| ▼ 徳翁導誉さん
> 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
>
> しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・
> で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。
> 1発勝負ではなく、1年間に複数回の実施とかなら、私も良いと思いますけど、
> そちらに関しては、どうやら採用を見送られたみたいですし。
>
そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。
正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。
民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。
そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。
さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
勿論、重要には違いないでしょうが、極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れればそれぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。
ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
一気に進学先が無くなります。
英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?
> でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?
>
> で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。
>
そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。
その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。
> 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。
>
同感です。
昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。
> 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。
>
> ・・・って、私などは恋愛小説どころか、小説そのものをほとんど読まないんですけどね(笑)。
> 半年くらい前には、評判の良かった小説を試しに読んでみたのですが、
> 100ページ以上読み進めても、一向に面白くならなかった為、途中で読むのを辞めちゃいました。
> 読んだ事がある小説は、ほぼ歴史小説に限定されますし、
> それすら、高2以降の数年間くらいの話で、
> 歴史小説すら、もう10年くらいは読んでいないと思います。
>
> でもまあ、逆に考えてみると、小説は未開拓な分野という事になるのかなぁ?
> 特に古典などは、学校や受験の勉強以外で、触れる機会すらありませんでしたし、
> 物は試しで、「源氏物語」とかに手を出してみても、面白いのかも知れません(笑)。
好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない
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