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[23594] Re:前回に返信の意図と、今後の希望について返信 削除
2021/6/1 (火) 20:00:52 徳翁導誉

> > > 管理人さんは昔の新聞や雑誌的な時代の情報源しか持っておらず、今上がったような例は知らないので、
> > > 超グローバルと超ローカルのグローバルのほうしか見えていない、
> > > だから選択肢が狭まったように感じているのではないか?というのが私の見解なのですがいかがでしょうか。
> > > といいますか、私は管理人さんが極ローカルの存在を知ってるものだと思って話してたんですよ。
> > > 今まで話がかみ合ってこなかったのも、ここが原因だったのでしょうね。
> > > 私はてっきり管理人さんは戦国史のシナリオ作られてりしていますから、そいうい世界は知っているものだと……

> > う〜ん、ここまで説明して尚、
> > そういった理解に至り、それで満足されるのであれば、
> > もう、それで良いんじゃないですか?
> > 柔軟な思考には、若さ以上に姿勢こそが重要でしょうし。

> もし私の文章が管理人さんを不快にさせているのであれば大変申し訳ありません。

いや別に、不快に感じたとか、怒ったとかいう事では無いですよ。
ただ、少し徒労感を抱いたというのは、偽らざる本当の気持ちですね。

前回、返信を3分の1ほど書いたものの、未投稿に終わったというのも、
話題的にループし出した為、「繰り返しになりますけど」という書き出しが多かったり、
話の前提が大きくズレ出した為、「当然の話ですけど」という書き出しが多かったりと、
流れ的に負のスパイラルに陥り、このままでは不毛な方向に迷い込む実感があった為、
そういう意味では、一種のショック療法的な方法を用いて、
その悪い流れを変えたい意図があっての、あのような文章でもありました。

まあ正直言うと、これまでにも3回ほど、密かに別の方法で軌道修正を図っていたのですが、
その度に、却って裏目に出てしまっていた感じがありましたからね(笑)。
ただ今回の方法だと、恐らく旧トルコ担当さんを混乱させるであろう事は想定でき、
申し訳ない気持ちもあったのですが、これ以上の方法が思い浮かばなかったもので・・・・

> しかし、結果として管理人さんの誤解を招いた場合は、それは私の文章に問題があったと思っております。
> すみませんでした。

いえいえ、確信犯的に敢えて行った私の方が、謝るべきなんでしょうね。
こちらこそ、すみませんでした。


> 私自身、年齢を重ねるごとにネット以前の世界の記憶と言うのはあいまいになって来ています。
> (私の場合、10才前後からネットを使い始めたので、ネット以前の世界を知っているつもりでありながら、
>  思春期をネットと共に過ごし、もはや完全にネット世代側、なのかもしれません)
> だからこそ、ネット以前の世界がどういった世界であったのか、というのは一層興味がありますし、

え〜と、その「ネット以前の世界」というのは、
旧トルコ担当さん自身の主観的な「世界」と、
社会全体としての客観的な「世界」とが、ゴッチャになってる感じが・・・・

たとえ年齢的に、自分自身はネットを利用していなかったとしても、
社会の方では既に、デジタル化が進んでネットが基本となってた時代であれば、
それはもう「ネット以後の世界」だと、私は想定して書いていますね。
個々の体験に関わらず、アナログ社会からデジタル社会へと移り変わった世界こそが、
「ネット以後の世界」であろうと考えているので。

そして、ネット普及率が7割を超えたのが2005年で、
スマホ普及率が7割を超えたのが2015年ですから、
旧トルコ担当さんは恐らく、デジタル・ネイティブ世代と呼べると思いますよ。
まあ私自身の認識としては、90年代前半までがアナログだけの世界で、
90年代後半から00年代がアナログとデジタルが共存する過渡期、
10年代以降は もうデジタル中心の世界って認識ですね。

> 管理人さんほどの方にその話を聞かせていただけるのは、
> もしかすれば私の人生の中も相当に貴重な機会なのだと思っています。

いや、そんな別に大層な事では無いと思うんですけどね。
所詮は、雑談なんですし(笑)。
・・・って、そう言えば、ここでの雑談をキッカケに「理系の大学に入り直しました」とか、
事後報告されて、コチラとしても驚いてしまった経験とか以前にも有りましたし、
う〜ん、あんまり気軽な感じで書くのは、実は軽率な行為だったりするのかなぁ?(苦笑)

> 同じことの繰り返しになりますが、管理人さんの返信を否定するのは、
> 私が理解する気がないからではなく、管理人さんの指摘することが本当に分からないからです。
> 私が自説を強く主張するのは、聞く耳がないからではなく、今の自分の本心を上手く伝えるためです。

はい、旧トルコ担当さん御自身が、そう思われて発言されているのは解るんです。
ただ一方で、それを受ける側からすると、「聞く耳がない」と感じられたのも事実ですし、
その事に対して、御本人が無自覚だからこそ、「これは改まらないな」と感じたのも事実です。
自分でも解った上で、敢えて我を通してる場合と違い、
無自覚だと、まずは自認が必要となり、これってかなり高いハードルなので。
そういう意味では、だからこその、前回のような返信になったとも言えますね。

人間というのは誰しも、自分の中の「頭の中の辞書」を使って、物事を理解しようとします。
そうした方が、脳は省エネで効率的に、その物事に対する処理が行えますからねえ。
大人になると、固定観念に囚われやすくなるというのも、その副作用だったりしますし、
逆に言うと、子供が学校などで いろいろと学ぶのも、辞書作りをする作業だと見なせます。
そういう意味では、制作途中である子供の辞書などというのは、
年齢が幼いほど、その内容は滅茶苦茶だったりするのですが、その分だけ面白味に富んでおり、
年齢を重ねるほど、その内容が整っていく反面、次第に編集作業の頻度が落ちていきます。
要するに固定観念とは、判断基準となる辞書が、改訂や増補されなくなる事で生じる訳ですね。

で、何でこんな話をするかというと、旧トルコ担当さんの場合、
現時点で理解できない事を、無理に理解しようとし過ぎなんじゃ無いでしょうか?
解らない事があった場合、「解らない」と一旦保留し、
そのまま頭の中に留めておく事も、かなり重要だと思うんですよ。
だって、頭の中の辞書に載っていない内容は、そう簡単には理解できないはずなので。
そして、その後の理解度に応じて、こういう見解もあると注釈を付けたり、
従来とは異なる価値観もあったと両論併記にしたり、
納得できたから書き換えたり、やはり不適当だと改めて削除したりなど、
子供の頃のように、頭の中の辞書の「編集作業」を続けていけば良いんです。

それを強引に、今ある辞書の中身だけで、全てを理解しようとすると、
どうしたって無理が生じてきますし、その無理を押し通せば、道理が引っ込んでしまいます。
今までの認識には合わない、新しい情報を得た場合、認識の方を柔軟に対応させるのか、
はたまた、情報の方を認識に合わせてしまうのかでは、大きく異なるんですよね。
それだと「科学的な理解」ではなく、「宗教的な信仰」になってしまいますし、
そうなると「解るか否か?」ではなく、「信じるか否か?」になってしまいます。
まあ、そこまでは行かないにしても、やはり論理的では無くなる事でしょう。
つまり私が言う「聞く耳」とは、自覚の有無を問わず、こうした姿勢の事を指しています。

でも正直な所、そんな編集作業を行わない大人の方が、世間的には多数派であり、
それはそれで、その人たちの姿勢が間違ってるというモノでもありません。
結局は、個々人の価値観の問題ですし、そこまで考えるのは実際面倒だと思います。
一旦保留なんてスッキリしませんし、出来上がった辞書の編集作業を続けるのも大変で、
「それが常識だ」と無意識に決め付けてる方が、脳の負担的にも楽は楽なんですよね。
とは言え、そのような姿勢では、見識は広まりませんし、客観的事実にも近付けません。
で、これは恐らく、私が理系の人間だからかも知れませんけど、
そうした面を軽視する方が苦しくなるので、個人的に「楽」と思える方向に進むべく、
自分の中の常識自体(辞書の内容)を、積極的に書き換える姿勢でありたい訳ですね。
それこそ科学の世界だと、自らの日常的な感覚とはズレていても、
データがそれを正しいと示していれば、そちらの方を重視するのは当然の事なので。

・・・と、我ながら、随分と説教臭い話をしている自覚はありますが(笑)、
こういうモノの見方って、世の中の先行きが不透明な昨今だからこそ、
非常に重要になってくるスキルの1つだと思いますし、
若いほど対応もしやすいので、今から変に凝り固まる必要は無いかと思います。
以上が、前回書いた「柔軟な思考には、若さ以上に姿勢こそが重要」の詳細解説ですね。


> 図々しいですが、私が知りたいことを整理すると、
> ・現在の文化(あるいは文化だけではないのかもしれませんが、それは置いておいて)から
>   中間が失われている、というのは同意します
> ・その上で、リアルな世界が極グローバル一色になっているというのも同意します

国家レベルで「社会」というモノを見た場合、
「政治・経済・文化」という3つの主な構成要素があると思うのですが、
この3要素はそれぞれリンクしており、基本的な構造としては、
政治的な変化が、経済的な変化をもたらし、
経済的な変化が、文化的な変化をもたらすモノだと思います。
そういう意味では「政治→経済→文化」という順に、影響が表面化しがちなので、
それこそ、中間層の喪失であったり、グローバル化であったりというのが、
文化にどんな変質をもたらすかも、経済の変質や、政治の変質ぶりを踏まえると、
10年後20年後の姿も、何となくですが推測できるような気がするんです。

また、それとは別に、社会に影響を及ぼす要素が「技術」の革新でしょうね。
これが起こると、政治も経済も文化も変化を余儀なくされます。
近年で言えば、ネットの登場こそが、まさしくそれに当たろうかと。
そして、これは前々回の投稿で旧トルコ担当さんが触れられていましたが、
「ベーシック・インカム」に関しては、私もゴチャゴチャと纏まり無く、少し考えてますね。
導入へのハードルは恐ろしく高いものの、政治・経済・文化を変え得る・・・と言いますか、
それらの諸問題に対して、解決法となり得る1つの「技術」かも知れませんので。

あと、それが導入された際の 良いイメージ像にせよ、悪いイメージ像にせよ、
イメージに実感が伴うか否かって、実際に冷戦を知ってる世代と、
新自由主義の時代しか知らない世代とでは、恐らく大きく異なるのかな?とは思います。
でもまあ、古い世代は古い世代で、不必要にマルクスとか引っ張り出しがちな面もあるかな?(笑)
それこそデジタル社会主義とか、AI共産主義とかを語るのであれば、
変に先祖返りする必要も無いでしょうし、論理だけでなく実例も欲しいのであれば、
別にヨーロッパだけに拘らず、江戸時代の日本とかも参考にして良いかと、個人的には思います。
って、この辺の話は、今回の話題からは かなり脱線しちゃってますけどね(苦笑)。

> ・ですが、私には極ローカルというのがネットに残っているような気がしてなりません
> ・それについて、管理人さんが極ローカルも残っていないと指摘される根拠が知りたいです

う〜ん、よくよく確認してもらえれば、解るかも知れませんが、
初めの方で「私もローカルなモノが完全に無くなるとは考えていません」と述べいる通り、
私の方から一言も、「ローカルが残っていない」とは言ってませんけどね。
ただ一方で、年々縮小し続けており、その傾向は今後更に強まると見ているので、
旧トルコ担当さんが「グローバル化とローカル化の2極化」と、おっしゃられるような、
グローバルに比肩し得る程のモノが、ローカルに残るとは思えないという話なんです。

例えば、冷戦期のアメリカとソ連などは、実力伯仲とは言えませんが、2極化とは呼べた一方、
ポスト冷戦期のアメリカとイスラム原理主義とは、時代を代表する対立関係ではあるものの、
2極化と呼ぶには、あまりに両者の実力差があり過ぎると思うんですよねえ。
何もこれは、イスラム勢力の存在を知らない訳でも、過小評価している訳でもなく、
テロ組織は無数に存在し、アメリカを苦しめてはいますけど、やはり「極」とは呼べないと。

また、文化を生物に喩えれば、全ての種が常に不滅などという事はなく、
多様性を維持する為には、消えていく種と同程度に、新たに生まれる種が必要であり、
新たに生まれる方が多ければ多様性は増し、消えていく方が多ければ多様性は減じます。
この事は、文化であっても、生物であって、大差ない現象でしょう。
そういう意味では、確かに「新しい文化」というモノが誕生していたとしても、
「消えた文化」の方が目に見えて多ければ、やはり全体的には衰退していると見て取れます。
しかも、ボーダーレスな社会というのは、自然淘汰の競争を加速させますからねえ・・・・

それこそ前々回の投稿で、ニコニコ動画について触れられていましたけども、
もちろん今だって、相当数の視聴が居ますし、動画の新規投稿も実際に多い事でしょう。
ですけど、目に見える数値から考察した場合、その減少は明かですし、
特にプレミアム会員の数などは、この5年間で250万人から150万人に激減しています。
確かに、150万人の有料会員数という数字だけを見れば、それは凄い値ですけど、
過去の数字と比べた場合は、わずか5年で100万人(実に4割)も減少している訳で、
未だに「面白い」と感じてる人が大勢いるのは事実ですし、それ自体は否定してませんが、
でもやはり、全体として客観視すると「面白くなくなった」という傾向は示しているはずです。
と言いますか、ニコニコ動画は誕生直後から知っていて、動画投稿もしてましたから、
そういった数字などよりも、変化の流れは体感として残ってますけどね・・・・
正直言って、数字というモノは、その時の空気感から少し遅れて現れてくるモノでしょうし。

で、日本のネット・サブカル文化を牽引してきたニコ動が停滞し、
以前のように新しいモノが生み出せなくなった現状において、
それに替わる別のプラットフォームが現れるかとなると・・・それは非常に難しいでしょうし、
結局、日本だけでなく全世界的にも、YouTubeに集約されていくのでしょうけど(中国は別?)、
これは、YouTube自体が悪いという事ではなく、ニコ動独自の良さが失われてします訳で、
それこそ「多様性」という意味では、明らかにマイナスなんです。

こうした話はゲームにも言えて、何も私は、和ゲー絶賛&洋ゲー批判をしている訳ではなく、
和ゲーには和ゲーの、洋ゲーには洋ゲーの、長所と短所がそれぞれあり、
それらが残された上で、和ゲー的な洋ゲーであったり、洋ゲー的な和ゲーであったり、
はたまた、日本や欧米以外からの新ゲームや、全く新しい発想のゲームなどが生まれれば、
多様性は維持される所か、更に豊かになるという理想像があったものの、
現実に起こったのは、洋ゲーに集約されつつある流れであったという事ですね・・・・
確かに、一昔前と比べれば、グラフィックの進化とか驚異的なレベルですし、
絶対的に見ると、技術って積み重ねですから、時代と共に進歩してるのも事実なんです。
ただ、スポーツ観戦などもそうですけど、人間の見方というのは相対的ですからねえ。
「前の作品に比べてどうか?」「多の作品に比べてどうか?」という比較と感情で、
その作品に対する評価というのも、自ずと違ってきますし、
もっと言うと、目に見えるモノ、数値で計れるモノが、面白さの全てではありません。

と言いますか、そんなモノは面白さの極一部に過ぎないのが、実際の所なのでしょう。
これはゲームや動画に限らず、様々な娯楽文化に関しても言える事でしょうし、
少なくとも私自身はそう考えていますし、だからこそ、これは諦めの表明ではなく、
私など微々たる存在ではあるものの、現状の流れに抗いたい気持ちはあります。
より具体的に言えば、個人レベルの零細であっても、
時代が削ぎ落とし多モノを拾い集める、何らかのプラットフォームを作ってみたいと。
そういう意味では、私自身も、旧トルコ担当さんがおっしゃる所の
「極ローカル」的な存在の1つなのかも知れませんね?
まあ当人的には、そんな大層なモノだとは、露とも考えてませんけども。

> ・可能性は二つあると思います。私がネット以前の世界(具体例で言えば、ゲーセンや本屋などの世界)を
>   理解した気になっていて、実のところ理解していない。もうひとつは、私のネット世界への理解が浅い。
> この点に対して、管理人さんの見解を聞かせていただければ、というのが私の希望です。

う〜ん、これはある意味で、致し方ない面があるとは思うのですが、
やはり実体験が伴わない為、今までこうして話してきても、
「アナログだけの世界」や「アナログとデジタルが共存する過渡期」に関して、
感覚的に理解できない部分がるんだろうなとは、正直言って感じます。
そして、現在の「ネット中心の世界」に関しては、ちょっと判断が難しいのも?

例えば、AさんとBさんとがいて、2人は互いに100の知識を持っていたとしても、
この100の知識は、それぞれ全く異なるモノかも知れず、どっちがどっちとは言えません。
これは仮に、Aさんが200や300の知識を持っていても、同じ事ですよね。
確かに単純な数で言えば、Aさんの方がBさんよりも2〜3倍の知識を持っていますけど、
実際に有益なのは、Bさんが持ってる100の知識の方かも知れませんし、
逆に言えば、300の知識を持つAさんも、100の知識しか持たないBさんに教えを請う事で、
Aさんは知識を400に増やせる機会を得られますし、そうなればBさんの方が指南役です。
また、その一方で、ここに50の知識を得られる本が有ったとして、
300の知識を持つAさんと、100の知識を持つBさんとでは、その本の価値が変わってきます。
もちろん、この本自体が持つ絶対的な価値は変わりませんが、
300が350に増えるのと、100が150に増えるのとでは、相対的な増加率が異なりますからね。
何だか、凄く抽象的で解り難かったかも知れませんけど、私が言いたいのは そういう事です。


> 言い訳させていただければ、
> > > 今まで話がかみ合ってこなかったのも、ここが原因だったのでしょうね。
> > > 私はてっきり管理人さんは戦国史のシナリオ作られてりしていますから、そいうい世界は知っているものだと……

> も、私が正しくて、私の正しい見解を管理人さんが理解されていなかったのか、ということではなく、
> 私が勝手に、管理人さんも中間は失われたけど、極グローバルと極ローカルは残っていると考えていると言う
> 前提で返信をしていたら、管理人さんが極グローバルだけになっていませんか?と返信されたので、
> ああ管理人さんは極ローカルはなくなったと考えていて、
> そこを誤解しているから、今まで話が食い違っていたのね、ということなんですよ。

とりあえず言っておくと、MODの事は当然知ってますよ。
そもそも20年前に、asakaさんが「奥羽戦国史」(のちの戦国史)を公開されたのも、
PCゲーム「天下統一」の改造エディタを公開されてた、身勝手Papaさんのサイト上であり、
その場に居合わせていたからこそ、私もシナリオ作成という形で協力した訳ですし、
(期待されてた新作の「天下統一3」が本当にクソゲーで、その不満や怒りが皆の創作意欲に・笑)
更に古い話をすると、年上の従兄弟が遊んでたカセットテープ版の「初代・信長の野望」も、
プログラム言語がBASICだったので、普通にデータ弄り放題でしたからねえ。

また、今の「レトロフリーク」みたいな互換機が普及する前は、
秋葉原や日本橋に行かないと、ゲームのデータを弄る機械など手に入らず、
私自身は持ってませんでしたけど、友人の家とかで普通に遊んでました。
それに、家庭用ゲームが中心だった日本では、欧米ほどMOD文化は普及しませんでしたが、
その中でも、公式のエディタを発売した先駆けが、光栄のパワーアップキットだったでしょうし、
このスレッド内でも、Paradox社のゲームについて触れてるのですから、
旧トルコ担当さんが自身の認識に合わせる為に、情報の受け取り方を変えた行為自体が、
言葉はキツイですけど、ご都合主義と言いますか、非常に不自然に感じられたんですよね。
(そして前々回の投稿では、そう感じられる箇所が、これ以外にも多岐に及んでいたと)

ちなみに、2018年のMODコンテストで優勝したEU4の「Extended Timeline」とか、
自作シナリオを古代から現代まで拡張していて、本当に凄いと思いましたし、
それこそ、「全世界&全通史」のゲームというのは、私も昔から作ってみたかったですからねえ。
実を言うと、1人用ゲームの「Super三國志」や「ナポレオンの野望」も、その実験用雛型でしたし、
あれを世界マップまで拡張し、都市数も充実させ、人物キャラの要素も加えて、
国家・都市・人物・シナリオなどは、投稿型のデータベース化する考えを持っていました。
(データベース化された情報は、事典としても使えますし、他のゲームにも再利用できるので)
これも言うなれば、MODを前提としたゲーム構想案だったと言えるかも?

・・・と、話が少し脱線してしまいましたけど、
結局、何が言いたいかというと、
MODはもちろん知ってますし、それ自体は新しいモノでは無いという事ですね。
そして、別にファミコンでも、「ロードランナー」とか「ナッツ&ミルク」など、
ステージを自作できるソフトがあり、その筋の人たちは、それを昔から楽しんでた訳です。
確かにネットの登場により、そうしたデータの交換が飛躍的に手軽となりましたし、
「マリオメーカー」のように、企業側が公式にエディタを手掛けるようにもなった事で、
その数そのものは、ピンからキリまで、まさに膨大に増えたのは確かだと思います。
でもそれは、以前からの繰り返しになりますけど、「幅」ではなく「数」の話であると。


P.S.
一応調べたので、前々回の未返信部分から、これだけは貼っておこうかな(笑)。
> > > 確かに我々の世代には、何かみんなが知ってる漫画とか、そういうものって無いんですよね。
> > あと、そんな言うほど、本当に「誰もが知ってる作品」って無かったんですかねえ?
> > 実際に少年マンガで考えてみると、
> > 60年代から70年代にかけて「あしたのジョー」「巨人の星」があり、
> > 80年代には「北斗の拳」「キン肉マン」「タッチ」があり、
> > 90年代には「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」があり、
> > 00年代には「ワンピース」「ナルト」「名探偵コナン」があり、
> > 10年代には「進撃の巨人」「銀魂」「キングダム」があり、
> > 20年代となった現在も「鬼滅の刃」「呪術廻戦」があるじゃないですか。

> いやー、「誰もが知ってる作品」は有りませんでしたよ。
> これに関しては実際に経験してきたことなので、結構自信を持って言えると思います。

つまりは、ワンピースも、進撃の巨人も、鬼滅の刃も、
その存在すら知らない人たちが、相当数は居るという事ですか?
紅白出場や商品コラボなど、アニメを見ない一般層にも、
それなりに、存在は認知されてると思ってはいるのですが・・・・

もちろん、「みんなが知ってる」とか、「誰もが知ってる」と言っても、
全員が全員、それを見た事があり、話の内容や登場キャラまで把握しているとか、
そんな話をしている訳ではありませんよ(少なくとも私の方の話は)。
それこそ、ドラゴンボールにせよ、北斗の拳にせよ、あしたのジョーにせよ、
もしも そんな定義であれば、それらも全く該当しませんので・・・・

とりあえず、それだけでは何なので、
日本リサーチセンターの「全国キャラクター調査」によると、
https://www.nrc.co.jp/report/210218.html
ドラえもんが98%、サザエさんが97%と、まさしく国民的な認知度を誇り、
コナンが91%で、ドラゴンボールが90%、トトロが93%と同じくらい。
更には、鬼滅が81%で、ガンダムも同じく81%と続き、
ワンピースが75%で、北斗の拳が77%(2014年調査時)、
進撃の巨人が66%、エヴァが65%、プリキュアが63%という感じでした。
やはり数値で見ると、年代的な差は、そんなに無いように私には思えますね。

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