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[20300] Re9:ディプロマシーの初期化に関して返信 削除
2016/7/31 (日) 18:31:53 ミカエル

お久しぶりです。多忙のため返信ができていませんでした。

▼ 徳翁導誉さん
> 2chのスレッドで参加者を募り、それでちゃんと回ってた時代があるなんて、今では信じられない(笑)。

あぁ、ありましたねぇ。少し前に見たときは残骸がWeb上に残っていましたが今はどうなっているのでしょうか?
リンク先もほとんど消滅しているのでしょう。
あそこの国債ルールは30年ほど前にホビージャパン社主催のTAC-CONでディプロマシーのデモの一環として行われたのです。
その時は参加者が多すぎて国債のカード枚数が足りなくなってしまい、後半はほとんど機能していなかった記憶があります。
 
> > そこで提案なのですが、もし7名以上希望者がいるのであれば
> > 1903年から05年限定(6〜10ターン)でやってみたら如何でしょう?
> > ※集団ディプロの方が好ましいと考えておりますが、個人戦でも1903年ぐらいまでならなんとか可能でしょうか?
> > また、2か国以上が滅亡(逃亡)したらその時はサドンデス終了にしておけば
> > 本来のディプロの要素が壊れる前にゲームを終了させることができるでしょう。
> > まぁ、このやり方だとゲームの勝敗はつかないとは思いますが
> > はたして需要がどれだけあるかのチェックと未経験の方がどれだけ覚悟がいるかわかるのではないでしょうか?

> 最初は「1903年の開始で、1905年に終了」かと思い、???って感じでしたが、
> これって「1903〜1905年に終了」って意味ですね(笑)。
> まあ確かにディプロって、最初の数年がゲーム的にも一番熱いですから、
> プレイヤーの負担や間延びを考えると、そうやって始めから区切るのも一手だとは思いますが、
> それでもやはり最大の問題点となるのが、「7名揃うのか?」って事に行き着くんですよね。
> もちろん、序盤戦限定で7名が集まるのであれば、試してみる価値は十分にあろうかと。


この方式でやればおそらく人数は揃うでしょうけど
積極的にプレイを盛り上げることのできる方は何人いるかでしょうね。
もし実施するならその7名の募集からになりそうですね。
こうするとハードルが極端に上がるのでこうなると難しいかなぁ。
解説をしたりしながらなのである意味個人戦より大変かもしれません。

> > 蛇足にはなりますが私自身としてはサミット関連の業務や
> > 5月後半から6月にかけて海外にでる予定があるので参加はできないと考えております。

> 何かと大変そうに思う半面で、いろいろ面白そうにも感じますね(笑)。
> もしも今後、北方領土交渉などで進展があれ、そちらでも忙しくなったりするのでしょうか?


一私企業なので北方領土の交渉の進展具合等については全く無関係です。
今回の海外はマカオと香港への単なるプライベートな観光旅行だったりします。
香港のアウトレットで「TUMI」のキャリーバッグを買ったり、マカオのカジノで(ちょっとだけ)儲けたりしてゆっくりしていました。
あとは・・・「深夜特急」の舞台をちょこちょこ覗いたりしていたぐらいです。

> と言いますか、ミカエルさんって全部で何ヶ国くらい行った事があるのか気になったりも。
これは難しいですね。ロシアとソ連。旧ユーゴの共和国をどうカウントするとかでずいぶん変わる感じがします。
それとかアトス修道院領なんかもどうカウントしたら良いでしょうか(笑)

それでもざっくりとカウントすれば60〜70カ国ぐらいでしょうか。

まぁ近況はこんな感じです。
まだしばらく多忙なのでお盆期間に何か返答できれば良いと思います。
それでは




[20302] もろもろ雑談返信 削除
2016/8/5 (金) 20:42:44 徳翁導誉

> お久しぶりです。多忙のため返信ができていませんでした。
どうも、お久しぶりです・・・って、
最近はもう、2〜3週間前も、2〜3ヶ月前も、感覚的にあまり違わないので、
そんなにご無沙汰してるって印象も少ないんですけどね(笑)。
と言う事で、返信はいつになっても、あまり気にならなかったりします。

> > 2chのスレッドで参加者を募り、それでちゃんと回ってた時代があるなんて、今では信じられない(笑)。
> あそこの国債ルールは30年ほど前にホビージャパン社主催のTAC-CONでディプロマシーのデモの一環として行われたのです。
> その時は参加者が多すぎて国債のカード枚数が足りなくなってしまい、後半はほとんど機能していなかった記憶があります。

TAC-CONという事は、月刊「TACTICS」のイベントでしょうか?
そう言えば昭和末期の頃って、ちょっとしたボードゲームのブームがありましたよね。
当時は未だネットなど勿論無く、家庭用ゲームも丁度登場し始めた頃だったので、
アナログなゲームがまだまだ現役だったのは、子供ながらに覚えてますが、
そうした実際に人が集まるイベントも、当時は行われていたんですね・・・・
ネットと動員がリンクする現代から見ると、ネット不在で人が集まる事に凄さを感じますけど、
コミケもそうして始まり、今に続く事を思えれば、同好の士が集うのに時代の違いは関係ないのかな?

> > > そこで提案なのですが、もし7名以上希望者がいるのであれば
> > > 1903年から05年限定(6〜10ターン)でやってみたら如何でしょう?
> > > ※集団ディプロの方が好ましいと考えておりますが、個人戦でも1903年ぐらいまでならなんとか可能でしょうか?

> > まあ確かにディプロって、最初の数年がゲーム的にも一番熱いですから、
> > プレイヤーの負担や間延びを考えると、そうやって始めから区切るのも一手だとは思いますが、
> > それでもやはり最大の問題点となるのが、「7名揃うのか?」って事に行き着くんですよね。

> この方式でやればおそらく人数は揃うでしょうけど
> 積極的にプレイを盛り上げることのできる方は何人いるかでしょうね。
> もし実施するならその7名の募集からになりそうですね。
> こうするとハードルが極端に上がるのでこうなると難しいかなぁ。
> 解説をしたりしながらなのである意味個人戦より大変かもしれません。

ゲームに関して、いろいろ教え合ったり出来たのも、集団ディプロの良さだったのですが、
それこそ集団戦の方が、個人戦以上に、参加人数の問題で高い障壁が・・・・(苦笑)

> 今回の海外はマカオと香港への単なるプライベートな観光旅行だったりします。
> 香港のアウトレットで「TUMI」のキャリーバッグを買ったり、
> マカオのカジノで(ちょっとだけ)儲けたりしてゆっくりしていました。
> あとは・・・「深夜特急」の舞台をちょこちょこ覗いたりしていたぐらいです。

同じ旧植民地であっても、イギリスとポルトガルで宗主国が違いましたから、
香港とマカオって、同じようなイメージでも、意外と異なったりするんですよよね?
弟が夏の旅行先として、香港&マカオに、台湾、シンガポールなどを上げていたので、
少し調べたのですが(結局は広島で野球観戦に)、どこもなかなか面白そうに感じました。
・・・って、私自身はパスポートすら持ってないんですけどね(笑)。
私は乗り物酔いが酷いので、そもそも日本国内ですら、あまり遠方へは行けませんが、
転勤族として日本各地と転々としながら育った為、元住民としての知識は多く、
また、行けないけど興味はあり調べるので、旅行計画アドバイザーと化していたりも(苦笑)。
ちなみに、着座しても私が酔わない乗り物は、自転車と新幹線しかないので、
片道20〜30kmくらいなら自転車利用が多いですね(車は自分で運転しても数十分が限界かな)。
あと、何故か新幹線だけは大丈夫なので、北海道や北陸まで延伸したのは個人的に有り難いです。

ところで、十数年前に海外資本の参入が許可されて以降、
売上げがラスベガスを超す程に急成長した マカオのカジノ産業ですが、
一昨年前から急激に衰退し出したとも聞いてますけど、実際どんな感じでしたか?
あと、完全に下火になってしまった観のある日本の「カジノ構想」ですが、
(今からじゃもう、東京五輪までには間に合わないでしょうし)
実際に日本でカジノが開業されたら、どんな感じになるんですかねえ?
カジノは実際に行った事が無く、なかなか情報も得にくいので、漠然とした想像ですが、
個人的には、ラスベガスとマカオを足して2で割ったようなイメージが浮かびます(笑)。
って、シンガポールのカジノが、まさにそんな感じなのかなぁ?

まあ私個人に関しては、賭け事を一切しないタイプなのですが、
ラスベガスみたいに、それが娯楽産業や文化事業を活性化に繋がるのであれば、
日本にカジノ街が出来るのも、新たなテーマパークの誕生みたいで、何だか面白そうに感じます。
依存症や治安が心配されてますけど、日本社会は現状でも既にギャンブルで溢れてますし・・・・
(パチンコに競輪・競馬・競艇・オート、totoや宝くじ等々、これほど街中にある国も珍しいのでは?)
ただ私のカジノ知識って、10年近く前に読んだ「日本カジノ戦略」が大元ですから、
今では事情も変わってるのかも知れませんけど、でも世界各国のカジノ事情を調べつつ、
北海道の小樽・長崎のハウステンボス・宮崎のシーガイア・沖縄の美ら海などの観光地型や、
東京の臨海エリア・横浜の山下埠頭・大阪の夢洲みたいな大都会型など、
実際に上がっている候補地に、どんなカジノ街が出来るかを妄想するのは楽しいです(笑)。
・・・って、結局は都市計画の話が好きなんでしょうね、私は。

> > と言いますか、ミカエルさんって全部で何ヶ国くらい行った事があるのか気になったりも。
> ロシアとソ連。旧ユーゴの共和国をどうカウントするとかでずいぶん変わる感じがします。

今は亡き国家への渡航経験は、今ある幾つもの国々へ行くより、貴重なモノかと!?
新国家の方は、近年でも分離独立などにより、時々誕生してますけども、
国家の消滅となると、冷戦終結後だと、前述のソ連や旧ユーゴの他には、
東ドイツ・チェコスロバキア・新ユーゴ・南北イエメンくらいでしょうか?
歴史的には「国家の誕生と消滅」なんて、それこそ日常茶飯事な事ですが、
それが珍しくなった現在、今はもう無い国を見てきたというのは、
時代の生き証人みたいな感じで、歴史好きからすると何だか羨ましいです。

ちなみにソ連の話は、2022年の冬季五輪招致から話題が脱線した時に伺いましたけど(笑)、
(あの後、中国とカザフ以外が全て撤退し、まさか北京で冬季五輪開催となろうとは・・・)
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=s18731#18731
旧ユーゴの訪問って、いつ頃の話で、実際に現地はどんな感じだったのでしょうか?
日本代表の元監督であるオシム(1986〜1992年はユーゴ代表監督)の手記などを読んでも、
1984年のサラエボ冬季五輪から、1991年のユーゴ紛争勃発までの、わずか7年間で激変しており、
どの時点に、どの街へ行ったかで、その雰囲気も色々と違いそうなイメージです。
って、私のユーゴ知識は、サッカー関連から入ったモノが多いので、少し偏ってそうですがね。

それにしても、ソ連やユーゴもそうですけど、個人的に、
何故だか、多民族の連邦国家って興味をそそられるんですよねえ・・・・
現在の日本が、ほぼ単一的な社会だからでしょうか?
逆に言うと、だからこそ、多民族国家だった頃の「大日本帝国」や、
日本人が作った多民族国家「満洲帝国」に、惹かれる部分があるのかなぁ?
そう考えてみると、私が第一次大戦前の帝国諸国が好きなのも、
民族意識が高まる時代の中で、国内の諸民族を如何に纏めるかの試行錯誤する様が、
組織論として非常に興味深いからなのかも知れませんね。

> それとかアトス修道院領なんかもどうカウントしたら良いでしょうか(笑)
とりあえず、ミカエルさんが女性でない事は解りました(笑)。
聖地アトス山は、巡礼者でも入国が何かと大変そうなイメージですけど、
実際どんな感じだったのかなど、いろいろ興味がありますね!!
・・・って、これだけだと答え難いと思うので、具体的に質問を設けますと、
(興味本位で尋ねてるだけなので、もちろん答えられる範囲で構いませんよ・笑)
いつ頃、どんな動機で、どういう行程で、どのような島の雰囲気だったのでしょうか?

> それでもざっくりとカウントすれば60〜70カ国ぐらいでしょうか。
いや〜、そんなに多いんですかぁ!?
白地図に訪れた国を塗ったら、かなり埋まるのでは?
片や私なんて、1度も日本を出た事がありません(笑)。
ちなみに、これだけ色んな国へ行っていると、
逆に「この辺は行った事が無い」みたいな空白地帯もあるのでしょうか?


[20314] Re:もろもろ雑談返信 削除
2016/8/14 (日) 17:56:29 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
やっと盆休みになり、まとまった時間が取れるようになりました。

> > > 2chのスレッドで参加者を募り、それでちゃんと回ってた時代があるなんて、今では信じられない(笑)。
> > あそこの国債ルールは30年ほど前にホビージャパン社主催のTAC-CONでディプロマシーのデモの一環として行われたのです。
> > その時は参加者が多すぎて国債のカード枚数が足りなくなってしまい、後半はほとんど機能していなかった記憶があります。

> TAC-CONという事は、月刊「TACTICS」のイベントでしょうか?


そうです。当時はHJ社として月1回程度このようなイベントをやっていましたね。

> > 今回の海外はマカオと香港への単なるプライベートな観光旅行だったりします。
> > 香港のアウトレットで「TUMI」のキャリーバッグを買ったり、
> > マカオのカジノで(ちょっとだけ)儲けたりしてゆっくりしていました。
> > あとは・・・「深夜特急」の舞台をちょこちょこ覗いたりしていたぐらいです。

> 同じ旧植民地であっても、イギリスとポルトガルで宗主国が違いましたから、
> 香港とマカオって、同じようなイメージでも、意外と異なったりするんですよよね?


やはりはっきりと違いますね。旧英領で貿易の中継点・金融センターのひとつである香港は
基本的なインフラが整っていますので、下町感で溢れている路地もあれば東京のような
大都市感が混在している感じですね。
反対にマカオの方はポルトガルの統治力が弱体化していたこともあるのか
町全体としては古びた感じが強いです。
世界遺産でもある旧市街から眺めるカジノホテルの悪趣味さとのギャップがかなりありますね。

ポルトガルにもリスボン近郊のリゾート地であるカスカイスやセトゥーバルなどにカジノはあるのですが
あそこまで派手さはありませんね。
(しかしマカオのカジノっていうとリスボアホテルのカジノ「葡京遊技場」を思い浮かべてしまうのですが)

あとは香港は普通に英語が通じますが、マカオではおそらくポルトガル語を話す人はほとんどいないのではないでしょうか?
公共街中などでは中国語(繁字体)英語とならんでポルトガル語が併記されていましたが・・・

> ところで、十数年前に海外資本の参入が許可されて以降、
> 売上げがラスベガスを超す程に急成長した マカオのカジノ産業ですが、
> 一昨年前から急激に衰退し出したとも聞いてますけど、実際どんな感じでしたか?


やっぱりかなり弱っていると思いますよ。有名なカジノ(リスボアやサンズ)ではそれなりに人はいましたが
小さいホテルのカジノではほとんど人がいませんでしたね。
私は主に「サンズ」にいたのですがそこでも稼働しているテーブルは約半数でした。

マカオの住民の約7割が観光業関係の仕事に従事しているといわれていますし、
近隣の中国本土から「通勤」している人にとってはかなり困った状態になっていると感じます。

それでも中国本土の人の賭け方を見ているとルーレットでも1回10万円ぐらいをかけているので
脇で一緒に勝負していると圧倒されます。結局、ルーレットの台は早々に引き揚げ
「大小」の台でちびちびと勝負をしていました(笑)
沢木耕太郎が大負けした「澳門皇宮」にも行ってみたかったのですが残念ながら潰れてしまったそうです。
現地には廃墟として岸壁につながれているようなのですが時間がなくそこまでは足をのばせませんでした。
(正確に言うと少し飲みすぎ食べ過ぎで動くのが億劫になった)

> 個人的には、ラスベガスとマカオを足して2で割ったようなイメージが浮かびます(笑)。
> って、シンガポールのカジノが、まさにそんな感じなのかなぁ?


うーん。ラスベガスは行ったことがないので、断言はできないのですがシンガポールのカジノの経営は「サンズ」ですし、
「サンズ」自体はラスベガスにもマカオにもあるのでこの3つはほぼ同等かと。
シンガポールの「マリーナベイサンズ」にも行きましたが内装はマカオとほぼ同しです。
 
> > > と言いますか、ミカエルさんって全部で何ヶ国くらい行った事があるのか気になったりも。
> 旧ユーゴの訪問って、いつ頃の話で、実際に現地はどんな感じだったのでしょうか?
> > それとかアトス修道院領なんかもどうカウントしたら良いでしょうか(笑)


ユーゴとアトスについては書いている時間がなさそうなのでまた後日にします。
すいません。

アトスについては以下の書籍に詳しくでています。
入国の仕方などはそれほど変わりません。

斎木俊男 ギリシア歴史の旅 恒文社 1997
ISBN-10: 4770409052

> > それでもざっくりとカウントすれば60〜70カ国ぐらいでしょうか。
> いや〜、そんなに多いんですかぁ!?
> 白地図に訪れた国を塗ったら、かなり埋まるのでは?


そうでもないですよ。まだまだ空白地が多いです。
旧ソ連〜東欧〜地中海地域が多いのでそれ以外のところは少ないです。

> 逆に「この辺は行った事が無い」みたいな空白地帯もあるのでしょうか?

新大陸はないですね。あと豪州も。
そういえばちょっと前まで英語が公用語の国で訪問したのはマルタだけだったような気もします(笑)




[20323] Re2:もろもろ雑談返信 削除
2016/8/19 (金) 19:22:46 徳翁導誉

> > 同じ旧植民地であっても、イギリスとポルトガルで宗主国が違いましたから、
> > 香港とマカオって、同じようなイメージでも、意外と異なったりするんですよよね?

> やはりはっきりと違いますね。旧英領で貿易の中継点・金融センターのひとつである香港は
> 基本的なインフラが整っていますので、下町感で溢れている路地もあれば東京のような
> 大都市感が混在している感じですね。
> 反対にマカオの方はポルトガルの統治力が弱体化していたこともあるのか
> 町全体としては古びた感じが強いです。
> 世界遺産でもある旧市街から眺めるカジノホテルの悪趣味さとのギャップがかなりありますね。

逆に言うと、そんなポルトガルの弱さがあってこそ、
古いヨーロッパの建築が、遠く離れたアジアの地に残り、それが世界遺産になった訳ですよね。
本国よりも却って植民地の方が、古典的で大掛かりな建築物を建てられたりしますし、
カジノ産業の盛況によりマカオも再開発が進み、古い町並みもかなり壊されたとは聞きますけども、
それでもコロニアル建築を見たいと思ったら、やはり香港やマカオが日本から最も近いですからねえ。

> あとは香港は普通に英語が通じますが、
> マカオではおそらくポルトガル語を話す人はほとんどいないのではないでしょうか?
> 公共街中などでは中国語(繁字体)英語とならんでポルトガル語が併記されていましたが・・・

考えてみれば、例え宗主国に国力の違いがあるとは言え、
100年続いたイギリスの香港支配に比べて、ポルトガルのマカオ支配って500年にも及ぶのに、
今に残るその影響や足跡が、あまりに異なりますよねえ・・・・
こうして話していると、何だかマカオの歴史に興味が沸いてきました(笑)。

> > ところで、十数年前に海外資本の参入が許可されて以降、
> > 売上げがラスベガスを超す程に急成長した マカオのカジノ産業ですが、
> > 一昨年前から急激に衰退し出したとも聞いてますけど、実際どんな感じでしたか?

> やっぱりかなり弱っていると思いますよ。有名なカジノ(リスボアやサンズ)ではそれなりに人はいましたが
> 小さいホテルのカジノではほとんど人がいませんでしたね。
> 私は主に「サンズ」にいたのですがそこでも稼働しているテーブルは約半数でした。

なるほど、やはり目に見えて衰えてはいるんですね。

> マカオの住民の約7割が観光業関係の仕事に従事しているといわれていますし、
> 近隣の中国本土から「通勤」している人にとってはかなり困った状態になっていると感じます。

カッコ付きでマカオに通勤とか言われると、売春のイメージしか沸かないです(苦笑)。
・・・って、カジノ街として隆盛を極め、観光業も盛んになっている現在のマカオが、
一昔前のイメージに比べて、どれくらい変化したのかは解らないんですけどね。

> それでも中国本土の人の賭け方を見ているとルーレットでも1回10万円ぐらいをかけているので
> 脇で一緒に勝負していると圧倒されます。結局、ルーレットの台は早々に引き揚げ
> 「大小」の台でちびちびと勝負をしていました(笑)

「日本にもカジノを」という声も、そうした大口顧客を見込んでもモノでしょうしね(笑)。
でもまあ、「日本には金持ちが楽しめる娯楽が少ない」なんて声もありますから、
それはそれで国内需要なども、結構あるのかも知れませんけど。

> (正確に言うと少し飲みすぎ食べ過ぎで動くのが億劫になった)
言われてみると、隣の香港に比べて、マカオにはあまり食のイメージが無いのですが、
そこは広州の近郊ですし、やはりマカオの飯もウマかったりするのでしょうか?
また、イギリスやポルトガルの植民地でしたから、広州料理が下地にあるにしても、
そこには香港やマカオなりの食の独自色もあったりするんでしょうかねえ?

> > 実際に日本でカジノが開業されたら、どんな感じになるんですかねえ?
> > 個人的には、ラスベガスとマカオを足して2で割ったようなイメージが浮かびます(笑)。
> > って、シンガポールのカジノが、まさにそんな感じなのかなぁ?

> うーん。ラスベガスは行ったことがないので、断言はできないのですがシンガポールのカジノの経営は「サンズ」ですし、
> 「サンズ」自体はラスベガスにもマカオにもあるのでこの3つはほぼ同等かと。
> シンガポールの「マリーナベイサンズ」にも行きましたが内装はマカオとほぼ同しです。

すみません、解り難い話の書き方となって。
私が気になったのは、カジノの店舗そのものと言うよりも、「カジノ街としての街の雰囲気」ですね。
もちろん、サンズなり、ベネチアンなり、MGMなり、そうした国際カジノ企業の店舗内は、
どの国であれ、そんなに変わらないようなイメージはあります。
言うなれば、イオンやヨーカドーなどの大型スーパーが、日本どこの店舗でも同じような感じで(笑)。
でも、古い商店街の一角にあるか、郊外のロードサイド店か、ショッピングモールの中核店かなど、
店舗自体は似ていても、その周囲の雰囲気はいろいろ変わってくると思うんです。

で、要するに何が言いたいかと言うと、例えばサンズの店舗内は変わらなくても、
ラスベガスは、ギャンブルのアミューズメント・パークみたいに、作り込み感のある人工的な街で、
マカオは、店外に出て路地などに入れば、アジア的な賭場の雰囲気が色濃く残ってそうな印象で、
そしてシンガポールは、作り込んではいるけど、どうしても端々にアジアっぽさがあるイメージ(笑)。
なので、仮に日本でもカジノ街が出来たなら、そんなシンガポール的な街の雰囲気になるのかな?と。
ちなみに、実際にマカオやシンガポールのカジノを体験してみた上で、
もしも本当に東京なり大阪なりにカジノ街が出来たとしたら、
良い点、悪い点など、どんな変化が日本社会にありそうですかねえ?

> ユーゴとアトスについては書いている時間がなさそうなのでまた後日にします。
> すいません。

いえいえ、いつでも構いませんよ(笑)。
私の興味本位から、一方的に尋ねているだけですので。

> アトスについては以下の書籍に詳しくでています。
> 入国の仕方などはそれほど変わりません。
> 斎木俊男 ギリシア歴史の旅 恒文社 1997

ありがとうございます。
ただ、やはり生の声の方が聞きたいので、とりあえず待ってます(笑)。

> > > それでもざっくりとカウントすれば60〜70カ国ぐらいでしょうか。
> > いや〜、そんなに多いんですかぁ!?
> > 白地図に訪れた国を塗ったら、かなり埋まるのでは?

> そうでもないですよ。まだまだ空白地が多いです。
> 旧ソ連〜東欧〜地中海地域が多いのでそれ以外のところは少ないです。

なるほど、その辺りが中心だったんですね。
って、「今は亡き鉄のカーテンの向こう側」と考えると、
個人的には却って、興味のそそられる地域ですが(笑)。

> > 逆に「この辺は行った事が無い」みたいな空白地帯もあるのでしょうか?
> 新大陸はないですね。あと豪州も。
> そういえばちょっと前まで英語が公用語の国で訪問したのはマルタだけだったような気もします(笑)

それは、ちょっと意外でした(笑)。
まあ南北アメリカ大陸の方は、日本から見ると欧州などとは方向が逆なので、
「もしかしたら?」とは想像してましたけども、
英仏海峡トンネルの開通で、欧州からイギリスへの渡航も鉄道で1本になりましたから、
まさか英語圏がマルタだけとは!?

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