| 戦場の背景をご存じでない方が多かったのでざっくり解説を書いてみました。
興味のある方だけ読んでください^^;
駄文で長文失礼します。
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今回の戦場は
シチリアがローマ支配下にあり
なおかつスペインにカルタゴ勢が伸びているという配置になります。
これは、3回あったうちでも、もっとも有名な第2次ポエニ戦争の時代を
再現しているといえるでしょう。
簡単に、第2次ポエニ戦役以前の話をしますと
イタリア半島を統一したローマは、イタリア半島に近いシチリア島へ勢力を伸ばそうとします。
シチリア島は、位置的に地中海の真ん中に位置した戦略的要所でした。
ローマの行動に対して、それまで西地中海地域に勢力を築いていたカルタゴが介入するという形で
第1次ポエニ戦役が発生します。
つまり
第1次ポエニ戦役は、西地中海の制海権の行く末を左右するシチリア島の覇権を
ローマ・カルタゴ両国が争った戦争でした。
結果的に、カルタゴはローマに敗れ
西地中海における影響力を失いました。
西地中海における覇権は(シチリアが重要になるのは上で述べましたが)
シチリアを有しているローマにあるということです。
このまま行けば
西地中海においてはローマの覇権が確立されるはずだったのですが
(事実、カルタゴはかなり弱っていました)
スペイン方面を開拓していたカルタゴ人の一族がありまして・・・
このカルタゴ人の一族が状況を一変させることになるのですが。
これがかの有名なハンニバルの一族です。
ハンニバルの一族は、新天地スペインにおいて力を蓄えていました。
そして十分な力をもったところで、
ハンニバルはローマの覇権を崩すために立ち上がります。
ここで、有名なハンニバルのアルプス越えが行われるわけです。
スペイン方面から海を使わずに(制海権はローマが握っているので)
イタリア半島へ行軍するからアルプスをこえる必要があったわけですね。
かなりローマが有利な状況から開始されたこの戦役ですが
英雄と呼ぶにふさわしいハンニバルの、すぐれた戦略眼とすぐれた戦術的才能によって
ローマを滅亡寸前まで追い詰めます。
ここで軽く、ハンニバルのすぐれた戦略に触れても良いと思います。
ハンニバルが構想した戦略は、
イタリア半島に、自分が軍隊を率いて乗り込み、
そこでローマ軍を破り、同盟都市の動揺を誘い、ローマの地盤であるイタリア半島の同盟都市の離反を起こし
勢力を蓄えたところでローマをうつというものでした。
つまり、第一次ポエニ戦役において、驚異的な団結力を持って祖国カルタゴを打ち負かしたローマに対して
その団結を打ち壊すことで勝利しようとしたわけですね。
実際、ローマがイタリア半島を統一したといっても、全土がローマの直轄地と言うわけではなく
平定した各部族と同盟を結び、ローマの覇権に組み込んだという形にしていたので
皆さんが想像するようなローマ帝国がイタリア半島において成立したというよりは
ローマ連合ともよべるものがイタリア半島にあったと考えていただけるのが一番良いでしょう。
さて、ハンニバルは60%、この戦略に成功いたします。
ハンニバルはイタリア半島内での
史実上有名な、カンネの戦いにおいてローマ正規軍に対して
圧倒的な勝利をおさめます。
これは現代でも陸軍学校で教えられているほど鮮やかなものでした。
この勝利を目の当たりにし、ローマに敗北したことで同盟を結んでいた同盟都市が
ローマに対して裏切りを始めます。
結果的には南イタリアだけの離反にとどまりましたが
ローマはこのあとハンニバルに大いに苦しめられることになります。
カンネでの圧倒的で壊滅的な敗北を受け
ハンニバルと正面衝突をしても、かれの鮮やかな作戦指揮には勝てないことを思い知ります。
そこでローマは、戦略を変更します。ハンニバルと正面からぶつかる事は避け、彼を南イタリアにくぎ付けにし
その間に
海外に展開している(ハンニバルの地盤スペイン・シチリア島)ローマ軍の勝利を待つという戦略を
ローマはとります。
ただ、本国内で大暴れされて弱っているローマは、スペインにおいても、シチリアにおいても決定的な勝利をおさめることができませんでした。
また、ハンニバルは、ローマと正面からぶつかって、鮮やかな勝利を挙げて離反を誘うという戦略を取り続けたかったのですが
ローマが、正面からぶつかってこないので、ハンニバルも決定的な一手を打てませんでした。
というわけで、両国は膠着状態に陥りました。
もちろん、本国で戦闘をしているローマが、日に日に弱っていきます。
事実、ハンニバルは東側のマケドニア王国にも助けを求めたり、積極的な介入をカルタゴ本国に求めたりと
様々な手を打ちます。
しかし、マケドニア王国との共闘関係は結局うまくいかず、
優柔不断なカルタゴ本国は、積極的な介入をしませんでした。
そして膠着状態が続くかと思われた時・・・・
ローマに現れたのが、有名なスキピオです。
彼は、元老院にて軍の指揮権を得てハンニバルの本拠地スペイン制圧に向かい、これを見事成し遂げます。
そのまま彼は、北アフリカのカルタゴ本国へ侵攻します。
恐れをなしたカルタゴ本国はハンニバルをただちに本国へ召還します。
ハンニバルは南イタリアからの困難な脱出を成し遂げ、北アフリカに入りました。
ここで、これまた有名な
ザマの戦いが発生するわけです。
ここで、生涯勝ち続けてきたハンニバルは、唯一にして決定的な敗北を喫します。
これにより、カルタゴはローマに降伏します。
スキピオの、敵本土に侵攻するという戦略が勝利したわけですね(ハンニバルのマネと言えばマネですが)
というわけで、2度も戦争に敗れたカルタゴは歴史の表舞台から退場し
ローマは、スペイン・北アフリカ、と徐々に勢力を広げ
ローマ帝国を形成することになるのです。
このポエニ戦争を最後に、今までの貴族政治は崩れ
一人の傑出した、英雄・皇帝の時代となります。
では、次回があるとすればまた次回^^
長文失礼しました・・・・
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