| > >(ちなみに東京五輪は、1961年ではなく1964年です)
> 22連勝の話だったので・・・・・
> 1961年のヨーロッパ遠征の時の日紡貝塚女子バレーボールチームのことだと思いました。
> 同チームはその後の東京五輪にほとんどの日本代表を輩出し金メダル獲得に大きな貢献をしたチームですからね。
ああ、そちらの方でしたか。
これはまた失礼を(笑)。
> > それと、エキサイティングな試合を演出する為に、
> > 高さとパワーを重視する方向へ、ルール改正が行われたのも、
> > 身体能力で劣る日本にとっては、かなり不利に働きました。
> 難癖レベルになって申し訳ないですが、
> ルール改訂とかがされるといろいろと変わりますよね。
> たとえば、冬季オリンピックのスキージャンプ競技はスキー板の長さが変更されたので、
> 日本が不利になったと聞いています。
これも、解り易い部分を理由(言い訳)にしている典型例ですよね。
確かに長野五輪を境に、スキー板の長さの規定が、
「身長+80cm」から「身長の146%」へと変更されたのは事実です。
では、このルール変更で小柄な選手は一概に不利になったかと言えば、そうとも言い切れません。
事実、長野五輪の次に行われたソルトレイク五輪のラージヒル個人ですと、
金メダルのシモン・アマンは172cm、銀メダルのアダム・マリシュは169cmでした。
ちなみに、長野五輪で金メダルの船木和喜は175cm、銅メダルの原田雅彦は174cmです。
勝てなくなった理由は、もちろん色々と要因はありましたけども、
まあ、その辺の事を長々と書いても、関心が薄いかも知れませんので、
簡単に言っちゃいますと、日本側がルール変更に伴う対応や若手育成に失敗したんですよ。
> 競技の前提となるルールが変わってしまうと・・・・・
> 必要な技術も変わると思っていました。
ルールが変われば、当然ながら選手ごとに有利・不利は出てきますし、
その変更への対応がうまく行ったり、失敗したりも有りますけども、
だからと言って、根本的に必要とされる技術が大きく変わる訳では無いですよ。
そんな事になれば、それこそ、もう別のスポーツになっちゃいますので(笑)。
> > 私も、野球やサッカーをやってきましたが、
> > 私の身体能力なんて、学年の中でも平均以下・・・と言うか下位レベルだったので、
> > 思い通りにボールを扱える器用さと、常にいろいろ考える癖、それと根性がなければ、
> > まともにプレイなんか出来なかったと思います。
> 私は身体能力がある人、いない人を差別・区別するつもりは全くありません。
えっ!? いや〜、何と言うか、予想外の返しです(笑)。
私としては単純に、実体験なども踏まえた上で、
「球技は身体差を技術差で埋められる部分がかなり有る」という話をしただけで、
そこから「差別・区別」という言葉が出て来るとは、考えてもいませんでしたよ。
> > って、何だか話題が逸れてしまいましたが(笑)、
> > 「技術は応用」である以前に、「技術は基礎」なんです。
> > ラグビーの日本代表に関しても、外国勢との体格差が云々言う以前に、
> > ボールをポロポロ落としたり、同体格でも押し負けたりなどは基礎技術の問題であり、
> > その他にも、いつも通りのプレイが出来ないと言う精神力(経験)の問題もあるんです。
> > 前回書いた事は、まずはその欠点を修正するのが先で、体格差を言うのは二の次だと言う事。
> ラクビ―からずれてしまってましたね。
> 「技術は基礎」ですか。
> ボールをちゃんと蹴る事も技術ですね。
ラグビーで言えば、まずはボールのハンドリング(手での扱い)です。
あの楕円形のボールは、やはり独特の形をしてますからねえ。
ラグビー強豪国の選手たちと言うのは、小学生くらいの時から、
日本人の子供が、ドッジボールやキャッチボールを楽しむような感じで、
あの独特な楕円形のボールに触れて、慣れ親しんでいるのに対して、
日本のラグビー選手は、その多くが高校に入ってから始めますからねえ。
ラグビーに限らず、スポーツの基礎技術が最も身に付くのは一般的に12歳前後なので、
この部分での「技術力の差」というのは、根幹的な部分で結構大きいんですよねえ・・・・
> > とは言え、それを唱えるのは容易でも、実行するのは大変ですけどね。
> > まあ確かに、おっしゃるような「時間とコスト」の問題はありますが、
> > サッカー界の成功が見せたように、その辺は困難ではあっても不可能ではないのですが、
> > それより何より、「ラグビー界の体質改善」の方があまりに巨大な問題で・・・・
> > 本気で世界と対抗する気なら、大学ラグビーの変革は必須でしょうし、
> > 国内だけで良いなら、数十億円の赤字が出るW杯の日本開催はすべきでないでしょうし。
> ラグビーについてというとW杯の日本開催には個人的には賛成です、
> 世界的な大会を開くということで何らかのものが得られてレベル向上につながるからです。
確か以前にも書いたと思いますが、単に開催するだけなら私も賛成ですが、
数十億円規模の赤字が確実視されているのに、全く対処が講じられていないのが問題なんですよ。
ハッキリ言って、協会が真面目に考えているとは到底思えません。
深く考えずに事を進め、予想通りに大赤字を出して、
日本のラグビー界は崩壊、赤字は税金投入で尻拭い・・・なんてシナリオさえ、
起きかねないのが実情なんですよ、今のままだと。
今回のW杯にしても、開催国で優勝したニュージーランドですら25億円の赤字でしたし。
> 改革が必要な事は同意します。
> まずは、「心技体」のうちの心、つまり、精神力の強化です。
一応言っておきますけども、「精神力」と言っても、
緊張で硬くならないよう心を落ち着かせるとか、苦しい場面でも踏ん張るとか、
そう言った意味での言葉ですよ(だからこそパーセント表示と説明したと)。
ですので、品行方正だ、モラルだ、というのとも、また別の話です。
もちろんですが、戦前のような無用の精神論とも違います。
> 近年、日本国内のラグビー選手の実態は、いろんな事件を引き起こして逮捕される、
> 体育会系のモラル低下の典型例のひとつとして批判の対象となることが多いですからね。
う〜ん、正直な話、昔に比べれば、近年のモラルは物凄く上がってるんですよ。
ただ単に、不祥事が起きると、表沙汰にされるケースが増えたというだけで。
あとは、それまでその世界では常識として済まされた事が、
誰かが騒ぎ出す事で、いきなり不祥事へと変わってしまうケースとか。
> > > 技術は全ての人に等しく平等だからこそ、
> > > 互いの技術が拮抗してしまうと最期は体格差等で勝敗が決まってしまうのです。
> > 精神力と技術力が一緒という条件が有れば、
> > 確かに後は、身体能力の差がモノを言うのは確かです。
> > しかし、そもそも、そんな前提条件を持ち出している時点で、
> > 「体格差の優劣が勝敗を決める」なんて結論に至るのが違うのでは?
> > それが通るなら、精神力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは技術力の差ですし、
> > 技術力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは精神力の差になるのですから。
> 「心技体」と言われていますから、
> 他の二つが拮抗していると最後の一つで決まるというのはおかしくない。
> と考えていました。
> 暴論だったらもう申し訳ない。
暴論と言いますか、そもそも「他の二つが拮抗」と前提にするのが間違いですよ。
それはあくまで可能性であって、現実に起きている訳ではないので。
身体能力に優れるが故に、成長段階で技術力が培われず、
結果的に駄目になって行くケースなど、スポーツでは本当に多いですし。
意識的に頑張っても、必要に迫られないと、なかなか身に付かないモノなので。
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