▽ 2008/11/7 (金) 17:38:20 ▽ 東トルキスタン |
| またお願いします。
(King Hussein I)
ヨルダン第三代国王(1952年 - 1999年)
祖父の暗殺と父の退位を乗り越えて、16歳の若さで玉座に就く。西側諸国と良好な
関係を基調とし、67年の第三次中東戦争ではヨルダン川西岸地区を失陥。70年に
暴走したPLOと対決して黒い九月事件を引き起こすも、国内からの追放に成功する。
湾岸戦争では独自行動を採るが、ヨルダンの発展と福祉に貢献した王であった。
(Cemal Gursel)
トルコ共和国第四代大統領(1961年 - 1966年)
ガリポリとトルコ革命に従軍した英雄であり、国民の人望も高かった。イスラム化を
進める政府に軍部は反発し、クーデターを決行。臨時政府首班に推戴され、巨大な
権力を持つことになる。軍部独裁を否定して首謀者を処断。新憲法を制定し、民主制
の回帰に尽力した。西側、ソ連、イスラム諸国と関係を深めたが、病気により死去。
(Abd al-Karim Qasim)
イラク共和国初代首相(1958年 - 1963年)
自由将校団を指導してハーシム王家をクーデターにより転覆させる。シリアや
エジプトと親交を深めヨルダン王家を包囲した。その後ナセル主義勢力を粛清し、
共産党との蜜月を築くがキルクーク事件によって距離を置くことになる。
国内外の孤立を深め、63年にバアス党将校のクーデターに敗れて、処刑される。
(abdullah as-sallal)
イエメン・アラブ共和国初代首相(1962年 - 1963年)
ムハマッド王が即位して僅か一週間後に、エジプトの支援を受けたクーデターで
政権を握る。しかし、追放された王はジッタからサウジとイギリスの援助で反攻し、
国内は内戦状態に陥る。また、政権内でもアムリーらとの間で首相座を巡って
権力闘争を繰り返し、67年11月に職を解任され、完全に失脚した。
※http://www.atlaswords.com/YEMEN%20DEL%20NORD.htm
サラル首相と思われる写真があったので、ご参考までに。
(Saud bin Abdul Aziz)
サウジアラビア第二代国王(1952年 - 1964年)
第四皇子のファイサルを皇太子として即位。ハーシム家との敵対からナセルとの
同盟、またハーシム家との接近など、場当たりな外交政策の為に親族によって一時
ファイサルに権限を譲る。しかし60年に巻き返してファイサル派を除外し、「自由
プリンス」を登用。その後ファイサルとの権力闘争に敗れ、ギリシャへ亡命した。 |
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