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[23390] 20年前と現在の社会の違い&歴史物理学返信 削除
2020/10/20 (火) 20:42:06 徳翁導誉

> > > > > 私も以下のようなJavaScriptゲームを作ってみたのですが、
> > > > > アジア新時代 https://devum765.github.io/javascript-game/

> > > > いつ頃から作り始められたのですか?

> > > 製作期間としては10日、100時間弱くらいだと思います。
> > > その後のアプデでさらに30時間くらいかな?
> > > 時間のわりに内容は大したものじゃないんですがw

> > ちなみに、これは第1作目なのでしょうか?
> > それとも、まだ他にも、作られた作品があるのかな?
> > また、プログラムの勉強に関しても、これキッカケで始められたのでしょうか?

> このゲームがほとんど1作目ですね。
> その前にもっとプログラム的に簡単なゲームは作っていますが、本当に簡単なゲームですし。
> あとその前にはほかのゲームのmodの制作もしていたので、
> それも含めれば完全なプログラム初心者ではないですが、
> 本格的なプログラミング言語に関してはこれが初めてです。
> 開発環境も何使っていいのかわからなかったのでメモ帳使って作りましたし。
> 勉強のきっかけも、完全にゲーム作るためです。

なるほど、ありがとうございました。
あと、話題はちょっとズレちゃいますけど、
誰でも気軽にMODが投稿できるシステムや環境にしておく事は、
ネット時代の現代において、改めて重要な事だろうなと思いました。

また、例えばNPCの思考AIとかも、投稿型に出来れば面白いでしょうし、
それを昔あったPlayStation「カルネージハート」のように、
プログラム知識が無くても、AIを構築できるシステムにすれば、
そこにもゲーム性が帯びてきますし、この方が観戦プレーも盛り上がるかも?
要するに、途中で操作は一切無く、自律したAI同士の対戦を観戦する訳ですね。

> > > シミュレーションゲームはゲームシステムを複雑にする必要があるわけです。
> > > そこでいかにゲームを複雑にするのかが問題になるのですが、私は2つ方法があると思っていて、
> > > 1つがプレイヤーの操作できる要素を増やすこと、もう1つが各要素の関連性を複雑にすることです。
> > > 例を上げれば、信長の野望の開墾コマンドはプレイヤーの操作できる要素を増やす方向性のものです。

> > ただ一方で、その絡み合いがブラック・ボックス化してしまうと、
> > どういう因果関係が結果が出ているのかが把握できず、プレー上のストレスになる事があります。
> > 例えば赤い嵐の治安要素なんて、5つの要素が増減に影響する為、
> > どうして増減するかが把握しにくく、不満の種になる事がありますからねえ。

> 私は真逆で、できる限りリアルにシミュレーションしたい派ですね。
> あと単純に歴史ゲームには相応の史実再現度を求めてしまうので、
> 史実再現させるためにはどうしてもルールが複雑になってしまうのは致し方なしと思っています。

え〜と、これは物理学的なモノの考え方なのかも知れませんけど、
何かをシミュレートしようとする場合、そのモデルは可能な限りシンプルな方が良く、
現実は複雑だからと要素を増やせば、却ってリアルから遠ざかってしまうと思うんです・・・・

未来のスーパーAIなら解りませんが、少なくとも人間の頭脳というのは、
複雑な問題を複雑に扱っても、まともに処理できるほど高性能では無いですし、
(ゲームのルールはシンプルで奥深いのが理想なのも、こうした理由からです)
数理モデルの意図を理解できないまま、算出される結果を受け取ったとしても、
果たして、それが正しいのか? 間違っているのか? を判断する事すら出来ません。
そして、どれほど複雑に見えるモノでも、その根幹部分は意外とシンプルな事が多く、
数多くの要素が絡んでいても、その中心となるのは極一部に限定される事も多いです。
逆に言えば、そこが解らないようだと、物事の本質を掴めている状態とは言えないかも?

また一方で、1つ1つは複雑に絡み合っていて、とても理解など不可能なように見えても、
無数に集まって1つの集団と見なせれば、そこにはシンプルな規則性が見えてきたりもします。
物理学でいう熱力学とか、統計力学とかは、そういった分野ですね。
粒子の1つの動きはシンプルですけど、それが2つ3つと増えると複雑になり、
100個1000個ともなれば扱う事も不可能ですが、無数の集まりとなれば再びシンプルになると(笑)。
私も詳しく知りませんけど、社会物理学などの分野では、
こうした熱力学などの考え方を、人間社会にも応用しているのだと思います。
人間も100人1000人の規模だと予測不能でも、国家規模になれば結構予測が可能になりますし。

> 19世紀のゲームで世界統一できたりするとえーと思ってしまいます。
これは逆に、「20世紀ならアリ」って事なのでしょうか?(笑)
まあ考え様によってはポスト冷戦って、アメリカによって世界統一された時代な訳ですし、
文字通りの世界征服も、政治的には困難で無意味でも、技術的には可能にはなってますので。
って、パクス・アメリカーナではなく、パクス・ブリタニカの時代を考えれば、
19世紀にしたって、世界統一に近い事は起こってますし、本当にそれが有り得なかったかと言えば?
例えば、チンギス・ハーンが活躍しなかった世界線の人から見れば、
あの広大なモンゴル帝国なども、それこそ「有り得ない」存在に映るかも知れませんし、
1つの結果に定まる前には、様々な歴史展開の可能性が有り得た訳で、
あまりに史実に囚われてしまうと、その可能性すら見落としてしまうかも知れませんよ。

ですから、武田信玄が世界を征服する可能性だって・・・って、それは無いか(笑)。
ただまあ、そこはゲームなんですし、AIの話と同様に設定次第で、
リアルな展開も、荒唐無稽な展開も、どちらでも遊べるのが理想でしょうか?

> (批判になってしまいそうですが)来年の治安予想や、どういう要素で治安が変動しているのかを可視化できれば、
> ブラックボックス化も解決できるじゃないかなーと考えています。
> 例えば「現在治安50%→(基本治安向上率)5%*(隣接地域の軍事力補正)0.90*(占領地補正)*0.80→次年度治安予想53%」
> みたな感じのものを表示するとかですね。

う〜ん、そうなってしまうと、それこそリアルから遠のいてしまうのでは?
ここで扱うブラックボックスとは、ビジネスみたいに意図的に中身を隠しているのではなく、
どうして、そういう結果に至るのか、中身の経緯が解らない事を指しています。
言い換えてしまえば、「ああすれば、こうなる」みたいな明確な公式が解っていれば、
政策判断において、為政者は誰も苦労しないって話ですね(笑)。

とは言え、もちろんゲーム内においては、そうした公式が存在してますし、
それを解き明かそうというのも、個々のプレイヤーの自由であり、
ある意味では、そうした考察は現実の政治(問題解決の思考法)にも繋がるかも知れませんが、
公式を表示してしまうというのは、あまりにゲーム的に過ぎると私には思えてしまうんです。


> > > あともう一つやりたいのが、完全な歴史シミュレーションを作ってみたくはあります。
> > > 時代は前近代を舞台にして、プレイヤーは一切干渉せずに、
> > > ゲームの中でランダム生成された国家やキャラクターが勝手に動いて歴史を作っていくような。

> > 半年くらい前に、弁さんとの雑談で話題に出てきた
> > 「下天3」や「ガイアチャンネル」に、イメージ的には近いのかな?
> > シミュレーション・ゲームと言うよりも、歴史シミュレーター的な感じで。
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22954#22954
> > 同じく、雑談で語った「歴史物理学」によるシミュレーションであったり、
> > 「人工生命」の生態系をサーバー上に作ったりなどの企画案にも、通ずる所があるかも?
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s22804#22804
> > http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20453#20453

> 「歴史物理学」って良い表現ですね。今まで考えていたことを的確に表現してくれた感じです。

歴史が趣味で、物理が専門の私が、勝手に作った造語ですけどね(笑)。
統計物理の手法が用いれる程、歴史って客観的なデータがある訳じゃ無いですけど、
近年、経済物理学や社会物理学といった学際的な新分野が、注目を集め始めていますし、
所詮は人間が集団として利を求める動きが、おおまかな歴史の流れを築いていくので、
厳密性には欠くでしょうけど、おおよその数理モデル化は出来ると思うんですよ。

とりあえず、「人口」というのは、歴史で扱える数少ないデータの1つですし、
人口データには及びませんが「経済」や「生産力」も、それなりに扱えるはずです。
実際、当サイトの企画コーナーにある「世界都市の人口変遷」や「数値で見る国力の推移」も、
チャンドラー(Tertius Chandler)や、マディソン(Angus Maddison)などの研究を基にしています。
http://tokuou.g1.xrea.com/kikaku/city_population.html
http://tokuou.g1.xrea.com/kikaku/kokuryoku.html

そして、人類社会に大きな変革をもたらす要素としては、
「画期的な技術革新」であったり、「膠着化による政治停滞」などもあるのですが、
世界規模で見ると、「気候変動」や「疫病の流行」の影響が、実はかなり大きかったりしますし、
後者の2要因に関しては、資料やデータが結構豊富なんですよね。
また、それらに連動して、温暖で豊作な時代が続くと、人口が急増する農耕民の勢力圏が拡大する一方、
寒冷化や疫病・天災で食糧不足が起こると、戦争や革命が起きたり、遊牧民が農耕民を襲う傾向があると。
ですから、科学的には不十分でも、それっぽいモデルは作成可能な気がするんです。

で、とりあえずでも歴史モデルが作れれば、そのシミュレーションを重ねる事で、
ある歴史上の出来事が、必然的だったのか? それとも偶発的だったのか? というのも、
客観的に見えてくる事になるのかも知れません。

> > > そんな感じの歴史シミュレーションを作って、
> > > 掲示板なんかでワイワイ観察するのも面白いかなー、と考えています。

> > 掲示板でとなると、ちょっと厳しいのでは?というのが、正直な感想ですね。
> > 「ワイワイ観察」となると、やはりリアルタイム実況的になりますので、
> > Twitterとかの方が向いてる気はしますが、そうなると今度は同時視聴の制限が掛かり、
> > 結局の所、ニコニコ動画のような「疑似リアルタイム」的な方法が最適な感じがします。

> 個人的に考えていたのは、1日で120ターン分(1ターン1か月で)が自動更新されて、
> リアル1か月で300年、ゲーム内の1200年(リアルの4か月)で1世界終了、1年間で3世界を回す、といった形式です。
> なので地形生成もランダムにして、世界が変わるごとに全く新しい地形でシミュレーションが始まると。
> そこの掲示板で「○○帝国は今後50年以内に滅びる」みたいな
> エマニュエル・トッドというか、ハリ・セルダンごっこがしたいんですよね。

「エマニュエル・トッドは解るけど、ハリ・セルダンって誰?」と思い、
調べてみると、アイザック・アシモフのSF小説に登場する
「心理歴史学」なる分野を作った天才数学者の事なんですね(笑)。

> これだとあまりにマニアックすぎるので、本当はニコニコとかでやったほうが
> より多くの人に楽しんでもらえるのでしょうが。

いやいや、14分24秒の頻度でターン更新があり(10分or15分1ターンの方が切りが良さそう)、
それが4ヶ月も続くとなれば、ニコ動より、Twitterとかの方が向いてる気はします。
ただし最大の関門は、「どうやって関心を持たせ、それを持続させるか」でしょうか?

でも、YouTubeのライブ配信とかの視聴者数を見ていると、
思わぬ映像でも、意外と人数が居たりしますし、
史上初のWebカメラと言われるのも、ケンブリッジ大学のコーヒーポットのネット配信で、
元々は研究者が無駄足を防ぐ為のモノでしたが、それが部外者にも人気だったんですよね(笑)。
私も、水槽の映像を垂れ流してる配信とか、結構点けっぱなしにしてたりしますし、
そういう意味では、ボーっと見られて、それでいて ついつい見ちゃうような内容となると、
出来る事なら、ターン制よりはリアルタイム制の方が、視聴者を引き付けるには良いのかも?
それこそ、YouTubeのライブ配信とかにすれば、そこのチャット機能も使えますし、
ライブ配信の映像にチャットも組み込めば、後から視聴しても空気感は味わえますので。


> > > 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> > > コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> > > あの辺の本質は変わっていないと思います。

> > (ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)

> 「コミックマーケット35周年調査・調査報告」ってやつですね。2011年の調査なので結構古いやつですが。
> (というか確認したところ、100部未満はサークルの半数、50部未満が30%ってなってますね)

お〜、データがあったんですか!?
ありがとうございます!!
コミケって、そんな所までデータを取ってたんですね、知りませんでした。
そう言えば、ゲームショウのパンフレット巻末に載ってるデータ類も、結構好きだったなぁ。
ちなみに、他にも何か面白そうなデータとか載ってます?
・・・って、「35周年調査・調査報告」という書き方を見ると、
コミケのカタログとかに載ってるというよりは、そういう報告書があるのかな。
そう思って検索してみた所、ネット上で公開されてますね(笑)。
サークル側だけでなく、入場者の方のアンケート調査も、思う以上に載ってました。

> > 話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
> > 森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
> > 詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
> > 単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
> > 別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
> > それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
> > 語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
> > ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
> > 捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
> > とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
> > 最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
> > 決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
> > ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。

> あー、なるほど。
> 私の場合、インターネットを使い始めたころには既にネットが一般化してたので、
> ネットでちょっと検索しただけではそういった世界にたどり着けないのは当たり前、みたいな感覚です。
> その時代知らないので間違っているかもですが、かつては秋葉原もインターネットもコミックマーケットも
> 「知る人ぞ知る」だったからこそ、仲間内の空気感があったわけで、
> そこにたどり着くにはいわば高度な情報網みたいなものが必要だったと。
> で現在はアキバもネットもコミケも情弱でも知っているものになってしまった。
> だけど高度な情報網みたいなものさえあれば、仲間内の空気感のある場所にはたどり着ける(こともある)から、
> 結局は昔と大して変わってないんじゃないかなーと勝手に思っています。
> アクセスが難しい場所にしかそういった場は生まれないと。

いえ、その逆ですね。
確かに当時は「知る人ぞ知る」という、その世界だけの話で、
関係ない部外者にとっては、世界の中は伺い知るのが困難な時代だったでしょうけど、
心理的な面と、地理的な面の壁さえ越えれば、誰でもアクセスが可能な世界でした。
要するに、キモいという心理の壁と、東京など大都市のみという地理の壁であり、
そこは勇気とカネさえあれば、解決できる課題でしたので。

例えば秋葉原は昭和末期、あの街1つで、全国の家電売上の1割を担っていて、
とにかく秋葉原に行けば何でも有るし、そこに無ければ何処にも無いという状態でした。
そして「家電なら秋葉原」みたいに、代名詞的にイメージが定着してしまえば、
放っておいても人は集まってきますし、そうなれば店だって更に集まってきて、
店が増えれば価格競争が起きて商品安くなり、そこで更に買い物客が集まって、
買い物客が増えれば、マニアックな需要に応えても採算が取れるようになり、
それこそ「何でも有る」街として、好循環で発展していった感じですね。
で、そんな秋葉原の街へは、電車さえ乗れば、誰にだって行けた訳です(笑)。
マニアックな店とかも、別に情報とか無くても、足さえ使えば見つけられましたし、
コミケにしても、「マーケット(市場)」を謳っているくらい、
最初からオープンなイベントであり、そうして既に半世紀近い歴史がある訳です。

う〜ん、この辺の感覚は、「本屋」とかで喩えれば伝わりやすいですかねえ?
本屋というのは、その存在自体は当然知っていても、
興味ない人には縁遠く、どんな本が置かれているかも計り知れないでしょうし、
街の小さな本屋とかは、初めてだと確かに立ち入りにくい雰囲気がありました。
でも、一旦勇気を持って中に入り、お金さえ持っていれば、誰でも好きな本が買えるんです。
そして神保町の書店街まで足を伸ばせば、マニアックな本さえ探す事が出来たと。
別にそこには、「高度な情報網」みたいなモノは特に必要ありません。
ただ、交通費と時間を使って、わざわざそこまで足を運ぶ手間が必要という意味では、
やる気が無いと越えられない障壁があり、それに囲われた世界観や空気感はありましたし、
インターネットにしても、1時間繋いで500円とか1000円かかった2000年頃までは、
誰でも利用できるけど、本気で利用したい人しか居ない、濃密な空間であった訳ですね。
ちなみに私が、読む時間と、書く時間と、投稿する時間を分けているのも、
通信料を抑える為の、当時のネットの使い方の名残だったりします(笑)。

と、本屋の例から離れてしまいましたので、話を元に戻すと、
まずは90年代、急速に全国拡大を始めたコンビニに、売れ筋の雑誌や漫画が置かれるようになり、
続いて2000年の大店法改正により、あちこちで広大な売り場面積を持つ大型書店が現れ出し、
それに少し遅れて、ネットの普及に伴うAmazonの登場と、Kindleなどの電子書籍の発売がありました。
言ってしまうと、過渡期の00年代というのは、本好きにとって夢のような時代だった訳ですね。
昔ながらの街の本屋や、神保町の書店街は、まだ生き残っている状態で、
よく読む雑誌や漫画とかは、24時間どこでも買えるコンビニに置いてあり、
大型書店に行けば、無数の本に囲まれるテーマパークのような空間が広がり、
Amazonでネット注文すれば、手間を掛けずにマニアックな本さえ買えたのですから。
でもそれは一時の夢物語であり、平成の30年あまりの間に、
本屋の数は3万店から1万店へと激減し、コンビニに置かれた雑誌や漫画もめっきり減り、
多くの大型書店は縮小や閉店を余儀なくされ、残されたのはネット空間のAmazonだけな現状に・・・・

もちろん、Amazonを始めとしたネット通販は、非常に便利なのは確かなんですよ。
転勤族として都会でも地方でも育った私からすると、昔の地方の不便さというは覚えていますし、
ネット通販とショッピング・モールの登場が、地方の生活を劇的に変化させた事も解るんです。
この地理的格差の解消というのは、不便さの実体験が無い都会人には解らないほど大きい!!
ただ一方で、街中から本屋が姿を消した現実も、目に見えて感じてますし、
今では駅前の商業施設やショッピング・モール以外に、ほとんど本屋が残されていない現実を、
今回のコロナ禍による大型店舗の一斉休業によって、如実なまでに実感しました!!
池上彰が以前テレビで、本屋の事を「知識のドンキ」と表現した時、
「まさにその通りだ!」と相槌を打ったのですが、
専門書からゴシップ誌まで、様々な知識が所狭しとジャングル陳列されてる「リアル書店」は、
Amazonみたいな「ヴァーチャル書店」には無い、異なる本同士の空間的な繋がりがあるんですよね。
AIによるオススメ書籍は、ビジネス的には一理あっても、知識の広がりには貢献しませんし。

と言う事で、例え話が長くなってしまいましたけど、
Amazon登場によって得られた便利さがある反面で、リアル書店が消滅しかかっている現実もあり、
それは、本屋という空気感が好きな私からすると、非常に残念な状況であると。
そして、このような現象は、何も本屋だけの話に限らず、
秋葉原やネットの世界でも起こっており、コミケの世界もそうなのでは無いか?という訳です。
別に本屋なんて言うのは、そう簡単に「たどり着けないのは当たり前」な場所では無かったものの、
確かに今では、そうした感じになりつつあるのかも知れません・・・・
で、秋葉原やネットも同様に、と言うか、一歩も二歩も先んじてる実感はあります。
ぶっちゃけた話、アクセスし難いだけで、まだ何処かに世界があると言うよりは、
もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?というのが、正直な感想です。

・・・って、改めて立場を変えて考え直してみると、
「自分の記憶にない時代は対象の埒外」という感覚は、至って一般的な事なのかも知れませんね。
秋葉原の駅前にバスケコートがあり、歩行者天国がカオスであった時代。
ネットの無法地帯とされた2chでさえ、意外とまともな議論が行えた時代。
わずか十数年前の姿であっても、それを知らない若い世代からすれば考慮の範囲外でしょうし、
そうした世代差が無くても、普通の人の考え方だと、前後数年くらいの範囲が当たり前な一方、
無意識に数十年規模で捉え、自分が生まれる前の過去や、自分が死んでいるであろう未来さえ、
当然のように考慮して見てしまう私の考え方は、一種の変わり者と言えるでしょうから(苦笑)。
(転勤族として育ち、その土地ごとに変わる常識へ対応した経験が、私をそうさせたのかも?)
言うなれば、失われた時代しか知らない世代からすると、
そこに残された「残り香」を見ると、それが「ある」と感じるのでしょうけど、
失われた過程を見てきた世代からすると、残り香くらいじゃ「ない」のと同じと。
要するに、比べる基準の違いになってくるんだと思います。

ネット検索にしても、アナログ時代の情報収集から見ると、
時には図書館で缶詰めとなり、時にはカネを払い、時にはコネを築いて、
それでも得られなかった情報が、今では簡単にタダで手に入る時代となった訳で、
その当時と比べると、「たどり着けないのは当たり前」とは逆の感想に至ります。
(もちろん、ネットや無料じゃ得られない情報も、未だに数多く有りはしますけど)
しかし一方で、アナログ時代は「情報の水たまり」のデータ量しか無かったものが、
今では「情報の海」と呼べるくらい、把握できない規模のデータ量になりましたからねえ。
そういう意味では、ネットやデジタルの黎明期にあった「情報の池」の頃が、
手に負える範囲での理想的なデータ量だったのかも知れません。

それこそ、発信者数が限られていた以前のネットは、有益な情報率が高かったものの、
誰でも手軽に発信できるようになると、有益な情報の絶対数自体は増えていても、
ゴミのような情報が圧倒的に増えた事で、有益な情報率としては激減している感じです。
しかも、その当人に都合の良い偽情報とかも増え、そうした情報を自ら集めるだけでなく、
AIによるオススメ機能により、無自覚なまま溺れてしまう事例も増えている為、
「アナログ時代と現代」ではなく、「デジタル初期と現代」という視点に立てば、
以前に比べて大変となったというのも、一面では事実なのだと思います。

で、デジタル初期さえ知らない若い世代からすると・・・現代が全てなのでしょうね。
自身の短い記憶から、数年前と比較対象しても、長い目から見ると大して変わっていませんし、
成長期に築かれた価値観のまま、時代が変わってもアップデートされないようだと、
自分が年を取った時に「最近の若者は・・・」と、愚痴をこぼす事になると(苦笑)。
まあ多くの人々が、そんな事を数千年も繰り返した訳で、よくある光景と言えばそうなのですが、
結局の所、既にあった過去の価値観をインプット出来ない様では、
未来に訪れる価値観をアップデートする事も、なかなか難しいんじゃないでしょうか?
もちろん、過去と違って未来は、本人の体感も加わるので、全く同じでは無いですけども。
って、何だか最後は、まるで関係がない話になっちゃいましたね(苦笑)。
結局の所、同じ「趣味人世界の空気感」と言う単語を用いても、
それぞれに思い浮かべる世界のイメージ像が、互いにかなり異なってるんだと思います。
そもそも、このサイト自体、開設から20年も経っていますし・・・・

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