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[5646] Re:既に話題は「地形と歴史」返信 削除
2008/3/2 (日) 21:56:27 Bernstein

▼ 徳翁導誉さん
> 「地形の複雑さに加えて」と言うよりも、
> その複雑な地形があったればこそ、
> そこが様々なモノの境目になるんじゃないですかねえ?
> 軍にしても、情報にしても、文化にしても、
> ああ言った地形ではどうしても、そこで進行速度が鈍りますし、
> こうした複雑な地形が、守る上では盾になりますからねえ。
> 例えば同じように、キリスト教とイスラム教の等距離にあっても、
> リビアなどは、火薬庫にならない訳ですし。

リビアは砂漠による無人地帯もあり、距離を置けているので
火薬庫にならずに済んでいそうですね。
わざわざ灼熱の砂漠を越えてまで争いにいくのもナンセンスですし(笑
 
> > > イフを語るとすれば、「フランク王国が分裂しなければ」ですかねえ?
> > > ドイツとフランスとの間には、アルプスやピレネーほどの境は無いですし。

> > 地形で見ればライン川が境界となる訳ですが
> > 独仏の間には独仏のいずれともつかない微妙な地域があります。
> > フランクが3つに分かれた際、長男ロタールの継いだ王国が
> > ちょうどその辺りで現在ですとベネルクス三国からアルザス・ロレーヌ、スイスの辺りになります。
> > いずれも独立するか係争地になるかなので結果として
> > これが境界線の役割を果たしています。

> 中部フランク王国(ロタール領)って、かなり無理がありますよね(笑)。
> ライン川流域と北部イタリアが地続きだとは言え、
> ど真ん中にアルプスが走ってますからねえ。
> 実際、843年のヴェルダン条約で国境線を確定しながら、
> たった27年後(870年)には、メルセン条約でライン川流域を失ってますし。

語弊がありましたが言いたかったこととしては、
ロタール領の辺りがちょうど境目になっているという事で
あの王国そのものが持続しうるものとは考えていません。
ただスペインがネーデルラントを支配していた際に利用していた
スペイン街道は確かこの辺りを通っているので
国家としてはともかく経済的なつながりは無きにしもあらずではないでしょうか?
 
> > まあ、フランクが分裂したのは実は彼らの遺産相続方法が
> > 分割相続だったからなのですが(笑

> だからこそ、イフを思うんですよね。
> これがもし三人兄弟ではなく、二人兄弟でしたら、
> アーヘンを中心とするフランス・ドイツと、
> ローマを中心とするイタリアとに二分されたでしょうからねえ。
> 分割相続が伝統と言っても、王国が継続されていけば、
> 多くの場合はいつかは、単独相続に落ち着いていくものでしょうし。

三分割される前は相続権者が一人しかいなかったために
分裂しなかったと言うこともあるのでこのイフは一考に値しますね。
 
> 時代にもよるでしょうが、そんな事はないと思いますよ。
> 少なくとも現在では、四川省は中国でも3位の米生産高を誇っており、
> 10年前に四川省から分離された重慶直轄市も含めれば、
> 四川は、中国での米の総生産高の10%を越える大穀倉地帯です。
>
> では、古い時代はどうかと言われれば、
> 具体的なデータは無いものの、間接的なデータとして人口があります。
> 例えば、後漢時代(西暦153年時)の人口で見た場合、
> 益州(四川)は、後漢王朝・全13州の中でもトップの人口を誇っており、
> これは後漢全州の人口の15%を越える人数でした。
> それだけの人口が居たという事は、すなわち、
> それを養えるだけの食料が、四川で収穫できた事を意味します。
>
> また、当時の四川の穀物事情に関しても、
> ちょうど上記の人口調査と同時代に、四川で「五斗米道」が誕生しています。
> 信者に五斗の米を寄進させた事から、その名称で呼ばれた訳ですが、
> 当時の五斗の米とは、分かり易く直すと「10kg弱の米」と言う事になります。
> そして、現在の日本人1人あたりの米の年間消費量が60kg弱なので、
> 平均的な日本人が食べる2ヶ月分の米の量を寄進する訳です。
>
> これがもし、四川があまり米の取れない土地であれば、
> それだけの「米」が、わざわざ寄進の対象物となるでしょうか?
> 彼らには、寄進だけでなく、納税もある訳ですし、
> 教団の広がり具合から言って、寄進の負担は信者たちにとって、
> 重かったと言うよりも、軽かったであろう事が想像されます。
> つまり四川は当時から、米がよく取れる土地であったと判断して良いと思います。
>
> とは言え、言わんとしている所は分かりますよ。
> 確かに四川は、日照時間が短いですし、
> 単位面積での収穫率は、長江下流などに比べれば落ちると思います。
> しかし四川には、広大な成都平野があり、
> 四川の名が示す通り、大小いくつもの川が流れています。
> 成都平野の面積は、九州と四国を合わせた面積に等しく、
> そこを紀元前の昔から、灌漑用水が縦横無尽に走るわけです。
> 少しくらいの収穫率の悪さなど、問題にならないのだと思いますよ。

そういえば秦は蜀を征服してから急速に国力を増大させていましたね。
 
> > なので天府の国という話は個人的にはデマだと思ってまして
> > 諸葛孔明の天下三分の計の誤算の一つとも思ってます。

> いつ頃から「天府の国」と呼ばれるようになったか?までは知りませんが、
> 紀元前3世紀に「都江堰」という水利施設が作られて以降、
> 四川は大穀倉地帯になったのであろうと、私は認識しています。
> 始皇帝や劉邦の躍進も、四川の穀物により支えられていたと言われていますし、
> また、後世に於いても、四川は豊穣の地であると言われ続けていますからねえ。
> もしも本当に「デマ」でしたら、すぐにバレてしまうと思いますよ。
> 中国が統一されて、平穏な時代になれば、
> 四川でも、収穫高に応じて税が取られる訳ですから。
>
> 確か、学研から出ている「歴史群像シリーズ」の三国志の巻でしたかねえ?
> そのような「天府の国はデマ」説の記事を読んだ事もありますが、
> その記事自体に、間違えやいい加減な記述が多すぎたので・・・・
> あのシリーズは以前より、本当に内容が玉石混淆なんですよねえ。
> 1冊に十数人の筆者がいて、書き手のレベルもバラバラですから。
> 奇抜な記事の筆者が、「郷土史家」や「歴史研究家」などとなっていましたら、
> その記事は、眉に唾をつけながら読む方が良いと思います。

実を言いますと「天府の国はデマ」説のソースはその記事です。
あの記事の信憑性は低かったのですね・・・
 
> ちなみに、「天下三分の計」に関しては、
> 荊州と益州を領して、孫権と手を組み曹操を討つモノでしたら、
> 単純に人口だけなら、後漢の時点のデータでも、
> 「荊州と益州」の二州だけで、後漢全州の総人口の3分の1には達しますね。
> まあ、それを孫権が黙って許すかは別問題だった訳ですが。
> それと、本当にこの計略が構想通りに進行したとしても、
> 荊州と益州の二州同時統治というのは、地形的にかなり難しいので、
> そこから国力を蓄え、満を持して北伐を・・・とは、なかなか行かないでしょうね。
> 二州を維持するだけで、四苦八苦しそうですし。

確かに面積だけなら中原に匹敵しますからね・・・
おまけに漢民族以外の少数民族が少なくないので、
その対策も結構なものになりそう、と言うかなってましたね。
 
> また、三分の計で鼎立化を目指すのであれば、
> 蜀の第一次北伐が成功し、長安以西を領有すれば、
> そちらの方が、形的にはしっくり来たかも知れませんね。
> 後年の南北朝時代には、「北周・北斉・陳」の鼎立時代がありましたし。
> そして、そこから天下を獲得したのは、
> 三国志の地理的には蜀にあたる、北周を乗っ取った隋なんですよね。
> http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/d/dd/%E5%8C%97%E5%91%A8%EF%BD%A5%E5%8C%97%E6%96%89%EF%BD%A5%E9%99%B3%EF%BD%A5%E5%BE%8C%E6%A2%81.PNG

そうしてみると荊州喪失後も覇権を取る可能性は割とあったということですね。

> > 中国の南方政権は大体四川から崩れていますね。
> > 呉や南朝、南宋辺りはこれに該当するでしょう。

> 直接、四川からって事ではありませんが、
> 四川が敵の手に渡ると、北と西の二正面作戦を強いられる事になり、
> 南方の要地である湖北(江陵)を守るのが、困難になるんですよねえ。
> まあ逆に要地だからこそ、動乱期になると緩衝国として、
> 西梁や荊南といった小国が湖北に出現するのは、歴史の面白い所ではありますが。
>
> > > 攻められにくいけど、攻め出しにくい。
> > 外へ出るには補給線を維持するのが困難すぎますからね・・・
> > 四川の政権としては蜀漢は大健闘していると言えるでしょう。

> だからこそ、韓信や蕭何は凄かったとも言えるでしょうね。
> もちろん、それぞれ条件が異なるとは言え、
> 閉じ込められたはずの漢中より、躍り出てくる訳ですから。
> 蜀漢も第一次北伐が成功していたら、流れは随分違ったでしょうが、
> やはりこの辺は、一発勝負みたいな部分もありますからねえ。

漢は関中制覇後、こちらに本拠地を移していますので
四川から外に出る事が重要ですね。
先の北周の例でも本拠地は長安ですし。
イフとして入蜀後、本拠地を荊州のままにするということを考えた事がありますが
この場合は孫権との争いを助長させてしまいそうですね・・・
まあ、交通の便はいいので外に出るには打って付けなのですが。
 
> > まあ、あの広さなので気を抜くと分裂してしまいそうですが。
> う〜ん、それはどうでしょう?
> 分裂してしまうと言うよりは、
> 地方で自儘に振る舞う人間が出てくると言う方が適当ですかねえ?
> 日本で例えれば、「あっちこっちに関東軍」って感じでしょうか?(笑)
> 勝手な振る舞いはするが、日本という枠組みからは外れない・・・みたいな。
>
> 民国期の軍閥にしても、あくまで中華民国に属する形で居た勢力が多いですし、
> 大きな足枷にでもならない限り、国家や王朝の権威や枠組みを利用した方が、
> 地方で好き勝手するにも、何かとやりやすいですからねえ。
> それに、独立してあまり好き勝手にやり過ぎると、
> 中国は平坦な地形な為、一気に潰される危険性もありますし。
> だからこそ中国では、巨大すぎて地方を制御し辛い替わりに、
> 枠組みとしての国家や王朝は尊重され、それ自体は崩壊しにくいと。
> でもまあ、崩れる時は崩れちゃうんですけどね(笑)。

考えてみると地方がいくら好き勝手していても、独立と言う言葉を聞くと
途端に目の色が変わりますからね(笑
中央の言うことに従わずとも枠組みを守っている限りにおいては大目に見ても
独立は容認しないのが彼らのスタンスと言うところでしょうか?
まあ、台湾をどう見るかは見解の分かれるところですが。
 
> > 皮肉にも皇帝が弱体化した後は教皇も存在意義が薄れてしまい、
> > また国王の強大化は国民国家の土台ともなっています。
> > そうしてみると教皇と皇帝が広範な権威として競合し、
> > 最後には共倒れしたといったところでしょうか。

> 結局の所、全ての権力の根源は「武力」にしか拠りませんからねえ。
> そして教皇は、直接的に大きな武力を保持してないと。
>
> しかし、世俗上の権威である「皇帝」と、
> 宗教上の権威である「教皇」とに分かれていたからこそ、
> 教皇が今日まで、残れた面もあるんでしょうけどね。
> オスマン皇帝が「スルタン」と「カリフ」を兼任したイスラム教では、
> スルタン制の廃止と運命を共にして、
> 結局、カリフ制は現在まで生き残れませんでしたからねえ。
> もしもカリフ制が存続していれば、テロを抑える一助にはなったかも?

確かオスマン朝のスルタンが廃位された際に、カリフの称号を残そうとしたものの
こちらも没収されたんですよね。
まあ、トルコは脱イスラム路線だったので受け入れられないものだったのかも知れません。
 
> > あと中国の場合、宗教が流行ると王朝が傾く傾向があるので
> > 中国の権力者は宗教に対して非常に警戒しているそうです。
> > ex.太平天国、黄巾の乱

> 宗教が流行ると王朝が傾くと言うより、
> 王朝が傾き政情不安定になるから、
> 宗教が流行るんじゃないですかねえ?
>
> そして、宗教が流行るのも、信心からと言うよりも、
> 農民の反乱が団結する為の象徴として、宗教が必要なんでしょうね。
> 新興宗教が農民の反乱と結び付き、燎原の火の如く拡大する事は儘あれど、
> 動乱が過ぎると、そうした新興宗教も忘れ去られて定着しないですし。
> 紅巾の乱の白蓮教くらいでしょうか、生き残ったのは?
> 結局、そう言った中国の新興宗教は、単なる「道具」なんだと思いますよ。
> まあでも、そうした道具を為政者は恐れるのかも知れませんが。

確かに動乱が民衆を宗教に走らせるのかも知れませんが
その宗教がまた動乱を招くと言う面もありますね。
かくして政権は崩壊する・・・
ちなみに道教は黄巾の乱の太平道の流れを(一部ですが)組んでいます。
 
> > そうしてみると鴨緑江・豆満江の向こうに広大な満州の大地が広がっている
> > 朝鮮半島は不幸ですね・・・

> 逆に言えば、あの土地で民族の独自性を保ち得た事が凄いです。
> 大陸側はちょうど、遊牧民と農耕民との境目なので、
> 中国だけでなく、モンゴル系からも脅かされると・・・・
> 実際、中国からよりも、モンゴル系からの侵攻の方が多い気がします。
> まあ海洋側は日本だけなので、大した事無さそうですが、
> でも結局は、朝鮮を飲み込んだのは日本だけですので、
> 朝鮮にとっては、海洋側も大きな脅威なんですよね。
>
> そして、時代は下って現代では、
> 中国は満州国の遺産がある東北部へ重点を置き、
> モンゴルの位置にはロシアが進出。
> 海洋側からは、日本に替わってアメリカが・・・って、状況が更に悪化してますね(笑)。
> 米・中・露と、世界の三大国家が勢揃いです。
> 結局、その影響もあって、朝鮮は分断国家にされてしまいましたし。
> って、三大国家に囲まれている状況自体は日本も同じなので、
> あまり他人事ばかりでは、居られないんですけどね・・・・

欧州系を除いた大国勢揃いですからね・・・
彼らにしてみれば一向に気の休まる時代がやって来ていないというか
現代ほど気の休まらない時代も今まで無かったというところでしょうか。

> ただ、朝鮮半島の分断というのは、
> 皮肉な事ですが、半島に安定をもたらして居るんですよねえ。

地政学的には絶妙とも言える状況ですからね。
単純に緩衝国を置くよりも緩衝国を2つ置くことによって
大国同士の直接対決を回避できています。

> ひょっとしたら、このまま分断が固定化される可能性もあるかも?
> 大国側とすれば、統一される事で面と向き合う事になるのは嫌でしょうし、
> ドイツの状態を見れば、韓国も現実的には統一を望まないでしょうし、
> 北朝鮮の上層部にしても、統一にデメリットはあってもメリットは皆無。
> 結局、どの国も「現状維持」が最良なんですよねえ。

おそらく本音ではどこもそう考えているような気がします。
ただ一国を除けば・・・

> 強いて言えば、日本くらいでしょうか?
> 統一により、多少なりとも恩恵を受けそうなのは。
> 軍事境界線がない在日の社会では、北朝鮮と韓国の代理戦争を担わされてきたので、
> 統一が叶えば、在日社会も、日本国内も、現状よりは幾分か落ち着くと思います。
> また、韓国による統一が成れば、韓国と中国が直に睨み合う事になり、
> 中国は朝鮮人自治区を抱えており、統一熱が飛び火する可能性までありますので、
> 中韓の日本に向ける圧力が、多少なりとも緩和されると思います。
> って、当然デメリットの方もいろいろあるので、その両面を見れば、
> 対米従属路線を続けていくのであれば、日本も現状維持の方が得なんでしょうけど。

日本の場合はデメリットの方が現在表面化していますからね。
現状維持と言われて納得するのは難しいでしょう。

最初に話題振っておいて言うのも難ですが、
テーマを地形と歴史に限定したいチキンな私は
今回はこの辺でということで(笑


[5662] Re2:既に話題は「地形と歴史」返信 削除
2008/3/3 (月) 19:30:09 徳翁導誉

> > 例えば同じように、キリスト教とイスラム教の等距離にあっても、
> > リビアなどは、火薬庫にならない訳ですし。

> リビアは砂漠による無人地帯もあり、距離を置けているので
> 火薬庫にならずに済んでいそうですね。
> わざわざ灼熱の砂漠を越えてまで争いにいくのもナンセンスですし(笑

まあ、リビアというのは、
敢えて、かなり極端な例を出したんですけどね(笑)。

> > 中部フランク王国(ロタール領)って、かなり無理がありますよね(笑)。
> > ライン川流域と北部イタリアが地続きだとは言え、
> > ど真ん中にアルプスが走ってますからねえ。

> 語弊がありましたが言いたかったこととしては、
> ロタール領の辺りがちょうど境目になっているという事で
> あの王国そのものが持続しうるものとは考えていません。

いや、それはもちろん分かっていますよ。
ただ、ロタール領の話題が上がったので、
「やはりその分割は無理があるだろ?」って事を、ただ書きたかっただけです(笑)。

河川での国境って難しいんですよね。
山岳国境と違い、河川は障害であると同時に航路でもありますので。
しかも河川の両岸には、平野が広がっている事が多いですし、
二勢力が対峙する場合、河川を境にピタリと分かれるよりも、
どちらか一方の勢力が河川の両岸を支配し、
その相手側の岸の限界線あたりが、国境になる事も多いような気がします。

> > > まあ、フランクが分裂したのは実は彼らの遺産相続方法が
> > > 分割相続だったからなのですが(笑

> > だからこそ、イフを思うんですよね。
> > これがもし三人兄弟ではなく、二人兄弟でしたら、
> > アーヘンを中心とするフランス・ドイツと、
> > ローマを中心とするイタリアとに二分されたでしょうからねえ。

> 三分割される前は相続権者が一人しかいなかったために
> 分裂しなかったと言うこともあるのでこのイフは一考に値しますね。

そうなんですよねえ。
そう言う状況が、あと何代か続けば・・・と思う反面、
やはり一度くらいは分割相続で痛い目を見ないと、
一括相続には移行できないかも?と言う思いもあります。
ただ、その痛い目を見る分割相続が、
史実とは異なりアーヘンとローマの二分割であったら・・・と考える訳です。
まあ、所詮はイフですが(笑)。


> > 確か、学研から出ている「歴史群像シリーズ」の三国志の巻でしたかねえ?
> > そのような「天府の国はデマ」説の記事を読んだ事もありますが、
> > その記事自体に、間違えやいい加減な記述が多すぎたので・・・・

> 実を言いますと「天府の国はデマ」説のソースはその記事です。
> あの記事の信憑性は低かったのですね・・・

だって、いきなり成都平野を話題の対象から除いてますからねえ。
四川農業の中心である成都平野を無視して、四川の農業事情は語れませんよ。
「雨水が多いから栄養素が流されて貧土になる」とも書いてますけど、
栄養素は流される以上に、上流からも流れてきます。
それは四大文明などを考えても分かりますよねえ?

あと、「広辞苑に古来より天府の国だと載っているが、それは間違い」という主張も、
では何故、そうした伝聞が有ったのかについて、一切の検討がなされてませんし、
「今も昔も中国で最も貧しい地」とありますが、
少なくとも現在の四川は、世界を代表する米の大穀倉地帯です。
それに、これだけ大きく話を振っておきながら、
最終的な結びが、「穀物は作れるが、作柄は今一つダメである」って、
言い換えれば、「作柄は多少落ちるが、穀物は十分に作れる」と書いている訳です。

続いて、漢中・北伐関連の記事ですが、
気温と日照時間は足りているが、水温が低いので稲作は「不可能」と結論付けてますが、
十分な気温と日照時間があるなら、貯水池を設けるだけで水温なんて上がりますし、
そもそも水田に水を張るのですから、そこで日光により温まりますよ。
更に、「米倉は満ち溢れた」という記述を引用して、
具体的な収穫量の記述がない事を理由に、現実は逆だったろうと結論付けるのは、
幾ら何でも、無理があり過ぎでしょう・・・・


> 漢は関中制覇後、こちらに本拠地を移していますので
> 四川から外に出る事が重要ですね。
> 先の北周の例でも本拠地は長安ですし。

四川は守りやすく、豊かな地だからこそ、
天下を狙う上では、後方基地としての利用がベストでしょうね。
北伐が成功し、関中を掌中に収められたのなら、
本拠を長安に移す事は、十分に有り得た事だと思います。
長安は前漢の首都ですし、そちらの方が正統性を主張しやすい面もあるでしょうから。

あとは如何にして、東方の守りを固めるかですね。
本拠を長安に移すならば、関中の守りは良いとして、
問題は四川に於ける長江沿いの守りですか。
秦や漢の時には、まだそのルートも未発達でしたし、
北周には、江陵に緩衝国となる西梁が存在してくれましたが、
荊州失陥後の蜀漢には、そう言ったモノがないですからねえ。
如何に長江ルートが難行路だとは言え、
呉や魏の大勢力により江陵を押さえられていると、何かと面倒ですし。
そうなると、やはり関羽の荊州失陥の話になっちゃうんですよねえ・・・・

それにしても他の2勢力は、見事に本拠地がそのままですね。
魏晋南北朝と、一括りにされる時代ですので、
時代的な継続性もあるのでしょうが、やはりそこが要地なんでしょうね。
特に呉の建業なんて、この時代には建康と名を変え、その後に南京となる訳ですし。

> イフとして入蜀後、本拠地を荊州のままにするということを考えた事がありますが
> この場合は孫権との争いを助長させてしまいそうですね・・・
> まあ、交通の便はいいので外に出るには打って付けなのですが。

それはアリだと思いますよ。
と言うか、最初の構想としては、そう言ったモノもあったかと思います。
最初のうちは関羽だけでなく、張飛や諸葛亮も荊州に残留してますし、
そもそも劉備の大義名分は、荊州牧くらいしかありませんからねえ。
あっさりと益州を手に入れられてて、益州の統治にも不安がなければ、
本拠地を荊州のままにしていた可能性は有ると思います。

孫権との対立にしても、劉備が何処にいようと、
荊州を狙う呉の動きは変わらないでしょうし、
劉備が荊州に居る事で、却って呉は手を出し辛くなったかも知れません。
魏を脅かすにしても、荊州に居た方が効率的ですし、
荊州を囮にして関中を狙ったり、逆に関中侵攻を囮に荊州から狙ったりと、
作戦の幅も大きくなりますからねえ。

ただ問題は、荊州を本拠地にして、四川を無事に保てるかですね。
四川自体の統治面の問題もあるでしょうが、ここでは軍事面に限定しますと、
荊州に居ては、関中方面からの四川侵攻には抵抗し切れない。
となると、漢中の張魯を温存し、緩衝国化する方法もありますが、
それでは国力を北方や関中に伸ばす事が出来ませんし、
魏からの侵攻ルートを一本に縛り、防衛しやすくなる代わりに、
自分たちの魏への侵攻ルートも、一本に縛って攻め難くなってしまう。
だからと言って漢中を押さえると、防衛面では二方面での対処を強いられる。
そうなると、「漢中―上庸―襄陽―江陵」という、
漢水ラインで防衛線を築こうという事になるんでしょうね。
ただ、このラインも地形的にかなり厳しいんですけど・・・・

結局、荊州を本拠地にし続ける場合、
魏との戦いは短期で決着に導く方向にしないと、
かなり難しいような気がします。
荊州と漢中の二正面ですと、魏の方が移動が楽ですし、
荊州は呉とも接するので、魏と呉に挟み撃ちにされる危険性もありますからねえ。
江陵は、「湖北と湖南」「四川と江南」を結ぶ十字路にあるので、
交通の要所として便利すぎて、逆に危険なんですよねえ。
何処の勢力にしても、絶対に押さえておきたい土地ですし。
そう考えて行くと、「北周・北斉・陳・西梁」のバランスは実に絶妙(笑)。


> > オスマン皇帝が「スルタン」と「カリフ」を兼任したイスラム教では、
> > スルタン制の廃止と運命を共にして、
> > 結局、カリフ制は現在まで生き残れませんでしたからねえ。

> 確かオスマン朝のスルタンが廃位された際に、カリフの称号を残そうとしたものの
> こちらも没収されたんですよね。
> まあ、トルコは脱イスラム路線だったので受け入れられないものだったのかも知れません。

スルタン制の廃止が1922年で、カリフ制の廃止が1924年と、
2年の時間差がありますからねえ。
ケマルも反発を恐れて、一気に事を進められなかったんでしょうね。
取り敢えずは、亡命した皇帝を廃位させてスルタン制のみを廃止し、
カリフの職だけを、皇太子に継がせるなんて処置を取ってますし。

カリフ制の廃止には、
脱イスラム路線という要素も確かにあったのでしょうが、
ケマル自身の保身的な要素もあったように思います。
ケマルがアンカラで蜂起した時、オスマン皇帝はカリフの力を用いて、
ケマルたちを「神の敵」とし、カリフ軍を組織しましたし、
特にこの帝国主義の時代には、欧米列強からの侵攻や迫害を受ける事で、
国外のイスラム教徒からも、カリフを重く見る風潮が生まれて来るんですよねえ。
欧米列強に対抗すべく、イスラム団結の象徴になりえますからねえ、カリフは。
しかし為政者であるケマルにとっては、こんな存在は脅威以外の何物でもありません。

それに、スルタン制の廃止後も、
カリフを象徴的存在とする立憲君主制の意見も多く、
急進的で強引なケマルに対して、反発や離脱した人たちも、
カリフの元に集約し、反ケマル派を形成し始めて来るんですよねえ。
だからこそ、ケマルはカリフ制廃止という大ナタを振るったと。
しかし、前皇帝のカリフ軍なんていう伝家の宝刀を抜かなければ、
ケマルとしても、ここまで強引に事は進められなかったと思います。
そう言う意味では、歴史とは個人が動かす部分も確かにあるんですよね。


> > って、三大国家に囲まれている状況自体は日本も同じなので、
> > あまり他人事ばかりでは、居られないんですけどね・・・・

> 欧州系を除いた大国勢揃いですからね・・・

欧州に「大国」はあっても、「超大国」までは無いですからねえ。
まあ、EUがどれくらい団結できるかで、
それも変わってくるかも知れませんけど。
何だかんだで、ユーロも幅を利かせ始めてきますし、
EU大統領やEU外相の誕生も、間近みたいですからねえ。

> > 北朝鮮の上層部にしても、統一にデメリットはあってもメリットは皆無。
> > 結局、どの国も「現状維持」が最良なんですよねえ。

> おそらく本音ではどこもそう考えているような気がします。
> ただ一国を除けば・・・

しかし北朝鮮を、上層部ではなく国民として見た場合、
現状維持を望まない国は、まさにここでしょうけどね。

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