| ▼ 徳翁導誉さん
>(ちなみに東京五輪は、1961年ではなく1964年です)
22連勝の話だったので・・・・・
1961年のヨーロッパ遠征の時の日紡貝塚女子バレーボールチームのことだと思いました。
同チームはその後の東京五輪にほとんどの日本代表を輩出し金メダル獲得に大きな貢献をしたチームですからね。
> それと、エキサイティングな試合を演出する為に、
> 高さとパワーを重視する方向へ、ルール改正が行われたのも、
> 身体能力で劣る日本にとっては、かなり不利に働きました。
難癖レベルになって申し訳ないですが、
ルール改訂とかがされるといろいろと変わりますよね。
たとえば、冬季オリンピックのスキージャンプ競技はスキー板の長さが変更されたので、
日本が不利になったと聞いています。
競技の前提となるルールが変わってしまうと・・・・・
必要な技術も変わると思っていました。
> > > 正直な所、スポーツ・競技全てに体格差はありますよ。
> > > しかし、それだけで勝敗が決まるのは言い訳と言うのには賛同します。
> > > 高校時代に柔道初段を取った時に柔道の先生からこう言われたことがあります。
> > > 「体格差は問題ではない。技術は全ての人に等しく平等だ」と。
> 私も、野球やサッカーをやってきましたが、
> 私の身体能力なんて、学年の中でも平均以下・・・と言うか下位レベルだったので、
> 思い通りにボールを扱える器用さと、常にいろいろ考える癖、それと根性がなければ、
> まともにプレイなんか出来なかったと思います。
> (もちろん、身体能力の差でやられた記憶もたくさんありますが・笑)
私は身体能力がある人、いない人を差別・区別するつもりは全くありません。
> > > それに技術は応用だけではありません。基本もありますよ。
> > 確かに基本的な技術もありますが、
> > 私個人は技術は本質的には応用だと思っています。
> ハッキリ言ってしまえば、その「技術は応用」という前提が間違っています。
> 「心技体」とはよく言ったもので、基本的にスポーツと言うのは、
> 「精神力・技術力・身体能力」の3本柱が組み合わさる形で出来ており、
> それは決して、ピラミッド構造で出来ている訳ではありません。
> 強いて表すなら「(身体能力+技術力)×精神力」って感じです。
> まあ、身体と技術の比重は、スポーツの種類によって異なり、
> 精神力の方はパーセント表示で限界以上には上がらない・・・って、
> この辺の感じは、スポーツをやって無いと伝わり難いのかなあ?
技術はスポーツをうまくになるために必要だから、
応用かなと考えていました。
「心技体」については、「精神力・技術力・身体能力」の三つだということは知っていました。
ですが「(身体能力×技術力)×精神力」だと思っていました。
技術力は+ですか・・・・・・・
余り関係ところかもしれないですが。
> では、受験勉強とかに例えれば分かり易いですかねえ?
> この場合の身体能力は、まあ「IQ」とか「地頭の良さ」みたいな感じで。
> で、問題を解く為のテクニック習得などが、ここでの技術力でしょうか。
> よく「いくら勉強しても、頭の良いヤツには敵わない」などという人が居ますが、
> 結局そう言う人は、基礎的なテクニックが備わっていない場合が多いです。
> テストで点を取るなんて言うのは、地頭とか以前にテクニックの問題ですから。
> スポーツでもそうですが、基本的な上達の段階は、
> 「基礎技術→身体能力→応用技術」というステップを踏んで行きます。
> そう言う意味では、最初の「技術は応用」と言うのも、一部分では正しいんです。
> しかし、「技術は基礎」という部分が抜けていては、完全に正しいとは言えません。
> 例え、どんなに優れた身体能力を持っていたとしても、
> ボールをちゃんと投げる事が出来なければ、野球で活躍する事は出来ませんし、
> ボールをちゃんと蹴る事が出来なければ、サッカーで活躍する事は出来ません。
> 「そんな事は当たり前だ」と思うでしょうが、実はそれこそが根幹なんです。
> スポーツによく典型的な成長例というのが有りまして、
> 下手なチームが、格上な指導者を呼んだ時に、
> 選手たちは「どんなハイ・レベルな指導をするのか?」と考えるのですが、
> しかし指導者は、本当に基礎的な練習を繰り返すばかりなんです。
> 「そんな事は知っている」と、選手たちは不満に思うのですが、
> 実際には、「知っている」と「出来る」の間には、大きな隔たりが有るんです。
> そして出来ない人の多くは、自分が何を出来て、何が出来ないかを知らないんです。
> ですので、先の例の受験勉強で言うなら、
> 「頭の良いヤツには…」というのは、往々にして、
> 今現在の学年から、問題集を開いてやろうとするから解らないのであり、
> 急に成績が上がる人と言うのは、下手をすれば小学生のドリルくらいから始めて、
> 自分が解らない所を認識し、それをちゃんと埋めて行くんです。
知っているからこそ、それを出来るようにしていくのが練習ですよね。
知っていても出来なければ意味がないですからね。
> って、何だか話題が逸れてしまいましたが(笑)、
> 「技術は応用」である以前に、「技術は基礎」なんです。
> ラグビーの日本代表に関しても、外国勢との体格差が云々言う以前に、
> ボールをポロポロ落としたり、同体格でも押し負けたりなどは基礎技術の問題であり、
> その他にも、いつも通りのプレイが出来ないと言う精神力(経験)の問題もあるんです。
> 前回書いた事は、まずはその欠点を修正するのが先で、体格差を言うのは二の次だと言う事。
> とは言え、それを唱えるのは容易でも、実行するのは大変ですけどね。
> まあ確かに、おっしゃるような「時間とコスト」の問題はありますが、
> サッカー界の成功が見せたように、その辺は困難ではあっても不可能ではないのですが、
> それより何より、「ラグビー界の体質改善」の方があまりに巨大な問題で・・・・
> 本気で世界と対抗する気なら、大学ラグビーの変革は必須でしょうし、
> 国内だけで良いなら、数十億円の赤字が出るW杯の日本開催はすべきでないでしょうし。
ラクビ―からずれてしまってましたね。
「技術は基礎」ですか。
ボールをちゃんと蹴る事も技術ですね。
ラグビーについてというとW杯の日本開催には個人的には賛成です、
世界的な大会を開くということで何らかのものが得られてレベル向上につながるからです。
改革が必要な事は同意します。
まずは、「心技体」のうちの心、つまり、精神力の強化です。
近年、日本国内のラグビー選手の実態は、いろんな事件を引き起こして逮捕される、
体育会系のモラル低下の典型例のひとつとして批判の対象となることが多いですからね。
もちろん、やっているのは一部の選手たちであり、
大部分の選手達は問題ないのですが、まずはイメージの改善からはからないといい選手が集まらない気がします。
それに、ラグビ―とアメリカンフットボールは混合されやすいので、
知名度の向上の為にもW杯の日本開催に賛成します。
> > 技術は全ての人に等しく平等だからこそ、
> > 互いの技術が拮抗してしまうと最期は体格差等で勝敗が決まってしまうのです。
> 精神力と技術力が一緒という条件が有れば、
> 確かに後は、身体能力の差がモノを言うのは確かです。
> しかし、そもそも、そんな前提条件を持ち出している時点で、
> 「体格差の優劣が勝敗を決める」なんて結論に至るのが違うのでは?
> それが通るなら、精神力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは技術力の差ですし、
> 技術力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは精神力の差になるのですから。
「心技体」と言われていますから、
他の二つが拮抗していると最後の一つで決まるというのはおかしくない。
と考えていました。
暴論だったらもう申し訳ない。 |
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