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[23530] 世代と世界の「共通言語」としての文化(その2&追記)返信 削除
2021/3/24 (水) 22:06:47 徳翁導誉

▼ スクールカーストについて
> > > 個人レベルでも、例えば最近はリア充オタクというオタク的には許せない存在がいまして(w)、
> > って、現在のオタクの定義を用いるのであれば、リア充とだって普通に共用できる訳で、
> > 何だか、こういう時だけ、以前のオタクの定義を持ち出すのは、ちょっとズルいと言いますか、
> > 敢えて卑屈を演じる事による、下からの逆マウント取りの願望が出ちゃってる気がするんですよね。
> > 「○○たんさえ居れば、俺のリアルは充実(ハァハァ」って具合に、
> > 行っちゃってる意味での「リア充オタク」であれば、また別の話なんですけど(笑)。

> まあ後ろにwを付ける程度に冗談として、許せない(w)という感じです。
> 別に本気で許せないと思っているわけではありません。

はい、それは解ってます(笑)。
でも一方で、ネタ設定が定着してしまってガチ化したり、
ガチな状況が広まった事でネタ化したりという事も、時にはありますからね。
スクール・カーストなんていうのも、それこそ日本だと始めはネタ話だったでしょうし、
逆にアメリカだと、差別も絡んだガチな構図が、ドラマ化された事でネタ化した印象も?

> 昔のオタクはもっと濃かったみたいな話は他の場所でもまれに聞くのですが、実際どんな感じだったのでしょう?
> 私もなんとなく昔の濃いオタクにあこがれる気持ちはあるのですが、
> では濃かったと言われる昔のオタクが具体的にどのレベルなのかは全然知らないんですよね。

いや〜、私自身が実際にオタクだった訳では無いので・・・・
でもまあ、言えるとすれば、例えばアニメなんて今よりもずっと作品数が少なかったですし、
ゲームも今よりずっと高額だったので、1作1作をヤリ込む風潮は強かったですよね。
それがオタク層ともなれば、1作を更に深く掘り下げると。
だからこそ作り手側も、それに耐え得るように作り込む作品が一定数あった訳です。
今と比べれば小さな世界でしたから、極めようとすれば必然的に濃くなると。

しかし現在では、アニメ作品は量産化され、ゲーム作品も無料化や低価格化が進み、
1作1作を味わい尽くすよりは、次から次へと消化していく楽しみ方がメインとなり、
オタク的な楽しみ方も、掘り下げ型からデータベース型に移行していった気がします。
もちろん、データベース志向の楽しみ方自体は、ずっと昔から存在するのですが、
以前であれば そうした層は、オタク層というよりは「マニア層」に分類されていたかな?
そういう意味では、オタクの定義そのものが、マニアまで含む広い意味になったと同時に、
王道とされた従来のオタク的楽しみ方が、マニア的楽しみ方に主流を奪われた感じかも知れません。
言うなれば、「狭く深く」しか無かった所から、「広く浅く」へと変わっていった感じでしょうか。

ちなみに、昔のオタク・レベルの具体例となると、解りやすい所でパッと思い付いたのは、
マンガ夜話の「攻殻機動隊」の放送回(アニメ夜話の方じゃ無いですよ)でしたが、
う〜ん、20年以上前の放送だから、今だと何処かで見られるのかなぁ?
BSとは言え、NHKでそういう番組が出来てた時代が、確かにあったんですよねえ・・・・
逆に言うと、あんな地味でマニアックな放送内容なのに、
それが人気番組として10年以上続くくらい、そういう濃い視聴者も多く居た訳です。
という事で今回、記憶も曖昧になっていたので、内容の再確認がてら、
10年ぶりくらいに見返してみましたけど、やはり神回でしたね(笑)。

って、そもそも、「マンガ夜話」って番組の存在自体は御存知ですか?
1つのマンガ作品を、1時間掛けて、徹底的に語り合う生放送番組でした。
BSデジタル化に伴う、NHKのチャンネル削減の影響を受けて打ち切られたので、
最後の放送が10年くらい前でしたから、さすがにリアルタイムでの視聴は厳しいのかな?
とりあえず、番組出演者の1人であった岡田斗司夫が、
YouTubeで何本か、攻殻機動隊のマンガ解説動画をアップしているみたいなので、
それを見れば部分的にでも伝わるかも?(いや私はYouTubeの動画は見てませんけど・笑)

> > > > > 【以下追記】 > > > > >

その後、YouTubeを見ていたら、何の巡り合わせか、
ここ1〜2週間で、マンガ夜話を上げまくってる人を発見!!
全144回のうち、142回分あるみたいなので、ほぼほぼ揃ってますね。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLqYyhPV7mfynIxW4-GDMFfukCNvvNc369
って、これだけ多いと、さすがに選ぶのも大変でしょうから、
個人的に面白かった回を、記憶頼りに思い付くまま、適当にラインナップ(笑)。

 1位「攻殻機動隊」 https://www.youtube.com/watch?v=fzbqxGGg0kY
 2位「肉弾時代」 https://www.youtube.com/watch?v=7QEQ2ztWjbk
 3位「ブラックジャック」 https://www.youtube.com/watch?v=fnyp5ggNPxA
 4位「燃えよペン」 https://www.youtube.com/watch?v=JwBrEpzrefw
 5位「嗚呼!!花の応援団」 https://www.youtube.com/watch?v=Sd40TNbQxcE
 6位「みどりのマキバオー」https://www.youtube.com/watch?v=fssggJrVfhg
 7位「できんボーイ」 https://www.youtube.com/watch?v=Yl4UmyDffL4
 8位「アストロ球団」 https://www.youtube.com/watch?v=NUM2UPDsbMU
 9位「あしたのジョー」 https://www.youtube.com/watch?v=D18lVcvm66w
 10位「魁!男塾」 https://www.youtube.com/watch?v=U68d6R38Nnc

こうして改めて並べてみると、2000〜2002年が番組中期で最も脂の乗ってた頃かな?
2002年4月の「3夜連続・手塚治虫」(通常は1作家1作品に限定)により、
番組として1つの到達点に至った感じが、放送を見ていた当時も少しありましたからね。
ちなみに この番組は、自分が読んでない作品の回でも充分に楽しめますし、
オタク史的に見たいのであれば、却って知らない作品の方が、変に先入観が無くて良いかも?
個人的な思い入れがあると、批評に対して「それは違う!」と感情的になりやすいので(笑)。

> > > 私のクラスにもスクールカースト上位なんだけどガチの腐女子みたいな子がいたんですけども。
> > > そういう女の子がカースト上位にいるのも、多様性の肯定でみんな優しくなっているともいえるのですが、
> > > なんというか、その女の子が学校外でどういう存在で、
> > > どういうことをしていようと、みんな関心がないといいますか。

> > これは逆に質問なのですが、実際の所、「スクール・カースト」ってどんな感じなんですか?
> > 元々、アメリカの学校には、そうした階級制度っぽい構図があって、
> > それが2011年にNHK-BSで放送された、海外ドラマ「glee」のヒットをキッカケに、
> > 日本でも広まっていった概念なので、実は10年にも満たない学校文化であり、
> > 正直言って、私には実状が、よく解らないんですよね・・・・
> > もちろん、それ以前の学校にも、漠然としたグループ分けはありましたけど、

> うーん、大学生なのであまり学校外の社会のことは知りませんし、
> 昔の学校を知っているわけでもないので、説明が非常に難しいのですが、
> やはりカーストという言葉がピッタリだと思われて、世間で使われだすくらいには階級社会という感じでした。

例えば、「階級社会」を感じさせた具体的なエピソードとかって、何かあります?

> > それに一般的な腐女子文化だと、下から逆マウントを取りたがるスタンスなので、
> > カースト上位でというのは合わず、何となくライトな印象を受けてしまいます。
> > まあ、ちょっとマニアっぽい部分をチラッと見せて、男心をくすぐるというのは、
> > 女性のモテ・テクニックとして、昔からありましたので、それだと腑に落ちますしね。

> ガチ腐女子なのかどうかは、私にはわかりません。私は腐ってもないですし、女でもないので。
> ただ男オタクから見て、こいつはなんちゃってオタクだよなと
> 見抜けるほどではなかったので、ある程度はガチなんだと思います。
> 男心をくすぐるため説というのもないと思いますよ。普通にかわいい子だったので。
> というか、容姿がよくなければカースト上位はまずは入れませんし、
> もしかしたらこの辺の容姿第一主義がスクール・カースト時代の特徴なのかな?

容姿そのものと言うか、その「見せ方」の方が重要なんじゃ無いですかねえ?
もちろん、元の素材が良いのに越した事は無いでしょうけど、
オシャレとか、カワイイとかは、「雰囲気」で結構演出できる部分なので。

また、「モテ・テクニック」と書いた事で、意味的に限定して捉えられたかも知れませんが、
相手の心を掴むテクニックというのは、やはり存在すると思いますよ(私は苦手ですが・笑)。
知らなきゃ出てこないような名称や単語を、自然に1〜2度出すだけで、
ほとんど知識なんて無くて、相手は勝手に「詳しいんだ」と誤解してくれますし、
その分野が好きな人からすれば、それだけで心を許してしまう上、
語れるほど知らないから聞き役に回るだけで、好きで語りたい人には却って好印象に映ると。
例えば、アシモフやクラークの名前くらいなら、一般人からでも出てきそうですけど、
「谷甲州」という名前や、「シュバルツシルト半径」という単語を出すだけで、
多少なりとも、SFを知ってそうなイメージになりませんか?(笑)


▼ 百合について
> > > > もっと根本的な話として、近年は少子化や共学化の流れにより急減してますけど、
> > > > 90年代までは女子校って、もっと身近で一般的な存在だったんですよ。

> > > これは全く知りませんでした。
> > > どうしても百合の歴史のほうをさかのぼると90年代ではなく戦前のエスの方に目が行きがちなので。

> > それこそ、森永製菓の社長令嬢として、聖心女子学院で育った
> > 前首相夫人である安倍昭恵さんの浮き世離れっぷりを見れば、それも少し実感できるかも?

> ああ、あの人は女子校育ちだからあんな感じなんですね。
> 私もつくづく天然な人だなぁとテレビ見て笑っていましたが、そんな背景があったんですか。

まあ当然ながら、女子校育ちだからと言って、
皆が皆、ああいう感じになるという訳では無いですけどね(笑)。
ちなみに今回の事で、ちょっと調べてみましたけど、
こうして数字で見てみると、確かに世代の認識差があってもおかしくなさそう。

 1960年 高校数3533(共学2478・男子校409・女子校646) 男女別学30%
 1975年 高校数4923(共学3743・男子校435・女子校745) 男女別学24%
 1990年 高校数5487(共学4467・男子校340・女子校680) 男女別学19%
 2005年 高校数5407(共学4835・男子校164・女子校408) 男女別学11%
 2020年 高校数4856(共学4466・男子校101・女子校289) 男女別学 8%

男女別学が2〜3割あった時代なら、別に珍しくなかったモノが、
(これは男女合わせての数字なので、女子だけなら別学率は更に高くなるはず)
今では1割を切り、しかも主に大都市圏に集中しているとなると、
世代差だけでなく地域差も加わって、その実感を抱けない人もいるのかも?
比率低下だけでなく、そもそも高校生の人数自体が、ここ20年で半減してますし。

> > > 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> > > 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> > > やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> > > 現在の百合の根底にあると思います。

> > ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
> > 難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
> > いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
> > それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
> > キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
> > それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
> > 「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。

> 百合かといわれると微妙ですね。隣接文化でしょうか。ガンダムシリーズとガンプラみたいな。
> 一応別の文化だけど、深く関係している感じです。

では、百合と女装コスプレが「隣接文化」である事を示す根拠はあるのでしょうか?
ガンダムとガンプラなら、それを示すのも容易でしょうけど、
百合と女装コスプレは、それすらちょっと難しくありませんか?
現状では、旧トルコ担当さんが、そのように感じたというだけの話な気がして、
厳しく言うと、少なくとも現時点では、私はまるで腑に落ちていません。

> > > ただ、それを聞いた上でもやはり90年代の百合と現在の百合はやはり変化していると思いますよ。
> > >  (中略)
> > > だからこそ、ここ最近はキャラの年齢層が低いきらら系よりも、
> > > キャラの年齢層高めのアイマスやラブライブ、艦これの方が百合人気としては強いわけで。

> > こちらも、百合人気の違いを示すデータとかは、何かあったりするのでしょうか?
> > 上記を含め、この2点に関しては、ようやく具体的に聞けた「百合の変化」ですので、
> > 是非とも返信を期待したい所ですね。
> > いや、東方・アイマス・ラブライブ・艦これといった題材が、
> > もう古典として、今でも安定的な人気を保っているのは承知の上で、
> > それでも特に「百合人気」を測るというのは、なかなか難しい事だと思うので。

> うーん、百合人気の違いを示すデータといわれるとなかなか厳しいです。
> なんとなくの感覚しかないですが、きらら系の低年齢キャラの百合は30代以上の社会人メインな気がします。
> それに対して、高校生以上くらいになってくるとどちらかというと20代以下くらいが多い印象かな?

要するに、旧トルコ担当さんの個人的な肌感覚って事でしょうか?
pixivの話とかされていたので、作品ごとの新規投稿数と、
そこに付けられる百合タグの比率の違いとか、その辺の考察を想像してました。

ちなみに、きらら系の人気は年齢層が高めというのは、何となく私も解ります。
アニメ化基準で言うと、2007年に「ひだまりスケッチ」、2009年に「けいおん」で、
2011年に「ゆるゆり」、2013年に「きんモザ」、2014年に「ごちうさ」がですから、
きらら系のブームがあったのって、今から10年くらい前の話ですからねえ。
10年経てば、当時の大学生も社会人になってる訳で、投稿活動とかも減ってる事でしょうし、
ブームがあったからこそ、その時代を象徴し、時間の経過と共に落ちて行くなど、
そうした傾向は、もちろん「あるんだろうなぁ」とは思います。

あと、誤解の無いように言っておくと、
別に私自身は当時から、きらら系のファンだったとか、そういう事では無いですし、
そもそも百合自体、ほぼ関心がない事を、改めて言っておきます(笑)。
旧トルコ担当さんが、私の知らない「百合の変化」があると話されたので、
百合文化が萌え要素を内包した際の実例として、きらら系の話を出しただけですから。
で、結局の所、その変化というのは具体的に何だったのでしょうか?

「対象キャラの年齢層が高まった」という事であれば、それはそれとして変化なのでしょうけど、
でも一方で、百合が萌えまで含んだ際に、萌え方面に引っ張られていた状況が、
時間経過と共に落ち着いたと捉えると、それは「元に戻った」という変化なのでは?
もし仮にそうだとすれば、大本の話だった「新しい文化」とまでは呼べませんよねえ?
あと気になったのは、アイマス・艦これ・ラブライブあたりも10年戦士だと思いますが、
この10年の間に、一世を風靡するような、新しい百合題材の登場は無かったのですか?
そうなると結局、そちらの方面からも「本当に新しくなってるの?」という疑問は生まれます。

> で女装率が急激に上昇してるのがここ1、2年でしょうか?
こちらに関しても、データではなく肌感覚ですかね?
まあ別に、私はデータ至上主義者でも無いので、肌感覚も指標の1つにはしてますが、
ただ、私の肌感覚とは異なってる為、そうなるとやはり客観的なデータの登場ですよね。
前回も少し触れましたが、例えばコミケはコスプレの無秩序化を防ぐ目的で、
更衣室使用の義務化&有料化を始めた為、データが残されているのですが、
それを見ると、男性レイヤーの女装率までは解りませんけど、レイヤーの男女比が、
20年前は「男1:女4」、10年前は「男1:女3」、そして現在は「男1:女2」なのが解ります。
全体のレイヤー数は増加し、女性レイヤー数も微増なので、
つまりは、男性コスプレイヤーの絶対数が増えている訳ですね。

その一方で、近年はコスプレ・イベントの商業化が進んだ事で、
「男性レイヤーの女装コスプレ禁止」を謳うイベントが、かなり増えてるらしいんですよ。
だからと言って、女性レイヤーの男装コスプレを禁止しているイベントは無いと!!
これは、文化としてコスプレを見た場合には、非常に不健全な状態と言えますが、
コスプレする側は圧倒的に女性が多く、それをカメラで撮る側は男性が多い現実を踏まえつつ、
商業主義的な視点に立てば、「お客様が望まない商品は置かない」という姿勢になります。
まあ元々、男性の女装はネタに走りやすい傾向がありましたし、
スネ毛の処理などをしないと、非常に見苦しい印象を受けるのは確かなので、
排斥したい意見が多いのは理解できますけど、実際に排斥して良いかは別問題なんですよね。
性別・容姿・年齢・人種などで差別が横行しては、趣味の世界が窮屈になりますから。

で、結局は何を言いたいかというと、本当に女装率が増えたのかは解らないものの、
「男性レイヤー自体の増加」と、「女装コスプレに対する不寛容化」という2つの現象が、
現在起きているのは客観的な事実なので、女装率が急激に増えたと言うよりは、
単に「目に付くようになっただけ」という可能性も、有り得そうという話ですね。
それこそ、前々からある街中の広告看板とかでも、今までは気にも止めてなかったのに、
子供が産まれれば保育園の、自分が病気をすれば病院や保険の、親が歳を取れば介護や葬式の看板が、
急に目に入ってくるみたいに、周囲の変化より自身の変化で見え方は大きく変わるモノなので。

> > > VTuberが流行したのも、もちろん視聴者側の需要もありましたが、
> > > 一方でかわいい女の子になってみんなからかわいいかわいい言われたいという
> > > 供給側の需要もあったと思うんですよね(ただその大半が再生回数3桁レベルなのが現実の悲しいところですが)。

> > この場合のVTuberとは、男性が美少女アバターをまとう「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の事?
> > それとも、普通に女性がCGキャラを演じる一般的なアイドル系VTuberの事でしょうか?
> > まあ前者の場合、中の人が男性だからこそ、同性の心の機微に通じてるみたいな感じで、
> > 「こんな可愛い子が女の子のはずがない」的な世界観を築いてる方も、きっと居るのでしょうが、
> > しかしボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし、
> > もちろん、美少女の皮を被る事で得られる快感も、確かにあるのでしょうけど、
> > 基本的には、メタ的に、男性でありながら美少女を演じるエンタメ要素が強い印象も・・・・
> > って、百合趣味少女×女装ドS少年の「まりほり」くらいなら、まだギリとしても、
> > バ美肉おじさんまで行くと、果たして百合文化の範疇で捉えて良いモノなのでしょうか?

> ボイス・チェンジャーとかを使っても、やはり男性の声は騙し切れませんし
> →いえ、慣れると案外気にならないらしいですよ。
> 確かねとらぼでそんなアンケート結果(美少女VTuberの声がおじさんでも応援しますかみたいなやつ)があったのですが、
> 8割くらいの人が応援できるだったと思います。

いや別に、気になる気にならないの話をしているわけでは無いので・・・・
と言いますか、気にならなくなる事くらいは私も解ってますよ(笑)。

例えば、NHKで人気のチコちゃんとかも、5歳の少女という設定ですが、
中の人がオッサン(芸人の木村祐一)である事に、いつまでも違和感が残るようでは、
あのような人気を獲得する事など出来ないと思うんですよね。
ですが、その一方で、あの声を本当に5歳の少女のモノだと信じてる人もまず居ないと。
要するに、そうしたギャップも含めて、1つのキャラクターとして認知されてる訳です。
であるのに、5歳の少女という設定部分だけを切り出して、
その人気を「日本ロリコン化の象徴」なんて意見が出たら、「ハァ?」となるのと同様、
バ美肉という現象を、百合文化に求めるのは違うんじゃないの?と言いたかった訳です。

> 最近ネットで百合と女装に関して雰囲気わかってもらえる感じの書き込み見つけたのですが、
> 今検索してみたら消えていたので、保存してたぶん勝手にアップして共有しておきます。
> https://up2.karinto.in/uploader/download/1615921411.txt パスワードは「百合」です。

残念ながら、こちらのセキュリティー設定の関係なのか、
ダウンロードが行えなかったので、可能であれば概要とか語っていただけます?


▼ 国際言語としてのロシア語と日本語
> > > 別に30年前も書店では今ロシアで話題の本が山積みなっていたり、
> > > 映画館ではインド映画が上映されていたわけではないではないですよね?

> > いや〜、恐らくはこれは、有り得ない例として挙げたのでしょうけど、
> > 逆に、ピンポイントであった事例ですね(笑)。
> > ソ連崩壊がちょうど30年前なので、それなりに専門的な書店へ行けば、
> > 共産圏側の事を知る目的などで、ロシア語の書籍は今より大量に並んでましたし、
> > (冷戦中は、英語に次ぐ国際言語がロシア語でしたから)


> > > > > 【以下、一部加筆】 > > > > >

それこそ冷戦時代、特に東側諸国で育ったエリート層の共通語はロシア語であり、
例えばドイツのメルケル首相は東ドイツ出身なので、ネイティブばりにペラペラですし、
ソ連で幼少期を過ごした金正日は、息子たちにもロシア語教育を行ったらしいです。
(ロシア語経由の北朝鮮と、英語経由の韓国では、同じ外来語でも発音が異なるのだとか)
アメリカの国務長官だったオルブライトやライスも、冷戦中に学生生活を送った為、
大学時代にソ連研究を専攻していて、ロシア語はそれなりに話せるそうです。
また、シリアを始めとした中東の独裁国が、未だにロシアとの繋がりが深いのも、
家族の中に、ソ連に留学して現地女性と結婚した人も居るからという側面がありますね。
要するに、独裁者の甥や姪などが、ロシア人とのハーフという例も珍しくないと。

日本人の政治家ですと、2002年に殺された民主党の石井紘基とかは、
ソ連への留学経験もあり、現地の日本語学生と結婚するなど、ロシア語が堪能でした。
と言いますか、若い人ですと、この刺殺事件そのものを御存知ないかな?
https://www.youtube.com/watch?v=v3o2_YidBLQ
https://www.youtube.com/watch?v=47k8XBigAs0
こうした事件が、大して究明されないまま放置されてる、日本の現状も怖いですし、
モリカケ問題なども、それ単体で見るか、一連の流れで見るかで、大きく違ってくるかも。

あと、私が子供の頃、「高齢者=戦争経験者」だった事は、以前にも触れましたが、
これは同時に「旧植民地の高齢者=日本語話者」という事でもあったんですよね。
なので、今から10年くらい前までは、韓国や台湾はもちろん、
場合によっては、東南アジアやオセアニアでも、
現地で困った場合には、高齢者を捜せば日本語が通じる状況でしたし、
公的な場面では使いませんが、それらの国々の政財界トップも日本語を話せたと。
それだけに、時を越えて伝わる植民地支配をしていた実感があったり、
海外でも日本語が通じた感覚って、今だと想像するのが少し難しいかも知れません・・・・

「Japan as No.1」などと言われた時代には、日本語を学ぶ外国人も多かったですが、
今では、1つの島国でしか通じない難解言語を、わざわざ学ぶなど物好きくらいで、
そんな物好きたちの最大勢力こそ、海外の日本アニメ・ファンなのでしょうね(笑)。
マンガは日本以外の市場が小さいですし、ゲームも日本の存在感は激減しているので。


▼ アジア系外国人の絵に関して
> > > PixivとSNSでイラストレーターの存在が大きく向上
> > > スマホ時代になってからですが、PixivやTwitterで簡単にイラストが拡散されるようになったので、
> > > イラストレーターの存在感がやたらと大きくなりました。
> > > あとやたらアジア系外国人が多いのも特徴です。言語の壁が関係ないからなんでしょう。
> > > ぶっちゃけこっちの方がコミケ有料化よりもよっぽど大きい激変ですし、
> > > 同人界隈のピラミッドが二極化していっているのも、その最先端を走っているのはこういった神絵師だと感じます。

> > 欧米では「ファンアート」と呼ばれる分野で、それこそ日本よりも歴史が古かった気が?
> > 「アジア系が多い」という印象も、恐らく日本アニメの視点から見ているからでは?

ちょっと気になったので、ここでアジア系外国人の絵に関する歴史を。
例えば台湾出身の漫画家だと、鄭問(チェン・ウェン)という方が居て、
筆を用いた大胆な絵は、台湾のみならず日本でも評価され、
1990年には日本でも、週刊モーニングで「東周英雄伝」の連載を開始し、
2001年にはPS2で、彼の武将絵を売りにしたTVゲーム「鄭問之三國誌」も発売されました。
https://www.youtube.com/watch?v=UAkn0c--Z9M

続いて韓国出身の漫画家だと、尹仁完(ユン・インワン)&梁慶一(ヤン・ギョンイル)が、
韓国誌で連載されていた劇画調の「アイランド」が、日本人編集者の目に止まり、
2001年から同時進行で、日本の月刊サンデーGXでも「新暗行御史」の連載が始まりました。
(思えば、この頃はまだ、日本で「嫌韓」が流行する前でしたね)
まあこの辺の流れは、当時の「マンガ夜話」↓を見た方が早いかも?
https://www.youtube.com/watch?v=D3oNdrgfoYQ

言うなれば20〜30年前から、商業誌でさえ、そうした動きが既にあり、
そして現在、週刊少年ジャンプで連載中の「Dr.STONE」では、
韓国出身のBoichiが作画担当を務める程になっています。
これらからも解るように、まず最初に追い付くのは「絵」なんですよね。
鄭問にせよ、梁慶一にせよ、やはり絵が評価されての日本進出でしたし、
言葉を要しない絵の方が、ストーリーや編集技術などより、互いにダイレクトに伝わると。
ですから同人でも、外国人の絵師が増えてる事自体は、当然の流れとも言えます。
ちなみに、韓国や台湾が民主化され、中国が市場経済に移行したのが、
ちょうど同じく20〜30年前ですから、世界情勢の変化とリンクした側面はありそうですし、
(日本文化開放の第1弾として、韓国で日本マンガの輸入が解禁されたのは1998年)
更にはネット時代の到来も重なった事で、見る機会も発表する機会も格段に増えました。
また、そもそも海外のファンサブ活動って、早い時期からネットを活用してましたからね。

あと、例えばフランスなどを始め、海外で日本のサブカルを紹介する
「ジャパン・エキスポ」みたいなイベントが、行われていたりするのですが、
ここに、韓国人などの作家が参加する事に、日本の一部から非難の声が上がったりします。
ですが、日本サブカルの影響を受け、日本流の文法で作られた海外製のアニメ・マンガ・ゲームも、
本流(本家)では無いかも知れませんが、傍流(分家)の日本発サブカルではあると。
つまり、ここで言うジャパンとは、日本発のサブカルの事であって、
国家としての日本とは、必ずしもイコールではないと。
これは、アメコミの文法で作られていれば、仮にカナダ人やメキシコ人の作品でも、
ほとんどの読者は、気にせず「アメコミ」として認識するのと同じ事ですよね。

海外から輸入された「Animation」が、日本化されて「アニメ」となり、
逆に海外へと輸出されて「Anime」となっているのが、現在の状況であって、
海外製の作品でさえ、Animeであればジャパンだと人々に認識させる、
その文化的な波及力こそ、本来なら「日本スゴい!」と誇って然るべき所なんですよ!!
それが変にナショナリズムを拗らせた場合、それすら理解できなくなってしまうと・・・・

> > > > > 【以下追記】 > > > > >

ただ一方で、源流は日本にあっても、将来的には海外作品に市場を席巻される可能性も?
特にアニメなんて、下請けで韓国や中国に出していて、日本だけでは作れなくなってますし、
そうやって彼らも技術を身に付け、しかもデジタル技術なら習得も早いので、
戦後の製造業で日本がアメリカに行った事が、今後の文化産業で逆に起こされる事も?
そういう意味では、自身も大事ですけど、同時に危機感も必要かも知れません。
まあ家電生産などとは違い、文化生産は機械に頼れない分、人口がモノを言うので、
韓国や台湾は大丈夫かも知れませんけど、中国はちょっと侮れないかも知れません。

もちろん、現状だと質的には、日本どころか韓国や台湾よりも下でしょうけど、
多くの名作を生む土台には、それ以上に量産される駄作を受け止める市場が不可欠であり、
逆に言えば、それだけの巨大な市場と、そこへ供給する作家の数と質が上昇すれば、
名作が量産されてく条件は、必然的に揃って来るんですよね。
そうなると、どこが元々の起源か?とかは関係なくなってきます。
そもそも日本の文化も、多くは、そうして築き上げてきたのですから(笑)。
とは言え、もしも日本産よりも中国産が主流になった場合、
どちらにせよ元々が異文化なので、海外のユーザーはあまり気にならない文化の違いも、
日本人だけは、国産から外国産に変わるわけで、小さな違いを大きく感じるでしょうね。
それだけ今までの日本は、日本人に最適化された文化に慣れ続けてきたと言うか、
直輸入の海外文化が市場を席巻する、文化的な植民地の経験をしてきてませんでしたので。

ところで中国と言えば、私は一昨年、東京五輪もあるし、消費税も10%に上がるからと、
4Kテレビを購入する為に、いろいろと物色していたのですが、
その頃はまだ、中国メーカーの製品は安いけど、処理能力がイマイチで、
正直、早々に選択肢の中から脱落していたんです。
しかし先日、たまたま店舗で見掛けた所、東芝のテレビ部門を買収した中国ハイセンス社が、
レグザ・エンジンを搭載させた事で、処理能力が凄く上がってたんですよね!!
(ロシアW杯でハイセンス社の広告看板が、日本戦だけレグザ表示だったのも時代を象徴)
まあ商品寿命までは解りませんけど、あの性能で価格が半分なら、
国内はまだしも海外市場では、もう日本メーカーは勝負にならない気がします・・・・

また、性能と値段のコスパ面だけでなく、技術開発の面でも、
液晶テレビの次に来ると目される「有機ELテレビ」に関して、
有機ELパネルの製造が、韓国LG社とサムスン社のほぼ独占状態にあり、
数ある日本の家電メーカーも、韓国からの輸入に頼ってるのが現状のようで・・・・
価格競争だけでなく、技術競争まで苦戦となるとは、既に次の段階に入ってますよね。
(ちなみに有機ELは確かにキレいでしたが、まだ寿命が短く高価格だったので断念)

モバイル通信でも、以前は最前線で競えてたのが、5Gでは遅れを取ってますし、
昨今の新型コロナも、開発競争力は弱いけど、完全に輸入依存型でも無い現状が、
日本のワクチン接種を遅らせてしまっている部分も、幾らかあると思うんですよね。
下手に日本企業には力が残っているから、それを政治的に保護する方向に目が行き、
1億人の国内市場もそれなりの規模なので、何とか持ちこたえて来たものの、
グローバルな波が突然押し寄せると、世界と伍していく実力は既に乏しいと(泣)。
現時点では堅調な自動車も、今後は電気自動車がメインになるでしょうし、
もっと言うと、車自体のハード面よりも、それをどう活用するかのソフト面の方が、
これからは重要になる気がしますから、日本は更に国際市場で苦しくなるかも知れません。
先発の優位性を活かせなければ、後発の優位性に飲み込まれちゃいますから。
いや本当、ただでさえ縮小中の日本社会が、国際競争力さえ失った際、一体どうなるのか?

凄い身近な例ですけど(笑)、ウチの最寄り駅の駅前で言いますと、
ここ十数年の間(コロナ禍以前)に、パチンコ屋は5店から2店に減少し、
本屋4店・古本屋5店・TVゲーム屋3店・ゲームセンター4店は全滅。
マクドナルドも、サーティワンも、ミスタードーナツも姿を消しました。
だからと言って、駅の利用客が減ったのかというと、逆に2割増えてるんですよね!?
もちろんネット移行した需給もあるでしょうが、それらが全てを掬えてるはずも無く、
どこも商店街は大なり小なり同じ感じで、街の賑わいが消え行く姿は寂しい限りです。
ショッピング・モールにしたって、ちょっと陰りが見えつつありますからね。
しかも、ただでさえ人口減少時代に突入した上、今回のコロナ禍まで加わって、
良くなる要素どころか、悪くなる要素ばかりが目立つ現状では、この先も・・・・


▼ 追記への返信
> 2010年代くらいに書かれた本だったと思うのですが、
> その著者曰く、今の若者世代には共通の言語というものが存在しないと。
> それは漫画でもいいし、ライトノベルでもいいんだけど、
> この世代ならばみんなが何となく知っている何かという共通のものを持っていたほうがいいと思うのだけれど、
> 今の世代にはそういうものが無いと。
> で、この話って若者世代である私からすれば正しいと思うんです。
> 確かに我々の世代には、何かみんなが知ってる漫画とか、そういうものって無いんですよね。
> そしてその共通の言語みたいなものを持たなかった、作れなかったというのは、我々世代の選択だと思うんですよ。
> 決してそれは貧しいからではなく、我々はそういう方向性を自らの意思で選んでいったと。

ぶっちゃけ、そんな主体的に「世代の選択」を皆でとかしてると、本気で思われてます?
大半の人は文化を消費するのみという、これまでの話とは、まるで異なる解釈になってると思いますよ。
それに例えば現在、鬼滅の刃が異常にヒットそてますけども、その理屈で言うと、
今の子供たちが「これを私たちの共通作品にしよう」と、そんな感じで選んだと思えますか?

基本的にヒット作というのは、産むモノなのではなく、産まれるモノなんです。
マンガの話であれば、例えば「ジャンプ黄金期」と呼ばれる時代は何度か訪れましたけど、
逆説的に言うと、黄金期と黄金期に挟まれた「冬の時代」は、どうしたって出てくるんです。
それは運的な要素もありますし、時代の巡り合わせというモノもあるのですから、
別に、素直に「自分たちの世代はヒット作に恵まれなかったね」で良いじゃないですか。
そこを無理して、変な理由をあれこれ付け加える事こそ、却って拗れさせてる印象を受けますよ。

あと、そんな言うほど、本当に「誰もが知ってる作品」って無かったんですかねえ?
実際に少年マンガで考えてみると、
60年代から70年代にかけて「あしたのジョー」「巨人の星」があり、
80年代には「北斗の拳」「キン肉マン」「タッチ」があり、
90年代には「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」があり、
00年代には「ワンピース」「ナルト」「名探偵コナン」があり、
10年代には「進撃の巨人」「銀魂」「キングダム」があり、
20年代となった現在も「鬼滅の刃」「呪術廻戦」があるじゃないですか。

まあ確かに2010年代のラインナップは、他の時代に比べると少し弱い気もしますが、
でもそれは、2000年代の作品が長期連載だった事も大きいと思うんですよね。
要するに、00年代の代表作は、10年代においても代表作であったと。
人気作でも連載期間が数年だった2000年以前は、
まさしく、「これは俺たち世代の作品だ!」って独占感がありましたけど、
数世代に渡る人気作には、話が通じる幅の広い共有感がありますし、
独占感が弱くても、世代的な共通言語の役を成さない訳では無い気がします。

ただその一方で、単行本よりも週刊誌で読む方が、
リアルタイム的な連帯感は、強まっていくかも知れませんね。
(前述した深夜ラジオも、生放送ゆえに、そうした連帯感は非常に強かったですし)
また、週刊誌であればこそ、毎週毎週決まった曜日に、常に盛り上がれる話題があり、
時には校則に反して学校に持ち込み、先生に隠れて、みんなで回し読みをした経験は、
作品それ自体(共通言語)以上に、「共通体験」として強く記憶に刻まれてるはずです!!
そう考えると、その世代を代表するヒット作の有無よりも、
週刊誌から単行本、更には電子版へと移行し、マンガが個別体験となった所こそ、
「共通言語の消失」という面では、実は大きいのでは無いでしょうか?

> 同じように、現在の日本の文化環境、本屋がAmazonに置き換わり、見かけ上の選択肢は増えていても、
> 実際の選択肢の幅は減少している、という状況もまた我々が選び取ったものだと思うんですよ。
> もちろん日本経済がもっともっと豊かであれば両方を残すことはできたのかもしれません。
> しかし、現実には無限に経済的資源があるわけではない中で、
> 今の文化環境というのは経済の原則により決まったという側面はあるのでしょうが、
> 必ずしもそういう側面だけではないと。


> > > > > 【以下、一部加筆】 > > > > >

これって何か最近、似たような話を聞いた事があるなぁ・・・と思ったら、
昨今、アメリカを中心に世界各国で訴えられるようになった「メリトクラシー批判」ですね。
元々はSF的な用語なので、意味は既に御存知かも知れませんけど、
メリトクラシーを日本語に訳すと、能力主義や業績主義って意味になるのかな?
「業績(merit)」と「支配(cracy)」とを組み合わせた造語です。

ちなみに、官僚の採用や昇進を能力判定で行うシステムを、英語で「merit system」と言います。
日本では実質的に、明治になるまで導入されなかったものの、
中国や朝鮮・ベトナムには古くから科挙制度があったので、馴染み深いシステムなのですが、
実は欧米諸国だと遅くて、試験や資格で官僚を任用するのは、1800年代後半になってからの事でした。
欧州を脅かしたオスマン帝国の強さの否決として、以前より注目されてはいたんですけどね。
とは言え、やはり国家が近代化するまでは、なかなか縁故主義を手放せなかったと。
(絶対王政下の官僚制に比べれば、こちらの方が民主的だという認識も一方でありました)

で、メリトクラシー批判の内容というのが、本当に純粋な能力で差が生じてるのではなく、
グローバル化と新自由主義化により暴走を始めた、ここ十数年の資本主義が、
環境の違いで生じた差を、努力や能力の差と置き換え、格差の固定化を正当化したり、
労働賃金を安く抑え続ける為の方便として、メリトクラシーの概念を押し出すようになったと。
(考え様によっては、理論武装された縁故主義への先祖返りかも?・笑)
しかも、こうした事が10年以上も続き、今後も改善される見込みが薄いという事で、
今の若い世代が、それを当然の事として受け入れてしまい、却って下支えする状況が、
この社会問題を更に深刻化している・・・といった類の話ですね。
「皇帝権力を真に支えているのは、優秀な官僚でも、強力な軍隊でもなく、大多数の従順な農民である」
みたいな話と、かなり近いかも知れません。

例えばスクール・カーストなども、社会における再階級化の1つの現れかも知れませんけど、
カースト制を是認する事は、その制度を支えて強化する構成員となりますので、
制度を否定する人からすると、仮に最下層の人であっても、加害者として映ります。
そこまで背負った上での、「我々が選び取った」発言なのでしょうか、これは?
また、「我々」という言葉を使ってますけど、実際に確かめられた上での我々なんですか?
何だか、全ての価値基準を、自身の感情に結び付け過ぎてませんか?

> 私自身は今の、マニアックなものでも検索すればたいていたどり着ける環境というのが好きですし、
> 昔とどちらが良いかと聞かれれば、本屋が失われて選択肢の幅が狭まったのを知ってもなお
> 昔より今の環境のほうが好きです。

ふと感じたのですが、ネット検索の限界って、どれくらい感じられてます?
また、その時の対処法って、どのような手段を持たれてます?

あと、アナログしか無かった昔が昭和世代で、
デジタルのみになりつつある今が令和世代として、
アナログとデジタルが共存したのが平成世代ですからねえ。
「昭和か? 令和か?」という2択であれば、そりゃ私も今を選びますよ(笑)。
とは言え、これって別に、無理して2択にするような話ではないでしょうし、
かと言って、アナログもデジタルも全て残せという極端な話をしている訳でもなく、
ただ単に「温故知新」の精神で、古いモノも、新しいモノも、
良いモノを残していけば良いというだけの話なんだと思うんですよ、本来なら。
そこが、良さよりも「経済性」や「効率性」が最優先されているのが現状であると。
もちろん「コスパ(費用対効果)」も重要ですけど、価値基準ってそれだけじゃ無いですからね。
逆に言うと、現在はコスパ至上主義に陥ってる感があります・・・・

> > > > > 【以下追記】 > > > > >

それと「検索する」にしても、事前に取っ掛かりが無いと「調べる」事さえ行えないですよねえ?
また、前回も少し触れましたけど、調べる前から、それっぽい答えを与えられると、
ググらない若者のように、わざわざ調べようともしないですし、
いざ調べようと思っても、本格的に調べるコツが解らない・・・・
サジェストされる候補ワードの中から選び、出てきた1ページから探すだけでは、
まともに深い情報なんて出てきませんし、それで満足できちゃう程度だとも言えます。

そういう意味では、検索エンジンの特性を知る事だったり、
本当に欲しい情報に辿り着く為に必要な事前の用語知識だったり、
余分な情報を排除する為のワード・センスだったり必要となりますけど、
それらを駆使しても尚、ネット上にある情報だけでは限界に達するんですよね。
どんなに検索した所で、デジタル化され、公開されてる情報には限りがありますから。
そうした場合、やはり残されるのは、アナログ的な情報取得になります。
もちろん、アナログ情報だけあれば充分な訳ではなく、
アナログにはアナログの、デジタルにはデジタルの、それぞれ長所と短所があり、
それを上手く組み合わせていくのが理想的な姿なのですが、
最近は、アナログが姿を消し、デジタル化一辺倒になりつつあると・・・・

そして、これは「ノイズ」の話にも繋がるのですが、
デジタル情報だと、ほぼ自分が欲しい情報しか入って来ないようになる為、
アナログ情報みたいに、別に求めてなかった情報まで入ってくる機会が少なくなります。
そうなると、どうしたって視野は狭くなりますし、調べる取っ掛かりすら得難くなります。
最も解りやすいのはニュース情報とかでしょうか?
テレビや新聞なら、知ろうとも思わなかった情報が、思わず手に入ったりしますが、
ネットだと知りたい情報ばかりとなり、自ら新たに知ろうというのも実際は難しい。

言うなれば、食事における「配膳方式」と「バイキング方式」の違いみたいなモノですよね。
配膳方式だと、苦手な料理も出てくる一方で、新しい出会いもあり、そして何よりバランスが良く、
バイキング方式だと、上手く使えば理想的なものの、実際は好きなモノばかりでバランスを欠きがち。
なので学校給食などでは、バイキング方式よりも配膳方式の方が適しているでしょうし、
もしも小中学校でバイキング方式を採用する場合は、事前の「食育」が必須かと思われます。
そういう意味では、ネット使用の食育にあたる「情報リテラシー」教育も重要だと感じますが、
現実問題として、それが充分満足に行われているとは、とても思えず・・・・
ネットは、あくまでも「道具」なので、使い方を覚えれば非常に便利ですけど、
逆に、その道具に振り回されてしまうような現状というのは、あまり望ましい状態とは思えません。

> そして多分、これは他の大多数の人も同じなのではないでしょうか?
> それは私みたいなマニアとは真逆の、流行を追いかけている層の人もまた、
> 今のほうが流行の質が高くなって面白いと。


> > > > > 【以下追記】 > > > > >

以前にも言いましたけど、確かに絵のレベルは非常に高くなってます。
そして、これはPC使用によるデジタル化が途轍もなく大きいですよね!!
一昔前までは、マンガをPCのみで描くなど、想像もできませんでしたし、
アニメもデジタル化直後は、いろいろ否定的に言われましたが、
(いや本当、1997年のリメイク版「Dr.スランプ」など酷評の嵐でした・苦笑)
今回の「鬼滅の刃」ブームが、普段アニメを見ない大人たちに衝撃を与えたのも、
記憶にある手書きセル画時代とは様変わりした、映像レベルの高さでした。
それこそ、この前の「呪術廻戦」18〜20話の出来なんて、私も少し驚きましたもん(笑)。

ですが一方で、昨今の作品のストーリーに関してはどうでしょう?
量産される1クールアニメでは、まともにストーリーも描くのは困難ですし、
オリジナル作品が減り、原作改編も無いとなると、それは尚更となります。
しかも萌え4コマ原作が隆盛を極めて以降、ストーリー軽視の流れが生まれており、
ストーリー至上主義では無いですけど、やはりそれ一辺倒になるのは・・・・
何だかんだで、こうした創作物にとって最大の武器はストーリーだと思いますし、
その辺りの質が落ちている感は、やはり否めないと思うんですよね。
まあ経済的に言えば、その場その場で消費され続けるのでも良いかも知れませんが、
それでは、記憶にも、後世にも、残らない作品ばかりになると。

一消費者目線で語るなら、そこに大した問題は感じないかも知れませんけど、
そうした傾向が続き、持続してしまうようだと、やはり文化の停滞では無いでしょうか?
文化史的にも、よくある事なのですが、当時の人たちは満足してても、
他の時代と見比べた時に、「面白味に欠ける時代」と切り捨てられる事は多いんです。
日本の江戸時代だと、250年の中でも特に元禄文化と化政文化が注目されたり、
西欧文化史は、ローマ帝国からルネサンスまでの間、1000年くらいを空白扱いされたりと。
もちろん、欧州に1000年間も文化が無かったはずが無いのですが、
後世から見た時に、確かに目を見張るようなモノが少ないのは事実なんですよね。
そして、当時を生きた大部分の人たちにとっては、
他と比べる情報を持ち合わせない以上、それは感じられない事であった訳です・・・・
まあ宗教社会において、信者たちを「無知の幸福」状態に置く事は、利益がありますし。

> ただそれは管理人さんの好みではないわけですよね。
> ですがそれは結局のところ管理人さんの好みに合わないというだけであって、
> 必ずしも日本の文化環境が悪くなっているというわけではないのではないでしょうか?
> そういう風に考えたほうが、今のトランプフィーバーも、世代内の共通言語が失われたという状況とも、
> 整合性が取れると思うんですよ。


> > > > > 【以下追記】 > > > > >

まさに、トランプ現象やサンダース現象などは端的な例ですけど、
2極化と言われると、「ふたこぶラクダ」みたいな連想をする人も多いかも知れませんが、
しかし実際は、そこまで極端に分かれる事はほぼ無く、基本的には「ひとこぶラクダ」です。
では2極化で何が変わるのかとなると、こぶの高さや傾きが変わって来るんですよね。
「富士山型」から「台地型」に変わると言えば、イメージしやすいでしょうか?
要するに、中央部が格段に分厚く、両端部がかなり薄かった山が、
次第に中央が低く、両端が高くなる事で、なだらかな丘のようになって行くと。
「なだらか」と言うと、何だか平等になって良い感じがしますけど、
でもこれは分布図なので、中央に集中するほど平等であり、均等になるほど不平等なんですよね。
ちなみに、中央部が平均値よりも低くなる盆地化が進むと、
それこそ、ふたこぶラクダ型になって行く訳ですが、まあそうなるのは稀です。

そして、これは選挙みたいな実例が、最も解りやすいんですけど、
中央部が分厚い場合は、中央に近いほど多数意見を獲得しやすいので、
右派の候補は左へ、左派の候補は右へと寄っていき、左右の差が小さくなって行きます。
ですが2極化が進み、なだらかな丘状の分布になっていくと、
まずは右派内と左派内で候補を絞る段階で、今までよりも両端に寄った方が勝ちやすくなります。
中央部に複数の候補がいる時などは特に明確で、薄くなった中央で票の取り合いがされてる隙に、
厚くなった両端の票を抑えていく方が、内部での勝利に近くなります。
そうする内に、中央の低下と両端の増加が更に進むと、中央で争う人たちが減り、
両端で争う人たちが増えて、その中で目立つ為に過激化して更に極端な方向へ進んでいき、
そうやって、増加する極端な少数派の声ばかりが大きくなり、
その反動で、減少する平均的な多数派の声は静まり返ると・・・・
で、それを押し進める装置こそが、インターネットなんですよね(泣)。

2極化が叫ばれる現在においても、そして2極化が更に進んだ未来像においても、
恐らく実際は、平均的な主張の穏健派が多数派なんだと思うんですよ。
しかし、声の大きな少数派「ノイジー・マイノリティー」の数も、今後は更に増えるでしょうし、
それはネット社会とも相俟って、今以上に大きな影響力を及ぼす事になるでしょうね。
昔であれば、「馬鹿は黙ってろ」と一喝し、それでも収まらなければ殴れば良かったのですが、
文明的になった今の時代、常識的な多数派は、そこまでは出来ませんからねえ(苦笑)。
逆に言うと、今の時代に恥ずかしげも無く、それを行えてしまうのは、うるさい少数派の方だと。
そして、左右両極のバランスが崩れた時に、社会全体が一気に右や左に引っ張られてしまう。
それこそが現在の状態であり、将来的にはその傾向が更に強まることが予測されます。

酷い酷いと言われたレーガン政権も、ブッシュJr.政権に比べればマシでした。
酷い酷いと言われたブッシュJr.政権も、トランプ政権に比べればマシでした。
そして、酷い酷いと言われいた昨今のトランプ政権も、
今後登場するであろう、更に右傾化した政権よりは、きっとマシなんでしょうね。
何もこれは右派に限った事ではなく、左派だって全く同じ事なんですけど、
ただ右派の方が、何かと言動が単純明快なので解りやすい上に、
左派優勢だった冷戦期の反動から、現在は右派優勢だという時代の流れもあります。

まあ、社会に余裕が無くなると、とにかく自分の生活を守る為、全体的に右へと傾き、
そして多くの人たちの生活が壊されると、今度は一転して左へと傾き、
成長しながらパイを分け合うまでは左的で、成長しきってパイを奪い合うと右的になるという、
人間社会の歴史的なサイクルも見受けられるでしょうか?
ちなみに、右から左へと急旋回させる為の現象こそが、戦争であり、革命であると。
とは言え、一発で大転換せず、右へ左へと大きく揺れ動くパターンもありますし、
そもそも、思想的な全体主義は右であり、経済的な全体主義は左だったするので、
何を以て右や左と捉えるか次第で、この見え方も大きく違ってくるかとは思いますけど、
難しく考えずに言えば、「自分優先か? みんな仲良くか?」のバランスの変動ですよね(笑)。

自分に余裕がある時は他人にも優しくできて、自分に余裕がない時は他人の事など二の次で、
それでも自分が困った時には他人に助けてもらえると有り難く、
常に助け合えれば理想なのだけど、やはり現実的にはなかなか難しいと。
伝統的価値観がどうとか、社会的公正さがこうとか、一方的に正義を振りかざすよりも、
理想と現実の間で、みんなの満足平均点をどれだけ上げられるか?だと思うんです。
で、専門的な話になると、最大幸福社会を目指すか? 最小不幸社会を目指すか?となるのですが、
これにしても、どちらが一方が正解とかではなく、やはりバランスなんだと思います。

受験勉強にしたって、得意科目を伸ばすか? 苦手科目を克服するか?の二者択一ではなく、
安直に正解を求めないで、どっちも目指せば良いんですよ(笑)。
もちろん、それは時間を要する方法ですし、努力も工夫も必要でしょう。
一方で、受験生には入試、政治家には選挙、人生には寿命という期限があり、
その中での効率性を考えると、短期的な最適解と、長期的な最適解は、おのずと異なってきます。
ですけど、人類社会の歴史というのは、それよりずっと長くて時間もある訳ですし、
そういう意味での全体的価値観で、個人的利害とバランスを取りながら、
社会を営んでいけるシステム作りこそ、最も重要だと思うんですよね。
我々は人間である以上、個々の崇高な理性に頼る理想論では、上手く行きっこ無いので(苦笑)。

> 他はそうだけど、他はLINEで24時間仲間内とつながるのが流行だけど、文化だけはみんな多様性を欲しているんだ。
> 文化だけはみんな選択の幅が狭くなって悲しんでいるんだ、というのはどうしても説得力がないと思うんですよ。

何だか ようやく、話が噛み合わない理由が解ってきたんですけど、
社会的な「文化」という大きな枠組みの話題を扱っているのに、
個人的な「好み」という小さな主観で、そもそも話をしてるはずが無いじゃないですか!?(苦笑)
もっと言うと、御自身の個人的な好みという視点から、文化というモノを語っちゃってません?
それだと結局、自分の見方でしか他者を判断できないので、本当の意味で他者を理解できませんよ。
自分には自分の見方があるのと同様、他者には他者なりの見方があるのであり、
その全体像を捉えようとすれば、必然的に、高所から俯瞰的な見方をする必要が出てきます。
もちろん、最終的には誰もが主観的に解釈を行うのですが、
それこそ、主観の範囲外にあった他者の雑音を、キチンと情報として理解できる事で、
その客観性というのは、格段に精度を上げていく事が可能なんですよね。

「文化だけはみんな多様性を欲している」とか、
「文化だけはみんな選択の幅が狭くなって悲しんでいる」なんて、
そんな風に言ってると勘違いしちゃうのは、主観でしか見えてないからだと思うんですよね。
個々人のレベルで言えば、「自分の好みだけあれば満足」なんていうのは、当然の話なんです。
ですけど、人の好みはそれぞれ異なる以上、個々人の好みを満たす為には、
社会的な多様性が必要であり、社会的な選択の幅が必要なんです。

解りやすく、食べ物の話で喩えるとすれば、
ラーメンでも、カレーでも、寿司でも、ハンバーガーでも、ピザでも、焼き肉でも、
それぞれ好きなモノがあれば、それを自由に食べれば良いんです。
別に、それら全てを食べる必要はなく、ラーメンばかりとか、カレーばかりでも構いません。
また、自分は寿司は嫌いだとか、そういうのがあっても全然問題ないんです。
ですが、「自分はラーメンだけあれば満足」と、それ以外を全て無くしてしまっては、
その人自身は困らなくても、カレー好きな人が困ってしまいますし、
逆に、カレー以外を全て無くされた場合には、今度はラーメン好きが困ってしまうんです。
それは、ラーメンが好きだとか、寿司が嫌いだとか、そういった次元の話では無いんですよ。
ラーメンしかない世界にして、「ラーメンだけでも醤油・味噌・塩・豚骨と好きに選べる」とか、
ラーメン以外を知らずに、「みんなラーメンを美味しいと言ってる」とかなっても、
それは決して、カレーや、寿司や、ハンバーガーや、ピザや、焼き肉の代替になる事を意味しません。
みんなで一緒にラーメン屋に行く事と、みんなで一緒に行けるのがラーメン屋しかない事は違います。
いや、私もラーメンは好きですけどね(笑)。
でも、ラーメンしか選べないのは、御免被りたいです。

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