| > > 体格の差というのは基本的な部分ですが、技術も基本的な部分です。
> > 同じく体格がモノを言うバレーボールで160センチ〜170センチ台だった女子代表が
> > はるかに体格の良い欧州相手に遠征で22連勝し、東京オリンピックで圧倒的な強さで優勝できたのは何故か?
> > 貴方が言う通りならば、ぼろ負けしているはずでは?
> 1961年の話されても・・・・
> 時代が違いますよ。
> 時代によって、法則が変わっていくのですから、
> 今のことを言っているだけです。
> 現に今行われているバレーボールW杯女子大会で日本はイタリアに敗北していますよ。
> それに女子の体格差は男子の体格差よりも小さいものですよ。
まあ東京五輪の頃は、女子バレーに力を入れている国も少なかったですからねえ。
(ちなみに東京五輪は、1961年ではなく1964年です)
それと、エキサイティングな試合を演出する為に、
高さとパワーを重視する方向へ、ルール改正が行われたのも、
身体能力で劣る日本にとっては、かなり不利に働きました。
あとは、川合俊一が言う所の「スラムダンク・ショック」ですか?(笑)
運動神経の高い長身選手が、次々にバスケの方へ流れてしまったと・・・・
とは言え、一時の低迷を脱し、少しは復調して来てるんですよ。
特に女子バレーの方は、10年前には五輪出場を逃すほどだったのに、
今までは一応、世界ランク4位に付けてますからねえ。
ブラジル、アメリカ、ロシアなど強豪国の平均身長が185cm前後なのに対し、
日本は平均で175cm前後である事を考えれば、よくやってますよ。
同じ女子スポーツで言えば、世界的な立ち位置は、
女子サッカーのなでしこJAPANと同じくらいのレベルに居ますし。
> > 正直な所、スポーツ・競技全てに体格差はありますよ。
> > しかし、それだけで勝敗が決まるのは言い訳と言うのには賛同します。
> > 高校時代に柔道初段を取った時に柔道の先生からこう言われたことがあります。
> > 「体格差は問題ではない。技術は全ての人に等しく平等だ」と。
私も、野球やサッカーをやってきましたが、
私の身体能力なんて、学年の中でも平均以下・・・と言うか下位レベルだったので、
思い通りにボールを扱える器用さと、常にいろいろ考える癖、それと根性がなければ、
まともにプレイなんか出来なかったと思います。
(もちろん、身体能力の差でやられた記憶もたくさんありますが・笑)
> > それに技術は応用だけではありません。基本もありますよ。
> 確かに基本的な技術もありますが、
> 私個人は技術は本質的には応用だと思っています。
ハッキリ言ってしまえば、その「技術は応用」という前提が間違っています。
「心技体」とはよく言ったもので、基本的にスポーツと言うのは、
「精神力・技術力・身体能力」の3本柱が組み合わさる形で出来ており、
それは決して、ピラミッド構造で出来ている訳ではありません。
強いて表すなら「(身体能力+技術力)×精神力」って感じです。
まあ、身体と技術の比重は、スポーツの種類によって異なり、
精神力の方はパーセント表示で限界以上には上がらない・・・って、
この辺の感じは、スポーツをやって無いと伝わり難いのかなあ?
では、受験勉強とかに例えれば分かり易いですかねえ?
この場合の身体能力は、まあ「IQ」とか「地頭の良さ」みたいな感じで。
で、問題を解く為のテクニック習得などが、ここでの技術力でしょうか。
よく「いくら勉強しても、頭の良いヤツには敵わない」などという人が居ますが、
結局そう言う人は、基礎的なテクニックが備わっていない場合が多いです。
テストで点を取るなんて言うのは、地頭とか以前にテクニックの問題ですから。
スポーツでもそうですが、基本的な上達の段階は、
「基礎技術→身体能力→応用技術」というステップを踏んで行きます。
そう言う意味では、最初の「技術は応用」と言うのも、一部分では正しいんです。
しかし、「技術は基礎」という部分が抜けていては、完全に正しいとは言えません。
例え、どんなに優れた身体能力を持っていたとしても、
ボールをちゃんと投げる事が出来なければ、野球で活躍する事は出来ませんし、
ボールをちゃんと蹴る事が出来なければ、サッカーで活躍する事は出来ません。
「そんな事は当たり前だ」と思うでしょうが、実はそれこそが根幹なんです。
スポーツによく典型的な成長例というのが有りまして、
下手なチームが、格上な指導者を呼んだ時に、
選手たちは「どんなハイ・レベルな指導をするのか?」と考えるのですが、
しかし指導者は、本当に基礎的な練習を繰り返すばかりなんです。
「そんな事は知っている」と、選手たちは不満に思うのですが、
実際には、「知っている」と「出来る」の間には、大きな隔たりが有るんです。
そして出来ない人の多くは、自分が何を出来て、何が出来ないかを知らないんです。
ですので、先の例の受験勉強で言うなら、
「頭の良いヤツには…」というのは、往々にして、
今現在の学年から、問題集を開いてやろうとするから解らないのであり、
急に成績が上がる人と言うのは、下手をすれば小学生のドリルくらいから始めて、
自分が解らない所を認識し、それをちゃんと埋めて行くんです。
って、何だか話題が逸れてしまいましたが(笑)、
「技術は応用」である以前に、「技術は基礎」なんです。
ラグビーの日本代表に関しても、外国勢との体格差が云々言う以前に、
ボールをポロポロ落としたり、同体格でも押し負けたりなどは基礎技術の問題であり、
その他にも、いつも通りのプレイが出来ないと言う精神力(経験)の問題もあるんです。
前回書いた事は、まずはその欠点を修正するのが先で、体格差を言うのは二の次だと言う事。
とは言え、それを唱えるのは容易でも、実行するのは大変ですけどね。
まあ確かに、おっしゃるような「時間とコスト」の問題はありますが、
サッカー界の成功が見せたように、その辺は困難ではあっても不可能ではないのですが、
それより何より、「ラグビー界の体質改善」の方があまりに巨大な問題で・・・・
本気で世界と対抗する気なら、大学ラグビーの変革は必須でしょうし、
国内だけで良いなら、数十億円の赤字が出るW杯の日本開催はすべきでないでしょうし。
> 技術は全ての人に等しく平等だからこそ、
> 互いの技術が拮抗してしまうと最期は体格差等で勝敗が決まってしまうのです。
精神力と技術力が一緒という条件が有れば、
確かに後は、身体能力の差がモノを言うのは確かです。
しかし、そもそも、そんな前提条件を持ち出している時点で、
「体格差の優劣が勝敗を決める」なんて結論に至るのが違うのでは?
それが通るなら、精神力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは技術力の差ですし、
技術力と身体能力が一緒なら、モノを言うのは精神力の差になるのですから。
> 柔道での無差別級は他の階級とは別に大会が行われていますね。
もちろん、先述のように、身体と技術の比重はスポーツの種類によって異なります。
陸上競技、特に短距離走などは、それこそ身体能力がモノを言いますね。
日本人がどんなに頑張っても、100m走で金メダルを取るのは無理でしょうし。
逆に、ボーリングやビリヤードなどは、身体能力よりも技術力かと。
球技と言うのは、ボールを扱うという性質から、技術力がかなり重視されますが、
人数が減ったり、ボディー・コンタクトが増えるに応じて、身体の比重が高まるので、
サッカーに比べればラグビーは身体重視ですが、それでも技術の占める割合は高いです。
そして、人数が1対1となり、ボディー・コンタクトが基本の格闘技は、
体重別の階級が出来るほどに、確かに身体能力がモノを言ってきます。
とは言え、陸上競技などに比べれば、遥かに技術が割り込む余地が有りますね。
って別に、「柔よく剛を制す」と技術主義で礼讃している訳では無いですよ。
「剛よく柔を断つ」という対句がある以上、技術力も身体能力も大事なんです。
で、それを満足に発揮する為には、精神力と万全の体調管理が必要と。
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