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[23407] オタク文化の今昔&鬼滅の刃ブーム(その2)返信 削除
2020/11/4 (水) 18:45:37 徳翁導誉

※ 容量が大きすぎたので、2分割で投稿 ※

▼ SNSと場
> > また、「そんな世界は残っていないのでは?」というのも、
> > 時が移ろい、栄枯盛衰がある以上は、そんなおかしな話では無いかと思います。
> > 成長期や過渡期の状況もまた、永続するなんて事は無いのでしょうからね。
> > それに、この発言自体は、文化や担い手がどうこうという話と言うよりも、
> > もっと単純に「集える場所の喪失」という意味で用いていますし、

> いやいや、それこそSNSは集える場を生んでいるのでは?(昔を知らないのでry)
> かつての年に数回だけ同好の士と会うことができ、
> あとは手紙とか雑誌の投稿欄とかでやりとりしていた時代と比べれば、
> 集える場所こそ一番発展したのではないでしょうか?
> (それゆえにいろいろなトラブルもあるようですが)

これって恐らく、デジタル・ネイティブ世代であるが故に、
「SNS」というモノが、広大すぎるネット世界に現れた「閉じられた空間」である事が、
当たり前すぎていて、意識できていないという事なのでしょうね。
喩えるなら、鎖国前の日本を知っていると、鎖国された日本はクローズな空間に映るけど、
鎖国が当然の世代だと、クローズな空間とは藩であり、日本とはオープンな空間に映ると。
良い悪いの話ではなく、これはもう仕方のない事なのかも知れません・・・・
サロンのように、更に閉じた空間と比較して、SNSの解放性を感じるのと、
閉じたネットとしてSNSがあり、サロンもその延長線上にあるだけと感じるのも、
結局は立ち位置が異なる事によって、生じる認識の差でしょうからね。
とりあえず個人的には、フランス上流社会の閉じられた社交場であった「サロン」よりも、
ギリシャの公共広場に開かれた言論の集会場である「アゴラ」を、ネットに求める感じですね。
もちろん、両方あれば理想ですけど、サロンがあればアゴラは不要というモノでは無いかと。

あと、これは何度も繰り返しになりますけど、
別に私は、ネット化により得られた利便性は大いに認めています。
それこそ、前述の「おたく文化・オタク文化・ヲタ文化」で言えば、
私自身はオタク文化の世代であり、現代のヲタ文化と比較しているのは、基本的にこの時代です。
ですから、おたく文化とヲタ文化の比較となれば、
双方に「長所もあれば、短所もある」と語っているだけで、
現代の長所ばかりを挙げられても、それはそれで認めているものの、
過去の長所まで否定する考えはないと言うだけの事なんですよね。
例えば、他者と常時繋がれてる環境は、全てにおいて万々歳とも言えず、
それは個の時間や空間の消失を、促す側面も持っていたりしますからね。

要するに、アナログ時代には無かった繋がりが、デジタル時代に生まれたなんて話は百も承知なんです。
それこそ、それをリアルタイムで体感した世代なのですから。
その一方で、アナログ時代にあった繋がりが、デジタル時代により消えてしまった面もあり、
それらをデジタルの新たな繋がりが、代替し得るとは限らないと言う話なんです。
ただし、私が主に言っているのは、そうした私よりも前の世代の話ではなく、
アナログとデジタルの過渡期であった私自身の世代の世界の事を言っているんです。
アナログの文化があり、デジタルの文化があるだけでなく、両方が融合した文化があり、
「そんな世界」とは、広く言うと、この3つの文化があった世界であり、
狭く言うと、アナログとデジタルが融合した文化があった世界の事ではあります。
前の世代のアナログ文化だけでなく、過渡期だからこそ有り得た徒花なのかも知れませんが、
融合した文化までが消えてしまい、ほとんどデジタル文化しか残っていないと。
それでも、衰退した2つの文化を補って余りあるくらい、新文化が隆盛していれば別ですが、
経済的事情もあってか、穴埋めできている実感はしないのが、正直な所なんですよね。

▼ 無限にグローバルか無限にローカルか
> > あとは、ある所で滅びがあっても、別の所で興りがあれば良いんですけど、
> > グローバル化と新自由主義により、文化の消費サイクルさえ加速度を増していて、
> > 最近は、行き過ぎた焼畑農法が、砂漠化を招くような状況を、生んでいる気がするんですよ。
> > 次から次へと大群で食い荒らしていくという意味では、「蝗害」に喩えても良いのかな?
> > どちらかと言うと、そちらの方がより深刻で、私が心配している部分かも知れません。

> これは半分賛成ですね。
> 結局今の文化って、無限にグローバルか無限にローカルかしかないと思うんですよ。
> 20年かそこらか前には日本の中で文化的グローバリズムが進み、
> いずれは世界的にものすごいグローバルな文化により世界の半分は統一されると。
> そしてマクドナルドが世界を席巻したように、
> いずれは世界中の町がどこもかしこも似たり寄ったりの風景になるんでしょうね。

「文化」というのは、ローカルな習俗に根ざした多様的なモノであり、
「文明」というのは、地域の枠を超えて広がる普遍的なモノだとすると、
地域すら超えて世界に広がる「グローバルな文化」というのは、
用語的に言うと、何だか おかしな感じもあるのですが(笑)、
でもまあ、グローバル経済と結び付いた消費文化は、
良くも悪くも、まさしくグローバルな文化なんですよね。

> 20年前には日本の都市がプチ東京になって地方ごとの特色が失われたわけですが、
> 20年後には世界中の都市が似たり寄ったりの風景になると。
> で、無限にグローバルな側では、焼畑農業的な、凄まじい速度での文化消費が起きているですけど、
> 一方には無限にローカルな場所もあると思うんですよ。
> ところがこのローカルはローカルが故になかなか見えてこないので、
> まるで新しい文化がないかのように見えるんですが、実はあるんです。

「半分賛成」と言う事は、「ローカルな場所もある」というのが反論の部分なのかな?
まあ別に、私もローカルなモノが完全に無くなるとは考えていませんし、
それこそ転勤族として育ったので、各地の地方都市の事も知っており、
まだ地方に活気のあった昭和の頃も、朧気ながら覚えてはいますから、
個人的な実体験があったり、思い入れがあったりするのも事実です。

ただ一方で、それらが急速に失われ、全国が均一化されていく流れも見ているんですよね。
方言の強さなど顕著で、子供と大人と高齢者では、かなり異なりました。
そういう意味では、さすがに絶滅するとまでは思いませんけども、
選択肢の中に個人商店が入らなくなるとか、姿を消してる実状はあると思います。
そして地方だけでなく都心にしても、以前にも書きましたように、
秋葉原・神保町・渋谷などの個性的な街まで、均一化で特徴を失いつつあると。
・・・って、この辺の事を語り出すと長くなるものの、
今まで語ってきた「娯楽文化」と、日常的な暮らしとしての「生活文化」は、
同じ「文化」という枠組みとは言え、ちょっと方向性が異なりますし、
そこまで話題を広げると、更に混乱の元になりませんかねえ?(笑)
多分この箇所も、「そんな世界は残っていないのでは?」を誤って引っ張ってる感じがするので。
という事で、今回はとりあえず、2年前の書き込み↓を貼って、お茶を濁そうかな。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c21943

> そして何がないかといえば、中間がない。
「中間がない」
おっ、そのキーワードが出ましたか!?
実を言うと前回くらいから、私が話題や例え話を広げ過ぎた所為もあってか、
何だか少し、話が噛み合わなくなってる気がしていたので、
逆に今回は余分なモノを一気に絞ろうかとも考えていたのですが、
その場合の軸となるワードが「中間層の喪失」だったんですよ!!

まあこれは、グローバルとローカルの間ではなく、
生産者と消費者の間という話で、その中間層こそが所謂「オタク」であり、
そこが空洞化しつつあるのでは?という事だったんですよね。
で、それも、オタクの絶対数が減ったと言いたいのでは無く、
減る所か、恐らく増えてはいるのだと思います。
ですが、サブカルの大衆化や、グローバル化、情報社会化によって、
オタク以上に消費者の数が圧倒的に増えた上、生産者のレベルも上がった事で、
巨大になった市場ピラミッドでは、生産者層と消費者層との2極化が生じてしまい、
その中間を埋めていたオタク層が、相対的にスカスカになった気がするんですよね。

それにより、小さなピラミッドだった頃は、距離が近くて繋がる事が出来たオタク同士も、
距離が離れると繋がり難くなり、消費者層からスムーズに移行する割合も減ったと。
もちろん、消費者層が広くて分厚くなった事で、
その中での上位に当たるマニア層も、確実に増えたと感じるのですが、
「そこは中間層ではない」と線引きすると、オタクの増加には繋がっていないんです。
まあ、この辺は言葉の定義と感じられるかも知れませんが、
マニアもオタクに含めても、それでスカスカとなった中間部分が埋まる訳では無く、
やはり、個々に上下の差はあっても、消費者であり生産者でもある層が充実する事で、
最上部の生産者層と言うのは、質が高くなっていくモノだと思うんですよね。
近年は様々な世界で、「選択と集中」とか言ったりしますが、
実際は、たくさん種を撒いて、そこから育つのを待つ方法に優るモノはなく、
目先の利益ばかりを追いかけていくと、長期的には先細りしてしまうモノなのでしょう。

ちなみに、余分なモノは絞ると言いつつ、最後に付け加えてしまうと(笑)、
こうしたピラミッド構造は、人口の年齢ピラミッドのそれと非常に酷似してると感じるんです。
時代が進むほど、人口は増えていき、ピラミッド自体のサイズも大きくなりますが、
更に社会の成熟も進むと、ピラミッドの形は「富士山型→釣り鐘型→壺型」と推移していく一方、
釣り鐘型になるとサイズが停滞し、壺型になるとサイズが減少に転ずる傾向があります。
そして、これは私の予測なのですが、壺型から更に進むと、壺の首部分が切り離され、
上部の小さな丸と、下部の大きな丸とに分かれて、2極化しちゃうと思うんですよね。
近未来では遺伝子治療などが進み、高額な医療費を払える一握りの富裕層のみが、
異常に長生きできる時代が到来するような気がしますから。
で、こうした傾向は、年収ピラミッドの方でも遅れてやってくると思うんです。
年齢では先進医療が上下を分けましたが、年収ではAIやロボットが中間層を担い、
これまた一握りの勝ち組と、それ以外の大量の労働者かつ消費者とに分ける感じに。
そして文化コンテンツも、生産層と消費層とに分かれ、中間のオタク層はスカスカになり、
その一方で、消費層は球体となって、その中での質は上がっていきそうと。

> 追記:興味ないかもですが、同人文化に関して面白い資料が手に入ったいので少し
> というのも、ここ20年くらいの同人誌即売会では
> オールジャンル即売会(どんな同人誌でもOKのイベント)が減少し、
> オンリージャンル(特定のジャンル限定の同人誌即売会、例えば鬼滅の刃のBL同人誌専門イベントみたいなもの)
> ばかりになっていると
> コミケが商業化していく裏では、本来マニアックだった同人の世界が
> 更にマニアックな世界へ小さく小さく分裂して行っているようです

いえいえ、興味ないとか無いですよ(笑)。
と言いますか、これこそまさに、前回のこの発言↓を如実に表しているのでは?
> > 基本的に文化とは消耗品で、乱雑に扱われるほど、その寿命も短いモノです。
> > 原理主義的に死守しようとした所で、先鋭化して、分裂して、先細るのが関の山ですしね。
> > まあ、どんな分野であれ、最初には地を這う黎明期があり、
> > そこからグングン伸びる成長期があり、それがピークを迎える最盛期があり、
> > 腐り始めだけど芳しい爛熟期があって、最後には腐り落ちる没落期がある訳ですが、
> > 大衆化されるのは最盛期の後半で、最も人口が多いのが爛熟期な一方、
> > 最も楽しいのは成長期で、本当に好きな人は黎明期から居るモノだと思うんです。
> > コミケの同人文化拡大を言われてますが、それは既に爛熟期に入ってる状況かも知れませんよ?

文化に限らず、学問の世界とかもそうなのですが、
ある分野が成長を遂げた時に、そこから更に研究を進めようとした場合、
専門分野の「蛸壺化」という現象を起こすのが、典型的なパターンなんです・・・・
一方で、最も活気のある成長期ほど、様々な分野に横断しており、
こうした蛸壺の袋小路に陥った際、そこから打破していくには、
枝を伸ばし続ける事を考えるのでなく、種を作って新たな芽を吹かせるか、
その木を異なる分野の土地に植え替えるしか無いと思うんですよね。
って、同人誌界隈の場合は、それが具体的にどういう方法になるのか、
私には、ちょっとイメージが湧きませんけども(笑)。

▼ 少子高齢化と人口問題
> > 我々の世界は20〜40年後、未開地が無くなると共に、人口が減少するという、
> > 人類初の時代を迎えるとも危惧されており、そんな未曾有の停滞時代に、
> > 「果たして文化の発展はどうなるのか?」 日本だけでなく、世界規模でも未知数です。

> これは新しい視点だと思います。
> もしかしたら世界的な高齢化の波は人類文化の停滞を招くのかもしれませんね。

まあこの点は、文化もそうなのですが、経済がヤバいんですよね。
資本主義というのは、市場のパイが大きくならないと、うまく機能しないシステムなので、
未開地が無くなり、人口は減り、更には高齢化して、新たな文化創造も停滞するとなれば、
資本主義は機能不全を起こすでしょうし、そうなれば社会不安に直結すると・・・・
そして、そんな社会から生まれる文化が皆無とは言いませんけども、
消えていく文化との差し引きで言えば、マイナスになるのは間違いないでしょうからね。

また、新自由主義な見方で、文化コンテンツの消費も捉えた場合にも、
それこそ、新自由主義な資本主義が機能不全に陥った際に、
そちらの消費形態がどうなっていくのか、未知数な所があるかと思います。
って、20〜40年後ともなれば、何事も起こらなくても、大きく変わるでしょうけど(笑)。
ただし、その進む方向性は、いろいろと影響を及ぼされる可能性はありそうですね。

▼ 国力と文化力
> > これは何もサブカル分野に限らず、スポーツでも、学術でも、政治でも、起業でも同じかと?
> > 草サッカーの経験があるだけでも、ただ見るだけのファンとは見方が変わるはずですし、
> > ピラミッドの底辺が広くなれば広くなるほど、その高さも大きさも増していくはずですから。
> > でもそれらは、あくまでもプレイヤーとしての裾野の広さであって、
> > 消費者や観客としての裾野は、プレイヤーを育てる養分という面では意味があっても、
> > その辺は海外にだって求められますし、逆に海外から養分にされる事だってあります。
> > 例えばゲーム業界なんか、家庭用ゲーム機の事を一般名詞として、
> > 北米では「NINTENDO」、西欧では「PlayStation」と呼ばれるくらい、
> > 以前は隆盛を誇っていたのも、今では昔の話ですからねえ・・・・
> > 現在進行形で、今の日本が世界を魅了している分野って、実際に何かあるのかなぁ?
> > まあ世界はさておき、絶えずサブカルを産み続けた日本の国内的土壌が、
> > かなり危機的な状況にあるのでは?というのが、私自身の肌感覚なんですよね。
> > もっと言うと、どうすれば衰退を回避し、繁栄の道を築けるのか、方法を知りたくはあります。

> うーん、日本文化にこだわる必要はないんですよね。

いや〜、そこまで割り切られてしまうと、返す言葉もありません(笑)。
確かに、例えばこの世から日本食が消滅した所で、日本人が飢え死にする訳では無く、
ハンバーガーやピザだけ食べていても、それで生き続けられるのは事実です。
でも、それでは寂しすぎると言うのが、偽らざる私の本音ですね・・・・

> 例えば、20世紀中盤にはアメリカ文化が世界を席巻しましたが、
> 20世紀後半にはアメリカ文化は世界の中で徐々に力を落としていきました。
> で、それはアメリカ文化そのものの後退を示すのか?と言われればそうではないと思うんですよ。
> そもそもアメリカ文化が世界の中で強い影響力を持っていたのは
> アメリカが世界の中で圧倒的に豊かであったからであり、
> 20世紀後半にアメリカ以外の国々(日本など)が豊かになっていくと
> アメリカの文化的影響力は相対的に下がらざるを得ないと。

まあ、それ自体は否定しないものの、
日本とアメリカの場合は、占領政策や実質的な属国化が背景にあった為、
諸外国と比べると、ちょっと特殊な例ではありますし、影響度合いも特に濃密ですよね。
ただし、後述しますけど、それが全てだとは思いませんし、
また、20世紀においてアメリカは、近代化のトップ・ランナーであり、
そうした文明の面まで含めて、文化として捉えてしまっている感じも受けます。

> 私が子供のころに見た中国映画なんて本当にひどいものでしたが、
> 最近見た中国のアニメは結構おもしろかったんですよね。

う〜ん、文革期のプロパガンダ映画とかならともかく、
「紅いコーリャン」や「覇王別姫」など、日本でも話題となった中国映画はありますし、
(文革後に登場した若き監督たちを、中国映画の第5世代と呼ぶらしいです)
日本の黒澤作品にしたって、「羅生門」「生きる」「七人の侍」あたりは、
終戦から10年も経っていない貧しい時代のモノでしたから、
必ずしも、そこが直結するとは限らないと思いますよ。
インド映画にしても、インド経済が急成長する前から活況を呈してましたので。

> で、中国が豊かになって中国のアニメが面白くなればなるほど
> 中国における日本文化の影響力は低下していきますが、
> それは日本文化がつまらなくなることとイコールではないわけです。

それって、成長した中国作品が、日本市場を席巻しない大前提なんですか?
仮に今後、そうした事になった場合には、国内市場が喰われる訳で、
国産の作品は苦しくなり、日本文化がツマらなくなるかも知れませんよ。
(例えばフランス映画では、ハリウッド作品に対する保護主義的な支援策を行ってます)
また、外国がどうこうとか無関係に、日本文化がツマらなくなる場合だってあり、
その結果として、例えば中国作品が、その穴埋めをする展開だって有り得ますよね?

> 人口の多い国に経済力でかなわないのと同様に、文化力でも人口こそが絶対正義です。
これに関しては、明らかに言い過ぎでしょうね。
確かに経済では、人口が多いほど有利なのは確かでしょうし、
文化に関しても、ある程度は有利になる面があるとは思います。
ですが、それだけで決まるほど、単純なモノとは無い気がするんですよね。

例えばこれを「国と人口」から「企業と資金力」に置き換えれば、解りやすいかも知れませんが、
資金に恵まれた大企業ほど、その業界を席巻する可能性が高いのは事実でしょうし、
それと同時に、そうした大企業がヒット商品が生むケースも多い事でしょう。
ですが、大企業だって経営を誤れば倒産する事だってありますし、
必ずヒット商品が作れるかと言えば、そんな簡単な話ではありません・・・・
逆に、小さな企業であっても、思わぬ大ヒット商品を生む事だってあります。
新たな文化の誕生というのは、非常に確率的なモノなので、
人口が多くなれば確率は上がるでしょうけど、それが「絶対正義」とまでは言えない筈なんです。

それに、単純な人数だけでなく、個々の質というのも大きく影響してきます。
文化というのは、大量生産して、どうにかなる分野では無いですからねえ。
それこそ、世界には数千万の人口を抱える大都市圏が幾つも存在しますけど、
1人1人は生活に伴う消費活動を行いますから、確かに経済面だと人口も大きいですが、
1人1人の娯楽に伴う消費活動を考えると、質の差が大きな差となって表れてきます。
別に娯楽文化というのは、生きていく上で必須の要素ではありませんので・・・・
そういう意味では、東京の住民と、マニラやダッカ、ラゴスの住民とでは、
生み出される文化の量も、消費される文化の量も、やはり違ってくるものです。
もちろん、マニラやダッカ、ラゴスにしたって、次第に豊かになっていけば、
それに比例していく感じで、文化の量というのも増えていくとは思いますがね。

> 任天堂やプレステが世界を席巻できたのは一時的な過渡期のことで、
> 正常な世界においては世界70億人の中のたった1億人に過ぎない日本人の文化が
> 世界を席巻するなんてありえないはずです。

たった1億2000万人って、日本の質の高さを考慮すると、世界的にもかなりの数ですよ。
それこそ今までの日本の強さって、「質の高い1億人市場」でしたから。
それに、人口こそが絶対正義であるなら、アメリカだって3億2000万人な訳で、
(平成初めは日本の2倍でしたが、平成30年間で8000万人増は途轍もないです!)
アメリカの影響力が日本の2.5倍程度なはずですけど、現実はそうじゃ無いでしょうし、
グローバル化やネット化がここまで進んだのに、なぜGAFAは全て米国企業なのでしょう?
世界人口比だと、アメリカ4.2%、日本1.5%ですけど、その程度の影響度では無いかと。

> かつて70年代くらいのイギリスでは英国病なんてことが盛んに議論されたらしいですが、
> あれも要は産業革命を他国が吸収した結果、
> 英国のあるべき位置(それは人口に決まる)が正常な位置に落ち着いたということでしょう?
> 別にイギリスの経済力が衰えたわけではないんです。

トップを走っていた者が、後続に追い付かれる事で、
先発の優位を失ってしまう事自体は、実際にある事ですし、
産業革命後のイギリスに関しても、そうした面があるのは事実です。
とは言え、「衰えた訳ではない」というのは、ちょっと違うでしょうね。
先発の優位というのは、道を切り開く為の投資と引き替えに得たモノであり、
その苦労が軽く済んだ後発組に追い付かれた際には、その部分が損失となりますし、
そして何より、他に先んじたからこそ、構造疲労もいち早く発生しますからねえ。
またイギリスの場合は、大戦による損害と、植民地の独立がありましたし、
それに何より、戦後の英国病というのは、社会主義的な政策の影響が大きかったので、
単純に、人口の適性規模に落ち着いた話だけでは無いと思います。
(もちろん、人口が経済力や市場規模を決める大きな要素ではある事は否定しませんけどね)

> で、これから中国で面白いゲームが生まれてくるならば我々は素直にそれを楽しめばよいと思うんですよね。
> 現在でもイラストレーターなんかは言語に関係なく活動できるので、
> 中国や韓国のイラストレーターがどんどん日本で活躍していますし、
> 逆に我々が中国のアニメを見ることも昔に比べてはるかに簡単になったと。
> そんな時代に無理に日本という中途半端な文化単位にこだわることはあまり意味がないと思うんですよね。

別に、国産じゃなきゃヤダなんて、そんな事はありませんよ(笑)。
私が1番好きなアニメ作品の「アレクサンダー戦記」にしたって、
ソウル生まれの韓国系アメリカ人であるピーター・チョンが、キャラクター・デザインを担当してますし、
私の歴史の基礎は、ぶっちゃけ、日本史ではなく中国史から作られています。
また、嫌韓でも無いので、素直に韓流の事は評価してますし、
北朝鮮の作品にしたって、「プルガサリ」は結構お気に入りですよ(笑)。
もっと言うと、科学の世界では、そんな国境とか関係ないですからね。

ですけど、そうしていろいろ楽しめるのも、あくまで日本文化という土台があってこそで、
それが無くても楽しめるにしても、その楽しめる充実度は、やはり違ってくると思います。
そういう意味では、アイデンティティなき「文化的植民地」だとキツいと思うんですよね。

> ただまあ結局は文化の豊かさというのをどこに基準を置くのかにもよると思います。
> 私は一応、他文化(多民族であったり他宗教であったり)にどれだけ影響力を与えられるかが
> その文化の豊かさを測る基準だと思っているのですが、それも結局は外側から勝手に言ってるだけですからね。
> たとえ歴史的には長く愛好されなかったり、ほかの文化圏には影響を与えなかったりした文化であろうとも、
> その文化圏の人たちが楽しければ、それをどうこう言うのはナンセンスなのかもしれません。

ここに関しては、完全同意しておきます!!
そして願わくば、私自身が、そんな文化大国の一員でありたいですし、
日本という国には、それだけのポテンシャルがあると信じてはいるんですよね。
だからこそ、現状が口惜しかったりする訳です・・・・
極端な話、私は学問&文化の至上主義者的な側面がありますから(笑)。

ちなみに、私たち日本人というのは、その地理と歴史の影響から、
極東の人間として、東洋の文化をそれなりに理解できる一方で、
極西の人間として、西洋の文化をそれなりに理解できる上、
島国の人間として、独自の文化も持ち合わせているんですよね。
つまりは、普通なら1つしか持ち得ない価値観を、3つも持てている訳で、
これは非常に恵まれていると言うか、日本人の武器になり得る特徴だと思うんです。
日本人の東洋理解も、西洋理解も、「それなり」ですけども、
西洋人は東洋を、東洋人は西洋を、根本的には理解できてませんから。
そういう意味では、日本人って、楽しめる文化のレンジが広いと言えますし、
翻って言うと、生み出せる文化の幅も広いと言えるのでは無いでしょうか?
言うなれば、多様だけど混ざらないニューヨークが「文化のサラダボウル」だとすれば、
ルーツが何処でも和風化してしまう東京は「文化の味噌汁」という感じで(笑)。

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