| > 民主党の例を引っ張ってくる事は其れこそ貴方の仰る「関係のない事から関連性を引っ張ってくること」に該当すると思います。
確かに民主党は例としては悪いようですね。
高所恐怖症や犬嫌いの方が例としては適切かもしれません。
> 武道の最高奥義ですか・・・;^^
> 何かの武道をされていたのですか?
> まあ当たり前の基準も人や地域や考え方によって違いますよね。
私の場合は剣道です。2年半やって2回だけなった事があります。
驕りも無く昂りも無く恐怖も期待も不安も無く、水鏡の様に静まった心の世界と言うやつです。本当に何にも無いので「無の状態」とも呼ばれます。
通常の状態では感情に影響された行動選択がされています。しかし明鏡止水に入ると感情が無いので今までと違う行動を取るようになります。
その時は試合で、相手の面の所が打てそうだなと思っただけでした。次に相手を見ると私の竹刀が相手の面に叩きつけられていました。
隙があるからそこを打つ。実に当たり前の行動でした。
それまでは感情に支配されていて、打ち込んで本当に当たるのか。どのタイミングで打ち込もうか。どうやって打ち込もうか。決まったらどうしようか。そもそもこれは本当に隙なのか。
などいろいろな考え・感情により、余計な行動を取ったり動作が遅れたり行動そのものを見送ったりしていたのです。
このようにして感情に支配されていると、当たり前の行動が出来なくなるのです。
> まあ当たり前の基準も人や地域や考え方によって違いますよね。
と言う訳で、当たり前の基準に人や地域による考え方の違いは関係ありません。
当たり前の事とは、その人にとっての当たり前の事です。そして感情によってその当たり前の事が出来なくなるのです。それが出来る状態が「明鏡止水」となります。
とは言え、こんな状態を意識的に発動させたり常時保てたりする人間は悟りを開いた聖者と呼ばれるでしょう。
なのでこんな状態を期待する方が悪いということになり、言い合いをしているのは世の常となり、やっぱりスルーした方が良かったかなとなってしまします。 |
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