| ▼ 徳翁導誉さん
> > このあたりは阿倍比羅夫と坂上田村麻呂しか知りませんでした。
> > 壬申の乱の指揮官とか勉強になります。
> 予想通りと言いますか、何と言いますか、
> やはり、全く他の方からの反応がないですね(笑)。
> 逆にいっそ、戦国時代などから書き始めた方が、反応も良かったのかな?
> それとも名将云々とかには、あまり興味がないのかなあ?
すみません。推薦をし忘れていました。
さっそく推薦します。
吉備真備[キビ ノ マキビ](695年〜775年)【古代:奈良時代】
◆孝謙天皇・称徳天皇(注意 同一人物)の統治を支えた天武朝最後の将◆
吉備地方で有力な地方豪族吉備氏の出身で、孝謙天皇・称徳天皇には、
信頼をされ、孝謙天皇・称徳天皇の統治を支えた武将。
大宰大弐となった際には、大宰府防備のために怡土(いと)城を築き、
孝謙上皇と対立した藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を起こした際には、
従三位に昇叙され、中衛大将として追討軍を指揮して乱鎮圧に功を挙げた。
しかし、称徳天皇が崩じた後には、後継の天皇候補として天武系の皇族を推したが、
藤原家が推した天智系の白壁王(後の光仁天皇)が後継の天皇となり、権力争いに敗れた、
その際に「長生の弊、却りて此の恥に合ふ」と嘆息したという。
その後、老齢等を理由に辞職を申し出、官位を辞職し775年に息をひきとった。
吉備 真備って、私は武将だと思っているのですが、やはり文官っぽいですかね?
藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の際の素早い行動(要衝の勢多橋を焼いて、仲麻呂軍の東山道への進路を塞いだ等)
をみていると武将として評価してもいいと思うのですがね。
古代はメジャーな武将が少ないですからね。
私は古代の武将というと、
坂上田村麻呂→物部麁鹿火→吉備真備という順で思い浮かんでしまって、
管理人様が推薦した中には、吉備真備様が入っていなかったので、今回推薦させていただきました。
> って、歴史ネタで盛り上がろうとするなら、
> 「if」ネタとかの方が良かったですかねえ?
> これですと、あまり知識に関係なく書けますし。
「if」ネタはおもしろいですが、
展開がカオスになり大変なことになるのでやるなら、
注意された方がいいです。 |
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