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[9009] Re:キューバ危機版?現代版?返信 削除
2008/10/26 (日) 18:28:07 東トルキスタン

> 今度は一気に、キューバ危機の方が増えましたね。
まあ、上で賛意を示していた方もいらっしゃるので・・・・

> これだと提案のように、「交互」にやった方が良さそうですかねえ?
> もしくは、「現代版2回→キューバ危機版1回→・・・」って感じか?
> もちろん、キューバ危機版にはターン数制限を設けて。
> 1962年10月スタートですから、1966年いっぱいまでと区切れば、大体50ターン強ですか。
> そうなると現代版も、終了確率の開始年を10ターン分ほど後ろへ動かす方が良いのかな?
> 現在の仕様ですと、確率的に言えば45ターン前後で終わる設定になってますので。

もし、継続するなら現代版2回→キューバ危機版1回のローテが良さそうですね。
キューバ危機版に触れてない方も意外といらっしゃいますし、とりあえず
次回はキューバ危機、その次は現代版ということで確定させてはどうでしょう?
まだ現代版の記憶が浅いので改正できるところは今、論議しつくした方が良いですけど。

> > 超大国プレイが悲惨な事になってしまう可能性もありますし、
> > こればかりは腕にも水準が求められるでしょうし。

> 冷戦時代の超大国ともなると、プレイヤーも大変ですからねえ。
> もしキューバ危機版でやるなら、米ソ中の3ヶ国くらいは、
> 事前にここでプレイヤーを決める必要もあるかも?

それが良いです。中国はどちらでも良さそうな気もしますが。。。

> > リージョナリズムやブロック経済によって
> > 世界経済を支配するというのも勝ちとしてありだと思いますし、

> そうした事は現在の仕様でも、ある程度の効果はあると思いますが?
> ブロック化されて輸出入が停止しますと、国家運営上も厳しいですし。
> それに、「○○の項目でトップを目指す」とかは、
> 個々人が目標として掲げれば、それで十分な気もします。

うーん、そうですか。ブロック体制も世界経済のほとんどを占めれば、それは
世界経済と言っても良いかと思いました。せっかく盟主制度があるのですし。
実感では大国は政争に取られて、今回のノルウェーさんの勝利にも
半分は有効な対策を取っていないような・・・、軍事力で阻止されることも
ありませんでしたので。なので大国は支持率での競争に向いていないのではないかと。
こればっかりは次回を見なければわかりませんが。
あと、指導者略伝を書いてみました。宜しければお使い下さい。

Adolfo Lopez Mateos
メキシコ合衆国大統領(1958年 - 1964年)
頻発していた労働運動を硬軟合わせた対応によって沈静化させる。政策は「カルデナス以来の
社会主義政権」と言われ、企業家から反発を受けるも、一般国民の支持は厚かった。
西側・第三世界・キューバと活発な外交を行い対外債務問題を好転させ、五輪とワールドカップの
誘致を成し遂げた。また、中南米非核化を目的としたトラテロルコ条約を推進した。

Hamani Diori
ニジェール共和国初代大統領(1960年 - 1974年)
戦後から親フランス派のニジェール進歩党を設立し、国民投票により自治共和国首相に就任。
60年に完全独立を果たし、初代大統領に選ばれた。対外的にはアフリカの仲裁者として名を挙げるが、
内政には関心を示さず、旱魃や政治腐敗に手を打たなかった。1974年にサヘルの旱魃が起こり、国内に
不満が醸成され、軍部のクーデタを誘発し、失脚。政権下では100万人が飢餓で亡くなったという。

Abubakar Tafawa Balewa
ナイジェリア連邦首相(1959年 - 1966年)
北部のハウサ族を基盤とする「北部人民会議(NPC)」の下、1959年の連邦選挙で首相に就任。
64年の連邦選挙では西部州の暴動に軍隊を派遣するが、治安の回復に失敗する。
北部・東部・西部の地域間対立が激化していく中で、北部の面積と人口を頼みに
「北部化政策」を推進した。66年1月15日、軍の一部が起こしたクーデター未遂により落命する。

Joseph Kasa-Vubu
コンゴ民主共和国初代大統領(1960年 - 1965年)
親ソ・民族主義に急進化したルムンバ首相を解任しようとするも、解任を応酬され政治危機を引き起こす。
事態を打破するために動いた、モブツ参謀総長のクーデターと合流した。ルムンバ暗殺の後、カタンガ州を
除いた国内諸派をまとめ上げることに成功し、国連軍と協力してカタンガを制圧。旧ルムンバ派共産ゲリラには、
前カタンガ大統領のチョンベを首相に据えて成果を上げ、65年モブツのクーデターで退任する。

Hendrik Frensch Verwoerd
南アフリカ共和国初代首相(1958年 - 1966年)
南アフリカ連邦から数えて第7代首相である。ホームランド構想を推し進めるも、
英首相の「変革の風」演説やシャープヴィル事件によって国内外の批判を浴びる。
60年には国民投票を実施して共和制に移行すると共に、アフリカ諸国の発言力が
高まったイギリス連邦から脱退。66年9月に議会内で暗殺される。

Philibert Tsiranana
マダガスカル共和国初代大統領(1959年 - 1972年)
1957年に社会民主党を組織し、フランス議会に議員として当選を果たす。59年には大統領に選ばれる。
親フランスを進める一方で西側とも経済関係を深め、1967年には南アと航空協定を結び接近する。
しかし、失業率とインフレをカバーすることができず、長年の鬱憤からもナショナリズムが高揚。
ラマナンツォア少将率いる軍部がクーデターを起こし、失脚する。

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