| ▼ プロイセンさん
> ▼ 御神楽さん
> > ▼ 徳翁導誉さん
> > > キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
> > > 興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
> > >
> > > どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、
> >
> > という事で、少しは知っている三名について、
> > もう一度調べなおすついでに作成してきました(笑
> > 間違いがありましたらご容赦ください。
> >
> > リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew - 1923〜)
> > 初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年)
> > 弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。
> > 63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。
> > シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。
> > 同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。
> >
> > スミス首相 ( Ian Douglas Smith - 1919〜2007)
> > 初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年)
> > 植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。
> > 英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。
> > その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。
> > 最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。
> >
> > カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda - 1924〜)
> > 初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年)
> > 62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。
> > 社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。
> > アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。
> > その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。
>
> じゃ、ケニヤッタを。
>
> ケニヤッタ首相 ( Jomo Kenyatta )
> 初代・ケニア首相[のちに大統領](1963年 - 1978年)
> 1963年に英連邦王国としてケニアが独立すると、初代首相として就任。共和制移行後は
> 初代大統領として統治した。一貫して親西側の外交を進め、アフリカの地域大国に育てる。
> 一方、国内では出身民族を優遇する政策を推し進め、後の民族対立の端緒となる。
お二人でここまでやっていますので、最後を取りましょう。
ジュリウス・ニエレレとカフタン・アル=シャービです。
アル・シャービ大統領 ( Qahtan Muhammad al-Shaabi )
初代・南イエメン大統領(1967年 - 1969年)
FLOSYやFSA政府との内戦に勝利し、英国より独立承認を取り付け、独立後大統領に就任。
ソ連に接近しアデン港をソ連海軍の基地として提供。「アラビアのキューバ」と呼ばれる。
北イエメンとの統合促進や協調体制を進める一方、ドファール内戦で共産ゲリラへ支援を行う。
しかし、政権内では内紛が生じたため、69年失脚する。
ニエレレ先生 ( Julius Kambarage Nyerere )
初代・タンガニーカ首相[のちに大統領](1960年 - 1985年)
イギリス留学後教職にあったが、政治活動へ転身を果たし初代首相に就任後一度職を辞す。
62年に大統領制が敷かれると大統領に就任。ザンジバルとの連合国家形成を成功させた。
アルーシャ宣言に基づき、ウジャマー村構想といった独自の社会主義政策を進め中国に接近。
が、経済政策の失敗から引責辞任。アフリカ連合設立に携わりアフリカの安定に大きく寄与した。 |
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