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[23598] Re3:前回に返信の意図と、今後の希望について返信 削除
2021/6/9 (水) 20:47:41 徳翁導誉

> 今後について
> 管理人さんを非難している訳ではありませんが、これ以上話しても進展は無いと思うので、
> 管理人さんもこれ以上は特に返信されなくても結構です。
> いえ、返信されたければしていただいても構いませんが。

いや〜、その言い草は、さすがに失礼だと思いますけど?(苦笑)
これ以上は進展が無さそうだから、話を打ち切る提案をするのは構わないのですが、
でしたら、それ以上は余計な事を語らないのが一般的である所、
後続の文章で、愚痴をこぼされたり、質問をされたりしている訳で、
その上で「返信されたければしていただいても構いませんが」の一文が加わっては、
これはもう、自分の言いたい事だけ言って、相手を煽るような書き方に為っちゃってますよ!?

まだこれが、解った上で、敢えて行っている行為であれば良いのですが、
恐らく旧トルコ担当さん的には無自覚でしょうし、そのつもりも無いのでしょうから、
それはそれで、却ってマズい状況のように、私には感じられます・・・・
少し異なりますが、「慇懃無礼」に似た感じと言えば、イメージしやすいでしょうか?
「自己の主張」と「相手への礼節」を無理に共存させる際、往々にして見られる悪文ですね。
その両方を満たす文章というのは、なかなか高度な技術を必要としますし、
それが難しければ、どちらか一方を抑え気味にするか、いっそ触れないのが無難です。
余計なお世話かも知れませんけど、若い内から意識されるようにした方が良いと思いますよ。
大人になると、「失礼なヤツだな」と相手から評価され、注意もされずに終わっちゃうでしょうし、
年齢を重ねれば重ねるほど、そうした悪癖は修正し難くなっていくでしょうから。

> そもそも、なぜ自分自身、管理人さんの見解にここまで強行に意を唱えるのか考えたのですが、
> 管理人さんの指摘は私の実感と真逆だからなんですよね。

でしょうね、それは私にも感じ取れてますよ。
その理由も、おおよそですが解っているつもりです。
それはまさしく、旧トルコ担当さんが「実感」を軸に語られてるからです。
より厳密に言うと、「主観」と「瞬間」から、意見が構成されている印象が強いです。
それに対して私は、「客観」と「時間」から、意見を構成していますからねえ。
その違いを念頭に置けてないと、意見の正確な理解は困難かと思われます。

また、今までもそうでしたけど、
何も私は、旧トルコ担当さん実感自体を否定している訳では無いんですよ。
例えば、仮に話題が「田舎暮らし」だったとしましょう。
個人的に「ここでの生活は最高だ」と思われる方は、当然いる事でしょうし、
周りの移住者仲間も「同じ感想を持ってる」という事も有り得るでしょう。
ただ一方で、田舎は自然に恵まれていても、「不便」であるのも事実ですし、
全体的に言って、流入するより流出する人数が多ければ「過疎化」の傾向となります。
この2つは、何も相容れない事実という訳ではありません。
主観的・瞬間的には「最高」と感じられたのが事実だとしても、
客観的・時間的には「過疎化」という事実も、矛盾無く存在する。
どちらが「合ってる/間違ってる」ではなく、視点の違いでしかないんです。
前回のニコニコ動画に関する話も、そういった主旨の事ですね。
プレミアム会員が現在でも150万人居るのも、5年間で100万人減ったのも両方事実で、
未だに楽しんでる方が大勢居る事と、でも全体としては衰退してる事は、相反しません。

で、そうした上で、私が今まで何を指摘してきたかと言うと、
旧トルコ担当さん自身の立ち位置と、その認識に関してなんです。
「前から見るか? 後ろから見るか?」「上から見るか? 下から見るか?」
「近くから見るか? 遠くから見るか?」「長く見るか? 短く見るか?」等々、
同じモノを見ていたとしても、見る人の立ち位置の違いで、映る姿は異なってきます。
ですから、自分はどこに立っているかという「絶対的」な座標と、
相手はどの辺りに立っているかという「相対的」な座標とを欠くと、
相手の事を理解できないのは勿論、自分の事さえ正確には把握できなかったりします。
言うなれば、相手の事も、その他 大勢である社会の事も、
自分と同じ立ち位置から見ていると勘違いし、それを疑わないまま、解釈してしまうと。

それこそ、「女装と百合」を隣接文化とし、それを「見立て文化」だとおっしゃたのは、
私からすると、その端的な例だと思えて為らないんですよね・・・・
バ美肉がデジタルな女装である事は、別に私も最初から否定していませんよ。
しかし、「女装(バ美肉)と百合」を隣接文化だと見なせるに充分な、
納得感ある説明や、客観的な根拠などが、今まで示されてるようには感じないんです。
もしも、自分の言葉で説明するのが難しいのであれば、
それをキチンと解説している他者の言説を、何処かから引っ張ってきてくれても構いませんし、
それも難しいようなら、同様の見解を述べてる他者の意見を、幾つか見繕って欲しいんですよね。
それが無ければ、多数の人間が関わっている「文化」ではなく、
旧トルコ担当さんが抱いた、個人的な「感想」に過ぎないとしか見なせません。
言い換えれば、個々の例としては実在するにしても、それが圧倒的な多数派とは思えず、
見解が食い違う以上は、何らかの根拠なり、腑に落ちる説明をして欲しいって事ですね。

繰り返しますけど、これは別に、個人的な感想(主観的な見解)を否定するのではありません。
「客観的なデータじゃないから信用できない」と、私は言っているのでは無く、
主観と客観を混同し、感想を文化と唱えてるような印象を受け続けているからこそ、
旧トルコ担当さんの客観的な姿勢を求める意味も込めて、データを交えて語っている訳です。
主観と客観を分けられてる方が相手なら、私もわざわざ、そんな面倒な事を雑談でしません(笑)。
また、以前このように述べられてました↓けども、
> > > いや、ほんとこれ説明できないんですよ。
> > > 見立て文化というのは、『オタク学入門』によれば、
> > > 竜安寺の石庭の砂が波に見えるようになるとか、人形浄瑠璃の黒子が見えなくなるとか、
> > > ジャンプ漫画がBL漫画に見えてくるみたいな、
> > > その文化圏においてはある見方・見え方が共有されているという文化なので。
> > > こう、このジャンプ漫画のAとBは絶対付き合ってるじゃん、みたいな、
> > > そういうのは外の世界には本当に説明しずらいんですよ。

石庭や浄瑠璃と、BLカップリングとは、かなり事情が異なりますよ!?
そして女装と百合に関しては、それより更に違うと思います。
もちろん、「○○を××に見立てる」という個々の行為自体は同じです。
ですけど、「私自身は、そう見立てている」と言うのと、
「この界隈では、そう見立てられている」と言うのとでは、まるで違います。
後者であれば社会的な文化と呼べても、前者であれば個人的な感想でしょうし、
個人的な感想を、社会的な文化とは見なせませんよね?

それこそ、砂の波紋を水の流れに見なしたり、黒子は無いモノとして捉えるのは、
その界隈の人々が、共通認識として「見立て」を共有する事で、
その世界における「お約束」にまで昇華している訳です。
これに関しては、「そういうルールにしたんだ」と言えば、一応は納得できるでしょうし、
どういう経緯でルールが生まれ、どういう根拠でルールが定まるかも、説明は可能です。

続いて、腐女子の行うBLカップリングは、「見立てる」という行為自体であっても、
「お約束」としての共通認識があるのでは無く、あくまでも個々の主観の積み重なりです。
いや勿論、「A×B」カップリングと見なす人が多数派とか、そういうのはありますけど、
それとは別に、「A×C」であったり、「B×A」と見立てても自由な訳で、
石庭や浄瑠璃のように、確固とした「ルール」として、それが存在する訳ではありません。
存在するとすれば、それは幾つかの お約束的な「テンプレート」でしょうね。
そして、このテンプレートに関しては、全く根拠もなく作り上げられるモノでも無いので、
感覚だけに頼らず、キチンと読み解いていけば、恐らく説明も可能かと思われます。

で、私からすると、オタクというのは「好きの体系化」を行う人種なので、
言語化や図解化など、手段や程度は人それぞれにせよ、
自分なりに納得できる「解」のようなモノは、持っていたり、
少なくとも、求めようとチャレンジはする者だと思うんですよね。
だからこそ一旦スイッチが入ると、マシンガン・トークを繰り広げがちだと(笑)。

> まあ、私の知っている世界なんて、メチャクチャ狭いのは自覚していますし
> (オタクですし、自分の興味の無いことにはトコトン興味がないので)、

と言う事で、上述の返信文からの続きなのですが、
正直な所、私自身は、旧トルコ担当さんの事を「オタク」だとは感じていないんですよね。
オタクなら食指が動きそうな話題を振っても、ほとんど反応がありませんでしたし、
そもそも、オタクから溢れ出る「好き」という感情が、これまで感じ取れなかったので。

いや勿論、近年ではオタクの定義も、「他人から、そう呼ばれる人」から、
「自分で、そう称する人」へと、意味が変容している事は知ってますし、
どっちが正しいとか、どちらかを否定するとか、そういう話でもありません。
当然ながら、旧トルコ担当さんが自身をオタクだと言うなら、オタクなのでしょう。
これはあくまで、私と旧トルコ担当さんとの「オタクの定義」の違いという話です。

そして、その事は最初の方でも述べていますから、
私自身がオタクを語る時は、私の定義の方のオタクの意味で用いてますけど、
ここで、旧トルコ担当さんの定義に合わせるとすれば、
私も充分、世間的にはオタクと認識される人間なのだろうとは思っていますよ。
例えば近年のアニメであれば、鬼滅や呪術廻戦くらいなら まだしも、
リゼロの魔女9人と、ダイの大冒険の魔王軍6団長を、両方諳んじられる大人を、
恐らく世間的な感覚では「一般人」と見なされないでしょうし(笑)。
ですけど私の定義だと、その程度はファンとは呼べても、到底オタクとは呼べないと。

で、何故こんな話をしているかというと、
私の方は、旧トルコ担当さんが書いた文章を読む際は、
旧トルコ担当さんの定義する言葉の意味を汲んで、文意を読み解いてるつもりですけど、
逆に旧トルコ担当さんの方は、私が書いた文章も、
全て御自身の定義している言葉の意味で、そのまま理解しているように感じるんですよね。
前回、「頭の中の辞書」という話をしたのも、その辺りに深く関係してきます。
自分のとは異なる論説に出会った時、自分の既存の言葉の意味だけで理解しようとすれば、
結局は文意の中身を読み取れず、外身の単語を掻き集めて、推測で文意を再構成するから、
それを語った側から見た場合、まるで異なる解釈に陥ってるように思えると・・・・

ただ一方で、好きという感情が感じ取れなかったという話に戻すと、
この前の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」に関する記述は、
その中では、少し熱量が溢れるのを感じましたでしょうか。
> > > そもそも『俺ガイル』自体が2010年代のエヴァだったと思うのですが、
> > > こういうのが取り上げられないのは完全に人口減少が大きいんでしょうね。
> > > (俺ガイル自体は1000万部越えの人気作なのですが)
> > > まあラノベはアニメよりも見えにくいというのもありますし、
> > > 近年の作品はエヴァ以上に上の世代の人が見てもわからない作品が多いので、
> > > そういう理由もあるのでしょうか。百合もそうですね。
> > > もっと精神性みたいなものが重要だから、見る側にそう言った
> > > 文脈みたいなものが共有されていないと理解されないわけです。

何でしたら、「俺ガイルが2010年代のエヴァだ」と思われた詳細を、述べられてみます?
なぜ話が噛み合わないかを長々と分析されるよりは、気分的に話しやすいテーマかと(笑)。
具体的には、同時代の他の作品と比べて、どこが革新的だったのか?
この作品の存在が、後々の作品群に、どのような影響を及ぼしたのか?
どういった面で、エヴァと比肩でき得る程の2010年代の代表作なのか?
等々、この一文だけでも、いろいろと語れる面はあるかと思われます。

それこそ、ラノベの発行部数で言ったら、巻数が異なるので単純比較は難しいものの、
「とある」「SAO」「転スラ」「魔法科」あたりは、「俺ガイル」の倍以上 売れてるみたいですし。
・・・って、そんな話をしていたら、ついつい、
「リナがつき、ブギーがこねしラノベ餅、座りしままに食うは涼宮」
なんて戯れ歌を、10年以上前の雑談↓で書いたのを思い出しました(笑)。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r7034

それまでは、ジュブナイルと呼ばれていた若者向けの小説が、
アニメ風の表紙絵と挿し絵を入れ、「ライトノベル」と呼ばれるようになり、
書店の一角にコーナーができ、存在感を表し始めたのが2000年前後頃で、
2010年くらいまで、年々売り場スペースを拡大させていった印象かな?
そしてここ10年では、なろう系の存在感が際立つと。
まあ私自身はラノベをほぼ読まないので、知っててもラノベ原作のアニメ版ですけど、
最近の作品だと「本好きの下剋上」は、個人的に面白いと感じましたね。

ついでに言ってしまうと、今まで重ねた やり取りの中で、
何の分野のオタクか尋ねたり、私の中のランキングを披露してたりしてたのは、
そういう話題の方が、旧トルコ担当さん的にも書きやすいかな?という思いと、
個人の好みが具現化される事で、趣向するタイプが把握しやすいという考えがあり、
それとなく場馴らししていたという裏事情が、実はあったりしました(笑)。
まあ、そういった話題の転換自体を、旧トルコ担当さんが望むかは未知数だったので、
あくまでも選択肢の1つとして、行っていた事前作業ではありましたけど。
ちなみに、5年前の雑談時に書いた、私の好きなアニメ・ランキングはこんな感じ↓
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=s20466#20466
ただ、このコロナ禍で、結構な作品数を一気見しましたから、
今だと近年の作品も加わり、もう少しランキングも変わってくるのかな?
当時と現在とで、微妙に評価が変動した作品だってあるでしょうし。

> だからこそ自分の視界外では未知のことが起きているのかもしれない、
> と思い管理人さんに色々質問したのですが、結局それはよくわかりませんでした。

え〜と、すみません。
逆に私の方が、旧トルコ担当さんに対して、
何か未知のことが起きているのか、尋ねているつもりでいました(笑)。
具体的に言うと、「新しい文化」に関してですね。
ただコチラの方も、文化という言葉に対する定義の違いと言いますか、
もっと言えば、旧トルコ担当さんの方は漠然とした意味合いで用いている感じがしており、
この調子だと、私が求めてる問いの答えは返ってこないかな?という印象は正直あります。
この前も、ジャンル名を増やしてもしょうから、新たに名付いてないものの、
「新たな性格のゲームは誕生している」との事でしたけど、
でしたら、その具体例を是非とも伺いたい所ではありますね!!

繰り返しになりますけど、別に今の時代に文化が無いと言っている訳ではありません。
良い作品が新しく生まれて来ないという話もしていません。
今の若者が今の時代の中で楽しみを見出し、青春を謳歌しているのも重々理解できますし、
個人レベルでは、やはり当人が青春時代に味わった文化が、最高だと感じる人が大多数でしょう。
決して、その感情自体を否定していたり、過小評価している訳でも無いんです。
私の方は、ただ単に「歴史の流れ」として、俯瞰的に観察しているに過ぎず、
そういう意味では、当事者的な感情に欠けているのは確かなのでしょう。
でもそれも、オヤジの懐古主義とは、少なくとも別物だろうと思ってはいます。
私の趣味の方向性は、自身の懐古的なモノより、歴史や文化それ自体に向いているので。
(更に言うと、昔から あまり流行には乗らないタイプで、懐かしむ対象も乏しい面も)

と、それはさておき、話を元に戻すと、
申し訳ないのですが、個々の小さな問いは別として、
具体的には、そうした問いに対して、私は何か答えてましたっけ?
いや、過去の話を幾らかしたのは覚えてますけど、
「視界外の未知のこと」というのが、正直あまりピンと来てません・・・・
> > > かつてのオタクのミドルクラスはどの程度の知識があったのでしょうか?
という、この前の問いに答えていない・・・と言うか、再説明してないのは覚えてますけどね。
ちなみに「マンガ夜話」の名前を出したのは、何も、
あの番組内容から直接的に、当時のオタク・レベルを推察しろと言ったのではなく、
そうした番組が公共の電波を使って成り立つ状況から、
当時のレベルを間接的に推察できるという話でもあったんです。

また、ちょうど当時は、インターネットが普及し始めた頃でしたから、
番組を見ての感想のやり取りとかも、ネットを掘ればログが見つかるかも?
あるいう意味ではログって、当時の空気感を閉じ込めたタイム・カプセルですし、
現在に比べるとネット人口が少ないので、多人数でも会話が成り立つ感じは解るかと。
そう言えば、思い出しましたけど、2chが誕生して間もない頃、
夏目房之介さん本人が「降臨」して、盛り上がった事とかありましたね。
http://piza.5ch.net/test/read.cgi/comic/964631820/
現在のTwitterの方が著名人と繋がり易いですけど、それこそ空気感が異なるのかな?

ただまあ、実際に「ミドル層のレベル」なんてモノを、
具体的に説明するのは、やはり難しいとは思うんですよ。
それこそ同じく、現在のオタクたちの「ミドル層のレベル」について、
説明してと漠然と言われても、これだって至難な事でしょうし・・・・

とは言え、コア層とライト層のレベルが、だいたいイメージ出来ているとすれば、
そこからミドル層のレベルを、おおよそ想像するのは難しくない気はします。
まさしく、コアとライトの真ん中あたりを思い浮かべれば、そこがミドルなので。
旧トルコ担当さんが、御自身でも述べられていた通り、
コア層のレベルは、時代に関わらず途轍もないとするなら、
そういう意味で、昔のミドル層と、現在のミドル層も、そこまで大差ないのでは?
昔と現在の違いをノベルとすれば、それは恐らく層自体の厚みの方です。
(他には、作品の絶対数が違うので、1作品を深堀りする傾向も強かったですが)

例えば、学力とか収入とかの面でも、同じく言われてる話なんですけど、
以前はヒトコブラクダだった分布曲線が、現在はフタコブラクダの様になったと。
でもまあ実際は、きれいなフタコブの曲線などではなく、
中央の厚みが減って、トップの方が尖り、下の方がなだらかに厚くなった感じかな。
オタクのレベルを数値化するのは困難でも、学力のデータとかで擬似的に伝わるかも。
で、一億総中流などと呼ばれた頃が、日本が最も活気のあった時代である事を示す通り、
レベル自体の程度の違いよりも、その層の厚みの方が、やはり重要だったかと思われますし、
時代の違いを考えるのであれば、それこそが肝なのでは無いでしょうかね?
相応の人口が居れば、相応の社会や市場ができ、そこから生まれてくるモノも増えるので。

また、コアとライトの中間という意味でのミドルではなく、
平均値的や、中央値的な意味での、ミドル層のレベルを知りたいという事であれば、
ヒトコブラクダとフタコブラクダの曲線のズレと睨めっこして、
そのズレの分だけ、現在見られる平均値や中央値を上方修正すれば、
そこまで的外れなイメージにはならないと思いますよ。
具体的には、中の上や、上の下といった「アッパーミドル」を想像すれば良いのでは?
やはり少数精鋭の頃の方が、平均値や中央値も高く出ると思います。
ですが、もしも仮に、それ以上に全体のパイが広がっているとすれば、
絶対数がそこまで減じているとも思えば、下手すれば増えてる可能性もありますけど、
そこが上手く現れて来ないのは、当初から言っていた「場の喪失」に原因があるのかな?と。

あと、これは余談かも知れませんけど、マンガ夜話の話に関して、
> > > 自分で作品を見て、自分なりにこの作品はこうなんだというのが面白いのであって、
> > > 見たこともない作品の批評を見てなるほど、と思うのは、
> > > 例えるのであればそれこそ石田徹也的な世界観かと?

と、おっしゃてたのが、私の方も驚きだったかな?
だって、自分の読んでない作品の批評を、番組で見ただけで、
そこまで簡単に呑まれてしまうと言うか、影響を受けてしまうイメージが、
そもそも私には、持ち合わせていなかったので(しかもオタクを称する人が)。

だって、あの番組、もちろん取り上げる作品自体の話もしてますけど、
その根底に流れているのは、「日本のマンガ文化史」という大きなテーマでしょうし、
個々の作品は、その日の講義の教材のようなモノだと感じています。
喩えるなら、もし仮に「西洋絵画史」の講義を取ったとして、
前回はクールベの「世界の起源」を通して、19世紀前半の写実主義について学び、
今回はゴッホの「ひまわり」を通して、19世紀後半の印象派について学び、
次回はピカソの「ゲルニカ」を通して、20世紀前半のキュビズムについて学ぶように、
毎回1作品を中心に語る形式で、考察を深めていく方法に思えるんですよ。
まあ確かに、講義で初めて「これがキュビズムかぁ」みたいに触れてしまうと、
下手に先入観が先走り、真っ新な気持ちで作品と向かい合う機会は失われるかも知れません。

そういう意味では、私も理想論を述べると、何事も新しい体験をする時は、
1回目は予備知識なく自然に触れ、2回目はしっかり学習してから触れ、
そして3回目は一旦それらを忘却して触れるのが、望ましい形だとは考えています。
でもまあ、マンガ夜話に関しては、その番組を見る事で、
未読だった作品を読む面白味を損なうかというと、そういう内容でも無いですからねえ。
また、自分が今まで触れて来なかった分野の作品であればこそ、
これを機会にキュビズムを知るというキッカケを、得られるチャンスだと感じてます。

まあ個人的には、オタク層が見て楽しめるのが「マンガ夜話」であり、
その作品のファン層が見て楽しめるのが「アニメ夜話」かな?と思っています。
やはり、基本的には1人で作るマンガと(編集者やアシスタントの存在も勿論重要ですが)、
多くの人が関わって作るアニメとでは、作品に現れる「作家性」の度合いが異なってきますし、
マンガよりアニメの方が断然客層が広い事を踏まえれば、番組の作りが違うのも当然でしょうね。
それこそ、普通に作品を楽しんでる層からすると、あれこれ考察されるのは目障りで、
素直に作品の魅力を伝えてくれる方が嬉しいという事情もあるでしょうから。

で、ついでなので、ここで言ってしまうと、
それなりに経験がある人が、何か新しい発想をしようとする際、
余裕や雑音も含めた「無駄」というモノの重要性を、
気付けていない人というのは、恐らく少数派だと思われるのですが、
でもまあ、それは創作者の事情であって、
単なる消費者に回るのであれば、特に必要という事もありません。
とは言え、精神的なリセットをする上では、普通の人でも重要だと思いますけど。
ちなみに この話題に関しては、旧トルコ担当さんがオタクを称するからという以上に、
ゲームを作られているから、敢えて触れたという側面はありましたね。
ですが、その原点がMOD制作にあると聞くと、実は私が想定していた程には、
旧トルコ担当さん自身、そうした新規性には、そこまで比重を置かれていないのかも?
これも、立ち位置の違いによる、風景の見え方の違いみたいなモノでしょうか(笑)。

> その上、どう説明しても管理人さんには私の見えている風景とが伝わらないので、
> こ〜れは管理人さんの方が間違ってるんじゃないか?と。

「伝わらない」から「間違ってる」って、この2つが何故イコールで繋がるんですか?
それぞれ、まるで異なる概念じゃないですか・・・・
それをイコールで結んでしまうのは、自分中心で物事を見てしまうからであり、
厳しい事を言いますと、そうした姿勢を無意識に取ってしまっているからこそ、
自分では聞く耳を持ってるつもりでも、持ってないように映る原因だと思いますよ。

また、旧トルコ担当さんの見えている風景というのも、
私なりには、それなりに理解しているつもりではいるんですよ(笑)。
では、何故それに賛同しないかというと、同時に他の景色も見えてるつもりだから。
今までの感じだと、旧トルコ担当さん的には、
「理解」と「賛同」はイコールと思ってそうな印象を受けますけど、
コチラに関しても、それぞれ異なる概念ではあります。
要するに、仮に理解できたとしても、必ずしも賛同するとは限らないと。
それは、理解できないとか、理解が間違ってるとかではなく、そもそも別物だからです。
もっと言えば、理解も、賛同も、共感も、納得も、好意も、高評も、全て違います。
でもまあ、それらを全て同一視する人の方が、世間的には多数派な気はしてますけどね。

> これは愚痴みたいなものですが、
> いや、だってソシャゲに対しての認識とか、どう考えてもおかしいでしょう。
> まだコロナは中国のウイルス兵器説の方が納得できますよ。

そもそも論として、誤解釈に基づく「認識」を元に、「おかしい」と言われましても、
それは私自身の認識ではなく、旧トルコ担当さんが勘違いで生み出した認識なので、
本来であれば、私に対して問うのでは無く、自分自身に問うてこそ、見えてくるモノでしょうし、
「どう考えても」などと言う前に、その前段階から「考えてみる」事が重要だと思いますよ。
ウイルス兵器説なんて話を、突拍子も無く登場させる事よりも先に。
あと、とりあえず言うと、この前の返信に書かれてるような認識は、私の方も持っておらず、
あの文章と今までの流れから、どうしてそういう解釈になるの?というのが、実際の所です(笑)。

う〜ん、で、ソシャゲの話題に関しては、どうしましょうかねえ?
今までも何度か、誤解釈に対する修正説明はしてきましたけど、
それに対して、旧トルコ担当さんの反応が返ってきた事が無いので、
その誤解釈をどれだけ修正できてるのか、私も図りかねてる部分は正直ありますし、
特にこの件に関しては、今まででも最大級にズレ幅が大きい為、
修正説明を行うのも、恐らく一苦労だろうな・・・という思いもあったりします(苦笑)。
また追記の問いについて、私自身のソシャゲ経験を実際に述べるのは別に良いんですけど、
現状でそれを行うと、誤解釈を補強しちゃう気もして、ちょっと怖いんですよね。
今回も、理解するのが難しいと言われる割に、思いっ切り決め付けて反応されてますし・・・・

でもまあ、ソシャゲに関して言えば、プレイヤー数が多い事もあり、
それにハマった人の体験談とか、それこそネット上に溢れてると思いますし、
その中から様々な側面を語る声を探す事は、そんな難しい事じゃないと思いますよ。

> まあそうは言いつつ管理人さんの見解に引っ掛かるところが無いわけでは無いので、
> 極ローカルの幅についてはこれからも考えては行くつもりですが。

私がいう所のニッチ、旧トルコ担当さんがいう所の極ローカルに関しては、
まあ私の方も実は、このままの流れだと厳しそうだと見つつも、
密かに期待は抱いているというか、決して諦めて見放してる訳でも無いんですよね(笑)。

ただ、この辺に関しては、他の雑談スレッドでも触れましたし、ここでも少し書きましたが、
ネットの黎明期、今よりもっと素晴らしい未来像を、多くの人々が描いていた為、
その頃の理想図に比べると、実際はかなり異なる社会になったという思いが、
当時を知る世代の中で、やはり何処かに強く残っているんでしょうね。
だからこそ、そうした思い描いたような成長曲線は描けていなくても、
実はジワジワと成長していて、その小さな変化に気付けていないだけかも知れません。
しかも、ネット化やグローバル化というのは、ニッチな世界の武器にも成り得るので、
それを上手く活用して行ければ、これから大きく羽ばたく可能性だって残されています。
とは言え、そんな簡単に上手く運ぶなら、あの時に抱いた未来予想図だって実現できたた筈で、
確かに確率的には有り得ても、その数値はかなり厳しいモノだろうと言う考えもあります。

例えば、MODであれ、2次創作であれ、その活動自体は未だに盛んであり、
数的な面で見れば、以前よりも増えているのかも知れません。
ですが一方で、MODや2次創作の対象になる作品が、
以前に比べると、特定の作品に集中しがちな傾向は無いでしょうか?
言い換えるなら、マイナーな世界でも、その中でのメジャーな作品が1人勝ち状態となり、
結局、メジャーな世界の競争原理で、マイナーな世界も動いてしまうと、
マイナーな世界が持つ独自の強味が失われるのでは?という危惧もあります。
その他に、有志による洋ゲーの日本語MODが充実してるのは凄い事だとしても、
大前提として、日本語版が発売されなくなったり、公式が日本語対応しなくなった結果、
そうせざるを得なくなった事情があるので、プラスかマイナスかは判断が難しい所ですし、
Wikipediaの日本語記事 編集が、目に見えて鈍化しているのを感じると、
いつまでも有志頼りの構造が続いていけるかは、正直微妙な気はするんですよね。
まあ無給奉仕の有志活動に比べれば、有料MODがある所は幾分マシかも知れませんけど。

って、念の為に言っておきますけど、前段で言ってる「1人勝ち状態」とは、
何も1本の作品しか大勝ちしないという意味では無く、
一握りの勝ち組作品と、その他 多数の負け組作品に2分化されるみたいな意味合いですよ。
この前も、代表格として「マイクラ・あつ森・フォートナイト」を挙げたら、
「Among Usは知らないの?」みたいな返信が来たので、一応ですけど言っておきます。
ちなみにAmong Usは、昨年のアメリカ大統領選で、オカシオ=コルテスが利用してましたよね。
他にも、Apexとか、League of Legendsとか、GTAとかもあるでしょうし、
桃鉄の新作も未だに根強い人気なのも知ってますけど、そんな事を言ってたら切りが無く、
かと言って、以前より勝ち組と負け組の差が現れてる事は、覆し様の無い事実でしょうから。

あと、これは余談ですけど、そうは言いつつも、
年明けに2度目の緊急事態宣言が発令されて以降、生の情報を得る機会が滞っているのも、
一方では事実としてある事も、とりあえず明かしてはおきます。
私自身がゲームを遊ばなくなって久しいですし、そういう意味では今だとネット情報くらいで、
肌感覚的な情報とかは、現状で半年くらいのギャップがあるのも、本当の所です。
グラフィックとかは格段の進歩を遂げているので、ゲーム動画はよく見ますし、
他には、弟が未だにバリバリのゲーム好きなので、それで自然と見聞きしたり、
人気作に関しては、人気の理由を知りたい欲求から、そこそこ調べたりしますけど、
逆に言えば、自分ではプレーしない程度の関心度ですね、今のゲームに対しては。
ゲーム番組「GameWave」を毎週見てた頃に比べると、把握してる情報量は明確に少ないです。
ただ、半年遅れの感覚でも、マイクラと あつ森の人気度は、
少なくとも日本国内において、世間的に、やはり頭幾つか抜けてる実感はありますよ。
・・・って、ここまで書いたら、ほぼほぼ答えてるようなモノですね、例の箇所の質問を(笑)。

更に別の余談を続けると、私がよく見るYouTubeのチャンネルに、
「予備校のノリで学ぶ 大学の数学・物理」↓というのがあるのですが、
https://www.youtube.com/channel/UCqmWJJolqAgjIdLqK3zD1QQ
最近、プロ棋士などを始め、様々な方面のYouTuberとコラボしていて、
登録者数も再生数も伸ばしているんですよね。
ただ、そうしたコラボ効果により、一般向け動画の再生数が跳ね上がるのは解るのですが、
専門性の高い動画の方まで、10万再生くらい伸びてるのが、驚きですし、凄い謎!?
これが英語で作られた動画なら、対象が全世界に広がるので、まだ想像できますけど、
物理学科や数学科の日本人学生が、数万人単位で視聴してるとも思えず、
ファンになれば、内容は解らないけど再生する層とかも、一定数で居たりするのかな?
でも、趣味で学び直そうという卒業生とかも含めれば・・・そのくらいの人数は行くのかも?
ともかく、そんなニッチな動画でも再生数が伸びるというのは、素直に凄い事だと思います!!
そういう意味では、例え日本語限定であっても、ニッチの幅もまだ残されている気はします。

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