| ▼ salamanさん
> 鎌倉〜江戸幕府の日本では、軍事力は武士の男子に有りました、
> 江戸幕府(では or の)、国民とは武士で、少数派(政治的少数派・マイノリティグループ)が農民でした。
貴方の政治的少数派が何を意味するのか詳しくはわからないですが、少なくとも武士のみが国民、と言うのはあり得んでしょう。
そもそも武士は現在の警察、公務員(国家から地方まで)、政治家、裁判長等を担当している一身分かつ職業であり、まぁ、何割かは
職にあぶれたりだのして浪人になってたりしてた訳ですが、あくまでも士農工商全てが職業選択をいくらか制限されただけの国民です。
農民も金を払えば武士の身分を得ることは出来ましたし、武士も辞めて俳句読みながら東日本を旅したりしてる人もいます。
そして農民自体も自らに限界以上の重役がのしかかれば、革命権の行使として一揆や打ちこわしを行ったわけです。
そして幕府も、あくまで武士主体ではあったものの、農民のことも考えて政治を行ったりはしてました。
> 明治維新後、兵役を血税として日本国男児に課し
> 武士の地位は相対的にさがりました←(これが背信です、元々の国民の権利を弱めること)
> (武士が軍事力を養えなくなり、発言力・政府影響力が低下 西南戦争(明治10年)へ)
> (1872年(明治4年)に学制(普通教育)導入)
上に書いてある通り、私の認識ですと武士の地位を相対的に下げたのは背信行為ではなく、各種権利的格差の
是正であったと考えています。
それと学生が導入されたことが何故背信的行為なのか分からないのですが。
それまでも寺子屋等において教育はなされてきましたし、それはまぁ、農民は行かせる行かせないはありましたが、
それほど差があるとは思えませんが。 |
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