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[10123] Re5:まとめレス返信 削除
2009/2/22 (日) 19:35:29 徳翁導誉

> > > > 先代から見て、「親族外」から皇位を継いだ天皇が以下の5名存在します。
> > > > 他国の歴史であるならば、別系統としている所かも?

> > > 一応男系で繋がっていれば、同一の王朝と見るみたいです。

> > その基準で言いますと、
> > イギリスのランカスター朝やヨーク朝も、プランタジネット朝と同一王朝、
> > フランスのヴァロワ朝やブルボン朝も、カペー朝と同一王朝になりますからねえ。
> > 例えば、ヴァロワ朝やランカスター朝の開祖は、
> > 国王の孫であっても、別王朝として扱われていますし。

> 難しいですが、姓(爵位)持ちなのが影響してるかと。
> 建前上天皇家の名字無しですから・・・
> 唯臣籍してたのも復帰して、即位した例もあるので、良く分かりません。

で、結局、最初に戻ってませんか?↓
「他国の歴史であるならば、別系統としている所かも?」
東洋と西洋で、「王朝」という概念の違いがあるのは解った上での話です。

> いっその事側室制度復活させるのも一つなんですけどね。
> 非難や反発は大きいかもしれませんが。

現在、千年王城・京都で国家的プロジェクトとして、
iPS細胞の研究が進められている真の目的は・・・・(笑)


> 女系天皇容認したらどうなるんでしょうね?
> 私は、男系男子を続けていって欲しいと思っています。
> 続けていって欲しいと言っても、
> 無理な場合は女系容認でもいいと思いますが・・・。

前回も書きましたように、天皇の血をひく男系男子というだけであれば、
日本には、数え切れないほどの人数がいるはずです。
オスからオスへと伝えられるY染色体というのがあり、
「皇族のY染色体遺伝子と一致する人=天皇の血をひく男系男子」なので、
国家的に全国民を調べれば、科学的にも男系は見つかります。
まあでも、100万人や200万人じゃきかない程の人数に達するでしょうけど・・・・

ですので、男系で行くのが無理になるという事はありません。
あとは、国民が容認できるか否かの問題です。
科学的な調査で、「この人は天皇の血をひく男系男子だ」と言って、
それで「象徴」となり得るかと言えば、まずそんな事はないでしょうからねえ。
皇籍離脱した宮家にしても、程度の差こそあれ、
馴染みが薄いという根本的な問題は同じな訳で、
だからこそ、万が一の場合も考慮に入れ、
男系で行くなら、今から何らかの対策を行っておく必要があると思うのですが、
悠仁親王の誕生で、議論が全て吹っ飛んでしまいましたからねえ・・・・


[10141] Re6:まとめレス返信 削除
2009/2/23 (月) 13:23:32 物秦

> 東洋と西洋で、「王朝」という概念の違いがあるのは解った上での話です。
確かに・・・
> > いっその事側室制度復活させるのも一つなんですけどね。
> > 非難や反発は大きいかもしれませんが。

> 現在、千年王城・京都で国家的プロジェクトとして、
> iPS細胞の研究が進められている真の目的は・・・・(笑)何処かで聞いたような?
> ですので、男系で行くのが無理になるという事はありません。
> あとは、国民が容認できるか否かの問題です。
> 科学的な調査で、「この人は天皇の血をひく男系男子だ」と言って、
> それで「象徴」となり得るかと言えば、まずそんな事はないでしょうからねえ。
> 皇籍離脱した宮家にしても、程度の差こそあれ、
> 馴染みが薄いという根本的な問題は同じな訳で、
> だからこそ、万が一の場合も考慮に入れ、
> 男系で行くなら、今から何らかの対策を行っておく必要があると思うのですが、
> 悠仁親王の誕生で、議論が全て吹っ飛んでしまいましたからねえ・・・・

宮家皇籍離脱は、GHQの陰謀って話を一笑に付してましたが・・・
対策は必要ですね。


[10190] Re7:まとめレス返信 削除
2009/2/25 (水) 19:31:06 徳翁導誉

> > 皇籍離脱した宮家にしても、程度の差こそあれ、
> > 馴染みが薄いという根本的な問題は同じな訳で、
> > だからこそ、万が一の場合も考慮に入れ、
> > 男系で行くなら、今から何らかの対策を行っておく必要があると思うのですが、
> > 悠仁親王の誕生で、議論が全て吹っ飛んでしまいましたからねえ・・・・

> 宮家皇籍離脱は、GHQの陰謀って話を一笑に付してましたが・・・
> 対策は必要ですね。

まあGHQ側からすれば、そんな意図はなかったんでしょうけどね。
皇籍離脱させられた宮家の多くは伏見宮系であり、
天皇家とは600年以上も前に分かれた分家だったので、
その存在理由が、よく理解できなかったのだと思います。

一方で、天皇家から遠く離れすぎているのも事実で、
19世紀は、跡継ぎが1人だけという綱渡りで血統を繋いできた事もあり、
もしもの事を考えて、明治天皇は竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮へ、
昭和天皇は東久邇宮へと、自分の娘を嫁がせる事で、
遠縁の宮家であっても、国民から親近感を得られるように苦心しましたからねえ。

やはり痛かったのは、戦後に男子がほとんど生まれなかった事かと。
皇籍離脱の実行時、昭和天皇には息子が2人、弟が3人いましたので、
まさかここまで男子が生まれないとは、GHQも予想外だったかと。


[10213] Re8:まとめレス返信 削除
2009/2/25 (水) 21:43:38 プロイセン

age


[10226] Re8:まとめレス返信 削除
2009/2/26 (木) 15:40:42 物秦

> まあGHQ側からすれば、そんな意図はなかったんでしょうけどね。
> 皇籍離脱させられた宮家の多くは伏見宮系であり、
> 天皇家とは600年以上も前に分かれた分家だったので、
> その存在理由が、よく理解できなかったのだと思います。

 これが英国主導で事が進めばもう少し違った、展開なんでしょうが・・・
> やはり痛かったのは、戦後に男子がほとんど生まれなかった事かと。
> 皇籍離脱の実行時、昭和天皇には息子が2人、弟が3人いましたので、
> まさかここまで男子が生まれないとは、GHQも予想外だったかと。

半ば確立の問題ですから、予想は着くような気がしますが、
どこまで考えてかによりますね。

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