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[9152] オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/10 (月) 19:27:28 徳翁導誉

> BGMですが、通信や部隊の配置にと地域アイコンをクリックすると、
> 「BGMあり」のままBGMが停止してしまいます。
> 一度クリックして「なし」にしてから再度ありでまた流れますが、
> 先程の続きではなく、頭に戻ってしまいます。

とりあえず対応しておきましたが、
銀凡伝とは違う表示方法なので、対応しない方が良いかも知れませんね。
そもそも、別にBGMは必要ないかも?(笑)

> あとはアリソン大統領ですね(笑)
少なくとも、私にはもう無理です(笑)。


> オーストリア担当ですが
> オーストリアだけ文面が2行で悪評・好評どちらもなく
> 就任しただけに近い存在ですが、ゴルバッハとはどういった人物なのでしょうか?
> 一応検索はしては見ているのですが、歴代の人ですらパッとしないので
> 良ければどの様な人物か教えて頂ければ嬉しいです。

デンマークでの書き直しも認めていただけたので、
オーストリアの方も書き直しておきました。
まあ、略伝は4行に纏めてますので(簡潔にするのも意外と大変)、
「どの様な人物か」までは、そこまで伝わらないでしょうけど(笑)。
http://www.geocities.jp/kako_log4/red_session/ryakuden.html#Gorbach

と言う事で、付け足しに少し書いておきますと、
ゴルバッハは、未だオーストリアがハプスブルク帝国の統治下にある1898年、
地元のキリスト教幹部の息子として、チロル地方に生まれたそうです。
で、父親は息子を同じく聖職者とすべく、学校に通わせるんですが、
第一次大戦、敗戦による帝国の崩壊、共和制への移行という時代に重なると、
学校で歴史に興味を持ったゴルバッハは、次第に政治にも興味を持ち始め、
父親の希望通りとはならず、政治の世界へと乗り込んで行く事になるのだとか。
その後、ゴルバッハは地方議会で頭角を現していくんですが、
時あたかも大戦前の時代で、同じドイツ民族の国家である隣国ドイツではナチスが台頭し、
1938年には、「民族統一」を訴えるドイツによってオーストリアは併合されてしまいます。
まあヒトラーにしても、オーストリアは自身の母国でしたからねえ。

この併合に関して、オーストリア国内では賛否両論あった訳なんですが、
結果的には、ナチス・ドイツが軍事力を背景に、強行に押し進めます。
その為、併合反対派の人々も、その多くは恐怖によって口を塞ぐものの、
ゴルバッハは、併合後も明確に反対を表明したそうです。
そのような強い精神力は、キリスト教への強い信仰心が基礎となったのだとか。
家庭環境からして、そういった所で育った人ですからねえ。
聖職者にしたいという父親の希望は叶わずとも、
息子へと施したキリスト教の教えが、政治家ゴルバッハの「土台」を築いた訳ですね。

でもまあ、こんな政治姿勢をナチスが許すはずもなく、
ゴルバッハは政治犯としてすぐに収監され、
一度は釈放されるものの、数ヶ月後には再収監されて終戦を迎えます。
結局、併合期は基本的にずっと檻の中って事ですね。
ただ、そうした反骨的態度が「反ナチス」の象徴のような人物として扱われ、
大戦後、連合国による占領下でオーストリアがドイツより分離されると、
国民議会(国会第一院)の議員に選ばれると、国民議会議長にまで選出され、
戦後16年間で13年もの間、国会議長の職を務め続けます。
そして、その実績を買われて、独立時の首相であるラーブの跡を継ぎ、
1961年にオーストリアの首相に就任し、1964年にクラウスへ首相職を譲ります。
そしてゴルバッハは首相退任後、1970年まで議員を続け、1972年に死去したそうです。

ちなみに、このラーブ、ゴルバッハ、クラウスはともに、
中道右派政党である「オーストリア国民党」の議員で、
首相としてのゴルバッハも、前任者ラーブの路線を引き継いでいたみたいです。
その路線とは、米ソ両陣営との協調関係は保ちつつ、永世中立は維持するというモノですね。
大戦後、オーストリアもドイツ同様に米英仏ソの4カ国による分割占領を受けたのですが、
中道右派の国民党が自由主義陣営との友好関係を築き、
中道左派の社会党が共産主義陣営との友好関係を築き、
国内では、国民党と社会党が二大政党で連立政権を築く事により、
オーストリアは、ドイツのように国家分断される事なく独立を果たします。
(二大政党での連立政権は、両党とも過半数に達しなかったという事情もありました)
ナチス・ドイツによる併合を直近に経験した政治家たちならではの行為だったかも知れません。
国を失ってしまえば、元も子もないと言うことを肌で感じた人々ですし、
政治力を失ってしまう程までは、国を失ってからの時間経過が無かった事も幸いでした。
(とは言え、やはり多くの混乱があり、それを救ったのは社会党のレンナーでした)
まあ勿論、協調関係にある政党が政権を取れば、オーストリア全土に影響力を及ぼせたり、
東西陣営の最前線であるオーストリアが緩衝地帯となる事での負担軽減、両陣営のパイプ役など、
米ソ両国の思惑も絡まって、「非分断&永世中立」という結論に達した面もありますがね。

でもまあ、この辺は、連合軍の占領下で臨時首相を務めたレンナーだったり、
独立を果たした時に首相を務めていたラーブだったりの功績で、
彼らの跡を継いだゴルバッハは、その路線を堅持しただけなんですけどね。
とは言え、ああした冷戦下のような混迷した時代では、
体制を作り上げるだけでなく、その体制を継続させていく事も重要なので、
「議員の良心の象徴」を求められる国会議長職を長く歴任し、
ナチスによる併合にも屈しなかった反骨の政治家であるゴルバッハには、
そうした「継続者」としての役割をこなすだけの、十分な力量を持っていたのかも知れません。
冷戦対立には局外を決め込み、大連立によって国内へは社会の安定・成長・平等をもたらし、
そう言う意味では、「路線の堅持」も十分に評価の対象にはなりますでしょうか?
まあゴルバッハも、激動の時代が作り上げた人物の1人かも知れませんね。
100年ほど早く生まれていれば、「頑固で歴史好きな地方の重鎮聖職者」で終わっていたかも(笑)。

って、何だか途中からオーストリア政界の話になりましたので、
ついでに、その後の展開も少し書いておきますと、
1966年の選挙では、国民党が過半数を獲得して国民党単独政権となり、
続く1970年の選挙では、今度は社会党が過半数を獲得して単独政権となります。
とは言え、今までの経緯からして、どうしても「馴れ合い」を呼んでしまうのか、
1986年の選挙では、両党とも過半数に達せず、再び大連立を組みます。
そして冷戦体制が崩壊すると、オーストリアは中立からEU加盟へと進むのですが、
この辺りから、大連立政権への国民の不満が表面化して来るんですよねえ。

冷戦集結により、東西両陣営の最前線での中立という緊張状態からの解放に加え、
EU加盟により、労働福祉の切り下げや移民労働者の流入などが起きて、
それで発生した国民の不満を、極右民族政党の「自由党」が取り込んで躍進していきます。
そして2000年には、国民党と自由党との連立政権が誕生し、
自由党という極右政党との連立に、欧米諸国からは大きな反発や非難の声が挙がります。
まあ、自由党党首のハイダーなんて、ナチスの突撃隊出身という経歴ですからねえ。
その後、2006年の選挙で社民党(冷戦終結に伴い社会党より改名)が第一党となると、
社民党と国民党との大連立体制へと戻るんですが、
それで国外からの声は収まって、国内からの声は当然収まらないんですよねえ。
で、今年の9月末、つまりは1ヶ月半ほど前に行われた選挙では、
社民党も国民党も大きく議席を減らし、2党で何とか過半数は維持。
その一方で、自由党や、ハイダーが作った新党「未来同盟」といった極右政党が躍進し、
極右政党は2党で、議会の3割を占める大勝利を収めました。
しかし選挙から2週間後、まだ勝利の余韻も残る中、ハイダーが交通事故死と・・・・
どうなるんですかねえ、オーストリア政界は?


[9158] Re:オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/12 (水) 00:20:22 オーストリア担当

> デンマークでの書き直しも認めていただけたので、
> オーストリアの方も書き直しておきました。
> まあ、略伝は4行に纏めてますので(簡潔にするのも意外と大変)、
> 「どの様な人物か」までは、そこまで伝わらないでしょうけど(笑)。
> http://www.geocities.jp/kako_log4/red_session/ryakuden.html#Gorbach
>
> と言う事で、付け足しに少し書いておきますと、
> ゴルバッハは、未だオーストリアがハプスブルク帝国の統治下にある1898年、
> 地元のキリスト教幹部の息子として、チロル地方に生まれたそうです。
> で、父親は息子を同じく聖職者とすべく、学校に通わせるんですが、
> 第一次大戦、敗戦による帝国の崩壊、共和制への移行という時代に重なると、
> 学校で歴史に興味を持ったゴルバッハは、次第に政治にも興味を持ち始め、
> 父親の希望通りとはならず、政治の世界へと乗り込んで行く事になるのだとか。
> その後、ゴルバッハは地方議会で頭角を現していくんですが、
> 時あたかも大戦前の時代で、同じドイツ民族の国家である隣国ドイツではナチスが台頭し、
> 1938年には、「民族統一」を訴えるドイツによってオーストリアは併合されてしまいます。
> まあヒトラーにしても、オーストリアは自身の母国でしたからねえ。


> この併合に関して、オーストリア国内では賛否両論あった訳なんですが、
> 結果的には、ナチス・ドイツが軍事力を背景に、強行に押し進めます。
> その為、併合反対派の人々も、その多くは恐怖によって口を塞ぐものの、
> ゴルバッハは、併合後も明確に反対を表明したそうです。
> そのような強い精神力は、キリスト教への強い信仰心が基礎となったのだとか。
> 家庭環境からして、そういった所で育った人ですからねえ。
> 聖職者にしたいという父親の希望は叶わずとも、
> 息子へと施したキリスト教の教えが、政治家ゴルバッハの「土台」を築いた訳ですね。


> でもまあ、こんな政治姿勢をナチスが許すはずもなく、
> ゴルバッハは政治犯としてすぐに収監され、
> 一度は釈放されるものの、数ヶ月後には再収監されて終戦を迎えます。
> 結局、併合期は基本的にずっと檻の中って事ですね。
> ただ、そうした反骨的態度が「反ナチス」の象徴のような人物として扱われ、
> 大戦後、連合国による占領下でオーストリアがドイツより分離されると、
> 国民議会(国会第一院)の議員に選ばれると、国民議会議長にまで選出され、
> 戦後16年間で13年もの間、国会議長の職を務め続けます。
> そして、その実績を買われて、独立時の首相であるラーブの跡を継ぎ、
> 1961年にオーストリアの首相に就任し、1964年にクラウスへ首相職を譲ります。
> そしてゴルバッハは首相退任後、1970年まで議員を続け、1972年に死去したそうです。
>


なるほど、彼は相手が例えナチス・ドイツでも口を慎まず
聖職者として育てられたからこその正義感と精神力を持ち合わせ
政治犯で収監されても、反対論を訴え続けたのは政治家として好ましいことですね。

そして、悲しい事に実績と言う実績を持たず
反対し続けて檻の中に入れられていた彼は国会議長、
そして戦後2代目の首相となったわけですか。

> ちなみに、このラーブ、ゴルバッハ、クラウスはともに、
> 中道右派政党である「オーストリア国民党」の議員で、
> 首相としてのゴルバッハも、前任者ラーブの路線を引き継いでいたみたいです。
> その路線とは、米ソ両陣営との協調関係は保ちつつ、永世中立は維持するというモノですね。
> 大戦後、オーストリアもドイツ同様に米英仏ソの4カ国による分割占領を受けたのですが、
> 中道右派の国民党が自由主義陣営との友好関係を築き、
> 中道左派の社会党が共産主義陣営との友好関係を築き、
> 国内では、国民党と社会党が二大政党で連立政権を築く事により、
> オーストリアは、ドイツのように国家分断される事なく独立を果たします。
> (二大政党での連立政権は、両党とも過半数に達しなかったという事情もありました)
> ナチス・ドイツによる併合を直近に経験した政治家たちならではの行為だったかも知れません。
> 国を失ってしまえば、元も子もないと言うことを肌で感じた人々ですし、
> 政治力を失ってしまう程までは、国を失ってからの時間経過が無かった事も幸いでした。
> (とは言え、やはり多くの混乱があり、それを救ったのは社会党のレンナーでした)
> まあ勿論、協調関係にある政党が政権を取れば、オーストリア全土に影響力を及ぼせたり、
> 東西陣営の最前線であるオーストリアが緩衝地帯となる事での負担軽減、両陣営のパイプ役など、
> 米ソ両国の思惑も絡まって、「非分断&永世中立」という結論に達した面もありますがね。
>


連合対枢軸から東西の冷戦に移り変わろうとしている中
オーストリアは米ソとの関係を一定の距離を保ち
東西の狭間である立地であるのに関わらず、中立と言うことで安全を図ったと。

しかし、自ら中立と言う難しい立場を維持し続け
東西に永世中立国という認識を植えさせたことに対し
ゴルバッハを含め前任ラーブらは外交をしたと。

> でもまあ、この辺は、連合軍の占領下で臨時首相を務めたレンナーだったり、
> 独立を果たした時に首相を務めていたラーブだったりの功績で、
> 彼らの跡を継いだゴルバッハは、その路線を堅持しただけなんですけどね。
> とは言え、ああした冷戦下のような混迷した時代では、
> 体制を作り上げるだけでなく、その体制を継続させていく事も重要なので、
> 「議員の良心の象徴」を求められる国会議長職を長く歴任し、
> ナチスによる併合にも屈しなかった反骨の政治家であるゴルバッハには、
> そうした「継続者」としての役割をこなすだけの、十分な力量を持っていたのかも知れません。
> 冷戦対立には局外を決め込み、大連立によって国内へは社会の安定・成長・平等をもたらし、
> そう言う意味では、「路線の堅持」も十分に評価の対象にはなりますでしょうか?
> まあゴルバッハも、激動の時代が作り上げた人物の1人かも知れませんね。
> 100年ほど早く生まれていれば、「頑固で歴史好きな地方の重鎮聖職者」で終わっていたかも(笑)。


ゴルバッハは継続者ですか。
確かに体制を作ったりすることも功績であり
有能でなければ、出来ない事かもしれませんが
継続者というのも大切であると言う事は理解できます。

徳川秀忠は徳川家康の確立させた政権を継続し
家康死後の政権を継続して尚、磐石とするため
豊臣恩顧の大名やら反逆の可能性のある大名を取り締まった事や
上杉謙信死後の越後を他国に侵攻されないために
跡継ぎ争いを勝ち取った上杉景勝も有能な先代に負けない
2代目となっている点を考えると、2代目の存在はとても重要だと思います。

> って、何だか途中からオーストリア政界の話になりましたので、
> ついでに、その後の展開も少し書いておきますと、
> 1966年の選挙では、国民党が過半数を獲得して国民党単独政権となり、
> 続く1970年の選挙では、今度は社会党が過半数を獲得して単独政権となります。
> とは言え、今までの経緯からして、どうしても「馴れ合い」を呼んでしまうのか、
> 1986年の選挙では、両党とも過半数に達せず、再び大連立を組みます。
> そして冷戦体制が崩壊すると、オーストリアは中立からEU加盟へと進むのですが、
> この辺りから、大連立政権への国民の不満が表面化して来るんですよねえ。
>
> 冷戦集結により、東西両陣営の最前線での中立という緊張状態からの解放に加え、
> EU加盟により、労働福祉の切り下げや移民労働者の流入などが起きて、
> それで発生した国民の不満を、極右民族政党の「自由党」が取り込んで躍進していきます。
> そして2000年には、国民党と自由党との連立政権が誕生し、
> 自由党という極右政党との連立に、欧米諸国からは大きな反発や非難の声が挙がります。
> まあ、自由党党首のハイダーなんて、ナチスの突撃隊出身という経歴ですからねえ。
> その後、2006年の選挙で社民党(冷戦終結に伴い社会党より改名)が第一党となると、
> 社民党と国民党との大連立体制へと戻るんですが、
> それで国外からの声は収まって、国内からの声は当然収まらないんですよねえ。
> で、今年の9月末、つまりは1ヶ月半ほど前に行われた選挙では、
> 社民党も国民党も大きく議席を減らし、2党で何とか過半数は維持。
> その一方で、自由党や、ハイダーが作った新党「未来同盟」といった極右政党が躍進し、
> 極右政党は2党で、議会の3割を占める大勝利を収めました。
> しかし選挙から2週間後、まだ勝利の余韻も残る中、ハイダーが交通事故死と・・・・
> どうなるんですかねえ、オーストリア政界は?


国を東西の干渉から避けるためといても
右派と左派が「馴れ合い」されればその内怒るのは当然ですよね。
しかし、大連立をしたからこそオーストリアは良かった訳ですが。

確かヴァルトハイムもヒトラーユーゲント出身で
無理矢理大統領になれたものの、アメリカらに嫌われていましたし
やはりこういった経歴を持つ人は珍しくないのですね。
あと、軽くハイダーを調べましたが
つい最近に交通事故とは・・・、なんとも皮肉な。

なんか全く持って私が無知であったと言うか
オーストリアの人らの印象としては
ただ単に就任して任期満了で交代の繰り返しをしていたと
勘違いしてしまいましたし、最近オーストリアの政界が荒れているに関わらず
テレビでも公開されませんでしたので、いつの間にか終わっていた訳でした。

これからはもう少し情報の幅を広げて
オーストリアのみならず、世界をもう少し知って行きたいと思います。

本人ならず政界まで詳しく調べて、その上解説と見解まで組み込んで頂き、有難う御座いました。


[9159] Re2:オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/12 (水) 04:14:29 御神楽

▼ 徳翁導誉さん
▼ オーストリア担当さん

オーストリアが短いままだった事をすっかり失念していました。
差し替えて頂く事自体はもちろん構いませんし、
彼の経歴についても、それ以下の事しか調べられませんでした。
英語版Wikiぐらいしか良い情報源も見つからなかったので… orz

> 確かヴァルトハイムもヒトラーユーゲント出身で
> 無理矢理大統領になれたものの、アメリカらに嫌われていましたし

氏は無理矢理大統領になれたというよりも、
立候補後にその事実が発覚して欧州やアメリカが「好ましくない」と声明を発表したところ、
オーストリア国民から内政干渉だ、と反発され、逆に彼の得票が伸びたとの事です。
ただ、アメリカをはじめとする幾つかの国は、彼を入国禁止措置にしたようです。

また、ナチスに反感を持っていたオーストリア国民は数多く居ましたが、
それと同じだけ大ドイツ主義を歩もうと考える国民がいましたし、
彼自身の経歴は「一般的オーストリア国民」の経歴と思います。

まぁ、オーストリアにおける近年の極右政党の伸張は、
極右的な政策や言動に強い支持が広がっているというよりも、
政府の抱える腐敗への反発が原因というように思います。
どちらかといえば、ハイダー氏が大きな支持を集めたのも、
国会で果敢に腐敗や制度改革に取り組んだ事のようですから。

思想信条と政治的手腕は別問題という例なんでしょうねぇ…
後任の党首は何でも20代後半という事で、それもある意味凄まじいです(^^;


[9166] Re3:オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/13 (木) 19:10:24 徳翁導誉

> > そして、悲しい事に実績と言う実績を持たず
私も細かい事は解りませんが、
収監前には地方政界では頭角を現してますので、
中央政界での実績の無さは、即ち、実力の無さとはならないかも知れません。

> > 右派と左派が「馴れ合い」されればその内怒るのは当然ですよね。
> > しかし、大連立をしたからこそオーストリアは良かった訳ですが。

中道右派と中道左派で、ほとんどの議席を獲得してしまっていては、
その他の政党が割り込んで来るには、極右政党か極左政党しかないので、
そうした極端な政党と組むくらいなら大連立を、という流れもあったみたいですけど。

まあ、こういうのは、本当に政治体制(選挙制度)の難しい所ですよね。
アメリカみたいに、実質的に2つの政党しかないと「白か黒か」しかない政治になりますし、
かと言って、「二大政党+α」ですと、小が大を統べるようなケースや、
それを避ける為の、二大政党による大連立なんて事態も生みかねず、
だからと言って、いくつかの政党が乱立すると、政治的な安定を欠き、
絶えない連立により、選挙民の意向とは異なる方向にも進みかねない。
とは言え、一党独裁なんて言うのは以ての外。
う〜ん、難しいモノですね。

> > 確かヴァルトハイムもヒトラーユーゲント出身で
> > 無理矢理大統領になれたものの、アメリカらに嫌われていましたし
> > やはりこういった経歴を持つ人は珍しくないのですね。

政治の世界に住む人間であれば、当然そうした経歴をもつ者も居ますよね。
政界の階段を登って行くにも、その時ある階段を登るのが基本であり、
ただ単に、「敗戦国」となったから問題になるだけで。
戦後の日本にも、岸総理や重光副総理なんていうのがありましたし。

逆に言えば、前政権に荷担した者は全て追放とかやると、
その後の政治運営は、未経験者ばかりでろくな事にならない事が多いですからねえ。
アメリカにしても、客観的にはそれを理解しているので、
アフリカの内戦処理では、反政府側と前政府側を強引にでも握手させるのに、
自らが当事者となったアフガニスタンでは、タリバンを完全に追放しようとして、
アフガン情勢を、泥沼に落とし込んでしまった側面もありますし。


> 彼の経歴についても、それ以下の事しか調べられませんでした。
> 英語版Wikiぐらいしか良い情報源も見つからなかったので… orz

ゴルバッハの経歴は、ドイツ語サイトから引用しました。
とは言え、私もドイツ語なんて解らないので、「独語→英語」の翻訳を通しましたが。
ですので、前述の文章の中にも、間違って訳している箇所があるかも?(笑)

> ただ、アメリカをはじめとする幾つかの国は、彼を入国禁止措置にしたようです。
「入国禁止措置にした」と言うよりも、
元ナチの入国を禁じている為、それに引っ掛かったという方が正しいでしょうね。
先日、アルゼンチンのサッカー代表監督に、あのマラドーナが就任しましたが、
過去の薬物使用により、日本への入国は出来ませんし。
特筆すべき点もない一般人ならまだしも、あそこまでの著名人となりますと、
受け入れる側の政府としても、法を厳粛に適用するしかないでしょうからねえ。
とは言え、それも政府の都合次第なんでしょうけれど。
日韓W杯の時には、日本もマラドーナの入国を特別に許可しましたし、
アメリカもフォン・ブラウンを帰化させ、アメリカの為のロケットを作らせましたし。

> まぁ、オーストリアにおける近年の極右政党の伸張は、
> 極右的な政策や言動に強い支持が広がっているというよりも、
> 政府の抱える腐敗への反発が原因というように思います。
> どちらかといえば、ハイダー氏が大きな支持を集めたのも、
> 国会で果敢に腐敗や制度改革に取り組んだ事のようですから。

現在の日本で言えば、共産党の支持率が上がっているようなのと同じですかねえ?
ここ1年での新規入党者が、1万人を越えているそうですし。

> 後任の党首は何でも20代後半という事で、それもある意味凄まじいです(^^;
日本で20代の国会議員というと、
「ヒラリーマンから衆議院議員へ」の自民党・杉村太蔵と、
「キャバクラ嬢から衆議院議員へ」の民主党・太田和美くらいですか?
衆院480人のうちの1人ならまだしも、さすがに党首は嫌だなあ(笑)。


[9172] Re4:オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/14 (金) 17:29:59 御神楽

▼ 徳翁導誉さん
今略伝を眺めていて気付いたのですが、イタリア・ファンファーニ首相の解説が、
ベルギー・ルフェーブル首相のものになってしまっていました。

> > どちらかといえば、ハイダー氏が大きな支持を集めたのも、
> > 国会で果敢に腐敗や制度改革に取り組んだ事のようですから。

> 現在の日本で言えば、共産党の支持率が上がっているようなのと同じですかねえ?
> ここ1年での新規入党者が、1万人を越えているそうですし。

『共産主義は信じていないし、私は反共主義者だが、共産党に入れる』
という人が友人に何人かいますし、ネットでも見かけますね。
イデオロギーより先に切実な問題があり、それを解決する意志を見せている点が、
支持拡大の理由として大きそうですね。
(ただ、彼等が政権を取れる事無い、という『油断』もあるかもしれませんが 笑)

> > 後任の党首は何でも20代後半という事で、それもある意味凄まじいです(^^;
> 日本で20代の国会議員というと、
> 「ヒラリーマンから衆議院議員へ」の自民党・杉村太蔵と、
> 「キャバクラ嬢から衆議院議員へ」の民主党・太田和美くらいですか?
> 衆院480人のうちの1人ならまだしも、さすがに党首は嫌だなあ(笑)。

何でも、ハイダー氏が自ら育ててきた「右腕」らしいです。
現状に不満を持った若者に支持者が多いとの事ですし、
議員や党員の平均年齢が若そうなイメージはありますね。


[9174] Re5:オーストリア政界 今昔物語返信 削除
2008/11/14 (金) 23:11:39 徳翁導誉

> 今略伝を眺めていて気付いたのですが、イタリア・ファンファーニ首相の解説が、
> ベルギー・ルフェーブル首相のものになってしまっていました。

おお、それはすみません。
貼り直しておきました。

> > > どちらかといえば、ハイダー氏が大きな支持を集めたのも、
> > > 国会で果敢に腐敗や制度改革に取り組んだ事のようですから。

> > 現在の日本で言えば、共産党の支持率が上がっているようなのと同じですかねえ?
> > ここ1年での新規入党者が、1万人を越えているそうですし。

> 『共産主義は信じていないし、私は反共主義者だが、共産党に入れる』
> という人が友人に何人かいますし、ネットでも見かけますね。
> イデオロギーより先に切実な問題があり、それを解決する意志を見せている点が、
> 支持拡大の理由として大きそうですね。

野党でいてくれる分には、十分に存在価値はありますしねえ。

> (ただ、彼等が政権を取れる事無い、という『油断』もあるかもしれませんが 笑)
油断という表現ですと、共産党政権が誕生する可能性があるかのように聞こえますが?(笑)
党名や綱領を変えるくらいの事がなければ、連立政権に加わる事もないでしょうし、
共産党単独政権なんていうのは、まず間違ってもないでしょうからねえ、
その一方で、国営企業化されるトヨタや、人民軍と化す自衛隊、千島全島の奪還など、
共産党単独政権による日本っていうのも、ちょっと怖いモノ見たさで見てみたかったり(笑)。

> > > 後任の党首は何でも20代後半という事で、それもある意味凄まじいです(^^;
> > 日本で20代の国会議員というと、
> > 「ヒラリーマンから衆議院議員へ」の自民党・杉村太蔵と、
> > 「キャバクラ嬢から衆議院議員へ」の民主党・太田和美くらいですか?
> > 衆院480人のうちの1人ならまだしも、さすがに党首は嫌だなあ(笑)。

> 何でも、ハイダー氏が自ら育ててきた「右腕」らしいです。
> 現状に不満を持った若者に支持者が多いとの事ですし、
> 議員や党員の平均年齢が若そうなイメージはありますね。

まあ、極右にしようが、極左にしようが、
極端な思想を支持するのは、若者の方が多いですからねえ。
そう言う意味では、同年代の強みというのはあるかも知れませんね。

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