| > なんで、華北では工業化が押し寄せなかったのでしょうかね?
> 華南では余剰人口をいくらか工場が吸収したそうですが。
う〜ん、何ででしょうかねえ?
ひとまず、水運は華南に劣りますよね。
運搬と言うのは、原料と製品の輸出入で大きな要素でしょうし。
あとは、都に近かったと言う事もあるのかも?
欧米から新たに流れ入るモノに対して、自分たちに近づけば近づく程、
嫌悪感や警戒感は強まるでしょうから。
日本の幕末でも、開港問題で同様な事はありましたし、
それと似たようなものなのかも?
いや、私の勝手な想像ですけどね(笑)。
> 南部は州の為に国があると考えていたので、元々中央集権的な北部に反感を抱いていたとも
> 思います。直接的な原因は経済ですけど。
まあそれも、工業と農業と言う形態の違いがあるからこそ、
集権的か、分権的かに分かれたと考えれば、
結局は経済に戻ってくるのかも知れませんね。
> > 地域 英 仏 独 伊 露 米 日 中 印
> > 1830 9.5 5.2 3.5 2.3 5.6 2.4 2.8 29.8 17.6
> > 1860 19.9 7.9 4.9 2.5 7.0 7.2 2.6 19.7 8.6
> > 1880 22.9 7.8 8.5 2.5 7.6 14.7 2.4 12.5 2.8
> これを見ると結構フランスって「駄目な子」なんですね。
でも、ナポレオン3世の帝政期は頑張ってますよ(笑)。
帝政期は1852年〜1870年ですね。
様々な海外政策にパリ大改造やパリ万博。
相対的なポイントではありますが、
1830年から1860の間に、2.7ポイント上がってますし。
とは言え、フランスはもともと農業大国ですからねえ。
これは工業の表ですし、工業が低くても「総生産」で考えれば、
まあ、それなりのモノだったかとは思います。
> 毎回ドイツに苦戦するのは納得。
これはもう仕方ないですよね。
そもそもの人口はドイツの方が多いですし、
ナポレオン時代には、国民軍を組織したアドバンテージもありましたが、
各国が同様の政策を採れば、自ずと逆転されるかと。
でも、だからこそ、長年の宿敵だったイギリスとも結べるんですけどね。
> > 地域 英 仏 独 伊 露 米 日 中 印
> > 1938 10.7 4.4 12.7 2.8 9.0 31.4 5.2 3.1 2.4
> > 1953 8.4 3.2 5.9 2.3 10.7 44.7 2.9 2.3 1.7
それとドイツ側は、やはり諸邦が統一されたって言うのが大きいですよね。
ドイツが諸邦に分かれていたからこそ、フランスも充分に対抗できた訳で、
それが1つにまとまり、あの急速な伸び率を見せられたら・・・・
ドイツ帝国はフランスの封じ込めを主眼に動きましたが、
フランス側から見た場合、フランスの栄光の為には、
ドイツの封じ込めこそが必要だったんでしょうね。
「私はドイツが好きだ。それが2つもある(東西ドイツ)とは、何と嬉しい事だ」
な〜んて、フランス前大統領のミッテランも言ってますしね(笑)。
まあ、チャーチルも先に全く同じ事を言ってますが。
確か第一次大戦後のベルサイユ会議でも、オーストリアとの統一を禁止したり、
バイエルンを独立させようとしたりしていたとはずですので、
やはり英仏としては、大きなドイツが目障りなんでしょうね。
> > 地域 英 仏 独 伊 露 米 日 中 印
> > 1900 18.5 6.8 13.2 2.5 8.8 23.6 2.4 6.2 1.7
> > 1913 13.6 6.1 14.8 2.4 8.2 32.0 2.7 3.6 1.4
> > 1938 10.7 4.4 12.7 2.8 9.0 31.4 5.2 3.1 2.4
> 1913年以降下げ幅が大きいのは第一次世界大戦で消耗したからでしょうか?
それに加えて、1929年に始まる世界恐慌の影響もありますよね。
英仏独に加え、行け行けのアメリカですらダウンしている中、
恐慌に影響されなかったソ連(ロシア)と、
恐慌からいち早く脱した日本とがアップしてますし。
って、イタリアは何でアップしているんでしょ(笑)。
戦争は弱かったけど、ムッソリーニの経済政策が良かったんですかねえ?
ヒトラーの経済回復はよく言われますが、ポイント的にはドゥーチェの勝ちですね。
と言うか、もともとの経済力が低いのか、イタリアは!?
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