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[5433] 新作フラッシュ返信 削除
2008/2/18 (月) 21:32:16 R・グループ 〔HomePage

お世話になっております。
新作フラッシュを作りましたので宣伝に参りました。

「北清事変」
http://movie.geocities.jp/r_groop_zzz/12_Hokushin.html

世界史じゃなくて、これは日本史じゃないか。
というつっこみを戴きそうですが、
外交史という観点から創っていますのでご容赦ください。


[5447] Re:新作フラッシュ返信 削除
2008/2/19 (火) 19:26:47 徳翁導誉

> お世話になっております。
> 新作フラッシュを作りましたので宣伝に参りました。
>
> 「北清事変」
> http://movie.geocities.jp/r_groop_zzz/12_Hokushin.html
>
> 世界史じゃなくて、これは日本史じゃないか。
> というつっこみを戴きそうですが、
> 外交史という観点から創っていますのでご容赦ください。

おっ、新作ですか。
まあ日本史も世界史の一環ですし、
義和団事件ともなれば、日本史以上に世界史の範疇でしょうから、
特に問題は無いと思いますよ。
地図型リンク集の方にも貼っておきました。

ちなみに義和団事件に関しては、そのまま義和団ではないものの、
柴五郎を題材にしたFlashも構想内には有りました(笑)。
とは言っても、関連本を4〜5冊読んだ程度で、
Flash作品としては、全く手掛けてませんでしたけど。
会津落城と、それに続く斗南での苦労から始まり、
最後は大日本帝国の崩壊を目の当たりにしての自害ですからねえ。
林忠崇などと並び、個人的に気になる人物です。

ただ、柴五郎が主題ですと、
義和団事件はもっと薄い扱いになっていたでしょうし、
これで良かったのかも?(笑)
私の場合、あそこまで詳細に、戦いの内容に触れませんからねえ。
たまには、戦術展開にこだわった作品を作るのも面白いかも知れません。
そう言えば以前、「戦術の歴史」を題材にするのも面白そうって話をしましたね。


[5462] Re2:新作フラッシュ返信 削除
2008/2/19 (火) 22:58:15 物秦

並び、個人的に気になる人物です。
>
> ただ、柴五郎が主題ですと、
> 義和団事件はもっと薄い扱いになっていたでしょうし、
> これで良かったのかも?(笑)
> 私の場合、あそこまで詳細に、戦いの内容に触れませんからねえ。
> たまには、戦術展開にこだわった作品を作るのも面白いかも知れません。
> そう言えば以前、「戦術の歴史」を題材にするのも面白そうって話をしましたね。

戦術の歴史ですか・・・
 戦術だと商周革命から現代までやったら長編だ・・・
インダス川を基点に東洋と西洋に編分けしても辛いですかね?


[5483] 戦術の歴史返信 削除
2008/2/21 (木) 19:20:26 徳翁導誉

> > たまには、戦術展開にこだわった作品を作るのも面白いかも知れません。
> > そう言えば以前、「戦術の歴史」を題材にするのも面白そうって話をしましたね。

> 戦術の歴史ですか・・・
>  戦術だと商周革命から現代までやったら長編だ・・・
> インダス川を基点に東洋と西洋に編分けしても辛いですかね?

「戦術」というよりも、「戦闘教義」といった方が適当ですかねえ?
有史以来、数え切れない程の戦争があり、多くの名将を生み出しましたが、
戦い方が大きく変わるような戦術の変換点は、
実の所、そんなに多くはありません。

また、そうした「戦闘教義の変遷」という意味では、
私の知る限りに於いては、東洋はあまり、
西洋ほどのモノを残せていませんよね。
世界的に影響を与えたのはモンゴルくらいでしょうか?
用兵面なら韓信が凄いですけど、戦術に革命を起こした訳ではなく、
「孫子」にしても、戦術書と言うよりは戦略書ですからねえ。
ひょっとしたら、世界的な戦術史に名を残す東洋人の一番手となると、
あれほど大規模なゲリラ戦を行った毛沢東なのかも知れません。
って、ゲリラ戦まで行くと、戦略やら政治やらも絡んできて、
純粋に「戦術」として括れるか分かりませんが。


[5496] Re:戦術の歴史返信 削除
2008/2/21 (木) 20:52:33 物秦

> また、そうした「戦闘教義の変遷」という意味では、
> 私の知る限りに於いては、東洋はあまり、
> 西洋ほどのモノを残せていませんよね。
> 世界的に影響を与えたのはモンゴルくらいでしょうか?

 欧州は短期決戦思想が強かったからでは?
実際東洋(インダス川以東)では戦争で連敗してるのにその他で勝利してカバーするってのが多いです。
> 用兵面なら韓信が凄いですけど、戦術に革命を起こした訳ではなく、
> 「孫子」にしても、戦術書と言うよりは戦略書ですからねえ。

 実際中国で決戦って有りますか?一回の大戦即滅亡した勢力は少ない様な・・・
だから戦争に負けてもカバーできる戦略が発達したのでは?
持久戦の思想です。
日本も苛烈な戦国時代ですら決戦後即滅亡は厳島位です。
> ひょっとしたら、世界的な戦術史に名を残す東洋人の一番手となると、
> あれほど大規模なゲリラ戦を行った毛沢東なのかも知れません。

 ゲリラ戦だったら越南でナポレオン三世の仏軍を撃滅した劉永福将軍が先駆では?
密林地帯に敵軍を引き込こみ敵の大火力を封じて、鉄砲で狙い撃ち!
これの洗練晩が胡志明率いるベトミンですから・・・
> って、ゲリラ戦まで行くと、戦略やら政治やらも絡んできて、
> 純粋に「戦術」として括れるか分かりませんが。

ゲリラ戦自体ならば戦術では?
焦土作戦も戦術らしいので・・・


[5503] Re2:戦術の歴史返信 削除
2008/2/21 (木) 21:18:17 徳翁導誉

> > 用兵面なら韓信が凄いですけど、戦術に革命を起こした訳ではなく、
> > 「孫子」にしても、戦術書と言うよりは戦略書ですからねえ。

>  実際中国で決戦って有りますか?一回の大戦即滅亡した勢力は少ない様な・・・
> だから戦争に負けてもカバーできる戦略が発達したのでは?

それはある程度、西洋でも同じなのでは?
スペインやフランスなど、国家の枠組みが守られ続けてきた欧州に比べると、
中国の方が却って、戦争の勝敗結果が存続に占める割合も大きいような・・・・
ローマ教皇を動かして、政治的に決着させるなんて事も無いですし。
まあ、だからこそ、欧州のように分裂せず、
中国は1つであったんじゃないですかねえ?

> > ひょっとしたら、世界的な戦術史に名を残す東洋人の一番手となると、
> > あれほど大規模なゲリラ戦を行った毛沢東なのかも知れません。

>  ゲリラ戦だったら越南でナポレオン三世の仏軍を撃滅した劉永福将軍が先駆では?

いや、ゲリラ戦そのものは、
歴史的にも古くから行われていた戦い方ですが、
毛沢東が画期的だったのは、それを「あの規模」でやった事ではないかと。
それまでのゲリラ戦は大きくても、せいぜい地域単位でしたし。

> > って、ゲリラ戦まで行くと、戦略やら政治やらも絡んできて、
> > 純粋に「戦術」として括れるか分かりませんが。

> ゲリラ戦自体ならば戦術では?
> 焦土作戦も戦術らしいので・・・

しかし、レギオンやら、三兵戦術やらとは、
明らかに一線を画しますよねえ?
後方支援や住民の支持など、戦術外の事も無ければ行えないモノですし。


[5505] Re3:戦術の歴史返信 削除
2008/2/21 (木) 21:28:40 物秦

> それはある程度、西洋でも同じなのでは?
> スペインやフランスなど、国家の枠組みが守られ続けてきた欧州に比べると、
> 中国の方が却って、戦争の勝敗結果が存続に占める割合も大きいような・・・・
> ローマ教皇を動かして、政治的に決着させるなんて事も無いですし。
> まあ、だからこそ、欧州のように分裂せず、
> 中国は1つであったんじゃないですかねえ?

 欧州の基本情勢が中国の春秋時代で止まってると思われます。
覇者はでるけど統一者(欧州皇帝)はでない・・・
全盛のローマ帝国のゲルマニア攻略やナポレオン1世ロシア遠征が大成功していれば話は別だったのでしょうが・・・
> > > ひょっとしたら、世界的な戦術史に名を残す東洋人の一番手となると、
> > > あれほど大規模なゲリラ戦を行った毛沢東なのかも知れません。

> >  ゲリラ戦だったら越南でナポレオン三世の仏軍を撃滅した劉永福将軍が先駆では?

> いや、ゲリラ戦そのものは、
> 歴史的にも古くから行われていた戦い方ですが、
> 毛沢東が画期的だったのは、それを「あの規模」でやった事ではないかと。
> それまでのゲリラ戦は大きくても、せいぜい地域単位でしたし。

 一応「地域」なんですよね・・・唐土は広い
> > > って、ゲリラ戦まで行くと、戦略やら政治やらも絡んできて、
> > > 純粋に「戦術」として括れるか分かりませんが。

> > ゲリラ戦自体ならば戦術では?
> > 焦土作戦も戦術らしいので・・・

> しかし、レギオンやら、三兵戦術やらとは、
> 明らかに一線を画しますよねえ?
> 後方支援や住民の支持など、戦術外の事も無ければ行えないモノですし。

総力戦の戦術ですからね・・・


[5507] Re4:戦術の歴史返信 削除
2008/2/21 (木) 22:37:37 ルーキウス

▼ 物秦さん
> > それはある程度、西洋でも同じなのでは?
> > スペインやフランスなど、国家の枠組みが守られ続けてきた欧州に比べると、
> > 中国の方が却って、戦争の勝敗結果が存続に占める割合も大きいような・・・・
> > ローマ教皇を動かして、政治的に決着させるなんて事も無いですし。
> > まあ、だからこそ、欧州のように分裂せず、
> > 中国は1つであったんじゃないですかねえ?

>  欧州の基本情勢が中国の春秋時代で止まってると思われます。
> 覇者はでるけど統一者(欧州皇帝)はでない・・・
> 全盛のローマ帝国のゲルマニア攻略やナポレオン1世ロシア遠征が大成功していれば話は別だったのでしょうが・・・


今更ですが石原莞爾も戦争に関しては西洋のほうが発達したと考えています。
それにかんして、石原莞爾は物秦さんの指摘した点が原因だと本に書いています。
簡単に説明すると、東洋は中国が強大であり、北方民族に征服されたりもしたが、北方民族は中国の文化を尊重した。
民族意識も大きくはなかったし、土地も広大であったため、戦争の深刻さを緩和した。
しかし西洋は狭い土地に多数の強大な民族が存在したうえ、民族間の対立もあった。
そのため、戦争が発達したと。
つまり、西洋では同レベルの国家が狭い土地を巡り、
戦争を繰り返す状況が続いたため、発達した。
東洋では基本的に中国が強く、民族意識も低く、土地が広大であったため戦争の必要が薄れ、
あまり戦争は発達しなかった。
というのが、石原莞爾の意見です。


[5542] Re5:戦術の歴史返信 削除
2008/2/23 (土) 23:45:24 徳翁導誉

> >  欧州の基本情勢が中国の春秋時代で止まってると思われます。
> > 覇者はでるけど統一者(欧州皇帝)はでない・・・
> > 全盛のローマ帝国のゲルマニア攻略やナポレオン1世ロシア遠征が大成功していれば話は別だったのでしょうが・・・

う〜ん、それはどうしょう?
欧州は分裂しているのが常態であり、中国は統一されているのが常態であった。
それは一体どうしてかと問えば、
やはり「地形」の問題が大きいと思うんですよ。
海に囲まれ、複雑な地形を擁する欧州に比べると、
中国は比較的に平坦で、大きな障害は長江くらいですからねえ。

ですので、「春秋時代で止まってる」と言うか、
地形的な要因からそうなったんだと思うので、
欧州の場合、例え統一されても、それを維持できないんじゃないですかねえ?
だからこそ、以前おっしゃられていたような「決戦」は、中国の方こそ多かったのかと。
昆陽や[シ肥]水(ヒスイ)に該当するような戦いって、
欧州の歴史にはそんなに無いような気がします。

でもまあ、地形的要因により、
欧州が分裂し、中国が統一したのが、
歴史の「必然」であるとまでは言い切りませんけどね。
そう言った意味では、地形による「分裂・統一」の「必然性」と「偶然性」を語る上で、
分裂期以外で、四川に独立国が登場しなかったのは、
結構面白い議題だと思います。


> 今更ですが石原莞爾も戦争に関しては西洋のほうが発達したと考えています。
> それにかんして、石原莞爾は物秦さんの指摘した点が原因だと本に書いています。
> 簡単に説明すると、東洋は中国が強大であり、北方民族に征服されたりもしたが、北方民族は中国の文化を尊重した。
> 民族意識も大きくはなかったし、土地も広大であったため、戦争の深刻さを緩和した。
> しかし西洋は狭い土地に多数の強大な民族が存在したうえ、民族間の対立もあった。
> そのため、戦争が発達したと。

どれだけ場数を踏んで来たかって事ですよね。
それは外交面でも、よく見受けられると思います。
複数の国家が林立している欧州各国に比べると、
日本の外交力というのは、本当に御粗末な面が目立ちますよねえ・・・・
「欧州情勢は複雑怪奇」と言って、首相が辞めちゃうくらいですし。

それと、物理をやっていて感じさせられるのは、
やはり西洋人って、モノの考え方が凄く論理的なんですよね。
論理的である事が最良であるかどうかは別としても、
それでも、例えば微積分を取ってみても、
運動を変化で捉える所から始まった欧州に比べて、
日本の和算は、クイズ的に図形の面積を求める為に生まれましたからねえ。
数学的なセンスが同程度であったとしても、
そこから繋がるモノが、全く異なってくる訳です。

> つまり、西洋では同レベルの国家が狭い土地を巡り、
> 戦争を繰り返す状況が続いたため、発達した。
> 東洋では基本的に中国が強く、民族意識も低く、土地が広大であったため戦争の必要が薄れ、
> あまり戦争は発達しなかった。
> というのが、石原莞爾の意見です。

そうした面でも、地理的な要因が大きかったように思います。
中国の場合、地形が平坦であったが為に、
複数の国家が併存しづらく、その分、統一されやすかった。
そうして、統一の為に民族的な混融が進み、民族意識までも混ざり合った。

とは言え、近現代の民族主義的な民族意識に関しては、
発生までの誤差が数十年程度あるだけで、中身はそこまで大差無いように思います。
まあ、石原莞爾が生きた時代は丁度、
その「誤差ある数十年」の時期だったですけど。
実際に石原の中国人観も、コロコロと変わってますからねえ。

あと、「土地が広大」と言う点が上げられていますが、
広大な土地は、膨大な人口を抱えている訳で、
「人口密度」として捉えた場合は、どうなんでしょうかねえ?
また、遊牧民の住む北方となりますと、
土地があっても、生産力が低いですからねえ。
ここで出てくるのが、第二の地理的要因です。

中国とモンゴルを結んだ東アジアが、「南北」から成るのに対して、
欧州というのは、西欧と東欧の「東西」から成るんですよねえ。
南北か?東西か?と言うのは、結構違いがあり、
同じ1000km離れた土地でも、東西ならば気候等はほとんど変わりませんが、
これが南北だと大きく異なってきます。
気候的条件が異なれば、生活様式まで異なり、
生活様式が異なれば、文化まで異なるものです。
それにより、文化による棲み分けが容易となり、
接触や衝突も、幾分か減るように思います。

つまりは、農業に適さない北方は、
中国から見て、あまり魅力的ではなく、
逆に遊牧民から見ても、放牧に適さない南方は同様。
どうしても、その土地を抑えようとすると、
結果的に、その土地の文化に合わさざるを得なくなる。
北方の民族が中国文化を尊重したというよりは、
中国を統治する以上、そう変質せざるを得なかったんでしょうね。

その一方で、中国から北方を見た場合は、
海にも面さず、大きな河川も無い為、
生産力が低く、抑え辛かった面もあると思います。
まあでも、そう言った過酷な環境では、
兵は精悍になっても、文明は育ちませんからねえ。
いろいろと複合的な要因があったのだと思います。

しかし欧州では、国家の林立を許す複雑な地形、
文化的に似かより易い東西の繋がり、
南北両方向を海に囲まれた生産力が等しい土地柄と、
共存・接触・均衡のバランスがうまく取れていたんでしょうね。
ローマ教皇という、宗教的な存在もありましたし。
一方で中国には、統一を促す「漢字」という存在もあったと。
かなり大雑把に言ってしまえば、こんな所ですかねえ?

それと、書いていて少し思ったんですが、
南北に伸びる中国に於いて、
その中心は「長安→洛陽→開封→北京」と西から東へ移り、
東西に伸びる奥州に於いて、
その中心が「地中海南岸→地中海北岸→北海沿岸」と
南から北へと移っているのは、ちょっと面白いですね。
互いに、南北と東西のバランスは保ったままですが、
どうしてこう言う感じになったのかは、興味深い所です。


[5564] Re6:戦術の歴史返信 削除
2008/2/24 (日) 20:41:16 物秦

> 欧州は分裂しているのが常態であり、中国は統一されているのが常態であった。
> それは一体どうしてかと問えば、
> やはり「地形」の問題が大きいと思うんですよ。
> 海に囲まれ、複雑な地形を擁する欧州に比べると、
> 中国は比較的に平坦で、大きな障害は長江くらいですからねえ。

 黄河やチベット高地も障害と思えます。
> ですので、「春秋時代で止まってる」と言うか、
> 地形的な要因からそうなったんだと思うので、
> 欧州の場合、例え統一されても、それを維持できないんじゃないですかねえ?

 一度でも統一されてれば「統一欧州を復活させ」と思う人だ出たと思います。
実際ローマ帝国を復活させようと頑張った人がでたので・・・
> だからこそ、以前おっしゃられていたような「決戦」は、中国の方こそ多かったのかと。
> 昆陽や[シ肥]水(ヒスイ)に該当するような戦いって、
> 欧州の歴史にはそんなに無いような気がします。

統一を目指す勢力自体が少ないのに起因すると思います。
> でもまあ、地形的要因により、
> 欧州が分裂し、中国が統一したのが、
> 歴史の「必然」であるとまでは言い切りませんけどね。
> そう言った意味では、地形による「分裂・統一」の「必然性」と「偶然性」を語る上で、
> 分裂期以外で、四川に独立国が登場しなかったのは、

望帝の蜀以来出てませんね。
>
> > 今更ですが石原莞爾も戦争に関しては西洋のほうが発達したと考えています。
> > それにかんして、石原莞爾は物秦さんの指摘した点が原因だと本に書いています。
> > 簡単に説明すると、東洋は中国が強大であり、北方民族に征服されたりもしたが、北方民族は中国の文化を尊重した。
> > 民族意識も大きくはなかったし、土地も広大であったため、戦争の深刻さを緩和した。
> > しかし西洋は狭い土地に多数の強大な民族が存在したうえ、民族間の対立もあった。
> > そのため、戦争が発達したと。

> どれだけ場数を踏んで来たかって事ですよね。
> それは外交面でも、よく見受けられると思います。
> 複数の国家が林立している欧州各国に比べると、
> 日本の外交力というのは、本当に御粗末な面が目立ちますよねえ・・・・
> 「欧州情勢は複雑怪奇」と言って、首相が辞めちゃうくらいですし。
>
> それと、物理をやっていて感じさせられるのは、
> やはり西洋人って、モノの考え方が凄く論理的なんですよね。
> 論理的である事が最良であるかどうかは別としても、
> それでも、例えば微積分を取ってみても、
> 運動を変化で捉える所から始まった欧州に比べて、
> 日本の和算は、クイズ的に図形の面積を求める為に生まれましたからねえ。
> 数学的なセンスが同程度であったとしても、
> そこから繋がるモノが、全く異なってくる訳です。

 欧米人は理屈で行けば話易い相手何ですよね・・・
> > つまり、西洋では同レベルの国家が狭い土地を巡り、
> > 戦争を繰り返す状況が続いたため、発達した。
> > 東洋では基本的に中国が強く、民族意識も低く、土地が広大であったため戦争の必要が薄れ、
> > あまり戦争は発達しなかった。
> > というのが、石原莞爾の意見です。

 唯一の競争相手で有る騎馬民要因が大きかったように思います。制御する術を手入れてからはもう弱すぎるOrz
> 複数の国家が併存しづらく、その分、統一されやすかった。
その割には動乱期が長いような漢代以後六朝、五代、の長大乱と北宋末期〜元成立、明末清初の動乱、辛亥革命後の軍閥・・・
> そうして、統一の為に民族的な混融が進み、民族意識までも混ざり合った。
 異民族でも漢族になれるシステムがその原因ですかね?
> とは言え、近現代の民族主義的な民族意識に関しては、
> 発生までの誤差が数十年程度あるだけで、中身はそこまで大差無いように思います。
> まあ、石原莞爾が生きた時代は丁度、
> その「誤差ある数十年」の時期だったですけど。
> 実際に石原の中国人観も、コロコロと変わってますからねえ。

確かに・・・そうですね。
> あと、「土地が広大」と言う点が上げられていますが、
> 広大な土地は、膨大な人口を抱えている訳で、
> 「人口密度」として捉えた場合は、どうなんでしょうかねえ?
> また、遊牧民の住む北方となりますと、
> 土地があっても、生産力が低いですからねえ。
> ここで出てくるのが、第二の地理的要因です。
>
> 北方の民族が中国文化を尊重したというよりは、
> 中国を統治する以上、そう変質せざるを得なかったんでしょうね。

文化面ではチャイナドレスがその結晶ですね。
>> 文化的に似かより易い東西の繋がり、
> 南北両方向を海に囲まれた生産力が等しい土地柄と、
> 共存・接触・均衡のバランスがうまく取れていたんでしょうね。
> ローマ教皇という、宗教的な存在もありましたし。
> 一方で中国には、統一を促す「漢字」という存在もあったと。
> かなり大雑把に言ってしまえば、こんな所ですかねえ?

違いは帝國が出たかでないかですか・・・
> それと、書いていて少し思ったんですが、
> 南北に伸びる中国に於いて、
> その中心は「長安→洛陽→開封→北京」と西から東へ移り、
> 東西に伸びる奥州に於いて、
> その中心が「地中海南岸→地中海北岸→北海沿岸」と
> 南から北へと移っているのは、ちょっと面白いですね。
> 互いに、南北と東西のバランスは保ったままですが、
> どうしてこう言う感じになったのかは、興味深い所です。

 人間狭いところから広いところへ行くのが習性なんですかね?

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