| ▼ 徳翁導誉さん
略伝を作成してきました。
ド・ゴールとゲルハルドセン首相は差し替えて頂ければ幸いです。
ゲルハルドセンは、色々調べて何とか全容が解りました(汗)
ただ、何点か問題もあります。
デンマークのクラッグ首相なのですが、スペル、任期共に解りませんでした。
解説内容は冷戦期デンマークの概要状態になっています。
アイルランド、リーマス首相もスペルの一部が解りませんでした。
解説や任期については合ってます。
リーマス首相 ( Sean F Remus )
第3代アイルランド共和国首相(1959年 - 1966年)
デ・ヴァレラの後を継ぎ首相就任。27年前と同じ閣僚の内閣を一新する。
党の世代交代に成功し、長老達を引退させて新世代の政治家を登用した。
イギリスとの関係改善を進め、1965年には自由貿易協定を締結。
同年には、北アイルランド首相とのはじめての会談にも成功している。
ド・ゴール大統領 ( Charles de Gaulle )
フランス第五共和政・初代大統領(1959年 - 1969年)
第二次世界大戦では、自由フランス軍を率いて枢軸国と戦った。
1958年第五共和政が成立。第三の極を提唱し、独自外交路線を進んだ。
アルジェリア独立オ承認やフランスの核武装化等を行う。1969年引退。
権威主義的と批判された一方、31回に及ぶ極右テロの標的にもされた。
ファンファーニ首相 ( Amintore Fanfani )
イタリア共和国閣僚評議会議長(1960年 - 1963年)
1954年、第一次組閣。キューバ危機当時は彼の第三次内閣だった。
中道左派政党、キリスト教民主主義の党首として同国経済の復興に貢献。
その一方、同党を含む連立与党は長期政権特有の腐敗、汚職を抱え込んだ。
90年代、汚職による党勢の衰退と解党を見届け、1999年に病没。国葬。
ルフェーブル首相 ( Théodore Joseph Albéric Marie Lefèvre )
ベルギー王国首相(1961年 - 1965年)
弁護士。1946年に代議員に初当選し、1961年から同国首相を勤めた。
同国内政の中でも極めてデリケートな問題である、言語問題に取り組んだ。
言語境界線の確定を議会に求めた事で、全国で議論、運動が白熱する。
1963年には言語境界線を確定させ、言語紛争を減少させる事に成功した。
デ・クヴァイ首相 ( Jan Eduard de Quay )
オランダ王国首相(1959年 - 1963年)
元教員。戦前は補給部隊で従軍。独占領下で一時逮捕され、解放後潜伏。
1945年に初入閣。1959年にカトリック民主勢力の党首として首相就任。
任期中に西パプア問題が発生した他、ベネルクス経済連合が発足している。
これの経済連合は後の欧州共同体、そして現在の欧州連合へと発展した。
クラッグ首相 ( )
デンマーク王国首相(19年 - 19年)
最大政党であるデンマーク社会民主党党首として19XX年に首相就任。
ただし、1909年以来、デンマークで絶対多数を獲得した党は存在しない。
1960年には欧州自由貿易連合に発足七ヶ国の一員として加盟した。
外交面では幾度かアメリカと衝突したが、友好関係は堅固に保たれた。
ゲルハルドセン首相 ( Einar Gerhardsen )
ノルウェー王国首相(1945年 - 1965年)
労働党党首。1945年首相就任。20年もの長期間、権力の座にあった。
政府目標を上回速度での戦後復興を成し遂げ、産業の重工業化を達成。
60年代には石油開発にも成功し、収入を福祉国家の建設へ投入する。
北欧諸国では唯一NATOに加盟し、北欧の均衡維持に苦心した。
カラマンリス首相 ( Κωνσταντίνος Καραμανλής )
ギリシャ王国首相(1955年 - 1963年)
1955年、国王から首相に指名され、重工業の発展と観光の産業化を推進。
国王からの解任後、国内政治は混乱。選挙に敗北してパリへ亡命する。
1967年に軍事クーデターが起こると、これを激しく非難し続けた。
軍政の崩壊後に帰国し首相に就任。国内融和と民主化に成功した。
ジフコフ書記長 ( Тодор Христов Живков )
ブルガリア人民共和国書記長(1954年 - 1989年)
第二次世界大戦ではレジスタンスに参加し、人民軍司令官とした帰国。
王政を廃してブルガリア人民共和国を成立させ、ソ連の衛星国となる。
1954年には第一書記に就任。自身に権力を集中させ、統制を強めた。
冷戦が終結した1989年に職を辞し、その後は隠遁生活を送った。 |
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