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[23397] 現在の日本の文化環境に対する危機感返信 削除
2020/10/28 (水) 06:01:18 徳翁導誉

> なるほど。
> 20年前はマニアックな世界が非常にアクセスしやすかった。
> しかしこの20年間で書店がアマゾンになり、ネットが質の低い情報で溢れ、
> 秋葉原が有名無実化し、コミケが商業化してしまった。
> 結果、マニアック世界はどんどん見えなくなってしまったので
> 「もう何処にも、そんな世界は残っていないのでは?」と思っている、
> ということで合っていますかね?

厳密に言うと少し違うのですが、まあ大体はそれで良いです(笑)。
都会と地方の格差は今以上だったので、無条件にアクセスしやすかった訳でも無いですし、
秋葉原やコミケに関しても「以前に比べて」という傾向論で、白か黒かでは見てないですけど。

> マニアックな世界がアクセスしやすかった時代が存在した、というのは今まで知りませんでした。
> そういえば最近アマゾンで何冊か雑誌を取り寄せたのですが、
> ほとんど生まれて初めて読む雑誌というものの情報の濃さと質の高さに本当に驚かされました。
> 現在雑誌はもう何十年も衰退の一途をたどっており、確かに情報があふれる社会になったはものの、
> その質自体はかなり低下しているというのを実感させられます。

そうですね。
平成の初頭頃までは、特定の一部読者を対象とした、
そうしたマニアックな情報を扱う雑誌が、かなり多かったと思います。
それが今では、そのほとんどが廃刊となり、残っていても抜け殻状態だと・・・・
確かにネットの誕生により、情報量自体は雑誌時代よりも格段に増えてますけど、
一方で、ネット情報は閲覧数が重要な為、ライトな記事ばかりが量産されたり、
場合によっては、煽る記事やフェイク記事なども溢れていて、
雑誌を買えば手に入ったレベルの情報は、今だと何処で得られるの?って感じです。
カネを払わせて読ませる記事と、無料で読ませてカネになる記事とでは、やはり違ってきますよ。

> インターネットの発達によって情報があふれる社会になった結果、
> 今までならば決して広まる規模にはならなかった世界のものに対して
> アクセスしやすくなったというのはあると思いますし、
> (例えば雑誌ならば赤字にならないため最低限度必要な量の読者というのがあり、
> それを下回る規模の文化はなかなか拡大しえなかったですし、)
> 無限の情報の中からちゃんとそういったものを拾い上げることができれば、
> やはり現代はそんなに悪い時代ではないと思うんですよね。

では実際、「拾い上げること」って現実的に出来てます?
もちろん前述の通り、ネットの利点は利点として私も認めています。
それは下手をすると、ネットが当たり前なデジタル・ネイティブ世代以上に、
その発展過程をつぶさに体験してきた、私たちの世代の方が実感しているかも知れません。
また、既にアナログ的な調べ方を身に付けていたからこそ、
デジタルを道具として使い調べる方法も、自然と身に付いている面はあると思いますが、
最初からデジタルがある世代だと、情報を使うより、情報に踊らされる面が強い気も・・・・
まあ、それはさて置くとして、サッカー日本代表なんてメジャーな題材が、
まもとに語られてる場所を見つけられないのは、私の拾い上げ方が悪いんですかねえ?
サッカーは門外漢かも知れませんけど、何処かにあったりします???

> 大学生の私がアシモフのSF小説で面白そうなのがあるなんて言う情報も、
> ネット時代だからこそ手に入った情報ですし。
> (仮に書店にSFマガジンなんかが置いてあったとしても、手に取ることはなかったと思うので)
> 書店も完全に絶滅したなんて言うことはなく、どんなに電子化が進んだとしても、
> ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残るでしょう。
> 自宅周辺で気軽に行ける本屋がなくなったのは事実ですが、
> むしろアマゾンのおかげで本が安く簡単に手に入るようになったわけで、
> 書店とアマゾンが共存する今の時代は20年前に比べむしろ読書環境は良くなっているのではないでしょうか?

では実際の所、読書人口って増えているんですかねえ?
これまた前述の通り、ネット通販や電子書籍の登場によって、
選択肢が大幅に広がり、特に地方民などは格段と便利になったのは事実ですし、
ネットの書評とかで、今まで知り得なかった名著に触れる機会が増えたのも事実でしょう。
でも結局、それらは自分から「本を読もう」と積極的に動く事が大前提の条件で、
そもそも身近で本に触れる機会が乏しければ、どれだけ「本を読もう」となるでしょうか?

こうした傾向は、スポーツ中継でも言えると思うんですよ。
確かに今では、有料の衛星中継やネット配信によって、
一昔前では考えられないほど、様々な試合をフルで見られるようになりました。
それはそれで、既にスポーツ観戦が好きな層には、実にありがたい時代です。
しかし一方で、スポーツに興味が薄い人でも目にする機会が得られる
無料の地上波放送というのは、めっきり姿を消してしまい、
新規の顧客層を掴むという意味では、どの競技も非常に難しい状況となっています。
目先の利益を考えれば現行がベストかも知れませんけど、将来的に長い目で見ると・・・・
実際にそうするかは別として、身近に機会が有るか?無いか?とでは、やはり大きな違いですよ。

また、「ハブ駅周辺にある大型書店なんかは確実に残る」との ご見解ですが、
それが姿を消したり、売り場面積を大幅縮小している現状が、
既にあるからこそ、こうして言っている話でして・・・・
東京都心だと新宿・池袋・渋谷・上野、地方の大都市だと京都・名古屋・福岡など、
大型書店が閉店している実状があるんですよ(泣)。
駅前書店の代表格である文教堂も、次々に店舗を閉鎖してますからね。
さすがに東京都心で全滅する事はないでしょうけど、地方や郊外には大問題で、
「上京しなければ手に取り買えない」となれば、それこそ昔のマニア市場同然ですよ。
(読書が普通だった時代から、マニアのモノに為りつつある傾向はあるかも知れませんが)
やはり本というのは、実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗いてみて、
初めて解る部分は多いですし、それはどんなに書評の数が多くても補えません。
そして、その本の周辺に、どんな同分野の本があるかも、ネットでは解りません。
デジタルとアナログ、ネットとリアルの違いを意識しなくなるくらい、
技術が発展してこないと、この辺の問題解決は困難じゃないですかねえ?

> ただまあ、それもここ10年くらいしか知らない大学生の考えなので、
> かつての「趣味人世界の空気感」が実際どういうものだったかは知らないですし、
> 秋葉原や神保町の書店街も一度観光に行ったくらいなので、
> その辺の雰囲気は失われているのかもしれません。
> ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?
> 新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

そうした部分は・・・全く無い訳では無いんでしょうけどね(笑)。
神保町では、古書店が減少する替わりに、カレー店が増えましたし、
秋葉原でも、マニア向け店舗が消えて、メイドカフェやオフィスビルが現れ、
若者の街とされた渋谷や原宿なども、商業ビルやチェーン店ばかりになりました。
それが今の日本の「新しい文化」なのかも知れませんが、
個人的には、どうも面白味に欠けるのは事実なんですよねえ・・・・

まあ、メイドカフェとかは特殊な例なので、ちょっと置くとして(笑)、
飲食店やチェーン店、商業オフィスも、あるのが悪い訳では無いのですが、
これらの「特別な街」を、特別たらしめていた要素が弱まり、
何処にでもあるモノや、何処にあっても良いモノに占められるのは、味気無くはあります。
とは言え、それも、新しいモノが出てきて、旧来のモノが駆逐されたというよりは、
旧来の特別な店が減って出来たスペースを、新しい一般的な店が穴埋めした面があると。

そもそも文化というのは、それをメインで牽引するのは やはり若者層であり、
それを育むのに重要なのは 何だかんだで経済力と時間に余裕がある社会で、
そこに、今まで蓄積された土台となる文化や、時代の変化がもたらす革新性などが絡みます。
そういう意味で言うと、今の若者世代は1学年100万人(子供は90万人)前後なのに対して、
団塊世代は1学年270万人で、団塊ジュニア世代が1学年210万人と、絶対数が違う上、
日本の経済状況も、高度成長期やバブル期と、失われた平成期とでは、雲泥の差ですので、
今の個々の若者がどうこうでは無く、置かれている条件面が圧倒的に悪いと思うんですよ・・・・
古い文化が廃れ、新たな文化が生まれる事自体に関しては、
私も歴史好きですから、時の流れとして、別に普通の事だと考えていますし、
客観的で論理的な見方を好むので、主観的な懐古主義に陥ってるつもりも無いんです。
古いモノから、新しいモノまで、刺激を与えてくれるなら時代も地域も分野も問いません(笑)。
まあ私も人間ですし、完全に客観視できてるとは限らず、懐古主義的な部分もあるかも知れませんが、
少なくとも、安易に懐古主義という先入観で見られてしまうと、却って私の真意が伝わらないかな?
歴史好きだからこそ、百年とか千年なんて幅で見てしまう事も しばしばですし(苦笑)。

で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。
平成の30年間で、最初の10年間は、土台にあった戦後昭和の文化が成熟期から爛熟期を迎え、
続く中間の10年間は、ネットという新しい環境の変化が、様々な文化を生み出しました。
しかし、平成最後の10年間となると・・・少なくとも私には思い浮かばないんですよね(泣)。
近年の「日本すごい」ブームとかも、新しいモノを築けず、過去の積み上げでマウントを取り、
本当に凄いかは関心が薄く、苦しい現状を認識しつつ、とにかく心の充足感を得たい感じがして、
これこそまさく、「日本やばい」の状況証拠のように映ってしまうんです・・・・

とは言え、私の受信アンテナが錆び付いてる可能性も、十分に有り得ます(笑)。
鬼滅の刃が、何故ここまで小学生にウケているか、ちょっと解らなくなってますし。
いや、面白い作品だというのは、私にも解るのですが、
この作品だけが特別だという理由が、私には正直思い浮かんでいません。
人気に火が付いたのは、やはりアニメ化されてからだと思いますけど、
UHF系の深夜アニメを、小学生たちが見ていたとは思えませんし、
(PG12指定作品が小学生にブームなのは異例な社会現象かと・苦笑)
その辺りは、ネット配信なども含め、近年の視聴手段の多様化があり、
外出自粛機関が、人気を更に加速させたのは解るのですが、
何処かに、そもそものキッカケがあるはずで、それが解らないと・・・・

映像的にキレイだとは思いますが、最近のアニメはどの作品も結構キレイですし、
演出の和テイストも「海外ウケしそう」とは感じたものの、国内では珍しくなく、
女性作者なので絵や話がシンプルで解りやすいというのも、決定打には欠け、
ドラゴンボールやナルトと違い、子供にとってはリアルタイムの作品というのも、
1つの理由ではあると思うのですが、それがこの作品である必然性は無いと。
となると、アニメの視聴者層や、ジャンプの読者層が、昔に比べて高年齢化して、
園児向きの作品とかはあっても、小学生向きの作品は近年意外と乏しく、
主人公の年齢も、他作品よりは小学生に近いからかな?・・・な〜んて感じに、
あれこれ無駄に考えるのが、後で話題に触れますけど、オタクというモノなのでしょう(笑)。
「鬼滅、大好き!」と、原作マンガを買い、映画を見に行くだけではファンの範疇でしょうし、
グッズを揃え、細かい設定とかにも詳しいだけでは、マニアであってもオタクでは無いと。
って、私自身はオタク的ではあっても、オタクだとは思ってませんけどね(笑)。

> 追記:文章がなんか反抗的なのは許してください、あとAIとかの話は後で追記します
いえいえ、別に全く気にしてませんよ!!
と言いますか、下手に気を使われる方が、却って自由に語り難くなりますし(笑)。

> そこで00年、ワンフェスを主催していた海洋堂と言う熱狂的模型集団がワンフェスのリセットを宣言するんですよね
> その時の広告文がこうでした「ガレージキットは文化(カルチャー)じゃない、精神(スピリッツ)だ」
> ガレージキットなんて言う言葉すらなかった時代から、模型好きがこうじて模型の自主製作をしていた人々
> (それが金になるなんて露とも思わず)らしい言葉ですよね

関係ない話ですが、ステイホームの影響もあったのか、
ここ1年で数万円ほど、海洋堂に投じちゃってます(苦笑)。
まさか、仏像のフィギュアだとか、アート作品のガチャまであるとは!?
1体買うと、ついついシリーズで揃えたくなる泥沼状態に・・・・
ああいうのは意外と場所を取るので、今まで手を出さなかったんですけどね。

> 自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
> コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、
> そういった文化は好きなんですよね
> 別にスピリットがなくてもいいじゃん、と
> かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
> これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

う〜ん、そこは用語の定義の話になってくるかと思いますが、
「ファン」と「マニア」と「オタク」とを明確に区分した場合に、
「精神性なき文化」というのは、果たしてオタク的だと言えるんですかねえ?
個人的には、好きが高じて生じる、何らかの主体性があってこそのオタクだと思いますし、
ただ単に好きなだけだとか、受け身で消費するだけであるなら、
それはファンやマニアの範疇であって、オタクの世界では無い気がするんですよ。
ここでいうオタク文化が、サブカルやPOPカルチャーの事であれば、
まだ意味としては通じるんですけどね。

例えばコスプレ行為とかにしても、そこまで行くと、
もう単なるファンという領域は超えてると、私は思いますが(笑)、
既製品のまま楽しむのはマニアと呼べても、オタクとは呼べない感じでしょうか?
自作は勿論、拘りのオーダー・メイドであったり、既製品に一手間加えるでも良いですけど、
とにかく何らかの主体性があった場合に、それがオタク的なコスプレと呼べる気がするんです。
別にこれは、コスプレ文化としてとか、サブカル分野の一環として見た場合には、
既製品だろうが、自作だろうが、そこに優劣とかは無いと個人的に思っていますし、
そうやって愛好家の枠や世界が広がり、ビジネスとしても広がっていく分には、
却って好ましくも感じています(もちろん既存の楽しみも残るのが大前提ですが)。
もっと言うと、サブカル方面だけでなく、メイン・カルチャーでも普及して欲しいくらいです!!
美術館や博物館の在り方とか、展覧会や演奏会の在り方など、言いたい事は多々あるので(苦笑)。

> 管理人さんの言葉に私が共感できないのって、
> やっぱりこのスピリッツ側の人間なのか、カルチャー側の人間なのか、というのが大きいと思うんですよね

大雑把に言ってしまうと、その見立てで合っているのかも知れません。
ただ一方で、ここで言うカルチャーというのを否定している訳ではありません。
惰性や馴れ合いであったり、商業化があったりしても、別に構わないとは思うんです。
それと同時にコアな部分も残るなら、全体としては大きくなってると言う証ですし、
仮にドーナツ化していっても、それはそれで移り変わりの面で仕方ない時もあるでしょうから。

そもそも文化というのは、どんな世界であれ、最初は少数の物好き達から始まり、
それが広まって大衆化する事で、一部の趣味から、広範な「文化」へと変化する訳ですが、
しかし大衆化は同時に、多数の人間に受け入れられる為に、どうしても陳腐化は避けられず、
そこに商業化が加わると、2番煎じや置きに行った続編の量産で、
陳腐化のスピードが更に加速され、やがては使い古されて、捨てられていきます・・・・
そうなると結局、文化に昇格した時点で、「消費」は避けられない運命であると。
誰も意識しないくらい一般的な消費財と化し、生き残っていくのは極一部かな?
基本的に文化とは消耗品で、乱雑に扱われるほど、その寿命も短いモノです。
原理主義的に死守しようとした所で、先鋭化して、分裂して、先細るのが関の山ですしね。

まあ、どんな分野であれ、最初には地を這う黎明期があり、
そこからグングン伸びる成長期があり、それがピークを迎える最盛期があり、
腐り始めだけど芳しい爛熟期があって、最後には腐り落ちる没落期がある訳ですが、
大衆化されるのは最盛期の後半で、最も人口が多いのが爛熟期な一方、
最も楽しいのは成長期で、本当に好きな人は黎明期から居るモノだと思うんです。
そういう意味では、栄枯盛衰が避けられない事も、一応は理解してますし、
最初から言っている通り、成長期や過渡期を経験できた事は、幸運だったのだろうと。
それはそれで寂しい事ですけど、永続繁栄するなんて事はまず無理でしょうし、
せめて延命させたい願望が正直あり、命を縮める「お客様」化を出来るだけ遅らせたい訳です。

また、「そんな世界は残っていないのでは?」というのも、
時が移ろい、栄枯盛衰がある以上は、そんなおかしな話では無いかと思います。
成長期や過渡期の状況もまた、永続するなんて事は無いのでしょうからね。
コミケの同人文化拡大を言われてますが、それは既に爛熟期に入ってる状況かも知れませんよ?
それに、この発言自体は、文化や担い手がどうこうという話と言うよりも、
もっと単純に「集える場所の喪失」という意味で用いていますし、
コミケに関しても、一例として挙げているだけで、それが話の主題ではありません。
要するに、「あんなのは名前が同じだけで、本来のコミケじゃない」とか、
そんな主旨の発言では全く無いという事ですね、念の為に言っておくと(笑)。
この辺りは、短期的な話と長期的な話、部分的な話と全体的な話が入り乱れているので、
ちょっと解り難いかも知れませんけどね(私の文章構成も優れてるとは言えませんし・苦笑)。

あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。
我々の世界は20〜40年後、未開地が無くなると共に、人口が減少するという、
人類初の時代を迎えるとも危惧されており、そんな未曾有の停滞時代に、
「果たして文化の発展はどうなるのか?」 日本だけでなく、世界規模でも未知数です。
「今まで大丈夫だったから、大丈夫だろう」とは、気軽には言えない状況なんですよね。
明治維新や戦後の実例から、何だかんだで「いざとなれば日本は大丈夫」と思ってた気持ちも、
ここ10年あまりの状況で、すっかり諦めモードというか、達観状態になってしまいました。
スペインなどの大国が没落した時も、こんな感じだったのだろうなと・・・・
そして、国家は衰退したけど、文化は隆盛したという例を、少なくとも私は知りません。

> まあ正確に言えばコミケの元来のスピリッツはオリジナル創作にあったので、
> そういう意味ではコミケのスピリッツはコミケ2、3年目で早くも失われていたのかもしれませんがw

それは勿論、オリジナル創作であれば理想ですけど、
2次創作であっても、稚拙な創作であっても、「創作」という意味では同じですし、
どんな分野であれ、そうした裾野の広さこそが、全ての土台となってくるので、
目に見える氷山の一角だけでなく、水面下の氷塊をも意識すべきだと思うんです。
クール・ジャパンだとか言って、成長戦略に組み込みたいのなら、尚更。
これは何もサブカル分野に限らず、スポーツでも、学術でも、政治でも、起業でも同じかと?
草サッカーの経験があるだけでも、ただ見るだけのファンとは見方が変わるはずですし、
ピラミッドの底辺が広くなれば広くなるほど、その高さも大きさも増していくはずですから。

でもそれらは、あくまでもプレイヤーとしての裾野の広さであって、
消費者や観客としての裾野は、プレイヤーを育てる養分という面では意味があっても、
その辺は海外にだって求められますし、逆に海外から養分にされる事だってあります。
例えばゲーム業界なんか、家庭用ゲーム機の事を一般名詞として、
北米では「NINTENDO」、西欧では「PlayStation」と呼ばれるくらい、
以前は隆盛を誇っていたのも、今では昔の話ですからねえ・・・・
現在進行形で、今の日本が世界を魅了している分野って、実際に何かあるのかなぁ?
まあ世界はさておき、絶えずサブカルを産み続けた日本の国内的土壌が、
かなり危機的な状況にあるのでは?というのが、私自身の肌感覚なんですよね。
もっと言うと、どうすれば衰退を回避し、繁栄の道を築けるのか、方法を知りたくはあります。

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