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[21911] センター試験の廃止と、共通テストの導入返信 削除
2018/9/21 (金) 19:45:16 徳翁導誉

▼ 大学入学共通テストの話
> > 少し話題はズレますけど、これを機会に最近知ったのですが、
> > 30年ほど続いたセンター試験も、来年度が最後の実施で、
> > 2020年度からは、新たに「大学入学共通テスト」というのが始まるんですね!?
> > しかも、2024年度以降には、更なる変更を加える予定だという事で、
> > その間に大学受験を迎える世代は、安倍教育改革に振り回される結果になりそう・・・・

> そう、そうなんですよね。私の後輩達は本当に運が悪かったと思います。
> 一応、高校の方で偉そうにアドバイスとかをしたこともあるのですが、
> マーク式から記述を含む方式へと変更される訳で、ほとんど役に立たなくなるでしょうねぇ・・・。

マーク式だと役立つアドバイスって、具体的にどんな感じでしょう?
スレッドがスレッドですので、ちょっと興味がある所です(笑)。

> 正直な話、現状のセンターのマーク式が英語力の無い人間でも
> 高得点を取れるテストというのは事実でしょうね。
> 私もセンターの英語は胸を張れる点数ではありませんでしたが、
> 一応、他でカバーできる程度には踏みとどまれました。
> しかし、新方式で受験していたら大学入学を断念したのではないかと思う程度には英語力が無い人間です。
> 少なくとも記述式のテストでは数問ある記号問題やリスニングを運で当てに行くような有様でした。

いや別に、マーク式が全廃されて、全て記述式に置き換わるという話ではなく、
基本はマーク式で、そこに記述式も一部加わる感じだと思いますよ。
ほぼ全ての受験生が受けるテストですから、記述問題ばかりだと採点が困難ですし、
先んじて導入された私大入試の記述問題も、申し訳程度という所が多いですからねえ。
それにTOEICやTOEFLにしても、私が受けた頃と変わっていなければ、マーク式だった気が?

> > で、とりあえず英語に関しては、有識者メンバーだった楽天・三木谷の強い推しもあり、
> > TOEICやTOEFLなどが、共通テストの英語試験の役割を担う方向になりそうなのだとか。

> 民間の英語試験を組み込むとなると、英語力の無い人間はもうどうしようも無くなるでしょうね。
> 英語力の無い人間も努力すれば高得点を取れるのかもしれませんが、
> その努力の求められるレベルが今までより遥かに高くなるのは確かかと。

私が気になってしまうのは、受験生に対する平等性であったり、
国家としての教育に対する責任性みたいな所なんですよねえ・・・・

TOEICやTOEFLがダメとは言いませんし、何度も受けられる利点はありますけど、
それなりの受験料が掛かる事から、家庭の経済力によって左右されたり、
試験会場は大都市ばかりなので、地方在住者は受ける事が困難だったりと、
その受験機会の回数が、不平等を生み兼ねない気がするんです。
しかも、大学入学共通テスト単独での合否判定には否定的な態度なので、
受験料も安く、試験会場まで出向かなくて良い、私大センター利用入試が無くなるかも知れず、
そうなると、貧しい受験生や、地方の受験生は、更に苦労を強いられる事になります。
都会に暮らし、経済的にも恵まれている受験生は、現状でも有利な状況にあるのに、
国が率先して格差を更にを広げるのは、私の公教育観とは全く合わないというのが正直な所。

また、移行期間のように、大学入学共通テストに英語のテストがありつつ、
各大学ごとの判断で、TOEICやTOEFLの点数も利用できると言うなら良いのですが、
5教科の中で英語に限り、国が作るテストを無くしてしまうと言うのは・・・・
現行のセンター試験に問題があるなら、国が責任を持って新たなテストを作るべきで、
「そうした能力すら、いまの日本には無いのか?」と、悲しくもなりますし、
いっそ全廃して民間テストに丸投げするなら、英語だけなどという中途半端な事はせず、
高校入試の業者テストのように、他の教科も含めて、民間業者に任せるべきです。
それに、そもそも、2次試験では各大学がそれぞれ入試テストを課すのですから、
1次試験である共通テスト(センター試験)には、それこそ統一性こそが重要な気がしています。

> そして、一番疑問に思うのはそういう民間の英語試験を組み込んで、
> 本当に海外で役に立つような英語力が身につくのかという事です。
> 確かに現行のセンター英語テストで高得点を取れても海外では通用しないでしょうけど、
> TOEIC等を入試に活用すれば即座に海外で通用する英語力が
> 身につくようになるというのは信じがたい気もするんですよね。

でもまあ、1つの目安には成り得ますよね。
学歴にしても、資格にしても、ある意味では同じ事だ思います。
そもそも、「即座に通用」というレベルを期待されていない気もしますし。

> さらに言えば、英語ってそんなに重要ですかね?
> 勿論、重要には違いないでしょうが、
> 極端な話、国語や数学が出来ない人間も他の教科で高い点数を取れれば
> それぞれの適性にあった進学先に行ける訳です。
> 全教科しっかり取れる人間よりは当然、幅が狭くなりますが、それでも道は断たれません。
> それなりに自分の能力を活かすことが出来るでしょう。
> ところが、英語が出来ない人間は他の教科でどれほど点数を取れようが、それこそ何かの賞を受賞しようが、
> 一気に進学先が無くなります。
> 英語は大事でしょうが、万人が必ず出来なければならないような代物ですかね?
> 英語能力が無いと他の能力の有無は問題にならなくなるほど重要な要素なのでしょうかね?

それでもまだ、日本の状況はマシな方ではあるんですよね。
日本では、母国語である日本語で、大学の授業を受けられるのですから。
これって実は当たり前の事のようで、全然そうではありませんし、
英語なり、旧宗主国の言語なりで無いと、高等教育を受けられない国の方が多数派かと?
そうした国々では、学問をする上で、英語が出来る事が前提条件となりますし、
だからこそ必要に駆られる為、英語に堪能な学生が多くなると。
逆に言えば、日本だとそこまで、英語の必要性を迫られてないって事なんですよね(笑)。
国によっては、説明書や契約書なども、非母国語である英語で書かれており、
学問だけでなく、生活するにも仕事をするにも、英語が必要な所だったあるくらいですし。

で、そうした日本の現状が悪い事なのかと言えば、決してそうとも言えません。
何より、母国語で学問が出来る事で、絶対数が増え、全体のレベルも上がりますからねえ。
もちろん、諸外国の学生は英語も出来て、それこそ「即座に通用」するレベルかも知れませんが、
そうした人材はトップの一握りであり、日本でもトップなら相応の英語力はあるでしょうし、
また、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の益川教授は、英語が出来ない事で有名でした。
英語は出来ないのにノーベル賞を取れる人材を輩出できる国など、日本くらいかも知れません(笑)。

それに、ここまでAI技術が発達すれば、そう遠くない将来に、
日常レベルの翻訳機能に関しては、AIがこなしてくれる時代が訪れそうですからねえ。
まあ、このスレッドの大元となったスレッドで話題に上がった
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の著者は、AIに翻訳は不可能と言ってましたけど(笑)、
そうした時代が到来したら、英語を話せる事よりも、何を語れるかが、遥かに重要になろうかと。
楽天・三木谷が自身の英語コンプレックスを振り回し、自社内の公用語を英語にするも、
(国の後援を受けながら)海外展開が上手く行ってないのは、経営者個人の勝手ですけど、
安倍政権の政策ブレーンとして、国民全体の教育まで振り回すのは、正直勘弁して貰いたい・・・・


▼ 国語の話
> > でも私の場合、高校2年の夏休みまでは、
> > 読んだ本の数など、全部で2〜3冊くらいだったんですよねえ。
> > (夏休みに「信長の野望」にハマり、そこから歴史小説へと入りました・笑)
> > 国語の問題集とかも、その頃はまだ手を付けてなかったと思いますし、
> > その辺を考えますと、やはり『国語(母国語)』って事なんですかねえ?

> そうですね。国語っていうより母国語って事だと思います。
> 国語も記述式になるのでしょうが、それは悪くない変更かもしれません。
> 英語程ドラスティックに変える訳じゃないでしょうし、
> 二次試験でたまに見かけるマーク・記述混合式みたいな感じになるのでしょう。
> 現行の国語は読解力と知識面を試すものだと思います。
> しかし、日常生活で必要になる国語力って、後説明力=記述力もあると思うんですよ。
> まあ、記述が出来てもとっさの説明は下手になる人も居ますが・・・。

「とっさの説明」は・・・私も下手かも知れませんね(苦笑)。

> > で、ふと思ったのですが、日本の場合だと英・数・国・理・社で主要5教科と言われますが、
> > アメリカやイギリスなど、英語が母国語の国だと、英語こそが国語になる為、
> > 主要教科は「数学・国語(=英語)・理科・社会」の4教科なんですかねえ?
> > 外国語の授業もありそうですが、日本の大学の第2外国語くらいなイメージがあります。
> > でもまあ、日本でも小学校は4教科ですから、別にそれでも不思議は無いですけど。

> その疑問は私も持ったことがありますね・・・。
> やっぱり選択で外国語を勉強するんじゃないかと思っていましたが・・・。

私も実際の所は解りませんけど、
海外ドラマとかだと、そんな感じのイメージです(笑)。

> > 現代文にも、古典にも、そして歴史の勉強にも役立つ歴史小説は、
> > 意外と良い受験アイテムなのかも知れませんね?(笑)
> > もちろん、歴史小説を読む事が得点に直結する訳では無いので、
> > 受験教材として読むよりは、受験勉強の息抜きとして読む方が適切でしょうけど。

> 同感です。
> 昔の小説を読むのも良いですが、昔の文体になれるというよりは
> 昔の雰囲気、常識みたいなものになれるのが大事でしょうね。

数学の方で出た話題ですけど、やはり学問の上達には、
「教わる」よりも、「教える」事の方が、遥かに効果があると考えれば、
国語力を養おうとすれば、読む事は勿論、自ら書いてみる方がもっと良いのかも?(笑)
まあ流石に小説とかはハードルが高いかも知れませんが、それこそブログとかでも言い訳ですし、
考えようによっては、文字を書く機会の多い現在の若いデジタル・ネイティブ世代の方が、
一般的なイメージとは逆に、意外と国語力が高いという事も有り得そうな気がします。

あと、小説という点では、何も歴史小説に限らず、
科学の小説であったり、数学の小説であったりというのも、
やり方によっては、面白い内容にできて、かつ受験教材にも為り得る可能性はあると思うんです。
何でも漫画化してみたり、とにかく萌え化や擬人化してみたりなど、そうした教材は既にありますけど、
どうも、やっつけ仕事の感が強く、作品としても教材としても不十分なばかりな印象がありますし。

> > 現代の恋愛小説とかは、どうなのでしょうか?
> > そちらも理解できなければ、古典とか関係なく、そもそも恋愛小説が無理って事でしょうし、
> > 現代なら大丈夫という事であれば、当時の恋愛感覚が理解できないって事になりますけど。

> 好んで読む訳じゃないですが、雑食なので恋愛系の作品を読むこともあります。
> 読んでて不愉快な作品やこっちが恥ずかしくなるような作品もありますが、
> 一般受けして尚且つ、理解できない作品というのはあんまりあったことがありませんね。
> 「蜻蛉日記」とか本当に分かりませんね。
> 藤原兼家の酷な行為に対して藤原道綱母がどんなに悔しく感じたが、悲しく感じたか、
> 感情移入は滅茶苦茶出来るんですけど、
> その後自信満々に答えた選択肢が大体間違ってるんですよね。
> 解説を読んでも、何が間違っていたのか分からない
> 解説通りだとしたら藤原道綱母に感情移入したつもりになっていただけだったのかとも思いますが、
> そうだとしたら藤原道綱母の気持ちが全く理解できない

う〜ん、単純に考えると、後者って事になるのでしょうが、
何だか、それも違う気がする・・・・

ひょっとしたら、感情移入をし過ぎているのかも知れませんね(笑)。
入り込んでしまうからこそ、主人公に同調して、深読みや裏読みをしてしまう。
でもテスト問題の読み方って、もっと表面的じゃないですか?
例えば、「主人公は喜んだ」と書いてあれば、
主人公の感情として適当な選択肢は「喜び」が正解になるのでしょうけど、
作品に入り込むと、「この主人公なら、本心では悔しいはずだ」と感じ取る事もあるはずです。
だからと言って、解答として「悔しさ」を選んだら、それは間違いとして判断されてしまうと。

もしくは、そもそも個人の感覚が、一般的な感覚からズレているなんて可能性も?(笑)
そもそも現代の恋愛小説とかは、基本的にテスト問題として出てこないでしょうし、
実際にテストがあった場合、実は自信満々の答えが不正解なんて事も有り得るかも知れません。
前術の例で言えば、「悔しいはず」と感じたのは、個人の思い込みで、
本当に主人公は、純粋に「喜んでいた」というケースですね。

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