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[23406] オタク文化の今昔&鬼滅の刃ブーム(その1)返信 削除
2020/11/4 (水) 18:43:59 徳翁導誉

▼ 相対的低下
> > では実際の所、読書人口って増えているんですかねえ?
> > これまた前述の通り、ネット通販や電子書籍の登場によって、
> > 選択肢が大幅に広がり、特に地方民などは格段と便利になったのは事実ですし、
> > ネットの書評とかで、今まで知り得なかった名著に触れる機会が増えたのも事実でしょう。
> > でも結局、それらは自分から「本を読もう」と積極的に動く事が大前提の条件で、
> > そもそも身近で本に触れる機会が乏しければ、どれだけ「本を読もう」となるでしょうか?

> 読書文化の後退は単純にインターネットという新たな競争相手が現れたからであり、
> それはそこまで懸念すべき問題ではないと思うんですよね。
> 例えるならばテレビの普及によりラジオ文化が後退したのと同じだと。
> もちろんフェイクニュースという非常に重要な問題はありますが、
> それと単なるコンテンツの相対的地位低下を混ぜて語るとおかしくなってしまうと思うんですよね。
> > こうした傾向は、スポーツ中継でも言えると思うんですよ。
> > 確かに今では、有料の衛星中継やネット配信によって、
> > 一昔前では考えられないほど、様々な試合をフルで見られるようになりました。
> > それはそれで、既にスポーツ観戦が好きな層には、実にありがたい時代です。
> > しかし一方で、スポーツに興味が薄い人でも目にする機会が得られる
> > 無料の地上波放送というのは、めっきり姿を消してしまい、
> > 新規の顧客層を掴むという意味では、どの競技も非常に難しい状況となっています。
> > 目先の利益を考えれば現行がベストかも知れませんけど、将来的に長い目で見ると・・・・
> > 実際にそうするかは別として、身近に機会が有るか?無いか?とでは、やはり大きな違いですよ。

> うーん、それもネットの普及により新しいコンテンツが生まれた結果、
> 競争が激化し、既存のコンテンツが新規顧客を獲得しにくくなっているだけだと思うんですよね。

テレビの普及により、ラジオ文化が後退したというのは解ります。
これは、自動車の普及により、馬車が無くなったり、
電灯の普及によりガス灯が、ガス灯の普及によりロウソクが無くなった事にも通じますし、
そういう事と同じであれば、私だって「時代の流れ」として、特に意識もしない事でしょう。
消えていく文化に哀愁はあっても、それ以上の新たな発展性がありましたから。

では、お尋ねしますけど、「読書」や「スポーツ観戦」をも上回る、
もしくは比肩しうる「新たな文化」って、本当に何か誕生しているんですか?
読書やスポーツ観戦って、人類文化史の中でも相当巨大なコンテンツですよ!?
それが、ラジオに替わってテレビが台頭したように、何か具体的に登場しているのでしょうか?
もちろん、可処分時間におけるコンテンツ消費の優先度として、
読書やスポーツ観戦が、相対的な地位低下を招いている事は重々承知しています。
しかしそれって、多分にビジネス的な話であって、ここで語っている文化の話と別なのでは?

また、確かに経済と文化は密接にリンクしてますけども、ここで語った書店や有料放送の話は、
ビジネス的な都合により、文化と接触する機会が失われつつある点の提議であって、
これは経済と文化の両面をもつ話題ではありますが、あくまで主題は文化についてですし、
厳しい言い方をすると、「混ぜて語る」という意味では、それこそ旧トルコ担当さんの方が、
却って未分離のまま、文化とビジネスを語られている印象を受けますね。
もっと言うと、与えられたコンテンツを消費する立場でしか、文化を語っていない感じがします。
別に、個々人がどんな文化を消費しようと、それは勿論当人の自由なのですが、
その一方で、多様な文化があってこそ、選択の幅も広がり、自由も担保されると思うので、
個々人ではなく、社会全体で見た場合には、この辺は非常に重要な事だと思うんです。
まあ私の文章も、上手く伝えようと話題を広げたり、例え話を多用した結果、
却って上手く伝わらずに、混乱させちゃってる面はあると思うんですけどね(笑)。

▼ ネット書店
> > さすがに東京都心で全滅する事はないでしょうけど、地方や郊外には大問題で、
> > 「上京しなければ手に取り買えない」となれば、それこそ昔のマニア市場同然ですよ。
> > (読書が普通だった時代から、マニアのモノに為りつつある傾向はあるかも知れませんが)
> > やはり本というのは、実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗いてみて、
> > 初めて解る部分は多いですし、それはどんなに書評の数が多くても補えません。
> > そして、その本の周辺に、どんな同分野の本があるかも、ネットでは解りません。
> > デジタルとアナログ、ネットとリアルの違いを意識しなくなるくらい、
> > 技術が発展してこないと、この辺の問題解決は困難じゃないですかねえ?

> あと未だにネット書店って無いんでしょうか?
> あなたへのおすすめ順ではなく、リアル書店ならこんな感じで本棚作るよ、みたいな感じで
> 題名と表紙とアマゾンへのリンクがまとめられてるサイトがあれば、
> 興味のある人はけこう見てくれると思うんですよね。

そうした「本棚」的な見せ方も、多くはないですけど、無くはないですね。
それこそ個人経営のリアル書店だと、店内の写真をそのままアップなんて事も(笑)。
とは言え、そこにはやはり、画面サイズと解像度という物理的な制約が加わるので、
リアルと大差なくと言うのは困難ですし、そして繰り返しになりますけど、
「実際に手に取り、パラパラと中を軽く覗く」という行為が、ネット書店だと出来ないんです。
本の並びの見せ方以上に、本の中身確認の点が最も大きな違いでしょうね。
まあ逆に言うと、封がしてあって中身が見られないマンガの単行本は、どこでも一緒かな?

> 仮にそういうサイトがあっても、大半の人はもう自分の興味の範囲内でしか見ないがゆえに
> フェイクニュースなどが問題になるのであって、
> というか本当にそういうサイトが無いのであれば私が作ろうかなぁ。
> いや真面目にこれお金になるアイデアだし、とっくにもうそういうのがあるものだと思っていたのですが。

そう思われるのであれば、実際に作ってみるのも良いと思いますよ。
「自分だけのアイデア」なんてモノは、実際には皆無なモノであり、
現実には、どんなアイデアを持っているかより、どんなアイデアを実現させたかが重要で、
それは技術力や資本力もありますが、まず何よりもスピード感が最重要ですから、
「兵は神速を貴ぶ」じゃないですけど、とりあえずは実現させてみせる事ですからね!!

ただ一方で、それが利用者を惹き付けるには、利便性が関わってくるので、
そうなると、「お金になる」という動機よりは、
単純に自分が「好きである」とか、異なる需要を叶える「普遍性や多様性がある」とか、
そういったモノで動く方が、結果的には成功しやすい気はしますけどね。
前者の目的だと、後者の嗜好を掴まない限り、肝となる部分が把握できないでしょうから。

そういう意味では、もし仮にガチで作るのであれば、
書店の本棚をそのまま再現するよりも、個人個人の本棚を再現する方が良さそうですね。
ネット上でリアル書店の雰囲気を体感させようというのは、
GoogleマップやYouTube動画で、観光気分を味合わせようと言うのに近いです(笑)。
もちろん、幾らかの慰みにはなるものの、現状では実際の観光には及ばないですよね?
しかし個人サイズなら、グッと小さく厳選されるので、こちらの方がデジタル向きかと。
それに、個人単位の方が書店以上に、如実に個性が表れてきますし、
人気のある人の本棚には、多くの人が感心を集めると思います。
ただ、個人の本棚というのは、その人の頭の中をそのまま反映してしまう為、
こうやってオープンにすると、「見せる為の本棚」になりそうですが、それはそれでご愛敬。
その本棚から、気になる本が注文できれば、それは1つのビジネスになるかも知れず、
また、その本棚の人にもインセンティブが入れば、喜んで本棚を公開する人も増えるかも?
コメントなども残せるようになれば、ちょっとしたサロンにもなりそうですし。

あとは、試し読みが出来ない点の改善方法ですよね。
デジタルだとデータが保存できてしまう為、どうしても全公開というのは困難です。
また、パラパラと覗く行為が出来ないのは、電子書籍も抱えている問題点です。
まあ後者に関しては、技術的に相当難しいので、一朝一夕の解決は無理でしょうけど、
前者に関しては、無料公開に舵を切る音楽業界の方法が使えるかも?
ネット化やデジタル化が起こった当初は、音楽業界も様々な規制で対抗しようとしましたが、
次第に、ネット視聴が可能となり、ダウンロード販売が始まり、
そして今ではYouTubeでのPV無料公開が一般化しつつありますからね。
要するに、従来モデルはCM手段として割り切り、他の所で稼ぐ方法を見つけたと。
そういう意味では、書籍の方でも「別の稼ぎ方」が見つかれば、大改革となる可能性はあります。
(陳腐なアイデアですけど、書籍内容のキーワードに応じたネット広告の添付とか?・苦笑)
いきなり新刊本とかは難しくとも、著作権切れ本や絶版本などは数多いので、
まずは、そこからチャレンジしてみる方法は有り得そうですね。

▼ 語れる場所
> > まあ、それはさて置くとして、サッカー日本代表なんてメジャーな題材が、
> > まもとに語られてる場所を見つけられないのは、私の拾い上げ方が悪いんですかねえ?
> > サッカーは門外漢かも知れませんけど、何処かにあったりします???

> 無いんですかねえ。

会員制のようなクローズドな所には、ひょっとしたら有るのかも知れませんけど、
少なくともオープンな場所では、一昔前に2chで話されてた程度の内容さえ、
今のネットでは見つける事が、私には出来ません・・・・
そして、クローズドだからといって、話されてる中身が濃いとは、
あまり思えないと言うのが、正直な所なんですよね。

> オタクの私は好きなアニメを語る場も歴史好きが集まる場も持っているので、
> 他の人もそういうもんだと思っていたのですが違うのでしょうか?
> ただライト層が集まる中間的な場所がなくなているというのは分かる気がします。
> 私が歴史好きで集まっているのも招待制のディスコードの部屋ですし、
> そういう意味で場に入るための努力みたいなものが求められる時代に合ったような気はします。
> 最近ではオンラインサロンなるものが流行っているらしいですしね。
> この辺私が関心薄いのは、オタクやっていればどこであれ
> そういう同志のいる場所にたどり着けるという自信があるからなんですが。

う〜ん、この辺はオタクが求める「濃さ」の違いが、
認識の違いを生んじゃってる感じもすれうんですよね。
同じ内容であっても、それで満足する人と、出来ない人とでは、
それに対する感想も、やはり異なってくるでしょうから。
例えば具体的に、アニメと歴史に関して、どんな話題が扱われているんですか?
個人的に、アニメよりは歴史の方が詳しいですけど、
話題の流れ的には、アニメの方が適当そうですし、
ともかく、実例を示していただけた方が、ハッキリ見えてくる所があろうかと。

あと、どちらにせよ「場所が無くなっている」のであれば、
それは文化的な後退だと私は感じるのですが、そうでは無いのでしょうか?

また、これは私の一方的な思い込みかも知れませんけど、
どうしても、閉じた空間でのコミュニケーションって、
語り合う事が「手段」ではなく、それ自体が「目的」化しちゃう印象があるんですよね。
まあ別に、その事自体が悪いという訳では無いのですが、
SNS世代にとっては、それがオタ活動と見なせても、
それ以前の世代には、それは単なるファン活動でオタ活動では無いだろ?となると思うので。
そして、中間的な場所は無くても、「上の場所は確かにある」と感じられていても、
もう一方からすると、「いや、それは下の場所でしょ」となると・・・・

▼ 新しい文化は無限にあります
> > > ですがそれも結局、古い文化が廃れ新たな文化が生まれているだけだなのでは?
> > > 新たに生まれてきている文化を知らない、あるいはついていけていないだけなのでは?と思ってしまいます。

> > で、逆に尋ねますと、ここ10年あまりで、具体的に「これ」といった新文化って何か生まれました?
> > 私が知らないだけだったり、付いていけてないだけなら、却って嬉しいんですよ!!
> > 過去を懐かしむよりは、見知らぬ未来にワクワクするタイプですから、
> > もしも気付けていないだけで、新しい刺激が存在するなら、是非とも知りたいので。

> ここ最近の新しい文化といえば、私の知る限りではやはりスマホゲームとVtuberでしょうか。

う〜ん、別に知り尽くしてるとは言えませんけど、
スマホゲームも、Vtuberも、百合も、何となくは把握しているつもりですね。

> スマホゲームに関してはゲーム性の弱さを文化の後退として否定的にとらえる論者も少なからずいますが、
> 私としてはスマホゲームはSNSと合わさった現代のコミュニケーションゲームは
> 一定の新しさと文化的価値を備えていると思うんですよね。

ゲーム性に関して言えば、発言の真偽はともあれ、
「任天堂の倒し方」というのが、端的に言い表してる気はしますね。
あとは、ガチャを含めた「課金」ですか。
まあ別に、ビジネスとしては、それを否定する気はないですけど、
それが文化を創造しているかと言えば、ちょっと私には思えないんですよね・・・・
逆に尋ねますと、一体どのような「新しい文化的価値」を生み出したのでしょうか?

> Vtuberのほうに関してはあまり詳しく知らないです。
> あれは何時間という配信が下手すると週に何度もあるという見る側もめちゃくちゃ大変な世界なので。

Vtuberの方に関しては、弁さんとの雑談↓の方が詳しい感じでしょうか?
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r22970
それまではキズナアイくらいしか知らなかった所を、
電脳少女シロやカルロ・ピノなど、10人くらいは解るようになりました(笑)。

ただ確かに、未だ発展途上の分野ではあるでしょうし、
「3DCGモデル」「モーション・キャプチャー」「地下アイドル」「ネット配信」など、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r22930
既存のモノが組み合わさった存在ではあるのですが、
こちらは「新しい文化」と言っても良いかも知れませんね!!
とは言え、私のアンテナに引っ掛かってなかった存在ではありませんし、
廃れた文化の代替足り得る文化かと言われると、ちょっと解りませんね・・・・

> でまあ布教して良い、という言質が取れたので遠慮なく布教させて貰えば、
> 「百合」(女性同性愛)はどうでしょうか?
> 元からたどれば吉屋信子の時代からある意味存在するのでしょうが、
> オタク的な文化として高まり始めるのは『マリア様がみている』や
> 『東方Project』などが流行し始めた04年あたりからです。
> オタク一般(なんて存在するのか?)に浸透していったのはその後10年代に入ってからなので、
> 新しい文化ではあるという条件はクリアしているかと。
> 最近だと普通のアニメ(百合ファン向けでない普通のオタク向けアニメ)にも
> そういった百合的な要素が入っていたりしますし、逆にそういう
> あからさまなものを入れて百合営業とかも言われたりしていますね。

マリみてが挙がるなら、まずはその前に「少女革命ウテナ」が来る気がしますし、
部分的には「セーラームーン」のウラヌスとネプチューンで、そうした要素が描かれており、
更にもっと言うと、既に実写映画の方で、1990年に「櫻の園」がありますよね?
この映画自体も少女漫画原作ですし、特筆して新しい文化と言えるかとなると・・・・
まあ、以前よりも更に一般化したと言えば、そうかも知れませんけど。
「ゆるゆり」もタイトル通りなら、日常系に緩く百合要素を加えた感じなのでしょうが、
あまりに一般化しているのか、「百合要素なんて入ってるか?」って感じですし。

・・・って、こんな話をしていたら、ついつい、
「ネコの反対って何?と問われて、焦るヤツは腐ってる(笑)」
というネタ話を思い出しました。
普通の人なら「えっ、犬?」とか、躊躇無く答えられるので。

▼ 鬼滅の刃ブーム
> > とは言え、私の受信アンテナが錆び付いてる可能性も、十分に有り得ます(笑)。
> > 鬼滅の刃が、何故ここまで小学生にウケているか、ちょっと解らなくなってますし。
> > いや、面白い作品だというのは、私にも解るのですが、
> > この作品だけが特別だという理由が、私には正直思い浮かんでいません。

> あと鬼滅の刃を牽引してるのはたぶん女性層ですよ。(データ見てないので想像ですが)
> 元々あの人たちは少年漫画大好きですし、多分劇場に何回も足運んだりしてるのも
> 彼女たちなんじゃないでしょか(いや小学生も見に来ているでしょうけど)。
> 小学生からお小遣いで商売しても大して儲かりませんが、
> それこそ結婚してない20代30代の女性ならジャンジャンお金使ってくれますし、
> それらが鬼滅の数字的な強さを作って、数字が強いから話題にもなる、という感じなのではないでしょうか?

いやいやいやいや、それは多分、今の世間の空気感をまるで読めていませんよ・・・・
これがまだ、年末年始の頃の話であれば、
「人気を牽引しているのは女性層」という見識も、ある程度納得できるのですが、
現在の、小学生における鬼滅人気は、本当に異常と呼べるレベルで、
これだけのブームはポケモン以来、二十数年ぶり。
今後、この鬼滅人気がどこまで続くかは解りませんけど、
瞬間風速で言えば、確実にポケモンの時以上のモノがあります!!
アナ雪とか、妖怪ウォッチのブームとも、ちょっと次元が違いますね。

それこそ、リアル書店とネット書店の違いじゃないですけど、
そうした空気感も含め、デジタル世界とは異なる情報量が、アナログ世界には豊富で、
意識して街中の様子とかを観察してもらえれば、異常な鬼滅人気がきっと解るはずです。
昭和の頃と違って、情報網も流通網も大きく発展した今日では、
地方だから、都会だからと、そこまでの差は以前ほど大きく無いはずなので。
日本の商業アニメの歴史は60年前後に及びますが、少なくとも私は、
これに比肩する程、小学生の間で爆発的ブームとなった作品を知りません。

実際、実写作品も含めた日本の映画興行収入で見た場合、
歴代1位は、308億円を記録した宮崎駿の「千と千尋の神隠し」なのですが、
今回の鬼滅劇場版は、わずか17日間で158億円を記録し、早くも日本歴代10位です。
「アバター」や「ラスト サムライ」、「ボヘミアン・ラプソディ」も既に超してます。
従来の女性サブカル・ファン層だけでは、とてもじゃないですが達しない数字ですよ。
少子化で子供の絶対数が減っているとは言え、さすがに、それら女性ファン数の比ではありませんし、
こんな爆発的なヒット、商売側だって絶対に予測できてなかったはずです。
逆に言えば、最初から小学生向けを狙って当てた商売では無いと。

> でまあ何が言いたいかといえば、少なくとも現代に生きるオタクからすれば
> ネットのおかげで面白いものは無限に溢れていて、むしろそれを楽しむ時間こそ足りないんですよね。

はい、それは解っていますよ(笑)。
特に近年は、一定金額を払えば対象作品が見放題となる「サブスク」市場が拡大した事で、
少ない金額で、多くの作品を楽しめる環境となっていますからね。
それはそれで一昔前に比べると、非常に恵まれていると言って良いかも知れません。
ある意味では、このコロナ禍の中で、私もそれを満喫しましたから(笑)。

しかし一方で、そうやって提供される範囲内の対象で、満足してしまう傾向も強く、
それは逆に、自ら枠を広げる機会を奪いがちな環境とも言えますし、
消費するモノが多すぎて、ただただ消費する存在に陥りがちだとも言えるんですよね。
そうなると、リアルタイムな文化生成としては、なかなか進んでいかないと・・・・
そして個人的には、主体性なく消費するだけでは、「オタク」とは呼べない気がする訳です。
もちろん、それは私の中での、オタクという単語の定義の問題かも知れませんが。
私が言う所の「ヲタ文化」が、旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」に相当するのかも?
いつも厳密に使い分けている訳では無いですけど、個人的な用語としては、
バブルが崩壊した辺り、90年代初頭までのアナログ一辺倒な時代を「おたく文化」、
台頭してきたデジタルと、アナログが同居していた過渡期の時代を「オタク文化」、
東日本大震災に前後する、10年代辺りからのデジタル優勢な時代を「ヲタ文化」としてますね。
(場合によって、おたく・オタク・ヲタのサブカル総称として「オタク」を用いる事もありますが)

▼ オタクについて
> > > 自分はカルチャー寄りの人間なので、スピリッツがなくても生きていけるんですね
> > > コミケが多少商業化しようとも、あるいはコミケで惰性的、馴れ合い的にコミュニティで群れていても、
> > > そういった文化は好きなんですよね
> > > 別にスピリットがなくてもいいじゃん、と
> > > かつて岡田斗司夫さんと言う方が「オタク・イズ・デッド」という講演をしたことがあって、(現在はYouTubeで公開中)
> > > これもオタク「精神(スピリッツ)」の終焉宣言であり、オタク「文化」の終焉宣言ではなかったと思うんですよね

> > う〜ん、そこは用語の定義の話になってくるかと思いますが、
> > 「ファン」と「マニア」と「オタク」とを明確に区分した場合に、
> > 「精神性なき文化」というのは、果たしてオタク的だと言えるんですかねえ?
> > 個人的には、好きが高じて生じる、何らかの主体性があってこそのオタクだと思いますし、
> > ただ単に好きなだけだとか、受け身で消費するだけであるなら、
> > それはファンやマニアの範疇であって、オタクの世界では無い気がするんですよ。
> > ここでいうオタク文化が、サブカルやPOPカルチャーの事であれば、
> > まだ意味としては通じるんですけどね。

> この辺のオタク話はすごく興味あります。
> 多分エヴァとときめきメモリアルあたりからオタクが変わっていったと思うのですが、
> いかんせんそんな時代は生まれてもいないわけで、すごく知りたいんですよね。

繰り返しに為っちゃいますけど、私自身はオタクじゃないですよ(笑)。
特に、マンガ・アニメ・ゲームと言ったサブカル分野は、そこまで深く語れません。
その上での話という事になりますが、例えば前出のオタキングこと岡田斗司夫で言うと、
それこそオタクの人は、「王立宇宙軍」や「トップをねらえ」の頃から知っていたでしょうけど、
私自身が存在を知ったのは、岡田が東大の非常勤講師をしてた頃なので、90年代の中盤ですか。
(それと同時に、学生たちが講師を要望できる東大のシステムも凄いと思いました)

ただ、「オタク・イズ・デッド」と講演した2006年の頃には既に、
オタク界隈ではオワコン扱いされており、一般人相手にオタク専門家ビジネスをする人と見られ、
翌年にレコーディング・ダイエットが大ヒットした際も、冷笑の対象になってた認識ですね。
それはアニオタのみに限らず、オタク的な気質を持つ人たち全方向から。
なので、オタク・イズ・デッドという台詞にしても、
世間的には話題になっても、オタク的には「ふ〜ん」って雰囲気でしたから、
こうした話題で引用されると、恐らく当時のオタク世代は「えっ!?」という反応になるのでは?
「仮にもオタクを自称する人間が、そんな所から引っ張ってくるなよ」といった感じで。

で、ここからようやく「オタクの変質」についてですけど、
実を言うと、元々のオタク層が変質したと言うよりは、
その周囲にある社会の方が変質した印象ですよね。
当時はまだ子供でしたけど、私が初めて「おたく」というモノを意識したのは、
それこそ、昭和末から平成元年にかけて起こった宮崎勤事件であり、
幼女への連続誘拐殺人で、自宅に遺骨と声明文を送りつけるなど、劇場化していて、
犯人が捕まると、そのオタク的な嗜好により、バッシングの対象となったのは覚えています。
それまでも根暗なイメージはあったものの、犯罪者予備軍な扱いになりました。
つまり、オタク自体は変わらなくても、社会の見る目が変わった訳ですね。
当時はまだポリコレ的な制約が無かったので、マスコミの報道ぶりも凄かったですよ(苦笑)。
ただ私自身は、ウチの父親が映画好き&漫画好きだった事もあり、
ビデオテープも単行本も多くあった為、その論調に乗る所は無かったですね。

その後、世間の風向きが変わり始めたのが、90年代の中盤だったでしょうか?
まさしく前述した、岡田斗司夫のオタク学講義が東大で行われた頃ですね。
具体的には、団塊ジュニア世代が成人年齢を向かえて、
子供の人口が減る事で、夕方やゴールデン帯のアニメ放送枠が減ると共に、
1997年の「ベルセルク」を契機に、深夜アニメが急増し始めた事もありましたし、
宮崎駿の世間的認知度が徐々に高まるに連れ、「宮崎アニメだけは別」という認識が広まり、
興行収入が100億円を超えて200億円に迫った、1997年の「もののけ姫」が転換点となりました。
(逆にトトロ・ナウシカ・ラピュタなどは、興行収入が15億円にすら達していません)
そういう意味では、宮崎勤が悪化させたイメージを、宮崎駿が改善させたんですよね。

そして、そんなタイミングで登場したのが「新世紀エヴァンゲリオン」でした。
放送開始1995年でしたけど、当時はほとんど話題になってませんでしたね。
いや勿論、ナディアを手掛けたGAINAXの新作という事で、一部のコア層は注目してたでしょうけど、
少なくとも私の周りから、「エヴァ」という単語は1度も耳にしませんでした。
なので、私も1人でひっそりと楽しんでましたよ(笑)。
まあ当時は、ネットの普及前で、上述のようにサブカルへの風当たりも強い時代だった為、
そんな一般的に、アニメの話題が上るなんて事は無かったですからね。
ですから、放送終了後の1996年春に秋葉原へ初めて行った際、
エヴァのビデオ発売のポスターを見掛けて、凄く驚いたんです。
「あんなマニアックな作品に注目する人たちが自分以外にも居たとは!!」と。

で、その後くらいから、書店などでジワジワと人気の高まりを感じていたのですが、
個人的には「この作品なら、こんな終わり方もアリだろう」と、妙に納得していた最後の2話が、
オタク一般的(笑)には、やはりインパクトが大きかったようで、
この2話を劇場版でリメイクするという流れになり、人気の方が更に加速。
そして劇場版公開を前にした1997年に、深夜帯で一挙再放送が行われると、
非オタク層の若者世代にも人気が拡大し、劇場2作品の後編が制作の遅れで公開延期となると、
その渇望感から注目度が更に増して、ついには一般マスコミまでブームを報じ始めました。
そういう意味では、世間がイメージを改善させたかは別として、
ガンダム以来、およそ20年ぶりのアニメ・ブームを世間が認知したり、
非オタク層にまで新規ファンを開拓したという点では、確かに転換的な作品だったでしょうね。
実際、私自身もエヴァ以前とエヴァ以後で、アニメに対する見識が一変しましたから。

また、1998年に「カードキャプターさくら」がNHK-BSで放送開始され、
そっち系のファン層を拡大させた面がありますし、
民放キー局以外でアニメ視聴が広がったのも、この作品がキッカケだったかな?
そして、2000年頃から新作アニメの数が急増してきたり、
インターネットの普及によって、ファン同士の繋がりや情報なども豊富となり、
家庭用ゲーム業界では、「次世代ゲーム機戦争」の勃発によって活況を呈するなど、
サブカル自体に、凄く勢いがあったのは確かですね。
家電の街だった秋葉原が、PCの街を経て、サブカルの街へと変貌していくのも、
ちょうど、この頃だったかと記憶しています。
社会的にも、1998年に長野五輪があり、2002年には日韓W杯があって、
バブル崩壊以後の30年間に限って見ると、妙に熱気があった時代でした。

それに続き、世間のオタクに対するイメージが変わったのが、
2005年の実写ドラマ「電車男」のヒットでしたね。
まあドラマですので、作品自体のオタク描写は、オーバーでコミカルなモノでしたけど、
宮崎事件以来あったネガティブなイメージは、ここで一変した感じでした。
更には、「サブカル」が「POPカルチャー」として認識される転換点にもなったかな?
要するに、J-POPやドラマを楽しむ感覚で、ゲームやアニメも楽しむと。
旧トルコ担当さんが言う所の「オタク文化」が、大衆化された契機と言えるかも知れません。
この事で、秋葉原に非オタク層やライト層も集うようになり、
良く言えば活気があり、悪く言えば一般化され、そして2008年の通り魔事件に至ると・・・・
そういう意味では、2006年の「オタク・イズ・デッド」宣言というのは、確かに当て填るかも?
別に私自身はオタクではないので、そこまでオタキングを過度に排斥もしません(笑)。

あとは、オタク文化内の話ですと、00年代の後半に一世を風靡した京アニ作品の登場は、
文化内の空気感を「まったり」したモノに変質したかも知れませんね。
言い換えるなら、一般層にも受け入れられる、キモオタ作品のマイルド化かな?
ジブリ作品ほどでは無いにせよ、京アニ作品は表面的なイメージ改善には繋がり、
奇しくも、あの放火事件の悲劇が、世間におけるその傾向を更に強めた感じがします。
声優アイドル化の流れも、昭和の頃からあったのは事実ですが、
「けいおん」を境目にして、加速されていった印象ですよね。
ここに作品の量産化が加わると共に、ネットの一般化によって、
「コミュニケーション・ツールとしてのコンテンツ消費」という楽しみ方が生まれると、
それはある意味で新しい文化ですけど、従来のファン層からすると面白くないですよね。
世間から白い目を向けられる中、今まで自分たちが築き上げてきた文化が、
数の力によって食い荒らされてるように映るでしょうから・・・・
言うなれば、与えられたモノを食べるだけの「オタクの家畜化」って感じなのかな?
正直な所、そんな層は昔から多くいたのでしょうけど、サブカルの大衆化により、
今では圧倒的多数となって、飲み込まれてしまったかのようですからね。

ちなみに、「ときメモ」はどうだったのかなぁ?
私はギャルゲーをやった事が無いので、そこまで詳しくないんですよね。
ただ、サブカル層に新たな市場を開拓したのは事実ですし、確かに人気もありましたが、
世間一般のイメージ改善という点では、ちょっと足を引っ張ったかな(笑)。
オタク文化的に言うと、2000年前後にあったエロゲー・ブームの方が大きかったかも?
70年代の日活ロマンポルノが、映画界の若きクリエーターを多く輩出したように、
この時のエロゲー・ブームは、まどマギやFate、京アニ初期作を生むキッカケになる訳ですし、
エロ要素さえ入れれば、自由な創作が認められていたので、隠れた名作も多いらしいです。
(ロマンポルノはWOWOWで何作か見ましたけど、エロゲーは1本もプレーしてませんね)
あと、ギャルゲー方面で言うと「ラブプラス」あたりから、風当たりがマシになったのかな?
そして2015年の「刀剣乱舞」が、女性向けの乙女ゲー人気に火を付けると共に、
「艦これ」と共に、ブラウザ・スマホゲーの火付け役にもなり、
「テニプリ」から始まった2.5次元ミュージカルの立て役者にもなりましたから、
オタク文化と言って良いかは解りませんけど、刀剣乱舞の影響力は大きかったかも知れませんね。
美術館の方でも、刀剣乱舞は日本刀ブームを起こしてくれましたし(笑)。
いや本当、名刀展示の機会を増やし、お金まで落としてくれて、凄く有り難いんですよ。

以上、ザックリと尋ねられたので、ザックリとしか答えられませんけど、
とりあえず、こんな感じですね。
私の場合はオタクじゃないので、良くも悪くも客観視した当時の情報ですけど、
それで宜しければ、具体的に質問がありましたら、可能な限りお答えしますよ。

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