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[23624] Re2:ラノベの歴史に関して返信 削除
2021/6/22 (火) 21:51:08 徳翁導誉

> > > ネット以前と言うのはそれこそオタクじゃなくても、
> > > ある程度物事に関して自分で知識を体系化するのが当然だったわけですが、
> > > 今はSNSのトレンドだけ追いかけておくのが一番効率的になった、ということでしょう。

> > いや〜、これはネット以前の人々の事を、買い被って高評価しすぎと言いますか、
> > それこそ人間なんて、そんな簡単に変わるモノでは無いですよ(笑)。
> > 鵜呑みにする情報源が、マスコミからネットに替わったとか、
> > リアルの口コミから、SNSの口コミに替わったとか、その程度の話です。

> まあ人生何十年過ごしてからSNSが出てきた世代では「そんな簡単に変わるモノでは無い」のでしょうが、
> 若い世代であればあるほどSNSの影響は大きいかと?

結局、今までのズレの大部分は、この一文にも集約されているんですよね(笑)。
「そんな簡単に変わるモノでは無い」というのも、
私は人類史的に語っている一方で、旧トルコ担当さんは個人史的に語っているので、
同じ変化量でも、人類レベルでは小さな変化だが、個人レベルでは大きな変化であり、
それ自体は別に、どちらが間違っているというような話でも無いと。
そういう事で、この辺の話題はもう良いかな?って感じはあります(笑)。
結局、双方が互いに異なる立ち位置から語ってるだけですし。

> それこそ、周囲の大学生にも本当にSNSで流行ってるゲームしか遊んでない人とか普通にいますからね。
> それに比べれば、SNS以前はゲーム屋でゲーム眺めているだけでも未知のタイトルがバンバン目に入ってきたわけですから、
> オタクでなくとも知識を体系化した、というのは表現は大げさだったかもしれませんが、
> あまり変わっていないということはないかと?
> それこそ自分はまだネット以前のローカルな情報の入手の仕方も知っている世代ですが、
> これがあと5歳10歳下の世代だと、完全にSNSが最初の体験になっている世代ですからねえ。

考えてみれば、「TSUTAYAでDVDを借り、ゲオでゲームソフトを買う」などといった
リアルに「物品」をやり取りする行為って、今の子供たちの感覚には乏しいかも?
実際、ウチの5歳の甥っ子も、テレビ放送ではなくネット配信でドラえもんを見てますし(笑)。
でもまあ、逆にオッサン世代からすると、TSUTAYAやゲオみたいに、
チェーン店が全国を席巻するような状況自体が、今世紀に入ってからの事なので、
「TSUTAYAでDVDを借り、ゲオでゲームソフトを買う」事自体が、最近の話であると(笑)。

また一方で、今の小学1・2年生は、コロナ対応じゃない学校生活を知らないんですよね。
そういう意味では、このコロナ禍が長続きするようだと、そこでも世代の壁が現れるかも?
コロナ前の生活に慣れ親しんだ層には、コロナさえ収まれば、前の生活に戻る意識で居ますけど、
コロナ後の生活が当然となった層が生まれれば、戻る事が必然とは言えなくなってしまいます。
それに、普及は将来的に見られていたリモート分野などは、これを期に一気に進みましたからね。
「アフター・コロナ」で、社会が実際どう変化するかは、まだまだ未知数な要素が多いかと。


> > 当時のラノベというのは、「原作漫画を持たないノベライズ版」みたいな印象でした。
> > 実際、私の通ってた書店では、漫画コーナーのノベル棚に並んでた記憶があります。
> > ジュブナイルなど、従来からある青少年向け小説との違いは、
> > 表紙や挿し絵に、漫画風(アニメ風)のイラストが用いられた事であり、
> > しかも、そのイラストが作品の世界観に欠かせない程、重要な存在であったのが特徴ですね。

> 「原作漫画を持たないノベライズ版」という表現はしっくりきました。

まあ、私の個人的な見解ですけどね(笑)。

> 一応、ライトノベルの源流はアニメのノベライズ(冨野監督自身が執筆したガンダム小説など)に源流があるらしいのですが、
> アニメだけでなく漫画のノベライズというのもあったんですね。

そもそも論として、各業界分野が明確に分かれていた昭和の時代において、
漫画も小説も、同じ「出版社」という業界が取り扱う縄張りでしたからね。
やはり、そうした点の親和性というのは高かったと思いますよ。
梶原一騎の例を引くまでもなく、昔から漫画原作者という人たちは居ましたし、
彼らが単独で作品を発表すれば、それはまさしく小説になるので。
と言いますか、昔の声優は、舞台役者からの流入組(兼業)が多かったように、
昔の漫画原作者というのも、小説家からの流入組が多かったんじゃないですかねえ?
舞台や小説の方が歴史的には古く、売れてないが実力のある人材も相応に居たでしょうから。

> あとラノベの高齢化については、確かに中高生向け小説というレンズを通してみれば
> 「冴えない30代の社会人が主人公」なんていう状況は高齢化に見えますが、
> ラノベ=オタク文化という視点で見れば、アニメだってゲームだって高齢化してきたわけであって、
> ラノベの高齢化というのは何だかんだでオタク文化をわかってない文学系の評論家が騒いでいるだけだと思っています。
> 偏見交じりではありますが。

う〜ん、個人的には、オタク文化界隈からの声のような気がするんですよね。
実際、それ以外の大部分の人たちからすれば、ラノベという存在自体の認識が希薄なので、
わざわざ、そうして騒ぐような機会も少ないと思いますし・・・・
簡単に言えば、別に興味も無い世界の話題を、普通は話そうとも思わないと(苦笑)。

そういう意味では、それこそ前回も言いましたけど、
ラノベの人気が高まりだしたのは、ここ20年あまりの話ですし、
特に00年代の頃は、ラノベというジャンルがグイグイと成長していた時代でしたから、
それにハマる若者の比率は今よりも高く、そして熱かったものと充分に推測できます。
まあでも、今も昔も、ラノベを読む若者よりも、読まない若者の方が多数派でしょうし、
そんな中でも現在と比べれば、やはり読んでる比率は00年代の方が高いと思うんです。
しかも、当時と現在の若者数の差まで考慮すれば、絶対数は確実に00年代の方が多いはずで、
その内の何割が未だに読者かは解りませんけど、一定の客数が居れば、それに合わせる作品も増え、
そうなれば卒業率も下がりますから、必然的に平均年齢は上がっていく事になると。

これは何もラノベ業界だけに限らず、あらゆる業界で似たり寄ったりの現象は起きているはずです。
例えばJリーグとかは、そのあたりのデータが豊富に揃っているコンテンツですけど、
サポーターの高齢化というのは、数値として明らかに見て取れますからねえ。
でもまあ、冷静に考えれば、それも当然と言えば当然で、
1993年のJリーグ誕生ブームやドーハの悲劇に、2002年の日韓W杯、
そして00年代に各地で生まれた「おらが町のチーム」の成長ストーリーを、
若者時代に直撃した人たちは、やはりファン層の中核を為しますよ。
それは、今の若者がサッカーを見ないという以上に、彼らが特別な経験をした世代なんです。
しかも繰り返すように、当時の若者は、今の若者よりも絶対数が多いと。
そうなれば必然的に、高齢化は進んでいきますよ(日本自体が高齢化している訳ですし)。
その上、現在では有料チャンネルや有料配信が増え、収入面は膨らみましたけど、
反面、これは新たなファン層を開拓する意味では、大きな障壁となっているのも事実です。

・・・って、この辺りの話になると、ラノベとはまた異なる事情になってくるかな?(笑)
とは言え、これだけリアル書店が減ると、ラノベを手に取る機会も減ってたりするのかなぁ?
もしくは、売れ行き自体は変わらなくても、アニメ化などで有名になった
一部の作品のみが過度に売れるような現象は、起こっているような気がします。
言うなれば、本屋で何となく選ぶのではなく、もう買う本を決めて本屋に行っていると。
もっと言えば、リアル書店ではなくAmazonであれば、その傾向は更に顕著でしょうね。
「ジャケ買い」なんて単語は、半ば死語になっていると思いますし(苦笑)。
いや、でも全体的に見れば、ジャケ買いが最も生き残ってる分野こそ、ラノベなのか!?
タイトルと表紙絵で釣るのは、良くも悪くもラノベ商法の王道でしたので。

ちなみに余談ながら、90年代までは、サラリーマンだと大体、
「歴史小説」や「時代小説」を読むという習慣がありました。
まあ、多くの人が喫煙をし、麻雀やゴルフをして、巨人戦を見てたのと同じで、
そうする事で共通の話題を持て、社会人の「たしなみ」の如く見なされていたと。
司馬遼太郎・吉川英治・池波正太郎などなど、まさにバカ売れしてました。
また、それとは別に「ミステリー小説」とかも、凄く売れてましたよね。
もちろん、今でも人気作家は数多くいますけど、ちょっと次元が異なりますし、
戦後の「娯楽小説を読む」という文化が、今からは想像が難しいほど色濃くあったと思いますよ。
実際、それまではスポーツ一辺倒だった私の読書歴も、歴史小説から始まっていますので。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c22815

そういう意味では、活字(長文)と社会が、今よりもずっと近い存在でしたし、
1992年に出版された「磯野家の謎」という、サザエさんの考察本は、
200万部を超える社会的な大ヒットを記録しました。
すると、様々なジャンルを対象に、2匹目のドジョウを狙う考察本が量産され、
オタク文化界隈でも、1996年からのエヴァ・ブームをキッカケとして、
それこそ雨後のタケノコのように、考察本が粗製濫造されてましたね(苦笑)。
でもまあ、こうやってライトなオタク層にも、活字を読むとか、考察をするという行為が、
広まっていった事実を思うと、考察本の内容はともかく、その影響力は大きかったかも?
もしかしたら、この時の活字慣れが、ラノベ読者を生む下地を作ったのかも知れません。


> > まあ結局、身も蓋も無い事を言ってしまえば、全ては「カネの問題」ですね(苦笑)。
> > 60年代後半に、皆が夢を見た頃は、高度経済成長の時代でしたし、
> > 80年代後半に、皆が夢を見た頃は、バブル景気の時代でしたから、
> > 科学に投ずれば科学が発展し、文化に投ずれば文化が発展した訳です。
> > 資金があり、人材を集え、機材を揃え、目標を掲げて、競争が起これば、
> > 人類というのは、かなりの事を、途轍もないスピードで成し遂げる存在だと思うんですよ。
> > それこそ、アポロ計画やマンハッタン計画が、短期間の内に成し遂げられたように。
> > そして、それは時代性に関係無く・・・と言うか、「資金のある時代には」って事なのかな?
> > 火星有人飛行や核融合炉だって、その気さえあれば、既に実現していても おかしくなかったかと。

> うーん、その辺はどうなのでしょう。カネの問題なんですかね?

「カネの問題」という表現が お気に召さなければ、「余裕の問題」という表現でも良いですね。
と言いますか、どちらかと言えば、そちらの方が事の本質だと私は思いますけど、
この前も、無駄や雑音とかの必要性という話が、あまりピンと来られていないようでしたので、
より誰でもイメージしやすい、カネの話に置き換えてみました。
まあ、どちらもそんなに違いはありませんからねえ。
精神的な余裕や、時間的な余裕、人員や機材的な余裕など、
あらゆる作業において、余裕こそが成否を分ける大きな鍵なのですが、
それらを整えるのに、最も有用なツールこそが「カネ」だという話なんです。

ついでなので、余計な話をすると、そんなカネにとって最重要なのは、
総量よりも流通量であり、不景気が生じるのも流通量に障害が起こるからです。
逆に言うと、不景気な時ほど、流通量を増やそうとして、総量が増えたりしますからね。
例えば、AさんがBさんに1万円、BさんがCさんに1万円、CさんがAさんに1万円を渡したとして、
差し引きで言えば当然ゼロなんですけど、3人の中では3万円が動いた事になります。
で、この額が1万円から10万円、そして100万円となれば、差し引きでは相変わらずゼロですけど、
そこで動いた総額はそれぞれ、30万円と300万円になります。
カネなんてモノは所詮道具であり、貯められる性質があるから厄介なんですけど、
スムーズに動かし続ける仕組みが作れれば、みんなカネに不自由しない世界が作れるかも?
これこそが、ベーシック・インカムを成功させる鍵かな?と、個人的には考えていますね。

> 例えば火星への有人宇宙船を着陸させて、それが人類の生活にどう役立つのでしょうか?
> 結局宇宙に莫大なカネを投じていったとしても、特にイイことはないというのがバレてしまったからこそ、
> 宇宙開発って停滞してるんじゃないですかね?

はい、確かに必要ありませんよ。 ハッキリ言って無駄です。
でも、そうした必要不可欠から外れた「無駄なモノ」の存在こそが、文化というモノでは無いですか?
無駄だからと言っても、別に邪魔では無ければ、特に排除する必要性もありませんし、
それこそ、「バレてしまった」と言われますが、そんな事は当時から百も承知だったかと?
もちろん、冷戦下における超大国の威信とか、軍事技術とのリンクなどもありますけど、
有人飛行や月面着陸というのは、純粋に人々の気持ちを高揚させたのは事実です。
単に生命活動を続けるだけなら、そうした気持ちの面など不要な要素ですが、
しかし、充実した人間生活を送るには、そういう気持ちの面は物凄く重要です。
だからこそ日本国憲法第25条でも、「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利が唱われていると。

ゲームもアニメも、文学やアートも、ましてやスポーツに美食なども、
単に生きて行くだけなら不要ですけど、有意義に生きて行くには重要な存在です。
第3者から見て「無駄だな」と思われても、その他に特に害悪も無いのであれば、
別に無駄を排除する必要性も無いですし、無駄の数だけ、満たされる人も増えていきます。
そういう意味では、「輝かしい未来像」を思い浮かべながら、それが実現しなかった現実というのは、
確かに言われてみると、なかなか深いテーマかも知れませんね・・・・

「明日は今日より良くなる」事を、誰もが当たり前のように信じ、安心して暮らしてた頃、
人々が未来を思い浮かべたならば、それは当然、現在の繁栄が更に進んだ姿であり、
例え荒唐無稽な夢でも、笑って受け入れられる余裕があったと思うんですよ。
パイがドンドン大きくなっていて、みんなに取り分があった時代には、
失業手当や生活保護が問題視されたり、公務員がバッシングされたりもしませんでした。
だって、失業手当や生活保護の受給者や、薄給の公務員よりも、世間の人の方が豊かでしたから。
そうなれば心に余裕だって生まれますし、ポスト冷戦の感覚しか無いと解り難いでしょうけど、
対立軸として共産主義が実在した時代には、資本主義社会も今より自制心があったんです。
特に日本の場合は、日本型経営による社会主義的な社会が出来上がっていましたので。
しかし、「明日は今日より悪くなるかも」と、多くの人が不安を抱く現在では、
人々から心の余裕もなくなり、自分の生活で手一杯となり、生き方も汲々としてしまうと。
こうなると、「無駄な事」自体が、害悪に映っています社会になってしまう訳です・・・・

そして、現代社会においては、経済的余裕が精神的余裕に直結しがちであり、
その結果、社会の経済面が悪化すると、人々の精神面も悪化しちゃうんですよね。
昨今のコロナ禍においても、そうした事例は多岐に渡って見受けられるかと思います。
逆説的に言えば、宇宙開発の夢に、多くの人たちが熱狂できるような時代は、
宇宙開発に投じられるだけの余裕があるという時代でもあり、
どっちが卵で、どっちが鶏かはさておき、人々にとって良い時代であると言えるのかな?
それこそオリンピックとかも同じで、それを純粋に楽しめる状況下なら良い時代で、
無理に五輪で楽しませようとしても、社会が良くなるモノでも、人々が楽しむモノでも無いと。

と言いますか、これってニッチな趣味の世界でも言える事なのでは?
「俺達はメジャーに対するマイナーじゃない! インディーだ!!」
これは、アントニオ猪木の新日本、ジャイアント馬場の全日本という2大団体に対して、
わずか資金5万円でプロレス団体FMWを立ち上げ、過激な電流爆破デスマッチにより、
一部でカルト的な人気を博した大仁田厚の言葉ですけど(笑)、
メジャーの対義語として、マイナーではなくインディーが成り立つ社会でこそ、
ニッチな世界というのも、やはり充実するモノだと思うんです。
そして80〜90年代というのは、バブル景気の恩恵に加えて、
団塊世代は働き盛りであり、団塊ジュニア世代は若者層を構成していて、
そうしたインディーな社会も充実できる土壌が、確かに存在していたんですよ。

また、山は高くなれば高くなるほど、広い裾野を必要とするみたいに、
膨大な凡作や駄作が生めるだけの土壌があればこそ、一握りの傑作は生まれる訳ですし、
そして更には、そうすると別の所にも、小さいけど尖った山が生まれる余地ができ、
それこそが、マイナーではなくインディーなニッチの世界だと言えます。
ですので、「役立たないから停滞する」ような、余裕の無い社会状況であると、
結局は、裾野も広がらなければ、尖った別の小山も生まれにくいと思うんですよね。

> 原子力に関しても、SFオタク世代のおじさんに聞いた話では、研究する前はできると思っていたことが、
> 研究すれば研究するほど難しいことがどんどん分かってしまった、というのが原子力だったらしいのですが。

進めば進むほど、問題点が増えていくという現象は、どんな世界にも当然ある事ですよ。
それは何も先端分野の研究に限らず、例えば皆が経験する受験勉強でも言える事で、
勉強をすればするほど、解けない問題というのに多く出会いますし、
却って勉強を疎かにしている人の方が、楽観的に認識している所はあると思います。
でもそれって、見えてない事を自覚できないくらい、視野がボンヤリしているという話で、
逆に言うと、進めば進むほど視界がハッキリしてきて、いろいろ見えてくる訳ですね。
そして、それは1歩ずつ確実に進めている証でもあり、更に進むとゴールが待っているので、
そんな途中で諦めてしまうようでは、まずゴールには辿り着けないと・・・・

恐らく、ここで言われている原子力とは、核融合炉の話かと思われますが、
プラズマを安定的に扱い技術というのは、確かに、実現が非常に困難な代物です。
トカマク型やヘリカル型、レーザー方式など、様々な研究が行われていますし、
あまりに巨額な研究開発費を要する事から、国際協力が叫ばれる中、
1国でも実現できそうだと甘く見たアメリカが、国際協力を渋った事で、
アメリカ自体の研究が遅れてしまい、後から遅れて参加するなんて事態もありました。
そういう意味では、その方の話の内容も、決して間違っている訳ではありません。
ですけど、過去がどうだったかと、将来がどうかは別の話です。

言うなれば、東京五輪の予算とかが、当初の想定額の数倍に跳ね上がるみたいな話で(笑)、
「この額で出来ると思ったんだけど・・・」なんて事は、大型プロジェクトでは珍しくなく、
逆に言うと、そんな事自体は日常茶飯事の想定内であり、
そして、「結局は出来ませんでした」なんて事は、そんなには起こりません。
もちろん、中には技術的に時期尚早だったとか、そういった事態はあるのですが、
ほとんどの場合、時間とお金さえ掛ければ、ある程度の事は成し遂げられていますし、
予算が付けば時間は短縮でき、初めから不可能そうなら そもそも予算が付きません。
ハッキリ言って、現在はどの国も財政的に厳しく、巨額の研究費を投じるのは大変ですけど、
それでも国際実験炉ITERの建設計画は、歩みは遅いものの着々と進められています。
ただ、皮肉な話かも知れませんけど、福島の原発事故により被った損害額を、
そのまま研究開発費に回せていたら、かなり実現に近付いていたかも知れませんね。

> むしろ現代の問題って、技術開発に投じれるカネはあるけど、
> 簡単に開発できて、かつ役に立ちそうな技術はあらかた開発し尽くしてしまった、
> というのが現代の停滞の本質なんじゃないですかね?

いやいや、近年の日本が国際競争力を失いつつある理由も、
根幹にあるのは、やはり研究開発費の大幅な減少ですよ・・・・

「企業型社会主義」で進んでいた戦後の日本社会は、思いのほか公的な補助が少なく、
大部分を企業内での補助に頼っていた為、長く続いた好循環の頃は本当に良かったんです。
しかしバブルの崩壊以降、それが上手く立ち行かないようになると、
当然ながら企業は目先の利益に囚われますし、そこで公助の貧弱さが露呈した訳です。
技術開発に関しても、すぐには効果の出ない基礎研究や、チャレンジ性の高い研究など、
予算に余裕がある状況であれば、広い視野から資金を投じる事も可能ですけど、
業績が悪化し、予算も限られてくれば、すぐに儲かりそうな研究しか行えなくなります。

そういう意味では、「簡単に開発できて、かつ役に立ちそうな技術」に、
安易に飛びついてしまう現状が存在するのは、確かに事実なんですけど、
「カネがない」からそうなるので、結果としてジリ貧になるのも目に見えているんです。
それを打開するには、ビジョンを持った冒険が不可欠になってくるものの、
日本の大企業のサラリーマン社長では、なかなか決断は難しいですよ・・・・
仮に決断した所で、見る目がなければ、東芝みたいな事になっちゃいますし(泣)。

言うなれば、旧トルコ担当さんが思い浮かべているのは、枝葉的な技術改良であり、
ここ十数年、元気を失った日本社会においては、それが主流ではあるものの、
やはり大きいのは、根幹的だったり、新種を生むような技術開発なんです!!
それが今や、世界を席巻するGAFAであったり、国家戦略で進める米中に独占され、
最前線で競ってきた日本が、アッと言う間に後方へと下がってしまった事実は、
既に後退した状況しか知らない、若い世代にとっては普通の光景でも、
それ以前の日本を覚えている世代からすると、やはり物凄い焦燥感や虚脱感があるんです。

それこそ、核融合炉の最終目的である「D-D反応」の核融合炉が実現できれば、
海水から無尽蔵にエネルギーを取り出せますから、恐らくは人類社会が一変しますよ!!
エネルギーがタダ同然な社会となれば、どんな無茶な事も、かなり実現できます(笑)。
やはりエネルギーというのは、あらゆる作業の根幹ですからねえ。
逆に言えば、だからこそ、現代社会は「石油、石油」と騒いでる訳です。
でもまあ、さすがにこの技術は実現困難なので、今世紀中には無理かも?
とは言え、世界大戦でも起これば、時計の針はかなり早まるかな。
実際、核分裂の発見から、原発の運用開始まで、わずか16年で実現してますけど、
これが平時であれば、もしかしたら実現まで100年を要していたかも知れません。

また、それ以外にも、遺伝子を弄り、身体と機械を繋げ、脳がデジタル化するような、
人の手による人為的な人類の「進化」が、技術的には、すぐそこまで来ているので、
こちらは今世紀中には、人類社会に劇的な変化をもたらすと思いますよ。
それこそ、攻殻機動隊のようなSF的な世界の実現が!!
もちろん、技術的に高いハードルは、まだまだ多く残っていますし、
実現に近付けば近付くほど、課題も多く現れてくるのは事実でしょう。
ですが、こちらに関しては、ある程度の工程表が描けるような段階に来ているので、
早いか遅いかの違いだけで、そう遠くない未来に、まず間違いなく実現するはずです。
ただ、その時、日本がどれほど主体的に関われているかは、見通しが暗いですけど・・・・

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