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[5885] 赤い嵐の雑感返信 削除
2008/3/22 (土) 04:13:03 RD

思ったことをつらつらと。

ヒマラヤのネパールなのですが、この地域の国家では代わりに
ブータンを推したいのでどうでしょう?
歴史的にもグルカ兵は有名ですし、人口、経済力、面積などの点でも
ブータンに勝ること、これは覆せません。
ただ、ネパールは王党派と非王党派の対立がありまして、ここの国王は
中東並みに専制志向が強いんですよ。
ブータンの方では、キューバ危機の代の国王が近代化・民主化を進めたことで
評価されておりまして、アジアの内陸国という立地を考えるとなかなか珍しいですよね。
後の国王だったと思うのですが、国民総生産に代わり国民総幸福量といった数値を作っています。
というわけで当代の国王への評価と革新的な政策に一点
あと、ブータン人はゾンカ語(チベット南部方言)を話し、ラマ教徒ですので
チベット人と大差ありません。なので・・・ブータン主導による大チベット復活を!
できるとしたら妄想が広がります。14日のラサ暴動への心情的な判官贔屓もありますが。
しかし、大チベット主義なんて存在が怪しいですし、著名な提唱者も知らないので
無理でしたら構いません。

そしていまさらでスイマセン。ドイツ民族をウィーンに拡大しましたがこれは少々疑問に思います。
55年の再独立の際、オーストリアは憲法でしたか条約だったかでアンシュルスが
禁止されているはずです。いまでこそEUの存在が問題を吹き飛ばしていますが、
冷戦のまっただ中で西独が墺と合邦しようものなら米ソだけでなく、英仏、東欧諸国からも
反対に会うと思います。まだ大戦の余韻が残っていますし、最近ですら
オーストリア大統領選に大戦時のドイツ将校だった人物が立候補したことに
米英仏のメディアが強く反応した事件もありました。
決定的には戦前のオーストリア人はドイツ民族主義が高まっていましたが、
合邦が為されると、オーストリア人は二流市民としての扱いを受け、
「オーストリア」の名詞は抹消されて、ドイツの一部、「オストマルク」が通名になります。
皮肉なことにナチス支配はオーストリア人アイデンティティを生んでしまったことがあります。
なのでウィーンは元に戻した方がいいのかなと。

ああ、雑感なのに要望になってました・・・しかも長くてゴメンナサイ

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