがとうございます。
過去の内容をさかのぼって聞くのはこちらが今聞きたい点を整理するのにリソースを使うのが難しいのですみませんがいま書けません。
あと他人に見せる用ではないというのは意味分かりますしそれはこちらが申し訳ないのですが、こちらから見るとしっかり文章になっています、
管理人さんとはどうやらうまくかみ合ってなさそうには感じますが、どっちが悪いとかではなく相性のような気がしています。

あと、勝手ながらサイトも見させていただきました、自分のよりクオリティ高い。
こっちも頑張ろうと思います。

▼管理人さん
>> > 長文なので把握しきれてませんが、管理人さんと旧トルコ担当さんの会話を見させてもらってます。
>> > 細かい用語とかは分からなかったりしますが、旧トルコ担当さんに共感できる部分が多いです。
>> > 管理人さんの発言は「なるほど」と思うところもありますが、
>> > 逆に(自分視点で)ズレてるように感じるところもそれなりにあります。
>まあ、それはあるかと思いますよ(笑)。
>正直な所、豆乳さんと旧トルコ担当さんは「似たタイプ」という認識で私は居ますし、
>更に言うと、同じ視点同士で同意ばかりを語っても、私はあまり面白く感じないタイプなので、
>敢えて「異なる(ズレてる)」箇所を、話題として扱うケースが多いですからねえ。
>恐らく、波風を立てない「いいね!」文化の昨今においては、かなり異質な対応であるのも事実かと。

なるほど、意図は完全でないにしろ意味が分かりました。
自分も波風を立てないのが軸だと思っていて、管理人さんの対応が異質に見えますが、意図的だったんですね。
あと、ズレてると表現したのは、意見が異なるというよりは、文脈的に論点が異なるように見えるところを指したつもりです。

>> > 雑談としていろいろ話を深めているのを見るのはほほえましいしうらやましいのですが、
>> > ただ、何というか管理人さんの圧が強そうで旧トルコ担当さんの肩身がせまそうに見えるのがちょっと惜しい感じが。
>私の発言を「圧が強い」と感じるという話は、以前に豆乳さん自身も されてましたね。
>実際、圧を掛けようという思いは、微塵も無いのですが、
>ですが一方で、そう感じるだろうなというのも、何となくは解るんです。
>私は私で、引く事なく応じているので(笑)。
>って、この表現だと解り難いでしょうから、もう少し突っ込んだ言い方をすると、
>相手が押してくれば、私も押し返す感覚に近いのかな?

相手が押してくれば私も押し返す、自分もそうだなと思います。
管理人さんが圧強く感じるので、自分も他の人への発言と比べて管理人さんへの言い方は強くなっている自覚があります。
お互いそう思ってエスカレートしてるってことなんでしょうか。
とは言っても、自分向けてなくても管理人さんの方が圧強く感じることが自分目線で多いです。

>更に解りやすく言うと、無自覚に自己主張が強いというか、
>自分の見方でしか語らない(もしくは 語れない)人に対して、
>「こういう見方もあるでしょ」「ああいう見方もあるでしょ」と、繰り返し指摘するような感じで、
>それは別に、見方や意見を変えさせようとしているのではなく、
>異なる存在を気付かせようとしているのに、近いかも知れません。
>でもまあ、それが余計なお節介である事も、相手にとって心地良い事では無いのも理解してますし、
>その一方で、私の方も得どころか損するような事であるのは解ってますけど、
>これも他生の縁という事で、何かの役に立てばと、敢えて行っている部分もあるんですよね。
>それに、あれこれ説明を変えながら話し続けると、そのうち伝わる事もありますので(笑)。
>(逆に言うと、全く伝わらないままであれば、そこまで しつこく同じ話を繰り返さないかも?)

"「こういう見方もあるでしょ」「ああいう見方もあるでしょ」と、繰り返し指摘するような感じで"の所であぁ・・と思いました。
管理人さんの感性だったら指摘するんだろうなと思うので、こちらも言ってみますが、
違う見方を指摘、では相手になかなか伝わらないだろうと思います。
相手に伝えようと思ったら、相手に意味を理解してもらう、さらに相手に意見を変えてほしかったら、相手と合意する必要があると自分は思うのです。
で、そのために相手が何故そう思うかを聞くのが第一歩だと思うのですが、管理人さんは自身からの発信が強く、聞く傾向が少なく感じます。
それでは、「そう思う人もいるんだな」止まりでもおかしくないと思います。
そして、発信が強く聞く傾向が少なく寄り添ってない指摘が多い、というのが自分が管理人さんに対して圧が強く感じる大きな要因だと思ってます。
・・と一方的に近い感じで書いてしまいましたが、自分も色々あると思います、自分も指摘あれば欲しいです。

>あと、「言論の自由」を重んじる私としては、あくまでも立場は対等のつもりでいますけど、
>とは言え、現実的に、ここは私が運営するサイトの掲示板ではある為、
>どうしても、発言に気を使ってしまう方というのは、居られるのも確かかと・・・・
>そこは結局、そうした自由な空気感を上手く作れていない、私の不徳の致す所でもあるのですが。

まあ、対等にはなってませんね・・。
そして、対等ではないこと自体に不満はあるけど文句は言えない、というのも以前の自分はさらに不満蓄積要素でしたね。
今は上記で管理人さん的にはそれは望んでないということで理解し、また上で吐き出したので(自分は)楽です。
ただ管理人さん相手といえどもしんどい内容の可能性はあるので管理人さんにも悪い影響にならなければ、というところです。

>> > もし余裕があれば(自分が今余裕が少ないのできついですが)、
>> > 自分も管理人さんと旧トルコ担当さんの話に加わりたいという思いがあります。
>> > 今のところこちらからの一方的な要望だと思いますが、こういう人がいるよと認識して頂ければありがたいです。
>> > 横槍すみません。
>> こうして第三者がみる掲示板に書いていますので、横から返信していただいても全然問題ないですよ。
>> あまり人に見せられるようなちゃんとした文章ではないので、読んでいますといわれると、正直恥ずかしくもありますがw
>> オタクの相手を無視した一方的な話なので、意味不明な点もあると思いますし、
>> 用語など分からない点挙げていただければ、簡単な説明くらいはできますので、
>> もし知りたいというものあれば、返信もできます。
>上述したように、豆乳さんと旧トルコ担当さんは「似たタイプ」だと思うので、
>共通の話題さえあれば、会話としては合うのでは?というのは、以前より感じていた事ではあるので、
>却って私抜きで2人の方が、話としては盛り上がるかも知れませんよ(笑)。
>この掲示板が活発に利用されてた頃は、私抜きで話が進む事も、別に珍しくは無かったですし。

確かに余裕があれば旧トルコ担当さんとの会話もこちらはアリです。
ただ今はその時間的な余裕がちょっとしんどい 泣

>また、私が掲示板方式に拘るのは、横レスも含めて、
>話が深まる、昔ながらのネット文化を愛するが故ですからね(笑)。

昔ながら、というのが具体的なイメージが湧きませんが、深い交流ができるところがあるのは嬉しいというのは思います。
とはいっても全てそれというよりはバリエーションがあるのがより良い感じがしますね。
ちょっと違う話になりますが、「掲示板方式」以外の方式が例えばどういうのがあるのか気になります。


[24131] Re4:勝手ながら拝見させてもらってます返信 削除
2023/1/24 (火) 21:13:42 徳翁導誉

> > 上述したように、豆乳さんと旧トルコ担当さんは「似たタイプ」だと思うので、
> > 共通の話題さえあれば、会話としては合うのでは?というのは、以前より感じていた事ではあるので、
> > 却って私抜きで2人の方が、話としては盛り上がるかも知れませんよ(笑)。

> 確かに余裕があれば旧トルコ担当さんとの会話もこちらはアリです。
> ただ今はその時間的な余裕がちょっとしんどい 泣

う〜ん、半分くらい返信を書いた所で、ふと思ったのですが、
それほど余裕が無く、しんどい状態であるのなら、
私が良かれと思って行う直言の返信も、豆乳さんには却って負担となるでしょうし、
豆乳さんが同じく返信を返すなら、私によりも、旧トルコ担当さんへの方が良いのかも?

という事で、旧トルコ担当さんからの、こうした話の振り↓もあった訳なので、
「意味不明な点もあると思いますし、用語など分からない点挙げていただければ、簡単な説明くらいはできますので」
とりあえず今回は、私からの返信は敢えてストップしてみようかと思います(笑)。


[24134] >管理人さんへ返信 削除
2023/1/25 (水) 15:26:50 豆乳

うーーん、突っ込みたいところが多すぎて、伝わってない気がして・・

良かれと思ってマイルドに伝えようと努力しているというのが伝わっているとしたら、それで今は満足するべきなのかな。

あまり書きたいことではないですが、管理人さんの文章は消沈と憤慨が混ざったような感情になります・・。
一歩引いて考えたら相性の問題ならお互いなのだろうかとは思ったりもしますが・・。


[24139] Re:>管理人さんへ返信 削除
2023/1/31 (火) 20:56:44 徳翁導誉

> うーーん、突っ込みたいところが多すぎて、伝わってない気がして・・
> 良かれと思ってマイルドに伝えようと努力しているというのが伝わっているとしたら、それで今は満足するべきなのかな。

恐らく、豆乳さんが想定されているよりも ずっと、私には「伝わっている」んですよ。
ただ一方で、豆乳さんが想定している返答が、私からは返ってこないので、
なかなか「伝わってない」ような印象を受けるんだと思います。
私がよく使う表現ですけど、「理解」と「賛同」は必ずしもイコールでは無いので。

> あまり書きたいことではないですが、管理人さんの文章は消沈と憤慨が混ざったような感情になります・・。
> 一歩引いて考えたら相性の問題ならお互いなのだろうかとは思ったりもしますが・・。

正直な所、「そういう感情だろうな」というのは、以前より理解しています。
ハッキリ言ってしまえば、私も一応は大人なので、
会話のキャッチボールが上手く行かなかったり、自分なりの答えが固まっている相手に対して、
「何 言ってんだ、こいつ」と、まともに相手しない事もできますし、
「あ〜、はいはい。そうだね」と、適当に あしらう事もできますし、
「そうそう、大変だよね」と、上手く共感してみせる事もできますよ。
と言いますか、面倒事を嫌うリアルな対応だと、そうする大人が大多数かも知れません。
でも、そうやって波風を立たせず済ます事が、相手にとって本当に良い事なんですかねえ?

とは言え、その辺りの匙加減が下手だよな、という自覚もあるんです(笑)。
これが保護者とかの立場であれば、もっと しっかり寄り添いもしますけども、
さすがに この場で、その人だけを特別扱いするような事は出来ませんし、
だからと言って、自分が損するからと言って、気付いているのに見放す事も出来ないと。

であるなら、「甘さ7:厳しさ3」くらいした方が、話を聞いて貰えるのも解っていますが、
私自身、中身のない賞賛よりも、中身のある批判の方が、遥かに嬉しいタイプの人間なので、
心なく褒めるのが苦手というか、それをやろうとすると、お仕事モードになっちゃいますし(苦笑)、
素の状態で真剣に相手に向き合うと、だいたいは「甘さ3:厳しさ7」くらいに落ち着くんですよね。
でも これだと、人によっては厳しさばかりが気になるでしょうし、
損を覚悟で、敢えて指摘している「優しさ」は、まず気付かれる事が無いと(泣)。
逆に言うと、それが気付いて貰える相手なら、以心伝心というか、
会話のキャッチボールが成り立つので、私の方もそんなにキツく言わなくなりますから。

で、私と豆乳さんだと多分、最も適しているのは、こうした雑談形式よりも、
「一緒に何か作りましょうよ!」と、役割分担した上で共同作業したりじゃないですかねえ?
まあ、それが出来たら面白そうな反面、現実的な労力を考えたら難しいでしょうけど(笑)。


[24145] Re2:>管理人さんへ返信 削除
2023/2/2 (木) 20:06:15 豆乳

今までより少し管理人さんの考えていることが分かった気がします。
今回の返信はいつもより考えて書いたのだろうと思いましたし、自分も少し理解が進んだので、モヤモヤ感は少ないです。

お互い似た者同士となら楽に意思疎通できるのに似た者同士じゃないからかなかなか伝わらない、
というのが根底にあるということだろうなと理解しました。

細かく返信を付けたい気持ちもあるのですが、一旦そちらは保留させて下さい。
今は旧トルコ担当さんが辛そうなのが気がかりです。

ここの会話に脇から発言したのは、旧トルコ担当さんが遜り続けているのに管理人さんが遜る兆しがないのが大丈夫じゃなく見えたからで、
以前からそう思ってはいましたが耐えかねて書いた、という状況なのですが、
管理人さんがどう思ってこういう対応を続けているのか理解しかねています。
自分としては、管理人さんがもっと柔らかい対応をすれば意思疎通がスムーズになり旧トルコ担当さんももっと楽に話せるだろうと思っているので、
そうすれば良いのにと思っていました。
旧トルコ担当さんへの管理人さんの対応の意図を自分が聞くのは少々変かもしれませんが、自分としては管理人さんの意図を聞きたいです。


[24149] Re3:>管理人さんへ返信 削除
2023/2/8 (水) 19:36:13 徳翁導誉

> 今回の返信はいつもより考えて書いたのだろうと思いましたし、
いや、スタンス的には、いつもと全く変わりませんよ!!
多分、あまり感じ取ってはもらえないかと思いますけど、
私的には、普段から常に、滅茶苦茶 気を使って返信を書いていますからね。

> ここの会話に脇から発言したのは、旧トルコ担当さんが遜り続けているのに
> 管理人さんが遜る兆しがないのが大丈夫じゃなく見えたからで、
> 以前からそう思ってはいましたが耐えかねて書いた、という状況なのですが、
> 管理人さんがどう思ってこういう対応を続けているのか理解しかねています。

簡単に言ってしまえば、恐らく、
私が「間違っている」と感じる主張を、相手側が繰り返し「断言」してきた場合、
折れずに反論し続ける私の態度が、豆乳さんには そのように映るのでは?

「誤った主張の断言」というのは、もちろん私の感じ方で、当人的には無自覚なのでしょうが、
私の側からすると、既にそれ自体が「非常に圧が強い」行為ですし、
そこに「歩み寄れ」と言われるのは、「間違ってると思っても同調しろ」と強要されてる感覚に近いですね。
口調の問題ではありません、重要なのは主張の中身の方なんです!!
しかも、ここは私のサイトですから、これは人質を取られているようなモノで、私の方に逃げ場がありません。
これは豆乳さんや旧トルコ担当さんの事ではありませんが、そうした「心ない言動」に耐えかねて、
サイトの閉鎖を本気で考えた事も、1度や2度じゃ無かったりします・・・・
正直な所、恐らく感じ取れてないでしょうけど、私の方にも凄くストレスが掛かってるんですよ。

それと今回の件で言うと、私から見た場合、
ここが旧トルコ担当さんにとって、人生における1つのターニング・ポイントだと感じるので、
キツいだろう事は解りますけど、敢えて直言している面が強いですからねえ。
逆に言えば、豆乳さんからすると、「辛そうだから止めてあげれば」って感じに映るのかな?
でもまあ、これは最終的に、旧トルコ担当さんが判断すべき事柄だろうとは思いますけども。

> 自分としては、管理人さんがもっと柔らかい対応をすれば
> 意思疎通がスムーズになり旧トルコ担当さんももっと楽に話せるだろうと思っているので、
> そうすれば良いのにと思っていました。
> 旧トルコ担当さんへの管理人さんの対応の意図を自分が聞くのは少々変かもしれませんが、
> 自分としては管理人さんの意図を聞きたいです。

例えば、どこの やり取りの箇所でしょうか?
具体的に指摘して戴ければ、その意図を詳しく解説できると思いますよ。

言い換えるなら、その他の方との やり取りを見比べてもらえば、解るかも知れませんけど、
私だって常に厳しい対応をしている訳では無いはず・・・と言いますか、
基本的に最初は、柔らかい対応を心掛けてるつもりです。
逆に言うと、もしも そこから厳しい対応に転じたとすれば、
そのようにした理由があるって事なんですよね、少なくとも私の方には。


[24152] Re4:>管理人さんへ返信 削除
2023/2/8 (水) 22:06:46 豆乳

(具体的な文言への返信は後で書きます)

考えましたが、
自分と管理人さんで考えた場合、
管理人さんは「(人生の先輩として)教えてあげよう」という方向で、
自分は「(対等に)話し合おう」という方向で考えているようであると思いました。(若干誇張表現)
そして、柔らかい対応の基準が結構違うのもあるようです。
それが、元々の感性の違いと相まって、お互い「何言ってるんだコイツ」状態になっていたのだろうと思います。

今は一歩引いて意味が分かってきた(多分)ので、自分は不快ではありません。

管理人さんと旧トルコ担当さんの会話を自分視点で見た場合、
旧トルコ担当さんが突っ込むほどおかしいことをそんなに言っているように見えない、
言っている時でも旧トルコ担当さんが自覚してそう言っていると見える、というのと、
管理人さんもしばしば違うのではと思えることを言っているので、
意見が違うのはお互い様なのに旧トルコ担当さんは聞くことがある一方管理人さんが聞く感じにならない、
という不満がありました。

そして、自分目線、旧トルコ担当さんも管理人さんの「教えてあげよう」に不満があるように見えます。

結果、管理人さんの意図としては分からない訳ではないのですが、
自分目線、ではこの対応が良いものかと言われると違和感があるということを伝えたかったのです。

ただ、自分も介入してよかったかどうかは悩んでいます。


以下、2/10 21:15頃追記:

>私的には、普段から常に、滅茶苦茶 気を使って返信を書いていますからね。
なるほど、確かにそう見えていませんでした。

>「誤った主張の断言」というのは、もちろん私の感じ方で、当人的には無自覚なのでしょうが、
>私の側からすると、既にそれ自体が「非常に圧が強い」行為ですし、
>そこに「歩み寄れ」と言われるのは、「間違ってると思っても同調しろ」と強要されてる感覚に近いですね。
具体的なケースは今精査できてませんが、
では管理人さんのその意見が違うと感じた場合、どのようにすれば良いですか?

>口調の問題ではありません、重要なのは主張の中身の方なんです!!
そう言いたいのは分かりますが、実際どのような人がどのように言うかで、
主張の正当性を評価するのは当たり前だと思うのです。
ただ、残念ながらお互い評価が低いようなので、自分の意見では届かないかもしれないとは思ってます。

>例えば、どこの やり取りの箇所でしょうか?
>具体的に指摘して戴ければ、その意図を詳しく解説できると思いますよ。
その余力はないので今できませんが、
裏には適切な理由と思っている意図があるということは分かれば自分としてはとりあえず大丈夫です。

>逆に言うと、もしも そこから厳しい対応に転じたとすれば、
>そのようにした理由があるって事なんですよね、少なくとも私の方には。
厳しい対応が解決につながると思っているのならそれには疑問はあります。

とりあえず、管理人さんが厳しく指摘をしているのは自身もそうされたいと思っているからと思っていましたが、
そうでなさそうだと今は認識しました。

旧トルコ担当さんへの対応に疑問を持って書いたのから自分の話も出てしまいましたが、
あくまで自分目線ですが、管理人さんの対応に違和感があることを伝えたかったので、
ひとまずこれでこちらは締めようと思います。

今は大丈夫ですが、おそらく具体的に何かを話しあうとまたお互い負荷が高いと思うので、
雑談に関してはこれからしない方がお互いにとって良いと思っています。


[24156] Re5:>管理人さんへ返信 削除
2023/2/13 (月) 20:16:48

お久しぶりです。

横から見て少し気になってしまったのですが
管理人さんのスタンスとしては、相手の将来を考えて長期的には薬になるであろう提言を
短期的には毒になるかもしれない覚悟で行っていると判断したのですが
でしたら、このやり取りはもう十分なのではないかと感じます。
前者の長期的な薬の方は、「薬になるかもしれない」の可能性でしかなく
後者の毒の方は両者とも精神的負担を口にされているように、既に害になっているように思えます。

このままはどちらかに肉体的不調まで起きてしまえば
今回のやり取りが将来に何か良いものをもたらさなかった場合、ただ相手を「言葉で害した」という結果だけが残ってしまいます。

人間が変わるのに複数の条件が必要とすることも多々あることでしょうし
もう何らかのきっかけで発芽するくらいの種は蒔かれているように感じます。
それに所詮文章上のやりとりだけで相手の全てを知れるはずがない以上
薬の処方の仕方が、見えていない要因によって相応しくない可能性だってあります。
あくまで指摘は提起、提言の域に収まるべきではないかと思います。

そして表現を緩めたり退く気持ちが垣間見えるが、すでに手一杯に見える旧トルコ担当さんより
あえて厳しい態度を採っていると言っておられる管理人さん側の変化で、このやり取りは変えられるのではと感じています。

サイトを人質に取られている、とのことですが
管理人さんの考えと違う意見に厳しい態度を取らなかったからと言って、それがこのサイトの意見になるなんてことは普通はありませんし
心配ならその旨を書き加えればいいと思います。

精神的な負担を自覚してから、それが肉体的不調にまで現れる猶予は人それぞれです。
今後この掲示板でのやりとりで、健康を害する人が出ないことを祈ります。


[24165] 豆乳さん、弁さんへ返信 削除
2023/2/19 (日) 06:38:07 旧トルコ担当


わざわざ心配していいただいてありがとうございます。
私も心理的安全性第一の甘ちゃん世代なので、想像されているよりもずっと余裕はあると思います。
わずかなストレスに過剰反応しているだけかと。
ですので、あまり気になさらなくても良いと思われます。


[24166] Re:豆乳さん、弁さんへ返信 削除
2023/2/20 (月) 15:59:39 豆乳

▼ 旧トルコ担当さん
> わざわざ心配していいただいてありがとうございます。
> 私も心理的安全性第一の甘ちゃん世代なので、想像されているよりもずっと余裕はあると思います。
> わずかなストレスに過剰反応しているだけかと。
> ですので、あまり気になさらなくても良いと思われます。


分かりました。
自分は現在管理人さんが旧トルコ担当さんと長く話していたのを見て大変そうだなぁからの
自分が話していた時も他の方へも管理人さんがそういう対応だったなと思って今回、
管理人さんに伝えることを主眼に書いていました。
旧トルコ担当さんが大丈夫なら、そちらにも介入したのは出過ぎたかもしれません。

ただ管理人さんには立場上自分も言いづらいですし他の方も言いづらいと思うのですが、
それを押して伝えようとしていることが、認知すらスルーが多いようで、
変わることまでは酷だと思っていますが認知はして欲しいという思いがありました。
相手に相当負担をかけてる対応をしてきているのを違うんじゃないかと言いたかったのです。

自分が旧トルコ担当さんへの管理人さんの対応を見て違うんじゃと思ったのがきっかけでしたが、
旧トルコ担当さんにとって余計なことであったのなら、すみませんでした。


[24168] Re2:豆乳さん、弁さんへ返信 削除
2023/2/21 (火) 23:31:46 マンネルヘイム

▼ 豆乳さん
> ▼ 旧トルコ担当さん
> 分かりました。
> 自分は現在管理人さんが旧トルコ担当さんと長く話していたのを見て大変そうだなぁからの
> 自分が話していた時も他の方へも管理人さんがそういう対応だったなと思って今回、
> 管理人さんに伝えることを主眼に書いていました。
> 旧トルコ担当さんが大丈夫なら、そちらにも介入したのは出過ぎたかもしれません。
>
> ただ管理人さんには立場上自分も言いづらいですし他の方も言いづらいと思うのですが、
> それを押して伝えようとしていることが、認知すらスルーが多いようで、
> 変わることまでは酷だと思っていますが認知はして欲しいという思いがありました。
> 相手に相当負担をかけてる対応をしてきているのを違うんじゃないかと言いたかったのです。
>
> 自分が旧トルコ担当さんへの管理人さんの対応を見て違うんじゃと思ったのがきっかけでしたが、
> 旧トルコ担当さんにとって余計なことであったのなら、すみませんでした。

うーん、豆乳さんの言う事、全部には賛同できませんねー。

この掲示板のスタンスは基本的に「お互いに自由な事を書きましょう」ってことです。
そこから管理人様を抜くのはどうなのかなー。
管理人様が自由なレスをすると「相手に相当負担をかけてる対応」になるんですか?
別に返信しなきゃ良いだけじゃないです?実際、私いくつものスレッドをデータの海に沈めてきましたよ。(管理人様、すいません)

思うに、管理人様の長文を「相手に相当負担をかけてる対応」と感じてしまうのは、返信を義務と感じているからでは無いですかね?
それは違うかと。返信しない自由は常に手元にあります。管理人様だってそう言ってます。
それを行使すれば良いんですよ。それは不義理でも無いですし、いわゆる「論破された」ってやつでも無いです。
そう感じてしまうことはあるかもしれないですけど、それはこちらの内面で折り合いを付けるべき話でしょ?

「罪悪感や敗北感を覚えたくないから配慮しろ」って事になる訳で、それは「対等」とは程遠い要請じゃないかなぁ。
そんな接待を求めてレスする場所でも無いでしょう?

PS.弁さんの意見には概ね賛同します。
  ま、健康第一というやつです。色々道理はあると思いますけど、健康に勝るモノってそんなに無いでしょうし、ここまで来たらそっち優先でも良いんじゃないかなー。


[24170] Re3:豆乳さん、弁さんへ返信 削除
2023/2/24 (金) 20:54:00

▼ マンネルヘイムさん
> ▼ 豆乳さん
> > ▼ 旧トルコ担当さん

マンネルヘイムさんありがとうございます。

以前、類似のやりとりで体調を悪くしてしまった友人がいたもので
余計だったかもしれませんが書き込ませていただきました。

まとめると言いたいことは2つだけ
文章だけでも他人の健康を害することは本当に可能なので、それを念頭に置いてのやりとりであって欲しいということと
本人の自覚が大丈夫でも限界は突然来たりするものなので、旧トルコ担当さんも管理人さんも、あとは豆乳さんも
体調面を気をつけて欲しいです。


[24172] 弁さんへ返信 削除
2023/2/28 (火) 21:39:09 豆乳

文章の内容的に自分向けではない気もしますが、返信します。

> 文章だけでも他人の健康を害することは本当に可能なので、それを念頭に置いてのやりとりであって欲しいということと
自分も気を付けます。

自分では主張は妥当だと思っていますが一遍に言い過ぎたり言い方が良くなかったのだろうかと思うところもあります。
因果応報であるべきだと思っていますので、自分の対応がやりすぎだったら自分にも巡ってくることを望んでいます。

(管理人さんも見ると思って以下書いてます)
管理人さんに、(自分は本当は止める方向に変わってほしいのですが、それは過分だと思っているので)伝える必要はあると思って書いてます。
管理人さんとお互いに気をつけていることがあまり被っていないということだとしたら、管理人さんからも自分にも不満は多いのだと思います。
管理人さんも改善点を言われたい人だと思っていたので、多分こちらからの伝え方も少々強かったのでしょう。
でも、旧トルコ担当さんも言っていますが、されたくないことさえ相手にやっているように感じてしまい、
他に不満はありますがお互い様として、それだけは違うのではということは言わないといけないのではと思いました。
これは責めているのではなく、改善点なのではという思いがあるということです。
そう思って伝えること自体過分なことも多いのですが、管理人さんは他人に言う方なので管理人さんに言っていいと思っておりました。
ただ、管理人さんから反応がありませんね・・。

> 本人の自覚が大丈夫でも限界は突然来たりするものなので、旧トルコ担当さんも管理人さんも、あとは豆乳さんも
> 体調面を気をつけて欲しいです。

お気遣いありがとうございます。
自分からも弁さんや旧トルコ担当さんや管理人さんやマンネルヘイムさんやその他閲覧する方にも、そう思っています。

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