▽ 2012/6/2 (土) 15:40:57 ▽ 徳翁導誉 |
| > 返信遅くなってすいません。
いえいえ、その辺は全く構いませんよ。
私自身も、管理人なのに返信が遅いですし(笑)。
> > もしくは、ヒット&アウェー攻撃ができない程、行動力の方で制限するとかですね。
> > これならば、時間の優位性とかは、あまり出て来ないでしょうし、
> > 「戦線構築」のゲームと考えれば、むしろこちらの仕様の方が適当でしょうから。
> > とは言え、こうしたチマチマ、ジリジリ、ゴリゴリとした戦い方は、爽快感に欠ける為、
> > 塹壕戦を表現したりするにはリアルでも、ゲームとしてはコア・ゲーマー向きですよね。
> > よりリアルにするなら、ここに補給戦も組み込みたい所ですが、それだと更に人を選ぶなあ・・・・
> > まあ、そこに外交要素も絡んで来るなら別なんでしょうけど・・・って、また話が戻ってる(笑)。
> 戦線構築自体は個人的には好きなんですけど、そこまで行くと好み分かれますかね?
> というかWW2などの世界観の方が合ってそうですね。
そうですね、これでやるなら欧州舞台でWW1かWW2、もしくは北米舞台で南北戦争かと。
って、個人的な事情を言うと、作ったけど使っていない欧州あ北米のHEXマップがあるので、
それを何処かで利用する機会は無いかなあ?という思いも含まれていたりも(笑)。
> > 春秋戦国の時代であれば、いっその事、登場武将までもランダムにしても面白いかと。
> > 顔グラは勿論、中国人の人名であれば、ランダムで作ってもそれっぽいのが出来るでしょうし、
> > 最初は能力値をマスク状態にしておき、仕事をこなさせるごとに能力値が明らかになったりすれば、
> > それはそれで、春秋戦国時代の雰囲気を、却って表現できるかも知れませんね。
> > 例えば、「大した事無い武将だ」と捨てたら、実は大器晩成型の名将だったとか、
> > 他には、特殊能力とかも用意して、縦横家により強制的に同盟を結ばされたりとか(笑)。
> 武将が成長していくのも良いですね。
> 文官というか内政向きや謀略家や外交向きの将官も登場させる余地がありそうで、期待しますね。
> 思想家みたいなのも居ても良いのか・・・(マテ
> 戦国四君の食客三千人とかもあったら嬉しいな(笑)
そうした「諸子百家」の特徴を、如何なく発揮できるようなゲームとなりますと、
ここのCGIゲームに有るような、戦略系のボードゲーム型よりも、
いっそ「カードゲーム」みたいなモノの方が、却って良い感じに表現できるかも?
白起カードで他国の城を落としたり、墨子カードでその侵攻を阻止したり、って具合で。
> > 北宋の徽宗にしても、南唐の李Uにしても、為政者としては失格でしょうけど、
> > やはり、なんか好きなんですよねえ・・・・
> > 特に徽宗の方などは、私が好きな画家の十指にも入るくらですし。
> 徽宗ですか、
> 為政者としても、その後の宋の末路を見ても、好きになれない君主ですねぇ。
> 抗金の名将達のことを思うと、やり場の無い怒りが・・・。
> 画家というか芸術家としては良いんでしょうけど;;
まあその辺は、私の中での比重が「文化>歴史」だからかも?(笑)
「清明上河図」を見ても、北宋の都・開封の活気ある様子が如実に伝わって来ますしね。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Along_the_River_7-119-3.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/86/Alongtheriver_QingMing.jpg
(1月に東京へ来てましたが、2時間待って鑑賞は10分と聞き、行くのを止めました)
中国史の全体を通しても、多くの人口を抱えた巨大な都市は数あれど、
あれほど文化が爛熟した都市は、ちょっと他に思い浮かばないかも?
そして、その文化爛熟の象徴こそが、風流天子と呼ばれた徽宗だと思います。
まあ確かに、北宋自体は直後に腐り落ちてしまうのですが、
文化という果実は、腐り落ちる直前こそが最もおいしいんです(笑)。
> > > 実は南北朝も嫌いじゃなかったり・・・(マテ
> > 魏晋南北朝の時代ですと、個人的には南北朝よりも五胡十六国の方が好みですかねえ?(笑)
> > とは言え、南北朝の方も、なかなか興味深い時代ですよね。
> > 「宇宙大将軍」と称した事で、今では完全にネタ・キャラ扱いの「侯景」にしても、
> > 三国志の劉備みたいに、あっちに付き、こっちに付きと、あの広大な中国大陸を東奔西走して、
> > 最後は皇帝(侯景の方は三日天下でしたが)にまでなってますし、
> まさかここで宇宙大将軍が出てくるとは(笑)
> 侯景もインパクトあったのですが、侯景の話をすると梁の武帝のことを想い出してしまいますね。
> 治世の前半は名君だったのに、段々緩んできて、あげくの果てには宇宙大将軍に反乱起こされて、哀れな最後を迎えてましたね。
> まあ名乗ったのは武帝の没後ですが、宇宙大将軍にやられたくはないな・・・
> 終りをまっとう出来なかった典型ですかねぇ。
前半生は良いが、後半生が悪いとなると、梁の武帝(蕭衍)もそうですが、
同じ南北朝期の武帝である「劉宋の武帝(劉裕)」も、思い起こされますよね。
まあ劉裕の方は、最後がグダグダで残虐になったものの、一応は皇帝として生を終えてますし、
蕭衍ほど最期の悲惨さは無いかも知れませんが、その分だけ前半生の活躍ぶりは派手ですからねえ。
> > 北斉・北周・陳のパワー・バランスの中で生き残った「後梁(西梁)」などは、
> > 銀英伝に例えるならば、フェザーン自治領を彷彿とさせます(笑)。
> > (って、同じフェザーンに例えるなら、五代十国の「荊南」の方が適当かな?)
> 後梁も従属国家というか傀儡政権だけ残り続けて、支配する側の国だけ何代も交替するとか、奇妙な国ですね(笑)
> 最後は隋が建国されてやっと必要無くなったから、潰されたんでしょうけど、
> 政治工作的には何かしら実施していたのかなぁ、ちょっとその辺りは気になりますね。
確か「侯景の乱始末記(中公新書)」に、後梁の事も章立てされ70ページほど割かれてた記憶が?
まあ、40年ほど前に出された絶版本なので、私も古書店巡りをしたものの見つけられず、
結局は図書館で借りて読んだものの、今では図書館からも姿を消して、確認できませんけども。
ちなみに内容の方は・・・面白かった事は覚えていますが、中身はほとんど覚えていません(笑)。
覚えているのは、後梁の皇帝が、隋の皇帝の次男(のちの煬帝)に娘を嫁がせた事くらい?
って、まあこれは、国家存続の理由ではなく、滅亡後に隋で重用された理由の方かも知れませんが。
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