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[23524] 現在日本の文化環境返信 削除
2021/3/17 (水) 04:15:30 旧トルコ担当

▼ 現在日本の文化環境

間違っているかもしれませんが、管理人さんの言う旧来の趣味人の世界とか、文化について、一応の理解はできたと思いますので、私の考えを書いてみます。
ネットの普及により、雑音をカットして自分の欲しいものに直接手が届くようになった結果、文化の選択肢の幅が狭まった。
これは事実だと思います。
そしてそうやってSNSの狭い世界やAIにおススメされるものばかりを消費していく世界というのは、今までの文化のつくり手と受け手の距離が小さかった世界とは全く異なった世界なんでしょう。
ここまで管理人さんと意見が同じです。

> また、「自我が解け合う」とか「それで充分」という昨今の感覚も、
> 決して理解できてない訳では無いんですよ。
> 「今の若い世代はググらない(自分から調べようとしない)」と言われますけど、
> 似たようなモノばかりとは言え、情報や商品の数量自体が膨大に増える社会の中で、
> 自分好みに最適化されたオススメで満足できるなら、便利は便利な仕組みですからね。
> ですが、それだと単に「作業」するだけになってしまい、
> 与えられるモノを「消費」するだけの存在になってしまうというのが、
> 前回、述べた話の主旨の1つではありました。
> 言うなれば、私には、石田徹也的な世界観↓に映ってしまうんですよ。
> https://heapsmag.com/wp-content/uploads/2018/08/Refuel-Meal.jpg
> そして、少なくとも私自身は、それでは満足できないと・・・・
>
> もちろん、様々な選択肢が共存する多様性が保てれば、理想なのですが、
> しかし現実的には、2極化する時代がそれを許してくれず、
> 今や、限られた狭い選択肢の中に、細かい選択肢が多数ある感じでしょうか。
> ミクロな視点からすれば豊かでも、マクロな視点では貧しく映る世界です。
> この辺りもまた、前回した話の主旨の1つですね。
> それしか知らない世代からと、違和感など全く無いのでしょうけど、
> そう移り変わった世代からすれば、多くが失われたと感じるでしょうし、
> そんな事は、常に変化する時代の中で、いつも行われてきた事であるとは言え、
> デジタル化やグローバル化がもたらした変化量は、他の時代の比では無いと。


では、そういった文化を消費するだけの作業になった世界というのは、そんなにディストピアなんでしょうか?
少なくとも私の観測している範囲では、たとえばここ2週間くらいオタ界隈ではウマ娘というスマホゲームが猛烈に流行っているのですが、ウマ娘のゲームを遊んでいる私のTwitterのフォロワーは楽しそうです。
私自身は自分でゲーム作ったりしているあたり、まだ20世紀型の文化の側の人間だと思うのですが、でも正直ゲームなんかわざわざ作っているよりも、話題のゼルダの伝説の最新作遊んでいたほうが楽しいと思うんですよね。
(完全に余談ですが、前作ったゲームは地道にバージョンアップしてver2になりました。 https://devum765.github.io/javascript-game/
聞いた話では、かつて服というのは自分たちで作るものだったらしいのですが、今はほとんどが既製品を買って着るだけのものになりました。
今後、画像認識AIを用いた自動料理装置のようなものが家庭に普及すれば、我々は自分たちで自分のご飯を作らなくなると思うのですが、それは果たして文化の後退なのでしょうか?
もっといえば、産業革命以前の、食べるものから着るものまですべてを自給自足していた時代の人たちがタイムマシンでやってきて、我々の生活をつまらない生活と評したら、我々はそれを受け入れて資本主義を捨て去るのでしょうか?

私が思うに、結局文化というのは娯楽であって、面白いかどうかが評価基準であり、面白いかどうかでいえば自分にぴったりの作品が一瞬でおススメされる現在のほうがエンターテイメントとして優れていると思うんですよね。
もちろん、中には管理人さんのように現在の無駄が省かれて雑音が消え去り、接することのできる文化の幅が少なくなった社会をつまらない社会だと思う方もいるにはいるのでしょうが、それって結局少数派だと思うんですよ。
で、その大多数の人たちは今の文化環境に満足しているわけですから、これで良いのではないでしょうか?
いえ、私はオタクですし、今でもかつて(80・90年代くらい)のガチオタに憧れるので、プログラミングを勉強してゲームを自作してみたり、ネットを漁って80年代のSFボードゲームが手の届く価格で売ってないか検索したりしているのですが、ただこういった生活がほかに人にもお勧めできるかと聞かれれば、いやゼルダやってたほうが絶対楽しいと思うんですよ。
そういう人間なので、時間はかかりましたが管理人さんの言っていることも理解できたと思いますし、ある程度共感できたのですが、その先の未来に関してはそこまで悲観的になる必要もないと思うんですよね。
ネット以前の20世紀的大衆文化の時代が終わりを告げ、21世紀型のSNSと「バズったものを履修する(例えばゼルダが面白いとYouTuberに言われればゼルダを遊ぶ、というようなこと)」時代がやってきたということではないでしょうか?
別に20世紀だって、半分以上の人は文化消費者だったのでしょうし、誰かの作ったマンガを読んで、誰かの作ったゲームで遊んでいたわけですから。

そして文化が停滞するなんて言うことも無いと思うんですよね。
なぜかといえば、ピラミッド上位のクリエイター層は、ネット以前とは比較にならない数のアマチュアクリエイターがしのぎを削る社会だからです。
アニメの絵がこの10年でどんどん奇麗になっていったのがそれを証明していっているかと。
(人口問題だけは可能性あるかもしれませんが)

で、最後に我々にできることとしたら、もう後は自分の好きなもや面白いものを発信していくしかないんでしょうね。
雑誌は死にましたが、ネットのおかげで我々は自分たちで情報を発信することができるようになりましたし、そうやってピラミッドの上位の側に廻るしか、文化消費者にならずに生きていく方法はないと。

▼ 時間感覚の変化

> え〜と、昨今ある「時間が貴重になった」という論調には、私はちょっと懐疑的かな?
> じゃあ、そうやって作った時間で何をしているかとなると、別に大した事はしていないと(笑)。
> 正直、情報が有ろうが無かろうが、大昔だろうが現在だろうが、
> 1日が24時間なのは全く変わってませんし、時間は貴重なんて事は数千年前から言われ続けてます。
> もっと言っちゃえば、昔の方が平均寿命が短いので、今より時間が貴重です(笑)。
> ともかく、やるべき事、したい事が多い人ほど、時間をフル活用するモノですからね。
> 固定電話で長話するのも、コンビニにたむろするのも、ファミレスやカラオケで徹夜するのも、
> 時代に応じてツールが変わるだけで、今のLINEと大した違いは無いと思うんですよ。
> 何というか、効率化を正当化する為の言い訳として、時間は貴重と言っている気がしています。
> 「まったりしたい」とか、「あれこれ考えたくない」とか、素直にそれで良い気がするんですけどね。


いやまあ大したことをしてないのは事実なんですけどね、自分も含めw
ただ時間貴重感の増大というのはそこまで間違ってないと思っています。
あまり詳しくはないのですが、最近の音楽はサビから始まるなんていうのも、サビが始まるまでとりあえず聞いてみようという人が減ってきたからだと思いますし、
私自身も、スマホを使うようになってからエスカレーターの待ち時間とかがやたらもったいなく感じるようになりました。
女性であればお化粧している時間をヒマな時間と感じる方が増えて、最近はお化粧中に音楽を聴く人が増えたなんていう話もあります。
特に最近私が感じたのは、SNSをやっている時と、本を読んでいる時で時間の流れ方(正確にはその感じ方)が全然違うということですね。
本読んでるときは「俺って時間セレブだよなー」みたいな感じです。
なんというか、金がたいしてあるわけでもないのにお高い店でランチを食べているような、読書にはそんなリッチさを感じるようになりました。

あとLINEとファミレスでたむろすることの最大の違いは、接触できる人数の規模がケタ違いに変わったことだと思いますよ。
LINEを開けば常にどこかのグループが会話していて、という状況はスマホ以前にはありえなかったでしょうし。
有限な時間の中で、家を出てファミレスでたむろするのと、同じく有限な時間の中で家で寝っ転がりながらLINEをしたり、それこそ無限の動画があるYouTubeを観ているのでは時間への感覚の違いというのも当然かと。
だからこそ選択と集中で貴重な時間を一番重要なものに一点投資すると。

▼ SNSについて

あとやはり2010年代の文化を語る上では、SNSというのは外せないと思うんですよね。
もちろん、SNSにはもちろんいいね!を稼ぐために必死になっている人もいますし、自分の気に入らない連中を攻撃してストレスを発散しようとしている人もいます。
ただ、だからと言ってSNSが文化として全く無価値であったというのも言い過ぎだと思うんですよね。
特に管理人さんが失われたと感じている趣味人の空気感については、もし残っているとすればSNSにしか無いと思うんですよ。
2ちゃんが廃れて、Twitterみたいな半匿名SNSが隆盛するようになったのも、結局は面白い話をできるの人にとっては、2ちゃんみたいな玉石混合の場所に行くよりも、
アカウント名(2ちゃんならコテハン)があって、誰が面白くて誰が面白くないのかがわかる場所に行ったほうが、質の高い会話ができるからだと思うんですよ。
だからこそそういった面白い上位層を吸い取られた2ちゃんはどんどん廃れていってしまうわけですが。
管理人さんも、アカウント作れば昔の歴史ゲーム(信長の野望とか)の話とか、サッカーの話とかできるようになると思いますよ。
ピンポイントでその話題が話せるかはわかりませんが、自分が話したい話題を10個くらい持っておけばそのうち1つか2つくらいは話せるのではないでしょうか?
結局、趣味人の世界を作るのは一定の壁だと思います。かつてはその壁はリアルな空間などに結びついていたわけですが、今それはSNSなどによる情報網がその壁の役割を果たしていると思うんですよね。
だからやはりその壁を超えないと趣味人の世界というのはもう壁の外側にはほとんど残っていないと。

> ここで私が言っている「雑音」の意味が、まるで理解されてない気も・・・・
> パッと見聞きした限りでは、不快だったり意味不明だったりするノイズ的な意見の中にも、
> 耳を澄まして聞いてみれば、時に思わぬ有益な情報を得られるモノを「雑音」と例えた訳ですが。
> 今の時代、自分の嗜好に沿った世間的なオススメに、
> 簡単に辿り着けるなんて事は、それこそ百も承知な訳ですよ。
> その上で、自分と異なる嗜好であったり、オススメや世間的で無いモノを、
> 「効率良く」知る手段というのが、そうした従来のリアルな媒体以外に、
> 例えばネット上の何処かで、新たに誕生していたりするのでしょうか?


一方で、SNSでは雑音が除去されていくのも事実だと思います。
前回の文章の書き方がよくなかったのですが、SNSで雑音は十分と言っているのではないんですよ。
ただ相対的な時間不足の中で、そういった雑音が意図して排除されているという側面もあると思うんですよね。

> また、「自我が解け合う」とか「それで充分」という昨今の感覚も、
> 決して理解できてない訳では無いんですよ。
> 「今の若い世代はググらない(自分から調べようとしない)」と言われますけど、
> 似たようなモノばかりとは言え、情報や商品の数量自体が膨大に増える社会の中で、
> 自分好みに最適化されたオススメで満足できるなら、便利は便利な仕組みですからね。
> ですが、それだと単に「作業」するだけになってしまい、
> 与えられるモノを「消費」するだけの存在になってしまうというのが、
> 前回、述べた話の主旨の1つではありました。
> 言うなれば、私には、石田徹也的な世界観↓に映ってしまうんですよ。
> https://heapsmag.com/wp-content/uploads/2018/08/Refuel-Meal.jpg
> そして、少なくとも私自身は、それでは満足できないと・・・・
>
> もちろん、様々な選択肢が共存する多様性が保てれば、理想なのですが、
> しかし現実的には、2極化する時代がそれを許してくれず、
> 今や、限られた狭い選択肢の中に、細かい選択肢が多数ある感じでしょうか。
> ミクロな視点からすれば豊かでも、マクロな視点では貧しく映る世界です。
> この辺りもまた、前回した話の主旨の1つですね。
> それしか知らない世代からと、違和感など全く無いのでしょうけど、
> そう移り変わった世代からすれば、多くが失われたと感じるでしょうし、
> そんな事は、常に変化する時代の中で、いつも行われてきた事であるとは言え、
> デジタル化やグローバル化がもたらした変化量は、他の時代の比では無いと。


うーん、ではデジタル化以前の人々は文化の消費ではなく、具体的に何をしていたのでしょうか?
私にはデジタル化以前も以降も半分以上の人は文化の消費しかしていない、というのはあまり変わりがないと思うんですよね。

▼ スクールカーストについて

> > 個人レベルでも、例えば最近はリア充オタクというオタク的には許せない存在がいまして(w)、
> って、現在のオタクの定義を用いるのであれば、リア充とだって普通に共用できる訳で、
> 何だか、こういう時だけ、以前のオタクの定義を持ち出すのは、ちょっとズルいと言いますか、
> 敢えて卑屈を演じる事による、下からの逆マウント取りの願望が出ちゃってる気がするんですよね。
> 「○○たんさえ居れば、俺のリアルは充実(ハァハァ」って具合に、
> 行っちゃってる意味での「リア充オタク」であれば、また別の話なんですけど(笑)。


まあ後ろにwを付ける程度に冗談として、許せない(w)という感じです。別に本気で許せないと思っているわけではありません。

昔のオタクはもっと濃かったみたいな話は他の場所でもまれに聞くのですが、実際どんな感じだったのでしょう?
私もなんとなく昔の濃いオタクにあこがれる気持ちはあるのですが、では濃かったと言われる昔のオタクが具体的にどのレベルなのかは全然知らないんですよね。

> > 私のクラスにもスクールカースト上位なんだけどガチの腐女子みたいな子がいたんですけども。
> > そういう女の子がカースト上位にいるのも、多様性の肯定でみんな優しくなっているともいえるのですが、
> > なんというか、その女の子が学校外でどういう存在で、
> > どういうことをしていようと、みんな関心がないといいますか。

> これは逆に質問なのですが、実際の所、「スクール・カースト」ってどんな感じなんですか?
> 元々、アメリカの学校には、そうした階級制度っぽい構図があって、
> それが2011年にNHK-BSで放送された、海外ドラマ「glee」のヒットをキッカケに、
> 日本でも広まっていった概念なので、実は10年にも満たない学校文化であり、
> 正直言って、私には実状が、よく解らないんですよね・・・・
> もちろん、それ以前の学校にも、漠然としたグループ分けはありましたけど、
> 言霊とでも言いますか、言葉として定義され、概念として普及するからこそ、
> 今度は人の方が、それに見方や考えが囚われて、構図が固まっていくモノですから、
> スクール・カーストという言葉が定着する前後で、やはり相応の変化はあったと思うんですよ。


うーん、大学生なのであまり学校外の社会のことは知りませんし、昔の学校を知っているわけでもないので、説明が非常に難しいのですが、
やはりカーストという言葉がピッタリだと思われて、世間で使われだすくらいには階級社会という感じでした。

> あと、「学校外でどういう存在か」に関しては、
> 昔とか今に限らず、やはり別個に捉えられてると思いますよ。
> ちなみに、カースト上位だけども「ガチ腐女子」というのは、
> 本人が公表してるから知られてるという事なのかな?
> 正直、ガチのレベルがどの程度を指してるかは不明ですけど、
> 一般人がドン引きするレベルのガチであれば、普通は公表しないでしょうし、
> 仮に公表したとしたら、カースト上位とやらは保てない気がするんですけど?
> それに一般的な腐女子文化だと、下から逆マウントを取りたがるスタンスなので、
> カースト上位でというのは合わず、何となくライトな印象を受けてしまいます。
> まあ、ちょっとマニアっぽい部分をチラッと見せて、男心をくすぐるというのは、
> 女性のモテ・テクニックとして、昔からありましたので、それだと腑に落ちますしね。


ガチ腐女子なのかどうかは、私にはわかりません。私は腐ってもないですし、女でもないので。
ただ男オタクから見て、こいつはなんちゃってオタクだよなと見抜けるほどではなかったので、ある程度はガチなんだと思います。
男心をくすぐるため説というのもないと思いますよ。普通にかわいい子だったので。
というか、容姿がよくなければカースト上位はまずは入れませんし、もしかしたらこの辺の容姿第一主義がスクール・カースト時代の特徴なのかな?

▼ 百合について

> それこそ、森永製菓の社長令嬢として、聖心女子学院で育った
> 前首相夫人である安倍昭恵さんの浮き世離れっぷりを見れば、それも少し実感できるかも?


ああ、あの人は女子校育ちだからあんな感じなんですね。
私もつくづく天然な人だなぁとテレビ見て笑っていましたが、そんな背景があったんですか。

> > 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> > 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> > やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> > 現在の百合の根底にあると思います。

> ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
> 難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
> いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
> それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
> キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
> それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
> 「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。


百合かといわれると微妙ですね。隣接文化でしょうか。ガンダムシリーズとガンプラみたいな。
一応別の文化だけど、深く関係している感じです。

> それと女装に関して言うと、昭和の頃から原宿などに出没する
> キャンディ・ミルキィさんという有名人が居られるので、今更キモいとかは思わないかな?(笑)
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A3
>
> > だからこそ、ここ最近はキャラの年齢層が低いきらら系よりも、
> > キャラの年齢層高めのアイマスやラブライブ、艦これの方が百合人気としては強いわけで。

> こちらも、百合人気の違いを示すデータとかは、何かあったりするのでしょうか?
> 上記を含め、この2点に関しては、ようやく具体的に聞けた「百合の変化」ですので、
> 是非とも返信を期待したい所ですね。
>
> いや、東方・アイマス・ラブライブ・艦これといった題材が、
> もう古典として、今でも安定的な人気を保っているのは承知の上で、
> それでも特に「百合人気」を測るというのは、なかなか難しい事だと思うので。


うーん、百合人気の違いを示すデータといわれるとなかなか厳しいです。
なんとなくの感覚しかないですが、きらら系の低年齢キャラの百合は30代以上の社会人メインな気がします。
それに対して、高校生以上くらいになってくるとどちらかというと20代以下くらいが多い印象かな?
で女装率が急激に上昇してるのがここ1、2年でしょうか?

> > VTuberが流行したのも、もちろん視聴者側の需要もありましたが、
> > 一方でかわいい女の子になってみんなからかわいいかわいい言われたいという
> > 供給側の需要もあったと思うんですよね(ただその大半が再生回数3桁レベルなのが現実の悲しいところですが)。

> この場合のVTuberとは、男性が美少女アバターをまとう「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の事?
> それとも、普通に女性がCGキャラを演じる一般的なアイドル系VTuberの事でしょうか?


Vの方は全然詳しくないので、普通に女性がCGキャラを演じる一般的なアイドル系VTuberが何を指しているのかわからないのですが、多分バ美肉の方で合っていると思います。

> まあ前者の場合、中の人が男性だからこそ、同性の心の機微に通じてるみたいな感じで、
> 「こんな可愛い子が女の子のはずがない」的な世界観を築いてる方も、きっと居るのでしょうが、
> しかしボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし、
> もちろん、美少女の皮を被る事で得られる快感も、確かにあるのでしょうけど、
> 基本的には、メタ的に、男性でありながら美少女を演じるエンタメ要素が強い印象も・・・・
> って、百合趣味少女×女装ドS少年の「まりほり」くらいなら、まだギリとしても、
> バ美肉おじさんまで行くと、果たして百合文化の範疇で捉えて良いモノなのでしょうか?
> 私も詳しく知ってる分野では無いので、いろいろ話は聞いてみたい所ですけどね(笑)。


ボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし
→いえ、慣れると案外気にならないらしいですよ。
確かねとらぼでそんなアンケート結果(美少女VTuberの声がおじさんでも応援しますかみたいなやつ)があったのですが、8割くらいの人が応援できるだったと思います。

最近ネットで百合と女装に関して雰囲気わかってもらえる感じの書き込み見つけたのですが、今検索してみたら消えていたので、保存してたぶん勝手にアップして共有しておきます。
https://up2.karinto.in/uploader/download/1615921411.txt パスワードは「百合」です。

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