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[23393] Re:20年前と現在の社会の違い返信 削除
2020/10/24 (土) 21:12:53 旧トルコ担当


> > > > 例えばコミケなんかも相変わらずサークルの8割までは100部以下しか売れてませんし、
> > > > コミケの注目度が高くなったことで大手の儲かっているサークルばかりが目立ちはしていますが、
> > > > あの辺の本質は変わっていないと思います。

> > > (ちなみに「サークルの8割までは100部以下」というのは肌感覚? それともデータあり?)

> > 「コミックマーケット35周年調査・調査報告」ってやつですね。2011年の調査なので結構古いやつですが。
> > (というか確認したところ、100部未満はサークルの半数、50部未満が30%ってなってますね)

> お〜、データがあったんですか!?
> ありがとうございます!!
> コミケって、そんな所までデータを取ってたんですね、知りませんでした。
> そう言えば、ゲームショウのパンフレット巻末に載ってるデータ類も、結構好きだったなぁ。
> ちなみに、他にも何か面白そうなデータとか載ってます?
> ・・・って、「35周年調査・調査報告」という書き方を見ると、
> コミケのカタログとかに載ってるというよりは、そういう報告書があるのかな。
> そう思って検索してみた所、ネット上で公開されてますね(笑)。
> サークル側だけでなく、入場者の方のアンケート調査も、思う以上に載ってました。
>
> > > 話題はコミケから離れてしまいますが、例えば現在、1年ぶりにサッカーの代表戦が行われており、
> > > 森保JAPANのサッカーに関して、いろいろと考えたり、知りたい所があったりするので、
> > > 詳しい人の話を聞きたい気持ちは強いのですが、ここ最近のネット世界というのは、
> > > 単なる感情論が溢れまくり、そうした専門的な話を行える場所が無くなってしまいました。
> > > 別に、サッカーが好きな人や、詳しい人が減った訳でも、もちろん全滅した訳でも無いのに、
> > > それを行えなくなったと言うのは、ネット利用者の規模の拡大により、
> > > 語りたい少数派が、文句を言いたい多数派に飲み込まれたからでしょうね。
> > > ネットの普及やグローバル化によって、そうした古くからの価値観が一変するのも、
> > > 捉え方によって、決して悪い事では無いのでは無いか?とは考えています。
> > > とは言え、趣味人世界の空気感というのは、アクセスしやすい何処かで残って欲しい気持ちもあります。
> > > 最近、秋葉原や神保町に行っても、昔みたいにテンションが上がらないのは、
> > > 決して、私が年を取っただけが理由の全てでは無いと思うんですよねえ・・・・
> > > ネットの利便性が向上すれば、リアルな集積地の価値は、どうしても低下を免れないでしょうから。

> > あー、なるほど。
> > 私の場合、インターネットを使い始めたころには既にネットが一般化してたので、
> > ネットでちょっと検索しただけではそういった世界にたどり着けないのは当たり前、みたいな感覚です。
> > その時代知らないので間違っているかもですが、かつては秋葉原もインターネットもコミックマーケットも
> > 「知る人ぞ知る」だったからこそ、仲間内の空気感があったわけで、
> > そこにたどり着くにはいわば高度な情報網みたいなものが必要だったと。
> > で現在はアキバもネットもコミケも情弱でも知っているものになってしまった。
> > だけど高度な情報網みたいなものさえあれば、仲間内の空気感のある場所にはたどり着ける(こともある)から、
> > 結局は昔と大して変わってないんじゃないかなーと勝手に思っています。
> > アクセスが難しい場所にしかそういった場は生まれないと。

> いえ、その逆ですね。
> 確かに当時は「知る人ぞ知る」という、その世界だけの話で、
> 関係ない部外者にとっては、世界の中は伺い知るのが困難な時代だったでしょうけど、
> 心理的な面と、地理的な面の壁さえ越えれば、誰でもアクセスが可能な世界でした。
> 要するに、キモいという心理の壁と、東京など大都市のみという地理の壁であり、
> そこは勇気とカネさえあれば、解決できる課題でしたので。
>
> 例えば秋葉原は昭和末期、あの街1つで、全国の家電売上の1割を担っていて、
> とにかく秋葉原に行けば何でも有るし、そこに無ければ何処にも無いという状態でした。
> そして「家電なら秋葉原」みたいに、代名詞的にイメージが定着してしまえば、
> 放っておいても人は集まってきますし、そうなれば店だって更に集まってきて、
> 店が増えれば価格競争が起きて商品安くなり、そこで更に買い物客が集まって、
> 買い物客が増えれば、マニアックな需要に応えても採算が取れるようになり、
> それこそ「何でも有る」街として、好循環で発展していった感じですね。
> で、そんな秋葉原の街へは、電車さえ乗れば、誰にだって行けた訳です(笑)。
> マニアックな店とかも、別に情報とか無くても、足さえ使えば見つけられましたし、
> コミケにしても、「マーケット(市場)」を謳っているくらい、
> 最初からオープンなイベントであり、そうして既に半世紀近い歴史がある訳です。
>
> う〜ん、この辺の感覚は、「本屋」とかで喩えれば伝わりやすいですかねえ?
> 本屋というのは、その存在自体は当然知っていても、
> 興味ない人には縁遠く、どんな本が置かれているかも計り知れないでしょうし、
> 街の小さな本屋とかは、初めてだと確かに立ち入りにくい雰囲気がありました。
> でも、一旦勇気を持って中に入り、お金さえ持っていれば、誰でも好きな本が買えるんです。
> そして神保町の書店街まで足を伸ばせば、マニアックな本さえ探す事が出来たと。
> 別にそこには、「高度な情報網」みたいなモノは特に必要ありません。
> ただ、交通費と時間を使って、わざわざそこまで足を運ぶ手間が必要という意味では、
> やる気が無いと越えられない障壁があり、それに囲われた世界観や空気感はありましたし、
> インターネットにしても、1時間繋いで500円とか1000円かかった2000年頃までは、
> 誰でも利用できるけど、本気で利用したい人しか居ない、濃密な空間であった訳ですね。
> ちなみに私が、読む時間と、書く時間と、投稿する時間を分けているのも、
> 通信料を抑える為の、当時のネットの使い方の名残だったりします(笑)。
>
> と、本屋の例から離れてしまいましたので、話を元に戻すと、
> まずは90年代、急速に全国拡大を始めたコンビニに、売れ筋の雑誌や漫画が置かれるようになり、
> 続いて2000年の大店法改正により、あちこちで広大な売り場面積を持つ大型書店が現れ出し、
> それに少し遅れて、ネットの普及に伴うAmazonの登場と、Kindleなどの電子書籍の発売がありました。
> 言ってしまうと、過渡期の00年代というのは、本好きにとって夢のような時代だった訳ですね。
> 昔ながらの街の本屋や、神保町の書店街は、まだ生き残っている状態で、
> よく読む雑誌や漫画とかは、24時間どこでも買えるコンビニに置いてあり、
> 大型書店に行けば、無数の本に囲まれるテーマパークのような空間が広がり、
> Amazonでネット注文すれば、手間を掛けずにマニアックな本さえ買えたのですから。
> でもそれは一時の夢物語であり、平成の30年あまりの間に、
> 本屋の数は3万店から1万店へと激減し、コンビニに置かれた雑誌や漫画もめっきり減り、
> 多くの大型書店は縮小や閉店を余儀なくされ、残されたのはネット空間のAmazonだけな現状に・・・・
>
> もちろん、Amazonを始めとしたネット通販は、非常に便利なのは確かなんですよ。
> 転勤族として都会でも地方でも育った私からすると、昔の地方の不便さというは覚えていますし、
> ネット通販とショッピング・モールの登場が、地方の生活を劇的に変化させた事も解るんです。
> この地理的格差の解消というのは、不便さの実体験が無い都会人には解らないほど大きい!!
> ただ一方で、街中から本屋が姿を消した現実も、目に見えて感じてますし、
> 今では駅前の商業施設やショッピング・モール以外に、ほとんど本屋が残されていない現実を、
> 今回のコロナ禍による大型店舗の一斉休業によって、如実なまでに実感しました!!
> 池上彰が以前テレビで、本屋の事を「知識のドンキ」と表現した時、
> 「まさにその通りだ!」と相槌を打ったのですが、
> 専門書からゴシップ誌まで、様々な知識が所狭しとジャングル陳列されてる「リアル書店」は、
> Amazonみたいな「ヴァーチャル書店」には無い、異なる本同士の空間的な繋がりがあるんですよね。
> AIによるオススメ書籍は、ビジネス的には一理あっても、知識の広がりには貢献しませんし。
>
> と言う事で、例え話が長くなってしまいましたけど、
> Amazon登場によって得られた便利さがある反面で、リアル書店が消滅しかかっている現実もあり、
> それは、本屋という空気感が好きな私からすると、非常に残念な状況であると。
> そして、このような現象は、何も本屋だけの話に限らず、
> 秋葉原やネットの世界でも起こっており、コミケの世界もそうなのでは無いか?という訳です。
> 別に本屋なんて言うのは、そう簡単に「たどり着けないのは当たり前」な場所では無かったものの、
> 確かに今では、そうした感じになりつつあるのかも知れません・・・・
> で、秋葉原やネットも同様に、と言うか、一歩も二歩も先んじてる実感はあります。
> ぶっちゃけた話、アクセスし難いだけで、まだ何処かに世界があると言うよりは、
> もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?というのが、正直な感想です。


なるほど。
20年前はマニアックな世界が非常にアクセスしやすかった。
しかしこの20年間で書店がアマゾンになり、ネットが質の低い情報で溢れ、秋葉原が有名無実化し、コミケが商業化してしまった。
結果、マニアック世界はどんどん見えなくなってしまったので「もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?」と思っている、ということで合っていますかね?

マニアックな世界がアクセスしやすかった時代が存在した、というのは今まで知りませんでした。
そういえば最近アマゾンで何冊か雑誌を取り寄せたのですが、ほとんど生まれて初めて読む雑誌というものの情報の濃さと質の高さに本当に驚かされました。
現在雑誌はもう何十年も衰退の一途をたどっており、確かに情報があふれる社会になったはものの、その質自体はかなり低下しているというのを実感させられます。

ただやはり若者としては、昔は良かった、現在は悪い、というのは感情として受け付けないので(笑)、多少反論させてもらえば、「そんな世界は残っていない」というのは大袈裟ではないかと。
インターネットの発達によって情報があふれる社会になった結果、今までならば決して広まる規模にはならなかった世界のものに対してアクセスしやすくなったというのはあると思いますし、
(例えば雑誌ならば赤字にならないため最低限度必要な量の読者というのがあり、それを下回る規模の文化はなかなか拡大しえなかったですし、)
無限の情報の中からちゃんとそういったものを拾い上げることができれば、やはり現代はそんなに悪い時代ではないと思うんですよね。
大学生の私がアシモフのSF小説で面白そうなのがあるなんて言う情報も、ネット時代だからこそ手に入った情報ですし。
(仮に書店にSFマガジンなんかが置いてあったとしても、手に取ることはなかったと思うので)
書店も完全に絶滅したなんて言うことはなく、どんなに電子化が進んだとしても、ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残るでしょう。
自宅周辺で気軽に行ける本屋がなくなったのは事実ですが、むしろアマゾンのおかげで本が安く簡単に手に入るようになったわけで、書店とアマゾンが共存する今の時代は20年前に比べむしろ読書環境は良くなっているのではないでしょうか?
コミケの商業化も企業ブースが誕生した95、6年ごろにもさんざん騒がれたことでしたが、結局コミケの理念みたいなものは変わってないと思います。(だいたい商業化だったら90年代初頭にBLの世界でバンバン商業化していますし)
むしろ商業化・大規模化することで同人文化がより広く社会から認知され、同人文化は拡大したのではないかと。(それこそ80年代なんかはコミケの存在を知ること自体が地方では難しかったわけで)
コミケ有料化も、実際カタログ購入により入場料を取ってきたコミティアはちゃんとその文化を維持していますし、同人文化の存続ということであれば海賊版サイトが今後対処されるのか?という点のほうがよっぽど重要ではないでしょうか?
(海賊版サイトに関しては最近新たな判決が出て、今後よくなりそうな流れは存在しています)

ただまあ、それもここ10年くらいしか知らない大学生の考えなので、かつての「趣味人世界の空気感」が実際どういうものだったかは知らないですし、秋葉原や神保町の書店街も一度観光に行ったくらいなので、その辺の雰囲気は失われているのかもしれません。
ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

追記:文章がなんか反抗的なのは許してください、あとAIとかの話は後で追記します

さらに追記

ガレージキットというのがありまして、80年代に熱狂的な模型マニアが自ら模型を自主製作していたのですが、90年代にそれは広く認知されるようになりました
で、ガレージキットにはワンダーフェスティバルと言うまあガレージキット版のコミケが存在するのですが、90年代にこれがドンドン拡大していくわけです
しかしそれはそれまでの熱狂的な模型マニアが増えたのではなく、ガレージキットというファンアイテムでファン活動をする人々がワンフェスに押し寄せてきたんですね
80年代からの熱狂的マニアは模型としての質を追い求めますが、90年代に入ってきたライト層は自分の好きなアニメのフィギュアが作れれば、模型としての高みを目指さなくていいという感じで、
90年代にワンフェスの雰囲気は学祭の模擬店やフリーマーケットに近いものになっていきます
そこで00年、ワンフェスを主催していた海洋堂と言う熱狂的模型集団がワンフェスのリセットを宣言するんですよね
その時の広告文がこうでした「ガレージキットは文化(カルチャー)じゃない、精神(スピリッツ)だ」
ガレージキットなんて言う言葉すらなかった時代から、模型好きがこうじて模型の自主製作をしていた人々(それが金になるなんて露とも思わず)らしい言葉ですよね

自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、そういった文化は好きなんですよね
別にスピリットがなくてもいいじゃん、と

かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

管理人さんの言葉に私が共感できないのって、やっぱりこのスピリッツ側の人間なのか、カルチャー側の人間なのか、というのが大きいと思うんですよね

まあ正確に言えばコミケの元来のスピリッツはオリジナル創作にあったので、そういう意味ではコミケのスピリッツはコミケ2、3年目で早くも失われていたのかもしれませんがw

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