| 「赤い嵐オンライン・新冷戦版1979」を設置しました。
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「現代版」を基本としている為、「キューバ危機版」とはシステム面が異なります。
要するに、開発コマンドなどが有るって事ですね。
当初はキューバ危機版を基本にしての「シナリオ変更+新要素」を考えていたのですが、
前回がWW2版なっただけに、2度続けて開発コマンドなしだと嫌がる人もいるかと思い、
とは言え、現代版の改造にもいまだ手を付けられておらず、
更には「約束した新冷戦版をやるなら、忘れないよう年内に済ませておきたい」という事情から、
開発コマンド有りの冷戦舞台で新シナリオという、ごちゃ混ぜな結論に至った次第です(笑)。
1.WW2版みたいな、春夏秋冬に分かれた1季節1ターン(4ターンで1年)制で、
ゲーム開始は「1979年の春」、ランダム終了の判定開始は「1987年の春」からとします。
そして勝利条件は、現代版と同じく「最も支持率が高い国」としました。
ちなみに、支持率に掛かる勢力圏ポイントは、冷戦中という事もあり軍事の比重をアップ。
イラン革命でイスラム共和国が誕生するのが1979年4月、ソ連のアフガン侵攻が同年12月なので、
最初はキリが良い所で、1980年の春をスタートにしようかとも考えましたが、
ボカサ皇帝の「中央アフリカ帝国」(1979年9月に崩壊)を出したかったので、1年前倒し(笑)。
まあ、アフガンの衛星国化自体は、前年の1978年4月に行われてましたから、それで問題ないと。
それと本当は、ポル・ポトの「民主カンプチア」(1978年1月に政権崩壊)も出したかったものの、
それをやると今度は、イラン革命もアフガン衛星国化も起きる前になるので、こちらは諦めました。
中国陣営の事を考えると、既にアルバニアとは断絶してるので、ポル・ポトだけでもと思ったのですがね。
ただその結果、アフリカでは植民白人政権の「ローデシア共和国」がギリギリ生き残る事に・・・・
史実ですと、1979年6月に「ジンバブエ・ローデシア共和国」として黒人参加の政権が生まれ、
同年12月に一旦「イギリス領ローデシア」に戻し、その状態で選挙を行った後、
翌1980年4月に黒人国家「ジンバブエ共和国」が誕生するという、凄いバタバタした時期でもあります。
でもまあ、そういう国家が登場するのも、ゲームのネタ的にはアリかも知れませんね(笑)。
あと、ランダム終了の開始年が1987年になったのは、キリの良さなら1990年かと思ったのですが、
年末前までにゲームが終わる方が良いと考えると、もっと前倒しする必要性があるという事で、
1986年11月にレイキャビク首脳会談があった事から、次善案として「1987年の春」に決めた次第です。
2.同民族エリアは「ドイツ・朝鮮・イエメン・中台」の分断国家のみに限定し、
アラブ民族は南北イエメンを除き、各国ごとに別民族という設定にしました。
時代的には、度重なるアラブ統一運動の失敗直後という事で、
大枠の民族意識よりも、小枠の部族意識が強まったって感じでしょうか?
あと、中国・台湾、東西ドイツとオーストリアの設定を少し悩みましたが、
台湾はいまだ国民党による長い戒厳令下にあり、独立どころか民主化以前の時期でしたし、
一方でオーストリアはナチス政権時の体験から、別国家への道を完全に歩き出してましたので、
前者は分断国家として同民族、後者は非分断国家として他民族という設定にしました。
3.現代版仕様なので、共産主義や自由主義の「思想値」は入っていません。
その代わり、先進度70%までの開発コマンドの効率は共産圏(ソ連経済会議)の方が、
先進度70%以上の開発効率は自由主義圏(アメリカ経済会議)の方が有利としました。
これにより、開発途上は計画経済が、発展すると自由経済が適している事を表現しています。
まあ出来れば、この頃イラン革命により台頭してきた第3極のイスラム勢力も含めて、
思想値を「共産主義・自由主義・原理主義(宗教&民族)」に3分して、
先進度が高いほど、共産主義か自由主義かで奪い合える割合を大きくする。
更には政体も、左寄りの「共産主義政権・軍事左翼政権・民主左派政権」、
右寄りの「自由主義政権・軍事右翼政権・民主右派政権」、
そして他に「原理主義政権・君主専制政権」も用意して、
軍部や国民の思想値に応じて政体を変更したり、
他国の介入によって強制的に政体や陣営を変更させられても面白いかと考えましたが、
何の予告なしに導入するには、仕様が大きく変わりすぎるかと思って見送りました。
4.貿易に関しては「関税:50%」で固定となります。
これは、同じ経済会議に属すると関税が掛からない事を利用して、
高関税による経済ブロック化を表現し、貿易における「鉄のカーテン」を表現する為です。
また、米ソの経済会議に所属する国同士の直接貿易も行えなくしておきました。
でもまあ史実では、冷戦中も米ソ間では貿易が行われていましたし、
中でも1972年にソ連が食糧不足に陥った際には、アメリカ政府に気づかれぬ内に、
世界最大の非上場企業である穀物メジャーの米カーギル社から、緊急輸入を行いましたからねえ。
翌1973年には、取引事実に気付いたアメリカ政府との間に「米ソ農業協力協定」が結ばれますが、
これにより「食糧安全保障」の面でソ連は、以後アメリカに弱点を握られる格好となります。
5.計画経済の共産圏用に仕様を分けるのが面倒なので、景気要素は無し(笑)。
と同時に、アメリカの消費2倍も停止し、GDP計算では農業の比重を高めました。
また、冷戦中ですので「平和度:50」スタートとしました。
ちなみに冷戦時は、「GDP(国内総生産)」よりも「GNP(国民総生産)」の方が使われており、
その値で言うと当時、ソ連はアメリカの6割、日本はアメリカの5割くらいでしたでしょか?
まあ東側諸国のGNP値に関しては、鉄のカーテンがあったので曖昧でしたし、
計画経済により質はアレでも生産量が確保できる面を見れば、必然と高く算出されてましたね。
却って軍事産業などは、実態不明の敵を大きく見せる事で利益を増やしていた面もありましたし。
出来れば、もう少し経済面は凝りたい部分ではありましたが、大変なので今回は止めました・・・・
計画経済と自由経済を表現しようとすると、極端に簡素化するか詳細化するかの二択ですしね。
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