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[21385] 世界の皇帝の系譜&中国の僭称皇帝たち返信 削除
2017/10/27 (金) 19:32:14 徳翁導誉

> > 要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
> > 「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。

> 個人的視点からでですが、採点方式でのランキングと聞いたところで
> なぜかあまり興味が湧かない、というか存在意義に疑問符が。
> しっかり知りたいなら「一般的な評価」よりも
> それぞれの人の「個人的な好み」で評価をいろいろ聞いてみたいものです。
> でも、知っている人の場合は数字評価したところでそういうことじゃないんだよなぁ感がありますが、
> 知らない人を知り始めるきっかけには役に立つような気もしてきました。

う〜ん、それは恐らく掲示板に並べる上で、総合点のみ記載したのが影響してるかも?
大本の採点表には、各項目の点数と、その採点理由がありますし、
もしも正式に企画化された際には、生没年・所属国・肖像がなどの基本情報や、
数行程度の寸評も付ける予定ではありましたからねえ。
そして出来れば、他の方にも採点に参加してもらい、得点を調整する考えでした。
・・・と言いますか、単にランキングの一覧表を見せられても、
そこから話題を広げるのは、マニア同士でもないと厳しいのは一応理解しています(笑)。

> > 個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
> > でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。

> 存在するものとしてはそうなのでしょうけど、全体的な良い悪いというのは
> 個人が正しく認識できるものにも思えないというのはあります。
> なので全体的な評価を評するというのは厳密な意味では無理でしょうね。

確かに、おっしゃる事は私にも解ります。
好き嫌いは主観的な基準ですが、良い悪いは客観的な基準となる為、
「主観」と「客観」では、前者の方が、評者としてもダイレクトに理解できますので。
しかし一方で、「評価」という作業を行うとなると、
それは他者にも理解できるよう具現化する客観的な表現が必要となってきます。

つまり、評価するという、その段階まで含めて考えた場合、
「主観を客観的に表現」するのと、「客観を客観的に表現」するのとでは、
今度は後者の方が、より容易になってくると思うんですよねえ。
だからこそ、これだけ世間には採点方式や番付方式が溢れている訳ですし(実に江戸時代から)、
逆に言うと、主観を客観的に表現して伝えるのって、結構な高等技術であったりします。
そして、「主観を主観的に表現」された評価は・・・相手には伝わりにくい弱さがあります。
極端な例かも知れませんが、このサイトで行っている「批評ページ」でも時々、
「好きだから100点、嫌いだから0点」みたいな事を、平気で行う人が居たりしますが、
こうした評価内容は、他者からすると、ほとんど参考にはなりませんし、
それ所か、全体の平均点を考えると、この1人の影響で点数が乱高下しちゃうんですよね・・・・

> > > それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
> > それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。

> ちょっと考えた結果、自分で身もふたもないことを言いますが、
> 名将に普遍的な条件はないと思い至りました。
> 名将と認識される間では名将ということになる、と。どこか胡散臭い表現ですが。
> それとは別として、知る手段として採点評価はあってもいいと思います。

まあ、何らかの明確な定義でも与えられていない限り、
ほぼ全ての単語は、そんなモノだと思いますよ。
それは別に名将に限らず、例えば美人だとか、長身だとか、優しいとか、
「その人がそう認識するから、そうなんだ」と、結局は言えませんので。
そして反対に、明確に定義されているモノは、
「そう定義されているから、そうなんだ」という格好になります。
例えば「0の0乗」問題にしても、1だと定義すれば1になるくらいの話で。

ただ、そうは言っても、言葉というのは道具であり、
単語の意味の認識にしても、やはり最大公約数が求められるモノだと思います。
再び野球を例えに出して恐縮ですけど、これが「最多勝」や「最優秀防御率」であれば、
その1年間で最も勝利数を重ねた投手や、1試合辺りの失点数が少ない投手ですので、
これらは明確に定義されていおり、表彰基準が非常に単純明快です。
その一方で、その年のNo.1投手に送られる「沢村賞」は、表彰基準が途端に難しくなります。
No.1投手だとか、名投手なんてモノは、明確に定義されるモノではありませんからねえ。

その為、沢村賞は有識者による合議制で決定するのですが、以前までは、
巨人の選手だとか、実績があるとか、人間関係だとかが、選考に影響を与えていたりしました。
まあ昭和頃までなら、それでも大して問題にならなかったのですが、
さすがに近年はそうも行かず、選考方法は従来と変わらないものの、
あくまで参考基準ながら、目安となる7項目が設定されるようになりました。
最後は有識者の判断ですが、やはり目に見える形で客観性が保たれるのは、公平な形かと?
ここで選考委員の個人的な好き嫌いが、匙加減程度に影響するならまだしも、
「成績なら江川だけど、人間性で西本」みたいな選考をされては困るので・・・・
つまりは、5項目の採点による名将ランキングも、そんな感じだと思って下さい(笑)。


> > そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
> > 天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
> > ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
> > それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。

> 確かに人間は能力を伸ばすことができますし、
> ただそれでもAI自体の方が賢いとなればそうなりそうです。
> 話が脇道に行きますが、分野限らずAIに判断を任せてしまうか、
> 人間を補助する材料として使うかは、悩ましい課題だと思います。

まあAIに関する話は、囲碁や将棋の件も絡めて、
1年くらい前の雑談で、結構語り合った話題ですから、
もし興味がありましたら、そちらのスレッドを読んでみて下さい↓
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20313
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r20677

> ただ自分は人間の補助止まりであってほしいですね。
> 判断がどのくらい正しいかどうか自体より、
> その誤差が気持ちとして納得できるか、ということで考えて、
> AIが誤判定した場合(もし人間より判断が正しかった可能性が高いとしても)、
> 納得はできなさそうです。
> ある意味AIを人間より下に見ているということかもしれませんが。
> でもこの先、AIと人間が対等な権利を有するべきとかいったことに
> なっていくのかなというのはよぎります。

しかし現実には、対等どころか、人間がAIに従属する形になりそうですけどね・・・・
要するに、判断はAIが下して、人間はその責任を取るだけの役回りになると。
例えば車の自動運転などは、そんな感じに落ち着いていくような気がします。
実際、飛行機の操縦なんて、もう既にそんな感じになっていますので。

> それは別として、軍事ではAIに積極的に判断が任せられそうとは思います。
軍事と比べるには、ルールがシンプルすぎるかも知れませんけど、
現在、囲碁や将棋の生中継は、観戦する視聴者側はAIの示す最善手を知っており、
実際に対局しているプロ棋士たちは、必死に悩み考えながら手を探し、
AIと一致すれば拍手が起こり、外れると悪手とみなされる状況になってますね・・・・
まあAI自体は、物流など各産業界でも効率化の為に、既に使われ出していますから、
軍事における配備計画や兵站管理などは、もうAIが一部を担っている可能性はあるかも?
国防総省の研究機関であるDARPAは、いろいろと技術開発を行っているみたいですし。

> > (ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
> アイディア自体あって理屈はなんとなく理解できていても、
> 大変でも具現化するというのは得られるものがありますから、
> 自分はなかなか腰が重いのですが、そうやって行動してみるというのは見習いたいです。
> どういう理屈で詰めていったのか、興味深いです。

いや別に、そこまで難しい事はやってませんよ(笑)。
数理モデルとか言っても、要は簡単なコンピューター・シミュレーションです。
言ってしまえば、ライフゲームの延長線上みたいな感じですね。

例えば、「20×20」のマスをまずは用意して、
その各マスには草とバッタの個数をランダムに振り分けます。
で、各ターンごとに、草の増殖と、草の個数に応じたバッタの増殖やマス移動の処理を行い、
あるマスでバッタが飢餓状態(過密化)に陥れば、そのマスのバッタを飛蝗化させます。
そしてターン更新の際に、通常だと隣のマスにしか移動できなかったバッタは、
飛蝗化する事によって、遠く離れたマスにも移動できるようにし、増殖率も高めると、
蝗害の現象を数理モデルとして再現する事が可能です。

あと、ここに農民の個数も各マスに加えると、
草地を潰して農地が増えるほど、人口の方も増えていき、
蝗害が発生して農地が潰されると、開墾地を求めて隣のマスへと移動していくと。
まあ今では、ゲーム用に100×100の中国HEXマップとかもありますし、
このモデルへ更に、中国の地形や気候といった要素も加えれば、よりリアルになりそうかも?
実際、大雨や干魃は蝗害を発生させるトリガーになっていますし、
こうした天災の存在は、中国農民の人口や移住にも大きな影響を与えましたからねえ。


> > う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
> > 確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
> > しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。

> うーむ、それだけ私の考えの想定が狭いという裏返しかもしれませんね。
> 凡人には天才を評することさえまともにできないものなのかもしれません。

いや〜、天才とか凡人みたいな、そんな難しい話では無い気もしますがねえ。
でも、物理学というのが、原理原則をシンプルに追い求める学問なので、
余計な情報は出来るだけ排除するモノの見方を、自然としている可能性はあるかも?

逆に、これがテストで高得点を取る為の受験勉強として物理を学ぶと、
原理原則から導き出された公式の方を、とにかく当て填めたがるようになる為、
それが成り立つ前提条件が崩れていても、平気で公式を適用して失敗するのだと思います。
単に公式の使い方だけでなく、その公式がどう作られたかまで理解すれば、
そうした失敗は起きないんでしょうけどね・・・・
これは何も物理に限った話ではなく、例えば政治や経済など他の分野であっても、
常識だから、セオリーだからと、深く考えずに実行に移したり、
留学や大学で学んだ知識を、現実に則さず実行すると、やはり失敗しがちです。
「すぐに役立つ知識は、すぐ役に立たなくなる」とも言われますし、
短期的ではなく、長期的に行くのであれば、やはり根本部分こそ大事になって来るかと?
な〜んて考えるのは、そこを重視する物理屋の悪い癖なのかも知れませんけどね(笑)。

> > ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
> > 記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
> > どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。

> なるほど、言われてみればそうですね。
> 司馬遷自身ももともと尊敬の対象となる人物ですが、そう考えると改めて司馬遷様様です。

そして日本史には、司馬遷が居なかったと・・・・
下手をすると、日本でそれに相当するのは、司馬遼太郎ですからねえ。
まあ、司馬遼太郎のペンネーム自体が、
「司馬遷には遼(はるか)に及ばぬ1人の日本人(太郎)」という意味らしいですけど。

ただ明治以前となると、頼山陽・新井白石・本居宣長など、江戸中興期に若干名しかおらず、
どうしても明治以降の学者の比重が高まる以上、そんな彼らの研究を下敷きにして、
庶民でも手軽に楽しく歴史に触れられる作品を量産した 戦後の歴史小説家たちの存在は、
まさに現代におけるミニ司馬遷の集合体だったのかも知れませんね?
坂本龍馬であれ、宮本武蔵であれ、そうした人気小説が無ければ、
ここまで世間に知られる存在では無かったでしょうし。

> というか、この説明は理系に対して話すにはそもそも蛇足だったかも。
> リアルで数学が好きと言うと、大体は
> 「たくさん計算問題解いてるの?」みたいな返答が返ってくるもので。
> 式を解く方ではなくて構成を考える方ということをすんなり理解されることは稀でして。
> でも理系同士ということならそういうことは考慮するのは却って余計だったかもしれません。

まあ結局の所、現行の教育システムですと、各教科の本質それ自体よりも、
「いかにペーパー・テストで高得点を取るか?」に重点が寄り過ぎているので、
各教科のイメージとなると、どうしてもテスト問題のイメージになりがちなんですよね・・・・

そもそも、100年以上昔に出来上がった教育フォーマットを、
ほとんど変える事なく現在も使っている事が、全ての元凶と言えるのかも知れません。
例えば英語とかも、確かに明治時代の当時であれば、洋書を翻訳・読解する為にも、
英文法を重視するやり方は妥当でしたでしょうけど、今はそんな時代じゃないですからねえ。
数学にしても、究極的には「論理的な思考法」を学ぶ目的の教科である所が、
こちらは明治どころか江戸時代の読み・書き・算盤を引きずっているのか、
とにかく計算問題重視になっちゃってますからねえ(算数の段階ならそれで良いとは思いますが)。

> > まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
> 自分視点で考えると、数学に分類されるプログラミングが
> 数学を感じず英文を打っているようにしか思えないのは、
> 数学は言語というのと似ているのかもしれません。

プログラム言語というのは、一般言語と数学の間にある存在なのかも知れませんね。
ただ私自身の感覚だと、かなり数学側に寄ってると感じてはいますが(笑)。
ところでプログラミングと言えば、2020年から小学校で必修化される予定らしいですけど、
一体どんな感じの授業にする構想なんですかねえ?

中学生ならまだしも、算数段階の小学生でプログラミングを教えるとなると、
従来通りの勉強法では合わないでしょうし、もっと感覚的に扱う為には、
例えばPlayStationの「カルネージ・ハート」みたいな学習ソフトが必要な気がします。
・・・って、スポーツと同様に、ゲームやマンガ、アニメの話題というのも、
10年くらいまでは当たり前に通じる部分がありましたが、今だとやはり厳しいかな?
ちなみに、カルネージ・ハートはこんな感じ↓のゲームです。
http://feigling.tank.jp/b/2010/12/65.html

でもまあ、小学生対象でしたら、何もコンピューター使用に拘らず、
中学生プロ棋士の藤井四段が愛用していた一躍有名となった知育玩具。
積み木の「cuboro」みたいなアナログの方法でも構わないかも?
http://sakidori-ch.com/cuboro
学校の授業で、NHK教育の「ピタゴラスイッチ」が出来たら楽しいでしょうし(笑)。

> > こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
> > 「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」

> ありがとうございます!自分でもビックリするくらい解りやすい!
> 知識では便利だと知っていても、理解しにくかったことが
> 一発で理解できるという実体験があると、やっぱり有難みが分かります。

「掲載される数式の数が増えるほど、その本の売り上げは落ちる」
なんて言われているくらい、世間一般では数式って嫌われ者な存在ですけど(笑)、
しかし解るようになってしまえば、これほど便利な道具も無いんですよね。
まあ今回は日本語の単語でしたけど、通常であれば数字や記号なので、
それこそ異なる言語の人同士でも、数式であれば共通理解が可能ですから。


> > 中国の通史を、始皇帝から溥儀まで、連綿と続いた皇帝たちの歴史として見た場合、
> > ローマ帝国からフランク王、そしてハプスブルク帝国へと繋がる帝位を軸にすれば、
> > そこから見えてくる歴史は、西欧の通史と言っても過言では無いかも知れません。
> > ちなみに、ローマ帝国からビザンツ帝国、そしてロシア&オスマン両帝国へと繋がる、
> > もう一方の帝位の方も追っていけば、東欧の歴史もカバーできますしね。

こんな話をしていたら、何だか皇帝の系譜を纏めてみたくななっちゃいました(笑)。
という事で、大雑把に書くと、こんな感じでしょうか?

▼ 世界・皇帝の系譜 ▼
                  日本────────────────┬(北朝)┬──────(大日本帝国)┬─日本──
                                                │      │                大韓帝国┘
                                                └(南朝)┴─後南朝(1473)
                                                                  ベトナム帝国 (1945)
                     柔然─突厥─回鶻─┐    モンゴル帝国(元)┬北元┐
                                     遼(契丹)──┐    │    │    │        満洲帝国 (1934-45)
                                                 金──┤    │    ├清(後金)──── (1912)
           ┌魏┐  ┌五胡─北朝┐        ┌五代┐      │    │    │    │
   秦─漢─┼蜀┼晋┤          ├隋─唐─┤    ├北宋┬┘    │    ├明─┘
           └呉┘  └東晋─南朝┘        └十国┘    └南宋─┘    │
                                                       ├ムガル帝国─[英領]インド帝国 (1947)
                               イスラム帝国────────┐    │
. 古代ペルシャ帝国・諸王朝──────┘                       └┐  ├ペルシャ帝国・諸王朝───── (1979)
                                          ┌ラテン帝国..┐.   │  │
                                          │          │... .│  └ロシア帝国────── (1917)
.                ┌東ローマ帝国┬┬──────┼─────┴─────┤
.                │           ││            │            └──オスマン帝国───── (1922)
.   ローマ帝国──┤           ││            └トレビゾンド帝国 ────┘
.         │     │           ││                                    ┌フランス帝国─ (1870)
.         │     └西ローマ帝国┘└フランク王国─神聖ローマ帝国─────┼オーストリア帝国── (1918)
.         │                                              └────ドイツ帝国─ (1918)
古代エジプト┘
                             エチオピア帝国・諸王朝───[伊領]東アフリカ帝国─エチオピア帝国 (1974)
                                                              中央アフリカ帝国 (1976-79)
                                     インカ帝国─── (1533)
                                                         ハイチ帝国 (1804-06/1849-59)
                                                         メキシコ帝国 (1822-23/1864-67)
                                                         ブラジル帝国 (1822-1889)

                                                         ※ アメリカ合衆国 (1859-80) ※

日本は天皇、中国は皇帝、蒙古はハーン(可汗)、欧州はエンペラー(カエサル)、イスラム・スンニ圏はカリフ、
そして諸王の王という意味で、ペルシャがシャーハンシャー、エチオピアがネグサ・ナガストなどという具合です。
ちなみに、途中でカリフの系譜がグチャッと折れ曲がっているのは、
実権を失った後も、日本の天皇みたいに、諸王朝に担がれる象徴として生き残ったカリフが、
モンゴル帝国の侵攻により一旦消滅し、それをエジプトのマムルーク朝が復活させて、
更にはトルコのオスマン帝国がエジプトを征服した際に、カリフの地位も受け継いだ格好だからですね。

それにしても、こうして書いてみると、歴史的には つい最近まで多く居た皇帝達も、
今では世界中でも、日本の天皇だけなんだなぁ・・・と、改めて実感。
海外サイトでサッカー情報を見ていて、他の国は「King's Cup(国王杯)」なのに、
日本だけ「Emperor's Cup(天皇杯)」な時も、これと同じ事を感じました。
(ただし天皇家も、50歳未満の男性皇族が悠仁親王しか居ない為、存続危機ではありますが)

それと、モンゴル帝国(ここでは継承国も内包)の存在感は、やはり凄いですよね!!
あと、後方でオマケのように加えられている短命な新帝国の皇帝達も、
幾つかは世界史Flash化するくらい、個人的には結構好みです(笑)。
また、ナポレオンが皇帝に即位して以降、欧州各国に皇帝が誕生・承認される中で、
イギリス国王はインド皇帝位を、イタリア国王が東アフリカ皇帝位を得るやり方は、
何だか裏技みたいな感じで、なかなか興味深い所がありますし、
独裁大統領が皇帝を称した中央アフリカ帝国なんて、格好の歴史ネタとして扱われています。
【中央アフリカ帝国 皇帝即位式】 https://www.youtube.com/watch?v=kCU14yl-WO8#t=6m50s

ちなみに、一番最後に※印付きであるアメリカ合衆国というのは、完全にネタ枠でして、
サンフランシスコの一市民でありながら、アメリカの皇帝を自称したノートン1世という奇人がおり、
これが意外と人気者なので(コチラも世界史Flash化)、一応ですが付け加えておきました。
でもまあ、ノートンほど人気を得る例は珍しくても、皇帝を称する例は結構ありますね。
ただ基本的にはネタ扱いで、世間からは相手にされず終わるのがほとんどなものの、
中には、GHQ占領下の熊沢天皇(後南朝の末裔を自称)や、ロシア大動乱時代の偽ドミトリーなど、
世間を騒がせたり、時には本当に即位してしまうような例さえありました。
(後南朝史は若狭さんが、ロシア大動乱時代はナポレオンさんが、それぞれ世界史Flash化)
あと、これは僭称とは呼べないかも知れませんが、幕末の戊辰戦争の際、
寛永寺貫主であった能久親王が、彰義隊や奥羽越列藩同盟の盟主として擁立され、
この時に、「東武皇帝」として即位したとも言われていますね。
(降伏後の能久親王は、謹慎処分が明けるとドイツへ留学し、日清戦争時に台湾で戦没)

という事で、世界的にも珍しくはない、王位や皇位の僭称者ですが、
その数を特に量産しているのが、実は中国史なんですよねえ。
何故ならば、中国には血統に拠らない「易姓革命」という特有の概念がある為です。
中華世界の皇帝である天子は、天命によって天下を治める地位を与えられ、
天子の徳が衰えた時には、新たに別の者へ天命が下されるという思想ですから、
社会が乱れれば、雨後のタケノコのように、我も我もと次の皇帝を称する者が現れて、
その中から勝ち上がった1人の勝者が、正式に新皇帝として認められる一方、
途中で敗れ去った者達は、皇帝の僭称者として記録される事になります。

う〜ん、こうして書いていると、中国史の僭称皇帝というのも、
何やら面白そうな題材に感じられてきました(笑)。
帝国の建国者として、変に美化されて記録されていない事もあり、
頂点に辿り着けなかった敗北者たちは、なかなかキャラが立っていそうかと?
という事で、そんな僭称皇帝たちの主立った面々を、最後に少し列記してみますね。
(権力闘争や滅亡期に蜂起・擁立された皇族や、正史的に黙認されてる戦乱期の諸王朝は除く)

▼ 中国・僭称皇帝たち ▼
 陳勝(秦末の人、国号は「張楚」前209 ※)
 義帝(秦末の人、国号は「西楚」前207-前206)
 項羽(秦末の人、国号は「西楚」前206-前202 ※)
 袁術(後漢末の人、国号は「仲」197-199)
 桓玄(東晋末の人、国号は「楚」403-404[405])
 侯景(南北朝期の人、国号は「漢」551-552)
 朱粲(隋末の人、国号は「楚」615-619)
 林士弘(隋末の人、国号は「楚」616-622)
 薛挙(隋末の人、国号は「秦」617-618)
 劉武周(隋末の人、国号は「定楊」617-621)
 梁師都(隋末の人、国号は「梁」617-628)
 宇文化及(隋末の人、国号は「許」618-619)
 李軌(隋末の人、国号は「涼」618-619)
 蕭銑(隋末の人、国号は「梁」618-621)
 李子通(隋末の人、国号は「呉」619-621)
 王世充(隋末の人、国号は「鄭」619-621)
 輔公セキ(隋末の人、国号は「宋」623-624)
 武則天(唐前期の人、国号は「周」690-705)
 安禄山(唐中期の人、国号は「燕」756-757[763])
 朱(唐中期の人、国号は「秦→漢」783-784)
 李希烈(唐中期の人、国号は「楚」784-786)
 黄巣(唐末の人、国号は「斉」880-884)
 李茂貞(唐末の人、国号は「岐」901-924 ※)
 劉守光(唐末の人、国号は「燕」911-913)
 張邦昌(北宋末の人、国号は「楚」1127)
 劉豫(北宋末の人、国号は「斉」1130-37)
 徐寿輝(元末の人、国号は「天完」1351-60)
 張士誠(元末の人、国号は「周→呉」1354-57/1363-67 ※)
 韓林児(元末の人、国号は「宋」1355-66)
 陳友諒(元末の人、国号は「漢」1360-63[64])
 明玉珍(元末の人、国号は「夏」1363-66[71])
 李自成(明末の人、国号は「順」1644-45)
 張献忠(明末の人、国号は「西」1644-46)
 呉三桂(清初の人、国号は「周」1678[-81])
 洪秀全(清末の人、国号は「太平天国」1851-64 ※)
 袁世凱(清末の人、国号は「中華帝国」1915-16)
        ※印付きの僭称者は、皇帝ではなく王号を使用
        国号の後の数字は在位で、[ ]はその王朝の滅亡年

う〜ん、いざ書き出してみると、思っていた以上に多いなぁ・・・・
皇帝僭称者の跡を継いだ2代目以降を除いても、これだけの数ですから。
名将・名宰相・軍師の時は、名前を列記するだけだったので、
今回は略説くらい付けようかと考えていたのですが、ちょっと途中で諦めました(笑)。

それにしても隋末唐初と元末明初は、他の王朝末期に比べても、かなり多いですね。
特に隋末唐初は、三国志から南北朝まで中国の分裂が300年間も続き、
ようやく再統一を果たした隋王朝も、わずか30年あまりで崩壊した実状が、
こうした自称皇帝の林立する混乱状態にも、よく現れているように思えます。
それを考えると、この状況を収拾した唐の李淵や、明の朱元璋はやはり英雄でしょうし、
開祖の没後に、李世民や朱棣がクーデターで即位した事実も、偶然の一致では無いのかも?
要するに、それだけ生易しい時代では無かったという事ですね。

そして、後漢末や唐末が思いのほか少ないのは、
その後に五胡十六国や五代十国の戦乱期となり、却って僭称扱いが減る為です。
例えば三国志ですと、袁術は僭称者扱いになりますが、
魏の曹操・蜀の劉備・呉の孫権は、王朝が続くので僭称者扱いにはならないと。
また、前漢は王莽の政変により、即座に新王朝へと替わってしまい、
その新もわずか15年で倒れるので、後漢建国時は漢王族の蜂起がほとんどでしたし、
南宋の滅亡は、モンゴル帝国の侵攻によるモノでしたから、王朝末期の動乱とは無縁でした。
同じく北宋の時も、金王朝の侵攻を受けた結果でしたが、この時は非常に特殊で、
張邦昌や劉豫は、金が華北を間接統治する目的で作られた傀儡国家でした。
要するに彼らは、征服者の都合によって「僭称させられた皇帝」という事ですね。

最後に、この中で歴史的に重要な人物となると、
正史の文脈的に認められてないだけの項羽や武則天、袁世凱あたりは別格として、
あとは陳勝・安禄山・黄巣・李自成・洪秀全くらい押さえておけば、とりあえず充分ですかねえ?
歴史ネタ好きには、皇帝即位前に「宇宙大将軍」と称した侯景も愛されていますが(笑)。


> > 図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/

> 欲しい本がどんどん増えていきますw
> > ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
> > 2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
> > さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。

> そういうのが欲しい!
> 欲しい本の数が…多くて嬉しいけど泣ける…。

あっ・・・すみません。
「図書カードが余ってるから、ドンドン紹介して欲しい」
と言われたのは、また別の方との雑談でしたね。
完全に混同しちゃってました(笑)。

> > もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
> > 「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
> > よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
> > どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。

> それが同じなのかは分かりませんでしたが説明としてはとても分かりやすかったです。

簡単に言うと、技術は主に戦術に関わり、物量は主に戦略に関わるからですね。
って、この辺を説明し出すと、また長くなっちゃいますよ(笑)。

> > 司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
> > しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
> > 司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。

> そう言われればそうですね。
> 一人押すなら司馬懿で、軍事的才能もあるけれど、軍事的視点でいうなら上は居て、
> 司馬懿を押す理由はそれ以外の方が大きい、というまとめ方になるでしょうか。

そうですね。
私の見解では、そんな感じです。

> (明王朝、軍師
> 返信できる知識などの余地がないので返信はありませんが読みました。

長文に付き合わせてしまい、申し訳ありません。
返信を書いてる途中に、自分の文章からも、
頭の中で、脱線する話題が思い浮かんでしまうもので・・・・
上記の皇帝の系譜&僭称皇帝なんていうのも、まさにそんな感じですね。
ですので、そちらも読み飛ばしで構いません(笑)。
それに「名将→名宰相→軍師→皇帝&僭称者」と、行き着く所まで来た感じなので、
この方向では、もうこれ以上脱線しないと思いますし。

> (名宰相
> > 期待値の段階なら高止まりする評価も、
> そういう意味では三国志なら周瑜がそれっぽいですね。言われてみればそれもあると思います。

まあ周瑜の場合は赤壁で実績を残していますけど、
早世したという意味では、評価が高止まりしたとも言えますね。
もしも長生きをしていたら、どこかで大きなミスを犯してた可能性もありますし。

でも実際、特に英雄とか偉人とか言われる人物に関しては、
死ぬ時期というのも、意外と重要や要素であったりはします。
例えば、悪の権化みたいな扱いを受けるヒトラーも、
1936年のベルリン五輪の直後に急死していれば、評価は大きく違ったでしょうし、
逆に坂本龍馬あたりが明治まで生きていたら、贈収賄事件とか起こしていそう(笑)。

現在でも、トルコのエルドアン大統領などは、2期目の首相までで終わっていれば、
それこそ「イスラム世界の理想的リーダー」として記憶されたでしょうけど、
リーマン・ショックの余波でトルコ経済が落ち込んで以降は、
内政・外交ともに強硬姿勢へと変わり、今では着々と独裁体制を固めていますからねえ。
まあ、外から客観的に見てる分には、幅の広い人間像が見えて興味深いですけど、
実際に強権体制下にある国民からすると、そんな悠長な事は言ってられないでしょうし。

> > まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
> > 明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、

> こうして読んで、自分の理想像と非常に似通っていることに驚きました。
> どこでどういう発見があるか分からないものです。

ただし「託される」というのは、やり甲斐もある反面、やはり重労働だったそうですし、
しかも一旦怒らせると非常に恐ろしく、裏切りには冷徹なまでに処断するタイプなので、
重用された部下たちにすると、想像以上に仕事はキツかったみたいですけどね(笑)。
しかも、戦時中は軍の諜報活動を担っていた叔父の薫陶を受けた事で、
日本人が軽視しがちな「情報」の取り扱いを、非常に重要視していたらしく、
定期報告を疎かにすると激昂されたそうで、全く気の抜けない上司だったみたいです。
前回、「古い東洋型のリーダー」と紹介しましたけど、そういう意味では、
もし仮に小渕が中国に生まれていても、共産党幹部として大成していた気がします(笑)。

> (佐々木道誉について
> > 権力者に取り入っては操り、機会があれば得になる方へと簡単に寝返り、
> > 対立する相手がいれば、どんな手段を使っても追い落とし、
> > 朝廷だろうが、幕府だろうが、大寺院だろうが、気に食わなければ平気で喧嘩を売り、
> > それで一時的に立場を悪くしても、実力があるので結局は許されて出世を重ねると。
> > そして、彼の評価を更に高めているのは、彼が文化人としても超一級の人物だったからです。

> こうして読んでみると、凄まじいインパクトがあります。
> ハチャメチャ具合が脳に刻みこまれました。

佐々木道誉は、私が日本史で特に好きな人物なので、
覚えてもらえれば、私も嬉しいです(笑)。

> (心や魂
> > で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
> > 何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
> > 「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。

> そうなのですか、では自分は変わり者ですね。
> うーん、でも印象では理系の人には特別視しない人が多いような気がしているのですけどね。

大学進学率が5割で、その中で理系が3割なのですから、
全体的に見ますと、そもそも理系の人自体が15%くらいしか居ません。
そして例え理系の人であっても、自分の専門以外は大差ない(下手したら疎い)モノですし、
自分の周囲がそうだからと言って、それを基準に考えるのは世間とズレを生む素かと?(笑)
この辺の構図は、過激化しやすいネットの意見に似ているかも知れませんね。
「ネットでは皆そう言っているから、メディアの報道は嘘だらけ」となるのも、
「自分が出入りするサイトではそうだ」という事を、世間全体の意見と思い違うからですし。


> 正直、楽しいのですが文章長い…。
すみません(笑)。
さすがに前回は、私自身も「長過ぎだ」と思いました。
通常の会話なら、脱線してもそちらに話題が移行するだけですけど、
文章ですと、本線分も脱線分も同時に拾えてしまうので、
気を付けてセーブしないと、ネズミ算的に話題が増えちゃうんですよね・・・・

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