| > > 第四章の立法でも、実は、衆議院、参議院、勅撰院の三院制になっています。
> 勅選院の扱いが気になりますね。
> 三院制というのは世界にあまり類例がないので是非とも知りたいです。
三院制として最初に思い浮かぶのは、フランス革命以前の三部会でしょうか?
あれは僧侶・貴族・庶民と、3階級の身分ごとに別々の議会が作られてましたから、
人口的に圧倒的多数派の庶民院が反対しても、貴族院と僧侶院の賛成で通る仕組みでした。
まあ近代的な議会でとなるますと、イギリス議会がそれに近い仕組みなのかも?
既に有名無実化しているとは言え、貴族院と庶民院の他に、国王の権限も強い構造なので。
って、それを言い出したら、国会に対する大統領権限の強い国でも、同じ事が言えちゃいますが。
まあ実際に、近現代で三院制を行った国となると、アパルトヘイト体制下の南アフリカですかね。
あの頃は確か、白人議会・混血民議会・インド系議会の「人種別三院制」にして、
混血民やインド系という少数派を味方に付け、大多数を占める黒人層を政治から排除してました。
もちろん三院制と言っても、少数派内の多数派である白人議会が絶対的な権限を握ってましたけど。
ただ、フランスの三部会とかもそうですけど、三院制という体制はどうしても、
多様な意見を容れるというより、実質的な独裁体制を築く方便としてのイメージが強くて・・・・
普通に行けば、参議院に勅撰議員を組み込んで上院として機能させる方が無難でしょうし、
どうしても勅撰の機関を作るなら、議会の一院ではなく枢密院として設置する方法もありますから。
上述のイギリス政治では、国王の私的顧問機関としての枢密院が存続してますね。
とは言え、現在では枢密院議長も内閣の大臣職なので、ほぼ形骸化してますけども。
> 立法権は2院制(52条)で全国を代表する衆議院(53条)と
> 藩を代表する連邦参議院からなっていました(54条1項)。
> 連邦参議院は各藩の藩主と各藩平等に割り振られた
> 議席配分(各藩1議席ずつが当初の想定)の民選議員からなっていました
それこそ、ドイツ第二帝国の二院制にかなり近い感じですね。
各構成国の代表者に議席数が割り振られた連邦参議院(上院)と、
普通選挙による民選の帝国議会(下院)とで成り立ってましたから。
ただしドイツ帝国の場合、下院の議決は上院の承認を以って初めて有効でしたし、
憲法改正は上院議席数の関係上、実質的にプロイセン王国の賛同が必要だった上、
皇帝はプロイセン国王が、帝国宰相はプロイセン首相の兼務でしたから、
ドイツ帝国内におけるプロイセン王国の権限は強大でしたけどね。
でも、だからこそ、幕藩体制が近代的体制に移行していくモデルとしては、
かなり参考になる体制のようにも感じています。
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