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[23519] 日本サブカルの市場規模と、その影響力(その1)返信 削除
2021/3/9 (火) 23:41:28 徳翁導誉

> ひとまず、話が結構長くなってきたので自分なりにまとめてみました。
> 引用部分も全部白になっていますが、直すのめんどくさいのでそのままにしてます。

え〜と、すみません。
やはり色が付いてないと、何処から何処までが、どの引用なのか、
パッと見でよく解らないので、返信で見落としちゃったらゴメンなさい。
初めに謝っておきます(笑)。


▼ 現在の学校ってどんな感じ?
> > 「文化」の意味というのは非常に広いので、ちょっと説明が難しいのですが、
> > 例え話を用いるとすれば、1つ1つの「学校」みたいな単位でしょうか?
> > そして、その地域の学校群みたいな存在が「文明」であり、
> > 学校内のクラスや部活などの組織が、文化の中の「小さな文化」と言って良いかも。
> > 言うなれば、日本文化とかフランス文化とかが、それぞれの学校単位のようなモノで、
> > その大きな集合体として、東アジア文明や西ヨーロッパ文明みたいなのがあり、
> > 学校に相当する日本文化の中に、クラスに相当する和食文化だったり、
> > 部活に相当するアニメ文化があったりするイメージですかね。
> > で、これまでの書き込みで、旧トルコ担当さんがおっしゃっていた「文化」の対象は、
> > それよりも小さく、個々の生徒であったり、仲良しグループくらいの単位に見えたので、
> > 「それは学校や部活とは同規模じゃないでしょ!?」となった訳ですね。
> > ここで言う生徒は「作品」に相当し、グループは「ジャンルや傾向」に相当するでしょうか。
> > ・・・って、こんな例え話で、どれだけ伝わるモノか、
> > 自分でもちょっと自信が無いですけども(苦笑)。

> いえいえ、その例えで凄くしっくりきました。
> 今まで何となく自分で感じていたことともつながったので少し話させてください。
> 例えば学校なのですが、昔と比べて何となくクラスというつながりが弱くなったと思うんですよね。
> もちろん私は教師でも何でもないので、昔の学校はマンガに出てくるくらいしか知りませんし、
> 根拠には乏しいのですが、でもそこまで外れた見方でもない気がしています。

学校だけに限らず、時代と共に人同士の繋がりが弱くなってるのは事実だと思いますよ。
今の世代よりも、私の頃の方が、そうしたモノは強かったでしょうし、
そして親世代は更に強く、祖父母の時代は更にもっと強い感じでしょうか?
まあ、ぶっちゃけ、戦争なんていう究極の「団体主義」な時代から、
徐々に、平和な「個人主義」の時代に移っていってるという意味では、
それはそれで、良い面も悪い面も両方あるんだろうと思います。
「人同士の繋がり強い」というのは、言い換えると、
「人同士の縛りがキツい」という事ですので(笑)。
あと、これは凄い個人的な主観なのですが、2000年前後のあたりが、
増していく個人主義と、減じていく団体主義のバランスが、ちょうど良かった頃かも?

> 例えば、かつては学校内でもオタクは肩身の狭い思いをしたらしいのですが、
> 私の学生時代には結構そういうものが許容されているというか、否定されないんですね。
> もちろんそれは我々にとっては良い時代になったという感じですし、
> その理由はオタクのイメージ改善にもあるんだと思うのですが、

いや〜、オタクのイメージが改善されたと言うよりは、
「オタク」を指す意味の範囲が広がり、ライトな層も含むようになった事で、
一般人の比率も高まり、抵抗感が薄れたというのが実際の所であって、
ガチオタって言うのは、今でもそれなりに浮いた扱いをさせると思いますよ。
まあさすがに、宮崎勤事件の頃ほどじゃ無いにしても。

って、こういう事を言うと「いや、そんな事はない」と反論が来そうですが(笑)、
もう、それもお決まりな展開で、私が思い浮かべるガチオタと、
旧トルコ担当さんが思い浮かべるガチオタとでは、その程度の度合いが異なるでしょうからね。
そもそも、旧トルコ担当さんがいうのは、意味の範囲が広がった後のオタク像でしょうし、
逆に、私がいうのは、それ以前のオタク像が根本にありますので。
そういう意味では、卵が先か? 鶏が先か? みたいな話で、
「オタク」という言葉の定義が変化した事で、オタクの「イメージは改善された」と言って良いかも?
要するに、どちらも別に間違いでは無いと。

> 個人レベルでも、例えば最近はリア充オタクというオタク的には許せない存在がいまして(w)、
って、現在のオタクの定義を用いるのであれば、リア充とだって普通に共用できる訳で、
何だか、こういう時だけ、以前のオタクの定義を持ち出すのは、ちょっとズルいと言いますか、
敢えて卑屈を演じる事による、下からの逆マウント取りの願望が出ちゃってる気がするんですよね。
「○○たんさえ居れば、俺のリアルは充実(ハァハァ」って具合に、
行っちゃってる意味での「リア充オタク」であれば、また別の話なんですけど(笑)。

> 私のクラスにもスクールカースト上位なんだけどガチの腐女子みたいな子がいたんですけども。
> そういう女の子がカースト上位にいるのも、多様性の肯定でみんな優しくなっているともいえるのですが、
> なんというか、その女の子が学校外でどういう存在で、
> どういうことをしていようと、みんな関心がないといいますか。

これは逆に質問なのですが、実際の所、「スクール・カースト」ってどんな感じなんですか?
元々、アメリカの学校には、そうした階級制度っぽい構図があって、
それが2011年にNHK-BSで放送された、海外ドラマ「glee」のヒットをキッカケに、
日本でも広まっていった概念なので、実は10年にも満たない学校文化であり、
正直言って、私には実状が、よく解らないんですよね・・・・
もちろん、それ以前の学校にも、漠然としたグループ分けはありましたけど、
言霊とでも言いますか、言葉として定義され、概念として普及するからこそ、
今度は人の方が、それに見方や考えが囚われて、構図が固まっていくモノですから、
スクール・カーストという言葉が定着する前後で、やはり相応の変化はあったと思うんですよ。

あと、「学校外でどういう存在か」に関しては、
昔とか今に限らず、やはり別個に捉えられてると思いますよ。
ちなみに、カースト上位だけども「ガチ腐女子」というのは、
本人が公表してるから知られてるという事なのかな?
正直、ガチのレベルがどの程度を指してるかは不明ですけど、
一般人がドン引きするレベルのガチであれば、普通は公表しないでしょうし、
仮に公表したとしたら、カースト上位とやらは保てない気がするんですけど?
それに一般的な腐女子文化だと、下から逆マウントを取りたがるスタンスなので、
カースト上位でというのは合わず、何となくライトな印象を受けてしまいます。
まあ、ちょっとマニアっぽい部分をチラッと見せて、男心をくすぐるというのは、
女性のモテ・テクニックとして、昔からありましたので、それだと腑に落ちますしね。

> マンガもそうだと思うんですよ。
> かつてのマンガ雑誌の時代と比べて、平成のマンガ単行本時代というのは
> 自分の好きなマンガ以外に見向きもしなくなった時代だったと思うんですよ。
> そしてその傾向はネットマンガ時代になってより顕著になったと。
> YouTubeやSNSなどに関しては言うまでもないですよね。

マンガ雑誌の発行部数は、本当に減っちゃいましたからね。
https://toukeidata.com/entame/img/jump.png
特に週刊少年ジャンプは、ピークが1994年に記録した653万部で、
現在は150万部らしいので、実に4分の1以下になったと。
その一方で、単行本の売れ行きは堅調らしいのですが、
それでも、売れてる作品と売れない作品の2極化が本当に極端になりました。
最近は話題になると、単行本の売り上げが、すぐに数千万部とか行きますからねえ。

> この現象の原因は明らかで、情報があふれるようになって、相対的に時間が貴重になったからだと思います。
> 例えば、学校内の人間関係でいえば、LINEは友達を100人作るために使われているというよりも、
> イツメンが朝から晩までつながるために使うわけです。
> つながろうと思えば、隣の学校の人たちとだっていくらでもつながれはしますが、
> そんなことをしていては時間がいくらあっても足りない。
> だからこそ有限な時間を本当の仲良しとだけ共有すると。

え〜と、昨今ある「時間が貴重になった」という論調には、私はちょっと懐疑的かな?
じゃあ、そうやって作った時間で何をしているかとなると、別に大した事はしていないと(笑)。
正直、情報が有ろうが無かろうが、大昔だろうが現在だろうが、
1日が24時間なのは全く変わってませんし、時間は貴重なんて事は数千年前から言われ続けてます。
もっと言っちゃえば、昔の方が平均寿命が短いので、今より時間が貴重です(笑)。
ともかく、やるべき事、したい事が多い人ほど、時間をフル活用するモノですからね。
固定電話で長話するのも、コンビニにたむろするのも、ファミレスやカラオケで徹夜するのも、
時代に応じてツールが変わるだけで、今のLINEと大した違いは無いと思うんですよ。
何というか、効率化を正当化する為の言い訳として、時間は貴重と言っている気がしています。
「まったりしたい」とか、「あれこれ考えたくない」とか、素直にそれで良い気がするんですけどね。

> スマホゲームも、今自分が好きなゲームにいくらでも時間を費やしたいわけで、
> 今人気のスマホゲームを追いかける時間がないからこそ、
> オタク界隈はどんどん深く狭く、なんかもう限界集落みたいな感じになってきてるんですよ。
> 仮に同じスマホゲームを遊ぶ層でも、そのスマホゲームのゲームが好きな人と、キャラが好きな人と、
> 同じキャラが好きな人でも、そのキャラと恋愛したい人と、そのキャラと別のキャラのカップリングが好きな人とで、
> どんどん細分化されていくわけです。

「どんどん深く狭く、どんどん細分化されていく」と感じられているのだとすれば、
それはもう、爛熟期から衰退期へと突入している典型的な兆候ですよ(笑)。
文化であれ何であれ、どんな分野も基本的には、
「萌芽期→成長期→全盛期→爛熟期→衰退期」という曲線を描くモノですからねえ。
ですから、私が最初から言っているのが、
それに変わる「新しい文化」についてな訳です。
延命させたり、再起させたりというのが、全く存在しない訳では無いですけど、
ただまあ、ほとんどの場合は、それに変わる新しい何かの登場が必要なんですよね。

> 鬼滅の刃もそうです。私は見てないのではっきりしたことは言えませんが、
> おそらく小学生の鬼滅の刃の見方と、腐女子のお姉さん方の鬼滅の刃の見え方と、
> 話題になってるということで読んでみたおっさん世代の見え方というのは実は全然違うのではないでしょうか?

これは当然そうですし、意外と昔から変わらないかも?
例えば大晦日に、家族みんなで紅白歌合戦を見ていたとして、
やはり、子供と お母さんと おじいちゃんとでは、見え方が違うでしょうし、
昔は「この歌 知ってる」率が、今より高かったとは言っても、
対象となる世代によって、同じ歌でも感じ方は異なってくる訳ですね。
そういう意味では、世代を越えたヒット作である鬼滅の刃も、同様かと思われます。

> こういう、自分の関心の無いものへの徹底的な無関心が、
> 現在の特異な状況を形成しているのではないでしょうか?
> 言ってしまえば、社会の部族化といいますか、同じ部族内の出来事には関心があるけれども、
> 他の部族のことには興味ないよ、という態度といいますか。
> だからこそリアル書店や秋葉原のような、マニアックだけれども一般人でもアクセス可能な場所は衰退いっていると。

う〜ん、それはちょっと違うかなぁ?
自分に関心あるモノだけ徹底的で、無いモノには無関心というのは、
それこそ、従来からマニアな人種のイメージそのものなので(笑)、
マニアな場所というのは、元々そんな感じだったと思いますよ。
まあ基本的に、その場が保てなくなるというのは、
需要そのものが減ってしまったり、場が荒らされて廃れたりが多いのかな?
簡単に言ってしまうと、新規オタク層のライト化であったり、観光地化の弊害であったり。
もちろんネットの発達によって、リアルな場での取引が減った部分もあるのでしょうけどね。

▼ SNSと情報収集について
> > SNSを利用すれば、確かに多くのファン同士を見つける事が出来るのでしょうけど、
> > ハッキリ言って、自分と同じ価値観をもつファン同士が繋がった所で、
> > そこから新たに得られるモノは少ないのは、交流が目的ではなく手段だからなのでしょうね。
> > それこそ求めるのは、自分の殻を打ち破ってくれるような、思わぬ雑音の存在なのでしょうけど、
> > しかしSNSというのは、同じ様な意見を集めて、雑音をカットするには向いているからこそ、
> > その正反対には層には、まるで満足感を得られない世界であると感じるんですよ・・・・
> > だからこそ、逆説的に言えば、SNSが幅を利かせれば利かせるほど、場が失われて行くと。

> もちろん「自分の殻を打ち破ってくれるような、思わぬ雑音」は現在でも必要とされています。
> かつてはフラっと立ち寄った書店や映画館がそういった雑音を提供してきたわけですが、
> SNSもそういう使い方をすればちゃんと雑音を拾ってきてくれますし、
> そういった使い方をしている人たちは少なくないと個人的に見ています。

では具体的に、どのように用いれば、SNSでも雑音を収集できるのでしょうか?
私にはまるで思い付かないので、是非とも方法を教えて戴きたい所です!!

> もちろんその雑音はあくまで自分に近いところの雑音でしかないわけですが、
> ですがもう我々にとっては30年前に存在していて
> いま日本で消えかかっている書店や映画館のような完全な(?)雑音は効率が悪いわけです。
> それよりも、自分と似たような嗜好を持ったフォロワーから
> マンガなり、ゲームなりをお勧めしてもらったほうがよほど効率が良い。

う〜ん、この返信内容から受ける感じだと、
ここで私が言っている「雑音」の意味が、まるで理解されてない気も・・・・
パッと見聞きした限りでは、不快だったり意味不明だったりするノイズ的な意見の中にも、
耳を澄まして聞いてみれば、時に思わぬ有益な情報を得られるモノを「雑音」と例えた訳ですが。
今の時代、自分の嗜好に沿った世間的なオススメに、
簡単に辿り着けるなんて事は、それこそ百も承知な訳ですよ。
その上で、自分と異なる嗜好であったり、オススメや世間的で無いモノを、
「効率良く」知る手段というのが、そうした従来のリアルな媒体以外に、
例えばネット上の何処かで、新たに誕生していたりするのでしょうか?

> 別に30年前も書店では今ロシアで話題の本が山積みなっていたり、
> 映画館ではインド映画が上映されていたわけではないではないですよね?

いや〜、恐らくはこれは、有り得ない例として挙げたのでしょうけど、
逆に、ピンポイントであった事例ですね(笑)。
ソ連崩壊がちょうど30年前なので、それなりに専門的な書店へ行けば、
共産圏側の事を知る目的などで、ロシア語の書籍は今より大量に並んでましたし、
(冷戦中は、英語に次ぐ国際言語がロシア語でしたから)
30年前とは行きませんが、23年前にはインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」のヒットを受け、
マニア向けの小さな映画館では、意外とインド映画も上映されてたりしたんですよ。
今では書店も映画館も、生き残るには大型化の一途で、しかもラインナップは売れ筋ばかりですが、
十数年くらい前までは、そうしたニッチな需要に応える専門書店やミニシアターがありましたし、
大型店であっても売れ筋ばかりでなく、読んで欲しい書籍や、見て欲しい作品を並べていました。
それも、書店や映画館が「文化発信」の矜持を抱いており、尚かつ、今より経済的余裕があった為です。

> 話が少しそれてしまいますが、SNSが我々にもたらした変化というのはとてつもなく大きいと思うんですよね。
> SFには集合意識という生物のアイディアがあるらしいのですが、
> その集合意識とやらは体は数億個とあるのに脳が全部一つにつながっているんです
> (おそらくアリやハチの社会が元ネタなのでしょう)。
> で、今スマホを24時間手放さずに生活している我々は、その集合意識になろうとしていると。

はい、それは解りますよ。
私もここで、集合知とかネットワークという言葉を用い、似たような話は何度かしてますし、
昭和の終わりにヒットした「攻殻機動隊」などは、まさにそうした世界観を描いてますからね。

> SNSによって毎日お互いの情報をやり取りしている相手というのは、
> もはや家族や友人なんかよりもよっぽど強いつながりですし、

家族や友人が比較対照という事は、ここで指されている「SNS」とは、
リアルの対人関係を補強するSNSではなく、ネット上の対人関係におけるSNSだと思いますが、
そこにあるのは、繋がる時間の長さや、繋がる対象の広さであって、
繋がりの強さ自体では決してないと思いますけど?
(もちろん、長さや広さを武器に出来るという意味での比喩表現的な「強さ」はありますがね)

> 個人の自我というのは以前とは比較にならないほど溶け合っている。
> だからリアルな書店なんかが雑音なんかを拾ってくれなくとも、
> その集合意識内部でのバーチャルな書店(それはフォロワーの「面白かった」と
> Amazonの電子書籍販売によって構成される)があれば充分じゃないのでしょうか?

え〜と、すみません。
ですから、そうした「同じ様な意見」ばかりが集まっても、まるで進歩が無いので、
時には「思わぬ雑音」が必要だというのが、前回の話の主旨だったんですけど・・・・
もちろん、同じ意見で十分満足か? 異なる意見も欲するか? は、
どちらが良いとか悪いとかではなく、個々人の趣向の話であり自由なのですが、
自分の価値観が全てで、異なる他者の価値観は解らないと、今後何かと大変かも?
理解したからといって賛同する必要は無いですけど、
理解できなければ賛同のしようが無いですし、
そうなると結局、賛成反対の判断基準が単なる感情論になりますからね。
(って、登り切るか落ち切るかすれば、却って感情的に生きる方が楽そうですけど・苦笑)

また、「自我が解け合う」とか「それで充分」という昨今の感覚も、
決して理解できてない訳では無いんですよ。
「今の若い世代はググらない(自分から調べようとしない)」と言われますけど、
似たようなモノばかりとは言え、情報や商品の数量自体が膨大に増える社会の中で、
自分好みに最適化されたオススメで満足できるなら、便利は便利な仕組みですからね。
ですが、それだと単に「作業」するだけになってしまい、
与えられるモノを「消費」するだけの存在になってしまうというのが、
前回、述べた話の主旨の1つではありました。
言うなれば、私には、石田徹也的な世界観↓に映ってしまうんですよ。
https://heapsmag.com/wp-content/uploads/2018/08/Refuel-Meal.jpg
そして、少なくとも私自身は、それでは満足できないと・・・・

もちろん、様々な選択肢が共存する多様性が保てれば、理想なのですが、
しかし現実的には、2極化する時代がそれを許してくれず、
今や、限られた狭い選択肢の中に、細かい選択肢が多数ある感じでしょうか。
ミクロな視点からすれば豊かでも、マクロな視点では貧しく映る世界です。
この辺りもまた、前回した話の主旨の1つですね。
それしか知らない世代からと、違和感など全く無いのでしょうけど、
そう移り変わった世代からすれば、多くが失われたと感じるでしょうし、
そんな事は、常に変化する時代の中で、いつも行われてきた事であるとは言え、
デジタル化やグローバル化がもたらした変化量は、他の時代の比では無いと。
運が良いのか悪いのか、これだけの時代変化は50年や100年に1回のモノですからね。
って、人生100年時代と考えれば、どの年代で迎えるか次第で、
多くの人が、どこかのタイミングで体験するようにはなるのかな?(笑)

▼ アメリカ分断と日本サブカルの意外な関係
> トランプ元大統領をめぐるアメリカの分断も、リアルな書店みたいなものが生きていれば
> ああいう風にはならないのではないでしょうか?

まあ一言に「トランプ元大統領をめぐるアメリカの分断」といっても、
見捨てられていた存在としての「ラストベルト」的な問題と、
陰謀論にハマってしまう「Qアノン」的な問題とでは、かなり次元が異なりますけどね。
ちなみに後者の陰謀論に関しては、日本のオタク文化も少なからず絡んでまして・・・・

こうした陰謀論の発生拠点とされるのが、英語のネット掲示板「8chan」なんです。
何だか、日本の匿名掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」に似てますよね?
実はそれもそのはず、この8chanは2chから派生を重ねて生まれたサイトだったんです。
まずは日本の中で、画像も投稿できる2ch的な「ふたばちゃんねる」が派生して、
そこでは主にアニメ画像が投稿された事から、海外のアニオタたちも集まるようになり、
そこから更に、自分たち主導で楽しめるよう英語版の「4chan」が生まれる事となります。

まあ日本の2chの方では、電車男のブームもあって利用者も増加し、
それに伴って、アングラ的な雰囲気はかなり薄れていったのですが、
海外のアニオタ層が中心の4chanは、利用者数が限定的だった事もあり、
元々の日本サブカル要素に加えて、2ch的なアングラ要素も残り・・・というか濃くなり、
更には、その親和性の高さからネトウヨ要素まで、日本から取り入れてしまい、
ダークなネットの側面を煮込んだサイトのようになってしまうんですよねえ・・・・
そうした中で、「さすがに過激すぎる」という利用者たちは、
次第に4chanから追放されていくのですが、そんな彼らが逃げ込んだのが「8chan」でした。
当然ながら、8chanの方が4chanよりも更にダークさで勝る掲示板になる訳です。

で、そんな8chanや4chanでは、アニメやアングラ的な話題に交じって、
荒唐無稽な陰謀論とかも飛び交う場所になるのですが、
ついには「嘘を嘘と見抜けなくない人」たちが、実際に行動を始めちゃうんですよね。
まあ日本だと、尖閣諸島の中国漁船衝突事件が発生した際に、
有名なホモAVをネタにした「隊員が銛でケツを突かれた!」という嘘コピペが拡散し、
それを信じた石原慎太郎(当時 都知事)や、佐々淳行(初代 内閣安全保障室長)が、
「確かな情報筋によると」と、テレビで公開する馬鹿をやったりしたのですが(苦笑)、
これがアメリカになると、ただのピザ店で銃乱射(ピザゲート事件)を起こしたり、
それこそ、この前の議事堂襲撃事件とかを起こしてしまうと・・・・

また、そんな彼らが用いるアイコンは、多くがアニメ画像であったり、
人種差別の象徴に「カエルのペペ」が、ロリコンの象徴に「クマー」が用いられるのも、
8chanや4chanに、そうした日本サブカル的な下地にあるからなんですよね。
日本版のQアノンである通称「Jアノン」とかは、ある意味で逆輸入と言えるのかな?
それを受け入れる土壌は、当然ながら、出身地だけに高いでしょうから(苦笑)。
あと個人的には、昔の2ch的な雰囲気を残しつつ、アニメの画像に溢れ、
でも使われている言語は英語で、集まる人たちも多国籍という、あの空間自体は、
リアルに問題さえ起こさない限り、決して嫌いでは無いですけどね。
と言いますか、絶対にメインにはなれない存在ですけども、
世界中で必ずハマる層が一定数いる、この日本的なサブカル文化は、
「Cool Japan」なんて表層的なモノではなく、もっと強い武器に出来ると思うんですよ。


▼ 経済と文化の相互性について
> > > なんとなく、文化が発展するのは貧しさが背景にあるような気はしています。
> > > 例えば日本は島国で魚がたくさん取れたから魚料理の文化が発展したわけですが、
> > > これはつまり魚以外の食材(例えば肉なんか)が手に入りにくかったからこそ色々な魚の食べ方が発展したわけで、
> > > これが最初から現代みたく肉でも魚でも菓子でも保存し放題であれば、
> > > ここまで魚の食べ方が発展しなかったと思うんですよね。

> > ただ一方で、「島国で魚がたくさん取れたから魚料理の文化が発展した」との一文は、
> > それこそ「貧しさ」だけでなく、「豊かさ」も表してますよね?
> > 肉視点で見れば貧しくても、魚視点で見れば豊かだったので、発展したと。
> > なので、文化が発展する要因というのも様々かと思われます。
> > また、これは以前にも書きましたが、文化であれ何であれ、
> > 常に一定という事はなく、時代に応じた盛衰のサイクルというモノは存在しますから、
> > 一言に日本の食文化と言っても、変化はいろいろとありましたね。
> > そもそも論になっちゃいますけど、日本人がたくさん魚を食べるようになったのは、
> > 冷蔵・冷凍技術が発展してからの事なので、そんなに古い歴史がある訳では無いので・・・・
> > 前回も少し触れましたけど、ここまで一般的に大トロや中トロが食されるようになったのは、
> > 平成に入ってからの事だと記憶してますね(それまでは値段が高くて特別な存在でした)。

考えたら、確かに日本って食される魚介の種類って豊富ですけども、
それは四方を海に囲まれ、寒流と暖流が交わる地理的条件に恵まれたという話で、
勿論それも食文化の一面ではありますが、調理法や調味料は至ってシンプルであり、
我々がイメージするほど、「日本って魚食文化が豊かなのか?」とも思えてきました(笑)。
種類の豊富さという要素を除くと、目立つのって刺身などの「生食」くらいですし、
以前、マンネルヘイムさんとの雑談でも話題に上りましたが、
世間的イメージだと、日本独自と思われがちな「納豆」や「醤油」の食文化も、
決してアジアでは珍しくなく、それ所か「日本はレパートリーが少ない」評価なんですよね。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23131
そもそも日本食って、いわゆる世界三大料理(中華・フレンチ・トルコ)に含まれておらず、
近年では世界で人気なものの、その最大の要因は「ヘルシーさ(低カロリー)」なので、
よくよく考えてみると、「豊か」というのとは、実はちょっと違うのかも知れません。
いや別に、シンプルなのが悪い訳ではなく、私自身もそのシンプルさこそ好みですが(笑)。

あとは、「日本食」という全体のカテゴリーで捉えた場合、
伝統的な和食だけでなく、様々な海外の料理を採り入れて日本化した洋食文化などは、
世界の食文化史的に見ても誇れる豊かさがあると思いますが、一方で歴史はそこまで深くなく、
(一般家庭に広まったのは戦後であり、外食がここまで種類豊富になったのはバブル期以降)
こと「魚食文化」に与えた影響って、実は意外と少ない気がします・・・・
まあ逆に考えると、魚食に関しては、それだけ慣れ親しんだ不動の食べ方が既にあり、
それ以外の肉に野菜にデザート、調理法や調味料などの面が今まで乏しかったからこそ、
広大な新規開拓の余地が残されていて、急拡大できたのかも知れませんね。
ですがこれも、戦後の高度経済成長やバブル景気が背景にあった事を考えると、
やはり文化は、「貧しいから発展する」よりも、「豊かだから発展する」面が強い気がします。
まあ、共産圏でのアネクドート(政治風刺の小話)だったり、日本だと江戸時代の落首など、
規制が強い社会だからこそ、発展する文化とかも確かにあったりはするんですけど、
でも、そういった社会だと、発展を妨げられる文化の方がずっと多いでしょうしね。

> > あと、これを根拠に「貧しくとも文化は発展する」と言いたいのかも知れませんが、
> いえいえ、これはむしろ逆で、貧しさを失ったからこそ新しい文化が生まれてこないのではないか?
> ということです(前回の文章が言葉足らずでした)。

いや、別に言葉足らずとかではなく、意味としては理解できてますし、
特に「逆」という感じもしませんけどねえ。
私自身の見解を踏まえた上で、あまり強い否定意見にならないよう、
上記のように表現したというだけの事であって。

> 貧しくあればこそ工夫しますし、そこに文化が生まれると思うのですが、
> 豊かであれば工夫も必要ないですからね。

でしたら、アフリカの貧困スラム街から、バンバン文化が生まれる一方で、
逆に、ニューヨーク・ロンドン・パリ・東京の世界4大都市からは、
全く文化が生まれてこない事になりますけど、本当にその見解で良いんですか!?(笑)
もちろん、単に黙って消費するだけの存在であれば、工夫も何も必要ないでしょうけど、
消費の前には創作する人が居ますし、余裕が増えればその割合も増えていきます。
貧しさに支配されてしまうと、そんな余裕すら、ほとんどの人は持てませんよ・・・・
ちょっと冷静に考えてみて下さい。
「来月から小遣い半分ね」と言われたとして、
「ヤッター、これでオタ活動が更に捗るぞ!」って、本当になると思います?(笑)
如何に使うお金を切り詰めるかで、頭がいっぱいになっちゃうと思いますよ。
実際、戦後の日本サブカル文化も、何だかんだで経済成長と連動しているはずです。

例えば、原宿・下北沢・高円寺など、路地が複雑で再開発が難しかった地域こそ、
狭い面積で賃料も安く、若い人材が集まりやすくて、新たな文化が育つ面は勿論ありますし、
そうした地域に再開発の手が及ぶと、商業主義の論理に飲み込まれて、
却って文化的には後退する例も、決して珍しくないのは事実です。
それはそれで、目先の利益はさておき、長期的な視点だと大きな損失だと私も思っています。
ですが一方で、新しい文化が芽を出しても、それが成長する為には、
やはり市場の存在が不可欠であり、間接的にせよ、経済の後ろ盾がないと困難なんですよね。
それが無いと、再開発が難しい地域あっても、単なるスラム街になってしまうのが現実であり、
貧しさの中での工夫の先に成功があったとしても、その成功に必要なだけの市場が要るんです。
こういう言い方をしては何ですが、同じ1000万人都市であっても、
日本の東京が、ブラジルのサンパウロや、ナイジェリアのラゴスなどと違うのは、
単に人口が多いだけでなく、経済的な豊かさが等しく広まる事で、
ニッチな市場でも成り立ちやすく、多様な文化を育めるからなんですよね。
逆に言えば、人口が減ったり、経済が縮小したり不均衡になると、文化も沈滞すると・・・・
扱うのが必需品であればまだしも、文化産業というのは嗜好品ですから、
単純に「規模の経済」でゴリ押しも出来ない分野です。

と、ついでにここで、ちょっと「余暇市場」について見てみましょうか?
昨年発表された2019年度(新型コロナ前)の日本の余暇市場は「72兆2940億円」であり、
これはピークであった1996年の「90兆9070億円」と比べると、実に2割も減少しています。
(1996年はエヴァの放送があり、秋葉原が急速にオタクの街へと変わり始めた年でした)
東日本大震災の後もガクッと落ちましたけど、今回のコロナ禍も影響は大きいでしょうね・・・・
総額が減少する中でも、特に伸びていたのが観光分野だったので、コロナ直撃で厳しい上に、
そもそもインバンド効果が主要因ですから、実際に楽しんだのは日本人ではなく外国人。
では日本人では何が伸びたかとなると、カネのかからないウォーキング(苦笑)。
いや別に、インバンドも経済的には大助かりですし、ウォーキング自体が悪い訳では無いですが、
私たちが享受できる「文化の幅」を育むという面では、やはり厳しい現状な気がします・・・・
以前、旧トルコ担当さんがおっしゃっていた、海外から流入する文化も決して否定しませんけど、
でも日本食と同じく、やはり自前の文化が日本人には一番良く合うモノでしょうし、
確固たる自分たちの足場があればこそ、他文化のモノも充実して受け入れる余裕が生まれる訳で、
「文化発信国から、文化植民地に落ちる」のでは、個人的に途轍もない寂しさが残ります。
って、この辺の心情も、「Japan as No.1」から「失われた30年」への一変を体験した世代だからで、
低迷する日本しか知らない平成世代や、零落するであろう日本で育つ令和世代からすれば、
これも一種の懐古主義であり、私が感じる程には、抵抗感や悲壮感は抱かないのかも知れませんね?

▼ サブカルと音楽・映画の市場規模
続いて、文化面の余暇市場を、サブカルを中心に個別に見てみると、
アニメが3000億円、マンガが5000億円、家庭用ゲームが4400億円、ラノベが150億円。
音楽が3000億円、映画が2600億円、アート鑑賞が1000億円ですから、
サブカルと言いつつ、なかなかの国内市場規模ですよね(笑)。

ちなみにアニメは、1兆円近い関連市場(例えばパチンコ版権で3100億円)まで含め、
更に海外市場の1兆2000億円を加えると、総額で2兆5000億円に達するそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/K10012778881_2012222249_2012230634_01_03.jpg
(テレビ970億円 映画692億円 ビデオ563億円 配信685億円
  商品化5813億円 遊興3119億円 音楽337億円 ライブ884億円 海外1兆2009億円)
深夜アニメが増え出した2002年が、国内7200億円&海外3700億円で1兆1000億円ほどでしたから、
まさしく急成長と言えますが、実は国内市場に限って言うと2014年をピークに減少傾向。
一方で海外輸出は2014年を境に横這いから急増に転じており、近い内に国内収益を上回るかも?
特に中国のアニメ市場は近年急拡大しており、今や実に2兆3500億円に達してますから、
日本側もまだまだ輸出拡大を望める反面、このまま成長すれば反転攻勢を仕掛けられる可能性も?
一昔前は、中国市場も日本アニメばかりでしたが、今では半分以上が国産アニメらしいですし、
日本市場は日本アニメを好み続けたとしても、海外市場はそうとは限らないですからね。
実際に家電では、韓国・中国・台湾のメーカーにかなり海外シェアを奪われましたので・・・・

そしてマンガは、ついに電子版の売り上げが、紙媒体のそれを上回ったとか!!
これは1つの時代の転機でしょうし、今後はネットとマンガの親和性も更に高まるはずで、
そうなれば、海外展開も更に増え・・・と望みたい所ですが、
マンガ市場は日本が異常であり、世界市場は1兆円ほど、つまりは日本だけで半分を占めていると。
でも、こちらも中国市場は急拡大して、既にアメリカ市場1100億円を上回る2600億円に達しており、
逆の見方をすれば、これから新規開拓していける余地は却って広いのかも?
あと国内だと、マンガとは別枠の「同人誌」市場も850億円と、かなり大きいですね!!
https://www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/2572
ただラノベは・・・やはり言葉の壁は大きい上に、そもそも市場的に小さいので、
文化の違いもあって、マンガほどには簡単では無いかも知れませんね。
昨年、北米Amazonが表現上の問題で、日本ラノベの英語版を次々と販売停止にしましたし、
一方で中国では、既に日本以上に、有料ネット小説の文化が独自進化してますから。

またゲーム市場は、家庭用が4400億円で、PC用が1000億円ですけど、
スマホ用が1兆3400億円(実に7割超)と飛び抜けていて、アニメ市場を上回る総額1兆8800億円に!!
って、経済的には大きいものの、それは課金の部分が強いので、ゲーム自体の中身的には・・・・
家庭用ゲームの市場規模は、2007年のピーク時が7100億円でしたし、
近年は人気作品の続編ばかりなので、ゲーム文化の幅的にはかなり狭まってる気がします。
一方で、ゲームの世界市場は年々拡大していて、今では15兆円市場に達しており、
世界の音楽市場が2兆円、映画市場が5兆円である事を踏まえると、驚異的な成長ぶりですが、
日本メーカーの存在感は減少の一途なのが残念な所(海外では課金ガチャが違法な国も多いですし)。
う〜ん、家庭用ゲーム機の事を、アメリカでは「Nintendo」、欧州では「PlayStation」と呼ぶくらい、
一昔前までは、海外でも「TVゲーム=日本」のイメージが強かったんですけどね。
それが今や、携帯ゲーム機の要素がスマホに吸収され、ゲーム専用機の需要も落ちる中、
(世界市場だと家庭用3割・PC用2割・スマホ用5割と、何だかんだでソシャゲも多い)
日本市場やアメリカ市場(3兆3000億円)を上回り、中国市場が4兆1800億円と急拡大し、
中国テンセント社のゲーム部門が売り上げ2兆円を超えるなど(任天堂の実に5倍!)、
本当に、世界市場におけるゲーム業界の時代の激変ぶりを大きく感じさせます。

まあ「単に中国市場がデカいだけ」とも言えますが、テンセントは中国版GAFAの一角であり、
これだけ資本力で日本企業と差があると、今後は技術的にも厳しくなる展開が予想されるんですよね。
あ〜、もしも総務省と経産省の縦割り的な縄張り争いとかが無くて、
ゲームボーイやPSPが全盛だった時代に、携帯ゲーム機に通信機能を付けられていたら、
スマホを含めた業界全体の構図が、今とは大きく異なっていたかも知れないのになぁ・・・・
「ゲーム機が携帯電話に近付き、携帯電話がゲーム機に近付く」と当時は言われてましたけど、
ゲーム機の方が使い勝手に優れていたものの、通信の許認可権でゲーム機は圧倒的に不利であり、
国内でゴタゴタしている内に、アッと言う間に海外勢に追い抜かれてしまいましたからねえ(泣)。
これは何もゲーム産業に限らず、世界全体の経済市場的にも、
バブル崩壊後も00年代前半くらいまでは、まだ日本にもチャンスがありましたけど、
今や、米中の覇権争いに日本が割って入るのは、もう難しい状況だと思います。
(で、そんな00年代後半のタイミングに「サブカルの大衆化」や「秋葉原の観光地化」が進んだと)

最後に、サブカル以外の娯楽産業について少し見てみますと、
音楽業界は今や、曲そのものよりも、ライブ・イベントで体験を売る方が大きくなっており、
実際に日本国内でも、音楽市場3000億円に対して、ライブ市場はそれを上回る4200億円です。
やはり今の時代、仮想的なデジタル化が進んだからこそ、リアルの価値が増してるんですよね。
例えば秋葉原であれば、メイド喫茶とか、会いに行けるアイドルやAV女優とか(笑)。
(ちなみに市場規模だと、メイド喫茶系が120億円、アイドル業界が2600億円、AVが500億円)
ただ、それだけに昨今のコロナ禍は、音楽業界だけでなく全業界的に大打撃ですし、
デジタル化の流れは止まらない以上、体験型の価値は更に上がるのでしょうけど、
今後コロナ禍が収束したとして、復活までにどれだけ掛かり、どれだけ生き残れるのか・・・・
(余力のある大資本だけが生き残り、回復後は市場が寡占化される可能性も有り得そう?)
あとJ-POPの場合、海外売り上げは国内の1%程度なのも、サブカルに比べると厳しい所。
韓国のK-POPなんて、国内630億円・海外610億円と売り上げが同程度であり、
国内市場の規模では日本が5倍と圧勝するも、こと海外展開では韓国が30倍で超圧勝状態。
ただ逆に考えれば、J-POPもまだまだ、海外で市場拡大できる余地があるのかも知れませんね?
現状、成功してるJ-POPはアニソンが主ですけど、K-POPの成功例が実際にある訳ですし。

そして映画の方は、アメリカと中国が1兆円超えで圧倒していて、日本は蚊帳の外でしょうか。
売り上げ的には邦画も堅調とは言え、今ではアニメ劇場版とテレビ局制作の映画が大部分を占め、
固定客相手で安定的に収益は見込めるのでしょうけど、これでは作品的に輸出面では苦戦しそう。
これは韓流ドラマとかに限らず、家電や自動車などの輸出産業全体で言える事ですが、
この辺は韓国の方が国内市場が小さく、初めから輸出前提で国策的に進められている為、
日本市場が中途半端に大きく成熟している所が、却って輸出面では仇になっているのかな?

▼ アート、ギャンブル、スポーツの市場規模
あとは個人的に、今の日本で伸ばせる余地が大きいと感じているのが、現代アートですね。
この分野は、日本市場だと300億円と小さいですが、世界市場は7兆6000億円もありますし、
現代アートと日本サブカルの親和性って、意外に高いと思うんですよ!!
静的な「建築・彫刻・絵画」と、動的な「音楽・演劇・文学」という
古くからある6つのアートに対し、技術革新により生まれた新たなアートとして、
「写真」や「映画」は、第7芸術とか第8芸術とか呼ばれているんですけど、
それに続いて「アニメ」や「電子ゲーム」が、第9芸術や第10芸術と呼ばれ始め、
そして現在、「デジタル・アート」の事を第11芸術と呼ぶ動きがあるんです。
お台場や豊洲に体感型のデジタル・アート施設がある、チームラボあたりは有名かな?
デジタル技術とリアル体験の融合って、それこそサブカルの「2.5次元」に近いですし、
映画やアミューズメント施設に限らず、こうした融合は一般生活でも増えつつあり、
ビジネス的に言っても、WindowsOSの登場によりパソコンが一般化したのと同じく、
この辺りの技術は今後、世界的にも需要が更に急拡大する分野だと思うんですよね。
ちなみに、日本と西洋美術の関わりで言うと、新たなアートが生まれる直前の明治期に、
1つの完成を見た古典的アートを様々に吸収し、国内的に劇的な変化が生じたのですが、
中国ではこれが改革解放後に起こった為、いきなり現代アートにアクセスする事となり、
創作活動としても、国内市場としても、日本の比では無いほど活発だったりします。

とは言え、現代アートとサブカルの親和性という面では、日本の潜在能力も高く、
そこを上手く突いた村上隆の作品なんて、かなりトンデモない金額で売れており(笑)、
ヴェルサイユ宮殿でも展示された、このメイド・フィギュアは6000万円で、
https://image.itmedia.co.jp/makoto/articles/1009/17/do_ism100917_03.jpg
こちらのフィギュアは、左側の男型が何と16億円、右側の女型も4000万円で落札されました。
https://livedoor.blogimg.jp/wawabubu/imgs/2/e/2ed7d001.png
まあ、マネー・ゲーム的な側面はさておくとしても、
アニメの関連産業でも、グッズ販売は5800億円と非常に大きいのですから、
ここでアート方面に参入したり、逆にアートを取り込んだりしても面白いと思うんです。
日本でアートというと、学校教育的な教養の側面ばかりがステレオタイプ的に意識され、
しかも受験教科ではない為、役立たずで縁遠いイメージのまま、蔑ろにされがちですけど、
サブカルを通して、世間に溢れるアート要素をもっと再認識してもらいたいな!!と。
例えば、ユニクロで人気のアニメTシャツなどは、これにちょっと近い気はしますし、
両者が上手く融合できれば、等身大のフィギュアやドールも、もっと量産されるかも?
上記のフィギュア作品にしても、村上隆はオーダーしているだけで、
実際に作ってるのは海洋堂のプロ原型師だったりしますが(建築家と大工の関係に近い)、
需要が拡大すれば、必然的に職人たちも潤うので、それはそれでアリだと思うんですよ。
(市場規模は、フィギュアが320億円、ドールが120億円、プラモが300億円、鉄道模型が100億円)
この辺の現代アート作品って、今の日本ではあまり理解されてない上に、
サブカルを利用して金儲けをしていると、特にオタク層からの評判は最悪なのですが、
ただ実際、アニメ界もパチンコで稼いでいる現状を踏まえれば・・・ねえ。

と言うか、日本って世界的にも図抜けて、ギャンブルへの許容度が高いですよね!?
世界のギャンブル市場って、ゲームさえも上回る25兆円規模なのですが、
一応、表向きにはギャンブルに含まれてない日本のパチンコは、単体でそれに匹敵します。
ちょっと古いデータですけど、2000年の日本国内のギャンブル市場って、
競馬などの公営が6兆8000億円、宝くじが9500億円、そしてパチンコが28兆7000億円と、
当時の余暇市場85兆円の実に半分近くが、この分野で占められています(苦笑)。
昨今、日本ではカジノ解禁がどうこうと問題になってますけど、
あのラスベガスでさえ6500億円程度な事を考えると、大した話じゃない気がしますし、
(世界市場に比べて小さく見えるのは、オンラインのカジノやスポーツくじが急拡大した為)
ラスベガスにはショー・ビジネスを支えてる文化の側面もあるので、まだマシな感じがします。
いやまあ、アニメのパチンコも、文化だと言えば文化なのかも知れませんけどね。
良い悪いはともかく、特定の場所にしかないカジノと違い、パチンコは全国各地で楽しめる訳ですし。
(ただし全盛期の30兆円から、今では20兆円に市場が縮小し、パチンコ業界も厳しいとは聞きます)

う〜ん、でも個人的には正直な所、別方面で日本の余暇市場が拡大して欲しい気持ちがあります。
そういう意味では、スポーツ方面に頑張ってもらいたい所かな?
こちらも世界規模だと111兆円という、超巨大市場なんですよね!!
その内の半分をアメリカが占めていて、日本は平成の30年間で6兆円から4兆円にダウン中(泣)。
いや、それでもアメリカさえ除けば、日本も決して小さい規模では無く、
世界で最も人気の高いサッカーでも、Jリーグは世界でトップ10入りする収益なのですが、
コロナ禍以前の、日本のJ1クラブと、アメリカの大学アメフト部の収益を比べると、
J1トップが大学アメフト13位相当なので、アメリカのスポーツ市場は本当に異次元です(笑)。

 1位: 114億4000万円 ヴィッセル神戸(イニエスタ効果でリーグ史上最高益)
 2位: 82億1800万円 浦和レッズ
 3位: 69億6900万円 川崎フロンターレ
 4位: 69億1200万円 名古屋グランパス
 5位: 67億6800万円 鹿島アントラーズ
 6位: 58憶8400万円 横浜Fマリノス(対象にした2019年の優勝チーム)

https://www.forbes.com/sites/chrissmith/2019/09/12/college-football-most-valuable-clemson-texas-am/
 1位: 161億円 テキサスA&M大学
 1位: 161億円 テキサス大学
 3位: 152億円 ミシガン大学
 4位: 147億円 アラバマ大学
 5位: 145億円 オハイオ州立大学
 6位: 141億円 オクラホマ大学
 7位: 137億円 ジョージア大学
 8位: 132億円 ノートルダム大学
 9位: 128億円 フロリダ大学
 9位: 128億円 アーバーン大学
 11位: 125億円 ルイジアナ州立大学
 12位: 124億円 テネシー大学
 13位: 114億円 ペンシルベニア州立大学

・・・って、何だか書いてるうちに、脱線しまくっちゃいましたね(苦笑)。
まあ結論としては、経済的に貧しいよりも豊かな方が、文化を育みやすく、
かと言って経済至上主義だと、文化も単なる消費財に落ちてしまうので、
日本の国際競争力が落ちている現在、長期的な産業育成と市場拡大の側面からも、
王道もニッチも含め、学問・スポーツ・文化の促進を進めた方が良いと、私は考えていると。
それこそ戦後の日本社会というのは、世界史的に見ても「庶民文化の超大国」だと思ってますし、
目先の社会縮小に汲々とするより、グローバル化の流れを上手く活かして欲しいですよね。
何だか小難しい話をしている感じですけど、簡単に言えば要するに、
私は「おもろい」事が好きなので、それを量産する日本社会を残して伸ばしたいですし、
自分や日本人だけでなく、世界の人々に楽しんで欲しく、
そうなる事が、おもろい事を更に量産する構造となり、それで経済的も潤うのでは?って事です。
と、暴走気味に脱線しましたが、返信を書いてるうちに、
サブカルの市場規模が気になってしまったので、ちょっと調べて書いてみました(笑)。

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