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[12254] 日本の名将トップ10返信 削除
2009/8/22 (土) 17:07:40 徳翁導誉

ここのスレッド↓の流れからですが、
http://f25.aaa.livedoor.jp/~douyo/kjbn/kjbn.cgi?tree=r11978
やはり、いきなり世界史だと大きくなりすぎるので、
最初はひとまず、「日本の名将トップ10」を決めると言う事で。
まあ大体、行程的にはこんな感じですかねえ?
 行程1.名将と思われる人物を、自由に上げていく
 行程2.時代ごとに定員を設け、一定数に絞り込む
 行程3.絞り込まれた人物を採点し、ランキング化する

ちなみに、時代区分はこんな感じで、各5名+αくらいかな?
 古代(大和王権〜平治の乱 古墳・飛鳥・奈良・平安)
 中世(平氏政権〜応仁の乱 源平・鎌倉・南北朝・室町)
 近世(明応政変〜大塩の乱 戦国・織豊・江戸)
 近代(幕府開国〜軍縮会議 幕末・明治・大正)
 現代(満州事変〜戦後日本 昭和・平成)
 
行程1での集まり具合で、枠は増減しても良いでしょうけど、
現時点での構想では、行程2で「30名程度」に絞り込み、
行程3のランキング化で、「トップ10」が決定という流れを考えています。
まあ場合によっては、行程2と行程3を一緒にして、
1人につき「各時代1票+自由枠1票」の計6票を投票して、
その合計票数により、ランキング化しても良いでしょうね。
採点するとなると、やはり参加への敷居が高くなりますし、
評者人数が少なければ、「各時代3票+自由枠5票」みたいに対応できますから。


まあ取り敢えず、実例として何人か試しに上げてようかな?
戦国時代や太平洋戦争などは、詳しい人も多いでしょうから、
まずは最も人気薄であろう古代前半から、数名ほど上げてみましょうかねえ。
略伝に関しては、キューバ危機↓のを考慮して「40文字×5行」を目処に。
http://www.geocities.jp/kako_log7/red_session/ryakuden.html


物部麁鹿火[モノノベ ノ アラカイ](?〜536年)【古代:古墳時代】
 ◆継体天皇を擁立し、大和王権の国内統治基盤を整えた大連◆
 跡継ぎなく武烈天皇が崩御すると、大連(天皇補佐役)の麁鹿火は、
 越前の男大迹王(継体天皇)を推戴し、反対する畿内の豪族たちを平定。
 また、九州で筑紫国造の磐井が、新羅と結んで反乱を起こすと、
 自ら九州まで出向いてこれを討ち、大和王権の国内統治基盤を整備。
 継体天皇の死後も、安閑天皇・宣化天皇の元で大連の職を歴任し続けた。


阿倍比羅夫[アベ ノ ヒラフ](?〜?)【古代:飛鳥時代】
 ◆南北の海を渡った中大兄皇子(天智天皇)の将◆
 当時の国境最前線である越(北陸)の防衛を任されていた比羅夫は、
 蝦夷(東北)の日本海沿いを鎮圧し、渡海して粛慎(北海道?)まで侵攻。
 その後、百済再興を支援する為に朝鮮へ派遣され、新羅軍を打ち破るが、
 翌年に起きた白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗れて撤退。
 帰国後は唐軍襲来に備えるべく、太宰府の長官に据えられて国防にあたった。


村国男依[ムラクニ ノ オヨリ](?〜676年)【古代:飛鳥時代】
 ◆壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)を勝利に導いた立て役者◆
 美濃の豪族出身で、大海人皇子が蜂起した際に美濃へ使わされてると、
 兵3000を集めて要衝・不破を塞ぎ、近江朝廷と東国の連絡路を遮断。
 更には、東国の兵を糾合して近江方面へと進軍すると、
 敵将を次々に討ち取って大津宮へと迫り、大友皇子を自害に追い込む。
 こうした男依の活躍により、大海人皇子の側に勝利がもたらされる事となる。


大伴吹負[オオトモ ノ フケイ](?〜683年)【古代:飛鳥時代】
 ◆壬申の乱で大和方面を受け持った、もう1人の将◆
 大海人皇子が蜂起すると呼応して、飛鳥の旧都を謀略を用いて奪取。
 その功績により、大海人皇子から大和方面の指揮を任されると、
 会戦には敗れながらも、近江朝廷軍の侵攻から旧都を守り抜き、
 その間に村国男依の近江進軍が始まると、吹負は河内方面へと転戦。
 近江朝廷の後背を常に脅かし続けて、大海人皇子側の勝利に貢献した。


栗隈王[クリクマ ノ オオキミ](?〜676年)【古代:飛鳥時代】
 ◆壬申の乱において、敢えて兵を動かさなかった国防の将◆
 白村江の戦いで日本が敗れると、九州の防衛が固められる事となり、
 皇族(敏達天皇の孫)である栗隈王は、筑紫の長官として現地に赴任。
 その後、壬申の乱が起きると、大友皇子より参戦を命じられるも、
 「国防の為の軍を、内乱の為に動かしてはならない」として敢然と断り、
 大海人皇子が乱に勝利すると、これを評価されて兵政官長に抜擢された。


大野東人[オオノ ノ アズマビト](?〜742年)【古代:奈良時代】
 ◆聖武天皇の統治を支える為に東奔西走した将◆
 長年、陸奥(東北)の鎮守将軍を任せられ、支配地域を広めると共に、
 奥羽山脈を横断して、太平洋岸と日本海岸を結ぶ道を開通させる。
 その後、太宰府に左遷された藤原広嗣が九州で反乱を起こすと、
 東人は聖武天皇より追討軍の大将軍に任じられ、即座に乱を鎮圧。
 聖武天皇が恭仁京へ遷都した際には、旧都となった平城京の守りを任された。


坂上田村麻呂[サカノウエ ノ タムラマロ](758年〜811年)【古代:平安時代】
 ◆征夷大将軍として名声を得た古代日本の伝説的な将◆
 東北へ派遣された朝廷軍が、アテルイ率いる蝦夷軍に敗れると、
 初代・征夷大将軍に任命された大伴弟麻呂の元、実質的な指揮を任され、
 後に将軍職を引き継ぐと、東北での勢力圏を広げた古代日本の伝説的な将。
 ただ実際には武人という以上に、慰撫に優れた政治家だったらしく、
 朝廷に戻った後には参議に列し、最後には大納言にまで出世する。

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