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[20452] 民族・都市・国家などの雑談返信 削除
2016/10/21 (金) 21:06:44 徳翁導誉

> > それ以上に、インドや中国など「上海協力機構」の枠組みを活かした経済連携を進めていますね。
> インドが意外なんですよね。日米と仲良くするのかと思いきや、
> 中国とも仲良くしているような?経済協力だったでしょうか??
> でも中国とは領土問題があるんですよね。
> 中国軍がインド支配地に侵入したとかで東シナ海よりも深刻そうです。

いやいや、そんな難しい話ではないですよ!?
当たり前の事ですが、「インドはインドの国益を求めて動く」、ただそれだけの話ですね(笑)。
別にインドは、日本みたいにアメリカ追従路線の国ではありませんから、
日米と仲良くしながら、中国と仲良くし、ロシアとも仲良くしたって構わない訳です。
そもそも冷戦時代のインドは、アメリカよりもソ連寄りの国でしたし、
核実験だってやってますからねえ(経済的利益があるので、北朝鮮とは違い許されます)。
インドが目指すのは、「南アジアの覇権国」であり、「世界の大国」である事なので、
中国が膨張し過ぎるのは困りますが、中国が台頭する分には、却って経済的に利益があります。
そうした都合は、ASEAN諸国(特に大陸部)にとっても同じ事ですね。
ですから、相手側の国益も考えずに「中国包囲網」を狙った所で、うまく行くはずがありません。

ちなみに、インドと中国の国境問題は「ヒマラヤ」と「カシミール」があるのですが、
元々これは第二次大戦前、半独立状態にあったチベットと、英領インドとの間にあった国境問題で、
当時の軍事力差を背景に、英国側が主張する国境線を通し、チベット属国のシッキムも英領に併合。
そして大戦後、チベットが中国共産党の支配下に入り、インドが独立すると、国境問題が再燃して、
ダライラマがインドに逃がれて亡命政権を築くと、両国間の対立が激化するに至りました。
しかし21世紀に入ってからは、決着とまでは行かないまでも、現状維持でかなり沈静化しています。
ヒマラヤ側では、中国のチベット支配と、インドのシッキム支配を、両国が互いに認め合い、
戦前の国境線まで中国軍を後退させて、道路を整備して交易をスタートさせ、
カシミール側では、住民のいる地域へは互いに軍隊を進めない約束を交わしました。
そしてインドは、チベット亡命政府の行動を制限するようになってきましたね。
ダライラマも既に80歳を超えましたから、もし亡くなれば亡命政府の影響力も低下するでしょうし、
逆にチベット側では混乱が生じるでしょうから、両国とも先を見越して動き始めたのかも?
でもまあ隣国と言って、両国間にはヒマラヤ山脈が走っているので、共存は普通に可能ですよ。

> > ただ現在30代の人にとっては、ちょうど小中学生の時代に祖国が消滅した訳で、
> > 確かに政治などへの理解は乏しくても、「学校」を介して社会とは繋がってますからねえ。
> > と言いますか、教育の現場こそ、そうした社会の変化をダイレクトに受けるものですし、
> > しかも多感な年頃ですから、変わってしまう今までの社会の事を、却って強く覚えてると思うんです。

> その話は実際に現地の人に聞いてみないと分かりませんね・・・。

ソ連国民じゃありませんけど、とりあえず私はそうでしたね(笑)。
小中学生の頃に、冷戦が終結して、東欧の共産政権が次々と崩壊しました為、
授業で習うソ連や東欧諸国の制度なんて、その時点で既に存在していなかった事をよく覚えています。
ある意味では、テレビから流れてくるニュース映像こそが、そのまま世界史って感じでした。
ただ、ウチはチャンネル権が父親にあり、アニメやバラエティーよりニュース優先だったので覚えてますけど、
しかし年齢が年齢ですから、この辺りを記憶している同年代は、周囲にあまり居ないのも事実ですね。
米ソ首脳が歴史的会談をしようが、ベルリンの壁が崩壊しようが、天安門で民主化デモが鎮圧されようが、
そんな事は小学生に関係の無い話で、それよりも消費税スタートの方が一大事でしたから!!
駄菓子屋で小銭が必要になるのは、小学生にとって死活問題であり、それこそパニック状態でした(笑)。

> > 例えば、日本社会で生まれ育ち、日本語しか話せない在日コリアンの場合、
> > 本人が「私は朝鮮人だ」と考えていれば、その人は朝鮮人でしょうし、
> > 本人が「私は日本人だ」と考えていれば、その人は日本人でしょうね。
> > そして考えというのは、その時々の状況で変わってくる為、民族意識は不変ではありません。

> その件で言うと韓国人が不思議です。本筋とはそれるかもしれませんが、
> 韓国人は日本で権利を得ることに抵抗感が無いみたいなんですよ。
> 「日本人と結婚して日本に永住したい」と平気で言いますから。
> 「日本人」ではあっても「大和民族」ではないということでしょうかね?

そうした在日コリアン自身の言葉を借りれば、
「コリアン・ジャパニーズ(韓国系日本人)」と自称する人もいれば、
日本民族でも韓国民族でもない「在日という民族」と言う人もいますね。
あと、移住先で現地に自ら同化するというのは、別に不思議な事で何でも無いかと?
実際に日系移民の人たちも、移住したアメリカや中南米の人間になってますからねえ。
ただこれも、特に戦前に移住した第1世代などでは、
住んでる場所は中南米でも「自分は日本人だ」という意識の人が多かったはずです。
これは、移住先で生まれ育った2世や3世との違いという面も大きいですが、
それだけでなく、その時代における出身国との繋がりや、本人の考え方の違いも大きいかと?
「特に戦前」と書いたのも、戦前の日本人と、戦後の日本人とでは、やはり考え方が異なるからですね。

> 下記のハプスブルク家や、今や崩壊しそうなイギリス、すでに崩壊したソ連とも関係してきそうな話です。
> 要点だけ先に言うと、多民族国家を統治したければ「民族を超えたナショナリズム」を育てよということだと思います。
> ソ連はそれが失敗して完全に崩壊し、イギリスは「British」ではなく
> 「European」に「民族を超えたナショナリズム」が移行してしまったのかなと。

う〜ん、民族問題がソ連の崩壊に影響が無かったと言えば嘘になりますけど、
民族問題によってソ連が崩壊したのではなく、ソ連が崩壊した事で民族問題が表面化したのが、実際の所かと?
第二次大戦のドサクサで、ソ連に武力併合されたバルト3国などは、
もともと欧州の独立国家でしたから、ソ連の統制力が落ちれば独立は避けられなかったかも知れませんが、
少なくとも、中央アジアなどの構成国まで独立した事が、歴史の必然だったようには私は感じません。

そもそも、ソ連を中央集権体制から連邦制へ移行する条約が調印される前日、
それに反対する軍の一部がクーデターを起こし、それが失敗に終わると、権力の空白状態が生じ、
構成国ロシアのトップだったエリツィンが、ウクライナとベラルーシの両トップとの極秘3者会談を行い、
その他の構成国を置き去りにする形でソ連の解体を決めた事が、今の状況に繋がりますからねえ・・・・
こうした流れにならなければ、構成国の独立も最小限で済み、民族問題も今よりはマシだったかも知れません。
あと、民族を超えたナショナリズムというのは、ソ連にはそれなりにあったと思いますよ。
ソ連の最高指導者を見ても、レーニンはユダヤ人、スターリンはグルジア人、フルシチョフはウクライナ人なので。
(フルシチョフがクリミア半島を地元ウクライナに移した為、ソ連崩壊後に大変な事になる訳ですね・苦笑)

それとイギリスに関してですが・・・「英国人から欧州人へ」というのは、半分同意って感じでしょうか?
完全同意できる状況であれば、イギリスがEUから離脱する事はなかったはずですので。
まあ、EUに留まりたかった若いイングランド人などは、この分類に入るでしょうし、
イギリスとアイルランドの狭間に揺れた北アイルランドの住民も、それに属すると思います。
一方、EU離脱に賛成したイングランド人にとって、問題視されたのは移民の流入ですけど、
その移民というのは、中東からの難民ではなく、EU内(特に東欧)からの出稼ぎ労働者なんですよね。
ですからイギリスには、「欧州人ではなく英国人」という層も、半数以上は居た事になります。
また、それとは別に、「英国人ではなく、スコットランド人であり欧州人に」という層もいたりします。
イギリスというのは、同じ王様を戴く同君連合という所から始まって出来た「連合王国」ですので、
「民族を超えたナショナリズム」という事であれば、その統合の象徴は「女王陛下」しかありません。
スコットランド人意識の高まりは、初めは国政選挙でスコットランド人の支持を得るべく、
議会と自治政府の設立を認め、続いて独立の賛否を問う住民投票も認めとやっている内に、
(EU離脱の賛否を問う国民投票も、このノリの続きでやってしまい、このような事態に)
スコットランド人の中で元々燻っていた民族意識や独立志向に燃え上がらせてしまったと。
しかもEUという新たな枠組みが出来た事で、英国という枠組みから抜け出せる可能性が生まれましたからねえ。

ポピュリズムという悪質な禁断の果実に手を出せば、国民は更に質の悪い果実を求めるようになり、
それがスパイラル化して落ちる所まで落ちると、国家は腹を下して大惨事になる訳です(苦笑)。
イギリスの度重なるやり方は、まさにそれを如実に見せ付けられてる気分になります。
って、日本もあまり他人を笑っていられない状況に陥りつつありますが・・・・
と言うか、アメリカ大統領選挙もそうですけど、これは世界的な傾向ではあるんですがね。
景気が悪くなれば人々に鬱憤が貯まり、更に発生する問題も増えれば、その憂さを晴らしたくなるのが人情なので。
ただ、だからと言ってそれをやり続けると、それこそ世界規模での大惨事(第三次?)に至る可能性があると。

> 本筋に戻すと、民族と国家の帰属意識は別で、客観的に見ると言語が民族を分ける重要な要素になっているのではないかと。
> 可能性の話は別として韓国語しか離せない人が「自分は日本人だ」と思っても無理がありますから・・・。

でも、女子テニス期待の若手である「大坂なおみ」は、
父親がアメリカ人で、自身もアメリカ育ちな為、ほとんど日本語が話せないものの、
本人は自分の事を「日本人」だと考え、日本人としてプレーしてるんですよねえ。
今はまだ未成年なので、日米2重国籍ですけど、将来的には日本国籍の選択を表明してますし。
また、大坂なおみの件とは違いますが、中国残留孤児の中にも、
日本語が話せず、日本に行った事が無くても、「自分は日本人だ」と考えてる人は居るはずなので、
やはり最終的には、「本人の思い次第」という所に落ち着くのだと思いますね。

> > 日本の統治は数十年でしたから、こうした人たちの存在は政策的に考慮される事はありませんでしたが、
> > ウクライナみたいに、ロシアの統治が数百年続いていると、やはり大変ですよね(しかも地続きですし)。

> 上記のことから個人レベルだと日本は統合にかなり成功したと言えるかもしれません。

日本の同化政策という事でしたら、やはり代表例は沖縄でしょうね。
150年前まで、日本と琉球は別の国であり、別の民族でしたけど、
今や沖縄県民の中にも、その事を深く意識している人は少数派かと思います。
(沖縄の同化政策は戦前から行われたものの、戦後の米軍統治下で急速に進むのが歴史の面白い所)
逆に言えば、だからこそ日本は、国連の人種差別撤廃委員会から、
琉球民族の先住民族としての権利を保護するよう勧告を受けてしまうと・・・・
しかし一方で、沖縄県民を含む当の日本人には、そんな意識が既にほぼ皆無でしょうからねえ。
まあ結局は、琉球の歴史・言語・文化などを、キチンと保護しましょうって事になると思います。

> > ちなみにゲーム内では、民族が固定なのは勿論、「1エリア1民族1宗教」となってますけど、
> > もしも同一エリアに、複数の民族や宗教が混在するシステムを導入した際には、
> > 将来的には「同化政策」や「改宗政策」なども表現できるよう、
> > 民族設定に「言語・宗教・帰属」という3つの変動パラメーターを用意しようかと考えていました。
> >
> > 言語や宗教は解ると思いますが、最後の帰属というのは「帰属意識」の事で、ゲーム的には都市で設定し、
> > 例えば日本ですと、現在は国内全エリアで首都である東京に設定されますけど、
> > 江戸時代の日本であれば、当時は幕藩体制による連邦国家だったので、各藩ごとに帰属されます。
> > オーストリアであれば、第二次大戦前は大ドイツ主義により、帰属都市はベルリンとなりますが、
> > 敗戦によりドイツと袂を分かった後は、帰属都市はウィーンとなります。
> > この通り、民族的にはほぼ同じでも、帰属意識が異なる事で、分裂国家とは言えなくなると。
> > 逆に言えば、分裂国家である双方が見ている朝鮮半島の場合は、北朝鮮でも帰属都市はソウルとなりますし、
> > 独立志向が高まっている台湾ですと、帰属都市の割合が北京から台北に移行しつつあるって感じですね。
> > もちろん、言語や宗教と同じく、政策次第で民族の帰属割合をゲーム的に変動させる事が可能です。
> > つまり大ドイツの再興を狙うプレーなら、オーストリア住民の帰属都市をベルリンへと変えていく訳ですね。
> > また、国家よりも宗教への帰属意識が高いアラブ諸国では、帰属都市は首都でなくメッカになると(笑)。
> > って、構想案自体はいろいろあるものの、結局、導入までには至らないんでしょうけど・・・・

> 帰属都市の概念、特にいいと思います。
> 旧ソ連復活をもくろむロシアと、結果としてロシアを中心にまとまったほうが
> 利益の大きい周辺国なんて構図も出来るでしょうし、海外領土も表現できそうです。
> もしかすると、占領地というシステムじゃなくて、帰属都市で表したほうが色々と都合がいいかも?

しかし、このシステムは、項目パラメーターの比率や変動があるなら意味ありますけど、
今のように、それが不変で一律でしたら、「首都・本国・占領」の現システムでも同じだと思います。
もちろん自分でも、帰属都市とか面白そうなシステムだとは思うんですけどね。

> > ちなみに、その時の雑談スレッドでも書いたのですが、
> > ここ100年を見てもも、都市リヴィウの人口変動っぷりは途轍も無いです!!
> >
> > WW1まで オーストリア領レンベルク(ポーランド人5割・ユダヤ人3割・ウクライナ人2割)
> >         ↓
> > 戦間期 ポーランド領ルヴフ(ポーランド人6割・ユダヤ人3割・ウクライナ人1割)
> >         ↓
> > WW2後 ソ連領リヴォフ(ウクライナ人5割・ロシア人3割・ポーランド人1割・ユダヤ人1割)
> >         ↓
> > 冷戦後 ウクライナ領リヴィウ(ウクライナ人9割・ロシア人1割)

>  この時期の複雑な歴史が魅力的に見えるのは私だけでしょうか?笑

まあ第三者的に見たら、この激動は興味深いですけど、やはり当事者にとっては悲劇ですよ。
第二次大戦中にユダヤ人が激減したのは、ナチス・ドイツによる侵攻の影響ですし、
ソ連併合後にはロシア人が入植してきて、そんな彼らも独立後には東部へと追われる訳ですから・・・・

ちなみに、これが魅力的に見えるという事であれば、戦前の日本人のケースとかはどうでしょう?
5年前の雑談時に「もし大日本帝国が存続していたら?」と話を振られて、その際に調べたデータです。
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=s14846#14846

◆ 1940年(開戦前年)の日本内地の人口内訳 ◆
 ・ 総人口:7311万4308人
 ・ 内地人:7181万0022人
 ・ 朝鮮人: 124万1315人
 ・ 台湾人:   2万2499人
 ・ 樺太人:      986人(アイヌは1932年に内地人扱いとなった為、恐らくウィルタやニヴフの事)
 ・ 南洋人:      246人
 ・ 外国人:   3万9237人(中国1万9453人/米国4755人/満州3787人/ドイツ2713人/英国1693人)

◆ 1940年前後の外地(全域&主要都市)の人口 ◆
 朝鮮【朝鮮総督府:13道】
 ・ 全  域  2370.9万人  日本人69.0万人( 2.9%)
 ・ 京  城    98.9万人  日本人15.9万人(16.1%)
 ・ 平  壌    34.2万人  日本人 3.2万人( 9.4%)
 ・ 釜  山    32.9万人  日本人 6.1万人(18.5%)

 台湾【台湾総督府:5州3庁】
 ・ 全  域  607.7万人  日本人34.9万人( 5.7%)
 ・ 台  北    28.8万人  日本人 8.2万人(28.5%)
 ・ 高  雄    8.7万人  日本人 2.0万人(23.0%)

 南樺太【樺太庁:8支庁】 ※1943年に内地編入※
 ・ 全  域    33.9万人  日本人33.7万人(99.4%)
 ・ 豊  原    3.7万人

 南洋群島【南洋庁:6支庁】
 ・ 全  域    12.9万人  日本人 7.7万人(59.8%)

 関東州【関東局:関東州庁】
 ・ 全  域  122.6万人  日本人18.5万人(15.1%)
 ・ 大  連    57.2万人  日本人17.0万人(29.7%)

 満州【満州国政府:18省1特別市】
 ・ 全  域  4320.3万人  日本人82.0万人( 1.9%)
 ・ 新  京    37.1万人  日本人 7.7万人(20.8%)
 ・ 奉  天    78.5万人  日本人 9.6万人(12.3%)
 ・ 哈爾浜    46.6万人  日本人 3.3万人( 7.0%)

◆ 大日本帝国(満州国含む)の大都市ランキング ◆
 1 位. 東  京 【内地】: 677.9万人
 2 位. 大  阪 【内地】: 325.2万人
 3 位. 名古屋 【内地】: 132.8万人
 4 位. 京  都 【内地】: 109.0万人
 5 位. 京  城 (朝鮮):  98.9万人
 6 位. 横  浜 【内地】:  96.8万人
 7 位. 神  戸 【内地】:  96.7万人
 8 位. 昭  南 (南方):  82.2万人  ※ シンガポールを占領改称 ※
 9 位. 奉  天 (満州):  78.5万人
 10位. 大  連 (関東):  57.2万人
 11位. 哈爾浜 (満州):  46.6万人
 12位. 新  京 (満州):  37.1万人
 13位. 台  北 (台湾):  35.4万人
 14位. 広  島 【内地】:  34.4万人
 15位. 平  壌 (朝鮮):  34.2万人
 16位. 釜  山 (朝鮮):  32.9万人
 17位. 福  岡 【内地】:  30.7万人
 18位. 川  崎 【内地】:  30.1万人
 19位. 八  幡 【内地】:  26.1万人  ※ 後に合併して北九州市 ※
 20位. 長  崎 【内地】:  25.3万人
 21位.   呉   【内地】:  23.8万人
 22位. 仙  台 【内地】:  22.4万人
 23位. 撫  順 (満州):  21.7万人
 24位. 仁  川 (朝鮮):  21.4万人
 25位. 静  岡 【内地】:  21.2万人
 26位. 安  東 (満州):  21.0万人
 27位. 大  邱 (朝鮮):  20.7万人
 28位. 札  幌 【内地】:  20.6万人
 29位. 佐世保 【内地】:  20.6万人
 30位. 函  館 【内地】:  20.4万人

> > > 西部はポーランド王国に帰属する期間が長いと思ってました。
> > 確かに、ポーランドに属していた時代も、長いことは長いですけど、
> > ポーランドとリトアニアが連合していた「ヤゲウォ朝」や「貴族共和制」の頃、
> > つまりは14〜18世紀の話であり、当時はまだ民族意識も希薄な時代でしたからねえ・・・・
> > その後の展開もいろいろと複雑ですし、現在の人が帰属意識を持つには、やはり昔過ぎるかと?
> > しかも、良い記憶ならまだしも、支配する側とされる側とで民族的な対立もありましたし、
> > 更には、短期間で終わった第二共和制ポーランドの支配下でも、同様の問題を抱えていましたので、
> > ウクライナ人の側からすれば、それを懐かしむ空気は、なかなか醸し出されない気がします。
> > 一方でハプスブルク家の統治は、何だかんだで民族の融和と自治をそれなりに進めてましたからねえ。

> でもやはりハプスブルク家は無理があるような?

その「無理」というのが、何を指しての事なのかが解らないので、答え様が無いのですが、
ポーランドを分割統治したロシア・ドイツ・オーストリアの3帝国の内、
ロシア帝国とドイツ帝国は支配民族が圧倒的多数派だった為、少数民族の同化政策を進めましたが、
オーストリア帝国(ハプスブルク帝国)は、支配民族の少なさから、自治と融和を進めたのは事実ですよ。
「ドイツ系25% ハンガリー系21% チェコ系12% ポーランド系10%
  ウクライナ系8% ルーマニア系7% スロバキア系5% クロアチア系5%
  セルビア系3% スロベニア系3% イタリア系2%」なんて民族構成でしたからねえ。

もちろん、民族主義が台頭してきた上に、封建主義が崩壊しつつあった当時、
ハプスブルク帝国が存続し得た可能性は、かなり低かったかも知れません。
しかし一方で、こうして幾つもの民族が団結して、1つの帝国を築いていたからこそ、
小さな各民族が平穏を保てていたのも事実であり、だからこそ国内での民族運動は、
民族自決による「独立」よりも、民族自治による「連邦制」を求める声が大きかったんです。
ですが歴史とは皮肉なもので、最悪なタイミングで第一次大戦が勃発すると、最悪な形で帝国が崩壊し、
その後、各民族は独立を遂げたものの、第二次大戦や冷戦で小国の悲哀を散々味わう羽目に・・・・(泣)
だからこそ現在のEUの礎は、旧帝国貴族のクーデンホーフ=カレルギー伯爵によって築かれる事になります。
(ちなみに、伯爵の父親は帝国の駐日大使で、母親はその時に知り合い結婚した日本人の青山みつ)

> WIKI情報で恐縮ですが、旧ポーランド王国(これはいわゆる旧ポーランド共和国も入ると考えてます)は
> 異民族が支配層に移行するのが比較的容易だったようです。
> 民族対立より、階級対立のほうが激しかったようですよ。結果として、被支配のウクライナ人が
> 「ポーランド人貴族」に反感を覚えるようになったと・・・。

いや、ですから、それは前回も書いたように、中世や近世の話ですよねえ?
民族意識というモノが急速に高まるのは、その後の近代に入ってからの話であり、
近世の頃でしたら、イギリス国王はドイツ人で、中国皇帝は満州人で、インド皇帝はモンゴル人です。
軍事力が統治に直結した頃ですから、支配層が異民族だとかは、そこまで意識されませんでしたから、
ポーランド王国がどうこうではなく、人類社会が全体的にそんな時代だったんですよね。
で、ヨーロッパで民族意識が高まり出すのは、フランス革命がキッカケなのですが、
革命が起きた頃には、既にポーランドは分割済みで、国家再建こそが民族的な悲願となりました。

ちなみに、分割後のポーランド王位は、ロシア皇帝が兼務してましたけど、
そのロシア帝国に最盛期をもたらした女帝はドイツ人でしたし、
ロシア帝国の大貴族たちも、その2割ほどがモンゴル人の末裔でした。
支配層にモンゴル系が多かったのは、モンゴル帝国の支配下にあったスラブ人がロシア人となり、
支配を受けなかったのがウクライナ人となった事を考えれば、ある意味で当然かも知れません。
要するにロシア人というのは、多数派スラブ人と少数派モンゴル人がミックスされた存在であり、
だからこそ、同じルーツを持つロシア人とウクライナ人との線引きも、意外に難しい面があると。
逆に、ロシア人とポーランド人とでは、言語も宗教も文化も異なるので、
民族意識が台頭すると、ロシア帝国は同化政策を進め、ポーランド人は独立を望むようになります。
そして、ようやく第一次大戦後に、ポーランド人は自民族の国を持てたのですが、
その民族意識から、国内に住む3割ほどの他民族に対して、厳しく当たる人たちも多かった訳です・・・・

> > > 私関東に住んでますが、火山の噴火で慣れてるんですかね?
> > 桜島を抱える鹿児島とかなら解りますけど、関東で火山慣れしてるって一体どこ!?(笑)
> > 地理的には関東ではない伊豆諸島や小笠原諸島を含むなら別ですけど、
> > 関東平野では、噴火による地震どころか、火山灰の影響すら、私には記憶が無いのですが・・・・

> 富士山の近くですが、噴火したら関東は住めなくなると聞いて育ってます(笑

富士山の事でしたら、静岡育ちの私の方が・・・って、いったい何を競っているのだか?(笑)
でもまあ、場合によっては、溶岩が街に流れてくるかも知れない地域に住んでましたし、
富士噴火だけでなく、東海地震や駿河湾津波の危険性も、徹底的に刷り込まれましたから、
東日本大震災の発生時には、「遂に来たか?」と、我ながら冷静に対処できたのも事実ですね。
そういう意味では、災害教育を受けていた事で、私にも「慣れ」があったのかも知れません。
(転勤族だったので日本各地を転々としましたけど、災害教育や災害準備は静岡が断トツでした)

ただ、「富士山が噴火したら、関東は住めなくなる」というのは、さすがに大袈裟です(笑)。
富士山が最後に噴火したのは、300年前の宝永大噴火の時ですが、
降り積もる火山灰は江戸を苦しめましたけど、それで江戸が住めなくなる事は無く、
今では東京と名を変えて繁栄しているのは、ご存知の通りです。
火山灰の影響で起きた水害や土石流により、大きな被害を受けた地域はありましたけど、
いまは江戸時代じゃないので、さすがに住めなくなる所までは行かないと思います。
まあ確かに、もしも首都圏に大量の火山灰が降ったとなれば、
電気機器のトラブルや、大気悪化に伴う健康被害、農作物への被害など、
いろいろ大変ではあるでしょうが、桜島のある鹿児島ではそれが日常ですからねえ・・・・
「東京は雪国よりも雪に弱い」みたいなモノで、混乱は生じても、そこまで大惨事にはなりません。
もちろん、溶岩や火砕流などが街を襲えば別ですけど、
関東の場合は、箱根山・丹沢山によって遮られますので、これも心配は要りません。

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